ちょっと悪いひとたち ~さらば北方深海基地よ!~ 作:シャブモルヒネ
箱根の町に、黒たまごという名物がある。
その名の通り、殻が黒色になっている卵のことで、作り方もいたって簡単。温泉に入れて茹でるだけ。そうすると殻に鉄分が付着し、硫化水素に反応して殻が黒く染まるのだ。うまみ成分も多く、食べると7年寿命が延びるといわれている。
浜波はその黒たまごを一度は食べてみたいと思っていた。
藤波や早波たちといっしょに旅行に行けたらなぁと観光雑誌をめくったこともある。けれどさすがに箱根は遠かった。自分の着任地である単冠湾泊地から赴くには太平洋をずごーんと縦走しなければならない。このご時勢に旅行目的で海を渡れるはずもなく。これはもう横須賀鎮守府に出張する機会でもなければ食べるのは不可能だろうと半ば諦めていたところだった。
そこに、まさかの黒たまごがお出しされたのだ。
この北の海でお目にかかれるとは。棚からぼた餅というやつである。
「うわぁ~!」
諸手を挙げて喜んだ。が、
「……うわぁー」
その黒たまごは、あまりにも黒かった。
箸でつまむとずしりと重い。そこは普通の卵と同じである。しかし色、これがもうテカテカに黒すぎた。つるりとした表面には覗きこんでいる浜波の顔が映りこんでいる。
これって実は鉄球なんじゃないの、という疑念は密かに飲みこんだ。言ってしまえば用意してくれたアっちゃんさんに失礼だから。
……でも。
これはぜったいに箱根の黒たまごとは別物だと浜波は強く思う。
目の前には中華鍋。ぐつぐつと煮えたぎる音を取り囲み、4人の人物が鎮座していた。
浜波と叢雲。
護衛棲姫と駆逐古鬼。
珍妙なメンツだった。
朝食の時間である。
メニューはただ一品、おでんのみ。
おでんといってもそんじょそこらのおでんとはワケが違う。日本各地の郷土料理を並べてみても似たような鍋は無いだろうと断言できる。なにせ具材がぜんぶ黒かった。
たまごも。
大根も。
ちくわも。
たくさんの黒い物体が泡立つ中華鍋に放りこまれていた。
まるで木炭を煮こんでいるみたいだなぁ、と浜波は他人事のように思った。
ぜんぶ同じ色をしているせいで、じゃがいもとつみれの区別がつかなかった。
しらたきが毒性のイソギンチャクにしか見えなかった。
タコの足なんてもう深海機雷の触手なんじゃないかと思った。
これを食べろと仰るか。
ためらいながらも箸を伸ばしてゆで卵を割ってみる。
もしかしたら箱根の黒たまごのように中身は白いかもしれない……という願いは一発で砕かれた。
「う、うわあぁ」
中身も立派に黒かった。そして黄身と思われる部分は赤かった。
さすがにコレはない。
希望を失った目でグロたまごを眺めていると、隣の叢雲が気合一閃、
「ええい、ままよ!」
と叫んで、がぶりとグロたまごにかぶりつく。
「!?」
もしゃもしゃと皿まで舐めあげる勢いで深海おでんを咀嚼している。他に食うものがないなら食うまでよ――眉間に刻まれた皺が彼女の決意を雄弁に物語っていた。
(すっ、すごい、このひと)
まさに武人。サムライとはかくの如く揺るがぬ精神性を備えた乙女を指すのだと思った。見習いたくはないけれど。
――ごっくん。
「だ、だいじょうぶ……?」
「味がしないわ」
武人・叢雲はぺろりと口の端を舐めあげた。
姫級たちは目を丸くして、
「おーっ、すげー。コレを初見で食べるかー」
「やるわねぇ! 思い切りのいい子は好きよ!」
と手を叩いて喜んでいる。
食わせておいてその言い草か、と思わなくもない。
叢雲は唇を尖らせて、
「コレってどうしてぜんぶ黒いの?」
と今更な疑問を呟いた。食ってからいう台詞じゃない。
「知らないわ!」
食わせてから答える台詞でもなかった。
ついていけない。深海棲艦の無茶ぶりに対して自分はあまりにも無力だ。ただご飯を食べるだけでどうして覚悟が必要になるのか誰か教えてほしい。
げんなりとしていると叢雲が目ざとく見つけてフォローした。
「こんな話を知ってる? 中国のある食堂では常連客を作るために麻薬を混ぜていたっていうし、インドでは死体が浮いてるガンジス川の水をそのまま料理に使っているって聞くわ。それを思えば、ちょっと色が黒いぐらい大したことないじゃない。私を見なさいな、ただちに影響が出てないでしょ?」
「そ、それは、許容していいレベルの話、なの……?」
目の前の未知の食材を眺めながらしみじみ思う。食べ物に安全が保証がされている、それがどれだけありがたい話だったのか。
「これ、食べてたら、いつの間にか深海棲艦に、なってそう……」
「ふん。なったらなったでバレなきゃいいのよ。肌が白くなってお得だって思いなさい」
「い、いいのかなぁ」
でも、確かにごねていてもしょうがない。
だって他に食うものがないのだから。
浜波も覚悟を決めた。
瞼をぎゅっとつむって「えいっ」と黒たまご(偽)を放りこむ。なるべく噛みたくなかったが飲みこむためには仕方ない。もぐもぐと咀嚼した。たまご特有の柔らかな食感が……まるでない。
(うぅ……)
しけった食パンみたい、というのが第一印象。もさもさで中身がつまってない。簡単につぶれて、味がしなかった。
なにこれぇ、と渋い顔で嚥下した。
「おー」
「すごーい」
ぱちぱちぱち、とまばらな拍手をいただいた。
駆逐古鬼が晴れやかな笑みを浮かべていた。
「あんたも根性あるのねぇ!」
その顔は、昨日会った古姫によく似ていた。よくよく見ると髪形が少し違う。おでこを大きく出していて、髪質もわずかにウェーブがかかっている。でも、そんなの凝視しないと分からない程度の違いでしかない。
――でかいリボンのおかげで区別はできるけど。
じっと見つめていると、古鬼は「?」と小首を傾げた。
「なぁに?」
「べ、別に……」
「変な子ねぇ」
古鬼はくすりと笑い、隣でまじまじとちくわを観察している叢雲に声をかけた。
「叢雲ちゃんは何をしてるの?」
「……いえね、おでんってほとんど加工品のはずでしょ? 大根はともかく、ちくわが黒いのはどうしてかなって……」
「ああ、そういうこと? あのね、これってぜんぶ畑で採れたのよ。最初から黒かったの」
「ぜんぶって……ちくわも?」
「そう。ちくわも、昆布も、たまごもよ」
「嘘よ、そんなの。だってちくわが土から生えてくるわけないじゃない?」
「普通はね。でもここって普通じゃないでしょ? 理由なんて私も知らないわ。私だって最初は驚いたもん」
「じゃあ……このたまごはニワトリが産んだものじゃないの?」
「そうよぉ? じゃがいもみたいに土に埋まってたの」
「えぇ? そんなのって……。だったらそのまま埋めてたらどうなるのかしら……。たまごから根が伸びて新しいたまごの実ができるの? それとも黒いヒヨコでも産まれる?」
「それはねえ……」
浜波は聞き流した。
世の中には知らないほうが良いこともある……はずだ。それが腹に入れてしまった謎食材についてなら、なおのこと。
雑談をシャットアウトして箸を伸ばした。
なんだかお腹が減ってきた。こんなものでも一度食べてしまえば抵抗感は薄れる。毒を喰らわば皿までではないけれど、どうせなら満腹になるまで食べてやろうと思った。
「これ、こんにゃく?」
「そうだよ」
答えたのは護衛棲姫。
「味がないのは、本物といっしょだね」
「そうだねえ」
護衛棲姫と並んで鍋をつつく。
見事にぜんぶ味がしなかったけれど、誰かと一緒に食べるご飯はそれだけで美味しい気がしてくるから不思議だ。
「味がしないのはね、やっぱり出汁のせいかなって思うのよねー」
元大鷹の少女はタコ足をくわえながらぼやく。
「ここには調味料も香辛料もないからね。素材の味しかしないってわけよ。そして素材はコレだもん。深海作物。なんなんだろーねこれ。栄養あんのかな?」
「畑で採れるって、言ってたけど……」
「うん、チーちゃんの島ね。隣の4番島。そこに畑があんの。畑っていうか更地?」
「ふぅん」
この北方深海基地のヘンテコさにはもう慣れっこだ。わけの分からない現象があると言われればそういうものなんですねと返せる図太さが身につきつつあった。
むぐむぐとはんぺんと噛んでいると、元大鷹はついと鍋の中身へと目をやった。
「……そういえば、大湊にいたときもおでんを食べたことがあったなぁ」
独り言のような言い方だった。
「そうだ、あれは一航戦の2人に奢ってもらったんだった。改二になったお祝いに。そうだ、どうして忘れていたんだろう……」
遠い目でおでんの具を眺めていた。
「もう教えることは何もないって言われた後に呼び出されてさ、なんだろう、最後にガチンコ勝負でもさせられんのかなって思っていたら普通に飲み会だったわけ。それがおでん屋なんだけど、今どき屋台よ? なんか空母の伝統らしいけどこれがまたきったない手押し車でさぁ、赤銅色の鉄板に油がこびりついていて、灯りは裸電球で……」
「うんうん」
「どうせならもっと良い店連れてけよ金持ってんだろって思ったけど、食べたら意外に美味しくってさ……でも赤城さんも加賀さんもダンマリなのよ。訓練のときみたいなおっかない目ぇしてひとっことも喋んないの。なんだこりゃって思ったわ。だって祝いの席なのに修羅場みたいな空気なんだもん。いやあたし、修羅場知らないけど」
「うん」
「そんで仕方ないから主賓のはずのあたしが喋ったわけ。お二人のおかげでここまでこれました、とか。憧れの二人に追いつけるようにこれからも精進します、とか。あと半年で辞めるつもりなのに我ながら薄っぺらいと思ったわ。なんでこんな嘘つかなきゃいけないんだろうって腹が立ってきたんだけど……ふと、もしかしてって思ったの。一航戦の2人にはあたしが辞めようとしてるのバレてんじゃないかって。だから何も喋らないんじゃないの? 内心ではぶちぎれててあたしはこれからヤキを入れられるのかもしれない、このおでんが最後の晩餐なのかもしれないって血の気が引いたわ」
「……うん」
「けど違ったの。バレてなかった。赤城さんがさ、」
元大鷹は、少しだけ言葉につまった。
「赤城さんがさ、こう言ったの」
――ここまでついてこられた子はいなかった。
「……そりゃいないわって思ったわ。あんたら裏でなんて呼ばれてるかって知らないだろ、って。
「……」
「そこで加賀さんがね、こう、「ん」って紙袋を渡してきたの。前向いたまま。なんだろうって開けてみたら、」
言葉は過去を掘り起こし、艦娘としての記憶を呼び覚ます。
「マフラーが……入ってて……」
語尾は少し震えていたかもしれない。
「なんだろう、あの気持ち。なんか、ぐっときたんだ。一航戦の2人はめちゃくちゃ厳しくて、温かい血なんて流れてないって思ってたけど、そうじゃなかった。ちゃんとあたしを見てたんだなぁって……」
大鷹は、身売り組で。
きっちり3年間で辞めるつもりで艦娘になった。
だからその間の生活はぜんぶ仮のもの。誰とも深い関係なんか作らないし、自分のためだけに時間を使うと決めていた。
でも。
「……ずるいじゃん、そんなことされたらさ。こちとら情を知らない野良犬なんだから、餌をくれたらすーぐ嬉しくなっちゃうんだわ」
元大鷹の持つ小皿には、黒々としたおでんが浮かんでいるけれど。
今の彼女の目には色とりどりの宝石が映っているに違いなかった。
「……その、マフラーって?」
浜波が目を向けた先、元大鷹の首にはなにも巻かれていなかった。もしかして失くしてしまったのかと思ったから。
「捨てちゃいないよ。けど、つけてもいられなくてさ」
深海棲艦になったから。
艦娘として戦うために渡されたプレゼントを身につけているわけにはいかないから。
「……ねぇ、大鷹さん」
浜波は、あえて『大鷹』と呼んだ。
否定はされなかった。
「いつか、戻ろうよ。今は無理でも、そのうち大湊に戻れる日がくると思う。……ううん、来るように、する」
「……」
「そしたら、ちゃんとしたおでん食べよ? 奢るから。その屋台ぐらい美味しいかは、分からないけど……」
「ふ。浜ちゃんに気遣われるようじゃあ、あたしも未熟だね」
「食べたいの? 食べたくないの?」
「……そりゃ、まぁ」
「はっきり言って」
「食べられるもんなら、食べたい……かな」
「だったら、決まり」
浜波はちょっと無理をして笑った。
「一文無しになった大鷹さんに、わたし浜波が奢ってさしあげます」
元大鷹は何も応えなかった。まるでさっきの話に出てきた一航戦の2人のようにただ黙って前を向いていた。
それでも構わないと浜波は思った。
だって自分も同じタイプだからよく分かる。身売り組はちょろいのだ。このまま何度も情に訴えていればころりと落ちるに決まってる。そうすれば万々歳。具体的に何をどうすればいいのかはさっぱり思いつかないけれど叢雲がなんとかしてくれるに決まってる。そう、それが役割分担というやつだ。自分の役目は意地っ張りを宥めること。それで何も問題はないと浜波は思った。
「――照月、ですって?」
その浜波の耳に、聞きなれない名前が届いた。
目を向ける。
叢雲が神妙な顔をしていた。
「照月って、艦娘の? じゃあ北の魔女の身体を奪った防空棲姫って、照月のことなの?」
「ええ、そうよ。知らなかったの? 偉いわよねー、死んでもお国のために尽くそうなんて。そこのトゥリーちゃんとは大違い。あはは……って、なにその顔? もしかして言ったらまずかった?」
問われたのは護衛棲姫のトゥリー。
見事に「やっべ、バレちった」という顔をしていた。
叢雲の表情がみるみるうちに曇っていく。
「どういうこと……? あんたら、元艦娘と戦ってんの?」
「いやぁ、その。はは……」
笑い事では済まされない。
叢雲の瞳に剣呑な光が浮かんだ。
いくらこの島々から脱出するためとはいえ、同じ元艦娘同士が殺しあうなんてとうてい看過できる事態ではないのだから。
「王様ゲーム!」
「2番は好きな人を告白するぅー! いえーい!」
「はぁ!?」
「ま、艦娘が関われるオトコなんて限られてんもんね。どこの鎮守府の提督? それとも作業員? 運送のおっちゃん? 警備の人?」
「しっ、知らないわよ! あんたらはどうなのよ!」
「さぁ。誰かを好きになる前に死んじゃったし……」
「よよよ。悲しいわー……」
「ずっ、ずるくない? そういう突っ込めない言い方するのって」
……みたいな話をいれようと思ってたけど、本筋と全く関係ないからやめました。