大正の空に轟け   作:エミュー

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こっちではお久しぶりです。





参拾壱話 胡蝶幻影

────最近、夢を見る。姉さんが死んだ日の夢だ。

 

圧倒的な実力を持つ上弦の弐と対峙した時の夢。

白橡色の髪に虹色の瞳、頭から血を被ったかのような、閻魔のような鬼を相手に、姉さんは果敢に挑み、敗れ、そして死んだ。

 

私は何もできなかった。先の戦闘で日輪刀をへし折られ、姉の応援に間に合わず、桑島さんと真菰さんは身を呈して上弦の鬼と戦ったのに、自分はただただ死にゆく姉さんを抱えてみっともなく泣き喚いていただけ。

 

「しのぶ」

 

ふと気づくといつも暗闇の中に立っている。決まって一番最初に聞こえてくるのは姉さんの声。

 

「しのぶ、どうして」

 

死ぬ運命の者が散り際、肺に残った最後の吐息を吐き出すかのような、朧気で虚ろげな声。

 

「しのぶ、しのぶ、しのぶしのぶしのぶ」

 

亡者の声が、繰り返される。

何度も何度も。

 

「どうして。どうしてどうしてどうして。どうして。ねえしのぶ、どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして」

「ッ────!」

 

なんの感情も乗っていないくせに、けれど明確に感じることの出来る怨嗟。思わず蹲り両耳を塞いだ私の背中を、絶対零度の冷気を纏った姉さんが抱き締めてくる。優しさの欠片もない、全身を拘束して絞め殺すかのように、身体に腕が喰い込む。苦しい。

姉さんが私の耳元に唇を寄せる。

囁く。

 

「どうしてしのぶが生きてるの」

「ひっ────」

 

────しのぶが死ねばよかったのに。

 

「いやぁ……っ。ごめんなさい姉さん………!ごめんなさいごめんなさいごめんなさい………私なんかが生き残って……何も出来なくて……ごめんなさい────ッ」

 

深淵に引きずり込まれる。影のような腕に全身を掴まれ、虚に呑み込まれる。

振り返ると、全身を赤黒い血で染め、腕を無くし、身体の至る所が凍りつき壊死している姉さんが。

 

「許さない」

 

私はただ、その悪夢に恐慌する。

今は亡き姉さんに謝罪を続ける。

何も出来なくてごめんなさい。私が生き残ってしまってごめんなさい、と。

 

真っ暗闇の悪夢の中に射し込む光は無い。

 

 

 

 

 

###

 

 

 

 

 

 

上弦の肆との戦闘の後、蝶屋敷に運び込まれた紫電と真菰。

肢体に欠損は無く、共に五体満足。紫電は骨が数本折れていたものの、命に別状は無く、任務復帰までにひと月半といったところだろう。

 

「きゃーーーー!!遂に愛し合う二人は結ばれたのね!素敵っ!」

「しー。声が大きいよ蜜璃ちゃんっ」

 

────そして二人は将来を誓い合った。

報せを聞いた隊士達からはようやくかと半分呆れられながらも祝福され、紫電に至っては一部の過激な真菰ファンによって暗殺計画が練られたりもしたらしい。その話を聞いた紫電は胃痛で二日間寝込んだとか寝込んでないとか。

 

人差し指を立てて恥ずかしげに周囲の眼を気にする真菰に、蜜璃はにっこりと笑いかける。

 

「内緒にすることないでしょう?もう殆どの人が知ってるわよ」

「うぅ……いつの間に………」

「隠の人が二人を見つけた時にね、抱き合ってお互いを守り合うように倒れてたって言ってたの。噂にもなるわ」

 

真菰は羞恥に染まった頬を隠すかのように俯いてしまう。

 

「紫電くんは幸せ者ね!」

「そうだといいなぁ」

「きっと幸せよ」

 

しばらく蜜璃と談笑していると、背後から近づいてくる足音が一つ。

 

「真菰ちゃん」

「紫電…っ」

 

桑島紫電その人。

蜜璃との会話を聞いていたのだろう。ほのかに頬を朱に染め、恥ずかしげに指先で頬を掻きながら視線をさまよわせている。

空気を読んだ蜜璃は立ち上がり、紫電の背中を押して真菰の隣に座るように促した。

 

「ささっ、後は新婚のお二人でっ!」

「気が早いよ蜜璃ちゃんっ!」

 

照れまくる二人。初々しい様子をみて満足気に頷いた蜜璃は軽やかな足取りで蝶屋敷を後にした。

 

「……いつから後ろにいたの?」

「結構前から。なんだか俺の話になって出ていきずらくなっちゃってさ」

「ふふっ。そんなの気にしなくていいのに」

 

こてん、と真菰が紫電の肩に頭を乗せ、手を繋ぎ指を絡めてくる。いつになく積極的な真菰にたじたじの紫電は、頬を真っ赤に染めて俯いてしまう。

 

「ま、真菰ちゃんは二人きりになったら積極的だね……」

「んー?いやだった?」

「いやって訳じゃ……。むしろ嬉しいんだけど、まだちょっと距離感が掴めないというか、緊張しちゃうというか……」

 

今までこんな経験なんて無かったから仕方ないと言ったら仕方ない。だからこそ真菰は自分の欲望に忠実に行動しているのだろう。

 

「ずぅーっとこうしたかったから。今すっごい幸せ」

「そ、そうなんだ……」

 

ふわりと真菰の甘い香りが広がって、一瞬目眩がする。確かに感じる火傷しそうなほどの温もり。横目で真菰を見遣るとほんのりと耳が赤くなっていて、恥ずかしさが無いわけではないんだねと微笑ましい気持ちになった。

 

縁側を吹き抜ける優しい風が気持ちいい。大好きな人との時間はどうしてか、その一瞬刹那が尊くてたまらなく愛おしい。こうして二人並んで、特別会話をしなくても、ただ一緒に居るだけで満たされる。

幸せだなぁ、と呟けば、真菰も嬉しそうにそうだねと笑った。

 

「ねえ紫電」

「どうしたの?」

「その……紫電言ってくれたじゃない?一生を添い遂げてくださいって」

「そうだね。思い返すと恥ずかしいなぁ」

「それでね……はっきりさせたいなって」

「えっと、何を……?」

「その……今の私たちの関係をさ。恋人なのか……その、夫婦なのか……!」

 

自分で言って恥ずかしかったのだろう。太ももを擦り合わせながら、紫電の顔を流し目で見遣る。

もじもじとした様子の真菰があまりにも可愛らしくてしばらく思考を停止させていた紫電だったが、確かに今後の為にも二人の関係性をはっきりさせておく必要がある。

頷いた紫電は迷い無く言い切った。

 

「夫婦だよ!!!」

「………あぅ」

 

恥ずかしげもなく言い切った紫電。真菰は両の手で顔を覆い隠した。

 

「俺さ……やっぱり中途半端な気持ちじゃないからさ。ずっとずっと真菰ちゃんだけを愛していく所存だからさ。お付き合いするにしても、絶対に結婚を前提にしたお付き合いじゃないとしたくないなって思ってた」

「うぅ〜……」

「真菰ちゃんも俺と添い遂げてくれるって言ってくれたし。だったらもう、恋仲なんて通り越して夫婦だよ」

 

とてもいい笑顔で朗らかに語る紫電。真菰としては、もうちょっとこう……悩んだり、恥ずかしがったり、葛藤する紫電を見れたら僥倖だなぁなんて思っていたのだが。

存外自分なりのルールを定めていたらしい彼はもう既に新婚気分なのだろう。

 

「というか紫電……さっきは距離感が分からないとか、私に二人きりだと積極的だねとか、言ってたくせに……」

 

そのわりには随分と余裕そうに見えて、なんだか悔しい。

 

鼻歌交じりに空を見上げる紫電。まだ傷は癒えないけれど、心の方はだいぶ吹っ切れたようにも見える。姉のこと。家族のこと。紫電がいう『あの日』のこと。こういう深い関係になったから、紫電の全部を受け止めて受け入れてあげたい。もっと紫電を知りたい。過去の傷も全部全部一緒に背負ってあげたいから根掘り葉掘り聞くのもありだとは思ったけれど。

彼が自分のペースでいつか、自分から話してくれる。その時を待とうと決めた。

 

気づけば辺りは夕暮れ時。どこまでも続く山脈の彼方に太陽は沈み、紫がかった夕空に微かな陽の光線が一条の光を伸ばす。

 

「あの、『鳴柱』様……真菰さん……」

 

振り返ると、蝶屋敷の住人である神崎アオイが申し訳なさそうに顔を覗かせた。

 

「アオイちゃん。どうしたの?ご飯の時間にはまだちょっとはやいよね?」

「げっ、神崎アオイ……!」

 

あからさまに距離を置く紫電に乾いた笑みを向けながら、主に真菰に向けて言葉を発した。

紫電にとってアオイは、カナエが生きていた頃の口煩いしのぶに似ているから苦手意識を持っているらしい。

 

「お二人にお願いがありまして」

「うんうん。なんでも言ってよ」

「………」

「紫電も俺に任せてって言ってるし」

「言ってないよ!?」

 

アオイは煩い紫電を無視した。

 

「お二人はしのぶ様と同い歳で仲もいいと聞きまして……。どうかしのぶ様に、ほんの少しでもいいので休暇を取るように言ってください!」

 

礼儀正しく頭を下げたアオイに、紫電は眉を寄せた。

 

確かにしのぶは他の『柱』に比べて仕事量が多い。

蝶屋敷の管理に毒の研究。患者の検診など。

どこで寝ているのかと心配になるほどに。

 

(……やっぱり、上弦の弐のあれから無理してるんだろうな)

 

あの時、姉を模して茨の道を進もうとしていた彼女を引き止めなかった自分の責任でもある。

頷いた紫電は、アオイのお願いを真摯に聞くことにした。

 

「しのぶ様の今夜の予定は哨戒だけですが、きっと寝る間も惜しんで毒の研究もなされると思います。その時になったら……」

「分かったよ。ちゃんとしのぶちゃんにガツンと言ってあげるから、アオイちゃんは安心してよ」

「真菰さん……!」

「そうだね。胡蝶しのぶは働きすぎだしね。根っからの社畜体質を改善させてあげなきゃね!」

「お願いします!真菰さん!」

「あれ?」

 

去っていくアオイの背中を眺めながら、さてどうしようかと悩む紫電。

気づけば夜は深まり、時刻は深夜を回っていた。

 

 

 

 

 

###

 

 

 

 

 

廊下を歩く自分の足音だけが蝶屋敷に響く。

日中は騒がしいのに、夜になると随分と静かになるんだなと今更ながらに思う。

 

「真菰ちゃん、あれだけ啖呵切ったのに寝ちゃってたし……」

 

一度真菰を起こしに彼女が利用している私室に顔を出したのだが、天使のような寝顔の真菰を起こすのは気が引けたので、仕方なく一人でしのぶの部屋に向かう。

紫電は未だにしのぶに対して苦手意識を持っているので、その足取りは果てしなく重い。気分は乗らなかったが、普段お世話になっているアオイの頼みだし、何よりもしのぶが心配だったので、自室に帰ろうとする身体に鞭を打って何とかしのぶの私室へとたどり着く。

 

「胡蝶しのぶー?入るよー?」

 

返事はない。

アオイの話では、もう蝶屋敷に帰ってきてるはずなのだが。

おかしいなと思い取っ手に手をかけると、鍵が空いていた。

女の子の部屋に勝手に入るのは流石に不味いよなぁと思ったが、ことの他扉が軽かったので、意図せずしてしのぶの部屋の扉が開いてしまった。

 

「あっ……」

 

見てはいけないものを見てしまうような気がして、思わず両手で顔を覆い隠す。しのぶがいれば罵声の一つくらいは飛んできそうだが。

しばらく硬直していても、しのぶが声を発することはなかった。恐る恐る指の隙間から部屋の奥の方を覗くと、机に突っ伏したまま動かないしのぶの姿を捉える。

 

「胡蝶しのぶ?寝てるの?」

 

そろりとしのぶに近づくと、途端に鼻腔を突き抜けるアルコールの匂い。薬品でもこぼしたのかと考えたが、机に散らかる数多の酒の飲みかけを見つけて、紫電は両目を見開いた。

 

「んぅ………誰ですかぁ……?」

 

完全に酔っ払っているしのぶ。呂律が回っていないし、振り向いた顔は真っ赤。吐く息から強い酒の匂いがする。なんでこんなに泥酔してるんだコイツはと内心毒づいたが、勝手に部屋に入ったことの弁明が先だと頭を回す。

 

「えっと、桑島です……。決してやましい考えがあるわけじゃなくて、その……神崎アオイに君の様子を見るように言われてね……」

「………桑島さんですかぁ……」

「あ、ちょっと、そんなふらふらで立ち上がったら危ないよ」

 

平衡感覚が著しく低下しているしのぶ。立ち上がるのと同時によろめき転びそうになるのを已の所で肩を支えて押しとどめる。

驚いたのは、彼女の軽さ。

 

「どうしたの。そんなにお酒飲んじゃってさ……」

「ふふっ………桑島さん桑島さん」

「うっげぇ……酒くさぁ…………」

 

至近距離で喋るしのぶの吐息は酒気が混じっていて、慣れていない紫電は顔を顰めてそっぽを向いた。

 

「ちょうどよかったです。実は桑島さんにお願いしたいことがありましてぇ」

「酔っ払いのお願いなんて聞かないから!」

 

しなだれかかってくるしのぶを支えながら、何だか嫌な予感がした紫電は首を横に振った。そんなことお構い無しにしのぶは続ける。

 

「実は最近……姉の夢を見るんです。肢体が欠損した姉が私を糾弾する夢……。おかげで精神的に参ってまして」

「…………それで、酒を……?」

「ほんの少しだけでも、一晩だけでもそれを……姉のことを忘れたくて」

「…………は?うわっ────!?」

 

突如視界が反転し、背中が床に叩きつけられる。腰の辺りに重みを感じて視線を下げれば、重みの元であるしのぶが馬乗りになって紫電を見つめていた。

しのぶに押し倒された。状況が上手く理解できない紫電は目を瞬かせ、しのぶに問いかける。

 

「何するのいきなり。背中が猛烈に痛いんだけど……」

「ですから、お願いがあると言ったじゃないですか」

「随分乱暴なお願いの仕方だね……。ますます聞き入れたく無くなったよ」

「連れませんねぇ。桑島さんにとっても悪い話では無いですよきっと」

 

不自然なまでに綺麗な笑みを浮かべるしのぶ。その口から紡がれた言葉に、紫電は思考を停止させた。

 

「私を抱いてください、桑島さん」

 

意味が、分からなかった。

 

「お酒でも、男の人でも、薬でも……何でもよかったんです。一晩だけでも現実から目を背けたっていいでしょう?」

「………本気で、言ってるのか?」

「ええ。桑島さんになら……いいですよ。好きにしてもらっても。ああ、安心してください。真菰さんには黙っておきますよ」

「そういう問題じゃない!冗談でもそんなこと言うな馬鹿!」

「冗談に、聞こえました?」

 

菫色の双眸が、紫電を鋭く射抜いた。

 

「断る……!」

「女の私がいいと言ってるのに。桑島さんには得しかないと思うのですが」

「断るって……言ってるじゃんか……!」

「存外頑固なんですねぇ。でも、そういうところも良いですね」

 

しのぶが前屈みになって顔を近づける。

酒の匂いの中に混じる、しのぶの甘い香り。

いかに紫電が真菰一筋とは言っても、しのぶほどの美人に迫られては理性の手網を握り続けるのは難しい。このまま流れと雰囲気に呑まれて、間違いを起こしてしまってもおかしくない。

 

「一晩だけでいいんです。哀れな私を手助けするつもりで……ね?お願いします。全部、忘れたいんです」

 

縮まる距離。ゆっくりと、しのぶの顔が近づいてくる。耳元に息を吹きかけて、その艶やかな唇が、そっと言葉を紡ぐ。

 

「頭の中、桑島さんでいっぱいにしてください」

 

プツリ、と。紫電の中で何かがちぎれる音がした。

 




もう少しで原作に合流できるはずです……!
ですがその前に大きな山場が……!

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