つまり真菰ちゃん可愛い!
二人は蝶屋敷の縁側に並んで座っていた。
「じょーちゅう?」
「うん。全集中・常中」
「それができるようになればもっと強くなれるの?」
「そうだね。常中ができるようになれば身体能力が大幅に上がるからね」
蝶屋敷で治療に励む紫電の元に、真菰は足繁く通っていた。
というのも、紫電や柱、主に鬼殺隊の主力となる剣士が会得している『全集中・常中』を教えてもらうため。
決して紫電に会いたいからじゃない。
別に、これを口実に頻繁に会いに来れるだなんて邪な考えは、もちろんない。ないったらない。
隊士達の間では真菰が通い妻と化したと大騒ぎだ。
その可憐な容姿から男性隊員たちの間で絶大な人気を誇る真菰。ふわふわとしていて普段は感情の起伏が少ないが、むしろそれがミステリアスな雰囲気を醸し出し、時折見せる花が咲き綻んだかのような笑みと優しさが人気に拍車をかけている。小柄で華奢で、可愛さを全面に強調したミニスカートの隊服も相まって、もはや鬼殺隊のアイドル的存在だ。
当の本人はそんな事などつゆ知らず、今日も今日とて紫電の元へと訪れる。
「コツとかはあるの?」
「うーん、そうだなぁ。俺が常中を会得した経緯って、聞く限り特殊なんだよね。あんまり俺の話は参考にならないんじゃないかな?」
幼少期に大怪我をした際に、祖父である慈悟郎から教わった痛み止めの呼吸法。その呼吸を長年続けた結果の産物であるから、教えようにも教えれない。
「胡蝶さんや甘露寺さんに聞いた方がいいんじゃないか?真菰ちゃんと仲良いし、きっとそっちの方が────」
「や、やだ………ッ」
おや、と紫電は思った。
真菰はカナエや蜜璃と仲がいいので、てっきり自分なんかより彼女達に教えを乞うと思ったのだが。
「……わ、私は紫電がいい。紫電に教えてもらいたいの……っ!」
ぎゅっとスカートを拳で握り締め、俯いたままの真菰がやけに力を入れて絞り出した言葉に紫電はドキリとした。
真菰にとって、それは精一杯の勇気だった。
「だめ……かな………?」
恐る恐る顔を上げ、上目遣いで紫電を眺める真菰。二人には身長差があるため、自然と真菰が紫電を見上げる形になる。
そうお願いされて、断れる男が何処に居ようか。
「ダメなわけ、ない」
「やった!」
きゃっきゃと喜ぶ真菰を眺めながら、紫電は目を細めた。
今日も世界最強に可愛い。
「でも本当、俺説明下手だし上手く教えれるか分からないよ?」
「じゃあ、ちゃんと付きっきりで教えてね?」
「あはは、頑張ります………」
「もたもたしてたら誰かに取られちゃうよ?」と、蜜璃の言葉がぷくりと泡が浮いて出てくるかのように思い起こされる。パチンと弾けて我に帰ると、まあ、なんて大胆な事を言ってしまったんだと羞恥心が駆け上がって来る。けれど、悪い気はしない。これで紫電は自分のものだ。
(ち、違う……。別に、紫電を独占したいとか、誰かに取られたくないとか、そんなんじゃない………)
湧き上がる感情を持て余している真菰だが、言われた紫電は特に何も思っていないのか、どうやって教えてあげようかと頭を悩ませている。なんだか自分だけ恥ずかしい思いをしているように感じて、少し面白くない。
(紫電は、どうなのかな)
ほんの少し、座る位置を変え、紫電に近づく。
肩が触れ合いそうな距離にドキドキしているのは、自分だけなのだろうか。
(まあ、紫電だし仕方ないか)
彼はそっちの方面にはとんと疎い。
真菰は良く男性に声をかけられる。それは一般人であったり、鬼殺隊員であったり。多くの人と会話を交わす中で、下心を持った人間の見分けが何となく出来るようになった。声をかけてくる男性は少なからずやましい考えを持っているのだが、どうもこの紫電からはそういった類のものを感じ取れない。誠実なのだろう。
「うーん、とりあえず続けてもらって────でも基礎体力が────それから肺を────遅くはないから────」
必死に考えているため、真菰との物理的な距離が縮まったことには気づかない紫電。そんな紫電を見て、真菰はふっと顔を綻ばせた。
後に距離感に気づき、二人揃って赤面する様子を見たカナエが口から砂糖を吐き出し、しのぶが「他所でやれ!」と一喝する様子が見られたそうな。
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真菰が全集中・常中を会得したのは、それから一週間と数日後。
元より有していた才能と弛まぬ努力によって、比較的短期間で常中を我がものにした真菰の実力は言わずもがな。
そんなこんなで紫電が蝶屋敷に運び込まれて一ヶ月が経過しようとしていた。当初の予定より一週間ほど早く完治した紫電は、リハビリも兼ねて鍛錬を重ねていた。
「うーん、やっぱり鈍ってるなぁ」
「三週間以上動かなかったもの。当然よ」
「げっ、胡蝶しのぶ……!」
注射の一件以来、しのぶに対して恐怖を抱いた紫電は、彼女から逃げるようにして蝶屋敷で生活してきた。といっても、定期の検診でしょっちゅう顔を合わせるのだが。
「何よ。悪かったわね。真菰じゃなくて」
「へ?なんで真菰ちゃん………?」
「………まあ、いいわ」
諦念の表情を浮かべたしのぶを見て、こてんと首を傾げる。
「それにしても、桑島の日輪刀は不思議な色してるのね」
「ああ……これね。名前が紫電だから、紫なのかなぁ」
雷の呼吸使いは基本、黄色を基調とした色に変わる。
しかし紫電の日輪刀は紫色。さらに刀身に罅が入ったかのような雷色の稲妻模様。奇妙な色だな、とは思う。
食い入るように紫電の刀を見つめるしのぶ。こうして黙ってれば美人なんだけどな、なんて。失礼で、かつブーメランな事を考えた。
斬、と日輪刀を横薙ぎに振るうと、紫色の斬撃の軌跡が鮮やかに虚空に描かれる。
その様子を羨ましそうに、そして悔しそうに眺めるしのぶの視線に気づいた紫電だったが、彼女の事情はここ数週間の間に少なからず理解しているつもりだったので、あえて何も言わない。違う。言えない。
「私にも────」
「────胡蝶しのぶ!下がって!!」
ドン、と紫電に突き飛ばされて転げるしのぶ。何をするんだと顔を上げると──────。ガキィン!と刀がぶつかり合う音が響き渡る。見ると、日輪刀を重ね合う、紫電と見覚えのある男の姿が。
双方一度距離を取ると、乱入者が口を開いた。
「桑島紫電ってのはお前かィ?」
「突然なんなの!?はいそうです桑島紫電は俺です!!!というか、殺気やばぁぁぁぁぁぁッ!?傷、多くないですか大丈夫ですかそんな眼で睨まないで怖いよぅ!」
「────『風柱』、不死川さん!?」
顔と身体に刻まれた無数の傷跡が特徴的な『風柱』、不死川実弥。その凶悪な眼光が睥睨するのは紫電。互いに日輪刀を抜いている。
隊員同士のし合いは御法度の筈。それを柱である実弥が破るなどあってはならないだろうに。
仲裁に入ろうと立ち上がったしのぶだが。
「桑島ァ、ちょっと付き合えェ」
「へ?な、何を────」
言うや、実弥が掻き消えるように動いた。紫電の眼を持ってしてもようやく捉えれる程の鋭い踏み込みから放つ斬り上げ。死を感じ咄嗟に首を逸らすと、切っ先が頬を掠めて肉を持っていかれる。
「──ッ!?」
「いい反応だァ」
一瞬でも反応が遅れたら今頃首と胴体は泣き別れであった。
立て続けに暴風の如き怒涛の連続斬撃が叩き込まれる。
(────防げない!)
瞬時に悟った紫電は呼吸を深め、日輪刀を握る手に力を込めた。
雷の呼吸 参ノ型『聚蚊成雷』
高速回転から放つ紫雷の波状斬撃で実弥の攻撃をはじき返すと、再び距離を取ろうと後ろに跳躍する。
雷の呼吸 肆ノ型『遠雷』
逃がすまいと距離を詰めてくる実弥に牽制の意味合いを込めた遠距離斬撃。放射状に広がる雷撃を、しかし実弥は惚れ惚れする程の体捌きで躱し、斬り捌いて間合いを駆け抜ける。風だ。彼の動きは荒々しい突風だ。
「ちょっ、待って…待ってくださいよぉぉぉぉぉぉ!!!」
「加減してんじゃねェよ。死ぬぜェ?」
「でしょうね!!あんたに殺されて死ぬでしょうね!!」
紫電を一足一刀の間合いに捉えた実弥は日輪刀を下段に構えたまま踏み込む。
風の呼吸 陸ノ型『黒風烟嵐』
空気を引き裂き、荒々しく斬り上げられた爆風の刃が容赦なく紫電に襲いかかる。咄嗟に一歩引き、身を反らして体勢を整えようとするも、実弥の生み出した剣圧が四方八方に吹き荒れ、身体ごと吹き飛ばされてしまう。
だが、好都合だ。
風に身を任せ、空中で回転しながら距離を取る。抜群の体捌きに一瞬だけ驚愕の表情を浮かべた実弥だったが、宙に舞う紫電に畳み掛けようと大地を蹴り上げ一陣の風の如く疾走する。
風の呼吸 壱ノ型『塵旋風・削ぎ』
螺旋状に巻き起こる旋風を纏い、地面を深く抉り取りながら猛進する。驚くべきはその威力。端でおろおろと慌てるしのぶの小さな身体を吹き飛ばさんとする勢いだ。
中途半端な技を繰り出せば間違いなく殺される。
(正当防衛…!これは正当防衛!!)
そう言い聞かせて、解き放つ。
雷の呼吸 陸ノ型『電轟雷轟』
唸る雷轟。鳴動する大地。明滅する世界。雷神の憤怒の一撃かと見紛う程の斬撃の嵐が紫電を中心に炸裂する。屋敷の塀を撃ち抜き、庭を更地に変え、その威力をこれでもかと見せつけ、けれど実弥の足は止まらない。
紫色の雷撃を斬り裂き、剣圧の真空波によって吹き飛ばされ飛来する石や木材を躱しながら更にその速度を上げる。
(あれを────去なすか!?化け物がッ)
十二鬼月をも圧倒した『電轟雷轟』がまるで通用しない。
「いいねェ。悪くない一撃だァ!」
「嘘つけぇぇぇぇぇ!!あんた怖いよぉ!!眼がいっちゃってる!いっちゃってるからぁぁぁぁぁぁお願い殺さないでぇぇぇぇぇぇぇッ!!」
既に実弥は刀の間合いに紫電を捉えている。
予備動作が少なく、かつ多段斬撃の技で迎撃せねば、確実に殺される。
雷の呼吸 弍ノ型『稲魂』
神速の五連斬撃と実弥の暴風の如き突進が、今まさに正面から衝突して──────。
「そこまでよ!不死川くん!」
鋭い横殴りの一声に二人の動きが止まる。
見ると、腕を組み、頬を膨らませ、見るからに不機嫌な『花柱』胡蝶カナエの姿があった。
「胡蝶ォ。邪魔すんじゃねぇよ」
「馬鹿!不死川実弥の馬鹿!あんぽんたん!」
「何だとてめェ!」
「私たちの家でやり合うなんてどういう了見よ!しかも真剣だなんて!きっと頭の中におはぎが詰まってるのね」
「うるせぇよ脳内お花畑がァ!お館様にも許可は取ったんだァ。とやかく言われる筋合いはねェ!」
「弁償して!修繕費は全部不死川くんに請求します!」
言葉の応酬を繰り返す二人を他所に、しのぶが紫電に駆け寄る。
「大丈夫?」
「いや……マジで死ぬかと思った………。何のあの人ヤバいよ絶対何人か人殺してるよ誰なのホント勘弁してよ……うぅ……」
「あの人は不死川実弥さん。『風柱』よ」
「柱ぁ!?あんな野蛮な胸筋チラ見せ野郎がぁ!?」
「聞こえてんぞ桑島ァ!いい度胸してるぜてめェェ!!」
「ひぎゃぁぁぁぁ!!睨まれた!睨まれたぁ!!殺気漏れてるよぉぉおお!!」
泣きながら喚く紫電の姿を見てしのぶは、これが先程まで風柱とやり合ってた剣士なのだろうかと首を傾げた。まあ、当然の反応である。
「はぁ……。ややこしいのは冨岡くんだけにして欲しいわ」
「冨岡と一緒にするんじゃねェ!」
さらっと、その場に居ないのに貶される義勇にしのぶは同情した。
ともあれ、実弥の襲撃事件は事なきを得た。
結局傷ついた蝶屋敷の修理費は実弥が全負担することになり、その場は丸く収まった。
「で、不死川くん。紫電くんはどう?」
「……桑島ァ。一緒に来い」
「嫌だ!」
「いいから来い!お館様の所に行くぞォ!」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
足首を掴まれずるずると引きずられる紫電を冷たい眼で見送ったしのぶは、そういえば、と思い出す。
「姉さん、今日は柱合会議って言ってたよね?」
「そうよ。紫電くんも今回の柱合会議から参加してもらうことになるわね」
「え、それって……」
「『鳴柱』桑島紫電の誕生ね」
あの煩いのが柱になるなんてにわかに信じ難い。けれど、彼の剣技を見てしまったしのぶは認めざるを得ない。
彼こそが鬼殺隊の雷の呼吸使いの中で最も優れた剣客なのだと。
嵐が去ったかのような静けさに包まれた蝶屋敷。
激しい戦闘によって傷ついた庭を視界に入れ、姉妹は顔を見合わせて苦笑した。
次回、柱と顔合わせの予定です(予定)