仮題:百合ゲーム世界の住人になった話 作:ぎょみそ
憂鬱な体育の授業でも出席しているのは、偏に今日を繰り返さないためだ。ここは引き籠もりに厳しい世界。平日に学校、或いは授業をサボるとその日一日が無かったことにされてもう一度同じ日がやってくる。
悪用すればテストで満点だって簡単に取れる。
「次、シズたちの番だよ」
「……ええ」
クラスメイトに呼ばれてスタート地点に向かう。今日は学年初めに行われる体力テスト、それも一番面倒な持久走の日だ。これが20mシャトルランなら適当なタイミングで切り上げて休めるのに、うちの学校はこんな所までスパルタらしい。
運動部と去年までの成績上位者、平均的な子、苦手な子の3グループに別れて行われる持久走。今周では目立った成績を残していないから、私は平均的なグループに割り振られている。
リセットされても身体の使い方は忘れない。それに先祖返りの恩恵が私にもあるのか、身体能力という奴が飛び抜けているからこれまで困ったことは無い。
叶依は私なんかとは比べ物にならないけれどね。その力をズルだと感じているのか、私以上に力量を見せることは無いけれど。
そんなことを考えていると、前グループの集計が終わったようだった。体育の担当教員がピピっと笛を鳴らす。
「次のグループ、さっさと並べよー。あい、位置について。よーい──」
ドンっとスターターピストルの合図が鳴って、一斉に走り出す。取り敢えずは後ろの方で様子見だ。
先頭を走っているのは我らが生徒会長、
ああ、あんなに飛ばしたら後半酷い目に遭うのに。
一周と半分、つまり600mを走った頃案の定トップのスピードが落ちた。遠目から見てもかなりバテてるのが分かる。浅葱さんに釣られて走っていた何人かはとっくに後方だ。
そのままの調子で観察していると、ふと浅葱さんと目が合った。何故か顔を顰めた彼女はまた無理にペースを上げて、辛うじて帯同していたクラスメイト達がどんどん遅れていく。
このくらいの距離の中距離走なんて、無理してペースを上げるよりも一定を維持した方が楽なのに。真面目すぎる浅葱さんはいつまで経っても力を抜いて走ることを知らない。彼女が持つのも後で数十メートルだろう。
そんなこんなで残り半周。ほら、やっぱり追い付いた。左斜め横を走る浅葱さんは、既に足取りが覚束ない。
「浅葱さん、大丈夫?」
「だい、じょうぶ……よ。このくらい、よゆうだわ」
「そう」
息も絶え絶えによく言うわ。その根性には敬服するしかない。頭良いくせに、こと運動に関してだけ学習能力が無いのは如何なものかと思うけど。
結局、私と浅葱さんはほぼ最後尾でゴールインした。到着するなり倒れ込んだ浅葱さんから離れて、終わった子達が座っているトラックの内側に向かう。何人かは水分補給に向かったみたい。
この程度の距離をあんなスピードで走った所で疲れもしないけど、流石に手抜きが過ぎると教師に目をつけられてしまうから汗を拭うフリをしてタオルを肩にかけた。
「お疲れ様。シズってばやっさし〜!」
「茶化さないで。別に、楽したかったからペース落としただけよ」
そんな私に声をかける変人が一人。叶依に千友梨ちゃんがいるように、私にとっての腐れ縁が彼女。
運動苦手とはいえ体力テスト全体で言えば半分よりは上にいる浅葱さんと比べるのは流石に可哀想か。
「んー、なんかヒドいこと考えてない?」
「気の所為よ。どうしたら貴女の成績が上がるのか考えてただけ」
「そっか……って気の所為じゃないじゃん!」
こんな軽口を叩ける、私の数少ない友人だ。突き放しても冷たくあしらってもお構い無しに引っ付いてくるものだから、諦めて懐柔することにした過去がある。
「1キロ走ったってのに、相変わらず余裕そうだねぇ」
「貴女には言われたくないのだけど」
「いやいや、運動しか取り柄のない私と互角なのがおかしいんだって」
「よくそれ自分で言ったわね」
蘭はいわゆる天才児だ。一度も部活に入ったことがないくせに、昔からかけっこだって球技だって体操だって他の誰よりも優れていた。私が知っている人間の中で、一番運動能力が優れているのはきっと彼女だ。
陸上部じゃないくせに、名門大学から勧誘が来ているほどに。卒業したら実家の飲食店を手伝うから進学している暇はないと一蹴していたけれど、その進路が叶ったことはない。
卒業の先がないのだから当然だ。今回こそ、前に進めるといいのだけど。
「あ、校舎見てみなよ。カナちゃんこっち見てるわ」
校舎の三階目掛けて笑顔で手を振る蘭。後輩からの人気を自覚していない彼女は無駄に愛想がいいものだから、今頃あのクラスではプチ騒動になってるに違いない。
実際、まだ授業中だというのに小さく黄色い歓声が聞こえるし。
「あはは、なんだか楽しそうだね」
楽しそうなのは貴女の頭の中よ。
チラと叶依の方を見やると、すぐに目を逸らされた。
「……最後のグループも終わったみたいよ」
「あ、ほんとだ。これで解散みたいだね。戻ろっか」
「用事思い出したから先に行ってて」
「うん? ははーん。なるほどわかりました。じゃあお先に失礼!」
ニヤニヤと訳知り顔を見せた蘭を見送って、用事の元へと向かう。彼女には後でおしおきせねばなるまい。
それはさておき、だ。
「歩けないくらい体調悪いなら、誰かに言えばいいのに」
「はぁ、はぁ……韮沢さん……?」
「軽い熱中症だと思うけど。役立たずの先生はさっさと帰っちゃったし、肩くらい貸すわよ」
よく描かれるやる気満々の体育教師とは正反対の教師は、今日も終業の鐘が鳴るや否や校舎に戻って行ったから。
端から期待してないと言い捨てた私に弱々しい非難の目を向ける浅葱さん。大方先生に何て口を!とか思っているのかもしれないけど、事実なのだから仕方ない。
この学校でまともな教師はひと握りだ。
「……私、貴女のこと嫌い」
「何度も聞いたわ。だから選んだんでしょ」
「ええ」
肩を貸してる相手に嫌い宣言をされつつ、無事に保健室まで送り届ける。養護教諭が居ないのはお約束なのか。
「ベッド空いてるし、横になってたら。先生呼んでくるから」
「……ありがとう」
嫌っている相手にもお礼をする。浅葱さんはどこまでも真っ直ぐだ。羨ましいくらいに。
捻くれ過ぎて、右を見てるのか左を見てるのかすら分からなくなってしまった私とはまるで違う。
浅葱さんと蘭は真逆だなんて言ったけど、本当に彼女の正反対なのは私の方なのだろう。
そっと顔を逸らした浅葱さんの耳が赤く染まっているのを見て、そういえば浅葱さんをここまで送ってきたのは初めてだな、なんて思ったのだった。
※
私には、この世で唯一嫌いな人がいる。苦手とか不仲とかじゃない、正真正銘嫌いな人。
彼女は選ばれた人間だった。
先生達は私や涼川さんを天才だと持て囃すけど、本当の天才っていうのは彼女のことだと思う。涼川さんは確かにずば抜けた運動神経を持っているけど、それでも彼女には敵わないと自嘲していたほどだから。
勉強も運動も平均か、それより少し上程度。本質を見ようとしない人達からすれば彼女は至って普通の女の子かもしれない。
でも私は知っている。彼女はそう見えるように調整しているだけなのだ。
事実、先程の持久走だって汗をかくどころか息切れ一つしてなかったのだから。
勉強だってそう。いつも平均点を少し超えるくらいに調整している。そんなこと、常人なら不可能だ。
未来の結果を知っているか、全ての問題を理解してクラスメイト達のレベルを正確に把握していないと。
だから私は彼女が嫌いだ。嫉妬しているからじゃない。目立たないよう態と手を抜いているのが、気に入らない。
何故そんなことをするのか、何一つ理解させてくれない彼女だから。
意趣返しに生徒会副会長を指名してみても、知っていたような顔で簡単に受け入れてしまう彼女だから嫌いなのだ。
普段は他人に興味なんてないような態度の癖に、偶にこうして優しさを見せる彼女だから、私は。
ズルいと思ってしまった自分自身が、もっと嫌いだ。