大正の空に轟け   作:エミュー

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例のウイルスのせいで依然として苦しい生活が続きますが、真菰ちゃんへの愛で乗り越えていく所存です。




弐拾陸話 また、桜の木の下で

────あの時、君を信じることができていたなら。また、桜の木の下で君と笑い合うことができたのだろうか。

 

足利満成は恵まれた男である。

戦国の世より続く名家に生まれ、一族に脈々と受け継がれし商業の才を発揮し、溢れんばかりの財を得た。容姿にも恵まれ、誰もが羨む華族。それが満成という男だ。

 

街を歩けば女衆に声を掛けられ引く手数多。見合いの話がどれ程持ち上がっただろうか。しかし満成は商業で培った『眼』で人間の本心を見抜くことに長けていたため、声を掛けてくる女の下心を見透かしていた。

 

「私は満成様のことを愛しております!」

「生涯、貴方様だけを愛することを誓います」

「素敵な造花……。まるで貴方のよう」

 

満成を見た女は口々に彼を褒め称える。

最初こそ女との交際を続けていた満成だったが、自分ではなく足利家の財を見る女共に辟易し、次第に享楽に耽ることとなる。

 

遊びなら裏切られない。女など信じるものか。

 

沢山の女と関係を持った。割り切った関係。飽きれば捨て、捨てられ。けれど遊びだから、何も辛くない。痛くない。

 

虚しさだけが、胸にぽっかりと空いた虚に流れ込む。

 

「あら、素敵な殿方」

 

ある日の夜、一人きりになれる場所を探して近場の山に入った。目に付いたのは一等大きな桜の木。暫く佇んでいると、彼女は春風を纏いてやって来た。

 

「けれど、どこか寂しそう」

「……放っておいてくれ。私は一人になりたいのだ」

「そうかしら。貴方は心の何処かで、人との繋がりを求めているように見えますわ」

 

彼女は彩歌。不思議な女だった。

人の心の内を覗いてくるかのような眼差し。まるで他人の考えていることがわかっているかのような物言い。しかし無遠慮に踏み込んでくる訳ではなく、一つ一つ手探りで心の内を計りながら距離を縮めてくる。

満成の『眼』を持ってしても、彼女がどんな意図を持って接してくるのかいまいちよく分からない。

 

その日から、毎夜桜の木の下で彩歌と会う日々。

女など信用してなるものかと思っていた満成だったが、彼女との時間は凍りついた心を解きほぐしてくれるかのような心地良さだった。

 

程なくして、二人は関係を持った。持ってしまった。

 

 

 

 

 

###

 

 

 

 

 

「満成ィ……満成ィィィィィ!!!」

「どうするんだよ兄弟子!攻撃が見えねぇ!」

 

理性を失った彩歌の不可視の攻撃は、周囲の木々を押し倒しながら縦横無尽に駆け回る。勘だけで回避を続けていた獪岳だったが、痺れを切らして冷静に木々の合間を縫いながら駆ける紫電に助けを求めた。

 

「冷静になってよ獪岳。見えないけれど、確実に存在はする。後はどうやって攻撃を見切るかだね」

「それが分かったら苦労しねぇよ!」

 

獪岳のすぐ真横を擦過した見えない何かは、後方の紫電へと向かって伸びる。

 

「兄弟子!」

「うん。もう────見切った」

 

日輪刀を構えた紫電は、地面を蹴り上げて砂煙を巻き起こす。

その砂煙の中を通過する不可視の攻撃。しかし紫電はことも無さげに刃を横一文字に振るうと、鮮血を撒き散らしながら吹き飛ぶ拳が顕となった。

 

「手ェ!?あれがアイツの血鬼術か!!」

 

遅れて彩歌の背中から伸びた巨大な腕が虚空にノイズを走らせながら浮かび上がった。

不可視の攻撃の正体──それは透明となった禍々しい漆黒の腕。紫電や獪岳の胴の倍ほどの太さで、あるべきはずの関節は存在せず、至る所から角のようなものが生えていて、どちらかと言えば奇形の触手に近い。

既に再生を終えた腕が再び透け始め、再び不可視となる。

 

「グゥゥゥ……!憎い……憎いィィ………私だけを……愛していると………言ったのにィィィィィ!!!」

 

獣の叫びのような咆哮が空間を震わせる。耳を劈く怒号に三人は顔を顰めながら耳を塞いだ。

真っ先に動いたのは紫電。彩歌との間合いを一気に駆け抜ける。それを阻む不可視の腕。しかし既に血鬼術を看破した紫電には通用しない。

 

風を切る音。舞い上がる砂煙。彩歌の長髪に見え隠れする紅梅色の瞳が向いた視線の先。激戦を潜り抜けてきた直感。これまでの激戦の経験を総動員し、紫電は日輪刀を振るう。

 

雷の呼吸 肆ノ型『遠雷』

 

雷光一閃。極光の稲光が紫色の輝きを放ちながら彩歌の腕を鋭く穿つ。動きが止まったその一瞬の隙に真菰が彩歌の懐に潜り込み、その刃を首に突き立てんとしていた。

抜群の連携に獪岳は舌を巻いた。そして、自分はまだまだ未熟であると。

 

「真菰ちゃん!」

「任せて」

 

水の呼吸 壱ノ型─────

 

真菰の日輪刀が清く澄んだ水を纏う。紫電と蜜璃の剣速を追随するほどの神速剣技。必殺の間合いの内側へと彩歌を捉え────果たして、彩歌の頸を斬るには至らなかった。

 

「────彩歌!!」

 

すんでのところで横槍が入ったからだ。聞き覚えのある男の叫び。真菰が彩歌の頸を斬る刹那、屋敷から飛び出してきたであろう満成が、肩で息をしながら膝に手をつき、彩歌の名を呼んだ。真菰は咄嗟に飛び退き、彩歌との距離を空け、満成の横へと着地した。

 

「ありがとう、真菰殿」

「……伝えたいことがあるんだね」

「ああ」

 

女の勘、というものだろうか。満成と彩歌の間にはきっと何か、深い繋がりのようなものがある筈だと考えていた真菰。その直感は大当たりであった。事実、こうして満成は危険を顧みずに山に入り彩歌に逢いに来たのだから。

 

不満げな獪岳の顔を横目で見遣った紫電は、大きな息を吐き出しながら真菰の横へと並ぶ。

 

「何かあったらすぐに頸を斬るからね」

「うん。ありがとう紫電」

「はぁぁ……ホントなら今のは鬼に情けをかけて殺さなかったから、『柱』としては見逃せない行為なんだよねぇ……」

「そこを何とかっ。ね?お願い紫電」

「うぐっ……。許します…………」

「やったぁ」

 

真菰に上目遣いでお願いされては許す他あるまい。ジト目の獪岳は無視して、彩歌と満成の一挙手一投足に気を配る。

 

「満成ィィ………」

「彩歌……。お前は本当に……馬鹿な女だ……」

 

ゆっくりと歩を進め、彩歌との距離を縮める。

 

「足利さん!それ以上近づくのは危ない!」

 

鬼に生身の人間が歩み寄るという危険極まりない行為。たまらず紫電は親指で鍔を押し上げ抜刀の構えを取るが、真菰が紫電の羽織の裾をさっと掴んだ。

 

「大丈夫だよ。絶対に」

「真菰ちゃん……」

 

満成と彩歌を見守る真菰の眼差しがいつになく真剣そのものだったので、思わず紫電は刀から手を離した。

 

「お前は美しかったのに。そんなに……醜い姿に成り果てて……」

「私はァ……満成ィ………お前を…………!!」

「私などと恋仲になってしまったばっかりに………!!」

「ァ………アァ………」

 

満成と彩歌の距離が無くなる。重なる二人。満成が彩歌の頬を掌で優しく包み込んだ。

 

「聞いてくれ彩歌……!私は……今更こんなこと言えた義理ではないが……本当にお前を…………愛していたんだ!」

「ぁ……満成………様………」

 

(彩歌さんが……正気に戻った……)

 

彩歌が纏っていた瘴気の靄が僅かに晴れた。満成の愛の告白を受け、人間だった頃の記憶が脳裏を掠めたのだろう。涙が流れ、整った輪郭の縁をなぞった。

 

「許してくれ彩歌!私はお前を信じることが出来なかった……。私に近寄ってくる女は私が継いだ家名と金目当ての者が殆どだったから!真に私を愛してくれる女などいるはず無いと……そう思っていたから……!」

 

今にも泣き出しそうな声で叫ぶ。どこまでも真っ直ぐな眼差しで見つめられ、彩歌は短く息を呑んだ。

 

「満成………様………どうして……私を…………裏切ったの…………?私は貴方を……心の底から愛していたのに……!」

「すまない……!本当にすまない………!お前はモテるから……お前宛に送られていた恋文を何通も見てしまって、疑心暗鬼になってしまったんだ……。好きだから疑ってしまった………すまない………!」

 

二人の初夜の後の朝。使用人が二人に気を遣ったのだろう。廊下に置かれた彩歌宛の手紙を見つけた満成は、徐に封を破って中身を見てしまった。内容は、彩歌への愛の告白、恋文だった。

何通も、何通も、何通も。毎夜彩歌に送られる複数の恋文。満成は嫉妬に駆られ、疑心暗鬼に陥る。

 

彩歌は街を歩けば男が皆振り返る美貌の持ち主だった。彼女に魅了される男は、当然ながら満成だけではなかった。

自分の知らないところで彩歌は他の男とも関係を持っているのではないか。自分以外の男にも愛の言葉を囁き、身体と心を許しているのではないか。そう思わずにはいられなくなった。

女を愛しても、裏切られてきたから。好きだから、愛しているから、疑ってしまった。

 

────きっとこの女も金目当てだろう。

 

陰湿な思い込みが、純粋に彩歌を愛していた想いに蓋をして閉じ込める。

 

その日から満成は愛を忘れてしまった。愛を忘れた満成は、お互いが割り切った遊びの関係であると断言し、彩歌と真正面から向き合うことを辞めた。これまでの女と同じく、ただ自分の欲求を満たす為だけに彩歌と会う日々。気持ちは楽になったのに、何か大切なものを失ってしまった気がした。

 

『愛しています……満成様……』

 

嬉しかった。彩歌に愛を囁かれるのは。けれど、心の内に潜む猜疑心が純粋な愛情を抑え込んでしまう。

 

────どうせ閨の戯言だろう。誰が信じてなるものか。

 

『もう桜の季節は終わったから……来年はきっと二人で桜を見ましょう。私たちが初めて出逢った、約束の桜の木の下で』

 

彩歌を愛する気持ちと彩歌を疑う気持ちに板挟みにされ、もがき苦しんだ満成は、ついに彩歌との逢瀬をやめた。何も告げず、彩歌から離れてしまった。

 

「すまない……!一番苦しんでいたのはお前だと言うのに!私はお前から逃げてしまった!」

「満成様………」

「ちゃんと好きだと言えたら良かったのに………!愛していると伝えれば良かった!!」

「────!」

 

満成の悲痛な叫びに何かを感じたのか、真菰が両目を見開いた。

 

「ちゃんと向き合ってくれていたのに……!心の底から想ってくれていたのに……!すまない……こんな男ですまない………!」

「………満成………様………」

 

縋り付くようにして彩歌の背中に腕を回す満成。彩歌は満成の首に腕を回した。

 

「……満成様。聞いてください」

「彩歌………」

「たとえ身体だけの関係だったとしても、私は貴方と繋がっていられるのなら……それだけでもいいと……そう思ってました。でも、貴方は今……愛してると。そう、言ってくれた。もうそれだけで充分です………」

「彩歌………!もっと早く伝えたかった……!」

 

────愛してると。

 

彩歌は満足気に笑うと、真菰へと視線を移した。

 

「ありがとう、鬼狩り様。最期に素敵な思い出を下さって」

「……来世では、きっと幸せになってね」

 

────水の呼吸 伍ノ型『干天の慈雨』

 

痛みも苦痛も与えぬ慈悲の斬撃が、彩歌の頸を優しく斬り落とした。

 

 

 

 

 

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「満成様っ!」

 

桜の木の下で笑う彩歌。花に映える美しい女だった。

桜吹雪が満成と彩歌の間に流れる。

ああ、これは夢なのだと。満成は悟った。

 

「満成様、ありがとう。私を愛してくれて」

 

いっそう桜吹雪が強く吹き荒れて、視界がぼやける。彩歌の顔が上手く見えない。

 

「来世でもまた、私を愛してくださいますか?」

 

当然だとも。きっと、どんな世界でも、たとえ地獄であっても、君を見つけ、今度こそ幸せにしてみせる。

 

「嬉しい。満成様、約束しましょう。また、桜の木の下で逢いましょう。貴方が私を見つけてくれるその日まで、ずっと待っています」

 

花弁が散りゆく。彩歌の存在の残滓を確かに胸に刻み付けた満成は決意する。

これから先も、彩歌だけを愛していくと。

 

 

 

 

 

###

 

 

 

 

「ありがとう。紫電殿。真菰殿。獪岳殿」

 

塵となって消えた彩歌の最期を見届けた満成は、涙を堪えながら頭を下げた。

 

「私が言えた義理ではないが、どうか、想い人がいるならば、後悔する前に想いを伝えて欲しい。好きだと。愛していると。私のようになってほしくない」

「……そう、ですね」

 

以前、義勇に言われた言葉を思い出した紫電。

心の内で紫電を想っている自分に気づいている真菰。二人はこの時、お互いの顔が頭の中に浮かんだ。

 

「獪岳、満成さんを屋敷まで送ってあげるんだ。それから、さっき受けた攻撃の傷の治療も忘れないようにね」

「兄弟子と鱗滝は?」

「……多分だけど、隊員を沢山殺した鬼は彩歌さんじゃない」

「は?」

「そうだよね。やっぱり……いるね」

 

獪岳は首を傾げたが、真菰は納得したかのように頷いた。

 

「彩歌さんも何人か人を喰ってたけど……あんまりにも弱すぎる」

 

不可視の腕による攻撃は驚異的だが、彼女は理性を失っていて攻撃が淡白だった。紫電や真菰でなくとも攻略法は看破できるはずだ。ほんの一夜で隊員を大勢殺せるほどの鬼だとは思えない。

 

「もっと強い別の鬼がいるはずだ。俺と真菰ちゃんでそいつを探す」

 

渋々満成を連れて山を降りた獪岳。

二人の姿が見えなくなると、紫電は気だるげに息を吐き出した。

 

「ごめんね真菰ちゃん。もう少しだけ付き合ってね」

「うん。それはいいんだけど……あのね、その……」

「……?どうかしたの?」

 

どこか恥ずかしげな真菰。珍しく視線があっちこっちに泳いでいて、心做しか顔も赤いように思える。

 

「さっき足利さん言ってたじゃない?後悔する前に想いを伝えて欲しいって。それで………私っ、私ね………!」

 

真菰が言い切る前に、木々の奥から紫色の斬撃が飛来する。瞬時に抜刀した紫電は真菰の前に躍り出ると、目にも留まらぬ速さで刀を振るい、全ての斬撃を叩き落とした。

呆気に取られる真菰。しかし持ち前の胆力で即座に戦闘態勢に入った。

 

「今のは雷の呼吸の肆ノ型だ。隊員同士の喧嘩は禁止されている筈なんだけどな」

 

前方の闇に向かって怒気を孕んだ声を飛ばす。

 

「いいや……隊員じゃないね。鬼の気配……」

 

それも、強力な鬼の。それこそ、以前対峙した童磨に次ぐ程の強力な気配。

 

「どうして鬼が呼吸による剣技を扱えるのかは……些細な問題だね。出てきなよ、悪鬼」

 

すると、ゆっくりと現れた鬼。紫色の着物に黄色の帯。濡羽色の黒髪に、紫色の瞳。月明かりに照らされた女性の鬼の姿を見た瞬間、紫電の表情がごっそりと抜け落ちた。

 

「………なんで………どうして…………!!」

「大きくなったのね、紫電」

「どうして………可笑しい……そんな馬鹿な話………有り得ない!!!」

「紫電落ち着いて!」

 

真菰の声も、今の紫電には届かない。目に見えて狼狽する紫電を見て、鬼は朗らかに笑った。どこか紫電に似ている。

まさか、と。真菰の頭の中で最悪の考えが生まれた。

 

「六つ目の鬼に……殺された筈だ………!俺のせいで死んでしまったはずなのに………どうして………!!!」

 

そしてその予感は、的中してしまう。

 

「どうして鬼として生きているのッ!!紫音姉さん!!!」

 

紫音姉さん────そう呼ばれた鬼は、どこまでも朗らかに笑った。

 

 

 




今回の話は真菰ちゃんと紫電くんが一歩踏み出すきっかけになればいいなぁと思って書きました。(はやく原作に合流したいのでいつもに増して雑に書いたとか言えない)

そして唐突に現れたお姉ちゃん。
次回、上弦のとある鬼が出てきます。(ヒィィィ!)

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