ちょっと悪いひとたち ~さらば北方深海基地よ!~   作:シャブモルヒネ

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3-11:夜。叢雲と北端上陸姫と駆逐古姫(回想)

 夜闇のねばついた黒をかきわけて叢雲は進む。

 時間をかけても目は慣れず、叢雲はほとんど手探りの状態でガラクタの山を迂回した。

 目的地は決まっていた。昼間に演習をやったあの海岸。記憶を頼りに歩を進めた。その先には2人の深海棲艦が待ち合わせをしているはずだった。

 

――夜にここで待っている。9時でいいかな? 反省会をしようじゃないか。

 

 昼に行った演習の後、ドヴェと名乗った敵の幹部は確かにそう言っていた。

 深夜に反省会が開かれる。

 あの場所に行けば、姫級が2人、現れるということだ。

 一体どんな話がされるのか、興味があった。反省会と言うからには昼間の演習について評価と改善点が話し合われるのだろう。深海棲艦の戦闘ドクトリン……それはそれで興味はあったけど、今の叢雲が期待しているのはそれ以外の雑談にあった。

 すなわち、深海棲艦に関するあらゆる情報について。

 叢雲たち人類は、深海棲艦についてあまりにも内情を知らなすぎる。その目的も、生態も、勢力分布すらはっきりしない。どんな小さな情報でもいいから手に入れたい。反省会をするという姫級たちの会話の端々から拾えたりしないだろうか……と考えていた。

 そのために叢雲はこうして夜の廃墟を歩いている。

 大鷹に散歩と告げたのは嘘だった。

「……」

 敵。

 深海棲艦。

 その種族については昼間にも語られていた。けれど、ドヴェが語った北の魔女についての情報は……スケールが大きすぎていかなる判断もできそうにない。深海棲艦の起源がどうのとか、そんな歴史を主張されても「へぇーそういう言い分なのね。だから何?」としか言いようがなかった。学者たちは喜ぶだろうけど。

 叢雲が必要としているのはもっと具体的で役に立つ情報だ。弱点とか、向こうの技術の原理とか……もっと些細なことでもいい。例えば、勢力図。これまでの会話から察するに、どうやら深海棲艦たちはいくつもの集団に別れているらしい。軍団として統一されていないなら連携もとれていないのだろう。その縄張りの境い目をうまく突けたなら各個撃破も簡単にできるかもしれない。あるいは、弱小勢力を懐柔していく手だってありえなくはないだろう。

(対話……できるの? 深海棲艦を相手に……)

 大鷹の顔が浮かんだ。

 ついさっき別れてきたばかりの旧知の友人、その白い顔の唇が皮肉げに歪められ、諦めの言葉を吐き棄てた。

 

――もう大鷹じゃねーっつーの。

 

 話せるなら、そして理性があるのなら、手をとることだってできるはず。彼女の戦う理由が自己防衛のためなら、なおのこと。

 叢雲は頭をふって考えかたを改めた。

 自分は今からスパイの真似事をする。争いを回避する手がかりを得るために。けして相手を滅ぼすためではない。

 手の平に、固くざらざらした感触――テトラポット。伝いながら、転ばないように歩を進めた。

(ふぅ、そろそろ着くはずだけど……)

 あの教室部屋を出るとき、壁時計は9時ちょうどを指していた。つまり今はもう集合時間を過ぎている。

 今はあれから何分経っただろう?

 せっかくぬけだしてきたのに、着いたらもう話は終わっていた、なんてオチは勘弁してほしい。

 あるいは、もう場所を移動してしまっているかもしれない。こんな一寸先さえ見通せない暗闇のなかで反省会なんてしたくないだろう。自分ならごめんだ。せめてもう少し明るい場所へ行こうとする。まぁ、このゴミの島々に灯りがあるなら、の話だが……。

 そんな不安をもてあましていると――ぼんやりとした光がいきなり現れた。

 ランタンの灯り。

 物陰から現れたその光源はかなり近かった。7,8メートルといった距離か。考えごとをしていたせいで気付くのに遅れてしまった。

 耳をすませば、ぼそぼそと、ヒトらしき話し声も届いてくる。

 慎重に、身を隠しながら、光源の周りを探ってみた。

(本当にいた……)

 うっすらと映しだされる影のなか、ヒトの輪郭を見つけた。それは確かに目当ての人物たちだった。

 ひらひらした衣服の、北端上陸姫、ドヴェ。

 小柄なマネキン人形のような佇まいの、駆逐古姫、チェティーリ。

 2人は、闇を照らすランタンを挟んで向かい合っていた。ドヴェは廃車に寄りかかり、チェティーリは案山子のように直立している。

 叢雲は、それを真横から覗く位置だった。

 テトラポットの影に身を隠し、姫級たちの会話に耳を傾ける。

「……つまり、戦闘が始まってから対策するようでは遅いんだ。それ以前の、いわゆる平穏な時間にどれだけ準備できたかで勝敗が決まる。精進したまえよ」

「はい」

 どうやら、本当に反省会をやっていたようだった。たった今、まとめが終わったばかりらしい。空気がわずかに弛緩するのを感じた。

(まさか……もう終わったんじゃないでしょうね)

――もっと話を続けろ、何でもいいから。

 その願いが届いたわけではないだろうけど、ドヴェは車から背を離し、一歩二歩と教え子に近づいた。

 会話はまだ続くようだった。

 ドヴェは小さな唇を微かに動かした。

「……それじゃあ、技術面についてはこのぐらいにしておこうか。次は、君の振る舞いについてだけど」

「なんでしょう?」

「君は、あの2人の艦娘を殺すつもりだったのかな?」

 いきなり物騒な単語がでた。

「……え? いえ、そんな、殺すだなんて」

 問われた少女もまた困惑しているようだった。

「チェティーリ君、きみは艦娘が好きではないのだろう? 我々の領域に踏み込んできたあの娘たちが目障りで、排除してやろうとは思わなかったのかい?」

「思いませんよ、そこまでは」

「だったら、ちゃんと愛想よくしたまえよ」

 ドヴェはさらに前に進み、ランタンを横切って、チェティーリに手が届く距離まで詰め寄った。

「あの……?」

「いいかい? よく聞きたまえ」

「は、はい」

「相手をすぐさま排除する必要性がないならば、嫌いだろうと憎かろうと殺してやりたかろうと、表面上は友好的に振る舞わなければならない」

 眉をひそめるチェティーリ、その背後にドヴェはゆっくりと回り込み、細い肩に手を乗せた。びくりと震える、その顔の横にドヴェはぬるりと己の顔を突きだす。少女の耳元で睦言を囁くようにして言葉を紡いだ。

「この世の全ては、“作る”のは難しい。時間がかかる。しかし“壊す”のは簡単だ。時間もかからない。これは物質に限らない。人と人との関係性もまた同じ。……このケースでいうと、友好関係とでもいうべきか。“仲良くなる”のは難しく、時間がかかる。しかし“嫌われる”のは簡単で、すぐにできる。故に、誰かとの関係というものは、安易に壊しにかかるものじゃあない。まずは友好だ。ラブ&ピース。なぁに、大した話じゃない。初めは挨拶、そして笑顔。握手を求めてもいい。その後に自己紹介だ」

「仲良く……なる、ですか?」

 メリメリメリ、と鉄の繊維が編みこまれ――巨大な艤装がいつの間にか、ドヴェの傍らに顕現していた。深海棲艦特有の、化け物を模した艤装、あるいは生物兵器。ソレの大きな口にはスマホサイズの巨大な歯が綺麗に並んでいて、隙間からは粘ついた液体がとろりと滴り落ちるのがよく見えた。顔の眉間があるべき場所からは大口径の単装砲が一本突きだしている。それが前触れなく固定され、一切の予告なく、

 砲弾が発射された。

 正面の廃車に直撃。

 耳をつんざく金属音が夜の静けさを切り裂いた。衝撃は奥にあったショベルカーと大型バスと九七式中戦車改を貫いて粉塵を巻き起こす。飛び散る破片を瞳に映しながら、ドヴェは、おとぎ話の狐のようにいやらしく口角を釣り上げた。

「……ほぉら、この通り。壊すのはすぐにできるだろう?」

 狐の邪悪な笑みは、しかしすぐに悲しげな顔へと変化した。巨大な穴を穿たれた廃車を哀れむように眉をハの字にしてみせる。

 それは実演だった。表情とは、作りだし、見せるためのもの。内心を映す鏡ではない。そう思い込んでいる愚か者を騙すための方便の一つに過ぎないのだ、と示している。

 仮面を取り替えるように、またしても顔つきが変わった。今度は能面のような無表情。

「やると決めたら速やかに、そして確実にやるべきだ。……しかし、あのときの君には艦娘たちを殺すつもりはなかったと言う。で、あるならば、君は当然、愛想よくしなければならなかった。ふてくされた態度をとっていても何の得にもならない。分かるかな?」

「……分かります」

「いい子だ」

 ドヴェは再び歩きだし、自分で破壊した車の前で止まった。くるりと踵を返し、愛くるしい満面の笑みを浮かべて、教え子に向けて大仰に手を広げてみせた。

「さぁ、思い出してごらん? あの艦娘2人に会ったとき、私はどのように自己紹介をしていたかな? あのときの言葉はもちろん嘘ではないが、相手の心を開かせるために言葉を選んでいたのは間違いない。……いいかい? 私は元ピースメイカー。人間たちからは虐殺者とも呼ばれているからして、あの艦娘たちからすればその印象は会う前から最悪だっただろう。しかし、今はどうだ? 信用は得ていないにせよ、『会話するぐらいなら問題ない』と思わせるところまではきた……と私は推察している。どうかな?」

 その通りだった。まさに叢雲は、ドヴェをそのように見ていた。信用はしていないけど、回りくどく芝居がかった言動をする様子から、艦娘が相手でもコミュニケーションを試みる程度の寛容さは持ちあわせていると感じていた。

 だが、それらは全て見せかけだった、とこの女は言った。

 殺す理由がなかったからとりあえずで“話が分かる”ようなキャラクターを演じただけだ、と。つまりは、この女は、その理由さえできてしまったら、きっと一秒の躊躇もなく行動に転じるということで――

 女は再び無表情の仮面をかぶり、淡々と語った。

「さて、そんな私に比べて君は……あの艦娘たちとは初めはまっさらな状態であったにも関わらず、今では私より印象が悪いと言えるだろう。『気難しいやつ』『艦娘を嫌ってるやつ』……これではいかにもよろしくない。そんな相手とは会話したいと思わないだろう? つまり、関係が発展しないんだ。軽んじられてしまう。言ってしまえば『どうなってもいいやつ』にカテゴライズされてしまうのだよ。そうなってしまえば、もう何ももらえない。小さな利益も、僅かな情報も、そして決定的な機会さえもすり抜けてしまう。そうやって小さな繋がりを断ち切っていってしまうとね、どうなると思う? いつの間にか大きな差ができてしまうんだよ。他の、積み上げてきた者たちとね。そして、踏みつけにされてしまう。……私が北極海で覇者になれたのはね、屈強な戦士たちを打ち倒してきたからではないよ。這い上がらなかった怠け者たちを敷石にして歩くことができたからだ」

「……分かります。とても、よく」

 言っている内容自体は、おかしくない。要約すれば『情けは人のためならず』――常識的でさえあった。なのに、それでも彼女の思想に抵抗を覚えるのは……彼女がひとを利用しようとしか考えていないからだ。良心にまるで欠けていて、人と人との関係性をリスクとリターンの一側面でしか捉えてない。ゆえに、ドヴェは人の心にまったく共感しておらず、ただそうと決まっている法律をそらんじるがごとく理屈で知っているだけなのだと叢雲は感じとることができた。

(こいつはきっと、自分の正しさにしか興味がない……)

 これが深海棲艦。

 大鷹とはまるで違う。外面だけでなく、中身まで人間的ではない。それでいて本物の心を持つ人間よりも感情を利用することに長けていて、操ろうとさえしている。なにかがひどくおぞましい。

 反社会的人格の持ち主が、子どもにひとの騙し方を教えている。

 そんな薄ら寒い光景が目の前で展開されていた。

「この海には勝者か、敗者かしかいない。……君はもう敗者にはなりたくないのだろう? だったら振る舞いを変えたまえ。微笑みを浮かべ、友好的な姿勢を示すといい。大事なのは、印象だ。警戒心は無知による不安から生まれるからだ。まずは相手に理解されるよう努めたまえ。分かりやすいイメージを持たせるんだ。あるいは短所を1つ晒せばいい。そうすれば人は理解した気分になる。理解が及べば安心する。安心すればガードが下がる。あとは繰り返しだ。慣れが信用にすり替わる。……悪態をつくのはね、排除する直前だけにしたまえよ。ただし、それは最後の手段だ。どんな役立たずにだってそれなりに利用価値があるんだからね」

 これは。

 はたして教育と呼べるのだろうか。洗脳ではないだろうか。

「……私、には、」

 駆逐古姫は、言葉に迷っていた。

 硬質な日本人形のような見てくれの少女。昼間の演習ではなにかに激昂し、それでいて自制して、醜態を晒すまいと去っていった少女。彼女はまだ人間的だった。感情をもっていた。

「私には――上手くできるか分かりません。生きるためにあなたの言うやり方が必要なのは分かります。けれどどこかで必ず失敗すると思うんです。人を騙すときに、どもってしまったり、目が泳いでしまったり、するでしょう」

「ふむ……」

「経験が、ないんです。戦うのも、色んな人と喋るのも……。私はひとの上に立つには向いていませんよ。……トゥリーさんは向いているんでしょうけど」

「学べばいいじゃないか。戦闘技術も、人とのコミュニケーションも」

「もちろん努力はします。けれど……」

 言いよどむ少女。

 女は励ますように目尻を緩めてみせた。

「才能なんて概念は存在しない――と私は思っている。適正なんてものはね、そうと知らずに幼少期に必要な経験を積んできたか否かでしかないんだ。ただ先行されているだけにすぎない。ゆえに、後から追いつけない道理はないのだよ」

「けれど……」

「ちっちっち。君は、どうにも後ろ向きだね。厄介で、非効率的で……しかしだからこそ方向性を上手く見いだせれば強大な原動力を生み出すこともできる」

「……? よく、分かりませんが……」

「君が人間的だと言っているんだ。私が、君とトゥリー君に期待している理由でもある」

 チェティーリは、何も答えなかった。口元を手で隠し、考え込んでいる。

「……ドヴェさんは、人間的ではないですよね?」

「そうだね」

 ある意味で失礼な問いかけにも、ドヴェは即答した。

 チェティーリは訝しげに眉根を寄せて、

「あなたのような考え方が、普通なんでしょうか? ええと、深海棲艦の、普通です。私の知っている深海棲艦はもっと“人間的”でしたよ」

「へえ、君の知っている深海棲艦っていうと?」

「私を殺した深海棲艦です」

「ほう」

「あの人たちは、這いつくばる私を指差して……おもしろおかしく笑っていました」

「そういう手合いはよくいるね。けど、それが普通かと問われれば、どうだろう? ただ差別主義者だっただけと思うね。人間にもよくいるだろう? 肌の色や国籍が違うだけで加虐的になる連中が」

「さぁ……そうなんですか?」

「そうさ、ましてや相手が敵対種族ともなれば尚更苛烈になるだろう。……でもね、そうじゃない公平な連中もたくさんいるよ。これは人間も深海棲艦も関係ない。色んなやつがいるからして、『これが普通』とひとくくりにするのはよろしくない。個別によく観察して判断するべきだ。そうでないと失敗することになる」

「……」

「チェティーリ君?」

「あなたは、どうしてこんなにも親切に色々教えてくれるんですか?」

「親切だって?」

「いえ……利用しようとしている、のほうが正確でしょうか?」

「よく分かってるじゃないか。私は見返りを期待しているだけにすぎない。そのような行為を親切とは呼ばない」

「どちらでも構いません。私が知りたいのは、理由です。私を育ててどうするつもりですか?」

「どうするって、それは以前にも伝えただろう? まずは戦力になってもらう。いずれは部隊長として独自に判断して行動できるようになってもらいたい」

「ですから、その目的を知りたいんです。一体どうして? そして誰と戦わせるつもりなんですか? 部隊長にして何をさせるつもりなんですか?」

「……ああ、そうか、方針の話か……。いや、これは私の落ち度だな。以前はそこまで知ろうとする部下がいなくてね……。従うことしか興味がなくて、随分苦労したものだ。だからこそ今度はしっかり自分の頭で考えられそうな君たちを育てようと思ったんだけどね、これでは片手落ちだ」

「……それで、結局、何をさせたいんですか?」

「それは私の決めることじゃない。組織の方針はリーダーが決めることだ」

「北の魔女……ノーリさん、ですか?」

「そうだ。私はね、いざ命令が下ったときに十全に動けるように準備をしているにすぎないんだ」

「じゃあ別に人類と戦うわけじゃないんですか?」

「分からない。命令次第だね」

「……あの子より、あなたの方がリーダーに向いていると思うんですが……あなたがやればいいのでは?」

「私にはリーダーをやるだけの目的がない」

「……目的、とは?」

「私にはね、艦隊を率いてまで成し遂げたい目的がないんだよ。そういうのはもう北極海を制覇したときに達成してしまった。だから君たちのリーダーにはなれない。なるべきではない」

「でも……自衛は立派な目的でしょう?」

「ただ生き延びたいだけなら既にできあがっている団体に加えてもらえば済む話だ。組織をいちから作りあげるなんて非効率的すぎるだろう? 私はね、あの北の魔女に従いたいのだよ」

「よく分かりませんが……要するに、私たちはあの小さな子の思いつきに振り回されるということですね……?」

「思いつきは困るかな? どうせ従うのなら確固たる指針のもと意志のある命令を下してほしい……私もそう思ってるよ」

「ええと、つまり?」

 北端上陸姫はすぐには返答しなかった。傍らの艤装に眼を落とし、その平べったい頭部につつ、と指先を這わせた。鉄の塊が音もなくたわんだ。糸状に解かれて、逆再生のように掌へと還っていく。

「君がさっきから聞きだそうとしているのは……この私が何をしたいか、で合ってるかい?」

「はい。あなたの願望が見えないんです。理解できないから、警戒が解けない。……さっきあなた自身もそう言ってましたよね。だったら安心させてください。……はっきり言っておきます。私は利用されても構わない。気分は良くないけど我慢します。ただ一つ、私の大事なものを傷つけないと誓うなら」

「ふむ……君の大事なものというと……」

 顎を上げ、遠く、隣の島へと目を向ける。4番島。チェティーリの縄張り。

「家族、か」

「……」

「誓おう。私は、君の家族を傷つけない。……これでいいのかな?」

「足りません」

 駆逐古姫は小さく首をふった。

「守ってください。あなたが知りえる全ての脅威から。その誠意がなければあなたについていくことはできない」

「おお……、驚いたな。そこの違いを理解しているとは思わなかった。いや、私は君を侮っていたのかもしれない」

「あなたのようなひとは平気で人を切り捨てる。『自分からは手を出さないとは言ったが他人から守るとは言ってない』……そんなふうに嘯くんです」

「うん、うん、そうだね。君に指摘されなければまさにそうするつもりだったよ。余計な労力は背負いたくないからね」

「『きちんと細部まで言及しなかったお前が悪い』と言うんでしょう? ……そうはいかない。ちゃんと約束してください。そして約束を守ると誓ってください」

「はっはっは! 素晴らしいな! 君はもう充分に痛い目を見てきているようだ。ちゃんと言葉の裏を探ろうとしている……ああ、誓うよ。私は、君の家族をよそ者の魔の手からできうる限り守ると誓おう。これでいいかな?」

「……今まで嘘をついたことがないというのは本当ですか? これからも自分の言葉を守るつもりはあるんですか?」

「ふふ……君の賢さに免じて、はぐらかさずに答えてあげよう。私はね、今まで一度たりとも嘘をついたことはない――これは本当だ。そして、そうやって築きあげてきた信用を上回るリターンがない限り、これからも誓いを破りはしないだろう。君が安心するように言うならば、『君のような孤立した小娘一人に、私の人生を懸けた誓いを破る価値はない』だ」

「いいでしょう。あなたのようなひとにとってその言葉は最大限の誠意。だったら私はあなたに従います。……それで、あなたの願望はなんなんですか? 現状に満足しているわけじゃないんでしょう?」

「願望、ね。さて、どう表現するべきか……」

 ドヴェは、顎に指を添えてしばらく黙った。

「……願望を達成するための手段には段階がある……。そうだね、ざっくりと言ってしまえば、私の今の願望は、ノーリ様に成長していただくことにある」

「……さっき言っていた、『確固たる指針のもと意志のある命令を下してほしい』、それを叶えるためにですね?」

「ああ、そうだ。彼女は現状のままでは“特殊な強さをもつだけの幼稚な深海棲艦”でしかない。……ちょっと想像してみようか。このまま何もしなければ、我らがリーダー、北の魔女はこの先どんな命令を下すようになると思う?」

「どんな方針をとるか、ってことですか?」

「その通り。まず前提として、大ホッケサークルから脱出した後の話としよう。現在、ノーリ様は、ひとの煌めき――感情の発露を観たがっている。さて、それでは彼女はその煌めきとやらを一体どうやって観ようとするだろうか?」

「どうやってって……人の感情なんてどこででも観られるじゃないですか」

「穏やかなモノならね。だが、より強い感情の発露というものは、何かしらの事件が起こったときに発生するものだ」

「事件とは?」

「親しい者が死んだとき」

「……」

「ノーリ様は現状、“深海棲艦らしく”をスローガンに、たいした理念ももたずに幌筵泊地と戦っている。結果は連戦連敗ではあるが、回を重ねるごとに性能を向上させていて、私の見立てではおそらく次回には勝ち越すだろう。……つまり、そこでたくさんの艦娘たちが轟沈することになるわけだ。負の感情が火花のように連なって今までにない煌めきを見せるだろう。それを見たノーリ様は、きっとこう学習するはずだ……『人類をやっつけるとこんなにも強い煌めきがたくさん見れるのかぁ。ようし、もっとやろう!』と」

「つまり、あの子がこの大ホッケサークルから出てしまえば……」

「その想像は正しいよ。我が主様は、陸伝いに人間の集落を攻撃しろと命じるようになるだろう。そして君の故国日本は、北から順に地獄が生まれていくことになる」

「……そうですか」

「それだけかい?」

「他に、なにか言えとでも?」

「……ふぅん。まあいい。私もね、やれと命令されれば従うだけさ。……しかしそれではつまらないと考えている。そんな欲望に直結した命令を下されるのはいかにもつまらない。……さて、ではどうするか?」

「あの子には、別の目的を持ってもらう……?」

「うん、そうだね。では、どうやって?」

「……口八丁で誘導する、とか」

「ふふ、単純だね。そして不正解だ。それでは私が操っているようなものじゃないか。実質、私がリーダーをやるのと変わらない」

「じゃあどうするんです?」

「確固たる信念を持てるよう、成長していただく」

「ああ、なるほど……。私たちのように教育し、経験をつませるんですね?」

「ちょっと違うな。実はね、君たちがここ北方深海基地にくる前に、ノーリ様に色々教えてみたんだが、どうにも吸収しようとしなかった。考えてみればそれも当然だ。彼女は普通の生き物とは違うのだから。語弊があるかもしれないが、無敵で万能、それがノーリ様だ。彼女は死ぬ心配をしないし、たいていの目的は工夫せずとも成し遂げる。つまり、成長する必要性がないのだよ。未熟なままでも問題ないというわけだ。……もしも全知全能の神とやらがいたならば、きっと彼女のように幼稚だと私は思うね」

「じゃあ……成長できないなら、どうするんです?」

「できないとは言ってない。彼女はね、少し前まであんな性格ではなかったんだ。もっと冷たく、機械的で……私よりもずっと薄情だったのだよ。それが、あるときから、一気に人格を塗り替える勢いで変貌していった」

「私が来る前の話、ですね?」

「そうさ。彼女はね、誰かが轟沈し、復活するたびにその者の影響を受けるようになったんだ」

「轟沈したひとの影響を受ける……?」

「ああ。ヒントはこの海だ」

「そうか……この海は、あの子そのものだから……この海で復活するということは、あの子に直してもらうのと同じこと。つまり、そのときに記憶にもメスが入る……? 人生の記録を、覗き見てしまうんですね?」

Вот именно(その通り)! 話が早くて助かるよ。……ちなみに、どうしてこの推測がたったかというとね、アドナーがやられるたびに、アレしか知らないはずの知識をノーリ様が喋るようになったからだよ」

「アドナーさんとは何度か話したことがあります。確か、防空棲姫には何度か負けているって……」

「うん。そして、そうやってアレが無様に轟沈するたびにノーリ様は変わっていった。……なぁ、ちょっと思い出してみてくれたまえよ? ノーリ様のあの性格は、アドナーのそれと似ていると思わないかい?」

「……言われてみれば、確かに、似てますね」

「だろう? つまりだ、今のノーリ様は、アドナーの轟沈5回分の影響を受けた人格ということになるわけだ」

「なるほど、理解しました。これからそうやってあの子を成長させようというんですね。そのために……そのためには……? あれ……?」

「気付いたか。君はつくづく察しがいいね。そうだよ、それなんだ。それこそが私の今の目的だ」

「ドヴェさん。あなたは、もしかして、」

「アドナーはもう必要ない。むしろ、これ以上アレに影響されてほしくない。だから、必要な死は、別の者だ。他なら誰でもいい。より多くの経験を得るためにはできるだけ多くの犠牲が必要なんだ」

「轟沈させる気ですね? この島々に住む、たくさんのひとたちを……」

「ああ。私はね、より多くの死を望んでいる。できれば全員。それはこの私自身も例外じゃあない。つまり……この私ドヴェ、トゥリー君、そしてきみ、チェティーリ君。少なくともこの姫級全員には轟沈してもらいたい」

「……」

 ドヴェは意味深に唇を歪めてみせた。

「――と、言いたいところだが、それはあくまで理想の話だよ。その目的のために無茶をして君たちに嫌われてはもったいない。特に問題なのは君だ。君は、家族に手をだす者は絶対に許さないだろう? よってそこは妥協しよう。幸い、代わりはいくらでもいるからね、死ぬのは他の者でも構わない」

 口元が、三日月のように吊り上がる。

 目標に向けた道筋を想像し、それが達成された先の輝かしい未来を想うと愉悦が抑えられない。そんな生の感情を、初めて表に曝けだす。

「死んでもらうのは艦娘でいいだろう。つまり、叢雲君と、浜波君さ。なぁに、足りない分はあとで幌筵泊地の連中から補えばいい。そうして大量の艦娘たちを轟沈させ、その人生の記録を垣間見たならば、我が主様は飛躍的に成長するだろう。決意と行動、挫折と後悔、成功体験と未知への探究心……それらの経験が1つの人格として統合されて、きっと私の考えなど及びもつかない高度な精神性を宿すはず……。愉しみだ……成長しきった北の魔女が一体どのような指針を下すのか……」

 ごくり、と叢雲の喉が鳴る。

 ――と、ドヴェが不意に顔を動かした。

 こちらを向く。叢雲が隠れるテトラポットに向けて歩きだす。

「ドヴェさん? どうかしました?」

(っ!)

 心臓が縮みあがる。

 バレているはずがない。こちらは完全な闇のなかで身じろぎ一つしていないのだ。

 息を殺す。瞳がわずかな光を反射させてしまうのを防ぐためできうる限り瞼を閉じる。

 ドヴェはコツコツとヒールを鳴らしながら歩を進め、息を殺す叢雲に近付いてくる。

――どうする?

 相手は姫級、しかも耐久自慢の陸上型。例え魚雷を5発零距離で炸裂させようと損壊どころか混乱すらさせられない。そもそもこの近距離でそんなことをすれば死ぬのはこっちだ。

 戦力差は絶望的。

 どうしようもない。

 ヒールの音はとうとう叢雲の横1メートルまで接近し、祈るしかない叢雲の傍を――通り過ぎてくれた。崩れた足場の先へと降りていく。

(バレて……なかった)

 額の汗も拭えなかった。叢雲は暴れまわる心臓を落ち着かせるだけで精一杯。

 女の足音は、傾斜の向こうへ消えていった。

「あの……ドヴェさん?」

 チェティーリが遅れて追いかけてきて、崖の上で歩みを止めた。

 慎重に、慎重に、首を伸ばして叢雲も確認した。

 ドヴェは、波打ち際で足を止めていた。

 その先は、海。

 灯り1つない真の暗闇に向けて、ドヴェは、

「――クロンシュタット!」

 叫んだ。

 その視線を辿ってみる。そこは誰もいない海原で、

 いや、

 縦に伸びる影が1つあった。

(あれは、人?)

 いつからそこに居たのだろう。

 幽鬼のように白い顔。

 背の高い女が1人、闇にまぎれて立っていた。

「……誰ですか?」

 チェティーリが問いかける。

 答えたのはドヴェだった。

「私の部下さ」

 よく見ると、重巡棲姫だった。

 昼間に教室部屋で見た覚えがある。ドヴェと一緒に現れた女だ。

 あのときも今と同じように、一言も喋らず、電信柱のようにつっ立っていた。

――あんなところで何をしているんだろう?

 ドヴェは再び重巡棲姫に向き直り、

「クロン、話は聞こえていたか?」

 と声をかけた。

「да」

 喋った。

 初めて聞いた声は低く、ともすれば男のような力強さがあった。

 ドヴェは続けて声をかけるのだが、

「よろしい。ではまず君に生贄になってもらいたいのだが」

 何を言っているのか叢雲には理解できなかった。

「命令を」

 また喋った。

 日本語、喋れるのか……とだけ思った。

「自沈したまえ」

 重巡棲姫の艤装、巨大なワーム状の怪物がゆっくりと蠢く。先端にある主砲が自身の胸部、その中央に向けられた。

「ああ、損傷はできるだけ少なくな。竜骨に傷がつかないように、そう、その角度だ、斜めに炉心を撃ち抜くといい……よし、いいぞ。復活したらまずはトゥリー君を助けてあげなさい。その後は、分かってるな?」

「да」

「では、また来世」

 そして、

 重巡棲姫は本当に撃った。

 闇に、ぱっと明るい火花が瞬いて、金属をねじ曲げる不快な音が響いた。

 重巡棲姫は、ゆっくりと後方へ倒れていく。

 胸からはうっすらと煙が立ち昇っているのが見えた。重力に引かれて背中から着水し、暗黒の底へとあっけなく飲み込まれていった。

 轟沈した。

 なんの抵抗もなく、決意も見せず、息を吸うようにあっさりと。

 何が起きたのか理解できなかった。

 死んだ。

 自分でやった。

 何故って、命令されたから。

 それだけで、自分の命すら平気で捨てた――

「良い部下だろう?」

 ドヴェはどこか自慢げだった。

「深海棲艦には純度がある。濃い者ほど兵器の本質に近くなる。どんな命令にも逆らわない。逆らおうとも思わない。そういう意味ではクロンシュタットは理想的な部下さ。……だからチェティーリ君、きみは何もしなくていい。プランはもう決まっているんだ」

 どこか絵空事のように感じていたように思う。

 北の魔女が深海棲艦を生み出しているとか、轟沈した者の影響を受けるとか……そんな漫画みたいな設定を、本気で信じて行動に移すやつがどこにいる? と。

 しかし、このドヴェという女は本気だった。

 本気で、北の魔女に記憶を吸わせるためにひとを殺そうとしている。いや、既に己の部下すら殺してしまった。

 躊躇がない。

 逡巡がない。

 己の判断に毛ほども疑念を抱いてない。

 人間の魂の重さは21グラムというけれど、彼女は1ミリグラムほどの枷とも思っていないのは明らかだった。部下を捧げ、自分すら生贄になると宣言した女が、他人を、ましてや敵である艦娘の生死を気にするわけがない。

「あの程度の損傷なら1日と経たずに復活できるだろう。そして期待に応えてくれる。必ずね」

 離れなくてはならない。一刻も早くこの島から。そして我が身を狙う魔の手から。

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