大正の空に轟け   作:エミュー

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はやく幸せになって欲しい紫電と真菰ちゃん……。
多分もうすぐ………


弐拾漆話 姉さん

姉さんが大好きだった。

 

十歳の紫電にとって、九つ歳上の紫音は常に憧れの存在であり、優しい母のような存在でもあった。器用で優しくて溌剌としていて、彼女の笑顔は晴天の空に向かって伸びる向日葵のようだった。

 

紫音にとって、紫電はようやくできた待望の弟だった。本当は可愛い妹が欲しかったなんて思っていたが、事ある毎に自分に甘えてくる紫電が愛らしくて仕方なかった。両親よりもずっとずっと甘やかしたから、紫電は泣き虫で我儘で甘えん坊な子に育った。そんなところも可愛いよと、紫音は笑った。

 

「紫電ったらホント私がいないとダメだね」

「姉さんはいなくならないよね」

「うんうん。紫電がちゃぁんと可愛いお嫁さんを連れて来るまで、私が紫電の面倒見てあげるからね!」

「俺は紫音姉さんみたいな人と結婚したい」

「きゃーもう紫電ったらかーわいい!」

 

幸せだった。

涙脆くて心配性の父。

男勝りな性格でせっかくの美人が台無しだけど、どこまでも優しい母。

違う家で暮らしているけど、いつも自分を笑わせてくれる爺ちゃん。

そして、姉さん。

幸せが溢れていた。愛が溢れていた。どこまでも続くと、そう思っていた。

 

────まさか、殺されたはずの姉さんが、鬼となって目の前に立ちはだかるなんて。誰が想像できただろうか。

 

 

 

 

 

###

 

 

 

 

 

「どうして生きているか……。何で鬼になっているのか……。そんなことどうでもいいじゃない」

 

激しく狼狽する紫電を優しい眼差しで見遣り、顔を向日葵のように綻ばせる紫音。

 

「こうしてまた会えた。それだけで充分でしょう?」

「本当に………姉さんなの………?」

「そうよ!あなたの姉さんよ、紫電」

 

紫電は俯いて、握り拳を震わせた。

 

「……何人殺した」

「え?」

「姉さん……どれだけ人を殺したんだ………ッ!」

 

怒りだ。紫電は『柱』として多くの鬼の頸を斬り落としてきた。その中で鬼がどれほどの数の人を喰い殺してきたのか、何となく分かるようになったのだ。紫音から感じるそれは、百や二百どころでは無い。

 

「姉さんから感じる数多の死の匂い……感覚的なものだけど、数百はくだらない数だ!」

「そんなことどうでもいいじゃない」

 

先程と同じく、心底どうでもいいことのように言い放った。

 

「人の命が……そんなことだと……ッ!?」

「全部紫電の為なのに」

 

チラリ、と紫音は真菰を紫色の瞳で射貫く。

真菰は背筋に悪寒が迸った。

 

「その娘……紫電の恋人か何か?」

「……っ」

「私の紫電に近づくな」

「────え」

 

言い切るったと同時に、紫音の姿が掻き消えた。砂煙と残像を残し、音すらも置き去りにする高速移動。真菰の背後に回った紫音の斬撃を、紫電が咄嗟に受け止めた。

 

「紫電────!」

「真菰ちゃんに手を出すな……ッ!!」

 

鬩ぎ合う紫色の刃。紫音が二人の前に姿を現した時には帯刀していなかった。紫電は以前も自身の血肉から刀を生成する鬼と対峙したこともあったので、特別不思議がることは無かった。

甲高い金属音を響かせながら喰らい合う紫色の斬撃。瞬時に思考を切り替えた真菰が日輪刀を振るうも、身を翻して後退した紫音にその刃が届くことはなかった。

 

「ふぅん。真菰って言うの。可愛いね」

 

着地した紫音は生成した刀を曲芸のように回転させながら、真菰と紫電を交互に眺めて視線を往復させている。

 

「華奢で儚げで可愛らしい顔立ち。癒し系って言うのかな?まんま、紫電の好みの女性だよ」

 

刀を弄んでいた手を止め、その切っ先を真菰へと向ける。悪意と殺意が、真菰に注ぎ込まれた。

 

「でもね…………あなたに紫電はあげない」

「────!」

 

炎の呼吸 壱ノ型『不知火』

 

強烈な踏み込みから放つ抜刀術。紅蓮に燃ゆる爆炎を纏いながら真菰へと突進する。

驚くべきはその威力。そして、鬼狩りとしての心得の無い紫音が呼吸による剣技を扱えるという特異。先程は雷の呼吸。続いて炎の呼吸。

一先ず思考を捨て、本能的に防衛技を繰り出す。

 

水の呼吸 漆ノ型『雫波紋突き』

 

真菰が使う水の呼吸の中でも最速の剣技。咄嗟の出来事にも即座に繰り出せる技だ。機動力と俊敏性に振り切った真菰だったが、この時ばかりは本来の受けの型として技を使用した。

刀の切っ先で紫音の斬撃の軌道を逸らす。それでも鬼としての超絶的な身体能力が上乗せされた剛剣技である炎の呼吸の威力は、真菰の想像を遥かに上回り、殺しきれなかった衝撃がその小さな身体を吹き飛ばす。

中空で上手くバランスを取って地面に着地した真菰は、日輪刀を構えて更なる追撃に備えた。

 

「やるね。今のは胴体を斬り飛ばしたと思ったんだけど」

「なんで……異なる呼吸を………?」

「そんなの血鬼術に決まってるじゃない」

 

胸を張って得意げに言い放つ紫音。その姿は人間の時と何ら変わりないものであった。

 

「姉さんッッ!」

 

横から飛び込んだ紫電が、最上段から日輪刀を振り落とす。事もなさげに受け止めた紫音は、激昴した紫電を見て不思議そうに眉を寄せた。

 

「紫電にとってあの子はそんなに大事な人なの?」

「当然だろ……!一番大切な人だ………ッ!!」

「………そっか。もう……紫電の一番は私じゃないんだ………」

 

刀を力任せに振るい、紫電を大きく吹き飛ばすと、紫音は悲しそうに顔を歪めた。紫色の瞳は薄い涙の膜に覆われていて、今にも泣き出してしまいそうだ。

 

「……この山で大勢の人を殺したのは姉さんだな……?さっきの熟練の剣技……呼吸……普通じゃない」

「……紫電のためなのに……全部………全部全部全部………紫電を思って………私は…………鬼に……………!!」

 

────血鬼術『傀儡刀(かいらいとう)骸屍櫃(むくろからひつ)

 

紫音が刀を天へと掲げると、紫色の極光が発生。周囲に稲妻が迸り、紫音を取り囲むように無数の漆黒色の棺が現れる。死者を納める為の屍櫃。紫電と真菰は警戒心を最大限まで上昇させて刀を構え直す。

 

「この刀は『傀儡刀』……。これで殺した人間を限りなく鬼に近い存在として使役できるのが私の血鬼術……」

 

ギィィィ、と不気味な音を立てながら棺の蓋が開かれる。

 

「それだけじゃないの。私は殺した人間の戦闘の経験や修業の経験……剣技や呼吸をも吸収することができるの」

 

棺の中から現れたのは────二十三名にも及ぶ鬼殺隊員。

 

「この子達は私の傀儡。操り人形。鬼の身体能力を持った呼吸使い……。ふふふっ。ねえ紫電。お父さんとお母さんが死んで心細かったでしょう?でも大丈夫。私が紫電を殺せば、紫電はずっと私と一緒に居れるのよ」

 

紫音の血鬼術を見た瞬間、紫電と真菰は先の彩歌と満成のやり取りを思い出した。恐らく……いや、確実に。彩歌を鬼にしたのは紫音。この山での悲劇を生み出したのは紫音だ。

 

「紫電。私が紫電のこと一人にしないよ。紫電が大人しく私に殺されるなら、その真菰って子は見逃してあげてもいい。なんなら、その子も一緒に殺して────」

「巫山戯るな!!!」

 

紫電の怒号が響き渡った。

 

「姉さんのやってる事は死者への冒涜だ!絶対に許せない行為だ!俺の為を思ってだと……?馬鹿なこと言うな!」

「………姉さん悲しいわ。あれだけ私にべったりだった可愛い弟から殺意を向けられるなんて」

 

傀儡刀を振るい、傀儡となった鬼殺隊員達を二人へ向けて行軍させる。

 

「でもね、紫電。私はあなたの事をずっと想ってるから。愛しい紫電。絶対私のものにしてみせる」

 

紫音は木の枝に飛び移ると、紫電と真菰を交互に見遣った。

 

「もう行かなきゃ。黒死牟さんに呼ばれてるから」

「待てよ姉さん……!まだ聞きたいことが山ほどある!!」

「ふふふっ。積もる話はあるだろうけど……大丈夫。近いうちまた会いに行くよ」

「姉さん……!紫音姉さんッ!!」

 

襲い来る傀儡達を峰打ちで叩き伏せながら、去って行く紫音の背中を追いかける。

 

「紫電!深追いしないで!」

「姉さん……!姉さん………!!」

 

真菰の声は紫電に届いていない。紫音を引き止めるのに必死になっている紫電は、もう周りのことなど見えていなかった。

 

「はぁ……。本当は構ってあげたいんだけど………半天狗さん、お願いしますね」

 

ボソリと呟くと、紫電の行く手を塞ぐようにして鬼が現れた。

 

「ヒィィィ!いぢめないでくれぇぇぇぇ」

 

耄碌した老人の鬼。木の幹に身体隠し、頭だけを覗かせている。

 

「退けろ………!」

 

雷の呼吸 壱ノ型『霹靂一閃』

 

神速の抜刀術がすれ違いざまに半天狗の頸を斬り落とす。

これで絶命した筈だ。鞘鳴りの残響が響き渡るのと同時に駆け出し、紫音を追いかけようとして────

 

「紫電!その鬼はまだ死んでないよ!分裂してる!!」

「え────?」

 

真菰の叫びで後ろを振り返った紫電に襲い掛かる二体の鬼。先程の爺の鬼が若返ったかのような姿。一体は錫杖を、もう一体は葉の団扇を握っている。

 

「カカカッ、久々の分裂……楽しいのぉ。なぁ積怒」

「黙れ可楽……。何も楽しくなどない。お前と混ざっていたことがただただ腹ただしい」

「そうかい」

 

雷の呼吸 弐ノ型『稲魂』

 

咄嗟に五連斬撃を叩き込んだ紫電。しかし紫音を追わなければならないという焦りから、僅か数ミリ切っ先を違えて頸を斬るには至らなかった。

 

「くそ……ッ!湧いてでてきやがって………!」

「紫電!」

 

遅れて追いついた真菰が積怒へと刃を振るう。錫杖で受け止めた積怒は握り手に力を込め、雷を発生させた。

人並外れた危険予知能力を有する紫電と真菰。咄嗟に飛び退き、降り注ぐ雷の雨を最小限の傷で回避する。

 

「雷………!」

「仕留め損なっておるではないか積怒!」

「腹ただしい………!」

「煩い………!イライラしてるのはこっちの方だクソ野郎………!俺は姉さんを追いかけなきゃいけないのに!!」

 

続けて、可楽が団扇を振るうと、爆風が発生し、紫電と真菰が中空へと放り投げ出される。紫電は咄嗟に木の枝を掴み、真菰は捲れるスカートを抑えながら地面に着地した。

 

「落ち着いて紫電。あの鬼……上弦の肆だよ」

「そんなこと分かってる……。でも、それよりも何よりも姉さんだ。聞かなきゃ……あの日の事を………ッ」

「紫電!待って!」

 

真菰の制止を振り切り、紫電は大地を疾走する。稲妻の如き速力。積怒が錫杖を掲げ雷を落とす。可楽が団扇を振り爆風を生み出す。その全てを去して間合いを詰め寄る。

 

「カカッ!活きのいい若者じゃ!その『悪鬼滅殺』の文字……柱か!」

「こやつを殺せばあの方もお喜びになるじゃろう」

 

豪風と万雷が交互に襲い来る中、紫電の背後から紫音が生み出した傀儡達が押し寄せる。真菰が何とか応援しているが、多対一戦闘を苦とする彼女一人では当然押し留めることは出来ない。加えて仲間の亡骸。迂闊に刃を向けることに抵抗が生まれる。

 

「邪魔するな悪鬼共………!」

 

紫電が半天狗の攻撃を躱す度、行き場を失った雷と風が一度死んだ隊士達へと襲い掛かる。けれど鬼限りなく近い存在となった彼らは、鬼同様に頸を斬られるか日光で焼かれるかしなければ命を落とすことはない。

 

雷の呼吸 肆ノ型『遠雷』

 

振り抜いた刃は紫色の閃光となって可楽の頸を跳ね飛ばす。あまりの速度に驚愕する積怒へと瞬時に肉薄し、日輪刀を斬り上げる。難なくその頸を空へと斬り飛ばした。

 

やはりと言うべきか、斬り飛ばした肉塊から再び身体が生成され、鬼が四体へと増える。

 

十文字槍を持った鬼────哀絶。

翼が生えた鬼────空嬉。

 

「カカカカ!なんと喜ばしいことか!」

「ああ……哀しい……」

「キリが無い………!」

 

はやく紫音を追いかけなければならないのに。癪に障る。厄介なことこの上ない鬼だ。

同じ上弦である童磨ほど脅威を感じないが、それでも強く滲んだ血の匂い。正しく上弦であることの証明だ。

 

「さっさと殺して姉さんを追いかける………。だから……邪魔するな……ッ!!」

 

立ち塞がる四体の悪鬼を睨み付け、紫電は呼吸を深めた。

背後から掛かる真菰の声に、けれど紫電は振り向くことなく間合いの内側へと駆け出した。




紫音お姉ちゃんはまた別の機会に掘り下げようかなって思ってます。

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