「あらしのぶ。どうしたの?」
「姉さん。最近、冨岡さんの表情がほんの少しだけ豊かになった気がする。いや、いつも通りの無表情なんだけど……柔らかくなったというか、なんというか……」
「あらあら。冨岡くんのことよく見てるのね」
「そんなんじゃないわよ。きよ達も言ってたわ。『水柱様は顔つきが優しくなった』って」
「何かいい事でもあったのかしらね〜?」
「顔『だけ』はいいものね、冨岡さん」
「ふふっ、しのぶ、絶対に冨岡くんだけはダメよ?しのぶが冨岡くんのこと好きになったら姉さん悲しいわ」
「はぁぁぁ?誰があんな残念男好きになるもんですか。心配しないで姉さん」
「ならいいの。冨岡くんは絶対にダメだからね。ふふふっ。そうね。最近の冨岡くん、何だかご機嫌そうねっ」
あの時のカナエの言葉の真意を、未だにしのぶは計りかねている。
「では各々、『柱』としての自覚と責任を持って────」
『岩柱』悲鳴嶼行冥が柱合会議を一言で結ぶと、集まった『柱』達はぞろぞろと屋敷を後にする。
「てめェ桑島ァ!ちょっと面貸せやコラァ!」
「ぎゃぁぁぁぁ不死川実弥ぃぃぃぃ!!ごめんなさいちょっとした出来心だったんです魔が差しただけなんですぅぅぅぅぅ!!不死川実弥さんはスケベ柱だって面白おかしく吹聴して回って申し訳ありませんでしたぁぁぁぁぁぁ!!決して何時ぞやの蝶屋敷での仕返しとかじゃ無いんですぅぅぅぅぅぅぅ!!」
「クソがァァ!!逃げ足だけは速ぇのが更にムカつくなァオイ!!」
毎度お馴染みとなった紫電と実弥の鬼ごっこなど気に留めず、珍しく最後まで会議の席に着いていた義勇は、二人の鬼ごっこを楽しそうに眺める『音柱』宇髄天元の元に歩み寄る。
「宇髄」
「あ?なんだ冨岡。珍しいな。お前から話しかけてくるなんてよ」
基本的に自分からは他人に話しかけることは無い義勇に声をかけられ、物珍しそうな顔で義勇を見遣る。今日の柱合会議に最後まで残っていたのはこの為かと宇髄は察した。
「聞きたいことがある」
「へぇ〜。なんだ、派手に言ってみな」
「嫁がいると聞いた」
「ああ。いるぜ」
「俺の年で結婚は早いだろうか」
「は?」
予想外すぎる質問に宇髄は一瞬思考が停止した。
硬直する宇髄を見て、義勇は小声で「おかしな事を言っただろうか」と首を傾げる。
いや、別におかしな事ではないが、あの義勇が結婚について助言を求めて来るなど誰が予想できただろうか。
「宇髄?」
「あー……、すまん。まさかお前からそんなことを聞かれるなんて思ってなかったわ」
「そうか」
「それでなんつったか、結婚の年齢だっけか?うん、まあいいんじゃねぇの?俺もお前くらいの歳で結婚したし。なんならもっと早かったかもしれねぇわ」
「そうか」
「ムフフ」と気味の悪い笑みを零す義勇を見て、宇髄は一歩後ずさった。ちょっと気持ち悪い。
「つーかよ、冨岡、結婚すんのか?」
「ゆくゆくはと、そう思っている」
「へぇ。相手は誰だ?鬼殺隊の中に居んのか?……いや、ねぇな」
鬼殺隊での義勇の立ち振る舞いを知る者は、義勇がどれだけ曲者かを良く理解しているので、手を出しそうにないが。物好きな女も居たものだ。
「助言感謝する」
「おぅ。また困ったら聞いてきな。この祭りの神である俺がド派手な────って、もう居ねぇわ」
一方的に会話を終了した義勇は、ドヤ顔で語る宇髄を放置して帰っていってしまった。そういうところだぞ冨岡。心の中で呟き、
「しっかし、冨岡が結婚ねぇ。あいつにもそんな人間くさいところがあったのな」
「あら、宇髄さん。冨岡くんとお話だなんて珍しいですね。何のお話してたんです?」
離れた場所で悲鳴嶼と談笑に花を咲かせていたカナエが歩み寄ってくる。
「冨岡が妙なこと聞いてきたんだよ」
「妙なこと?」
「おう。俺の歳で結婚は早いかどうかってな。あいつ、恋人がいるらしいぜ。そいつとゆくゆくは結婚したいんだと………っておい胡蝶姉。どこ行くんだよ」
何故か顔を隠しながら宇髄の元を逃げるようにして駆け出したカナエ。「なんだよあいつら」と毒づく宇髄。
(結婚……結婚っ……義勇くんが………結婚って………!!)
皆に内緒でお付き合いを始めて一年近く経過する。未だに愛の言葉を伝えてこない義勇が、まさかそんなたいそれたことを考えてくれていたなんて。言葉にはしないが、態度で示す義勇。そう遠くないうちに彼から最高に嬉しい言葉を貰えるかもしれない。
朱に染った頬を隠しながら、カナエは義勇の背中を追う。今回の話は聞かなかったことにしよう。義勇も秘密裏に事を進めたい筈だ。
「冨岡くん!」
「………もう、誰も居ないだろう」
「……義勇くん」
「なんだ、カナエ」
名前を呼び合う。恋人同士の、二人だけの秘密。
カナエが無言で手を差し出す。差し出された手を、義勇が指を絡めて繋ぐ。付き合いたての頃は手を差し出せば懐からお菓子を取り出して渡してきた。あの頃に比べたら義勇も随分と恋愛について知識を深めたものだ。
幸せを噛み締めながら野道を並んで歩く。
「ふふっ、まだ少し恥ずかしいわねっ」
「そうか?」
「むー、何だか義勇くん、余裕がある感じでつまんない」
「お前の考えそうなことはだいたい分かる。いつもお前しか見ていないからな」
「んん────ッ!そういうこと不意打ちで言わないでよぉ」
「痛い。強く握るな」
「ふーん。いつも私を困らせるお返しですー」
「……カナエの手はすべすべしていて綺麗だな」
「ああもう!そういうところなの!」
こてんと首を傾げる義勇。これはいけない。このままでは心臓が持たない。
「……そういえば今回のお前の任務………」
「ああ、あれね。変な宗教団体の調査……だったかしら」
この幸せな時間も、あと少しで終わりを迎える。日が暮れたらまた、命の取り合いだ。
義勇は蒼の双眸でカナエを心配そうに見つめる。
「以前よりお館様が危惧していた教団だ。多くの同士が死んだ。今からでも俺が一緒に………」
「それはダメよ」
義勇の言葉を遮るように声を被せる。
自分達は鬼殺隊を支える『柱』。私情で任務に当たる訳にはいかない。
「信じて待ってて。大丈夫よ。私は『花柱』ですもの」
「……そう、だな。カナエは強い」
「ふふっ、ありがと。でも、義勇くんが好きって言ってくれなきゃ帰って来れないかも」
悪戯っぽく笑って見せるカナエの唇を奪う。義勇にとっては「好き」という言葉の代わり。愛の表現。そのままカナエの腰に手を回し、そっと優しく抱き寄せる。
「……もぅ。相変わらずね」
「すまない。もう少し待ってくれ。そうだな……この任務が終わったら、お前に伝えたいことがある」
「………それじゃ、絶対に生きて帰らなきゃ」
義勇の首に腕を回し、互いの距離をゼロにする。時間にして数秒。もっとかもしれない。重なり合う二人が、名残惜しむかのようにゆっくりと離れる。
「……私達、命のやり取りをしてるじゃない?もしかしたら私も今回の任務で死んじゃうかもしれない」
「………」
「ねぇ義勇くん。もし私が死んじゃったら、お願いしたいことがあるの」
そう言うと、カナエはゆっくりと口を開き──────。
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「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁああ!!姉さん!!!お願い息をしてよ姉さん!!!」
後悔先に立たずとはよく言ったもので、例にも漏れず義勇も後悔を抱える内の一人だ。
姉を失い、親友を失った。だから、カナエだけは守ろうと。そう、思っていたのに。
血溜まりの中でカナエの亡骸を抱えて泣き叫ぶしのぶ。
カナエにすがり付いて嗚咽を漏らす真菰。
満身創痍で隠に運ばれる死に体の紫電。
最期までカナエと共に戦い、寄り添った三人。
「水柱様………」
「…………」
隠が状況の説明を始めるが、何一つとして頭に入ってこない。ただ一つ、カナエが死んだという事実だけが義勇の頭の中を支配する。
知っていたはずなのに。
二度も同じ思いをしたのに。
幸せは儚く脆い。他人は人の幸せを容易く踏み躙り蹂躙するということを、知っていたのに。
姉が死んだ時、あの時ああしてればよかったと後悔した。
親友が死んだ時、あの時こうしてればよかったと後悔した。
三度も同じ過ちを繰り返す己の愚かさに心底絶望した。
カナエとの日々が幸せすぎて忘れていた。
この世界は残酷なのだと。
「以上が今回の上弦の弐との────」
「どうでもいい」
「え?」
「もう、どうでもいい」
「あのっ、水柱様っ!?」
カナエの居ない世界など、もうどうでもよかった。
託された想いも、願いも、繋いでいかねばならない約束も、その全てがどうでもよくなった。
義勇はカナエに背を向けると、来た道を覚束無い足取りで引き返す。
彼女の亡骸を弔う資格なんて持ち合わせていない。きっとカナエだって、自分を守ると豪語していたのに何一つ守れない男の顔など見たくも無いだろう。カナエの短い人生を無駄にしてしまった罪悪感が込み上げてくる。
『義勇くんっ』
蔦子や錆兎のように、皆のために何かを成せなかったとしても、愛するカナエただ一人守れればそれでよかった。けれど自分は結局、その守ってやりたかった大切な女一人守ることができなかった。やはり自分は死に損ないの塵芥で、最終選別で死ぬべき人間だったのだ。
カナエが記憶の中だけの存在になってしまった瞬間、これまでの努力や苦労が全て無駄になってしまった。
『ぎーゆーうーくん!』
自分は何のために生きているのだろうか。
カナエのいない世界で、明日どう生きればいい。どこに向かえばいい。
何のために磨いた剣技か。何のために戦ってきたのか。
大切な人を何度も失い、自分のことが大嫌いになって、未来に絶望するためか。
『好き……。義勇くん、大好き』
好きだと言えばよかった。愛していると言えばよかった。あの時、ちゃんと自分の思いを伝えれば、カナエは生きて帰ってきてくれたのだろうか。
後悔。
気づけば義勇は自分の屋敷の玄関口に立っていた。
どうやってここまで帰ってきたのか覚えていない。
「…………カナエ」
名前を呼べば、「義勇くん」と返してくれる彼女はもういない。
いつだって、一番輝いているのは思い出の中だ。皆自分を置いて逝く。だから、義勇は後ろを向いてしまう。思い出したら泣きたくなるくらいに悲しいから、輝いている思い出にも蓋をする。
蔦子は自分に何を残してくれたのだろうか。
錆兎は自分に何を繋いでほしかったのだろうか。
カナエは自分に何を託したのだろうか。
もう、何もかもどうでもいい。
自分には、三人の想いを受け継ぐ資格も価値も無いのだから。
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ある日、街を歩く紫電と真菰を見た。上弦の弐との戦闘の傷を癒すための休暇だろう。
かなり前から気づいていたが、真菰は紫電に懸想している。
想いを伝えるか伝えないか、悩んでいるようにも見えた。
「あっ、義勇!」
「冨岡さん!」
義勇の存在に気づいた二人は飼い主を見つけた犬のように駆け寄ってくる。
「怪我の具合はどうだ」
「だいぶ良くなったよ。紫電はもうちょっとってところかな」
「すいません冨岡さん。ご迷惑おかけします……」
カナエが死に、紫電が満足に動けないので、必然的に『柱』一人一人にのしかかる負担は増す。むしろ義勇はカナエと紫電の分まで仕事を受け持ちたかった。自分に負荷をかけて潰してしまいたかった。
「俺、頑張って早く怪我治して復帰するんで、あまり無理しないでくださいね?」
「……必要ない気遣いだ」
自分は誰かに心配されていいような人間ではない。『柱』の中ではカナエに次いで義勇のことを理解してくれているであろう紫電に対してもこの言い草。けれど紫電は義勇の意図を汲み取ったのか、優しげな顔立ちを綻ばせた。
「俺はもう行く。外出もいいが、ほどほどにしておけよ」
「はい。お気をつけて」
「またね、義勇」
手を振る二人に背を向けて駆け出す。
どうか、お前たちは。
夢破れた俺のようにはなるな。
半々羽織が風に靡いて揺れる。
人混みの中に消えゆく義勇の背中が見えなくなるまで、紫電と真菰は手を振り続けた。
これで最後とか言いつつ、駆け足でだったからまだ書き足りないところがあったりするのでまた書くかも……。
また番外編で別キャラの話を書いてみたいなーとか思ってます。
どのキャラの絡みが見たいか教えていただければ、余裕がある時にサラサラっと書くかも………()
本編は次回から再開です。