大切なものがあれば、大切な人がいれば、人はどこまでだって強くなれる。誰かを守る為のやさしさは、この世の何よりも強靭な刃となる。
────爺ちゃんの言う通りだったよ。
隣で肩を並べて日輪刀を構える真菰を見遣り、紫電は口の端をほんの少しだけ持ち上げた。
────真菰ちゃんを守る為なら、俺はどこまでも強くなれる。
紫電は真菰への想いに気づかないように、心の箱の蓋を閉じていた。けれど、真菰からの告白が引き金となって、蓋は消し飛び、稲妻のような衝撃が全身を迸った。
────そうだな、長い間ずっと鎖に繋ぎ止めて、無理やり抑え込んでいた想いに名前をつけるなら。
「『愛』、だね」
────君を『痣者』にしてその未来を奪ってしまった俺が、こんなこと言う資格なんてないけれど、俺は真菰ちゃんを愛しているよ。
「
聞きなれない呼吸の名に、真菰が驚いたように顔を此方に向ける。
紫電から放たれる呼吸音が、雷の呼吸を使用する時よりも遥かに鋭く、それでいて遠くまで轟くかのような、そんな力強いものへと変化している。
空間が震える。大地が鳴動する。桑島紫電を中心として、世界に霆のような衝撃が迸っているかのような錯覚を覚え、真菰は固唾を呑み込んだ。
「────『
それはまるで、夕暮れ、紫がかった天に突如として現れ駆ける稲妻の如き斬撃。納刀した状態から神速の抜刀術。『霹靂一閃』と同じ速度で放たれる『遠雷』、とでも表現すればいいのだろうか。紫電の放った斬撃は世界を斬り裂かんとして、紫色の閃光となって憎珀天へと迫る。
悲鳴嶼との二ヶ月間の稽古の中で、雷の呼吸を基にした新たな呼吸の創成に取り組んでいた紫電。しかし、圧倒的に期間が足りなかったため、思い付いた型のどれもが『及第点』程度の完成度。中にはまるっきり使い物にならないものもあり、実践でも猫騙しにしかならないであろうと思っていたが。
(存外、できるものだね)
真菰への愛故かな。なんて笑みを零して。
長射程神速斬撃が、真菰を殺したと思い込んでいた憎珀天の胸元に突き刺さった。驚愕に見開かれた瞳孔を此方に向け、本能的に太鼓を鳴らし石竜子を生み出そうとするも、既に憎珀天を間合いの内側へと捉えていた真菰の斬撃によって妨害される。
「生きておったか……!不意打ちとはやはり卑怯……!極悪人共が………ッッ!」
水の呼吸 壱ノ型『水面斬り』
迷うことなく憎珀天の懐に潜り込んだ真菰の一閃。浮き足立つ憎珀天に反撃の暇を与えぬ高速白兵戦が繰り広げられる。
斬撃を受けては返し、返してはまた受ける。
その最中、何の脈絡も無く真菰が首を左側に傾けた。直後、真菰の後方から飛来する紫色の斬撃。その射線の先には刀を振り切った姿の紫電が。
(こやつら……以心伝心か!?)
真菰の顔を超高速で横切り、流星のような斬撃が憎珀天の顔面を捉える。一瞬にして再生を終えた憎珀天だったが、鬼殺隊において速力の上位二名の剣士に一瞬でも隙を与えるというのは、まさに致命的。刹那の合間に真菰がさらに踏み込み、紫電が間合いを消し飛ばす。
たかが一瞬。されど一瞬。『痣』によって身体能力が鬼を追随するほどに強化された紫電と真菰が憎珀天に肉薄し、霆と水の波状攻撃を仕掛ける。
互いの肩が触れ合いそうな距離で刀を振るっているのに、その斬撃が互いを傷つけることは無く、正確無比に憎珀天の肉を捉える。
「雷の呼吸────ッ」
「水の呼吸────!」
重なる。
異なる呼吸が、重なる。
「参ノ型『聚蚊成雷』!」
「陸ノ型『捻れ渦』ッ!」
真菰が生み出した竜巻のような渦状斬撃を覆うように、憎珀天の周囲を超高速回転しながら放つ雷撃の波状斬撃。雷と水の災禍に呑まれた憎珀天は衝撃波を地面に叩き付け、自らの身体を上空へと吹き飛ばす。
逃さない、と真菰が大地を蹴り飛ばし、憎珀天の頭上へと飛翔。太鼓を鳴らし石竜子が地面を裂いて現れるも、地上に残った紫電が即座に首を斬り飛ばした。
紫電は空を見上げる。中空で技を繰り出さんとする真菰。それを迎撃しようと構える憎珀天。
真菰は上から。なら、自分は下からだ。
「────捌ノ型『滝壺』!」
「────伍ノ型『熱界雷』ッ」
上下から挟むようにして斬撃が迸り、二つの斬撃が憎珀天を捉える。しかし頸を斬るには至らない。再生を終えた憎珀天が拳を振り上げ、中空で無防備に刀を振り切った体勢の真菰の脳髄を殴り潰さんとするも、再び飛来した雷撃が憎珀天の腕を消し飛ばす。その刹那の合間に真菰は憎珀天を蹴飛ばし着地。短く舌打ちした憎珀天は太鼓を叩き、石竜子を生成。その頭に飛び乗った。
「煩わしいね」
唾棄するように真菰が悪態をついた。
あと一歩のところで仕留めきれない。実力差か。さすがに上弦の鬼。一筋縄ではいかない。
けれど。
「でも、紫電となら勝てる。絶対に」
「俺もそう思ってる。真菰ちゃんとなら、絶対」
想いは同じだ。
二人はいま、目に見えない何かで繋がっているかのような感覚でいる。それが何なのか、二人はもう理解していた。
『愛』が、二人の動きを重ね合わせる。想いを重ね合わせる。
「次で仕留めよう。俺たちの呼吸を上手く合わせて、上弦の肆の頸を断ち斬ろう」
全く異なる二つの呼吸を完璧な合わせることなど、『柱』であっても困難を極める。その呼吸から派生したもの同士、例えば『水の呼吸』と『花の呼吸』、『蛇の呼吸』などは動きも似通っているため連携はし易いだろう。
しかし『雷の呼吸』と『水の呼吸』は異なる動き。加えて紫電は見せたことのない『霆の呼吸』も使う。普通ならまともな連携すら難しいが────。
「わかった」
何の迷いもなく頷く真菰。その清水のような瞳から滲むのは信頼。紫電への絶対的な信頼と、愛。
紫電となら絶対に勝てる。これまで積み上げてきた信頼が、不可能という二文字を頭の中から消し去っていく。
現に先程、二人は絶妙な連携をして見せた。
それでも、あれはまだ発展途上。もっと上手くやれる。今度こそ上弦の肆の頸を断ち斬れる。予知にも似た確信が、満身創痍の身体を突き動かす糧となる。
再び鳴り響く太鼓の音が、決戦の火蓋を切って落とす。
「行こう、紫電」
「行こう、真菰ちゃん」
現れし木の竜の群れを眼前に据えながら、紫電と真菰は同時に駆け出した。
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前後左右から襲い掛かる石竜子の猛攻。弱い世代の『柱』であれば為す術無く喰らい尽くされるほどの圧倒的密度の攻撃は、けれども紫電の放った超広範囲斬撃によって尽く斬り裂かれ、稲光の極光で明滅する世界を流麗な脚運びで駆け抜ける真菰の清らかな太刀筋によって断ち斬られる。
────雷の呼吸 陸ノ型『電轟雷轟』
────水の呼吸 参ノ型『流流舞い』
万雷を纏いし水刃の乱舞が竜を斬る。
「何なのだ……貴様らは……!」
重なる。
紫電と真菰は目で見ずとも、互いがどこにいるのか、何をしようとしているのか、当たり前のように理解できていた。
憎珀天は奇妙な感覚に襲われる。二人の剣士と戦っているのに、一人の剣士と戦っているのかと紛うほどの完璧な連動。比類無き連携。
上弦の鬼である自分が劣勢である、と。
(有り得ぬ……有り得てはならぬ……!)
そもそも、憎珀天の頸を斬ったところで半天狗は死なない。驚異的な力を持つ憎珀天でさえ半天狗の生み出した分身体にすぎないのだから。しかしこの憎珀天は上弦の肆が生み出せる最強の眷族。それが破られるということは即ち、殆ど敗北に等しい。
本体は既に戦線を離脱した。後は小賢しい二人の剣士の体力が尽きるまで戦い殺す。それだけなのに、未だにとどめを刺せないどころか、目に見えて劣勢で後手に回る状況。頸を斬られるのも時間の問題。明らかに異常事態だ。
刹那の思考の間に、雷と水は目前に迫っていた。
霆の呼吸 参ノ型『
雷速の疾走から、すれ違いざまに無数の刃風を叩きつける。放たれた斬撃は雷風の刃となって憎珀天を中心に巨大な竜巻のような渦を生み出し、渦中へと捉えられた憎珀天は荒々しい刃によって斬り刻まれる。
『風柱』もかくやと言わんばかりの豪風剣技に、真菰が飛び込んでいく。
水の呼吸 陸ノ型 改『捻れ渦・流流』
『捻れ渦』によって紫電の生み出した暴力的な豪風雷を巻き込み、『流流舞い』の脚運びによって憎珀天ごとかっ攫い地面に叩きつける。瞬時に爆風を生み出し衝撃を殺し、衝撃波と落雷を飛ばして二人を牽制。しかし紫電は右へ、真菰は左側に円を描くように散開し、対角線を描きながら憎珀天へと駆ける。
「おのれ……人間風情が!!!」
激しく太鼓を鳴らし、無数の竜によって世界を埋め尽くす。
しかし二人の足は止まらない。
────水の呼吸 拾ノ型 改『天翔飛龍・生生流転』
────雷の呼吸 壱ノ型『霹靂一閃』
共に神速の一撃が押し寄せる石竜子の波を斬り裂き進む。
紫電と真菰、ついに憎珀天を一足一刀の間合いに捉える。
「紫電!」
憎珀天が衝撃波を放つも、真菰が横薙ぎに振るった刃によって阻害され、十分な威力を発揮できぬまま技を中断。真菰を蹴飛ばし、紫電を穿こうと拳を突き出すも、大きく跳躍した紫電に届くことはなかった。
「終わりにしよう」
中空で体勢を整えた紫電は、日輪刀を最上段に構える。同時に深まる『超全集中の呼吸』。
「霆の呼吸 陸ノ型────」
──それは、雷雲の中を駆け回る霆。
紫電が新たに生んだ『霆の呼吸』の、その体現。
「『
紫色の日輪刀から発せられた雷閃は、常闇を真っ直ぐに斬り裂く紫色の閃光。無限の中を刹那が駆け抜けるかのような錯覚を覚えるほどの神速剣技。どこまでも遠くへと轟く稲妻。鞘鳴りの残響が響き渡り、憎珀天の頸は斬って落とされた。
終わってみれば、なんとも呆気ない幕切れであった。
###
「はぁ……はぁ……勝ったの………?」
塵となって消えゆく憎珀天を眺めるながら、真菰は紫電に問い掛ける。
「……頸は斬った。けど多分……こいつは本体じゃない。けどもう近くに鬼の気配は無いから、撃退はしたよ」
言うや、真菰は嬉しそうに顔を綻ばせながら紫電へと駆け寄り、感極まったのか、勢い良く抱きついた。
「やった……!やったね紫電……!」
「………何が」
「………紫電?」
上弦の肆を撃退した直後だと言うのに、紫電の顔は浮かない。
先程想いを確かめ合った筈なのに、どこか素っ気ない紫電の態度に真菰は頭の中で疑問符を浮かべた。
「上弦の肆を撃退したんだよ?あ、もしかして怪我?痛むよね。すぐに蝶屋敷に────」
「ごめん、真菰ちゃん」
とん、と。真菰の両の肩を押し、距離を開けた。え、と真菰が紫電の顔を見上げる。その左頬には稲妻のような痣が脈打つかのようにその存在を示していた。
紫電は今にも泣きそうな顔をしていた。上弦を倒した直後だと言うのに、その顏には微塵の喜びも安堵もなく、後悔と罪悪感、強い怒りが混在していた。
「ごめん」
もう一度、絞り出すかのように告げた謝罪に、真菰はその真意を問いただそうと口を開く。
「ねえ、どうして謝るの。紫電、さっきも謝ってたよね」
「……俺は真菰ちゃんが好きだ」
「………ッ」
さっきは戦闘中で、想い人から告げられた大好きという言葉の幸福感に浸る余裕なんてなかったが、今は違う。その言葉を真正面から受け止めることができる。最初にやってきたのは喜びと、それから羞恥。
「わ、私も紫電が……す、すきだよ……」
改めて口にするととんでもなく恥ずかしい。逃げ出したくなるくらい顔が熱くて、まともに紫電の顔を見ることができない。
ともあれ、お互いの気持ちは再確認したのだ。
「だからね、紫電。ずっと一緒に────」
「真菰ちゃんが好きだから、もう一緒には居られない」
困惑する真菰を他所に、紫電は続ける。
「俺では君を幸せにすることはできない。資格もない。真菰ちゃんの未来を奪っておいて、そもそも好きだと伝えることすら本当は許されないことなのに」
「ま、待って」
「真菰ちゃんからの好意は嬉しいけど、全部思い出の中の話にしよう。さっきの言葉は全部忘れてね」
言い切ると、暫し真菰の動きが硬直する。時間が止まっているのでは無いかと思うほどに。
「だから、ごめん」
今にも泣き出しそうな声だった。
でも、泣きたいのは真菰だって一緒だった。
「なんで」
ポツリと、真菰が呟いた。
そして、今までの彼女から聞いたことの無いような悲痛な叫びが、紫電の耳を穿いた。
「なんで、そんな事言うの。なんで……今までの出来事や想いを全部否定するようなこと言うの………ッ!」
涙を流しながら、ボロボロになった紫電の羽織の裾を握り締めながら。
紫電は胸を締め付けられるような痛みに襲われた。彼女を泣かせてしまった。傷つけてしまった。
でも、これは全部彼女のためだ。
「真菰ちゃんには幸せになって欲しいんだ。俺なんかと一緒にいるよりも、もっと相応しい────」
「私の幸せを勝手に決めないでよ!」
間髪入れずに真菰が叫ぶ。
羽織を握る手に力が籠る。
「紫電は自分のことしか見てないじゃない。私の好きな紫電のこと、ちっとも分かってない!」
真菰の好きな紫電。
それはきっと、真菰が見ている幻想だ。たまたま窮地に駆け付け、たまたま救っただけに過ぎないのだから。本当の紫電は弱くて、ヘタレで、自分のことしか考えていない利己主義者。
そうだろう、と自嘲する。
真菰の制止を振り切り紫音を追いかけた。
真菰が一番大切だと言いながら、真菰の安全よりも姉を選んだ。
そもそも、自分は何の為に鬼殺隊に入ったんだ。仇を討つ為だろう。家族を殺した憎き六つ目の悪鬼を滅する為だろう。真菰に会った頃の自分は、彼女にそう言っていたではないか。
いつしかの下弦の参──赤刃も言っていた。「人を殺すことを厭わないタイプの人間。欲望を満たす為の犠牲を厭わないタイプの人間。私には貴方がそう見える。私達『鬼』と同じ何かを感じる」と。まさにその通りだ。
姉を追いかけたのだって、家族を殺されたあの日の分かりきった馬鹿馬鹿しい事実確認の為。真菰を放ったらかしにして、命の危機に晒しておいて、守る?こんな自分が?真菰を?
ついさっき『やさしさ』と『愛』で上弦の鬼を撃退したことなど脳裏から消え去るくらい、紫電には余裕が無かった。
自己嫌悪に陥りそうになる紫電の手を、真菰が優しく引いた。
「紫電は『やさしい』から、きっと私の為を思って言ってくれてるんだよね」
「俺は………」
真菰が切り傷だらけの手の細い指を、紫電の指に絡めて繋ぐ。
自分の手よりも一回り大きな紫電の手を頬に導いて、そっと頬擦りした。すべすべの肌。鬼殺隊は激務だから、彼女がどれほど努力して美貌を維持向上させているのか、考えるまでもない。目元から零れるようにして発現した雫のような痣が、頬を染め、羞恥で鼓動が高まるのに呼応するかのように、ほんのりと深い蒼に染まった。
「私の大好きな紫電はね、普段は弱虫でよく泣くし、すぐに騒いで喚いて、泣き言言って………それでも、大切なものの為になら命だって惜しまない、そんな勇敢なでやさしい人」
自分はそんな高尚な人間じゃない。反応しようと口を開くも、唇に人差し指を押し当てられて仕方なく押し黙る。満足気に笑った真菰は続ける。
「紫電がどう思っていようが、どれだけ自分のこと認めてなかろうが、私は紫電に救われた。紫電の言葉に救われた。紫電のやさしさに救われたんだよ」
『だって君に会えたから』
『一緒に未来を生きよう』
『真菰ちゃんは世界一素敵な女性ですッ!』
『俺も君が大好きだ』
目蓋を閉じれば、聞こえてくるのはいつだって紫電の言の葉。
「私の幸せはね、紫電と一緒に居ることだよ。他の誰でもない、紫電と」
「────駄目なんだ、それじゃあ」
「紫電………」
ここで、真菰にもう一度好きだと言えたらどれだけ楽だろう。それだけ幸せだろう。
『痣』の呪いが、紫電を蝕む。真菰の想いに応えようとする『愛』を押さえつける。
お前は幸せになれない。お前では幸せにできないと言う。
歯が割れるのではないかと思うほどに強く歯噛みする音が聞こえた。
「ずっと黙っててごめん。俺はもう……長くないんだ」
「え、それは、どういう」
理解できない、と言いたげな真菰の表情を見て、紫電はそっと真菰の頬──痣をなぞるように撫でた。
「『痣』が発現した者は、二十五の歳を向迎える前に例外なく死んでしまう」
「────!」
「俺は二十五までに死ぬ。……だから……ッ、だから俺は……真菰ちゃんには……幸せで、生きて………欲しかったのにッ」
真菰は紫電が言わんとしていることを理解した。
紫電が真菰を拒み続ける理由は、『痣』による寿命の蹙り。
「一人『痣』が発現すれば、共鳴するかのように周囲の人間にも『痣』が現れる……真菰ちゃんに出た『痣』は……俺のせいなんだ」
紫色の瞳に涙の膜を作って。
「俺が真菰ちゃんの未来を奪ったんだ……!君が幸せに生きるであろう輝かしい未来を奪った……!」
到底許されることではない。
紫電が考えうる限りで最悪の事態が起こってしまった。
真菰だけは、真菰だけには長生きして欲しかったのに。誰よりも真菰の幸せを願っていたのに。自分が真菰の未来を奪ってしまった。馬鹿げた悲劇だ。
「俺にも君にも未来なんて無いんだ……っ!」
ひゅう、と。冷たい夜風が二人の間を駆け抜けた。
一筋、紫電の瞳から涙が零れた。
「ばか……紫電の、ばかぁ」
また、真菰は涙を流した。
「どうして……紫電が言ってくれたのに……紫電が言ったじゃない。『一緒に未来を生きよう』って────!」
紫電は知らない。真菰にとって、その言葉がどれほど彼女の支えとなったのか。自分は空っぽだと、自己嫌悪に陥っていた中、差し込んだ一条の光となっていたことを。
紫電が居てくれるから、真菰はこれまで戦ってこれたのに。
その紫電が、今までのこと全部否定するような事を言ったから、堪えれるはずなんてなかった。
「ばかばか……ばかぁ……!鱗滝さんに、紫電に乱暴にされてめちゃくちゃにされたって言いつけてやるんだからね……!」
「真菰ちゃん!?」
「奥までぐちゃぐちゃに掻き回されて……」
「それ、心の話だよね!?やましい方の話じゃないよね!?」
「裸の付き合いなのに……一つ屋根の下で一晩過ごした仲なのに……」
「いや、確かにそうだけど!?誤解されちゃう言い方は狡いよね!?」
きっ、と涙目で紫電を睨みつける真菰。可愛らしい小動物が精一杯の威嚇をしているかのようにも思えて、自然と紫電の口角が持ち上がった。
「……『一緒に未来を生きよう』、か」
今更ながら、無責任なことを言ってしまったかなと思う。
真菰とのいつもの(?)やり取りで幾分か冷静さを取り戻した紫電は、目を閉じて真菰とのこれまでの思い出を反芻する。
いつだって真菰は紫電に寄り添ってくれた。どれだけ情けない姿を晒そうとも、決して見捨てることなく一番近くで支えてくれた。なんでこんな自分のことを大切にしてくれるのだろうと疑問に思っていたが、まさか自分のことを梳いてくれいたからだなんて夢にも思わなかった。同じだと、嬉しく思った。
「ねえ、紫電」
名を呼ばれ、真菰に向き直る。
涙を拭った真菰は、碧の双眸で紫電を見据える。
「私は紫電がすき」
真っ直ぐに。殊更真っ直ぐに。愚直な程に。紫電だけに向けられた好意。改めて想いを告げられた紫電はあたふたと戸惑う。
「痣とか、寿命とか、資格だとか、そんなもの無しにしてさ、紫電自身が答えてよ。私の想いを、ちゃんと受け取ってほしいな」
「俺は…………」
真菰は紫電と共に歩む未来を諦めてなどいなかった。
たとえ二十五を迎える前に死ぬ運命でも、紫電と共に生きることを決意したのだ。いいや、もしかしたら本気で『痣』の呪いに抗う気でもいるのだろうか。
ああ、いつだったか。かつてこうして真菰に信じる道について説かれたこともあったっけ。
────私はずっと紫電の味方だよ。
────絶対一人にしないから……っ!
────だからね、紫電は紫電の信じる道を進んでねっ!
そうだ。そうだった。
紫電がどんな道を歩もうとも、真菰は隣を歩いてくれる。真菰は紫電を一人にしない。いつだって寄り添ってくれる。きっと、これからも。どれだけ拒もうとも、真菰は紫電を一人にはしてくれない。そういう女性だから。
思えば、自分が真菰に言っていた言葉は、捉え方によっては求婚にも見て取れるよなぁと、今更ながらに思う。
「真菰ちゃん」
女の子にここまで言わせてしまったのだ。せめて、最後くらいは。
「真菰ちゃん、聞いて欲しい」
「うん。聞きたいな。紫電の気持ち」
すう、と大きく息を吸って、吐いた。
「俺はずっと……自分のこと信じれなかったんだ。家族を見捨てて逃げ出してしまったから、多分……それが負い目になってたんだと思う」
「────うん」
「今だって、俺は自分のことを全部信じきれてない。けど、真菰ちゃんが信じてくれている俺のことは、信じてみたいんだ」
「……うんっ」
紫色の瞳が真菰を掴んで離さない。
明確な熱を帯びた双眸が、真っ直ぐに真菰を見つめる。
「真菰ちゃんが好きだ。この世界の何よりも、君のことを愛してる」
一番伝えたかった想いが溢れる。
温かな想いに包まれて、幸福感が波状に押し寄せてくる。
真菰は泣き笑って、紫電に抱きついた。
そんな真菰の腰に腕を回して、引き寄せて、やさしく抱きとめた。女性特有の柔らかな身体の感触と、甘い匂い。
「俺と一生を添い遂げてください」
「こんな私で、良かったら」
見つめあって、額を合わせて笑い合う。
「嬉しいなぁ。もっと早く伝えればよかったね」
「うっ、それは遠回しに俺に意気地無しって言ってる……?」
「さぁ、どうだろうね〜?」
また、一頻り笑い合って。
「真菰ちゃん。もう一個だけ言いたいことがあるんだ」
「なぁに?」
「『一緒に未来を生きよう』」
「────!」
「たとえ散り逝く運命でも、俺たちが抗えば残るものだってきっとあるはずだから。この命果てるまで、俺は真菰ちゃんを────むぐっ!?」
「はぁい、堅い話はおしまいね」
紫電の唇に真菰の人差し指が押し当てられる。
「私ね、馬鹿げてるって思われるかもしれないけど、紫電となら『痣』の寿命だって越えていけそうな気がするの」
「……ふふっ、そうだね。『愛』は無敵だもんね」
きっと、二人を繋いだ『愛』ならば。
どんな困難も撃ち破っていけると、真菰は信じてる。
真菰が信じるのなら、同じように紫電も信じるだけだ。
「ねえ、紫電」
「どうしたの?」
「愛してるよ」
「……っ」
名を呼ばれ、顔を下に向けると、視界いっぱいに真菰の顔が広がった。直後、唇に感じる確かな熱。軽く重ねるだけの口付け。互いの口から火傷しそうなほどの熱い吐息が溢れた。
「ずっと一緒にいようね」
頬を羞恥に染めながら、悪戯っぽくしてやったりと微笑む真菰がたまらなく愛しくて、空いた距離が無くなるほど強く抱きしめた。
「ふふっ、苦しいよ紫電」
「ごめん……しばらく……このまま」
「紫電?」
反応が無い。屍のようだ。
「……紫電?あ、もしかして立ったまま気絶してる!?」
それも、真菰を抱きしめたまま。
無理もない。上弦の肆と死闘を演じていたのだ。加えて真菰を庇って衝撃波をもろに喰らったり、慣れない呼吸を連発したり。身体に相当の負担をかけていたはず。むしろ、今の今まで立っていたことすら奇跡のようなことだろう。
「ど、どうしよう……!」
かく言う真菰も安堵からか、身体の力が抜けてしまった。
支えを無くした二人は横向きに地面に倒れ込む。紫電の腕の中に収まる形で転んだ真菰は、もう少しだけこのままでもいいかな、なんて考えて。
「で、でも恋人として応急処置くらいは……いや、添い遂げる約束をしたからもう夫婦……!?わ、私人妻になっちゃいました鱗滝さん………!」
こんなこと言ったら鱗滝さん、ぶっ飛んで紫電のこと殴りに来るだろうなと、自らの師の親バカ加減を理解している真菰は、どうやって報告しようか悩む。
まあ、取り敢えずは。
「もう少し……このままで」
やさしい温もりに包まれて、真菰も意識を手放した。
微睡みの中で紫電は思う。
紫音のこと。
痣のこと。
あの日のこと。
考えること、やらなければならないこと、沢山あるけども、せめて、今だけは、腕の中に確かに感じる愛おしい温もりだけを感じていたい。
「だいすきだよ、真菰ちゃん」
絶対に真菰を守り抜いてみせる。
そう、誓って。
兄上「半天狗が……業務ミスだ……」
とっクソ「黒死牟殿ぉ〜、だいぶ前に雷の柱を取り逃してからというもの、無惨様から給料(血)を頂けてないんだよ〜。半年くらいタダ働きなんだぜ?おかげで教団は規模縮小……信者も減って大ピンチだよぉ」
あかざ「貴様らが業務に支障をきたしたせいで俺も無惨様から給料(血)を頂けていない。死んで詫びろ」
はんてんぐ「ひぃぃぃ!許してください猗窩座殿ぉ〜」
兄上「ふむ……上弦を二度も退けた……『鳴柱』か………実に興味深い……」
お姉ちゃん「あれ?黒死牟さん、前に『鳴柱』は私の弟だって言ったの忘れてる?」
むざん「むきぃぃぃぃぃぃぃ!童磨童磨童磨童磨ァ童磨童磨童磨童磨童磨半天狗半天狗半天狗半天狗半天狗半天狗半天狗ぅぅぅぅ!」
兄上「………」
むざん「黙れ黒死牟!そこまで言うのなら次はお前が逃がした『柱』を殺しにいけ!」
兄上「御意………」
次回、紫電としのぶのあれやこれ(予定)
魔菰「あははっ、どういうことかな紫電?」
死電「これには深いわけがぁぁぁぁ!」