ちょっと悪いひとたち ~さらば北方深海基地よ!~   作:シャブモルヒネ

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▼更新が開きすぎたのであらすじを書いておきます。
 話が複雑で申し訳ない。

大ホッケ海(オホーツク海。北海道の北の海)に『北の魔女』の一団が住んでいた。そこは羅針盤の効かない魔の海域。一度入れば出られない。
物語冒頭、そこに迷いこんでしまった浜波と叢雲。
2人を拾ったのは元大鷹である深海棲艦、護衛棲姫ことトゥリー(ロシア語で3番の意)だった。
大ホッケ海から脱出する方法は2つ。
1つ目は、北の魔女を完全復活させること。
 ただしこれは元照月の深海棲艦、防空棲姫が阻んでいる。
 (生前所属していた幌筵泊地を守るため)
2つ目は、天測航法で航行すること。

トゥリーたちはその2つ目の方法を知った。
その直後、艦娘たちの轟沈を目論んでいる北端上陸姫ことドヴェ(2番)が照月と対峙する。


3-13:抜錨

 北端上陸姫と防空棲姫の戦いはおよそ30分間続いた。

 

 前世は秋月型二番艦であると主張した少女――照月。秋月型といえば、常軌を逸した対空射撃訓練をこなすことで有名である。空間把握能力と対空射撃精度にかけて並ぶ者なしと評される彼女たちの神経は空中全域に張り巡らされている。首より上の空間にはハエの一匹すら生存を許さない。

 北端上陸姫の艦載機を封殺してのけた。

 防空棲姫を中心とした半径100メートルの結界、そこに侵入した機体は即座に鉄屑に成り果てる。

 自然、勝負は『横』の殴り合いになった。

 砲と機銃の浴びせ合い。

 防空棲姫は生粋の水雷屋。鍛え抜かれた日本の駆逐艦。

 並の深海棲艦なら相手にならないが……今回の相手は並ではなかった。

 北の覇者。

 かつて北極海において覇を争った相手を残らず沈めてきた女。その腕が鈍いはずがない。

 王者ピースメイカーには戦術眼があり、勝負勘を持ち、精密さを備え、鈍重な航行性能を補ってあまりある身のこなしを披露する。

 その練度は、精強な防空棲姫にもひけをとらない。 

 となれば、趨勢の行方は残酷なまでにシンプルな構図になってしまう。

 “性能差”。

 これに尽きた。

 防空棲姫は確かにスペックが高い。だがそれはあくまで艦娘と比べた場合の話だ。

 対して北端上陸姫は、元々陸上型であるため装甲は水上艦タイプよりさらに分厚く、主砲にいたっては強力な大口径。

 まさに子どもと大人の差がある。

 

 互いに隙を見せない削り合いが30分間も続けられた。

 防空棲姫が放った機銃の弾は、幾度も装甲に阻まれる。

 対する北端上陸姫はここぞという場面で砲弾を叩きこみ、着実に相手の肌に亀裂を入れていく。

 辿り着いた結末は、北端上陸姫の勝利だった。

 

 

 

 防空棲姫は身体中にヒビを刻まれて膝をつく。

 そこに、悠々と巨大な単装砲が突きつけられた。

 北端上陸姫は余裕の表情。

 嘲るようにカウントを始める。

 

「10、9、8……」

 

 お前などいつでも殺せるという宣言。

 対する防空棲姫は息を荒げながら肩を上下させるしかない。艦娘ならば立ち上がる事さえ叶わない損傷を負っていた。しかし、それでも防空棲姫の瞳には真っ赤な闘志が燃えている。

 

「6、5、4……」

 

 諦めていなかった。

 例え腕と足がもげようと首が残るなら食らいつけ――かつて日本艦として叩き込まれた艦娘としての矜持が牙を剥き続けている。

 

「3、2、1――」

 

 ゼロの発音、その直前。トリガーに指をかける音、引き絞る音、瞬間、

 防空棲姫が飛びあがる。

 頭に突きつけられた単装砲を掻い潜り、電撃的に腕を伸ばしながら敵の手首と頭を掴んで捻った。艦娘時代に培ってきた格闘技術――関節の可動範囲と防衛反射を知り尽くした捻りこみで相手の反意を捻じ伏せる。

 北端上陸姫の上体が不自然な角度で曲がり、稼動域ぎりぎりまで伸びきって固定されたその頭部、その位置に、彼女自身の巨大な大口径主砲が大口を開けていた。

 トリガーは引かれていた。

 砲口が、火を噴いた。

 炸裂音とともに、持ち主の首に全てを破壊する大口径主砲の砲弾が直撃、ピンク色の肉片とオイルが飛散する。

 

「――かっ」

 

 北端上陸姫の首の左半分が吹き飛んだ。

 破損箇所からは見るも無残な断面が顕わになり、頭がぐらりと安定を欠いた。

 

「……は」

 

 だが、それでも。

 にやり、と女は微笑んだ。

 北端上陸姫はまだ生きていた。

 当人の手が素早く伸びて、自身の頭頂部、その髪の毛を掴んだ。ぐぃぃと持ち上げ、頭を支え、自身を損壊せしめた駆逐艦の少女を正面から見据えた。

 目元を歪めた。

 震える唇を、動かした。

 

「君、の、勝ち、だ……。そし、て……わたし、の、勝ち、さ」

 

 満足気に。

 言葉通りに勝者の表情を浮かべた。

 何故ならば、こうして敗北することこそが彼女の望みだったから。

 

「は、は、は……」

 

 北端上陸姫から力が抜ける。

 海面にぱしゃりと倒れこみ、小柄な体躯があっけなく奥底へと消えていく。

 真っ赤な海――北の魔女の海へと吸い込まれてしまった。

 

 

 こうしてピースメイカーは轟沈した。

 その知識と経験は北の魔女へと還元されていく。

 思惑通りに。

 

 

 

 

 思わず唇を噛んだ。

 ……こうなるとは知っていた。他ならぬ彼女自身が負けると宣言していた勝負だ。

 しかし、この目で見るまではどうにも信じきれなかった。

 上司を成長させる――それだけのために命さえも捧げてしまう。元艦娘のトゥリーからすればありえない発想だ。

 

「……なんなんだよ、一体」

 

 最後の逆転劇は茶番もいいところ。

 ドヴェはあのまま普通にとどめを刺すだけでよかった。あと一発撃つだけだった。

 なのにわざわざ近付いて、これ見よがしにカウンティングした。

 照月に反撃させるためにあからさまに負けにきた。

 

 そこまでするか?

 そこまでするほど、本気なのか。

 

 ――この島々に住む者たちを轟沈させる。

 

 ドヴェは本気だ。

 それをようやく理解できた。

 彼女は、部下である重巡棲姫でさえ手にかけている。ならば艦娘相手にためらう理由は1つもない。

 

 ちらりと隣に目を向ければ、叢雲と浜波が神妙な面持ちで黙り込んでいる。

 この北方深海基地において、ただの艦娘の、しかも脆弱な駆逐艦である彼女たちはほとんど無力といっていい。

 

 ドヴェ――あの狡猾な狐女がどのような算段をたてているかは分からない。だが宣言したからには必ずやる。仕掛けは既に動き始めている。

 たった今、轟沈したという最大のアリバイを手にいれて、それでも自動的に目的が叶うような仕組みを動かしている。

 ピースメイカーはかつて世界を騙したペテン師だ。

 その企みをたいした教育も受けていない自分が先読みするのは難しい。まして阻止するなんて不可能だろう

 ……ならば、もはや対抗策は一つしかない。

 

「ねぇ、叢雲さ」

「あによ」

「もうここから逃げちゃったほうがいいんじゃね?」

 

 三十六計、逃げるにしかず。

 どんな策謀も手の届かない安全圏まで逃げのびてしまえばいい。

 それだけで彼女たちの安全は保証される。

 

「大ホッケ海から脱出する方法さ、照ちゃんから教えてもらったんでしょ? 星を観測しながら航路を修正していく――できるでしょ? だったらもう行っちゃいなよ」

 

 巨大バルジのてっぺんに座ったまま、ついと顎を下方へしゃくってみせる。

 眼下の浜辺。

 波打ち際に、1人の女が漂着していた。

 長身の、白い女。

 たった今、死んだばかりのドヴェと入れ替わるように、赤い海から重巡棲姫が復活していた。

 昨夜に自沈したはずのクロンシュタット。

 ドヴェの部下で、どんな命令にも従う冷血のターミネーター。

 その女は赤い海から這い上がり、鉄の浜辺に腕をつきたてた。がくがくと小鹿のように足を震わせえながら身を起こしつつある。

 膝に手をついて、ゆっくりと立ち上がる。

 静かに周りを見回している。

 何を探しているかは想像するまでもない。

 獲物だ。

 きっとドヴェに命令されていたのだろう。敵を殺せとか、そんな類の命令を。

 

「ぐずぐずしてると殺されちゃうよ。あたしみたいに深海棲艦になっちゃうんだから」

 

 あいつはおそらく刺客だろう。

 ドヴェは部下に手を汚させるつもりなのだ。

 そうして全てが終わった後に白々しく肩を竦めてみせる。「そんなつもりはなかった」等と嘯きながら。

 

「……あの重巡棲姫、どんぐらい強いんだろうね~。ま、少なくともピースメイカーと一緒に北極海を制覇できる程度の腕はあるよねぇ」

 

 間違いなくベテランだ。

 対抗するのは難しい。自分は確かに深海製――強力なスペックを持っているが、それでもしょせんは軽空母。そこに艦娘の駆逐艦を2人足したぐらいでどうにかなる相手ではない。仮に勝てたにせよ犠牲がでる。誰かは死ぬ。

 私ならいい。復活できるから。

 でも、叢雲や浜波だったら?

 

「ねえ、叢雲、浜ちゃん」

 

 この2人を冷たい海底の世界に連れ込むわけにはいかない。

 

「さっさと自分の泊地に帰んなよ」

 

 2人はしばらく無言だった。

 やがて叢雲だけが小さく頷いた。

 

 それでいい。

 深々と溜め息をついた。

 

 

 

 

 つまらない記憶が蘇る。

 これは自分――大鷹がまだ艦娘だったときの話。轟沈したときの話。

 

 いつの時代にも「自分は特別だ」と思いこんでる兵隊はいるもので、そんな馬鹿者は身の丈に合わない無茶をして戦列から間引かれるのが常である。

 艦娘だって例外じゃない。

 その日の大鷹の艦隊にも、そんな新入りが混ざっていた。

 そいつは何度も先輩たちに諌められていたにも関わらず、いざ本番となると勇気と蛮勇を取り違えてしまうような気性で、まあ言ってしまえば『早死にするタイプ』だった。

 その日も最前列へと飛び出した。

 一発、二発と砲弾が身をかすめた。

 三発目もどうにか避けられた。

 けれど四発目は無理だった。

 バランスを崩した。

 戦艦タ級の砲口が据えられた。

 外しようのないタイミング。

 新入りの引き攣った顔。タ級の照準の正確さ。

 悟った。

 新入りの死は避けられない。

 なのに1人の駆逐艦娘が飛び込んだ。

 叢雲だった。

 スローモーションの世界のなかで、私は他人事のように思った。

 

 あんたがかばったってしょうがないでしょ。

 死ぬ奴が変わるだけ。

 自業自得なんだから放っておけばいいのに。

 

 戦艦の大口径主砲の弾道に、吹雪型の華奢な身体が割り込んでいく。

 

 あーあ。

 馬鹿を助けるようとして、別の馬鹿が死んじゃうわ。

 

 引き伸ばされた時間のなかで、その別の馬鹿の顔を見た。

 叢雲。

 何度も突き合わした顔だからよく知っている。

 そいつは誰にでもいい顔をする八方美人で、こっちの気持ちも考えずに毎日構ってきた鬱陶しい駆逐艦で、いつも自信満々の人気者――

 

 あいつにとっちゃ、私なんてその他大勢の一人でしかないんだろう。

 私が気にかけてやる必要なんてない。

 私の人生の通り道でたまたまお節介を焼いてきた変わり者。私はそれに付き合ってやっただけ。

 だからこんな奴、別にどうなったって、構わない、はず、なのに……。

 

 どうしてだろう。

 足が、動いた。

 

 今でも分からない。

 動くべきではなかった。

 自分は空母で、このときは艦隊の旗艦を任されていた。随伴艦をかばうなんてとんでもない。

 それに、あと3ヶ月で艦娘を辞めるつもりだった。

 お金も貯まっていた。退役後の身の振り方も決めていた。

 ここで命を賭けてどうすんだ。

 

 手を伸ばしながら、頭の隅で嘆くしかなかった。

 

 これじゃ私も馬鹿みたいじゃん。

 まるで馬鹿のドミノ倒しだな――

 

 

 

 

 夜が訪れる。

 星が見えるようになる夜が――

 2人の艦娘が北方深海基地を去ろうとしている。

 

 

 私は3番島のゴミの山に陣取って、艦載機を飛ばして島内をうろついているクロンシュタットを監視している。同時に、背後の2人にも意識を向けていた。

 今まさに出発しようとしている叢雲と浜波に。

 

「……」

 

 特にかける言葉もない。

 手をひらりと振る。

 それだけで充分だ。

 さっさと行っちまえ。

 けれど、叢雲はこんなふうに言った。

 

「じゃあね」

 

 溜め息が漏れた。

 けれどしかたない。

 叢雲はこういう奴なのだ。

 どう返したもんかね。

 あばよ~、とでも言っておけば格好がつくかもしれない。けれど、元同僚の関係といえど、けして馴れ合うような立場ではない。

 

 私は、深海棲艦。

 叢雲と浜波は、艦娘。

 

 次に会うときは敵同士。

 だから、やっぱり何も伝えないと決めた。

 振り返らない。

 背中を向けたまま、もう一度だけ手を振った。

 さすがの叢雲も聞き分けのない子どもではない。それ以上、言い募るような真似はしなかった。

 彼女の靴音が遠ざかっていく。

 これでお別れ。

 本当にさようなら。

 祈った。

 願わくば二度と会うことがありませんように――

 

「友達、だよね?」

 

 浜波の声だった。

 腹の底がずんと重くなった気がした。

 泣きださないように相手をしてやらなければならない。

 

「……浜ちゃんはお子ちゃまだねぇ。そんなこと言っちゃったら、いつか海で鉢合っちゃったときに面倒くさくなるっしょ……なぁんてさぁ、わざわざ言わせないでよ? こういうときはね、なーんにも言わないで別れるの。それが大人の対応ってやつなの。覚えときな」

「叢雲さんも、そう思ってるんですか」

「あのね、浜波」

「――そうやって!」

 

 叢雲の諭すような声色に、浜波は強く反発した。

 

「傷つかないように、一歩退いて! そんなのが大人なんですか!?」

 

 どんよりとした空気を切り裂くように少女が叫ぶ。

 叢雲は無言。

 私も同じ。何も言い返せない。

 正論ならごまんと浮かんだ。けれど口に出すのも勇気が要る。そんな勇気は、そして覚悟は、叢雲も私も持ち合わせていなかった。

 

「どうしてたった一言、『またね』って言えないんですか? だったらこの2日間は、なんだったんですか? いっしょにバルジに登ったのも、夜にお話したのも、変なごはん、食べたのも……ぜんぶ、ぜんぶ、どうでもいい、他人としたことなんですか?」

 私は背中を向けている。浜波の顔は見えない。

 けれど声の震えが、絞り出すような呼吸音が、彼女の真剣さを知らせてくる。

 浜波はしゃくりあげるように息を吸う。 

 

「私は、撃ちま、せん」

「……浜ちゃん、それは、」

「撃ちません。私は、友達は撃ちません」

 

 撃てない、ではなく。

 撃たない、と浜波は言った。

 覚悟があった。

 鉄火場において、自分の命がかかった場面において、それでも深海棲艦である私を撃たないと宣言した。

 そんな覚悟は無価値だとどうしても言い返せなかった。

 

「私たち、友達でしょ……?」

 

 さぁ、どうかな――言葉は頭に浮かぶだけ。

 否定はできず、肯定もできない。

 私はただただ硬直しているだけで――

 

 

 そんな別れ方だった。

 結局、気の利いたことは何も言えないまま、2人の艦娘は北方深海基地を去っていった。

 

 

 

 

 朝方、自分の棲み処である教室もどきで寝そべってぼんやり天井を眺めていると、来客があった。

 無表情、無感情。ロボットがごとき白い女。

 重巡棲姫クロンシュタットが入り口に立っていた。

 

「……うわ、びっくりした。なんスか、突然」

「助けに来た」

「は?」

 

 女は無言。直立したままこちらを見下ろしている。

 わけがわからない。

 

「……艦娘の二人ならもう居ないっすよ。この島から脱出したんで」

「助けに来た」

「あの、話聞いてる?」

「聞いている。私はお前を助けに来た。そうしろと命令されている」

「はぁ、えっとー……ん~、ごめん、よくわかんないんスけど」

 

 身を起こして、あぐらをかく。そちらもどうぞと促すと重巡棲姫は素直に応じた。椅子に腰を下ろした。こちらは布団の上なので少し見上げる形で向かい合う。

 

「ナプラーヴァ様から何か聞いていないか?」

「ナプ……誰?」

「ナプラーヴァ。今はドヴェと名乗っている」

「ああ、あの人のことね。で、なんスか? 私を助けるって?」

「そう命令されている」

「あの人に? 助けるって、何を?」

「知らない」

 

 再び、沈黙。

 重巡棲姫はぴくりとも動かずに何かを納得したらしく、一度だけ瞬きした。

 

「そうか。よくあることだ」

「はあ……?」

 

 変な奴。コミュ障か。

 自分を棚にあげつつ、目の前の置物女に用件を問いただす。どうやら艦娘を狙いにきたわけではないらしい。本当に「行け」と言われたから来たとのこと。

 

「私はドヴェ様に、『復活したらまずはトゥリー君を助けてあげなさい』と命令された」

「そんだけ? ほんとにそれだけなんスか?」

「ああ」

 

 助けてくれる、って言われても。

 首を傾げ、やたら姿勢よく椅子に座る長身の女を眺めた。

 重巡棲姫、クロンシュタット。

 こいつはドヴェの部下。

 対してこっちは、北の魔女直属の部下。

 一応立場はこっちが上のはず。でも相手は長身でスタイルもよくて堂々としているものだから目上のように思えてつい敬語を使ってしまう。

 軍隊気質がぬけないなぁと頬をかきつつ、とにかく話を探ってみることにした。

 

「よくあること、ってどういうことスか?」

「ドヴェ様は全てを説明しない。命令だけを言う」

「ふうん……。で、その命令が『あたしの力になれ』なんだ?」

「ああ」

「漠然としすぎ……。それじゃあたしの言う事ならなんでも聞くってこと?」

「ああ」

「何でもって、何でも?」

「そうだ」

「へえー……」

 

 なんだなんだ?

 いきなり部下をレンタルされたぞ?

 え、どういうこと? なんで?

 だってドヴェの狙いは艦娘を沈めることじゃなかったのか?

 

「あ、そうだ。じゃあさ――」

 

 なんでも言うことを聞くっていうのなら。

 正直にドヴェの狙いを話してもらおうと思った。あの人がどういう方法で叢雲と浜ちゃんを沈めようとしていたのか?

 だがクロンシュタットは何も知らないと答えた。

 

「相談してないってことかぁ。そりゃそうだよねー、あの人、全部自分の頭んなかだけで完結してそーだもん」

「他に何か知りたいことはあるか?」

「ん~、思いつかない……。そっちは? クロンシュタットさんはなんか思いつかない?」

「なんか、とは?」

「あの人の企みそうなこと。どういう人かよく知ってるんでしょ?」

「私は考えない。従うだけだ」

「ええ~……」

「深海棲艦とはそういうものだ……と、ドヴェ様は言っていた。特にロシア製の深海棲艦は自主性に乏しい、と」

「そっすか」

 

 まさに兵隊。とはいえ、言動は完全な一問一答でもない。ロボットといえるほど思考停止しているわけでもないようだ。

 ほんの少しだけ肩の力がぬけた。

 この人は本当に戦いにきたわけではないらしい。

 となれば特に気張ることもない。そうでなくとも艦娘の二人が帰ってしまって暇なのだ。話し相手にでもなってもらおう。

 ひとまず現状を整理しつつ説明してみる。

 艦娘の二人が漂着してから今日まであったことを並べた。

 クロンシュタットの受け答えはハキハキとしていて、浜波とは真逆。さらに叢雲とも違って、こちらの領域に踏み込もうとする強引さもない。心地よい距離感だった。執事や秘書って感じがした。知らないけど。ただ、そこに物足りなさを感じしまうのは、彼女たちが去ってしまったのを淋しいと思っている証拠なのだろうか、なんて思ったりして。

 ――と、最後の最後、叢雲たちが島を脱出した場面になって、ようやくクロンシュタットは口を挟んできた。

 

「それは不可能だ」

「……へ? 何が?」

「今、星を読んで航行すると言っただろう。それは不可能だと言ったんだ」

 

 唐突だった。

 すぐには意味が理解できない。

 

「不可能?」

「星は見えない。大ホッケ海に侵入する者がいれば霧がでる」

「……霧、って?」

「昔、ドヴェ様が魔女に警告した。『星が見えていたら観測して航行できてしまう。だから空への対策も立てたほうがよい』と。……あれは確か、私たちがここに来てすぐのことだったから……一年前のことか」

「え? え? なに? 霧がでるから、星は見えない?」

「そうだ」

 

 航行できない……?

 いや、だって、そんなのおかしい。

 だって照月は航行できるって言っていた。星を読めば脱出できるって……。

 あれは、嘘だった?

 いや……いやいや、嘘なわけがない。

 だって照月は実際にその方法でここから脱出したことがあるんだから。

 

「その照月とやらが脱出したのは二年前のことだろう? そのときはまだ星は見えていた」

「二年前?」

「そうだ。二年前は星が見えていた。だから照月とやらは脱出できた。それから一年経って、私たちがここに来て、北の魔女は星読みへの対策として霧をだすようにした。だから今は星読みができない。脱出できない」

「……」

 

 脱出できない。

 

 どくん、と心臓が跳ねる。

 立ち上がって外へと飛びだした。

 そんなバカな……嘘でしょ!?

 

 できそこないの大地を駆け抜ける。ガラクタと化した軍艦の縁に手をかけて身を乗り出して、転びそうになりながら仄かに赤く発光する波打ち際に辿り着く。

 

 見た。

 島をぐるりと取り囲む遠大なる大ホッケ海――その海面上に、空まで覆うほどの白い霧が充満している光景を。

 

「うそ……」

 

 海から上に白い霧がかかっている。

 数メートル先も見通せない。

 星なんてまったく見えない。

 これでは方角を測定できない。

 脱出できない。

 つまり、

 

「大ホッケ海を、延々と彷徨うしかない……」

 

 飢え死にするまで。

 クロンシュタットの声が背後から虚しく響いた。

 

「これがドヴェ様のプランだったようだな」

「プラン……?」

「ああ。あの方は何もしていない。艦娘たちが勝手に危機感を募らせて、照月とやらから古い情報を聞きだして、自ら脱出不可能の海域に飛びこんだ。自滅だ」

「自滅……? じゃあ、叢雲と浜ちゃんはどうなるの……?」

「運があれば脱出できる。脱出できなければ、死ぬ」

「運って、どれぐらいの確率……?」

 

 そんなのは聞くまでもなく知っていた。

 大ホッケ海を取り囲む魔の海域――足を踏み入れて生還できた者はいない。

 かつて自分は浜波に『1000キロ走ったら戻ってこれた』と伝えたが、あれは実は嘘だった。あの二人が万が一にもギャンブルしないようにと警告のつもりで言ってみただけ。本当はチャレンジなんてしていない。

 

「……」

 

 大ホッケサークルに飛びこんでしまった叢雲と浜波。

 飲まず食わずでどれだけもつだろう?

 人間なら二日はもつと聞いたことがあるけれど……それはあくまで“動かずに体力を温存したら”の話だ。波が蠢く海上を航行しながらだったら、おそらく一日未満で力尽きる。

 

「トゥリー。私は助けてやれと命令された。艦娘たちを探しに行けと言うのなら行ってやろう。どうする?」

「それじゃあんたも死ぬじゃん……。ていうかそもそも、見つけたところで戻ってこれないでしょ」

「そうだな。では他にすることはあるか?」

「……」

 

 口元を手で覆う。

 危機感に心臓が跳ねまわり口から飛び出てしまいそうだった。

 

 叢雲と浜ちゃんは、大ホッケ海にでてしまった。

 空には霧がかかっていて自力で脱出することは不可能。

 かといってこちらから助けに行くことも不可能。

 私にできることは……、

 できることは……、

 

「何もないなら、私は二番島で待機する。何かあったら言いに来い」

 

 クロンシュタットが去っていく足音をどこか遠くの出来事のように聞いていた。

 胃がせり上がり、嵐のような混乱に満たされている。

 

 叢雲が死ぬ。

 浜ちゃんが死ぬ。

 私が何も気づかなかったばっかりに。

 

「――っは、ア」

 

 喘ぐ。

 唇を噛みしめて、胸の裡を占める後悔に浸りながら、叢雲たちを生存させる方法を探した。

 実は、一つだけ思いついている。

 けれどあまりにも実現性に乏しいやり方だったから、他の方法を見つけるために頭を悩ませるしかなかった。

 考えて、考えた。けれど結局そんなものは存在しないと思い知るだけだった。

 

 叢雲と浜波を救う方法――それは、この霧を取り払うこと。

 大ホッケ海にかけられた羅針盤の呪いを解除してしまうこと。

 つまり――北の魔女を完全復活させて、呪いを解いてもらう。

 

 そのためには防空棲姫を撃破しなければならない。

 

「……」

 

 はっきりいって無謀だと分かっていた。

 だからもう一度だけ考えた。

 他の方法はないか?

 照月と戦わずに北の魔女を復活させる方法。

 もしくはそれ以外に叢雲たちを救う方法。

 ……どちらも見つからなかった。

 叢雲と浜波を助けるためにはどうしても照月を倒さなければならない。それはもう決定事項だ。

 照月は、深海棲艦。轟沈しても復活する。それに彼女は自らの意志で北の魔女一派と敵対する立場をとっている。倒すことにためらいはない。

 だから悩むべきは『どうやって倒すか』という戦術論。

 

「いや、無理でしょ……」

 

 自分は、軽空母。

 照月は、防空駆逐艦。

 相性でいえばパーとチョキ。しかもタイマン。勝ち目はゼロ。これはもう絶対に揺るがない。

 空母として血を吐くような訓練をしてきた自分がいうのだから間違いない。私では、絶対に、絶対に彼女に勝てない。

 

「しょーがなくない? これはもう……」

 

 どうしようもない。

 そこに関しては私は何も悪くない。

 

「それに、あたし言ったし。ちゃんと叢雲には言っておいたし……」

 

 会ったその日に伝えたはずだ。

 二度も命を救うと思うなよ、と。

 あいつはそれでも出て行った。だからこれはもう自己責任というやつだ。あいつだって覚悟していたはずだし、それにそもそもこちらは深海棲艦で、あちらは艦娘なのだ。そこまで手を尽くしてやる義理はない。

 

「……」

 

 義理はない……。

 ないんだけど……。

 

 思いだす。

 自分が艦娘になったのは、お金を貯めるためだ。

 お金を貯めて、学校に行きたかった。

 普通に勉強して、普通に遊んで、普通に恋をする。そんな誰でも経験するような普通を体験してみたかった。

 周回遅れでもいい。

 普通の一端に触れてみたい。

 だから艦娘という名の兵隊になり、金を貯めて、堂々と青春をやってやるって思った。

 けど、全て無駄になった。

 あと三ヶ月で退役だってところだったのに、お節介の馬鹿をかばったせいで台無しになった。

 

 なんであんなことをしたんだろう?

 艦娘なんて所詮は金稼ぎのための手段であって、本当にやりたかったことでもないのに。誰かを助けたかったわけじゃない。立派なことをしたかったわけじゃない。ただ金のため。本当にそれだけだったのだ。

 あくまで仮のお仕事。そんな一時期の金稼ぎの手段に本気になって、命まで捧げる使命感なんて一ミリも無かったはずだった。

 けれど。

 

 もしもあの時、叢雲を見捨てていたら、あたしはもう二度と普通の世界に居られないと思った。

 だからかばった。

 

 思いだす。

 艦娘として働いた2年と9ヶ月――

 本当にすべてが金稼ぎのためだった?

 何もかもが“仮”だった?

 大湊警備府は思い入れの1つもないただの職場だった?

 同僚の艦娘たちは仕事だけの付き合いで全員どうでもいい連中だった?

 一航戦の二人は厳しいだけだった?

 叢雲はお節介で鬱陶しいだけだった?

 

 ……違う!

 

 2年と9ヶ月も生きてきたなら、それはもう本物だ。

 人生に“仮の時間”なんてない。

 すべてが本物の、他の誰でもない自分だけの人生なのだ。

 

 

 心に従え、と前世の自分が言っていた。

 覚悟を決めた。

 

 

 自分の棲み処である偽教室に駆け戻る。

 教卓の裏に隠していたマフラーをとりだした。

 

「……」

 

 じっと見つめる。

 もう二度と触れることもないと思っていた。

 

 これは一航戦の二人から贈られたマフラーで、

 艦娘時代に身につけていたマフラーだ。

 轟沈したときに海水に浸かってしまったせいで今ではごわごわと固くなってしまっていたけど、その程度で洗い流されることのない強い想いがつまっていた。

 だからこそ、今まで触る勇気がでなかった。

 再びこの首に巻くなんてありえないと思っていた。

 だが、今は。

 今だけは。

 

「赤城さん、加賀さん……。あたしは深海棲艦になってしまいました。これを身につける資格はないと重々承知しています。けれど、すいません。許してくれなくても構いません」

 

 震える指を握りしめ、マフラーをくるりと首に巻く。

 

「力を貸してください」

 

 思いだす。

 艦娘だったときの記憶を。

 あの時の意識を。気概を。高揚を。

 五感が研ぎ澄まされていく。

 細胞が若返っていくようだった。

 

 

 

 

 ここ一番の大勝負というものがある。

 勝てば望むものを手に入れて、負ければ失ってしまう。そんな取り返しがつかない一戦が、今まさに始まろうとしていた。

 

「今この瞬間にも世界中で争いが起きている……」

 

 北の魔女――その端末であるノーリはのんびりと他人事のように呟いて、目線は遠く、決戦場となるリングを見渡した。

 そこは四つの島に囲まれた赤い海。ヒトの姿は影一つもない。住むのは人外の化け物――深海棲艦だけという死の領域。

 

「なかでも私が最も惹かれるのはやはりアイアンボトムサウンドだ。あそこは素晴らしい。因縁と憎悪の坩堝になっている」

 

 横倒しになった軍艦の横腹、波打ち際にノーリは立っていた。

 足首から下を赤い海に浸からせて、決意を結び現れた私に背中を向けたまま、言葉を紡いでいる。

 

「見ろ――といってもお前らには見れないか。たった今、遥か南方のガダルカナル島で小さな戦争が始まろうとしている。戦艦レ級と南方棲戦姫――その魂のぶつかり合いと煌めきをこの眼球で直接見たかった。残念だ、非常に残念だ……」

 

 幼女はくるりと振り返る。

 こちらを見た。

 北方棲姫によく似た幼い姿――しかし、顔つきが違った。

 無邪気さの欠片もない計算された表情が貼りついている。老獪な狐が化けているような、無慈悲なアンドロイドが成りすましているような、そんな異形の中身の気配が漂っている。

 北の魔女。ノーリ。深海X。

 轟沈者たちの記憶を吸って進化する化け物。

 彼女は告げる。何百年も生きた吸血鬼のような威厳をまとわせて。

 

「トゥリー。お前が来るとはドヴェは確信していなかった。来ないかもしれないと思っていた。だから奴はこう言ったのだ――『どちらを選ばれてもリターンを得られるようにする』と。つまり、奴の思惑は、」

「興味ありません」

 

 遮った。本当に興味がなかった。

 今の私が気になっている事柄は1つだけ。

 

「教えてください。今、大ホッケ海にたちこめているこの霧は――今のあなたでは晴らせないのですか? 本体に戻らなければできない?」

「おま、え……?」

 

 ノーリは呆然と、見た目通りの年齢らしい素直な驚きを浮かべた。

 

「なんだ、その魂の色合いは……? いくつもの光が重なって、輝いて……」

「できるんですか? できないんですか?」

「……できない。この霧は自動的に発生するようになっている。その仕組みを変えるには本体に残してきた力が必要だ」

「そうですか」

 

 ならば。戦うしかない。

 一歩足を踏み出して、ひいては返す波に乗る。艤装を稼働させながら四つの島に囲まれた赤い海を睨みつける。

 一歩、さらに一歩。

 直立したままのノーリの傍を通りすぎるとき、誰何の声がかけられた。

 

「お前、本当にトゥリーか?」

「違います」

 

 一陣の風が吹き抜ける。

 前髪がさらわれて額の角があらわになった。

 肌は白い。髪も脱色したように真っ白で、爪は黒く、身体の中身もいくらか機械になっている。私のすべてが生物としてはあまりに不自然。

 でも。

 首にマフラーがたなびいていた。

 胸を張って、答えた。

 

「私は大鷹。航空母艦大鷹。――出撃いたします」

 




前の話から1年半。お待たせしました……もう忘れられてる気がしますが。
書き方だいぶ変わりました。

次回、ラストです。近いうちにだせるよう頑張ります。

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