上弦の弐との戦いの後、蝶屋敷に入院していた紫電だが、すっかりと身体の傷は癒え、任務に戻れるほどに回復した。
そして紫電が『柱』の業務を再開して三ヶ月が経過する内に鬼殺隊に新たな『柱』が誕生した。
次期柱の最有力候補であった、『恋柱』甘露寺蜜璃。
刀を握って僅か二ヶ月で柱となった稀代の天才、『霞柱』時透無一郎。
姉の遺志を継ぎ、十二鬼月をも殺す毒を作り出した『蟲柱』胡蝶しのぶ。
通常、『柱』は画数に因んで九名の剣士がその名を拝命するのだが、来たる大きな戦いを見据え、伝統を切り崩してまで『柱』の人数を増やし、各々の負担を軽減することをお館様──産屋敷耀哉が取り決めた。
これで『柱』は十名。
『岩柱』悲鳴嶼行冥。
『風柱』不死川実弥。
『蛇柱』伊黒小芭内。
『水柱』冨岡義勇。
『炎柱』煉獄杏寿郎。
『音柱』宇髄天元。
『鳴柱』桑島紫電。
この七名に新たな三名が加わる形となる。
新たな『柱』が誕生し、悪鬼滅殺の機運が高まる鬼殺隊。
そんな最中、紫電は己の剣技を更に研鑽すべく、鬼殺隊最強と謳われる『岩柱』悲鳴嶼行冥の屋敷に赴いていた。
とある山奥にポツンと佇む悲鳴嶼邸。『柱』はお館様から特別に屋敷を与えられるのだが、悲鳴嶼がいただいた屋敷はやけに庶民的で、これは恐らく彼の過去に起因するであろうことは、お館様以外知る由がなかった。
「どうした桑島。もう息が上がっているが?」
「っ!!雷の呼吸────ッ!!」
模擬戦闘────。ただし、両者が握っているのは日輪刀。鬼の頸を斬り絶命させるためのもの。切っ先をほんの少しでも違えば命の保証はない。
紫電の紫色の日輪刀が雷撃の軌跡を描きながら悲鳴嶼へと伸びる。神速の一閃。しかし悲鳴嶼は盲目の瞳でことも無さげに迫り来る斬撃を見遣ると、右手で掴んだ斧を縦一文字に振り下ろす。極限まで練り上げられた肉体が放つ暴力的な一撃が、紫電の放つ斬撃と交錯し────果たして、後方に吹き飛ばされたのは紫電だった。
(いやっ……!分かってたけど悲鳴嶼さん力強すぎ!!)
元々紫電と悲鳴嶼には隔絶した膂力の差が存在している。悲鳴嶼を十とするなら紫電は精々三程度。今の剣戟、紫電は疾走の威力を最大限に乗せていたのだが、容易く弾き返されてしまった。分かっていたことだが、こうも差異を実感させられると流石に堪えるものがある。
追撃の鉄球が投擲されたことを視認するや、瞬時に思考を切り替え空中で旋回。抜群の体捌きで鉄球を回避する。
軽やか地面に着地すると同時に大地を蹴り飛ばして間合いを駆け抜け、再び剣戟。剣戟乱舞。互いの日輪刀が喰い合い甲高い金属音が響き渡り、火花が舞い、行き場を失った剣圧が四方八方に吹き荒れ、天高く伸びる木々を激しく揺さぶる。
「反応速度と速力では既に私を超えたか……?」
「どうかなッ……!もうちょっと試してみます……!?」
人の身でありながら剣技の神域に踏み込んだ『柱』の異次元の格闘が、そこにはあった────。
「しかし驚いたぞ。想像を絶する成長速度だな」
打ち合いを終え、珠のような汗を流しながら地面に寝そべる紫電に、何事も無かったかのような涼しい顔の悲鳴嶼が竹筒を手渡す。
「あ、どうも……。……って言っても、二ヶ月間悲鳴嶼さんから一本も取れてないんですけどね……」
受け取った竹筒から冷水を流し込むようにして一気に飲み干した。今日は真剣での手合わせだったので、いつも以上に神経をすり減らしていたのだろう。悲鳴嶼の放った斬撃を掠め、破れた羽織と隊服を指で弄ぶ。身体に傷は無かったものの、やはり悔しい。
「既に完成形に近い雷の呼吸……それを更に改良するための訓練だが………こうして『柱』同士で手合わせする機会など滅多に無い。私としてもありがたい経験だ」
「あはは、そう言って貰えると助かります。毎度お忙しい中ありがとうございます、悲鳴嶼さん」
「南無……。鬼殺も大事だが、後進の育成も同じく重要だ。数多の修羅場を切り抜けてきた技や経験を次の世代に繋いでゆかねばならない。現『柱』はその意識が低いように思える……」
合唱した両の掌の中で珠々がジャリジャリと音を立てて鳴る。『柱』として最年長であり、隊歴も長い悲鳴嶼。鬼殺隊のことを人一倍理解しているからこその言葉だろう。紫電にとっても耳が痛い話だ。
『柱』の面々はやはりと言うべきか、それぞれが個性的で我が強い。それは新たに『柱』となった三人にも言えることだ。その中でも宇随あたりが割と常識人なのが笑えない。まあ、紫電は自分が一番常識的な人間だと信じて疑っていない。あながち間違っていないのが、更に笑えない。
特に不死川、伊黒、冨岡の同い年三羽烏。継子など作るつもりなど微塵も無いだろう。そもそも、不死川に至っては継子になりたいと思う隊士がいないだろう。鬼よりも恐怖の対象となっているのではないかと思うほどだ。あながち間違っていないのが笑えない。顔が怖いし、何よりも顔が怖い。スケベだし、なんと言っても顔が怖い。
鬼殺隊の将来、実は結構危ういのでは……?と不安になってくる紫電だが、「あ!」と思い出したかのように声を上げた。
「そういえば、俺の同門の弟弟子が最終選別を突破したらしいんですよ」
「それは尊きことだ。おめでとう。お前のような強く逞しい剣士に育って欲しいものだな」
「あはは、今度挨拶に連れて来ますね!」
世間話に花を咲かせる二人。人心地ついたところで、
「それじゃあ悲鳴嶼さん、俺はこれで。次回もよろしくお願いします」
「ああ。……これから、カナエの墓参りか」
「はい。最近忙しくて顔を出せてなかったので」
悲しげに笑う紫電の気配を感じ取り、悲鳴嶼は胸が締め付けられるような痛みに襲われた。
かつて自身が救った少女は強く、優しく、美しく育ち、そして死んだ。
今でも自分に問いかける。あの時の判断は、カナエとしのぶを育手の元に導いたのは、果たして最善の選択だったのだろうかと。
悲鳴嶼はかぶりを振った。後悔などしていられない。
「私も近いうちに顔を出そう」
「はい。きっと胡蝶さん、喜びますよ」
持ってきた供花を脇に抱えた紫電は、確かな足取りで悲鳴嶼邸を出ていった。
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「あれ、冨岡さん」
「………桑島」
鬼殺隊の剣士達が眠る霊園の入口に、恐らく今しがた墓参りを終えたであろう義勇の姿があった。
「冨岡さんも墓参りですか」
「ああ」
「もう終わったがな」と付け足した義勇は、紫電の手に抱えられた花に視線を移し、暫し考え込むように黙り込み、
「胡蝶か」
「はい。よく分かりましたね」
シオンの花。生前、カナエが気に入っていた花だ。なぜ義勇が花を見ただけでカナエの墓参りに来たのだと理解したのかは分からないが、紫電は記憶の海で漂う、花に映えるカナエの笑顔を思い起こし、頬を緩めた。
「綺麗ですよね。胡蝶さんにぴったりの花だと思います」
「そうだな」
「あっ、それに俺の姉さんの名前と同じ読み方だから、妙に親近感が湧くんですよ、この花」
「姉がいるのか」
「はい。……と言っても、もう、会えないですけど」
「……すまない」
「いいですよ。そういう、無意識の内に地雷踏み抜いちゃうところも冨岡さんの良い所ですし!これぞ冨岡!!って感じです」
「………?」
貶されたような気がしなくもないが、特段気にすることも無く、義勇は思い返したかのように言う。
「最近、真菰とはどうだ」
「えっ?真菰ちゃん?」
無言で頷く義勇。唐突に話題が変わり、困惑する紫電。しかし義勇は答を急かすことなく蒼い瞳で紫電を見つめる。
義勇は真菰と同じ鱗滝の門下生の兄弟子だから、頻繁に手紙のやり取りをしているらしい。普段は死んだ魚のような目で多くを語らない男だが、手紙では饒舌になるとか、ならないとか。
真菰の兄弟子として、彼女の近況が気になるのだろう。あるいは、鱗滝からしっかりと面倒を見るようにと言いつけられたのか。多分、後者だなと紫電は苦笑した。
「良くしてもらってますよ。あんな可愛くて優しい娘、他にいないですよねぇ」
「真菰は大切か」
「大切ですよ」
「そうか」
即答し、紫電は眉を寄せた。義勇の言葉の真意を理解できないからだ。
困惑する紫電を他所に、義勇はゆっくりと歩を進め、紫電の脇を通っていく。
「桑島」
こちらに背を向けたまま、義勇が足を止めた。
「お前は俺とは違う」
一陣の風が二人の間を駆け抜けた。前髪が乱暴に弄ばれ、紫電は目を細める。
「俺のようにはなるな」
────大切な者を誰一人守れない、俺のようには。
「それは、どういう………?」
「俺はこれで、失礼する」
言うや、義勇は風の如く掻き消えた。その半々羽織の背中を見届けた紫電は、頭の中に大量の疑問符を浮かべつつも、カナエの墓石へと向かった。
「……あれ?シオン………?」
カナエの墓石の脇に添えられた真新しいシオン。誰かがカナエの墓参りに来たのだろう。義勇だろうか。
「冨岡さんと胡蝶さん……、そんなに仲良かったっけ」
思い返してみても、二人が親しげに話している場面は無かった。同じ柱として、だろうか。けれど、カナエがシオンの花が好きなのは、ごく一部の人間しか知らない。
────俺のようになるな。
先程の義勇の言葉が頭の中に響く。
もしかして二人は親しい関係だったのだろうか。
あの言葉は、カナエを守り切れなかった自分のようになるなと、そういうことなのだろうか。真菰を守り抜けという、彼の不器用なメッセージなのだろうか。
「………考えすぎかな」
かぶりを振り、持ってきたシオンを供えた。
シオンの花言葉は『遠方にある人を想う』『追憶』『君を忘れない』。
義勇がどういう思いで此処に来たのか、紫電には終ぞ分からなかった。
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「遅くなっちゃったなぁ」
墓参りを終え、ようやく帰路についた紫電。鳴屋敷に着く頃には空は夕焼け色に染まり、山脈の向こうに陽が沈みかけていた。燃ゆるような夕陽の光線に目を細めながら、くぅと鳴ったお腹をさすり、今日の晩御飯は何にしようかと考えながら玄関の戸を開く。
「ただいまぁ〜。なんて言っても、住んでるの俺一人だけなんだけどね〜」
紫電は気づかなかった。なぜ、玄関の鍵が閉まっていなかったのかと。
部屋の奥からパタパタと聞こえる足音を聞くや、紫電は無意識に刀の柄に手を添えた。
泥棒だろうか。ほんの少しだけ警戒心を高めるが、奥から現れたのは果たして。
「あっ、紫電。おかえりー」
「真菰ちゃん!?」
隊服の上から白い割烹着を着た、やけに家庭的な雰囲気の真菰が出迎えてくれた。その姿はさながら、夫の帰りを待っていた新妻のようで。にこやかに笑いかけてくる真菰が可愛すぎて直視できなくなった紫電は、ふいと視線を逸らした。
「もうご飯できてるよ。もうすぐ夜が来ちゃうから、なるべく早めに食べようね」
「えっ、いや……あの……なんで真菰ちゃんが……」
「おう、帰ったか紫電」
「えっ!?爺ちゃん!?」
まさかの慈悟郎に二度驚く紫電。真菰と慈悟郎、どうして二人が自分の家に居るのか困惑する紫電の心中を察した慈悟郎が説明を始める。
「丁度、お前に用があってな。真菰ちゃんとは偶然近くの街で会ったんじゃよ。護衛ついでに案内してくれてのぅ。ご飯も作ってくれて、ほんとよく出来た娘じゃよ」
「慈悟郎さんったら、褒めても何も出ないよ?」
(俺の知らない間に爺ちゃんと真菰ちゃんが仲良くなってる……)
まるで孫娘を可愛がる祖父だな、と紫電は思った。というか護衛だなんて。元柱で、老いたとはいえどもその剣技は未だ健在。そこいらの輩なんて赤子の手を捻るが如くねじ伏せられるだろうに。
「真菰ちゃん料理できたんだね」
失礼な、とでも言いたげな真菰が頬を膨らませて猛抗議を始める。
「あのね紫電、私だって女の子なんだよ?」
「そっかぁ。そうだよねぇ。うんうん」
「なぁに?その反応」
「やけにその姿が様になってるなぁって。きっと、真菰ちゃんをお嫁さんに貰える人は幸せ者なんだろうなぁ」
しみじみと呟く紫電。自分の放った言葉がどれほど真菰に影響を及ぼすかまるで理解していない。羞恥に頬を染める真菰だったが、ここは冷静に。
「ふっふっふ、じゃあ毎日紫電のためにご飯作ってあげよっか?」
「あはは、とても魅力的な提案だけど任務があるから難しいよねぇ」
「…………」
真菰の精一杯のアピールだったが、相変わらず紫電はスルーしてしまう。真菰は更に頬を膨らませてそっぽを向いた。なぜ真菰の機嫌が悪くなったのか分かっていない紫電。慈悟郎は諦念の表情で瞑目した。我が孫ながら愚かなり。
「楽しみだなぁ真菰ちゃんのご飯っ」
「……紫電には食べさせてあげない」
「えぇぇぇぇぇぇぇ!?なんでぇ!?」
「死ぬほど考える。結局できることってそれだけだと思う」
「辛辣ぅ!」
まるで痴話喧嘩だ。青春できているなぁと感慨深げに頷く慈悟郎は、通路の奥から歩いてくる少年の姿に気づくと、「そういえば」と零した。
「お前に紹介したい奴がおるんじゃよ。今日はそのために来た」
「獪岳」と呼べば、奥から少年が姿を見せた。
慈悟郎との手紙のやり取りである程度獪岳についての前提情報を得ていた紫電だが、こうして相見えるのは初めてだ。
「あんたが桑島紫電か」
鋭い眼光で紫電を睨みつける獪岳。初対面の、それも年上の兄弟子に向けてるものでは無い敵意を一身に浴びた紫電だが、
(なんか……なんか、弟ができたみたい!)
反抗期の生意気な弟────紫電の中で、獪岳の立ち位置が決定された。
突然にやけだした紫電に、獪岳がズカズカと歩み寄る。
そして拳を握り、紫電の胸元に押し当てた。
「俺はあんたを超える」
挑発的に、一方的に言い切った獪岳は、慈悟郎に頭を下げると、任務へと向かっていった。
「……ご覧の通り、じゃじゃ馬じゃ」
「……爺ちゃん」
「なんじゃ?」
「俺……お兄ちゃんになったんだね………ッ!」
「は?」
握り拳を震わせ、感動に打ちひしがれる紫電。相変わらずの馬鹿孫に、慈悟郎は大きく息を吐き出した。
「そうじゃ紫電。明日の昼間は空いておるか?」
「明日?」
「うむ。偶には一緒に出掛けてみんか?のう、真菰ちゃん」
「あっ、いいねそれ。私も行ってみたいかも」
「あー……ごめん、明日はちょっと用事があるんだ」
申し訳なさそうに手を合わせる紫電に、真菰が聞く。
「何か用事?」
「うん。ちょっと会いに行かなきゃいけない人がいてね」
何かまずい。直感で感じ取った慈悟郎は紫電を黙らせようとするが────。
「前にお世話になった藤の花の家紋の家の『娘』さんがどうしても会いたいんだって」
「………『娘』さん?」
「うん。鬼に襲われそうになってるのを助けたら、お礼がしたいって。律儀だねぇ」
「…………」
真菰が、闇を纏った。
「というわけだから、ごめんね真菰ちゃん。爺ちゃんも」
「………」
(あ、紫電死んだわ)
何かを悟った慈悟郎。紫電は呑気に笑っている。真菰も表情こそ笑顔だが、その清水のように澄んだ瞳はまるで笑ってない。
「ねえ真菰ちゃん、女の子にあげるお見舞いの品ってどんなのが良いと思う?」
「……………………………死ぬ気で考える。結局できることってそれだけだと思う」
(いやそれ、真菰ちゃんに聞いたらいかんじゃろ!?)
人知れず胃痛に見舞われる慈悟郎。
果たして孫が明日の日の出を拝むことができるのか心配だ。
尚も呑気に笑っている紫電に、慈悟郎はまたも大きな息を吐き出した。
駆け足で申し訳ないです。
そろそろ上弦戦が待ってます。