仮題:百合ゲーム世界の住人になった話   作:ぎょみそ

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 一仕事終えて息をつく。愛用している証券サイトを閉じて、パソコンの電源を落とした。

 高校生の二人暮らし。叶依の体質を知った親戚共から隠れて生活していた私達家族には頼れる親戚など当然おらず、両親亡き今生活費は自分で稼ぐしかない。

 そして選んだのがこれだ。皮肉にも、ゲームの韮沢静夢と同じ選択でもある。優れた観察眼と先見の明で生活費を捻出していた彼女と違い、今の私は繰り返した過去を有効活用しているに過ぎないのだが。

 

 上手く使えば一生遊んで暮らせるような莫大な財産を築くことだって出来るだろうが、どうやらそれはルール違反らしい。二度戻されて、諦めた。だから私は毎月の生活費と多少の小遣い程度を稼ぐに留めているわけだ。

 

「ふぅ……」

 

 普段は銘柄もタイミングも承知の上で取引するのだが、今日は何故か予定通りにことが進まなかった。

 原作でも描写されていた、主人公の生活に関わる話だ。少しずつ変わる何気ない日常会話と違い、確定した未来をなぞるだけのはずだった。

 

 初めての体験に戸惑いつつも、何とか取引を終えることはできた。先日からの初めて続き。これが良い方向に転がってくれたらと願わずにはいられない。

 

 腕を伸ばして首を鳴らす。気分転換でもしようと何となく外に目をやって、顔を顰めた。

 

 慌てて部屋を飛び出し、隣室のドアをノックする。とっくに帰宅して、部屋にいるはずなのに返事はない。

 

 失敗した。いつもなら、もっと早く気がついているのに。

 

「叶依、入るわよ」

 

 灯りをつけず、カーテンも締め切った真っ暗な部屋。自室と同じ、使い慣れた間取り。くぐもった声、不自然に膨らんだベッド。探す必要もなく、叶依は見つかった。

 

「……ごめんなさい。もっと早く、来るべきだったわ」

 

 布団ですっぽりと身体を覆った叶依。別に蝙蝠だとか、狼だとか、そういった化け物になってる訳じゃない。そういう訳じゃないのだけれど、ある意味ではそれ以上に厄介な代物。

 

 満月の夜。月や地球の公転のせいで数週間に一度訪れる、普通の人からすればただ月が丸いだけの日。精々キレイだな、なんて感想を持たれるだけのそれが、彼女にとっては大きな災厄を齎す日に変わる。

 

 簡潔に言えば、間歇に。こうやって必死に抑え込まなければ堪え切れない程の、強い吸血衝動に襲われるのだ。理由は不明。そもそも彼女という生物の存在自体に説明がつかないのだから、そんな魔性があったところで驚くには足りないのかもしれない。

 

 そうなのだから、仕方ない。私にどうこうできる問題ではないし、それは叶依にとっても同じ事。

 月に一度訪れるアレのように、拒絶したところで治るものでもないのだから。放置すれば他所様に迷惑を掛けるかもしれない。だから、決まった相手ができるまでは私が処理しているだけのこと。

 

 静かにベッドに近寄って、布団に手を伸ばす。いや、伸ばそうとした。

 

 あっという間に視界が反転して、強い力で押さえ付けられる。予想だにしない行動に、圧力を加えられた肩から嫌な音が聞こえてはじめて痛みを感じた。

 

「っ叶依……叶依!」

 

 腕よりは自由になっている足を使って何とか現状維持には成功しているが、まずは会話をしないことには先に進むことも出来ない。

 ここまで荒れている叶依を見たのはこれで二度目だ。一度目は、最初の人生だった。

 

 両親が亡くなって、ちょうど二年が経った頃。つまり叶依が中学二年生になった年だ。当時の私は初めて目の当たりにした魔性に、何もすることができなかった。

 気付けば両親が亡くなる前日に巻き戻っていて、そこで私は漸く自分の人生が何なのかを理解したもの。

 

 今思えば、この現象は韮沢 静夢(わたし)にとって一つの重要な分岐点なのかもしれない。

 

「落ち着いて。大丈夫、大丈夫だから……」

 

 ギリギリと軋む痛みに耐えて、何とか叶依を宥めようと何とか声を絞り出す。

 が、返ってくるのは浅い息遣いだけで、分かるのはこちらの言葉が一切届いてないことだけだ。

 

 これは不味い。いい加減、意識を手放しそうになって──鋭い痛みで覚醒した。

 

「っ……たぁ……」

 

 首筋に走る熱。普段は指から血を与えているものだから、もう何周も味わっていない久しぶりの感覚に唇を噛み締めた。

 気付けば私を拘束していた腕は背中に回されていて、逃がさないとばかりに抱き締められる形になっている。そんな事しなくても、逃げたりなんかしないのに。

 

 顔を肩に填めているせいで表情は確認できないけれど、同じように叶依を抱き締め頭を撫でると少しだけ腕の力が緩んだ気がした。

 私にとっては久しぶりの。けれど、叶依にとっては初めてだろう。今更優しい姉面なんて、する気もなければそんな権利もないけれど。

 

 これは必要だからやっているだけ。事実、こうやってあやす様に接すれば叶依は多少なりとも落ち着いて、私も楽になるのだ。いつリセットされるか分からない人生で、その元凶に温かく接するなんて私にはもうできない。

 今感じている痛みとは違う熱だって、彼女の体質による副作用でしかないのだ。絶対に。

 

 

 

 数分か、数十分か。私には一時間にも感じる吸血を終えて、すっかり満足したのか叶依は寝入ってしまった。

 規則的な寝息を立てて眠る叶依。きっと朝目が覚めたら一目散に謝りに来るに違いない。

 そしたら言ってやるのだ。いつまでも身代わり()に頼るんじゃなく、早く本当の番を見つけなさいと。

 

 ベッドを整えて、部屋を出る。火照った身体を冷ますために冷水のシャワーを浴びた。

 風呂に備え付けられた鏡を見て、今日何度目かのため息を吐く。あちこちに刻まれた傷と、首筋に残る二つの牙孔。腕の付け根は青い痕がくっきり付いている。

 多少治りが早い身体とはいえ、これでは数日は日常生活に影響が出そうだ。

 折れていないだけマシなのだろう。果たしてヒロイン達で代わりが務まるかどうか。

 満月さえ忘れなければここまで酷くはならないし、彼女たちの勤勉さに期待するしかない。叶依も真に好いている人が相手なら、もっと優しく出来ることだろう。本当(ゲームの中)の叶依はこんなことをしたことは無かったのだから。

 

 叶依は謝るだろうが、さっきのは私のミスだ。韮沢静夢なら犯すはずのなかった失態。この程度の怪我と貧血くらいは甘んじて受け入れる。原作にないイベントが起きてしまった以上、明日が来るかは分からない。けれど何故か、そのまま進行するような予感がしている。

 

 体と髪を拭き、新しい部屋着に着替えてから自室に戻りベッドに入る。心も身体も疲れているはずなのに、暫くは眠れそうになかった。




仕事が忙しすぎて執筆時間が取れず、久しぶりの投稿になります。

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