ちょっと悪いひとたち ~さらば北方深海基地よ!~ 作:シャブモルヒネ
「北の魔女……カッコカリ?」
「そうだっ」
叢雲の呟きに、机上の幼女は満足そうに頷いた。
「あなたが、本物の北の魔女……?」
「うむっ」
「けれど本体ではない……?」
「そのとーりっ」
そんな満面の笑みで言われても。
常識的に考えて、全然分からない。
“本物”という言い分は分かる。
けど“本体”ってなんだ?
叢雲は改めて机の上でふんぞり返っている幼女を観察した。
ツノは無い。艤装も無い。身体の線は細く、人間の子どもと言われても信じられる貧相さ。
しかし彼女の周りには誰の目にも明らな深海棲艦たちが寄り集まっていて、その全員がそれなりの敬意を払っている。
ただのホラ吹き幼女ではないのだろう。恐らく何かがあるはずだ。元艦娘のトゥリーや、ピースメイカーと呼ばれた狡猾な女を納得させて、従わせるだけの何かが。
黙って見ているだけでは分からない。叢雲は探ってみることにした。もしかしたらその情報は北の魔女攻略の鍵になるのかもしれない。
「本体じゃないってどういうことかしら?」
「本体はあっちで死んでるよ。……さっきも言っただろー?」
「よく分からないわ。あなたは、何なの? 魔女の艤装か何かなの?」
深海棲艦の艤装は、生きている。
例えば戦艦棲姫の艤装がそうだ。
その身長4メートルを超す人型の化け物は、本体である黒髪女の大型主砲を運ぶための奴隷のように見えて、その実態は戦艦棲姫とケーブルで繋がっている一つの兵器だ。独立した生き物ではない。本体に付随する艤装なのだ。
だからこの幼女も似たような生き物ではないかと叢雲は考えた。この目の前で偉そうにしている幼女は、実はケーブルで繋がっていないだけで北の魔女の艤装のような役割を持っているのではないかと。
しかし、答えは否だった。
「ギソーじゃない! 私は私だっ」
「だったら何なの? あなたも本物だって言うなら北の魔女が複数いることになるんだけど?」
「だから、どっちも私なんだってば! それも説明しただろう!?」
「されてないけど……」
「んあっ? なんだとぉ~?」
叢雲は困惑し、幼女は不思議そうにぽかんと口を開けてみせるだけ。どうにも話が噛み合わない。認識が食い違っている。
その差を埋めたのは、北の魔女、2番目の部下だった。
「ノーリ様。彼女たち艦娘は、この島に来たばかりで何も知らないのですよ」
「ええっ? だってあんなに何度も、何度も、説明したじゃないかっ」
「いえ、ですから……あなたが説明したのは我々に対してだけです。アドナーとこの私、そしてそこのトゥリー君、チェティーリ君の4人にしか伝えてないでしょう?」
「んん? 4人? ……4人だけ?」
「そうですよ」
「……じゃあ、こっちの艦娘2人はな~んにも知らないってことか?」
「その通りです。私たちは個別なのです。繋がっていないのですよ」
「うー、面倒だなぁ!」
「そういう生き物なのです。人間と深海棲艦は」
「えーい、もういいっ、お前が説明しろ!」
「はぁ、ご命令とあらば構いませんが」
「……え、それ説明しちゃっていいんスか? わりと核心的な話だと思うんスけど」
今度はトゥリーが割り込んだ。
が、彼女のボスは取り合わない。
「別にいい。気にするなっ」
「えー、いいのなぁ……」
トゥリーは食い下がり気味だったが強く止めるつもりもなさそうだ。
北の魔女とは何なのか? ただの深海棲艦と違うなら、何がどう違うのか?
それは深海棲艦のボスの性質に関わる話かもしれなかった。
頭を狩れば群れは瓦解する、それが深海棲艦の習性ではあったけど、何故そうなるのかまでを知る者はいない。少なくとも人類にとってはそうだ。その答えを知るチャンスがきたならば叢雲でなくとも知ろうとするのは当然だろう。
思わず肩に力が入ってしまう、そんな叢雲を横目で見ながらドヴェはにこりと微笑んだ。
「ではこうしましょう。これから演習をして、艦娘たちが勝ったら教えるのです。負けたら何も教えません。更に加えてもう一つ……装備を一式預かって今後も大人すると誓ってもらうというのはどうでしょう?」
「エンシューだぁ~?」
「ええ。その方が面白いでしょう?」
「そうかなぁ? どうしてそんな面倒な手順を踏むんだ?」
「勝負ですよ、ノーリ様。欲するもののために戦う、その姿を見たいでしょう?」
「むっ。そういうことか。流石だな、ドヴェ! お前は頭がいいっ!」
「それほどでも」
ドヴェと呼ばれた北端上陸姫は挑発的に目を細めて向ける。
「叢雲君、受けてもらえるかな? そちらにとっては願ってもない話だろう?」
「……勝手に話を進められるのは気にくわないけど、まぁいいわ。やってやろうじゃないの」
「え、えぇ……いい、の? 負けたら装備、取られちゃうよ……?」
浜波は怖気づいていたけれど、これは確かに願ってもない話なのだ。勝てば貴重な情報が手に入る。負けたとしても多少不自由になるだけ。元より敵の本拠地にいて拘束されていない時点でありえないのだ。ならば実質ノーリスク。受けない話はない。
けれど気になるのは勝負の内容だ。
「一体どんな勝負をしようっていうのかしら?」
まさかこの場の姫級たちを全員相手にできるわけもない。自称・北の魔女は別にしても、その他は錚々たる顔ぶれだ。北端上陸姫・護衛棲姫・駆逐古姫……壁際には重巡棲姫まで控えている。対してこちらは駆逐艦娘が二人だけ。性能も人数も大きく負けているとなれば結果は火を見るより明らかだ。
「安心して。一騎打ちよ」
ドヴェは、ついと傍らの駆逐古姫を流し見て、
「チェティーリ君、相手をしてあげなさい」
と対戦相手を指名した。
「えっ、私ですか? どうして……」
急に話を振られた少女は目を丸くする。人形めいた容貌の深海棲艦でも虚を突かれると少女らしいあどけなさを見せるらしい。その表情は、初対面で抱いた冷たいイメージとは少し違っていて、叢雲と浜波は軽く驚いた。深海棲艦といっても全てが埒外な存在でもないようだ。
「チェティーリ君、何事も経験だよ。これは演習といえども艦娘と砲を交える貴重な機会だ。君にとっては大きな財産となるだろう」
「そう、でしょうか。……いえ、そうなのでしょうね。確かに私が一番未熟。訓練としてはまたとない機会でしょう」
駆逐古姫は一応の納得を見せたが、残る疑問について問いを投げかけるのを忘れなかった。
「でも、それだけじゃないですよね?」
「ふむ?」
「私の未熟さが、艦娘と駆逐古姫の性能差を埋めるのに丁度良いのですね? 公平な勝負とするために」
ドヴェはわざとらしく首を振ってみせた。
「……少し違う。君は自身の精強さを分かっていない。多少の練度差ぐらいでは埋まりはしないのだよ」
その台詞を聞いたチェティーリは、なぜか顔を強張らせた。
「……私が、精強? 今更……」
口元には、苛立ちさえ滲ませて。
剣呑な雰囲気に、隣の浜波は思わず身を縮こまらせてしまう。
「今の君には力がある。昔とは違ってね。そこに不都合はあるのかな?」
「……いえ」
「だったら振り返るのは止めなさい。先を見ろと常々言っているでしょう?」
「分かってはいるのですが……」
チェティーリは黙り込んでしまう。どうしたものか、事情をさっぱり飲み込めない叢雲たちは口を挟むこともできなかった。
「なんだぁー? エンシュー、やらないのかー?」
無知な子どもには微妙な空気なんて関係ない。ノーリは「よっ」と机から飛び降りて、遠慮なしに問いかけた。ドヴェはにこりと笑って、「やりますよ」と答える。
元ピースメイカー。今はこの北の魔女一派のまとめ役をしているらしい小柄な女は、髪をかき上げながら部屋の出口を指差した。
「ひとまず海に出ましょうか」
@
赤い海の上に出た。
そこはトゥリーの島とチェティーリの島の間の狭い海。この範囲ならどこぞに迷い込んでしまうこともないとドヴェは言った。
「演習だよ、諸君。繰り返すがこれは実戦ではない。誰の目にも明らかな決着を望むなら実弾を使うべきだがね、我々は禍根を残したいわけじゃない。ここは試合形式に拘ろうじゃないか。なぁ、君もそう思うだろう、叢雲君? 深海棲艦には成りたくあるまい?」
「私が負けると言いたいの?」
「火力と装甲を加味するならね。君に勝ち目はなくなるよ」
「言ってくれるじゃない」
「君には、かの夕立君や綾波君ほどの腕があるのかな?」
それは日本の駆逐艦娘たちの名前だった。確かに有名な強者たちではあったけど、その名が北の果てからやってきた深海棲艦の口から出るとは思わなかった。
――狂犬夕立。撃った数だけ敵が死ぬ、射程に入れば確殺できるとまでいわれたソロモンの悪夢。
――鬼神綾波。そこが夜の世界だったなら、艦種・姫級の区別なく、狙った首は必ず狩り獲る執行者。
そこまでの腕は、確かに叢雲にはない。
「……ピースメイカーさんは極東の島国の艦娘事情にも詳しいのね」
「情報だよ、叢雲君。知っておいて損はないだろう?」
ドヴェはこめかみをトンと叩いてみせる。そこに膨大な情報が入っていると示すように。そして古参駆逐艦の叢雲についても当然知り尽くしているといわんばかりに。
「そういうわけだから、きちんとルールを定めたらいい勝負になると思うのだよ」
波打ち際でドヴェが嘯く。
そこには観戦者たちが野次馬となって並んでいた。自称・北の魔女のノーリ。元艦娘の護衛棲姫トゥリー。傍には浜波が不安そうに立っている。
一騎打ちには叢雲が名乗り出た。いくら演習とはいえこれは深海棲艦が言い出した勝負。何が飛び出るか分からない。そんな危険な戦いに着任数ヶ月の娘を放り込むわけにはいかなかった。
「弾を貸してくれたまえ」
唐突な提案に面食らいつつも小口径主砲用の弾を手渡すと、ドヴェはそのままノーリに回してこう言った。
「ノーリ様、演習用にしてください」
「うむっ」
幼女はしゃがみこみ、足元の赤い海に腕を浸した。手にした実弾が沈んで見えなくなる。
「……?」
動かない。訝しんでいると十秒ほどで腕を引き上げて、海水が滴る弾束を叢雲に放り投げた。
慌ててキャッチする。
見ると、色が変わっていた。
「赤い……」
まるで塗料で塗りつぶしたようだった。
そんなことがあるだろうか? 叢雲が島に漂着したときは海に浸かっていたけれど服も肌も染まらなかった。なのに今だけは色がついた。どういうからくりだろう?
眉をひそめる叢雲に、ドヴェは応えない。ただ弾の束を指差すだけだ。
「ペイント弾だよ。これで破壊力は極限まで落とされた」
中身まで変わったと言う。
そんな馬鹿な、と言いかけた。が、論より証拠。試しに装填して、波打ち際の古タイヤを撃ってみた。
ビシャッと赤い塗料が広がった。
タイヤには凹み一つもついてない。
「……なにこれ」
まるで狐に化かされているようだった。
「――さぁて始めようか。ルールは単純、先に3発当てた方の勝ちだ。……おっと、魚雷を忘れていたよ。どうする? 貸してくれればまた演習用にしてあげるけど」
「結構よ。主砲だけの勝負にしましょう」
本音では雷撃も使いたかったが叢雲は敢えて突っぱねた。何もかも向こうの言うままなのが気に入らない。雷撃こそ己の得意とする戦法ではあったけど……主砲一本でなんとかしてみせよう。
叢雲と駆逐古姫が、およそ10メートルの距離で対峙する。
相手は能面のような表情を保っている。自分では未熟と言っていたけれどどこまで信用できたものか。油断はできない。……いや、正直に言ってしまえば、技量云々より前に姫級と1対1の勝負をするというこの状況が恐ろしかった。ペイント弾を使うと公言されてはいるが相手が化け物クラスのスペックなのは変わらない。その性能は並みの戦艦以上。まるで安心できない。
だからこそ叢雲は、堂々と胸を張り、高らかに口火をきった。
「――始めてちょうだい!」
「では」
ドヴェは浜波に合図を送る。
少女は本当にいいのだろうかと迷いながらも主砲を空に掲げてトリガーを引いた。
砲声が鳴り響く。
――演習開始だ。
海上の2人が同時に主機を駆動させる。
両者、重心を傾けて方向転換。鏡に映したように並行して進む。
駆逐艦は機動力が命、まずは運動エネルギーの確保が原則だ。トップスピードを目指しながら敵の挙動を凝視していると、
いきなり撃ってきた。
「っ!?」
砲弾が叢雲のたなびく髪を突き抜けた。
続けて2発目、3発目。
それらは叢雲の皮膚上、数十センチを通って消える。
ひやりとした。
精度がいい。だが。
(素人か? 本当に)
こちらが速度を得る前に当てるつもりだったのだろうが、タイミングとしては悪手中の悪手。
撃てば、加速は殺される。3発も撃ったせいで駆逐古姫は未だ中速の段階にいる。代わりに加速に専念した叢雲はトップスピードに乗っていた。その速度差は駆逐艦同士の戦いにおいては致命的。
叢雲はぐるりと軌道を変えて相手の進路上を横切った。敵を正面に捉える瞬間こそ好機。移動軸と射線が重なって最も命中率が上がる。T字有利だ。
流し打ちが、2発命中。
敵も反撃してきたが、高速で真横に突き抜ける駆逐艦を捉えるのは至難の業だ。当然、当たらない。叢雲は勢いのまま急速旋回。敵に尻を狙われないように右に左に軌道を変えて追撃を見事に切り抜けた。
波飛沫を上げながら距離をとる。
安全を確保してから回頭。
その頃には敵もトップスピードにのっていた。再び並列に対峙する。
見ると、相手の身体に2ヶ所の血痕が散っていた。いや、あれはペイントによる塗料か。……やはり、本当に弾の性質が変わっている。
だが今はそれに気を取られている場合ではない。
あと一発、どこかに当てればこちらの勝ちだ。だからこそ油断は禁物だと叢雲は気を引き締める。相手も先程の愚を悟り無駄撃ちを控えているようだった。巨大な顔型の主砲を構えながらもチャンスを伺っている。
こうなれば航行技術の差がものをいう。
離れ、近づき、波を駆けているとよく分かる。駆逐古姫は体重移動がスムーズではない。バランスを崩さないように若干の確認を挟んでいる。
あれは本当に素人だと確信した。
となれば確実にイニシアチブを奪っていくだけだ。
叢雲は巧みに方向転換を続け、追いすがる駆逐古姫を少しずつ抑えこんでいく。狙いは再びT字有利。敵の進路を抑えてペイント弾を命中させればいい。
駆逐古姫はぎりりと唇を噛みしめる。
王道の戦法。それは種が割れていようともハマれば逃れられない優れた手管。姫級だろうと通用する。叢雲は12.7cm連装高角砲の照準を敵へと向け、
狙いを定めようとしたときだった。
「――――」
駆逐古姫が目を見開いて、何かに気付いたように呟いた。
その唇の動きを、叢雲はかろうじて読み取ることができた。
『りようされた』
バキン、と。鉄が割れる音がした。
駆逐古姫の背中が膨張する。
「!?」
メキリメキリと蠕動し、背面から別の生き物たちが伸びてくる。
「な……あれは!?」
巨大なフジツボのような――いいや、目の無いイ級のような顔たちが、沸騰する泡のように互いに競り合って、痙攣し、最終的には3つの首が形成された。その太さは、小さな個体でも古姫の胴体と同じくらい。でかい奴は2倍近くある。おぞましくも歯を円状に並ばせて、口内をうっすらと紫色に輝かせながら、怨嗟を放つように唸り声を上げている。その形状は、まるで本体が手に持つ主砲のようで――
その類似性に気付かなければ喰らっていた。
駆逐古姫の背中から生えた3匹のイ級もどき。その口内から一斉に砲弾が放たれた。
「っ!」
なんとか避けられた。転倒直前まで身を投げ出すことで。必死にバランスを立て直し、向き直りながら、叢雲は見た。
古姫の、怒りに染まった表情に。
そこには先程までの静謐さは欠片も無い。
まるで誰かの仇のように叢雲を睨みつけている。
「……騙すほうが、悪いけど……騙されるほうは、馬鹿なのよ……。そして損をするのは、いつだって騙されたほう……」
突如として雰囲気が変わっていた。その見た目同様に。古姫の背中には胴の4~5倍にもなろう体積の化け物たちが蠢いていた。古姫本体よりはるかにでかい。いかにも動きが制限されそうであったけど、鈍さは感じられなかった。姫級ご自慢の出力のおかげだろう。ただの駆逐艦娘とは馬力が違う。
怪物と化したチェティーリ。彼女は、なぜか、その怒りを仲間であるはずのドヴェにぶつけた。
「――ドヴェさん! 私を利用したのね!?」
遠く、波打ち際に立つ北端上陸姫は、まったく悪びれずに頷いた。
「その通り。君はきっと苛立ってくれると思ったからね」
「私の経験のためにとか言ってたくせに……!」
「嘘じゃない。だって、それが技量の分野だけとは言ってないのだからね。……思い知ったでしょう? まんま誘導されてるようじゃ甘すぎる」
「……っ!」
「逆に聞くけど、どうして私が得るものも無いただの演習を提案すると思ったの?」
ドヴェは唇を釣り上げて、並んで試合を観戦しているノーリの肩に手を置いた。
その幼女は、苛立つ仲間チェティーリの表情を見て、楽しそうに目を輝かせていた。それはそれは本当に楽しそうに。憧れのヒーローショーを観戦している子どものように純真で。
その光景は、どこか異常だった。言いようのない気色悪さに叢雲は舌をうつしかない。
「あんたら一体……何の話をしてるのよっ!」
今は勝負の最中だ。何の事情があるか知らないが、隙を晒すなら逃さない。
古姫に向けて砲撃。
集中力を乱していたはずの少女は、しかし瞬時に回避してみせた。
ターンにキレがある。
思い切りがよくなった。怒りで慎重さを捨てたから?
波飛沫を立てながら、古姫のガラス玉のような眼球がぎょろりと回り、敵である叢雲をロックした。じろりとねめつける。
「あなた……叢雲さんっていったわね?」
「……あによ」
うねうねと背中の艤装たちが蠢いている。生きた艤装。深海棲艦特有の艤装。だがしかしそれが身体から生えてくるものとは知らなかった。装備が変化してできるものだとばかり。
様子を伺うしかない叢雲に、古姫はいっそ穏やかに話しかけた。
「悪いけど……今から八つ当たりをさせてもらうわ。あなたに非が無いと分かっていても、その在り方は私にとって目の毒過ぎる」
「は? どういうことよ?」
「私は未熟だけれど、それでもあなたが長い時間を積み重ねて強くなったことぐらい分かる……。さぞかし恵まれた環境に居たのでしょう? それを想うと、苛々してしょうがないの。更には、」
ぎりりと、歯を食いしばる。
「ドヴェさんはそうと分かって私を指名した! この逆恨みを見世物にするために! そして何よりも腹に据えかねるのは……生まれ変わって、尚! いいように利用されている、この私自身よッ!」
古姫が叫び、艤装が唸る。
気圧されるより先に砲弾が飛んできた。必死に避ける。避けながら考える。まずは落ち着け。想定外の事態ではあるけれど分からないことだらけじゃない。よく見ろ。ただ敵の武器が3つ増えただけだ。そして自分には長年培った航行技術がある。対処できる。必ずできる。
敢えての深呼吸。
トライアングル状に散らされた砲弾が周囲に着水した。水柱が上がる。続いて手に持つ主砲からも弾が飛んで来る。
「っ」
掠めるような一撃だった。
急加速して距離をとる。
が、敵も追いすがってきた。背中の大質量をものともしない。ピタリと後方につけられる。すぐに3本の主砲が蠢いて一斉射、回頭して避けて、そこにまた腕の主砲が牙を剥く。
――なんとなく分かってきた。
叢雲は大きく脚を開いて波を引っかける。ありったけの大減速。敵の弾丸が鼻先に消えていく。
(――敵は、1人でしかない!)
敵の背に生えた3匹の艤装――その数に惑わされていた。別個に蠢いている様子からそれぞれに意思があるようなイメージを持ってしまっていた。錯覚だ。敵が3人増えたわけじゃない。あれらはむしろ三連装砲に近い性質。同時撃ちしかできない。あるいは別個に撃てるのかもしれないが、それぞれ精密に分業できるわけじゃない。
背中から3発同時に雑に撃ち、動きを制限したところを腕の主砲で撃ち抜く。
恐らくそんな戦法なのだろう。
――数に惑わされるな。後手に回れば圧し潰される。
減速した叢雲に古姫が追いついた。古姫の速度が僅かに緩む。自分も減速するか迷ったからだ。
(ここだ!)
つけいる隙。
古姫はいっそ駆け抜けてしまうか、接近に専念するべきだった。
半端な速度で走る古姫が叢雲を追い抜かし、その後ろに叢雲が食らいついた。古姫は速度を上げて引き離しにかかったが、叢雲は当然離れなかった。背後から必中のタイミングを狙い続ける。その瞬間は遠からずやってくると叢雲は予測した。
ぐるり、と。敵の背の主砲が1本、真後ろを向いた。
追尾する叢雲を排除するために。
(真後ろにも撃てるの!?)
一撃が放たれる。
見当違いの方向だった。
(しまった……!)
今のはブラフだ。見もしないで当たるわけがない。
古姫は大胆に減速。互いの距離が近付くが、叢雲はブラフに気をとられていたせいで狙えない。
このままでは彼我の位置関係がまた逆転してしまう。
ドッグファイトの前側になってしまう。
――ならば、いっそ。
追い抜きざまに、叢雲は思い切りカーブを切った。海上ドリフト。弧を描いて真横へ動く。
直進する古姫と、急カーブした叢雲。
互いの距離が離れていく。
せっかくのチャンスを逃すまいと古姫は勢いよく加速した。
その瞬間こそが狙い目だった。
波を足先をひっかけながら弧を描いていた叢雲が、別の波に引っかかって転倒した……ように見えた。それは意図的な跳躍だった。全身を捻りながら宙で振り返る。追いすがる古姫を正面に捉える。
真っ直ぐに進むだけの古姫は、動かぬ標的も同然だった。
「あ――」
加速の出鼻をくじくカウンター。古姫も気付いたが遅かった。
叢雲の照準はぴたりと古姫の左胸に定められている。
――ダァン!
乾いた発砲音が響いた。
@
「やるねえ! 流石は日本の水雷戦隊だ!」
パチパチパチと、ドヴェの白々しい拍手が勝者の叢雲を出迎えた。
「……やめて。これで勝ったなんて言えないわ」
「どうして? 3対1の結果で不満かい」
「ええ、おおいに不満よ」
叢雲の左肩には赤い塗料がついていた。それは古姫の最後の悪あがきだった。
――最後の瞬間。
古姫は咄嗟に半身になりながら砲撃で迎え撃っていた。
結果は、相打ち。
叢雲は1発被弾したけれど、3発先取して勝利した。加えて言うなら、その最後の相打ちも、相手の心臓部に見事に当てただけ叢雲の方が精度においても優れていたといえるだろう。
しかし、そんなのは演習だから通用する話だ。
――もしもこれが実戦だったなら。
肩に実弾を食らった叢雲は、海上を無様に転がって停止したところを狙い撃たれていただろう。あるいはそれ以前に、撃たれた肩ごと左腕を持っていかれて終わっていたかもしれない。それに比べて敵はどうだ? 駆逐艦の豆鉄砲が3発当たったからなんだというのか。その程度、姫級にはカスリ傷にしかならない。せめて10発は当てなければ中破もしない。
つまり、この演習結果は確かに『3対1』ではあったけど、叢雲にとってはお情けの勝利でしかないのだ。
(最後の一撃を当てられるとは思わなったわ)
空中で弧を描いて飛んでいる相手を撃ち抜くのは至難の業だ。着水した瞬間ならともかく。……敵は、砲撃精度だけは玄人並みだった。
試合前のドヴェの言葉を思い出す。
――火力と装甲を加味するならば君に勝ち目はなくなるよ
まさに言われた通りになってしまえば反論のしようも無い。
苦々しい顔をしている叢雲。遅れて上陸してきたチェティーリも、同じぐらいに不機嫌だった。口をへの字に結んでしまって何も言わない。負けたからだけではない。彼女の意に添わぬ何かをドヴェがやったからだ。
「あーあー、最悪の空気だよ。これ、先生のせいだよ?」
「でしょうね。けど多くの者に得る者があったでしょう?」
「ええ? どの辺が?」
トゥリーは首を傾げるばかり。
「チェティーリ君は、自身の未熟を再認識した。叢雲君は勝利を得た。ノーリ様は魂の輝きを見られた」
「う~~ん。そのために皆がいや~な想いしてるからなぁ」
「んあっ?」
幼女は両手を大きく揚げて抗議する。
「私はイヤナオモイしてないぞ!?」
「あー、そうですね、ボス。そういうのは趣味が悪いから言わない方がいいッスよ」
「んん? シュミガワルイ?? なんだそれは?」
「嫌われるってことッス」
「キラワレルとどうなるんだ?」
「……ああ、もう、いいです。難しいから今度にしましょ」
「む、そうか? ムズカシイなら仕方ないな」
チェティーリは無言だった。苛立ちを晒すまいと背中を向けて歩き出す。そこにドヴェが声をかけた。
「私をなじらないのかい?」
「……私が頼んだことです。強くしてほしいと……。けど!」
細い肩が激高に揺れる。
「今は冷静に話せそうにありません! 失礼します!」
「そうかい。では、夜にここで待っている。9時でいいかな? 反省会をしようじゃないか」
「……っ」
古姫は勢いよく海に飛び出した。飛沫を散らしながら主機を駆動させ、隣の島へと振り返らぬまま去っていった。
徐々に小さくなっていく背中を見送りながら、トゥリーは一言、非難した。
「先生ぇ、あんまり苛めないであげて下さいよ」
当のドヴェは平然と肩を竦めるだけだった。
「これは彼女の成長のために必要な措置だった。後になって振り返ればチェティーリ君も感謝するでしょう」
「そーいうさ、効率しか考えないやり方は良くないと思うッス」
「かもしれないね。けど、私は生まれついての深海棲艦。ヒトの気持ちはよく分からない」
「……後でフォローしといて下さいよ?」
「そうだね」
……これらの会話は、叢雲たちは完全に蚊帳の外だった。一体、何の話をしてるのだろう? ただ分かるのは、叢雲が当て馬に使われたらしいことだけだ。いいように利用された、だというのに説明の一つもされないのはどういうことか。馬鹿にしすぎだろうと叢雲は抗議した。
「ふむ、だったら教えてあげよう。チェティーリ君がどうしてああも怒ったのかを」
「先生、それは」
「なんだい、トゥリー君。あの娘は自身の前世について隠していない。ならば教えても問題ない。違うかな?」
「それはそうかもですけど、その、デリカシーというか……」
「必要とされない気遣いは却って重荷になる。君は知っているだろう?」
「まぁ……でも人として、いや人じゃなかった……。うーん、なんて言ったらいいか分かんない! 口では勝てそうになーい!」
トゥリーの消極的な肯定を得て、ドヴェは満足そうに腕を組む。ふぅ、と艶やかな息を漏らし、叢雲と浜波に向き直り、北方四天王の4番目、チェティーリについて説明を始めた。
「あの娘はね、元々艦娘だったんだ」
「……え」
「艦娘、ですって?」
……艦娘は、轟沈すると深海棲艦になる。その噂は何度も耳にしてきたし、元大鷹という実例もそこに居る。けれど2人目もすぐに現れるとは思わなかった。
現・艦娘の叢雲と浜波は目を見合わせた。
あの人形めいた容貌の少女が元々艦娘だったなんて俄かには信じられない。だって、彼女は背中から化け物じみた艤装を何本も生やしていて……。
ドヴェは3本だけ指を立ててみせた。
「ただし、彼女が艦娘だったのは3日間だけ」
「3日……?」
「そう。彼女は着任してたったの3日で実戦に出されたんだ。そして、取り返しのつかない事態になった。……ひどい話だと思わないか? 3日間じゃ乗用車の免許さえ取れないよ」
「3日間……」
ごくり、と唾を飲み込んだ。あり得ない。短すぎる。それは死刑宣告といっても過言ではない。幼稚園児を闘牛と対峙させるような仕打ちだ。そんな命令が自国でまかり通るはずはないと、叢雲は声を大にして否定したくなった。
けれど。
心当たりがあった。
「ブラック提督と呼ぶのかな? そういった采配をする連中を」
耳にした覚えがある。
人を使い捨てるような真似をする提督が存在すると。
「私もね、ロシアで無茶を命じる人間を何人も見てきたが……流石にそこまでの輩は居なかったよ。仮に人手不足だったとしても経験3日は素人すぎる。はっきり言って足手まといだ。囮役にもなりはしない。もしそういった役割が必要だったなら、艦娘の写真を貼りつけたブイでも自走させたほうがマシだろう。……しかし、チェティーリ君の提督君は、わざわざ安くない装備をつけさせて前線に出した。……これは一体どういう心算なのだろうね?」
「……」
「とにかく、そのようにしてチェティーリ君の前世は儚く消え去ったわけだ。だから今の彼女は、周囲に守られながらぬくぬくと育てられた艦娘を見るとどうにも恨みつらみが噴き出てしまうらしい。どうして自分とはこんなにも違うのか、と」
「別に私だって、楽をしていたわけじゃ……」
「だろうね。それはチェティーリ君も分かっている。自分の感情が逆恨みに過ぎないとも。だが理屈では衝動を抑えきることができないんだ。……ふふ、実に人間的とは思わないか?」
「……あんたはそれを知ってて、彼女を対戦相手に指名したのね?」
「そうさ。元より彼女に頼まれていたんだ。この世界の荒波を泳ぎ切る力をつけてほしいと」
「それは技術面だけじゃないってわけね……」
「その通り! 感情のコントロールもできるようになってもらわなきゃ強くなったとは言えないだろう? 彼女だってそれを承知して演習に臨んだはずだ。艦娘と対峙することに慣れるために。……でもそれだけじゃ、ちと温いと私は思った。せっかくの演習だ、私はもう一つ課題を加えることにした」
ドヴェは再び己の主――自称・北の魔女ノーリの肩に手を置いた。
「我が主様はヒトの感情が視える」
「うむっ」
にこにこと笑っていた。この世の穢れを一つも知らないような幸福に満ちた表情で。
「すごかった!」
「どうでした、チェティーリ君の煌めきは?」
「あのな、あのな、薄水色の光がいくつも重なって、強くなったり弱くなったり……とってもきれいだった!」
「……との事で、主様も喜んだ」
幼女は胸に手を置いて空想にふけっているようだった。本当に感情が視えたなら、恐らく先程の演習のときの、駆逐古姫の苛立ちと怒りを思い返しているのだろう。その表情は、人の不幸さえ美しいと讃えるくそったれの聖女に近かった。
「このように、私はチェティーリ君をダシに使ったわけだが……そうする可能性ぐらい警戒してもらわなければ困るね。“他人の提案を鵜呑みにしてはいけない”……彼女は一つ、学んだだろう」
「……あんたはそれでも仲間なの?」
「仲間の提案だからといって思考停止していいわけじゃない」
「さっきは信用は大事、とか言っておいて。舌の根も乾かないうちにそういうことを言うのね」
「信用は大事さ。油断してくれるからね」
「あんたは……っ! 全然、信用できないわ!」
「ひどいと思うかな? けど私は事前にヒントまで与えたよ?」
――欲するもののために戦う、その姿を見たいでしょう?
「それでもチェティーリ君は聞き流した。見世物になるのは艦娘であって自分ではない、と。自分こそがダシにされる可能性に思い至らなかった。……これはもう、痛みをもって学んでもらう他ないだろう?」
「……そ、それは、違うと思います。教えるなら、一つずつ、丁寧に伝えるべきだと、思います」
浜波が、たどたどしくもハッキリと、否を唱えた。
「……ふむ、賢明な人間は皆そう言うね。だけどこれが中々どうして、『嫌な想いを避けるために努力する』……そのやり方にも馬鹿にできない効果があると私は思う」
「あたしもそういうのは嫌だなぁ……」
トゥリーはぼやく。
叢雲も同感だ。失敗したら竹刀で叩くぞ、と脅すようなやり方は、人権意識の膨れ上がったこの現代にはまったくそぐわない。傍で唇を噛み締めている浜波を見て、尚更そう思う。それは適性を考慮しない愚かな方法だ。
「ま、私だって嫌われたいわけじゃない。君たちが一日も早く一人前になってくれることを願ってるよ」
ドヴェは狐のように目を細める。
トゥリーに向けて。
「……んん?」
“君たち”と彼女は言った。
その意味合いをトゥリーはすぐに察した。
「もしかして……、あたしもその、ピースメイカー式精神修行の対象、だったりして……?」
「精神修行ではなくて。洞察力の強化を目的とした実践、といったところかな」
「げげっ!? それってやっぱり痛い目を見ちゃうやつ……? な、なんであたしもやらされるんスか……?」
「前に伝えたはずだけどね? 深海棲艦は、誰の庇護下にもない。己で戦い、己で交渉しなければならないんだ。安易な口車に乗せられるようでは困る」
「えーっ! だってその辺は先生の得意分野でしょ!? あたしがやる必要ないじゃん!」
「私はどこにでもいるわけじゃない。それに、君たち2人には今後艦隊を率いる部隊長になってもらいたい。今のままでは別行動もおぼつかない」
「ほ、他の人は……?」
「アドナーのことかな?」
1番を指すロシア語。叢雲と浜波がまだ会っていない深海棲艦の名前だった。
「アレは旗艦にさえ向いていないでしょう?」
「う……確かに」
2番と3番に見限られている。どうやらその1番は、あまり有能ではないようだった。
が、何はともあれ。
「――あんたらの事情はこの際どうでもいいわ」
叢雲。
「演習で勝ったんだから、北の魔女の秘密について教えなさいよ」
まさかうやむやにするつもりじゃないでしょうね、と狐女を睨みつける。
当のドヴェは、そういえばそうだった、と大げさに驚いてみせて、指を一本立てる。
「約束を守る。その行為の積み重ねで信用は築かれる」
「……はいはい、分かったから」
この女、何をするにしてもわざとらしい。叢雲も少しずつ分かってきた。彼女は敢えて、自身の情報をアピールしている。
ドヴェという女は、何をしたがっているのか?
そのためにどんな手段を選ぶ傾向にあるのか?
……それらを、くどいぐらいに披露している。
そうする理由が、相手と親交を深めるためなら問題ない。
だが。
逆の意図なら話は変わる。つまり、艦娘と仲良くなるつもりなんてさらさら無い場合。叢雲たちを誘導し、いいように利用するために虚像を見せているだけならば……彼女の情報開示は全て嘘ということになる。
――私は生まれてから一度も嘘をついたことがない
その宣言からして嘘なのかもしれない。
目の前で肩を竦めている北端上陸姫を観察する。敵意なんて微塵も漏らしていない。こちらもつい、騙されることはあっても撃たれはしないだろう、と油断してしまいそうになるが……。
相手は深海棲艦である。それも、ロシアを引っ掻き回した張本人。
ただ性根が悪いだけの女ではないのだ。
「あんた、回りくどいのよ」
この狐女は、ついさっき、己の仲間さえも平然と騙してみせた。そんなずる賢い深海棲艦が、どうして艦娘にだけ誠意を尽くすと思えるだろう?
叢雲は、ピースメイカーだった女を全く信用していなかった。
目を光らせる叢雲に、ドヴェはほんの少しだけ唇の端を歪めてみせる。
「……ならば僭越ながら、この私ドヴェがノーリ様について説明させていただきましょう」
「ん、あー、そういえばそういう話だったな。ドヴェ、私の説明をしろ!」
主に促されたドヴェは、自分の胸に手を置いてからこう言った。
「――いいですか? 私という存在は、この身体が全てです。具体的にいうと……」
自分の頭の先を指差しながら、
「ここから、」
ゆっくりと身体の線をなぞりながら下げていき、足のつま先で動きを止めた。
「ここまでです。この肉体が、私です」
その動きを、全員が注視していた。
自称・北の魔女の幼女は頷きながら。護衛棲姫は事情を知っているのか平然と。
艦娘である叢雲と浜波は、「何が言いたいんだコイツ?」と顔を見合わせた。
当たり前すぎて意味が分からない。自分という存在は身体と同一である? だから、なんだ?
ドヴェの説明は続く。
「では次に。ノーリ様、あなたという存在はどこからどこまでになりますか? その範囲を教えてください」
問われた幼女は、「えーとな、」と幼い手を持ち上げた。宙を指す。何も無い空間だ。
その先には海があった。
真っ赤な海。
幼女の指は、その水平線を指している。
自称・北の魔女は、こう言った。
「あっちの果てからぁ、」
腕を水平に固定して、ぺたぺたと裸足を動かして独楽のように回った。ぐるっと一回転。360度動いたところで、きゅっと動きを止めた。
「ずぅ~~っと、ぜ~~んぶ、赤いところが、私だよ」
胸を張って、叢雲たちに目を合わせた。
五秒が経過して。
十秒経過した。
誰も、何も言わなかった。
「えっ、なにが……?」
ようやく叢雲は、説明が終わっていると理解した。
「全部って? どういうこと?」
叢雲は狐につままれた気分だ。呆けた顔を浮かべるしかない彼女に、トゥリーが答えを告げる。
「海なんだってさ」
言いながら、やはり水平線の彼方へと目を向けた。
「この北方深海基地を囲む海……もっと言うなら、大ホッケサークルと呼ばれる赤い海、それ自体がうちのボスなんだってさ」
「……はぁ?」
海。
赤い海。
それ自体が北の魔女なのだとトゥリーは言った。
元ピースメイカーも、同じように目を細めた。遠くの水平線を視線でなぞる。
「……不思議でしょう? 荒唐無稽でしょう? 私も、初めは信じられなかった。しかしノーリ様が普通の深海棲艦ではありえない力をもっているのもまた事実。だから私はこの一年間、彼女を観察し、研究を続けた。仮定と考察を繰り返し……そして確信を得た。彼女は深海棲艦ではない。言うなれば生みの親。故に、私は彼女に従うと決めたのよ」
全員で、赤い海を見渡した。
……海の色が、赤くなる現象。
それは、深海棲艦の出現とともに起こる、解析不能な現象とされている。少なくとも人類の認識ではそうだった。
「――では仮に。その因果関係が逆だとしたら、どうだろう?」
ドヴェは囁いた。
つまり、深海棲艦が現れるから海が赤くなる……のではなく。
海が赤くなるから深海棲艦が現れる……だとしたら?
「全ての生物には目的がある。動物ならば、産めよ増やせよ、だ。しかし深海棲艦は産めないし、増やせない。少なくとも自力ではね。……だったら、深海棲艦が存在する目的はなんだ? 神が生み出したのではないのなら、一体誰が、なんのために発生させている?」
正解を告げたのは、深海棲艦の生みの親と紹介された、1人の幼女だった。
「煌めきだ!」
ドヴェは恭しく一礼し、足りない言葉を補足する。
「戦争だよ。戦争による魂の煌めきだ。深海棲艦とは、それを再現するための演者に過ぎない」
説明パート長すぎ問題。
つまらねー! と思って戦闘パートを入れましたが説明パートが増えただけだった。申し訳ない。
あと登場人物が増えすぎてわけ分からないことになってると思うので深海棲艦の名前だけでもリスト化しておきます。
ノーリ (0番):幼女。自称・北の魔女。
アドナー (1番):戦艦棲姫。現在死亡中。
ドヴェ (2番):北端上陸姫。元ピースメイカー。
トゥリー (3番):護衛棲姫。元大鷹。
チェティーリ(4番):駆逐古姫。元艦娘。