仮題:百合ゲーム世界の住人になった話 作:ぎょみそ
特筆すべき出来事もなく全ての授業が終わる。午後には多少痛みも引いて、ソフトボールにも無事参加できた。ジャージに着替えれば周囲からの鬱陶しい視線も収まると思ったのに、より一層向けられたのには辟易したが。
朝回収したプリントを生徒会室に持っていき、活動がなくとも律儀に毎日詰めている浅葱さんに引き渡して玄関へ向かった。勿論、東軒先生に見つからないよう細心の注意は払って、だ。
手間取るだろう一年生の為に提出期限は少し時間に余裕を持たせている。体育祭本番まではまだ日数があるから問題は無い。その為、暫く放課後に休みを取れなくなるだろうことを踏まえて今日からの三日間は放課後の生徒会活動は休みになっている。
欠伸を噛み殺して、帰って叶依の様子を確認したら取り敢えず仮眠を取ろう等と考えながら廊下を歩く。靴箱の前で私を迎えたのは蘭だった。いつもなら、結婚記念日のこの日は家の手伝いが無いからとクラスメイト達に誘われて街へ出ているはずなのに。
「お、やっと来た。遅いよシズ」
「遅いって言われても。何か約束でもしていたかしら?」
「ううん、してないけど」
「良かったわ。記憶力はまだ衰えてないみたいで。それで、どうしたのよ」
私と叶依が住む家と蘭の実家とはそれほど距離はないものの、
「ん、暇だったからさ。久しぶりにカラオケでも行かない?」
「カラオケなら、他のクラスメイト達に誘われたんじゃないの?」
「あー、知ってたんだ。それなら断ったよ、今日はシズと遊びたい気分だったし。迷惑だった?」
「別に、迷惑ではないけれど──」
──意図が掴めない。蘭は確かに昔から私にベッタリだったけれど、他の友人を蔑ろにするような子ではなかったから。
「それに、話したい事もあったし」
「……? ああ、そういう事。相変わらず、豪胆なフリして繊細なのね」
「……親友が。突然そんな怪我して学校来たら、誰でも心配するでしょうが」
私の態度が気に障ったのか、少しだけトーンを下げて言い放つ蘭。こんな様子の彼女にさえ軽口しか返せないのは、私の悪い癖だ。
教室ではいつも通りだったのは、彼女なりに気を使ってくれていたという事なのだろう。
「話せる事も無いし、あまり時間は取れないけれど……それでもいいかしら」
「うん。これでもシズとは長い付き合いだからさ。色々抱え込んでるのは知ってるよ。これも、私の自己満足のためだし」
「わかったわ」
学校から徒歩で五分ほどの距離にある、カラオケチェーンのふくすけに向かう。周りは学校帰りの学生ばかりで、特に目立つこともない。
受付を済ませて案内された部屋に入る。ドリンクが届くまでは、当たり障りもない話をした。モニターを見ながら最近流行りのドラマの主題歌が良いだとか、コンビニの有線で懐かしいあの曲が流れていたとか。本当にくだらない話だ。
頼んでいたドリンクが届いて、お互いに一口ずつ飲む。私は烏龍茶で、蘭はたまたまコラボフェアで提供されていたいちごミルク。キャンペーンで付いてきた、作品の名前すら知らないコラボグッズの話題でまた時間を潰して、そんなネタすら尽きて漸く蘭が本題を切り出した。
「……それで。どこまでなら、聞いてもいいの」
「何も聞かないでくれるのが一番嬉しいのだけれど?」
「それは無理。極力悪目立ちしたくないシズがそんな見た目で学校に来るなんて余っ程だよ、みんな心配してた」
「心配? 好奇心の間違いでしょ。生憎と友人は数える程しかいないの。心の底から私を心配してくれるような関係なのは貴女くらいよ。だからこそ、こうして居る訳だけど」
嘘じゃない。蘭じゃ無かったら、早々に一蹴して今頃はベッドの中だった。相手が蘭だからこそ、最低限の誠意を見せているだけ。
「シズは自分のこと卑下しすぎだと思うな。シズが思っている以上に、皆はシズのことが好きだし、力になりたいと思ってるよ」
沢山の愛情に包まれて育った蘭らしい。本気でそう信じ込んでいるんだろう。人間はもっと、家族にすら言えないような悪意に塗れているというのに。
「さっき一年生の子にカナちゃん休みだって聞いたよ。体調不良って聞いたけど、その様子じゃそれだけでもないでしょ」
幼馴染なだけあって、シズは私と叶依との微妙な仲を知っている。だからその答えに辿り着いたとしてもおかしなことでは無い。
蘭は知った上で私や叶依と付き合ってくれているし、必要以上に踏み込んでこない。今日もそうしてくれたら楽だったのに。
「先日も言ったけれど、その勘の良さはもっと別のことに活かした方がいいと思うわ」
「シズ」
「……はぁ。わかったわ、その通り。でも本当に大したことではないの。あの子が困っている時に助けになってあげられなくて、喧嘩しちゃったのよ」
言葉に偽りはない。真実でもないが。
私から蘭に叶依の秘密を打ち明ける未来は絶対に来ない。それは叶依の仕事であり、責任だ。これまで私が何度か相談しても、なんの意味も無かったのだから。
「喧嘩って……」
納得がいっていない蘭を見兼ねて、腕に巻いていた包帯を解く。予想通り、今朝ほど腫れ上がったり血が出ていたりはしていない。流石は化け物の末裔、治癒力も人並外れているわけだ。
「ほら、大したことないでしょう。蘭は心配しすぎなのよ」
「嘘つき。隠してても、板書したり体育の時とかに庇ってるのはわかったし、今だって包帯外す時に一瞬顔引き攣ってたもん」
自分でも気付いていない事実を指摘されて固まる。普段通りの自分を演じられていると思っていた。
「細かいことは気にしない主義じゃなかった?」
「別に細かくない。シズが自分の事に無頓着すぎるだけだよ……こんなに赤くなって、病院には行ったの?」
「そこまでじゃないもの。理由を聞かれるのも億劫だしね」
高校一年生の妹にやられました、なんて他人には口が裂けても言えない。これは私の罰で、叶依が私以外の誰かに責められる謂れはないのだから。
「あの華奢なカナちゃんのどこにそんな力があるのか信じられないけど、シズが意味無くカナちゃんを引き合いに出すなんてもっと有り得ないから信じるよ。でも、困っているカナちゃんの助けになれなかったって?」
「それは内緒。分かってると思うけど、叶依も今は傷付いているだろうからそっとしてあげてよ」
さっさと秘密を打ち明けられる恋人を作ればいいと常々言っては来たが、今は傷を増やすだけになりそうだ。蘭の性格上叶依には何も言わないだろうけれど、念の為に釘を刺しておく。
「うぅ……わかった。本当は全然わかってないけど、これ以上は聞かないよ。カナちゃんにも、絶対に。でも、私にできる事があったらすぐに言ってね。電話一本で駆け付けるから」
「ありがとう」
「こっちこそ、無理に聞いてごめん。あぁ、包帯巻き直すの手伝おっか?」
「じゃあ、お願いできる?」
「任せて」
野良猫の治療をしているような手つきで恐る恐る触る蘭を笑い飛ばして、漸く作業が終わった辺りで退室十分前のコールが入った。元々長居する予定はなかったので予約したのは一時間だけ。一曲も歌わないまま帰るのも勿体ないと、二人で日本人なら誰でも知っているような大ヒットドラマの主題歌を歌ってカラオケルームを出た。
別れ際、蘭は『カナちゃんと仲直りしなよ』とだけ言ってスクールバッグを背負い、私の家とは正反対の方向へ歩き出した。
「今日の夜ご飯はカレーでいいかしら。今朝のハンバーグがまだ残っているしね」