ちょっと悪いひとたち ~さらば北方深海基地よ!~   作:シャブモルヒネ

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3-5:ストーブを囲んでくっちゃべる

 暗く、静まり返った教室で、ストーブがごおごおと燃えていた。時折、カンカンと金属が軋む音も混じる。部屋の中央にはぼんやりとした灯りを照らすランタンがぽつんと置かれていて、古びた教室の輪郭をいくらか照らしだしていた。部屋の隅には机が5つ寄せられていて、残りの1つはストーブの前に残されている。その1つの上には古びたラジカセが置かれていた。

 

『本日のリクエストはこちら。サンバのリズムと軽妙なラップとの組み合わせが夏の空気を呼び込む爽やかPOP、楽園ベイベー』

 

 パーソナリティが昔の曲を紹介していた。陽気な男が刹那的な快楽の素晴らしさを謳っている。

「……あー、懐かしいなー。あたしらの世代の曲じゃないけどさ、なーんか気に入ってんだよね。それっぽい単語を並べてゴキゲンに歌うだけって気安さが、いかにも大衆曲って感じで良いよね~……」

 トゥリーは呟きは、部屋の隅へと吸い込まれて消えた。

 彼女は椅子の背もたれに肘を乗せ、ぼんやりとストーブの窓から覗く炎の揺らめきを眺めている。

 ここはトゥリーの住処、教室。とはいっても授業や仕事に使われているわけでもない。ガラクタ小屋だ。電気も通っていない廃墟であるうえに、場所は孤島の上だった。その静けさといったら、まるで世界が終わってしまったかのようで、壁の時計さえ見なければ時間さえ淀んで止まってしまいそうだった。

「“底抜けの欲望にただ身を任せてみませんか~”……」

 口ずさみながら、良い歌だとトゥリーは思う。自分もこの歌詞のように気楽に生きてみたいとずっと昔から願っていた。……昔。そう、艦娘時代から。ド貧乏から抜けだして楽園行きの切符代を稼ぐために汗水を垂らし、命さえ懸けていたけれど、辿りつけなくて……けれど今回の人生ではあっさりと到達してしまった。北方深海基地という名の絶海の孤島に。今度はなんの苦労もなかった。ただ生まれた場所と、最初に会ったヒトに恵まれていたという理由だけで。大ホッケサークルと、北の魔女。その2つさえ維持されるなら外敵に怯える必要はどこにもない。

 ずっと欲しかった平穏な時間を手に入れた。

 けれど不満がないわけでもなかった。

 この赤く広がる海とゴミの島にはなんの面白みもなかった。代わり映えしない日々で、とにかく退屈なのだ。まるで監獄のようだった。

「娯楽がないんだよねぇー……」

 かつては平穏さえあればいいと願っていたのに、いざ手に入ったら今度は刺激が欲しくなる。贅沢なものだ、ヒトの心というものは。

――さて、どちらが良いのだろう?

 危険と刺激が待ちうける外海か。

 安寧と停滞が保証された北方深海基地か。

 比べるために、思い返す。大湊警備府に居た時代。

 あの頃はいつも予定に追われていた。時間をいかに効率よく消費するかが至上命題だった。それはそれで充実した日々だったと思うし、得られたものも多かった。けれど、得ることばかりに固執した人生をふりかえってみるとどうだろう? 後悔は……ある。塩漬けになった500万円。それを稼ぐ時間で別の生き方をしていたら、と夢想したのは一度や二度ではない。

 大鷹時代の自分は生き急ぎすぎていたと思う。

 もっと適当に生きてもよかったはずだ。

 街にくりだしてみれば遊んでいる連中はそこら中にたくさんいて、そいつらは無責任に軽薄ながらも随分と楽しそうに見えた。そんな時間をこの二度目の人生で体験してみたいと思うのは悪いことではないと思う。

 頑張るだけが人生じゃない。

 トゥリーはそう考えるようになったけれど、教室の後ろで難しい顔をしている艦娘の二人は同じようにはできないようだった。義務感に縛られて、正義感に囚われて、視野を狭めてしまっている。

 振り返る。その二人の顔を――叢雲と浜波の様子を、もう一度確認してみた。

 二人とも、敷いた布団の上で黙り込んでしまっている。

「……なぁんで先生はバラしちゃったのかなぁ?」

 叢雲と浜波がこうなってしまった原因は、昼間の情報公開にあった。

 ここ北方深海基地のボス、北の魔女の特殊な生まれと特性について、ドヴェがバラしてしまったせいだ。おかげで艦娘2人の顔はこうして深刻色に染まっているというわけだ。

(考えたところでどーにもできないんだから、もっと気楽に構えりゃいいのに)

 思うに。ドヴェが暴露してしまった理由はそういう部分が大きいのではないか。あの老獪な女は、艦娘2人に知られたところでどうにもなるまいと判断したのだろう。

 なにせここ北方深海基地は現在、けして脱出することのできない大ホッケサークルに囲まれている本物の孤島だ。つまり、どんな重要な情報を知られてしまっても外に漏れる心配は無い。

 いや、それ以前に、近い将来に脱出できるようになってこの情報が漏れたとしても問題はないのだろう。頭の固い人類はこんな荒唐無稽な話を信じないし、もし信じてしまったとしても、そこをとっかかりに交渉して美味しい着地点に導ける自信がドヴェにはあるのだ。なにせ彼女はロシアの政治家たちを手玉にとるほど弁舌が優れている。自分たちの利用価値を説いたり、他所の国との交渉を匂わせたり……そんな口八丁でどうにかできるのだろう。

 だから、叢雲も浜波もそんな難しい顔をしなくていいと思う。ただの艦娘2人にできることはないし、する必要も無い。いつか脱出できるようになるまでのんびり今を楽しめばいい。……そう、思うのだけど、

「なんだかなぁ」

 トゥリーはぼやきながら立ち上がり、四方の壁に目をやった。

 適当な話をふってみる。

「教室っぽい家具をもっと揃えたいんだけど、なにがいいと思う?」

 返事は無い。

「……教室ってさー、後ろに色々貼りつけてあるもんじゃん? プリントとか? そーゆうのを貼る掲示板みたいなのが欲しいんだよねえ……?」

「……」

 応えてくれるのはスピーカーだけだ。自由と開放感こそが人生にとって最も重要なスパイスだ、と見当違いの答えを返している。

「はー、やれやれって感じ」

 夏の歌だった。ビーチ、スポーツカー、ナンパ、常夏の楽園……現代の人類にとってはもうスクリーンの向こう側でしか知ることのできない夢物語。いまや南国はリゾート地ではなくただの戦場。バカンスはできない。深海棲艦が抑えてしまったから。

 でも、だったら……とトゥリーは想う。今の自分なら? 深海棲艦の身になった自分なら南の島にだって行けるかもしれない。

 その想像は少しだけ愉しかった。

(そうだ、物事には必ず良い面だってあるんだ。深海棲艦になったからって悪いことばかりじゃない。これからはそっちを向いて楽しんでいけばいい――)

「ラジオを、止めて」

「んあ?」

 思考を中断したのは、叢雲の声だった。

 鋭い目つきで軽薄なスピーカーを睨みつけていた。考え事にはそぐわないと言いたげだ。

 トゥリーはやれやれと首を振ってみせ、先程の考えを伝えた。心配してもしょうがない、そんな話を。

 叢雲の声は硬かった。

「……そんなことは分かってる。けど結果を勝手に決めつけて手を抜くのは愚か者のすることよ。できることはキッチリやるべきでしょ」

「真面目だなー」

「あんただってそうだったでしょう」

「大鷹時代はね。今はもう、止めたの」

 叢雲はじぃっと元大鷹を見つめた。何かを言いたそうにしていたが、結局目を落としただけだった。囁くような声量で、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「……あの元ピースメイカーは、北の魔女をどうしたいのかしらね」

「さぁ。あたしらをまとめるボスに祭り上げたいみたいだけど」

「自分がボスになればいいのに。あの小さな北の魔女ちゃんも嫌とは言わないんじゃないかしら」

「先生は、もうリーダーをやりたくないんだって。疲れるから……いや、飽きたからだっけ?」

 叢雲は黙った。

 なんとなく、言葉に熱がないと感じた。これまで付き合ってきた経験もそう言っていた。この質問は、会話の助走みたいなものだろう。

「……あんたはどうしてあいつに従ってるの?」

 多分、こっちが本命だと思う。

 トゥリーは素直に答えてあげることにした。

「そりゃー、あの北端上陸姫の頭がキレるからだよ。……アンタも艦娘歴が長いなら分かるでしょ? 深海棲艦は、大体お馬鹿で、戦術も戦略もいい加減。すぐにやられちゃう。そういう連中と運命を共にするのは嫌なんだよね」

「か、艦娘でいうと……下手な提督には、従いたくないって、こと?」

「そーだよ浜ちゃん、よく分かってんじゃん」

「それだけ? あいつが何をやらかすかは想像はしてないの? 北の魔女についてはどう思ってるわけ?」

「あー……」

 めんどくさいことを聞いてきた。

「大鷹?」

 しかも、大鷹ときた。

 もう違う、と何度も言ってるのに。自分はもう、深海棲艦で、護衛棲姫で、トゥリーって名前だって言ってるのに。

「あのさぁ、叢雲はさぁ……」

 トゥリーは穏便に済む言い回しを探してみた。けれど、上手い言葉は浮かんでこなかった。

「……その話、しなきゃだめ?」

「だめよ」

「いやさ、だめってことはないでしょ。あたしの上司じゃないんだから」

「私は、聞きたいわ。あんたが何を考えてるのか、私は知りたい」

「だからさぁ……」

 トゥリーは元は大鷹で、今もその記憶を保持しているけれど、深海棲艦だという事実は覆せない。対して、叢雲と浜波は艦娘だ。この2つの勢力の間には本来、底が見えないほどの亀裂が走っている。今はぼやかして見ないようにしているだけだ。それを叢雲は分かっていない。

「あたしをまとも扱いしてくれんのは嬉しいけどさ? それでもあたしは深海棲艦で、あんたらは艦娘なわけ。突っこんだ話をしちゃったら喧嘩にしかなんないでしょ? だからあんまりめんどくさい話をしてほしくないんだけど?」

 叢雲はすっくと立ち上がった。ラジカセの前まで歩いて止まる。細い人差し指でためらいなく電源を切った。

 いっそう静かになった教室で、叢雲はトゥリーと同じ高さで目線を絡ませた。

「話して」

「……はぁ~」

 こんな強引な性格で、よく周囲と衝突せずにやってこれたもんだ。トゥリーは溜め息をついたが、実は悪い気分でもなかった。叢雲は、旧知の仲だからこそ突っ込んだ話をしてくるのかもしれない。

 だから付き合ってやることにした。

「……ロールプレイングゲームでよくいるらしいよねー、ああいう設定のラスボスって」

 トゥリーは椅子によいしょと腰を下ろした。煎餅布団で膝を抱えている浜波に目を向ける。

「ラ、ラスボス……?」

「北の魔女のことを言ってるの?」

 叢雲は神妙な顔だ。

「そ。……叢雲、あんたゲームは……やらない、か」

「そんな暇ないわ」

「悲しい人生ねえ」

「あんただって訓練漬けだったでしょう?」

「ま、そうなんだけど。……浜ちゃんは?」

「す、少しは」

「うん、じゃあ分かるかな? 昔のRPGのラスボスってさ、魔王とかじゃなくて、神様とかシステムとかが多い時期があったんだって」

「シス、テム……?」

「まー要するにあれよ。本人には悪意が無いけど、居るだけで迷惑なやつ」

「それが何だっていうのよ?」

「あの北の魔女がソレって話。あの子には悪意が無いって話よ」

 叢雲はかぶりを振った。

「そんなの、実害が出てるんだから関係ないでしょう?」

「いや、関係あるよ。あのちびっ子の目的は、魂の煌き? とかいうのを見ることであって、人類に敵意は無いわけ。見逃してくれって頼んだらオッケーしてくれたし」

「……そうなの?」

「ん……。まぁ、大湊は、なんだけど」

「幌筵泊地は……違うのね?」

「どこかの勢力とは戦いたいみたいだねぇ」

「……あのね、人が悲しんだり怒ったりしてるのを見たいなんて奴が邪悪じゃなくて一体なんだって言うの?」

「そう? でも人間だってそういう話は好きじゃない? 上げて落とすみたいなやつとかさあ?」

「それは創作物の話でしょ……」

「そーかなぁ。映画の中なら人が死ぬ場面を見て感動するのは正しいの? そういう話を求めるのは邪悪じゃないの?」

 叢雲は苛立ちを隠そうともしなかった。

「くっだらない! あんた、そんな低次元な議論がしたいわけ!?」

「……分かった、分かったよ。あたしが悪かった」

 トゥリーは椅子に正面向きに座りなおす。今度は堂々と、叢雲の燃え盛る瞳を直視した。

「あたしが言いたいのは、あのちびっ子はかなりマシな部類ってこと」

「マシって、なによ?」

「人間を殺したいって言ってるわけじゃないじゃん。頼めば大湊警備府をスルーしてくれるしさ。その点でいえば、私らが戦ってきた深海棲艦たちと全然違うでしょ?」

「スタンスがどうであれ、敵対して戦争しかけてくるのは同じでしょ」

「そーかもしんないけど。ちっと黙って最後まで聞いてくんない?」

「……」

「とりあえず、そのスタンスとやらがマシだっていうのが、あたしが一緒に居る理由の1つ目。2つ目は強さだね。あのちびっ子は、よく分かんないけど北の魔女みたいだし、ってことは本体に戻れば超強いってことでしょ? しかもブレーンとして超優秀な元ピースメイカーも従ってる。つまり、あたしが今後、深海棲艦として平穏な人生を送るにはなかなか優良な集団ってわけ」

 叢雲は腕を組み、苛立たしげに指をトントンと揺らした。

「……大湊は、それでいいかもしれないけど。幌筵はどうなるわけ?」

「いや、だからさぁ、」

「単冠湾は?」

「……」

 叢雲の目つきがどんどん鋭くなっていく。

「聞こえのいいこと言っても結局、戦争するんじゃない。あんた、人殺しの集団に参加するって言ってんの、分かってる?」

 今度はトゥリーが苛立つ番だった。聞こえよがしに舌打ちをする。

「……叢雲、あんたさぁ、言わなきゃ分からないわけ?」

「当たり前でしょ」

 トゥリーは大げさなほどにわざとらしく溜め息をついた。私は言いたくなかった、言わせたのはお前だと非難するように。そうしてたっぷりの間をおいてからトゥリーは言葉の刃を並べた。

「あたしからしたら幌筵も単冠湾もどーでもいーんだわ。知り合いも居ないし、私の胸は痛まない」

「あ、あんた……!」

「言っとくけど」

 トゥリーは脚を組み、不満を表現するようにつま先を上下に揺らした。

「あたしだって本意じゃない。けど、これ以上はできねーわ」

「なんですって……?」

「大湊だけでも温情かけてやってるだけありがたいと思いなよ。なのに文句まで言われる筋合いは微塵もないね。違う? あたし、なんかおかしいこと言ってる? 叢雲はさ、深海棲艦を攻撃する艦娘のくせに、深海棲艦のあたしにどこまで献身を求めんだよ?」

 静かな憤りがあった。

 思わぬ反撃に叢雲は鼻白む。トゥリーの口調からはこれまでの馴れ合いを感じさせる暖かさを感じられない。敵意とまでは言わないが……けして味方の側の温度ではなかった。

 彼女の眼は、海底に沈んだ鉄屑よりも冷たかった。

「いっぺんさぁ、あたしの立場になって考えてみなよ? 突然生まれ変わって、深海棲艦になりました。味方は誰もいません。一人で生き延びられるほど海は甘くないし、どこかの集団の入れてもらわなきゃいけない。じゃあ大湊に戻る? はっ、無理だね。攻撃しかされんでしょ」

「そんなことは、」

「そんなことなんだよ」

 つま先が、苛立たしげに揺れていた。

 お前はなんにも分かっちゃいないと責めている。

「深海棲艦なんて人類からしたら侵略者でしかない。白旗を揚げようが人権の“じ”の字も保証しちゃくれないね。……違うなんて言わせねーし。他ならぬ艦娘だったあたしが言うんだ、間違いない」

 唾棄するように言葉を紡ぐ。叢雲を、安全圏から綺麗事を押しつけてきた女を睨みつけ、なおも収まらぬ苛立ちを吐きだした。

「ゴキブリ以下に見下され、いつ撃ち殺されたっておかしくない。それでも人間様の味方しろってなんなのさ? そうしなきゃ仁義にもとるって、そう言ってんのよアンタは。勘弁してよ。なぁんでそこまでしなきゃいけないの?」

 誰が好き好んで前世の同胞と争うものか。しかし、世界が、この世の仕組みが戦う以外の選択を許さない。ならばもうこれは仕方のないことなのだとトゥリーは言っていた。

「死して護国の鬼となれって? だったらせめて支援ぐらいしてから言いなよ。例えば、どっかの島を丸々譲ってさ、メシ・風呂・住居、その他諸々を整えて、不自由なく暮らせるように物資と人員もサポートして、そんで「どうか人類のために戦ってくださいお願いします」って頼みなよ。それぐらいやってくれるならまだ分かるさ。けど、なーんもしないで、むしろ銃口向けて罵声を浴びせる立場のくせに、それでいて「人類に敵対するな~」なんて……。はン、どの面下げて言えるワケ?」

 叢雲は。

 しばらく無言を貫いた。

 深海棲艦になってしまった元同僚からけして目を逸らさない。白磁器のような肌、その表情に歪みの一つも作らずに、彫像のような無感情さを保っている。

 明らかな反抗を正面から受け止めて、それでも微塵も怯んでいなかった。

「な、なんか言いなさいよ……」

 啖呵をきったはずのトゥリーのほうが逆にたじろいでしまう。

 叢雲はほんの少しだけ口元を緩めた。

「他には、無いの? 北の魔女一派に加わる理由」

「……え? いや、無い……けど?」

「人間が嫌いになったわけじゃないのね……」

 艶やかな吐息とともにトゥリーに歩み寄る。そして、鍛え上げられながらもピアニストのように麗しい五指を広げて元大鷹に差しだした。

「大湊警備府に帰るわよ」

 決意を迸らせた瞳だった。

「提督だろうと戦艦娘だろうと誰だろうと文句は言わせない。矢面に立って、全ての悪意と思い込みからあんたを守ってあげる。中身は大鷹のままだって24時間叫び続けてやるわ。だってあんた、まともなんだもの。こんなところに居ていいわけがない」

「は……」

 嘘はなかった。強がりもない。もしも大湊にいっしょに帰ったなら、叢雲は本当に有言を実行するだろうと信じさせるだけの強さがあった。彼女は必ず、全ての艦娘と軍関係者の理解を得るために尽力するだろう。そのことを、前世から腐れ縁で繋がっていたトゥリーは理解させられてしまった。

 こいつはこういう女なのだ。

 強烈な眩しさに、思わず吸い込まれてしまいそうになる。――けれど。

 人間の掲げる高貴で崇高な理念に運命を委ねられるほどトゥリーは純粋ではなかった。むしろ不純なほうだ。なにも特別なんかじゃない、ただの卑しい身売り組なんだから。

「い、いやいや……なに、言ってんの? まいったなー、そういうこと真顔で言うんだから……」

「私は本気よ」

「知ってる、うん、知ってるよ。あんた、根っからの人たらしなのよ。男だったらさぞモテたでしょうね」

「あによそれ?」

 叢雲は差し出した手を更にトゥリーに近付けた。さっさとこの手をとりなさいと迫る強引さは自信さえ満ちていて、抗いがたい魅力を放っている。

 トゥリーはごくりと唾を飲み、椅子に座りながらも仰け反った。

「待って、待って待って。いい、あんたが本気なのは分かったから……。けど無理なものは、無理」

「なーにが無理なのよ?」

「あんたはいいよ、あたしの中身を信じてくれる。けど周りはそうはいかんでしょ?」

「誰? 提督のこと? 言いくるめてやるわよ」

「あーあー、そうね、それもできるかもしれないね……。あの人、お人好しだから。よしんば戦艦・空母のお姉さまがたも抑えられるかもしれない。そういうことに、しましょうか? それでもだよ、」

「わ、私も、言う。証言、する」

「はいはい浜ちゃんもありがとねー、ちょっと黙っててねー」

 一言でいえば、ありがた迷惑だった。

「うちの……じゃなかった、大湊警備府の人たちがまるまる味方してくれるようになったとしてもだよ? 他所の鎮守府・泊地はそうじゃないし、司令部の連中なんか絶対に放置してくんないでしょ?」

「そんなの、あんたが無害だって証明していけばいいのよ」

「いやだからさ、世の中そんな単純にできてねーっつーの……」

 叢雲は簡単に言うけれど。困難な道のりだろうと最善の結果のために進んでいこうと手を差し伸べてくるけれど、トゥリーはそんな博打にのろうとは思えなかった。

 叢雲を信用していないわけじゃない。

 大湊警備府の人たちだって時間をかければ分かってくれると思う。

 もしかしたらその勢いで司令部の人たちが“元大鷹の深海棲艦”というセンシティブな存在を認めてくれる確率も0.1%ぐらいはあるかもしれない。

 しかし、しかしだ。

 汗水たらして稼いだ500万円はどうして塩漬けになった?

 それは、努力が報われるとは限らないからだ。必死こいても全てがパーになる、そんな未来は無数に待ち受けている。

 人生を懸けた無駄働き。その愚かさを嫌というほど思い知っていた。

――想像してみる。

 もしも、叢雲と浜波に連れられて大湊に帰ったらどうなるか?

 かつての仲間たちに憎しみを向けられて撃たれるかもしれないし、それでも信じてもらうためには無抵抗でいなければならない。耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、五体投地でなんとか砲を引っ込めてもらえたとしよう。様子見という段階に入れたとする。しかし、疑いの目は消えないし、自分を庇うであろう叢雲と浜波はスパイ扱いの陰口を叩かれるかもしれない。自分のせいで嫌がらせさえ受けるかもしれないと想像したら、たまらなかった。自分だってあらぬ思い込みで悪意に晒されて、それでも耐えて少しずつ信用を築いていくしかない。心休まる時間なんて一秒だってないだろう。その苦しみをどうにか乗り越えたとしてもまだ終わりじゃない。お次は他所の連中が黙っていないはずだ。「大湊の連中はとんでもない裏切り者たちの巣窟だ」とか言われて、そんな醜聞と危険性を許さないド偉い肩書の人たちが圧力をかけてくるに違いないし、実力行使にでるに決まっていた。そうなったら提督も艦娘も自分を守れきれないだろうし、守ろうとして下手な事態になられても困る。どちらにせよ自分はド偉い人たちにどこぞに連行されていき、自称・元艦娘の実態をケツの穴まで調べつくされるはめになる。運が悪ければ「解剖しよう」とか言われるかもしれない。自由なんて当然ないし、人権はおろか命だって保障されることはない。

 そんな艱難辛苦を味わってまで身の潔白を証明したいか?

 答えはNOだった。

 塩漬けになった500万が頭をちらついて離れない。2年と9ヶ月という時間、そして命は、けして安い代価ではなかった。同じ轍を踏む気は、ない。

 その心情を、とてつもなく回りくどい言い回しで、自分だって本当は帰りたいんだけどみたいなニュアンスで伝えると、叢雲はむすっと口元をへの字に曲げて、不満を顔中で表現した。

「――そんな顔しないでよ。とにかく、いきなり帰るのは無謀なんだって。歩み寄りには時間が必要ってやつ」

「で、でも……このままだと、大鷹さんと、いつか、戦うことになるかもしれない……」

 浜波さえも不満そうだった。

「もう大鷹じゃねーっつーの。そう理解しな。来るときが来ちゃったらもうしょうがないんだよ」

「そんな……」

 トゥリーは頭をがりがりと掻いて立ち上がる。窓の向こう側、暗闇のもっと向こう側の……本土があるはずの方角に目を向けた。

「……とりあえずさぁ、あんたら帰ったらあたしのことを報告しなよ。こういう経緯で自己防衛するしかない深海棲艦がいるってさ? もしかしたら大ホッケ海の外にもそんな元艦娘がたくさん居るかもしれなくて、そいつらが安心して戻れる体制を整えたら強力な味方になるかもしれないぞー、って」

「まるで深海棲艦シンパの言い分ね」

「あー、そういやそうだね。今じゃカルト扱いされてっけど。主にピースメイカー先生のせいで」

「……あいつ、信用できるの?」

「するしかない、っつー感じ。まぁ実際、あのひとが何したいのかはよく分かんないんだけど……あれはあれで意外に悪いひとでもないんだよね。人の嫌がることは……やるんだけど、ホントの本当に嫌なことはやらないんだ。そこの線引きはできてると思う」

「ふん。私は信用できないわね」

 叢雲は腕組みを解いて、踵を返す。入り口まで歩いていって戸を開けた。

「ちょっとちょっと、どこ行くの?」

「散歩。長話して疲れたわ」

 叢雲はちらりと壁時計を見上げた。

「この島、ぐるっと歩いてくる。ちょっと時間かかるかも」

 切り替えの早い女だった。

 いや、これは自省の一種なのかもしれない。これ以上熱くなって口論にならないための。

「……叢雲」

「あによ」

「お花摘みなら、海でしな」

「違うわっ」

 戸がぴしゃりと閉じられた。

 教室の空気は再び落ちつきを取りもどし、ストーブの燃える音がカンカンと鳴る音が聞こえてくる。

「……馬鹿なやつ」

 呟いてしまってから、浜波と眼があった。夕雲型の少女はただじっとトゥリーを見つめていた。

 言い訳せずにはいられなかった。

「あたし、どーも口が悪くって。白いものを黒いって言っちゃうんだ」

「そういう人がいても、いい、と思う。いろんな人がいたほうが……」

 浜波は体育座りのままきゅっと膝を抱えこむ。

「けど……」

「ん?」

 浜波の前髪から、瞳がのぞいていた。

「大鷹さんも白いんじゃないですか?」

 ぎょっとした。

「そうじゃなきゃ、大湊だけでも守ろうとなんてしません。私たちを拾って保護しようとなんてしません。せっかく見つけた、自分を守ってくれるかもしれない魔女たちに嫌われるかもしれない危険を冒そうとはしないと思います」

「ああ、いや……」

 無力な娘だと思っていた。相手の裡に切りこむ勇気は持ちあわせていないと。かつての自分と同じように。

 だが、そうではなかった。

 彼女もまた叢雲と同じように、白く、輝かしい強さを持っていた。

 たまらない。そんな光を見せないでほしかった。

「……あたしは、白くなんてないよ」

 トゥリーは逃げるように眼を背け、沈黙をかき消すためにラジカセの電源をONにした。

 ラジオ番組はいつの間にかニュースへと移っていて、午後9時を告げていた。

 

『――明日は風が強く、波が高くなることが予想されます。海岸沿いにお住まいの方々は災害や事故にご注意を』




海外軽巡、増えましたね。
海外軽巡たちと一部の日本軽巡による催眠合戦で過去を改変されまくって幼馴染という概念が崩壊した提督のハートフル・サイコ・ラブコメディな二次創作を誰か作ってください。こんな感じの↓

好きとか嫌いとかを超越したパーフェクト幼馴染のゴトランド!
ふわふわ系全肯定幼馴染のデ・ロイテル!
生真面目でみんなの前ではそっけないけど2人きりになると少しだけ心を開く委員長系幼馴染のパース!
マイペースで口が悪いけど悪友ポジでおっぱいのでかい幼馴染のアトランタ!
過保護で甘やかしてくる年上のおっぱいのでっかい幼馴染のアブルッツィ!
恋愛感情がないゆえに距離が近くておっぱいのでかい幼馴染のガリバルディ!
おっぱいの小さい幼馴染……? 由良……うっ、頭が……
はっ! 私はいったい、何を、考えて……

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