仮題:百合ゲーム世界の住人になった話 作:ぎょみそ
入学式が終わったばかりだというのに、気付けば体育祭の準備が始まる。時間の感覚が鈍っているせいもあって、生徒会役員として活動していなければ一層怠惰な学生生活になっていたに違いない。
とは言え、体育祭の準備に関しては生徒会に出来ることは殆どない。プログラムは昨年までの使い回しであるし、各委員の役割も例年通り振り分けてしまうからだ。
まずは優秀な生徒会長が既に作成していたプリントを各クラスの担任に渡し、学級委員を先頭に生徒それぞれが出場する競技を決めてもらう。
個人競技のレース組み分けやクラス対抗競技の対戦シート作成等はそれの回収が終わってからになる。
当校に体育祭実行委員が存在しないのは毎年代わり映えの無いイベントになるからだ。
私の在学中に変わったことといえば、一年次に安全面から組体操が廃止されて応援合戦になった事くらいだろうか。蘭が率先して団長を引き受けてくれるから、私たちのクラスでは揉め事が起こらなかった。
「これで今出来ることは全て終わったわね。以上で解散とします、お疲れ様」
考え事をしているうちに、会議が終わったらしい。浅葱さんの解散の号令で各委員長を含む役員が生徒会室を出ていく。チラチラと視線を感じるのは、私の腕が気になっているからだろう。会議前にザワついていたのもきっとそのせいだ。
気を使ってくれたのだろう浅葱さんが、何も言わずに号令をかけてくれたから助かったけれど……。
「大丈夫すか、副会長さん」
「
「なんの事って、そりゃ勿論その腕の包帯ですよ。会議中もずっと上の空だったし……何かお困り事っすか」
ガラガラになった教室で、叶依からの連絡を確認しようとしていた私に声を掛けてきたのは萱野
校則でパーマが禁止されているため、毎朝アイロンで髪を巻いているらしい。ネイルもピアスも化粧もせず、成績も優秀な生徒会役員。規定のないスカートは短めと、校則は守っている真面目なギャルという奴だ。
生徒会役員で一番気が利く人物でもある。私が思うに、面倒見が良く損するタイプだ。面倒事に首を突っ込むタイプでもある。
「いいえ、昨晩少しぶつけただけよ。そう言う貴方は随分と眠そうね」
会議中に何度か欠伸を噛み殺しているのを見た。理由は簡単に想像できるので、誰も咎めることはしなかったが。
露骨に話を逸らしたことで察したのか、それ以上包帯について言及するつもりは無いらしい。肩を竦めると、話題転換に乗ってくれた。
「あー、妹が全然寝付かなくて。あんまり寝てないんですよね〜」
知っている。彼女の両親はまだ首が据わったばかりの子供を放ったらかしにして毎晩家を空けているらしい。昼間は乳児から入園できる保育園に預けていて、送り迎えは萱野さんがやっているとか。
なぜ浅葱さんは彼女を書記に指名したのか。本人は履歴書に書きやすいからラッキーだったと語ってはいたけれど、浅葱さんの指示で時間の拘束が無いとはいえ忙しい彼女の負担が増えるだけではと思ってしまう。
大体、まだ高校生の彼女が幼い妹の世話をしないといけないだなんて間違っているのだ。仕事で不在ならまだしも、そうでは無いと聞くし。
「あまり無理をしないように。貴方は十分頑張っているのだから。今日の会議だって、無理して出席しなくても良かったのに」
「保育園は結構早くからやってるんで大丈夫っすよ。それに、放課後は全然残れないんで来れる時くらい仕事しないと、会長に恩返しできないっすから」
「ふぅん……そう。まあどうしても耐えられないようだったら保健室に行くのよ」
彼女の"恩"が何なのか知らないし、知る気もないけれど外野が口を挟む問題でもない。本人がそれでいいなら好きにすればいい。知っている人が過労で倒れた、なんて事になったら後味が悪いから忠告しただけだ。
『了解です』と未だ心配そうな顔で答える彼女に別れを告げて、今度は職員室へ向かう。安仁先生に、叶依の休みを報告しなければならないからだ。席を動かずこちらを窺っていた浅葱さんには気付かないフリをした。
ノックを三回繰り返した後、入室許可の声を聞いて立て付けの悪いドアを極力静かに開け職員室に入る。
叶依のクラスの担任である安仁先生は入口から正反対の方向にデスクを構えている。
好奇の目をスルーして、そこまで辿り着くと安仁先生は困惑の表情をしていた。
「え、わ、私に用ですか?」
そわそわしながら私の顔と腕の包帯を何度か見比べる安仁先生だが、私は気にせず挨拶をする。
「おはようございます、安仁先生。三年の韮沢です」
「ぞ、存じ上げております……」
「そうですか。妹の叶依なのですが、本日体調不良で欠席するそうです」
「体調不良ですか? 確かに最近は少し元気がありませんでしたね……」
「……はい。何かあれば私の方に連絡お願いします。では失礼します」
──最近元気がない。初めて聞く話に何とか無表情を貫き通し、軽く頭を下げる。
「はい。わざわざありがとうございます。お大事にと伝えておいてくださいね」
教師らしい威厳もなくにへらと笑う安仁先生。最後まで包帯に触れることは無かった所は、高ポイントだ。
職員室を出ると、今登校してきたのだろう入江さんとすれ違った。
お互い軽く会釈するだけで、会話をすることは無い。最近特に入江さんの態度が硬化していると思っていたが、成程叶依が思い詰めていたのが原因らしい。
昨日は失敗したものの、血はこれまでどおり毎朝与えているし喧嘩した訳でもない。最近になって変わったことなど何一つないはずなのに、今更なんだと言うのか。
もしかしたら、原因は私ではなく別のところにあるのかもしれない。例えば、叶依に番ができた……とか。
……無いわね。
詳しくはわからないが、入江さんの態度を見るに私が原因なんだろう。もう何周も、同じように距離をとって生活していたつもりだったけれど。最近になって叶依が変わったということは、そうなる要因がどこかにあったはずなのだ。
繰り返すだけの日々に疲れたはずなのに。
分からないって、こんなに疲れる事だったかしら。
※
生まれて初めてズル休みをしてしまった。学校を休んだのなんて、吸血鬼になっちゃったあの時と、お姉ちゃんが修学旅行で居なかったあの時と、あとは私自身の宿泊研修と修学旅行の時くらい。うぅ、そうやって数えたら結構休んじゃってるかも。
だけど、今日みたいな理由で休んじゃうのは初めてだ。
確かに今の状態で学校に行ったら、千友梨ちゃんとか、他の友達にも心配かけちゃうとは思うけど……。
でも、私よりお姉ちゃんの方が余っ程酷い状態だった。腕には包帯をグルグル巻いてて、首とか足とか色んなところに絆創膏を貼ってたから。
本当は鮮明には覚えてないんだけど、私が昨日お姉ちゃんを傷付けてしまったことだけは覚えてる。
満月の夜はどうしても衝動が抑えきれなくて、いつもはお姉ちゃんが
お姉ちゃんの部屋を覗いて見たらパソコンと睨めっこしていて、お仕事中なのは直ぐにわかったから今日くらいは我慢しようって部屋に籠った。
私ももう高校生なんだから、そのくらいできるって思っちゃったんだ。お姉ちゃんの仕事は私の為なのに、私はお姉ちゃんの為に何にもできないから。少しでも迷惑かけたくなくて……結局、沢山傷つけちゃったんだ。
真っ暗なままのスマートフォンを見る。画面に映った私の顔は酷く腫れていて、とても人に見せられるような状態じゃないけれど。口を開くと、明らかに人のものじゃない大きな牙が目に入った。私は昨日これでお姉ちゃんを──。
どれだけ人間を装っても、所詮私は化け物でしかないのだと実感する。番なんて作れるはずがない。私の正体を知ったら、千友梨ちゃんだってきっと離れていってしまうんだろう。
お姉ちゃんの負担になって生きるくらいなら死んでしまおうと試したこともあったけど、それすら叶わないこの身体が嫌い。
──嫌われたくない。お姉ちゃんにだけは、絶対に嫌われたくないのに。
どうして、間違えてしまったんだろう。
感想大変ありがたく読ませていただいております。が、展開予想だけは何卒、何卒御遠慮いただきますようお願い致します。