「カァ!カァ!桑島紫電!南西ノ村へ向カエェ!」
「おおぉ、紫電よ、鬼狩りとしての初仕事じゃぞ」
「えぇぇぇぇぇぇぇぇ!?やだよ爺ちゃん俺まだ死にたくないよぅ!!!」
日輪刀が届いた翌日の早朝。日の出とともにやってきた紫電の鎹鴉が騒がしく初任務を通達する。
遂にこの時が来たのだ。鬼狩りの剣士として、市井の平和を守る時が。悪鬼を滅す時が。
「お前なら大丈夫だ。自信を持て」
「急イデ準備シロォォ!」
「いてててて!髪の毛むしり取らないで禿げちゃうぅぅぅぅぅぅぅッ!?」
頭を鋭い嘴で乱れづきする鎹鴉を払い除け、支給された隊服に着替える。
白のシャツを着込み、『滅』の文字を背負う漆黒の詰襟に袖を通す。袴は街の裁縫屋に依頼し、細身のものにして貰った。最後に爺ちゃんがくれた羽織を着て────鬼殺隊、桑島紫電の完成だ。
「似合っておるぞ。流石は儂の孫じゃな」
「そうかな……?なんか、すっごい頼り甲斐が無さそうなんだけど……」
鏡に写る自分の姿を見て、紫電は苦笑した。
全体的に線の細い体躯。自信なさげな表情。何より膂力が平均よりやや弱い。だからこそ速度に磨きをかけて来たのだが。
「窮地に俺みたいななりの奴が来ても嬉しくないなぁ……。もっと筋骨隆々でさ、背が高くて、顔の良い人が来た方が絶対安心できるもん」
「相変わらず自分に自信が無いのぉ」
いや、逆にこんな自分の何処に自信を持てばいいのか教えてくれよ。心の中で呟くと、過去最大級に重い足を何とか動かし玄関へと向かう。
「紫電よ」
いつも通りの声音。けれど、その中には万感の思いが込められていた。
「大切なことは諦めないことだ。泣いても、逃げても、それでも諦めるな」
修業中に慈悟郎が何度も言っていたことだ。諦めなければ、道は拓ける。手垢まみれの使い古された言葉かもしれないが、慈悟郎が言うからこそ心に響くのだ。
「必ず生きて戻れ。生き続けろ。お前がまた帰って来た時、成長した姿を見せてくれ」
一度任務に出れば当分帰って来ることは出来ない。
鬼殺隊は慢性的な人手不足に悩まされているので、隊士一人あたりにのしかかる負担はどうしても重くなってしまう。藤の花の家紋の家を転々としながら任務に当たることとなるので、里帰りする時間は無いに等しい。
もしかしたらこれが最後の会話になるかもしれない。死と隣り合わせの残酷な世界に飛び込んでいくのだ。明日もまたこうして朝日を拝めるとは限らない。
そう思うと、沢山の想い出が溢れるこの家から、沢山のものをくれた慈悟郎の元から離れ難くなってしまう。
言いたいことは山ほどあるのに言葉にならない。
すると慈悟郎は硬直する紫電の背中を力の限りぶっ叩いた。
「い────ッ!?突然何するんだよ爺ちゃん吃驚して心臓飛び出る所だったじゃん!?任務に出て鬼に殺される前に爺ちゃんに殺されるなんて嫌だからね俺嫌だからね!?」
「お前はそれでいい」
「────え」
常ならば「煩い!」と一喝する慈悟郎が、相も変わらず煩い紫電を肯定した。異常事態だ。
「紫電よ。お前はお前が選んだ道を迷わず進め。他の誰が何と言おうと、自分の信じるものを貫き通せ」
「じい、ちゃん………!」
瞳に薄い涙の膜を張った慈悟郎が優しく笑う。だがそれも一瞬。くるりと踵を返すと、
「ほら、さっさと行かんか!これ以上辛気臭い面を見せるんじゃない!」
「……爺ちゃん、行ってきます」
「ああ。行ってこい、紫電」
爺ちゃんが買ってくれた踝丈のブーツを履く。立て掛けていた日輪刀を腰に差し込むと、瞑目し、大きく息を吸う。
信じろ。爺ちゃんとの修業の日々を。
「やってやらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!待ってろよクソ鬼共がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
群青の空の下、桑島紫電の鬼殺が始まった。
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闇夜の中を疾走する。果てしなく広がる宵闇の世界。月の光によってのみ淡く照らし出される山の中を駆ける。
「見つけた」
速さには絶対の自信があった。高水準で習得した水の呼吸。本来であれば変幻自在の剣技と歩法が強みだが、如何せん彼女は非力であった。故に、唯一無二の武器である速さを極めた。逆に言えば、彼女に許された戦い方は機動力に依存した短期決戦型の高速白兵戦だけ。
上等だ、と。
少女は笑って見せた。
「くそぅ!鬼狩りがいるなんて聞いてねぇぞ!」
木々の隙間を縫うようにして逃げ惑う鬼の背中を捉えると、呼吸を深化させ、身体能力を爆発的に上昇させる。
全集中の呼吸。人間が鬼と対等に戦う為に編み出された秘技。
肺いっぱいに酸素を取り込み、全身へと送り込む。体内に内蔵された秘めたる力が解放され、今なら何だって出来そうな気さえもする。
────全集中・水の呼吸 肆ノ型『打ち潮』
全集中の呼吸による全力疾走の威力を上乗せした、荒波の如き横薙ぎの一閃が鬼の首を斬り落とす。
最終選別の時にも思ったが、案外頸を斬った時の感触は軽いものであった。
これもひとえに、鱗滝が教えてくれた全集中の呼吸、そして水の呼吸のおかげだろう。
心の中で静かに礼を言うと、刀を鞘に収める。キン、と鞘鳴りの残響が静寂の山の中に響き渡った。
これにて、真菰は初任務を終えた。
「鱗滝真菰!鱗滝真菰!北西ノ街ニ向カエ!北西ノ街!次ハ北西ノ街ィィ!カァ!」
「ありがとう鴉くん。北西の街だね」
「カァァ!」
「よしよし」
肩口に乗る鴉の頭を指先で優しく撫でると、もっともっとと顔を擦り寄せてくる。従順ないい子が相棒になってくれてよかった。親愛の印にシロツメクサで作った小さな花冠をプレゼントしてあげたら、たいそう気に入ってくれたらしく、今では肌身離さず身につけてくれている。
「さて、と。一度藤の花の家紋の家に戻ろうかな。鴉くん、案内してもらってもいい?」
「任セロ真菰!コッチダ!」
随分と山奥に入ってしまったため、来た道を忘れてしまった。
鴉の案内で山を下る道すがら、木々の合間から見えた満天の星空に浮かぶ海月のような満月が視界に映った。
「紫電は、どうしてるかな」
何の脈絡も無く真菰は呟いた。
最近はずっとこうだ。気づけば紫電の事を考えている。毎日毎日紫電とのやり取りを思い出しては、口元が緩む。
彼の事を考えている時は決まって胸が痛んだ。けれど悪い気持ちはしない。心地いい痛み。甘い疼き。
『大丈夫か?』
紫色の雷撃と共に現れた紫電。
命を救ってくれた。
『下がってて』
みっともなく喚き散らしていたクセに、やる時はやる人なんだと。
『女の子を一人で戦わせる訳にはいかないよ』
それでいて優しくて、我儘な思いを尊重してくれて。
『真菰ちゃんが無事でよかった』
ああ、きっと私はその笑顔が──────。
「いやいやっ、何、考えてるの私……。これは恋慕じゃない。違うの……これは……」
駄目だ。これ以上彼の事を考えてしまったら、彼に染まってしまう。
そう思ってはいるのだけれど、一度頭に浮かべてしまえば、歯止めが効かない。
『だって、君に会えたから』
心臓が飛び跳ねた。
あの言葉の真意を知りたい。
紫電にとって、自分は何なのか。
どうしようもない想いが体中から溢れ出て、どうにかなってしまいそうだった。バクバクと煩い胸を宥めながら、真菰は思わずその場にしゃがみこんだ。
熱を帯びた頬を両手で包み込むと、ひんやりとした掌にまで熱が移る。
「おかしいよね……こんな……会いたいなんて」
未だに鳴り響く心音がやけに大きく聞こえた。
「全部、紫電のせいだからね……私がこんなに、なっちゃったの」
冷たい夜風が頬を撫でる。
真菰がようやく立ち上がったのは、しばらく時間が経ってからだった。
二度、会っただけだ。
これは恋慕じゃない。
そう言い聞かせて。
「カァ!行クゾ!行クゾ!」
真菰は再び夜の世界を駆け抜けた。