仮題:百合ゲーム世界の住人になった話 作:ぎょみそ
返信を削除しようと思い間違って感想ごと削除してしまいました……申し訳ありません。ご指摘ありがとうございます。
結局ほとんど眠れぬまま朝を迎えてしまった。身体の節々に加えて寝不足で頭も痛いが、この痛みは今日を迎えられた証拠だ。そう思えば痛みすら愛おしく感じ──るなんてことは決してないが。
問題は、今が夏服の時期であることだ。朦朧としていた昨日は思い当たらなかったが、よくよく考えるとこの腕の傷は半袖のセーラー服で隠し通せる位置にない。一晩明けた今なお痛々しく残る傷跡に触れてみると、ビリビリと小さな電流が走っているような感覚がした。
今日は午後に体育があるが、ソフトボール程度ならこなせるだろうか。折角前に進めたのだ、授業をサボって前日へ戻るなんて勿体無いことはしたくない。
腕には包帯を巻いて、不注意で打撲したことにでもしておこうか。教師も同級生達も、優等生で通している私がまさかそんな嘘をつくとは思うまい。
首筋の牙孔は──叶依に言えばすぐにでも治らないことはないのだが。一体どうしたものか。
頭を悩ませていると、コンコンとノックが聞こえた。律儀な妹は、昨日のような事があっても顔を見せずに逃げ出すなんて恥知らずな行いはしない。寧ろ予想よりも遅いくらいだろう。目が覚めて、すぐにでも来たかったろうに。謝罪のシミュレーションに時間がかかったか、或いは疲労困憊の私に気遣ったか。判断に迷うところだ。
「起きているわ」
私は敢えて、いつも通りの返事をした。
ゆっくりと、普段よりも更に時間をかけてドアが開く。予想通り……いや、予想以上に顔を涙か鼻水が分からない液体でぐしゃぐしゃにした叶依が姿を見せた。
「……酷い顔ね」
あまりにもあんまりなので、素直に思ったことが口をついて出てしまった。叶依がここまで泣き腫らした姿を見るのは、長い人生でも初めてだ。初めて暴走した時は、まだ幼かったものね。あの時も酷く落ち込んではいたけれど、ここまででは無かったから。
「ごめ…なさぁ……」
グズグズと泣き続けながら、"ごべんなざい"にしか聞こえない謝罪を繰り返す叶依。花の女子高生……それも、恋愛ゲームの主人公の顔とは思えないわ。
仮にも私は何十年も彼女の姉として生きてきた。複雑な事情が絡んでいるとは言え、多少の情はある。しかし、甘やかしてばかりでは前に進まず、もう仲良しごっこなんてしないのだと随分前に決めたのだ。
今回だって、冷たく突き放すと昨日決意した。それで私の手から離れて、誰かヒロインに縋ってくれれば全てが終わる。私は解放されるのだから。
「これで分かったでしょう。貴女は普通の人間じゃないのだから、いい加減全てを受け入れてくれる番を探しなさい」
言ってやった。心無い声で、泣いて謝る妹を突き放してやった。最低な姉で結構。私はもう自由になりたいのだ。
「ぐすっ……ぅ…だってぇ」
「……ああ、もう。そんなに泣かないの。それまでは私を代わりにしていいから。昨日のは私にも非があるし、貴女が私に気を使ってくれたのは分かっているの。ただ、いつまでもこのままは良くないでしょ。別に今すぐ恋人を作れと言っている訳では無いのだし、そういうことを考える時期にあるんじゃないかと思っただけよ。貴女の為に言っているの、だからいい加減泣き止んで頂戴」
……決して、決してこれは温情ではない。いつまでも私の部屋で泣きじゃくる叶依に嫌気が差しただけだ。あくまで私は私の為に、優しい姉のフリをしてるに過ぎない。
異様に回る舌を忌々しく思いながら、弁明を続ける。
「……ぐすん」
「はぁ……本当に、怒ってはいないのよ。迷惑掛けたくなくて、一人で耐えていたのでしょう」
この子の優しさなんて、私が一番わかっている。だからこそ、ハッピーエンドを迎えて欲しいと。
「私は用事があるから少し早く出るわ。貴女は……その泣き腫らした瞼を何とか出来るなら学校に来なさい。無理なら連絡して。体調不良で欠席と担任の先生には伝えるから」
このまま叶依が学校に行けば入江さんや他のクラスメイトに心配をかけることは自明だし、教師達に私との仲に関する根も葉もない流言が飛び交ったりなんかしたら面倒だ。
万が一にも満たないが、東軒先生が家庭訪問などと言い始める可能性だってあるのだ。担任やその他教師陣は精々興味本位で嗅ぎ回るだけで、私に対してアクションを起こすなんてことは無いだろうが。
厄介事は避けるに限る。真面目で通ってはいるが、皆勤賞を狙うようなタイプではないのだし、そんな描写もなかった。それでも戻されたなら、その時はその時だ。
何故か今周は見慣れぬエピソードが続いていることもあって、根拠の無い自信のようなものが生まれているのは少し怖い所ではある。
数分かけて言い聞かせ、叶依が部屋を出て行ったのを確認して自分の準備に取り掛かる。と言っても学則で化粧は禁止されているし、帰宅したら直ぐに翌日の準備は終わらせているから着替えと身嗜みのチェック、あとは弁当の用意くらいしかやることはないのだが。
今朝は大豆で作ったハンバーグに作り置きの煮物、きんぴらごぼうに玄米のご飯。肉も魚も卵も牛乳もダメとなると、あまりレパートリーを増やせないのが残念な所だ。味付けは飽きないように少しずつ工夫しているものの限度はある。叶依がメニューに不満を表したことは無いが、気になる部分があるなら遠慮なく言って欲しいものだ。
今更そんな日は来ないとは思うけど。
「よしっ、と──忘れ物ナシ。行ってきます」
返事がないのがすっかり普通になった挨拶をして、家を出る。学校までは徒歩十分。実に良心的な位置にある。
特にイベントも起こらないまま校門に着く。そこには既に浅葱さんが寒さに顔を赤らめながら待っていた。
「待たせてごめんなさい。教室で待ってくれていれば良かったのに」
「おはよう、韮沢さん。私が好きで待っていただけだから、気にしないで」
数日ぶりに浅葱さんと二人で校舎を歩く。前回は浅葱さんの意識が殆ど無かったから、お互い健常時にこうして共にするのは去年の生徒会選挙ぶりだろうか。
ありがちな設定だが、この学校は放任主義の建前の下、教師陣が学校運営を投げ出した為に生徒会の裁量権が普通の学校より大きい。そしてその生徒会役員は選挙で選ばれる生徒会長を除き、全て会長の指名制である。
だからこそ会長選は学校全体が盛り上がり、ある種の異様な空気に包まれる一大イベントになっている。
そんな中、まだ生徒会副会長ではなかった私が彼女の隣を歩いていた理由は一つ。彼女が、特に親交の無かった私を推薦責任者に選んだからだ。
詳しい理由も伝えられないまま、私はその役目を受け入れた。そうせざるを得ない理由があったし、私は今でも浅葱ひとはという人物を嫌いになれないからだ。
輪廻の中で選挙活動を何度も経験している私と違って、浅葱さんは必死に緊張を隠して演説して回っていた。彼女の懸命さは、初めてあったあの日から何一つ変わっていない。
「朝から小難しい顔してるわね。考え事かしら?」
「え? ああ、浅葱さんは可愛いなぁって思ってただけよ」
「へぁっ!? そ、そういう冗談は涼川さんだけで十分よ。だから貴女って嫌い!」
別に、冗談ではないんだけどね。