ちょっと悪いひとたち ~さらば北方深海基地よ!~   作:シャブモルヒネ

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3-2:いっぱい出てきた北方四天王さんたち

 叢雲の瞳に自分の顔が映っている。

 恐らく彼女は今、照合中。トゥリーの顔と、己の記憶に在る大鷹とを照らし合わせているのだろう。

 結果は“一致”するに決まってる。

 ならば彼女は次にどうでるか?

 かつて己を庇って沈んだ同僚があろうことか深海棲艦になってしまった……そう理解すれば、恐らく嘆き、あるいは跪いて許しを請うかもしれない。

(ちょー面倒くさぁ……)

 元大鷹、トゥリーは正直、そう思う。

 人間関係における煩わしいやり取りが嫌いだった。

 貸しがあるとか、借りがあるとか。配慮とか気遣いとか、見せかけの敬意とか、形骸化した誠意の証明とか。

 そういう面倒くさい手続きに時間をとられたくなくて前世では人と距離を置いていた。大湊警備府の同僚は全員他人、人間関係はあくまでビジネス上のものだと割り切って、上司・先輩・同期・後輩、その全てを堅苦しい敬語でシャットアウトしてきた。

 なのに今更、卒業したはずの過去を掘り返されても困る。そこに親密な間柄なんて一つも無いと教えてやりたい。

 今の叢雲が見ているのはトゥリーの過去ではない。悲劇の再会を果たした自分自身なのだ。彼女は鏡を覗き込んでナルシシズムに浸っているにすぎない。そんな一人芝居にあたしを付き合わせないでくれと叫びたかった。

「はっ、なーにマジ顔してんだか」

 わざとおどけて、シリアスな空気をぶち壊そうとしてみた。けれど。

 叢雲は止まろうとしなかった。震える手をトゥリーの顔へゆっくりと伸ばしてくる。

(そういやこういう奴だったぁ……)

 人の話なんて聞きやしない。周りを巻き込みながらぐいぐいと突き進んでいく女だった。その素質はチームのまとめ役としては素晴らしいかもしれないが、今この時だけは引っ込めてほしいと切に思う。

(まいったなぁ)

 まさか泣き出したりしないだろうな。

 面倒事だけはごめんだ。最悪の事態を避けるためには多少は宥めてやる必要があるのかもしれない。つまり、これから叢雲の謝罪を受け入れて、肩を抱いて宥めすかし、薄ら寒いお芝居に付き合うのだ。例えばそう、こんなふうに。

 

――気にしないで。

――いいえ、でも……。

――あたしの分までしっかり生きてくれればいいの。

――うん分かった、ありがとう。

 

(うへえ、勘弁してよ~)

 想像するだけで億劫でしかない。

 そんなの面倒くさいんじゃあ! と突き放せたらどんなに楽か。むしろやってやろうかと本気で悩んだが、突き放してしまえば涙目で延々と追いかけてくるかもしれない。それほどまでに叢雲との別れは劇的だった。なにせ一つしかない命を使って助けたのだから。庇われた彼女はその献身を無碍にできないのだろう。

(それほど大した決意があったわけじゃないんだけど……)

 本当に。

 ただ、身体が咄嗟に動いてしまっただけだ。

 変に神聖視しないでほしい。

 そんなふうに悩んでいたら……そぅら来た。叢雲の手がトゥリーの顔に触れ、その実在を確かめるように頬を擦っている。こりゃ完全に自分に酔ってるな、と辟易したが、するがままにさせるしかない。叢雲の手はゆっくりと額に移動して一本ツノへと至った。深海棲艦特有の部位に触れている。ああそうだよ、本物だよ。華奢な指が、ツノの根元をぎゅっと掴んだせいで声がでた。「んっ?」そのままぐいぃと強く引っ張られ「んああっ?」前後にがくがくと揺さぶられる。

「いでででで!?」

 慌てて叢雲の手を振り払う。

「な、なにをするんじゃあ!」

 思わず変な口調になった。

 が、叢雲は涼しい顔だ。

「取れない……。本物みたいね」

「は、はァ!? 第一声がそれ!? 人の頭を揺すっておいて……なにそれ!?」

「あんた、深海棲艦になったのね」

「な、なったけど! 他に言うことあんでしょ!」

「あによ、驚けばいいわけ? ……わぁ、大鷹さん深海棲艦になったの!? コワイ!」

 あっさりと、それだけ。

 思わず目が点になってしまう。

「……はァ? はァァ!? ば、馬鹿にしてんの!?」

「ぷっ。顔、真っ赤よ。元が白いからよく目立つわねぇ」

「なんなのアンタ! もう……なんなのよっ!」

 忘れていた。

 そういやこういう奴だった。

 弱みを見せない。凹んだりしない。もしも彼女が涙を見せたならそれは男を篭絡するための秘策だろう。そのぐらい隙が無い女だった。

「……でも、あんたのおかげで助かったわ。ありがとう。礼は言っておくわ」

「ぐ、ぐぬぬ」

 おまけに鮮やかに切り上げられてしまった。

 なんだかものすごく納得いかない。

 そりゃあトゥリーとしてもメソメソした展開を避けられたのはありがたい。けれど……もうちょっとこう、なんというか、せめてこの生意気な女をやり込めたかったというか。前世の死因をネタに使っても優位に立てないとなればもの凄く負けた気分になってしまうではないか。

「……はぁ。もういいわ。アンタってそういう奴よね。うん、そういう奴」

「あによそれ。褒めても何も出ないわよ」

 叢雲は「よいしょ」と身を起こし、大きく伸びをしながら周囲を見渡した。

 そこは本土の穏やかな海とはまるで違う。ヒトの住む領域とはかけ離れた世界。

 生き物の気配はまるで無く。

 軍艦が横倒しになって半分沈んでいて。

 海は水平線まで真っ赤に染まっている。

 それらを瞳に映しながら、叢雲はのんびりと宣った。

「地獄みたいな景色ねぇ」

「……アンタ、心臓に毛が生えてんじゃない?」

 浜波のときとは大違いだ。彼女が目覚めたときは小一時間はパニックになっていた。

 その浜波は、叢雲につられて立ち上がり、「ぁ、あの、そのぉ」とどう声をかけようかと迷っている。

 叢雲はついと顔を向け、

「あなた……夕雲型の浜波、で合ってるわね?」

「は、はい。皆と、はぐれちゃって……」

「知ってるわ。あなたを捜索していたの」

 そういうことか、とトゥリーは納得した。

 叢雲が大ホッケ海に来た理由。

「ミイラ取りがミイラになったってワケね。叢雲サンも案外お茶目なところがあるんですねぇ」

「やらかしたのは否定しないわ。けど、」

 トゥリーへ向き直り、

「思わぬ収穫もあったようね。――あんた。私のことも覚えてるし、中身はちゃんと大鷹なのね?」

 じろじろと頭のてっぺんから足の先まで観察してくる。

 トゥリーは思わず身体を隠してしまいそうになるが、なんとか胸を張ってみせた。

「そ、そーよ。なんか文句ある?」

 叢雲は腕を組み、ふむと頷いた。

「けど、ちょっと変わったわね。前はそんなにイキってなかったし」

「は、はぁ? 今も別にイキっていませんけどぉ?」

「艦娘時代はもっと内向的だったじゃない」

「ぐ……。前は、猫を被ってただけだから」

「ふぅん? それが深海棲艦になったら心機一転、大学デビューならぬ深海デビューをしたってわけ?」

「……あのさ、人を上京したてで調子に乗ってる田舎娘みたいに言うのやめてくれる?」

「まさにその通りじゃない」

「なんですって? 芋臭い吹雪型が偉そうに……」

「は? あんたの顔には負けるわよ」

「なんだァ、てめぇ……」

「ちょっ、ちょっと、喧嘩は、だめ……」

 浜波、慌てて間に割り込んだ。

 さすがのトゥリーもこの繊細な少女を悲しませるのは躊躇った。

「と、とにかく! あたしはもう大鷹じゃなくて護衛棲姫なの! 大湊のときみたいに馴れ馴れしくしないでほしいわね!」

 大見得を切ってみせたが、叢雲はどこ吹く風だ。

「あーら、生まれ変わったぐらいで縁が切れると思ってんの?」

「切れますぅ~。アンタとは大して仲良くもなかったしぃ」

「私はそうかもしれないけど、大湊の皆は違うでしょ」

「いーえ。私は誰とも深く関わっていないのでー」

「そんなわけないじゃない。組織に属するってのは持ちつ持たれつなのよ」

「だとしても、今はスッパリ切れてるの。だってもう深海棲艦なんだから。貴社とはなんの関わりもありませーん」

「何言ってんの、あんた。いじけてんの?」

「は?」

「深海棲艦になったぐらいで自棄になってんじゃないわよ」

 叢雲は少し勘違いしたらしい。

「縁が切れたっていうなら繋ぎ直してあげるわ。大湊の皆にあんたが敵じゃないって説明したげる。そうねぇ……言うなれば正義の怪人かしら。仮面ライダーみたいでカッコいいじゃない?」

 トゥリーとしてはそれこそ勘弁してほしい話だった。

「冗談! そんな展開、サイアクよ! 好奇と不信の目に晒されて実験動物みたいに不自由に生きろっての? 絶対に嫌!」

「じゃあ何よ、あんた、これから人類の敵として生きていくつもりなの?」

「そーねぇ。そっちの方がマシよ」

「……本当にそれでいいわけ? 大湊の皆なら話せば分かってくれるはずよ」

「ああ、そういうの、いいから。仲間とか、絆とか、ハナッから求めていませんし」

「はぁ?」

「あたしはね、元々三年で艦娘を辞めるつもりだったの。お金稼いで、スッパリ辞めて、その後は……」

「……」

「とにかく! あたしに未練があるとするならね、それは人間関係じゃなくて銀行口座に丸々残してきた五百万円ぐらいなもんよ! ああ、思い出したら苛々してきた! 二年と九ヶ月もかけて貯めたのに全部パーになったのよ、信じられる!?」

「……ふぅーん」

 叢雲は。

 怒りもしなければ、軽蔑もしなかった。ただ淡々と元大鷹の急所を突いただけ。

「それ、一航戦の二人の前でも言えるワケ?」

「うぐっ……!」

 思わずたじろいだ。

 その名前だけは出してほしくなかった。

 一航戦。

 日本の空母娘たちの頂点にデデンと座るお局様二人。赤城。そして加賀。

 その二人は大鷹の師匠でもあった。

 思い出すだけで背筋が凍る。とにかくもんのすごくシゴかれた。まず要求ラインが理論値上等。教育方針は今どきありえない『見て盗め』。説明も駄目だしも全然してくれなくて、失敗したら酷い目にあうだけの実戦方式。

 おかげで生傷が絶えた日は無く、毎晩気絶するように眠るしかなかった。

 駆逐艦娘たちは神通をえらく恐れているけれど、一航戦の二人に比べたら慈悲深い聖女に違いない。

 ……そんな一航戦ではあったけど、大鷹にとっては単に恐ろしいだけの存在でもなくて。

 恩義も、確かにあったのだ。

 もしも才能の無さを理由に見捨てられていたら半年と待たずに轟沈していたに違いない。何故なら、空母は艦隊の要。敵からすれば急所そのものであり、未熟な腕なら集中攻撃されて海の藻屑と化してしまうのだから。

 故にトゥリーは、深海棲艦と化してなお、一航戦の二人には足を向けて寝られないのだった。

「い、一航戦の話はするなー!」

「だめ。帰ったら包み隠さず誇張して伝えるわ」

「こ、誇張まですんの!? 止めてよぉ!」

 

 

 大鷹が大湊警備府に勤めた期間は、およそ二年と九ヶ月間。

 自分でいうのもなんだがとってもとっても頑張ったと思う。

 精進の日々だった。

 着任してから轟沈するまでのその期間、一日たりとも気を緩めなかった。一航戦の理不尽なシゴキにめげず、休暇も自己研鑽に費やして。辛いと思ったのは一度どころか万度はあるし、汗も涙もリットル単位で流してきた。

 しかし、楽をしたいと思ったことは一度もない。

 同期の艦娘たちは、いち早く実戦に出て活躍する自分を遠巻きに眺めて「何が大鷹をそこまで駆り立てるんだろう?」と不思議がっていたが、理解できないのはこちらの方だ。

 だって負けたら死んじゃうんだから。

 生き残るために腕を磨くのは当たり前じゃないか。

 その辺の危機感を持たない者が『志願組』には多すぎる、と大鷹は思っている。

 ……志願組とは。

 その字面の通り、自分から志願して艦娘になった者を指している。

 御国のために、正義のために、身内の敵討ちのために。

 そんなフワフワしたお題目を掲げて戦場に身を投じる娘たち。

 大鷹は、誰にも打ち明けてはいないけど、そんな連中をアホだと思っている。戦わなくても生き続けられるご身分でありながら艦娘になるなんて頭がお花畑でなくてなんだろう? ああいう手合いは恐らく、ナントカ保護団体とか、ホニャララ権利団体とかと同じ性質なんだと思う。要するに、そのお題目を本気でどうこうしようとしているわけではなく、ただ自分の人生に『立派なことをした』という一文を飾りたいだけの、言ってしまえば金持ちの道楽趣味だ。人生に余裕のある奴がトチ狂って道を踏み外している。

 だからアホとしかいいようがない。

 対して、自分はどうなのかというと、これがどこに出しても恥ずかしい『身売り組』だった。

 金が無い、職が無い、行き場が無い。もうどうしようもなくなって艦娘という名の兵隊に身売りするしかなかったどん詰まりの小娘だ。他に道があったとすれば“花”を売ることぐらいだが、生憎自分はそれほど器量良しではなかったし年齢もまだ若すぎた。となれば売りつけられる先は特殊性癖のアレ長オジサンになるのは目に見えていて、だったら艦娘になって生存ギャンブルした方がマシだろうと大湊警備府の門を叩いたわけだ。

 そんな経歴であるからして大鷹は、シャキッとしきれない志願組をどこか見下していたし、かといって身売り組の中にも境遇にふてくされて腐っている連中が大勢いるのも分かっていて、それに比べたら自分は順風満帆、進路は直進――早い話が成功の花道を歩んでいると天狗になっていたのである。

 まぁ、天狗になっても仕方ないのかもしれない。

 一航戦の二人からお墨付きを頂いた。

 実戦で何度もMVPを受け取った。

 それも空母としては異例の一年間で。

 

 そんな調子だったから、着任して一年が過ぎた頃、大湊警備府の最古参であるところの叢雲様に呼び出されて駆逐艦寮に連れ込まれ、わいわいきゃっきゃとボードゲームに参加させられたときは何が起こっているのか全く理解できなかった。

 それまで駆逐艦娘たちとは全く関わりがなかった。

 何をどう間違っても友達なんかではなくドストレートの初対面。叢雲の顔だけはかろうじて知っていたが話したことは勿論ない。

 その叢雲は、

「これからは艦種の違う娘たちとも交流を深めていきたいと思ってるの」

 とか言っていたがそんなの嘘に決まっていた。

 だってその一人目ともなればもっと手堅い人選でいくのが当たり前。なのに、こんな遊びの“あ”の字も知らないような仕事人間を選んでしまえばどうなるか予想できない秘書艦様ではあるまい。もしも気まずい空気で終わってしまったせいで駆逐艦娘たちから、

――これって意味あんの?

――もう止めにしない?

 とプロジェクトの中止を求める声が上がったらどうする? 仮に空母を選びたかったとしても自分だけは“無い”。朗らかな瑞鶴さんあたりを選ぶべきだ。

 ……自分の結論がちょっと悲しくなってきた。

 が、悲しいとか楽しいとか、そんなのはどうでもいいのである。

(……楽しい、か)

 ちらり、と横目で叢雲を伺った。

 主催のくせに前に出ず、柔らかな笑みを零しながら周りを盛り立てるように適度に声を上げている。

 間違いなくコイツがキーマンだ。

 最古参。秘書艦。誰からも頼られる上に応えられ、必要があれば頼られなくてもグイグイ引っ張って前を向かせてくれる女。『志願組』であったが一目置いていた。けしてお花畑ではない。

 そんな女が、初対面の軽空母を駆逐艦寮に引っ張り込んだ。

 遊び目的のはずがないだろう。

 だったら、何らかの問題を解決するための行動だ。

 対象は勿論、この自分となるわけだけど……はて、この自分に一体どんな問題があるのやら?

 周りに目を向けてみる。

 狭苦しい駆逐艦部屋。四人も集まれば座る場所にも事欠いて、二人はベッドに腰を掛けるしかない。声が響く。壁は薄そう。こんなに騒いで怒られないのだろうか。他の艦種ではこうはいかない。こうまではっちゃけられない。人の目を気にできる大人だから。

(ああ、そういうこと)

 何となく、分かった。

 この大鷹は、内心はどうあれ外面は真面目さだけに極振りした艦娘だ。誰に対しても敬語で、礼儀正しく、そして誰とも打ち解けようとしない。

 そういうところを何とかしたいのだろう。

 ――さぁて、誰が言い出したのやら。

 師匠である一航戦の二人の顔が浮かんだが一秒で打ち消した。あの二人はそんな優しさとは無縁である。弟子は谷底に突き落として這い上がらせるスタイル。メンタルケアなんて天地がひっくり返ってもするわけない。

 となると、一体誰だろう?

 ……もう候補がいなかった。

 自分でも驚いた。

 こんなにも人と関わりが無いなんて。

 着任してもう一年が過ぎたというのに、思い返してみれば誰の私生活もよく知らない。趣味も、好きな物も、長所も短所も。ただ戦闘や連携に関する特徴だけが頭に入っている。

 ……もしかしたら、大湊警備府で自分は腫れ物のような立ち位置にいるのではなかろうか?

 だから最古参の秘書艦である叢雲が出張ってきた? 『誰からも距離をとろうとする優等生をどうやって皆と打ち解けさせるか』という難題を解決するために。

(……めんどくさっ!)

 大鷹は、そんな自分が問題だとは露ほども思っていない。

 だって、まずは生き延びなきゃ話にならないんだから。

 毎日を楽しむとか、友情を育むとか、豊かな人生を送るとか……そういう贅沢は兵隊である艦娘が望むべきではない。

 “後が無い”という言葉の意味を誰よりもよく分かっているのが『身売り組』だ。物事のリスクを直視して、回避するために行動する。そんな道理を実践できない人間は意外と多い。

 自分はそんなアホたちとは違う。

 これからも自分のためだけに時間を使うつもりだ。

 いつ関係が切れるか分からない連中のために生存率を削る理由があるものか。まして残り二年弱で辞めるつもりなのに、今更友誼を結んでどうなるというのか。

 

 ――結局、この場は愛想笑いで乗り切った。

 けれどその後も度々遊びに誘われることになる。

 正直に言って、迷惑だった。

 しかし。

 それ以外の感情が全く無かったといえば嘘になる。

 

 

 そんな叢雲との馴れ初めを思い出したのは、それきっかけで知り合った秋雲の台詞が脳裏をよぎったからだ。

 

――イキってる子供の動画配信に「お前学校と全然違うなw」ってコメントすると途端に黙るからチョー面白い。

 

 今の自分の状況がまさにそれ。

 深海棲艦にデビューしてイキっていたら艦娘時代の現実を思い出させられた。

(……いや、あたしはけしてイキってるわけじゃない。ただ本来の自分を隠さなくなっただけ。ほんとです)

 さてはて。

 そんなトゥリーは、叢雲と浜波を伴って、とある建物を訪れた。

 薄汚れた木造建築物の一角が、まるまるもぎ取られて大型バルジに寄りかかるように鎮座している。それがどうやって海を漂流してきたのかトゥリーはやっぱり知らなかったが、とにかく在るものは在るわけで、だったら有効活用させてもらおうと生活拠点にしているのだった。

 それは木造の教室だった。引き戸を開けて中に入ると、木造の床に古めかしい学習机が2行3列で6つ並べられ、窓は四角く切り取られ緑のカーテンが揺れている。入り口正面の壁には大きな黒板まで備え付けられていた。壁際には大きなやかんストーブまで。まさに学校。学生が勉強するための部屋と言えるだろう。

「……よくもまあこんな部屋を作ったわねぇ」

 叢雲は呆れてみせたが、トゥリーはむしろ胸を張って「すごいだろう?」と勝ち誇った。

「まず木造の建物があってね。一緒に学習机と黒板もあったもんだから、これは教室にできるって思い立ったわけ。修繕するのが大変だったんだから!」

「ほんとにすごいわ、これは……」

 ところどころ木がささくれているのは仕方ないにしろ、これはもう実際に使用できるレベルに修繕されているといってもいいだろう。よく見れば床や机の端には子どもが描いたと思われる落書きが残されている。列車の線路や、『なのです』という謎の文字列。……もしかしたらここは本物の教室だったのかもしれない。

 入り口から歩を進めると、ぎぃと木の床が軋む音がした。席は6つある。前に3つに、後ろに3つ。叢雲はその中から最も入り口に近い、後ろの真ん中の席を選んだ。浜波はその左におずおずと座る。

 視界に黒板がでかでかと映った。

 小さな学習机に手を乗せると、幼い日の記憶が蘇るようだ。

 時の止まった教室。

 そんな空間が、このゴミ島の中心の、どでかい実艦バルジの足元に存在しているのだった。

 部屋の後ろを見れば、隅っこには安っぽい煎餅布団が畳まれていた。

 今夜は自分もここで寝るんだろうな、と叢雲が考えていると、トゥリーは足取り軽やかに黒板の前に駆け寄った。腰に手をやって振り返りながらにやりと笑う。

「そんでは! 遭難してきた間抜けな叢雲のために! これからこの北方深海基地について説明してあげまーす!」

 そう言って、白いチョークを使ってここの島々の地図を描いた。

 四つの島を円状に描いて、そのドーナツ状の範囲とその中心、そしてそれらの外側の海について解説を始める。

 

 四つの島には、それぞれ一人ずつ姫級が居る。

 彼女たちのボスである北の魔女は死んでいる。

 その身体は中央の海にあり、一人でしか行けない。

 外側の海を進むことは不可能で、脱出するためには中央の海にたてこもる防空棲姫を倒すしかない。そうして北の魔女の身体を取り戻すことでようやく外海に出られるようになる――

 

 そんな長々とした説明を聞いて、叢雲はこうまとめた。

「あんた頭おかしいんじゃないの?」

「はあァァ!?」

 トゥリーの顔が一瞬で真っ赤に染まる。

 感情が分かりやすくてちょっと面白いと叢雲は思った。

「羅針盤が狂うって、なに? 空間が歪んでる? 意味が分からないんだけど」

「アンタだって体験したでしょーが!」

 この大ホッケ海に迷い込むはめになった……その事実だけで納得しなかった叢雲のために、トゥリーはこの教室に来る前に実地体験させていた。

 水平線に向けての砲撃である。

 

 とりあえず撃ってみな、と言われるままに砲撃した弾が、海上でいきなり消えた。

 見失ったかと思っていたら、見当違いの九時方向で水柱が立った。どんな強風が吹いてもそうは曲がらないだろうという位置だった。

 続けて撃ってみた。四度、五度と、方向を固定して。

 それら全てが異なる位置に着水した。

 怪奇現象としかいいようがなかった。

 

「――それを“空間が歪んでる”と言わずになんて表現すればいいのよ!」

「確かに私もこの眼で見たし、体験もしたけどねぇ」

 俗にいう大ホッケサークル。バミューダトライアングルの円形バージョン。北海道の北に現れた魔の海域だ。北の魔女の本拠地であるこの北方深海基地を守る不可侵領域でもある。

 それがバミューダトライアングルと違う点は一つ。その効力が本物であるということ。

「そういえば、もう何隻もの船や艦娘が消えているって報告もあったわね。さっきの怪奇現象を見るに、本当に科学で説明できない現象が起こってるのかもしれないわ」

「分かってるならどうしてさっきは馬鹿にしたわけェ……?」

 わなわなと震えるトゥリーに、叢雲は頬杖をつきながら受け流す。

「そこの部分はいいわよ、納得するわ。けど、あんたの言い方だとその怪奇現象を起こしてるのも止められるのも北方水姫ってことになるじゃない」

「そう言ったじゃん」

「あんたのボスは魔法使いなの? そんな真似ができる深海棲艦がいるなんて聞いたことないわ」

「魔法使いじゃなくて、魔女ね。北の魔女」

「呆れた。そんな仇名通りの力を持っているとでもいうつもり?」

「まあ信じられない気持ちは分かるよ。あたしも見るまでそんな感じだったし」

「なにそれ。見るって、何を見たの?」

「色々。海の上を走ったり弾を飛ばしたり」

「……?? そんなの深海棲艦なら誰でもできるじゃない?」

「ああー、そうじゃなくてー、うちのボスは艤装無しでやるんだよね」

「艤装、無し?」

 叢雲は思わず、左の席の浜波と目を合わせた。

 素足で海上を走る。素手で弾を飛ばす。

 できるわけがない。

 けれど、それをここで議論しても仕方ないと叢雲は思ったのだろう。肩を竦めて話を切り上げた。

「まぁいいわ……。確かにその北の魔女さんは、もう二年もの間この大ホッケサークルを出入りしてるんだもの。魔法じみた力があるかはともかく、何らかの法則か必要条件を知っているんでしょうよ」

「ぅ、うん。出れないと、困る……」

「そうねえ。私もこんなゴミの楽園からはさっさとおさらばしたいわ」

「……はン。あたしだって小うるさい女から解放されたいね」

 トゥリーの嫌味をよそに、叢雲は腕を組みながら記憶を掘り起こしてみる。大ホッケサークルに関する噂話について。

「昔の話だけど……ここから脱出したっていう艦娘がいたはずよ。名前は忘れたけど」

 あれは誰だったか。もう二年も前の話で、救助されたのも幌筵泊地だったから叢雲は噂でしか知らなかった。確かその噂では……大ホッケサークルの中心には瓦礫の島があって、そこには艤装の怪物を伴わない戦艦棲姫と素っ裸の魔女が居たと聞いている。それともう一つ……そんな与太話には誰も真面目に取り合わなかった、とか。

「ちょっとちょっとー? 叢雲、アンタさぁ、まさか一か八かで外海に出ようって考えてんじゃないでしょうね? あたしだって1000キロ走っても出れなかったんだからさぁ、自殺行為は止めてよね?」

「でも、脱出できる確率はゼロパーセントじゃないのかもしれないわ」

「あほくさー。待ってれば確実に出られるのにどうして命を賭けちゃうの?」

「確実ねぇ……。あんたら北方四天王とやらが本当に勝てるならいいんだけど」

「そりゃーいつかは勝てるでしょ。今んとこ五連敗だけど」

「あんたは戦らないの?」

「あたしが? ジョーダン! 防空棲姫とタイマンなんて相性悪すぎでしょ!」

「まぁ確かにね。艦載機を全部落とされて終わりだわ」

「そーいうこと。あたしは無駄死にはごめんだよ」

「ぁ、あの……」

 浜波がおずおずと手を挙げる。

「他の人は……2番さんと、4番さんは、戦わない、の……?」

「うん、それを今から決めるんだよね~」

 トゥリーはくいと顎を上げ、黒板の上を見た。

 時計があった。

 9時50分。

「10時からここで対策会議をやることになってんの」

 にやりと笑う。

「対策会議……?」

 何のための会議か? それは勿論、防空棲姫に対抗するための会議だろう。では誰と誰が話し合うのか? その答えも簡単だった。ここは北方深海基地。集まってくるのも深海棲艦に違いない。

「え゛?」

 叢雲は硬直した。

「ここに集まるの?」

 この木造の教室に。

 トゥリー以外の敵の幹部がやって来る。

 あと10分で。

「ぇ、ぇ、2番さんと、4番さんが……? こっ、ここに……っ?」

 トゥリーは半笑いで頷いた。

「そうでーす」

 こいつ、確信犯か。

 叢雲が気にしたのはその2人のスタンスだ。トゥリーと同じように艦娘に対して寛容なのか?

 期待する方が間違っている気がする、と叢雲は思った。ここは敵の本拠地、ホールドアップしても許してくれないかもしれない。……と、なれば。初めから顔を合わせない方がいいだろう。

 身を隠すために椅子から勢いよく立ち上がり、浜波の手を引いて振り返った。早く出よう、と足を踏み出したところで、しかし叢雲たちの動きは止まった。

 教室の入り口に見知らぬ和服の少女が立っていたからだ。

 透き通るような水色の瞳に、不自然なまでに白い肌。明らかに深海棲艦だった。

 駆逐古姫。

 背丈は叢雲よりも少し低かった。ヘアスタイルは黒髪ロング、和服の肩を紐でたすきがけにした楚々とした佇まいで、つるりとした肌質と相まってまるで等身大の日本人形のようだった。

「……」

 人形少女は無表情のままで視線を左右に走らせた。深海棲艦の領域に居るべきではない部外者たちをギロリと睨む。

「う……」

 その冷たい眼差しといったら。まさに深海棲艦に相応しい、底冷えする悪意すら含んでいた。

 叢雲たちは忘れていた。トゥリーがいくら友好的であろうとも、他の深海棲艦も同じとは限らないと。

「うっす、チーちゃん! 早いねー」

 トゥリーがあっけらかんと挨拶すると、チーちゃんと呼ばれた駆逐古姫の視線が若干和らいだ。

「……この人たち、誰?」

 声は少し甲高く、見た目通りの少女らしいものだった。

「うちの島に漂着してきた艦娘たち。一人は、前世の知り合いね」

「……へえ、そうなんだ」

「ここに居てもいいかなぁ? ほら、うちの島って他に待てる場所も無いしさぁ」

「別に私が決めることじゃないわ。ただ……」

「ただ?」

 和装少女はコツコツとヒールを鳴らして浜波と叢雲の間をすり抜ける。

「私は、艦娘は嫌いよ」

「あらら。私だって元は艦娘なんだけど」

「トゥリーはいいの。お友達なんだから」

「えへ、ありがと。でもさ、できればこの二人とも仲良くしてほしいな~」

 駆逐古姫は答えなかった。

 そのまま歩を進め、教室の前列、左側の席に座った。

 そこは浜波の前の席でもある。

 深海棲艦と隣接してしまった哀れな夕雲型の十三番艦はガチガチに固まっている。今更、席を変える勇気は無いだろう。

 駆逐古姫は背筋をぴっと伸ばして静止していたかと思うと、間を置いてから独り言のようにこう囁いた。

「チェティーリ。それが私の名前です」

 4番の意味である。

「……名乗るからには呼んでもいいってことかしら?」

 嫌いと言いつつ、名乗りはする。その態度をどう測るべきだろう。叢雲は緊張を隠しながら尋ねてみた。

 回答はシンプルだった。

「どうぞ、ご自由に」

 ひとまず、発言を許される程度には寛容なようだった。

「私は叢雲よ。こっちは浜波。宜しくね」

 叢雲は、敢えて堂々と名乗ってみせた。

 当のチェティーリは、黒板横に立つトゥリーの方を向いていて叢雲たちを見ていなかったけれど、それでも冷淡な反応を示す姫級に怯まなかったのはすごいとトゥリーは素直に感心した。

「はぇぇ、メンタルつえー」

 実はこのバッティングは、叢雲をびびらせてみたかったというだけの理由で仕組んだものだ。つい先刻のトゥリーと叢雲の邂逅はともかく、今回のチェティーリとは正真正銘の初対面。これには流石に怖気づくだろうとトゥリーは目論んでいた。

 ところがそれでも叢雲はびびらなかった。内心はともかく、とにかく引き下がらなかった。たいしたもんである。

 こういう人種がたまにいる。多分遺伝子からして人間力が違うんだろうとトゥリーは思う。……自分だったらどうだろう? もしいきなり艦娘の本拠地に放り込まれてしまったら、へーこら揉み手をしてへりくだっていたかもしれない。

 とはいえ、流石の叢雲も肝を冷やしていたのだろう。唇をぴくぴくと震わせながら凶悪な面相でトゥリーをぎりりと睨みつけていた。これが不良漫画なら『!?』とオノマトペが盛大に浮かんでいただろう。

「いやーごめんごめん。叢雲がそんな顔するのを見たくってさぁ」

「あんたねぇぇ……!」

「にひひひ」

 ようやく一つやりこめられた気がする。

 けれど浜波には悪いことをしてしまったかもしれない。彼女は今や机にへばりつく石像と化していた。熊を相手にする時のように動かなければ襲われないと思っているのかもしれない。教えてあげた方がよいだろうか。その対処法は間違っていると。

 まあいい。早く次のお客さんについて紹介してあげなければ。トゥリーは黒板前から入り口を眺めながら口を開いた。

「なぁに大丈夫だよ、叢雲ちゃん。お次の二番さんはアンタも知ってる人だから」

「はァ? 深海棲艦の知り合いなんて……」

 コンコン、と木製の壁をノックする音。

 開けっ放しの引き戸にノックは必要無いはずだ。ならば彼女は姿を見せるタイミングを計っていたのだろう。

 驚いた叢雲と浜波が振り返ると、上背のある女と、小柄な女が入り口に立っていた。

 上背のある女は、姫級だった。額には二本ツノ。衣服は薄く露出が多い。腹部からは巨大なワームのような怪物型の艤装が二匹も飛び出している。

 重巡棲姫。

「……」

 彼女は黙してただ直立し、小柄な女の斜め後ろに控えていた。まるで従者のように。

 となればその前に立つ小柄な女の方は、やはり主人となるのだろうか、重巡棲姫と比べて値の張りそうな衣服に身を包んでいる。黒く、フリルが施された上着。ゴスロリっぽい。首には狐色のファーティペットを巻いている。離島棲姫によく似ていたが、目の色が違った。オーロラを思わせる紫がかった青。

 北端上陸姫。

 彼女は、叢雲と浜波に目を合わせ、もう喋ってもいいかな? とわざとらしく微笑んだ。

「トゥリー君も意地の悪いことをするものね」

「こんちゃっス、先生。本日も御機嫌麗しゅう」

 確かに叢雲も知っている顔だった。浜波だって知っているはずで、それどころか日本中の、いいや世界中の誰もが知っている超有名人だった。

 かつてはTVにまで出演し、人類との友好を訴えた世界唯一の深海棲艦。彼女たちは多くの人間たちの猜疑の目に晒されながらも活動を続け、更には自らの勢力を率いて北極海に巣くう他の深海棲艦たちをも排除してみせた。彼女たちのおかげで北極海は人類の手に戻された……それは、どんなに深海棲艦を憎んでいる人間であろうとも否定しきれない事実だった。

 人呼んで『ピースメイカー』……そんな大物の登場に、艦娘二人は見事に固まっていた。

 トゥリーはしたり顔で思い出していた。それは、一昔前のコマーシャル。

 居酒屋でサラリーマンが酔っ払いながら「日本の政治家は情けない! 俺ならガツンと言っちゃうよ!?」と息巻いていたら、話題にしていた米国大統領が現れるという筋書きのアレだ。

――どうだ叢雲、流石のあんたも驚いただろう?

 場の注目を集めた北端上陸姫は、鷹揚に肩を竦めてみせた。

「ひとまず挨拶しましょうか。こんにちわ、トゥリー君。チェティーリ君。今日も先を越されてしまったようだ。日本人は5分前行動を習慣にしていると覚えていたけれど、チェティーリ君をみるに10分前行動が正解だったかしら? 実に勤勉、頭が下がる思いだね」

「……いえ、そんなことは」

 駆逐古姫は遠慮がちに頭を下げてみせた。

 北端上陸姫は目尻を緩めて微笑んだ。続いて二人の艦娘に目を向ける。

「初めまして、艦娘のお嬢さん方。叢雲君に浜波君……だったかな? ああ、ご覧の通り扉が開かれていたもので外まで聞こえてしまったのだよ。盗み聞きするつもりはなかったけれど、気分を害したなら謝罪しましょう。私の名前はドヴェ。ノーリ様……君たちには『北の魔女』の方が馴染み深いかな? その魔女の配下がこの私というわけだ。この身は深海棲艦ではあるけれど、君たち艦娘とも仲良くしたいと思っている。同じ孤島に閉じ込められてしまった者同士、手を取り合っていければ嬉しいのだけれども。……どうかな? そこの前髪が個性的なお嬢さん?」

「ふ、えぇっ?」

 突然話を振られた浜波は、ぱくぱくと口を開閉しながらもなんとか「ぃ、いいと、思う、ます」と答えた。

「叢雲君はどうかしら?」

 叢雲は、口をぎゅっと真一文字に結んでいたが、何も喋らないわけにもいかないと諦めたようだった。

「……日本語が、上手いのね」

「勉強しているからね。それは知っていることでしょう?」

「ええ、知っていますとも。TVでは流暢に話しましたからね……ピースメイカーさん?」

「敬語は止めましょうか。まるで私が偉いみたいじゃない?」

 言われて叢雲はハッとした。無意識のうちに気圧されて敬語になっていたと気付き、そんな自分に歯噛みした。

「私とあなた達は初対面。けれど、第一印象を持つ前からイメージができていたでしょう? ピースメイカーという名の幻想がね。それも私なのは間違いないけれど、インタビュアー越しの虚像でしかないのもまた事実。できればあなた達にはその目と耳で“私”を判断してほしいね」

「それは……」

 叢雲は、若干言い淀み、

「そう単純に割り切るのは難しいわ。それほどあなたに関する噂は強烈なのだから」

「ふむ、噂ねぇ」

 元ピースメイカー。現ドヴェ。艦娘からの仮称は、北端上陸姫。

 そんな厄介な姫級が、こつこつと靴の音を立てながら教室を横切った。黒板の前に立つ。

 トゥリーは壇上を譲って、教室の前列、右側の席に座った。

 重巡棲姫は無言で、番犬のように入り口の横に陣取った。

 どうやらこれがいつもの定位置らしい。

 前列中央の席が空いているのが叢雲は気になったが、今は意識を割いている場合ではなかった。

「噂。それはどんな噂かな?」

 元ピースメイカーはふわりと振り返りながら叢雲に問うた。その余裕のある表情はまるで世の理を教える教師のようだ。

 ここが教室という場所であるせいでどうにも上下関係を意識してしまう。叢雲は頭を振って意識を切り替えた。

「それって言ってもいいわけ?」

「どうぞ?」

「裏切り者。大虐殺者」

 なんの遠慮もなく放たれた言葉は凶器だった。浜波は肩を震わせて縮こまり、トゥリーは椅子に寄りかかりながら口笛を吹く。

「北極海を制した直後、用は済んだといわんばかりにロシアの民を虐殺したと聞いているわ」

 けれども元ピースメイカーは微塵も揺るがなかった。

「そうね、それが一つ目の噂。二つ目は?」

「……真の平和主義者。あなたはハメられただけって言う人たちもいるわ。……あの虐殺は、与党の自演。あなたに協力する野党と親深海棲艦派の台頭を恐れた与党が諸共攻撃したんだって……。どっちが真実なのかしら?」

「世の中には知らない方が良いこともある……なぁんて台詞では納得しそうにないね」

 北端上陸姫はゆっくりと髪をかき上げながら室内の全員を順に見渡した。

 叢雲を、浜波を。駆逐古姫を、護衛棲姫を。

 重巡棲姫は見なかった。

「私が殺しました」

 叢雲はぎょっとする。

 それを見て、元ピースメイカーは微笑んだ。

「……あるいは、私は殺していません。そう言ったところで証拠は無いのだよ。所詮、口だけ。だったらこの問答に意味は無いでしょう?」

「それは詭弁よ」

「口に出すことに意味があるとでも? だったら言ってあげましょうか。“私は、人間を殺してない”」

「……」

 虚しく響いたその宣言をどうとるべきか。証拠も伴わない発言を信じられるわけがない。それはたった今、元ピースメイカーが言った通りだった。

「信用よ」

 元ピースメイカーは指を一本立てて語りだす。

「人と人は繋がっていない。意思を伝えるには言葉を介するしかない。その疎通は、どうやっても不完全になるでしょう。嘘は通り、誤解も生まれる。だからこそ、信用の価値は重いのです」

 まるで一つの講義のようだった。

「ふふっ、深海棲艦が信用なんて、と思うかな? でもね、戦場に生きる身ならば分かるはず。時に信用は百万の弾薬よりも重い。その有無で敵が味方に変わるのだから。故に私は、信用を得るために誠意ある行動を心がけている」

「……だから?」

「あなた達にも教えよう。私は生まれてから一度も嘘をついたことがない。言葉に価値を付与するためにね。……無論、聞いたばかりのあなた達にとってはまるで重さの無い宣言にしか受け取れないでしょう。だからこそその目と耳で判断してもらいたい。この私の行動と発言にどこまで信用をおけるのか? 無責任なメディアや社会的な立場に左右される政治家に影響されるのではなく、ね」

 教室が静まり返る。

 誰も、何も言わなかった。

 北端上陸姫は手の平をパンと打ち鳴らす。

「なんだか冷えてしまったね。そこのストーブはつかないのかな?」

「……へっ? ああ、つくよ、先生。つけよっか?」

 トゥリーが俄かに立ち上がり、元ピースメイカー……いや、ドヴェは点火を頼んだ。

 冷えた、とは勿論温度のことではないだろう。張り詰めたこの雰囲気を切り替えようと言っているのだ。つまり、これでこの話は終わりという意思表示なわけで……。

「……うん? 冷えた?」

 叢雲は気付いた。

 この島、別に寒くない。

 おかしかった。そんなはずがあるわけないのだ。

 だって、ここ北方深海基地は大ホッケ海の中心。本来なら流氷漂う極寒の海だ。

 当然、薄着でうろつけるわけがない。

 しかし叢雲も浜波もへっちゃらだ。主機を止めているのにまるで寒くない。むしろ本土に居るように過ごしやすい。

「どういうこと……?」

 艦娘二人は顔を見合わせて困惑する。けれど考えても分からない。この島は一体どうなっているのだ?

 そんな彼女たちをよそに、ドヴェは時計を見上げながら呟いた。

「10時5分。我らが主様は相変わらず時間を守らない。困ったものだ」

 開かれた引き戸の外から、甲高い金属音が届いた。誰かがゴミか何かを蹴飛ばしたような音。

 誰か来た。

「今度は誰よ……」

 疲れきった叢雲の声に、応えるように一人の幼女が飛び込んできた。

「ふぅーははは!」

 裸足で、真っ白い長髪で、何故か一糸纏わぬ姿だったが、それ以外は、かの北方AL海域に住む北方棲姫によく似ていた。背丈も同じぐらいで、違ったのはその頭部ぐらい。髪質がさらさらとたなびくストレートで、何より頭部にツノがついてなかった。

 北方棲姫の亜種だろうか。

「待たせたなー、お前たちっ」

 やたら偉そうな幼女だった。

 トテテテと教室を走りぬけ、目を丸くする艦娘二人を歯牙にもかけず、前列中央の机によじ登る。仁王立ちして、腰に手をあてながらふんぞり返った。

「我こそはー! んんっ、我こそはぁー! 北の魔女であるぅー!」

 おままごとのような口上だ。

 なんだこいつ、と叢雲たちがあっけに取られていると、他の深海棲艦たちが一斉に幼女に向き直った。

「ボス~、遅刻しすぎだって!」

「……こんにちわ」

「ノーリ様、机に乗ってはいけません。常識というやつですよ。前回教えたばかりでしょう?」

「はっはっは。私は知ってるぞ、まずは挨拶、こんにちわだ。こんにちわ! こんにちわ! こんにちわ! ……どーだ!? ジョーシキできただろう!」

 がやがやと活気付く北方四天王の2・3・4番たち。その中心にいる幼女は、ボスと呼ばれ、0番を意味するノーリと呼ばれ、自分では北の魔女と名乗った。更に誰もが一定の敬意を払っている。

 もしかしてのもしかしてだった。

 浜波が珍しく「ぁ、あのぅ……」と声を上げた。「むっ?」と振り向いた幼女に向けて真偽を問いただす。

「あなたは、北の、魔女さんですか……?」

「そうだっ。私は北の魔女!」

「し、死んでるんじゃあ……?」

 そういう話だったはずである。というか、それ以前に、かの有名な北の魔女は成熟した女の姿と報告されている。幼女であるはずがない。

 だが目の前の自称・北の魔女は、窓の外にぴっと指を差しながらこう答えた。

「あっちで死んでるぞっ。本体がなっ!」

「ほ、本体……?」

「私は北の魔女だが、本体ではないっ。ええと、なんだ、何ていうんだ? 偽者……ではなくて、本物だけど、でも本体じゃない。そういうやつだ!」

 浜波はあっけに取られていた。

 口を大きく開けて、自分の耳か頭を疑っているような顔をした。何かが狂っているけれどそれが何だか分からない。正常な判断をしてもらいたくて彼女は隣の叢雲を見た。

 叢雲も似たような顔をしていた。

「私はな、北の魔女カッコカリだっ」

 もはや意味が分からなかった。

 この島では全てがでたらめに動いている。




大ホッケサークルについて。
空間は歪んでないです。光が屈折して変なふうに見えてるだけです。

ゲーム本編のほうはE6を残すのみとなりました。
手をつけるのが億劫です。その現実逃避でこの二話目ができあがりました。
うん? ゲームの現実逃避……? 何かが、おかしい……。
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