古明地こいしはかつて目だった。
ただの妖怪となったこいしが、目を閉じた経緯とは。


※小林泰三先生の『玩具修理者』という短編小説とこいしちゃんが相性が良いのではないかと思い、書いてみました。少々設定を改変していますが大体同じ。

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 古明地こいしは覚妖怪だった。

 右の目玉、左の目玉。そして、管で繋がれた剥き出しの目玉。三つ目の目玉が覚妖怪の確固たる証であった。ただし、今は上下の目蓋がぴったりとくっついて、その目は閉じている。目同様にこいしは心を閉ざして、今では人の心を読まない。

 だから彼女はもう覚妖怪ではない。

 

「ねぇ、お前はなんで目を閉じたの。こいし」

 

 こころは聞いた。

 聞いてはいけないことなのかと、今まで聞いてこなかったが、其時、こいしがそっと閉じられた目を指先で撫で上げ、こころはその一齣に、思わず聞いてしまったのだった。

 彼女は睫毛越しにこころを見、にっこりと微笑んだ。

 

「ええ~? 閉じてないよお、まっぴらいてるよ」

 

 こいしは自身の顔についた二つの目玉の目蓋を両手で抉じ開け、目を見開いてみせる。さながら、目から光線でも放散しそうな勢いである。こころの被っていた面が猿の面に変化する。

 

「いや、その目ではなくてだな……その、三つ目の方。人の心が読めたというが」

「今は読めないよ」

「昔は読めたってことだ」

「覚えてないなあ」

「自分のことなのに覚えてないなんて変だ」

「あはは、変? 私、変? こころちゃんにそんなこと言われるなんて、悲しいなあ」

 

 こいしは泣き真似をして見せたが、依然こころの面は猿の面のままだった。そもそも、彼女達が今日顔を合わせたのはほんの偶然で、偶然でなければこいしがこころをからかっていたから、殆どこころの面は動かなかった。

 

「本当に覚えてないのか、昔のことを」

「……覚えてるよ! 私、人の心を読んだって、何も良いことなんてないから読めないようにしたの。読めないように、目をなおしてもらったのよ」

「なおす? 治すって、病気だったの? こいしが心が読めるのって」

「違うよ。壊れてたの、心が」

「心って、機械みたいなものだっけ」

「玩具が壊れたら、修理屋さんに、もってくでしょ」

「修理屋に直してもらったのか……それ」

 

 こころは頑丈に閉じられた目を指差した。紫色の目蓋が目を覆い、ぴたりと閉じている。管は剥き出しの目の両端に二本ついており、奇妙に体に取りついている。

 こいしは目を丸くして、こころの指先を見つめた。

 

「壊れてたの」

「……直った?」

「うーん、直ったと思うけどな。でも、今はちょっと後悔してるの。心を読んでみたい人達を見つけたから」

「そう、なら、開けないのか。目を」

「……もう、開けたって、見られないよ」

「読めなくなってしまったから?」

「うんとね、まあ、そうだね。目を開けたって、私の心は閉じたままだから読めないけど……そもそも、読めないんだから。私が目を閉じてるのは、心を閉じてるから……というわけでもないの。目を開けたら、お姉ちゃんも、こころちゃんも、みんな怖がってしまうよ。だから開けないの」

「考えてることを読まれるのは嫌だけど、目が開いてようがなかろうが、読めないならいっそ、開けてしまえばいい。どれ、ひとつ、開けて見せてよ」

「きっと怖がるよ」

「怖がりなんかしない。私に怖いものなどないからな!」

 

 こいしは珍しく渋っているように見える。こころは狐の面をしていた。こいしが困ったように三つ目の目を見つめる。そして、諦めたように頷いた。

 

「うん、そこまで言うなら、開けてみるよ。でも、心は読めないよ。こころちゃん、ほんとうに、怖がらないんだね?」

「うん」

「じゃあ……ちょっとだけだよ」

 

 こいしはゆっくりと、三つ目の目を開けた。長年開けていなかったからか、ほんの少ししか開かない。光に目を細めるように、たった一寸ほどの切れ込みを入れた。目蓋の捲れ上がった部分に幾数もの筋が見える。

 こころは、思わずといった様子で顔を近づけ、その暗闇を覗き込んだ。下から上に目線をずらし、何か違和感がある、と、じっくりと観察した。暗闇は何処までも広がっている。彼女が乗り出した時、光の角度が変わって目の暗闇を、照らし出す。

 こころはようやくそのことに気がついた。下半身からどっと体が重くなり、力が抜けて座り込むと、こころは体が冷えていくのを感じた。

 こいしはまたゆっくりと目を閉じ、こころに目線を合わせるようにしゃがんだ。

 

「こころちゃんは嘘つきだね」

「……こ、こいし」

「なに?」

「お、お前、それ、どうしたんだ」

「言ったよね、直してもらったの」

「誰に」

「ようぐそうとそふ」

 

 こいしは悲しそうに言った。

 

「ほらね、言った通りになった」

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 古明地こいしは覚妖怪だ。

 右の目玉、左の目玉。そして、管で繋がれた剥き出しの目玉。三つ目の目玉が覚妖怪の確固たる証であった。この目はどんな妖怪、人間にも恐れられた。彼女は誰の心も読むことができた。

 目だった。こいしは目だった。生きている何か、妖怪なんかではなくて、目だった。

 

(気持ち悪い)

 

 口に出されるわけでもなく、その言葉はこいしに届いた。こいしは一生懸命笑うのをやめて、後ろを向く。彼らは大声で話している。囁きだなんて、誰かは言うけれど。みんな、心の中では叫んでいる。悲しくても、嬉しくても、憎くても、愛らしくても、なんでもなくても、心の中の言葉は、同じ大きさで響いていた。

 石を投げてくれればいいのに、と思った。

 石を、せめて、違う痛みが、外側からの痛みが欲しかった。

 

(昨日さとり様に貰った玩具を壊してしまったんです。こいし様、なんとか直せませんか)

 

 ある日、こいしの姉のペットである猫のお燐が口に人形を咥えて持ってきた。ペット達は皆心を読まれるのを嫌がらなかったが、喋らなかった。こいしはそれが不満で、あまり好きではなかった。

 こいしが差し出された人形を受け取ると、確かに糸がほどけて中の詰め物が出てきている。ただこいしは縫い物が出来ないので、首を横に振った。

 

(そうですか……仕方ないですね。素直に謝ってきます)

 

 こいしから人形を受け取ると、口に咥えて背を向けた。その姿に、こいしは心の中に一つあったことを提案した方がよいかもしれない、と思った。

 

「……お燐」

「にゃあお」

「それ、私に預けてくれない? 一人、直してくれそうな人を知ってる」

(本当ですか!?)

「うん、任せて。でも、お姉ちゃんに隠し事は出来ないよ」

(そ、それは承知しています)

「ちゃんと謝るのよ」

 

 お燐はじっと目を見つめると、首をゆっくりと縦に一度、動かした。こいしに人形を渡すと、すぐに走って何処かへ行ってしまう。

 こいしは手の中の小さな人形を見つめた。人形を直せそうな心当たりというのは、彼女自身直接会ったことはなかった。ただ、他人の心を見ると皆一様に『あの人のところへ持っていけば、大丈夫』と思っているのを知っていた。気になって見ていると、次第にその奇妙な彼若しくは彼女のことが分かってきた。

 彼若しくは彼女は玩具修理者で、壊れた玩具も、からくりも、ペットも、何でも直してしまうらしい。無機物か有機物か、生きてるか死んでるか、生き物か物か、関係ない。何でも直してくれる。彼若しくは彼女は性別、年齢、人間か妖怪か、何も分からなかった。名前も分からないが、皆は『ようぐそうとそふ』と呼んでいた。それがいつも、修理する時にそのようなことを叫びながら修理しているからだ。他にも、『えれきゅーてーれと』とか『ぬわいどほるさかと』等も口走ることがある。金などの報酬は受け取らず、無料で修理をしてくれるとのことだった。

 こいしは、それを知った時あり得ない、と思った。何でも直して、報酬も受け取らないような奴はいない。そんなのは、あやかしでもあり得ない、と。心の中が読めるにも関わらず、彼女はそう思っていた。

 要するに、彼女は全てを愛していたのに、全てを信じてなどいなかった。

 しかし、折角機会があったので試してみる気になったのだ。お燐の玩具が直るかどうかは、どうでも良かった。

 今までの情報を頼りにこいしは空き家の並ぶ辺りに来た。一つ一つ家を覗き込んでいると、急に二軒の空き家の間に石の山のような小屋が見える。それは、大小様々な石で出来た小屋で、なんとか家の形を保っていた。こいしは玄関らしき扉を躊躇いなく開けた。黄色いしみの滲んだ天井、壁。水をありったけに染み込んだようなぶよぶよの床。流石に怯んだこいしだが、靴はそのままで、中に上がり込んだ。

 

「……ようぐそうとそふ、居ないの?」

 

 返事はなかった。

 奥には一つ部屋があるようで、襖がある。こいしはそっと襖を細く開けてみた。覗くと、中には玩具やら小さな箱やら、虫やら、猫やら、どうやら壊れたらしいものが畳に広げてあった。

 その正面に、浮浪者のような布にくるまった人らしきものが座っていた。目はぎょろぎょろと様々な方向に動く。男だか女だかよく分からないような感じで、こいしの目から見ても少々薄気味悪い。

 

(あれがようぐそうとそふ……? 変なの。人ではないわね、妖怪に違いないわ。あれがどうやって物を直すっていうのかしら)

 

 しばらく観察していると、ようぐそうとそふはいきなりこいしの方へ向かってきて襖を大きく開けた。びくりとしたこいしはお燐から預かった玩具を落としてその場を後退りする。

 

(あれ……?)

 

 そこでやっとこいしは違和感に気づいた。

 こいしは誰の心だって読めたのに、ようぐそうとそふの考えていることは少しも分からなかったのだ。

 ようぐそうとそふはこいしの落とした玩具を拾うと、こいしに聞いた。

 

「……これを、どう、したい? どう、する?」

「……あ、な、直して、ほしいの。元の形に、穴を縫って、詰め物が出てこないように」

 

 こいしは思わずといった様子で答えた。ようぐそうとそふは人形を観察し、いきなり床に叩きつけた。

 

「だーきゅらるいさこぶ!!」

 

 こいしは圧倒されたように見つめていたが、ようぐそうとそふは気にせずに玩具を拾うと奥の部屋に戻りハサミで丁寧に解体し始めた。

 

「な、何してるの? 私、直してって言ったのよ? それ、壊してるじゃないの。ねえ」

 

 ようぐそうとそふは聞こえないかのように動きを止めなかった。糸は切ったりしないで、元の状態に戻っている。そして糸も、飾りで付いていたボタンも綺麗に外してしまうと、今度は猫を手に取った。ナイフで腹を割いて、背中まで一通り皮を剥いだ。筋肉や筋が露になり、それを丁寧に解しながら解体していった。内臓がびちゃびちゃと畳を濡らし、血で滑って飛び跳ねる。こいしは猫の腹を初めて見たわけでもないので、驚かずに見ていた。あまりにも綺麗な手捌きなのでもう、止める気にはならないようだ。

 頭部も解体してしまうと、脳みそが飛び出てきた。顔の肉も見える。皮を剥がすと、管の繋がったビー玉大の目玉がようぐそうとそふの手から転がり落ちた。こいしは、その目を横から拾い上げた。

 

「……これ、貰ってもいーい?」

 

 彼女がそう言った時、初めてようぐそうとそふは顔を上げた。にやにや笑ったようにも見えるが、こいしを見てはいなかった。

 

「ありがとう。大事にするね」

 

 こいしは勝手にそう言うと、猫の目玉をスカートのポケットに突っ込んで部屋を出た。彼女はようぐそうとそふが何でも直してみせるということに、変に納得してしまったのだった。

 そして、自分の心が妙に浮わついたのも、感じていた。コミュニケーションなどではない。言葉などではない。ただ、何も返ってこないという快楽に、気づいてしまったのだ。

 修理は集まったものをまとめてするのだということに、帰り道を歩きながらこいしは気づいた。きっと、返ってはこないと思っていたから意外な気持ちで振り返る。

 

「そうか、もう一回、行って、いいんだ……」

 

 口角が自然と上がり、微笑んだ。

 ポケットの中の目玉に触れると、ぶにょぶにょと茹ですぎた煮豆のような触り心地がしていた。変な汁が指先に付いた。

 こいしは歩いて、何時もは避けて通る大通りに出た。幾つも、幾つも、こいしを気味悪がる声が見えた。いつものように。でも、それだけ。話し掛けてこない。気持ち悪い、そう思ってるだけ。そんなの、他にもいる。そう思われている妖怪は、山ほどいるのだ。

 ただ、その日は、違った。

 こん、と、三つ目の目に、石が当たった。

 血が出た。赤い血。ひりついて、麻痺するような痛みがあった。こいしは、誰が石を投げたか、分かりきっていた。分かりきって、全て分かってしまって、それは生を受けてから今のこの瞬間までのことで、もうずっと、分かっていたのだ。

 あ……。

 その途端、こいしは、気がついた。

 頭の中が急に違うチャンネルに切り替わったように静止した。エレベーターが停止して、一階層がたりと落ちたみたいだった。水の入った茶碗が床に叩きつけられたようだった。

 違う。溢れたんだ。水が。

 壊れたんだ。

 何か。何かが……。

 気がつくとこいしは、汚い畳の上にいた。座り込んで、呆然と天井を見つめていた。天井のしみが人の顔のように見えた。頭が重く、ゆっくりと、縦にしか動かなかった。時間をかけて顔を動かすと、こいしの目の前にはようぐそうとそふが座っていた。

 ここは、ようぐそうとそふの仕事場なのか、家なのか……どちらにしろ、彼若しくは彼女の場所だった。こいしの座っている畳は血や黄色い汁で汚れてぶよぶよとしたゼリーのようなものがこいしの足先にくっついていた。

 

「どう、する? どう、したい?」

「……ようぐそうとそふ」

 

 やっとのことでこいしが絞り出した声は、殆ど聞こえなかった。掠れた声だった。

 こいしは震えながら、三つ目の目に手を伸ばした。それは血でぬめぬめとしていて、皮が捲れ上がっていた。肉に指が触れる。そこでこいしはぼんやりと、これは自分でやったんだ、と思い出していた。

 

「この、目を、直して……元の形に、直して! 心なんか、読めないように……何も……見えないように。誰も、気持、ち、悪い、な……んて、思わない、ように……直して、お願い……お願い……」

「えれきゅーてーれと! ようぐそうとそふ!」

 

 ようぐそうとそふはこいしを持ち上げると、勢いよく床に叩きつけた。こいしは呻き声を上げたが、それ以上何も言わなかった。

 彼若しくは彼女はナイフを取り出すと、こいしの三つ目の目を手に取り丁寧に目蓋を剥ぎ取り始めた。こいしはあまりの痛みに顔についた二つの目を見開いたが、それきり動かなくなった。気絶したのだった。

 こいしが次に目を覚ますと、目の前にはボール大の目玉が転がっていた。神経が繋がっている。無意識に顔についた両の目がさ迷い、三つ目の目を探した。もう痛みはなかった。三つ目の目は、閉じたままで無理矢理手で抉じ開けると、中には何も入っていなかった。

 こいしは起き上がってぼんやりとボール大の目玉を見つめていた。手に取ると、二人、目が合った。ふと、足に何かが触れた感触がある。

 お燐の玩具だった。開いていた穴は塞がって、直っていた。

 ポケットの中の猫の目玉は無くなっていた。お燐の玩具を取ると、人形の目が確かにあの猫の目なのだった。

 こいしはボール大の目玉を持って小屋の裏手に回ると、小さな穴を掘ってそれを埋めた。

 それからこいしは帰った。

 ようぐそうとそふは留守にしているようだったためか、彼女は何も言わずに帰った。途中で妖怪がこいしを見ていたが、彼女は無視する。無視というより、何も見えていないかのように気にしなかった。

 家に帰ると、こいしはお燐を呼んだ。

 お燐は走ってやってくると、こいしの手から人形を受け取り口に咥えて飛び回った。こいしは、なんだか嬉しいような気がした。背中を撫でてやる。

 

「お燐、かわいいねえ」

「にゃーん」

 

 こいしは嬉しそうに笑った。

 お燐はじっとこいしの三つ目の目を見つめていた。こいしはお燐をまだ撫でようとしたが、手をすり抜けて何処かへ行ってしまった。

 

「あれえ? 嫌だったのかな……」

 

 彼女は立ち上がり、その後ろ姿を見送った。黒い猫が駆けていく。あの猫は、本当に、お燐だったのだろうか。

 

「喋ってくれないと、分からないよ」

 

 こいしはさぞかし困ったように言った。三つ目の目は上下の目蓋を合わせたまま、しんと同意するように彼女の動きに合わせて動く。

 しばらく後には、彼女の姿はなかった。

 もう誰も、彼女のことを悪く言わない。

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 古明地こいしは、心を読めない。

 かつて目だった、ただの妖怪。



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