ちょっと悪いひとたち ~さらば北方深海基地よ!~ 作:シャブモルヒネ
違うんだ、落ちついて話を聞いてほしい……とトゥリーは言い訳を始めた。
曰く、自分だって元々艦娘だった少女と争いたいわけじゃない。でもあいつは話を聞いてくれなかったんだ、と。
防空棲姫――かつて照月と呼ばれていた少女は、つい最近この3番島に漂着してきたばかりらしい。
あれは天高く太陽が昇りきった真昼の頃だった。
横倒しになった軍艦の船腹に乗り上げるようにして1人の少女が倒れていた。
白い肌に、白い長髪。
艤装からは凶悪な対空機銃が何本も生えて天を衝いていた。
その特徴的な姿はあまりにも有名でトゥリーもよく知っていた。
防空棲姫。
意識は失っていたが僅かに胸が上下していた。まだ生きているらしい。あるいは生まれたばかりなのか。判断はつかなかったが放っておくわけにもいかず、トゥリーはひとまず陸へと運ぶことにした。
ずりずりと引きずりながら軍艦から漁船へと足をかけ、小さな山のように積みあがっている廃車を乗り越える。その途中で少女が呻く。覗きこんでみるとその瞼がゆっくりと開いた。
「ここは……?」
あたりは一面、ゴミの山。
見慣れぬ光景に彼女は困惑したが、トゥリーが落ち着かせるように声をかけると慌てて頭を下げた。言葉を交わすうちに表情は少しずつ和らいで、艦娘時代の名前を告げると安心したように微笑んだ。
「――へえ~、照月? あんたも艦娘かぁ。あたしは大湊警備府で働いていたよ」
「はいっ、幌筵泊地所属です。何にも無いところですが良い人たちばかりです。来る機会があったら教えてください。歓迎しますよ」
「……来る機会、かぁ。多分ないだろうなぁ」
「そう、なんですか?」
ぱちくりと目をしばたかせる。
彼女は自分の身になにが起こったか分かっていないようだった。どうやらまだ艦娘のつもりらしい。会話の端々からもそれを察していたトゥリーは、さてどう説明したものかと少しだけ迷った。
「ところで……大鷹さん? どうしてそんな格好をしてるんですか? 気に障ったら申し訳ないんですが、その、深海棲艦みたいで……」
「ああ、これね」
額に生えた角を撫でながらトゥリーは考えた。
なるべくショックを受けない伝え方……そんなものがあるのだろうか? 仮にあったとしても前世ではずっと他人と距離をとってきた自分には難しすぎる注文だろう。上手い言い回しなんて思いつけるわけがない。
トゥリーは早々に諦めて単刀直入に告げた。
「あたし、深海棲艦だから」
「え?」
「あんたも同じよ。あんたも深海棲艦になっちゃったの。分かる? しん・かい・せー・かん」
「……?」
照月は、ゆっくりと己の掌を顔の前に持ってきて、まじまじと見つめた。
その肌の色は、白すぎて。
裏返すと、
爪は黒すぎた。
「え……? うそ……」
呆然とする元照月。
「ほら、艦娘が轟沈すると深海棲艦になるって噂があったでしょ? アレよアレ。あたしも自分のときはびっくりしたけどねー、慣れちゃえばどうってことないよ」
照月は、首を巡らせて己の艤装を確認した。それは慣れ親しんでいたであろう秋月型駆逐艦のものとはまるで違っていたはずだ。ギザギザの歯が生えた怪物が自律して身をよじり、主人である照月を――防空棲姫をじっと見つめている。
元照月は硬直し、動かなくなった。
なんか思ってたよりショックが大きそう、とトゥリーは思った。
「まあいきなり言われても困るかぁ。仕事はクビで、戸籍も消滅。これからどうやって生きればいいのって感じよねー? でも、安心して。あんたはついてるよ。ここのボスは中身が子どもで規律もゆるゆるなのよ。戦争ばっかりしなくてもそこそこ楽しく生きていけると思うよ?」
「……生きるって? 深海棲艦として……?」
「そうよ。だってなっちゃったもんはしょうがないじゃん? 不可抗力ってやつでしょ? 泣いてたって元に戻れるわけじゃないし、後はどう生きるかじゃない?」
「艦娘には、戻れない……」
深海棲艦は、肌が死人のように白いから、青ざめていても分からないけれど、指先の震えは見てとれた。
「ま、まあアレか。すぐに飲みこむのは無理か。とりあえず一回休みなよ。あっちにあたしの寝ぐらがあるんだけど、」
「……待って」
「ん? なに?」
「ここのボスって言ったよね? ここって大ホッケ海でしょう? その首領って、もしかして……」
「ああ、あんたも知ってる奴だよ。有名だもんね――」
とトゥリーは言葉を紡ぎながら(あっ、これって言ってもいいやつかな?)と一抹の不安を覚えた。
北の魔女は、幌筵泊地からすれば毎月攻めこんでくる大敵だろう。照月にとっては憎い相手だろうし、もしかしたら誰かの仇だってこともあるかもしれない。
だから名前を出すのはまずいかも、と思ったのだ。
でも、とトゥリーは思い直す。
――そんなのもう関係ないじゃないか。
だって照月はもう深海棲艦なんだから。艦娘だったときの話をぐじぐじ言ってても仕方ない。
敵と味方の関係はすっかり逆転してしまったのだ。そこのところを飲みこまなければこれから先を生きられないし、子どもじゃないんだからそのぐらい理解してほしい。いや、子どもではあるけれど……でも、理解しなければだめだろう。生存さえ保障されていないこのご時勢、そして深海棲艦という最悪な条件の身の上で、嫌だ嫌だと感情のままに振る舞うような甘えは許されない。
だから、あえて宥めるような真似はしなかった。真実をそのまま伝えた。
「ここのボス……つまりあたしたちのボスは、北の魔女だよ」
そうしたら。
石でも呑んだように引き攣った。
(あ、やばいかも)
と焦ったが、覆水盆に返らずというやつだった。
照月は。
駆逐艦として練度が高く、防空役を担うことができ、さらには貴重な姫級だった。もしもこの場にドヴェがいたならば、戦力として期待できると歓迎していたはずだ。あの狡猾な女さえいてくれたなら、照月を口説き落とすために口八丁を駆使して懇切丁寧に事情を説明し、宥めすかして保留させ、妥協させながら少しずつ情を移させて、恩を売りながら友好関係を強化して、最終的には仲間にしてしまっていたかもしれない。
しかしこの場にドヴェはいなかった。
「北の魔女、ですって……!?」
ジャキッ! と反意の4inch連装両用砲+CICが向けられた。
「ちょ、おま……!」
「あなたは、北の魔女の手下なの!?」
「ちょっちょちょ、待って落ちついて!」
「あなたたちが幌筵泊地に攻めているのねっ!」
「してないしてない、あたしは出撃してないって! 攻め手に護衛棲姫はいなかったでしょ!?」
ハッ、と勢いが削がれたのは一瞬だけで、
「……でも手下なんでしょ!」
と砲口をぐいぃ突きつけてくる。
「怖い怖い! やめろって!」
ホールドアップしても防空棲姫は収まらない。
やたら興奮して「艦娘のくせに敵に与するなんてありえない!」とかのたまうもんだからトゥリーもカチンときて「うるせーっ! お前はとっくに深海棲艦なんだよ! こっちが味方なことぐらい分かればか!」と言い返す。それでも元照月は分かろうとしなかった。
「私は深海棲艦なんかじゃない!」
「はぁぁ!? どっからどう見ても深海棲艦なんですけど!」
「うるさい! あなたたちなんて幌筵泊地から皆を呼んでやっつけてやるんだから!」
「どうやってぇ? その姿で行っても撃たれるだけに決まってるじゃん!」
「そんなことない! 幌筵の皆はそんなことしない!」
「んなわけねーし! ちょっと考えれば分かるだろって!」
「なにをよ!?」
「逆の立場で想像してみな! 泊地に姫級が現れて「ワタシハ艦娘ナンデスゥ」って言ってきたら、あんたどうする!? 話を聞いてあげましょうって茶でも用意すんのか!?」
「そんなの……!」
「罠だって思うでしょ!? 違う!?」
「っ」
思い当たる節があったのか、照月は黙った。
トゥリーは言い含めるように一言ずつ区切って、
「あんたはね、もう、艦娘じゃないの。敵側の存在なの」
刺激しないよう慎重に、連装両用砲に手を添える。その狙いをゆっくりとずらした。
照月はさして抵抗しなかった。
「戻ったところであんたの味方なんて誰もしちゃくれないよ? あんたの任地だった幌筵泊地の艦娘はみーんな敵。分かる?」
「そんな……どうして? だって、私なんにも悪いことなんて……」
「良いとか、悪いとか、そういうんじゃないの。これが現実なの」
「……」
「あんたは照月じゃない。もう防空棲姫。別人なのよ」
「私は、防空棲姫……深海棲艦……」
「人類は敵。味方になってくれるのは同じ深海棲艦だけ。そこんとこを弁えて行動しないとさ……」
「どう、弁えろっていうの……?」
「ええ? いや、だからさぁ、郷に入れば郷に従え、みたいな、」
「深海棲艦になったから、深海棲艦らしく人類を攻撃しろっていうの? 幌筵泊地を、この手で?」
「いや、そこまでは言わないよ。幌筵は勘弁してってボスに頼みこめばなんとかなんじゃない?」
「――そんなわけないっ!」
何が逆鱗に触れたのか。
少女の細腕とは思えない力で胸ぐらを掴まれた。頭ではなく身体が暴力に怯えてのけぞった。血走った目は正気を失っているようにさえ見えた。
「あいつはそんな奴じゃない! 頼めば見逃してくれる? ありえない! そんな交渉ができる相手じゃないよ!」
「な、なに、あいつって? 北の魔女のこと?」
「そうよ! あいつは……北の魔女は、そのへんの深海棲艦なんかよりずっとおぞましい……」
それ以上は続かなかった。
言っても無駄だと思ったのか、照月は悔しそうに口をつぐんだ。
「え、あんた、知り合いなの? 艦娘だったのに?」
この少女はいったい何を知っているのだろう?
肩に力が入りっぱなしの少女をまじまじと見つめたが答えは返ってこなかった。
照月、そして北の魔女。
その2人の名前を並べると、ピンとくるものがあった。トゥリーの前世の記憶が蘇る。
それは信憑性のない噂話。おおよそ2年ほど前の話。かつて大ホッケサークルで姿を消した後、自力で脱出してきた駆逐艦娘がいた――その少女の名が確か照月だったはず。当時はトゥリーもまだ春日丸という名の新米艦娘で、護衛空母として活躍できるようにと日夜訓練に励んでいた頃だった。
そんな昔に、照月は北の魔女と会っていたらしい。
(でも、おぞましいってなに?)
そんな形容はあの能天気なボスにはまったく似つかわしくない。
当時の北の魔女の性格は今と違っていたのだろうか?
「……なんか、よく分かんないんだけど。だったらなんだっていうの?」
防空棲姫を睨みつける。
彼女の言う過去の話なんてトゥリーの知ったことではない。
「あんたが知ってる北の魔女がどんなんだったかは知らないけど、今はあけっぴろげでパッパラパーよ。それでいいじゃない。大事なのは今、もっといえば未来でしょ?」
なんかソレっぽく上手に言えたかも、と内心ほくそえんでいたけれど。
まったく通用していなかった。
「あなたは、何も、分かってない」
どん、と突き放された。
かっと頭に血が昇った。「てんめ……!」と怒りを滲ませた視線を送ったが、返ってきたのは凍えるような敵意だった。
(こ、こいつ、ヤる気!?)
幾多もの戦場を生き延びてきた経験がそう言っていた。
思わず身を固くしたが、予想に反して防空棲姫は攻撃してこなかった。
「あなたは何もかも諦めてしまったのね」
「……は?」
「私は、裏切らない。例えこの身が深海棲艦に墜ちようと、人類の敵になりはしない」
防空棲姫はキッと目を細めて、遠くの赤く染まった海を睨みつけた。4つの島に囲まれた中心、北の魔女の本体が沈んでいる場所を。
「あそこに北の魔女がいるのね……!」
呟きを置き去りにして疾風のように防空棲姫は飛び降りた。着地と同時にアスファルトを蹴りつけて、海の上へと飛び乗ってばく進していく。
取り残されたトゥリーは廃車の小山の上にぽつんと1人、大口を開けて見送ることしかできなかった。
「な、なんだあいつ……」
悲劇のヒロインのつもりかよ、と思わないでもなかった。
――それから。
すぐに北の魔女の身体が奪われた。防空棲姫の仕業だった。意識のない本体を抑えてしまい、この北方深海基地を脱出不可能な孤島へと変えてしまった。
緊急事態である。
トゥリーは真っ先にドヴェに報告した。頭の良い彼女なら、あの現実逃避少女もなんとかしてくれるだろうと思ったから。
しかし予想に反してドヴェは動こうとしなかった。
「……ふむ。君がなんとかしたまえよ」
「ええっ!? あたしがぁ!?」
仮にもボスの一大事であるはずなのに、何を考えているのかドヴェは静観を決めこんだ。「私の身体がーっ!」と騒ぐボスを宥めつつ、かつてピースメイカーと呼ばれた女はこう言った。
「ようく考えてみたまえ。確かに主様の本体を抑えられたのは手痛いが、下手人もこの大ホッケ海から出られないのだから事態はこれ以上悪化しまい?」
「うーん、そうかな……?」
「そうさ。ゆえに、急いで解決する必要もないのだよ」
「でもなぁ」
「私の身体ーっ!」
「私はこれをチャンスだと考える。なまじノーリ様がなんでもできるせいで君たちは気が緩んでいる。このまま怠惰の道を進んでしまっては誰も得をしない。いいや、損さえするだろう。君なら分かるだろう?」
「ええっと、それってつまり……?」
「私の本体ーっ!」
「ノーリ様、ちょっと静かに」
「うぐっ! で、でもどーしたらいいんだ? お前らーっ、なんとかしろっ!」
「……というわけだよ、トゥリー君。この困難に立ち向かうことで君も一皮剥けるといい。説得するも、倒してしまうも、君の自由だ」
「うっそでしょ! 相手は防空棲姫ッスよ! 相性悪すぎッス、倒せねーッス!」
「だったら説得したまえよ」
「そ、そんなぁ……。アドナー先輩、助けてください!」
「……話がぜんっぜん分からなかったわ!」
「せ、先輩ぃぃ」
「要するに邪魔者を倒せばいいってことでしょう!? だったら私! この私をっ、頼りなさぁいっ」
「先輩カッコいいヤッター! ……って、ちょっと待って! いきなり攻撃するのは気が引けるッス、始めは説得させてください!」
「む。私じゃ頼りにならないっていうの!?」
「違いますっ! 先輩は……そう、奥の手! トランプでいえばジョーカー! 出番がくるまでデンと構えていてください!」
「あら、ジョーカーですって? この私が? ……ふふ、いいじゃない。待っていてやるわ!」
「チーちゃんは……何もしなくていいからね?」
「……そう? 別にいいけど」
そしてトゥリーは説得しに行った。
――おーい、照ちゃーん。意地張ってないでさー、現実見なよーっ
――照ちゃんも引っ込みがつかなくなっただけでしょー? でも間違いを認めるのは恥ずかしいことじゃないんだよーっ
――このまま一生こんな何も無いとこで暮らすつもりー? あたしは嫌だよー! 外に出よーっ
護衛棲姫と、防空棲姫。
2人の姫級が、赤い海の上で対峙して、平行線そのもののやり取りを繰り返していた。
防空棲姫に交渉の余地はなかった。
――深海棲艦になったことと、人類を裏切ること。そこにどんな関係があるっていうんです!?
――私が、私たちが今まで生きてこれたのも皆で手を取り合ってきたからこそ。その恩恵に預かってきておいて、立場が変わったからと足蹴にできるわけがない!
――北の魔女はぜったいに外に出さない! そのためなら私はここで一生番人をやることになっても構いません!
「あんのクソ右翼……」
御国のために、とでも言いたげな防空棲姫のスタンスにトゥリーは苛立っていた。
どこかで聞いたような正義論。思考停止のお花畑。
そのような発言をする者は、トゥリーにとって最も好きになれない人種だった。
ミンナって誰だよ、と吐き散らしてやりたいとさえ思う。
トゥリーは前世で“みんな”とかいう不特定多数の人間に世話になったことがない。つまり、国というシステムの恩恵を受けたことはないと、少なくとも自分ではそう思っていた。そもそも国民様というものは、税金を払えて、面倒を見てくれる大人がいて、初めて成れる選民だ。そうでない者は搾取はされるだけされて弾かれて、野良の犬猫と同じ扱いをされるもの。だからトゥリーにとって不特定多数の“みんな”とは、まさに冷たい目で見下してくる他人でしかなかった。
相容れるわけがないのだ、温室育ちの小娘と。
「……んなこと言ってもしょーがねーけどよー!」
防空棲姫もはじめは意地になっているだけだと思っていた。
時が過ぎ、腹が減り、孤独を味わえば頭も冷えて話を聞くようになると思っていた。しかし何故か防空棲姫の意志はどんどん固くなり、3度目の説得のときには殆ど口も聞いてくれなくなっていた。そしてとうとう、
その日、乾いた発砲音が鳴り響いてしまった。
「うぐっ!」
トゥリーの左の二の腕に、機銃の弾が命中した。
一つ弁護をするならば、防空棲姫も当てるつもりはなかったはずである。
食い下がるトゥリーを諦めさせようと脅しのつもりで撃っただけ。その弾道があまりにも命中すれすれで、そして砲口を見てトゥリーが反射的に回避動作をとってしまったせいで当たってしまっただけだ。それぐらい被弾したトゥリー本人もよく分かってる。しかし、これまでずっと苦手なコミュニケーションに尽力したにも関わらず一蹴され続けてきた苛立ちがここにきて爆発した。意図せぬ命中に狼狽している顔さえ憎い。
――撃ったお前が傷ついたような顔をするんじゃない!
「……もう知らねーっ! いっぺん死ねっ!」
踵を返して自分の島に戻った。
その背中にじっと視線が注がれていようとも、もう二度と手を差し伸べてやるつもりはなかった。
「――ってわけなんだよ。ひどいでしょ?」
ね? と伺うように首を傾げると、烈火のごとく叢雲が吠えた。
「ひどいのはアンタでしょーがっ!」
「な、なんだよぅ」
「どうしてそれで見捨てちゃうの!? アンタのほうが優位なんだからちゃんと向き合ってやらなきゃだめでしょっ!」
「えぇ……。あたし、撃たれたんだけど」
「わざとじゃないんだから我慢なさいっ」
「マジかよこいつ……。浜ちゃんはどう思う?」
「う、う~ん。そこで我慢して優しくしていたら、懐いてくれた、かも……」
「なんでやねん。人間不信の捨て犬じゃないんだからさぁ、そんな上手くいかねっつーの」
「そう、かな? でも……」
艦娘勢に聞いても埒があかない。トゥリーはましな意見を求めて駆逐古鬼に聞いてみた。
「アっちゃんだったらどうしてた?」
「どうもしないわよ?」
なんでもないことのように返された。
「……どゆこと?」
「言葉通りよ。なんにもしないわ。始めっから説得に行かない。戦いもしない」
「えー? そしたら何も解決しないじゃん?」
「そうね。それでいいのよ」
古鬼はすっかり空になった中華鍋をひっくり返し、出汁要素ゼロのお湯を海にぶちまけた。そのまま海水で軽くすすいで用意した布切れで水滴を拭う。
「最初に言ったでしょ? 私は一秒だって艦娘になったことはないの。ただの無力な一般人。戦うとか説得するとかできるわけないし、する気もないわ」
「……意外に消極的なのね」
驚いてみせたのは叢雲だった。
かつて朝風候補だったという駆逐古鬼。明るく前向きで行動力もある、そのように見えていたのは浜波も一緒だったのだろう。ぽかんと口を開けていた。
古鬼は鍋を覗き見て、拭き残しを確認しながら、
「そもそも。嫌だって立てこもってるひとをどうにかしようってのが傲慢なのよ。ほっとけばいいじゃない。他人を無理に変えようとするから争い事が起きるのよ」
とうそぶいた。
「でもさぁ、そしたらあたしらは一生ここから出れないよ?」
と反論したのはトゥリー。
しかし古鬼には取りつく島もなかった。
「出れなくてもいいじゃない?」
古鬼は長い紐を取り出した。乾いた鍋に括りつけ、リュックに固定するために手を動かす。
「この島々には私たちを傷つけようとする人たちもいないし、美味しくなくてもご飯がある。それで満足すべきだと思うけど? それ以上が欲しくないと言えば嘘になるけど、そのために誰かをやりこめなきゃいけないなら、私はパス。ろくなことにならないわ」
きゅっと紐を引っ張って、鍋をリュックの背に固定した。
「軍人さんは我が強いのねえ。うちの姉も同じ。もう誰にも踏みつけにされたくないから強くなるって言ってたけど、力を持てばそれで済むはずがない。いいえ、例え何もしなくても力を持っているだけで敵視されるものじゃない?」
「……」
非暴力主義、どころではない。無抵抗主義ともいえる主張に異を唱えられる者はいなかった。まるで夢想家のたわ言ではあったけど、鼻で笑うには言葉に強さがありすぎた。駆逐古鬼、彼女もまた1つの人生を終わらせてきた元人間。重みがないわけがない。
よいしょとリュックを背負いながら古鬼は問うた。
「さて、問題です。この世で最も不幸なことはなんでしょう?」
明日の天気を占うような気軽さで、くりくりとした瞳を3人へと順繰りに向ける。
誰も、答えられなかった。
「……この程度の質問に答えられないから争い事が起きるのよねえ」
じゃあね~、と小さく手をふって帰ろうとする古鬼を、叢雲が止めた。
「待って。そこまで言うなら、あなたの答えを教えてちょうだい」
古鬼は即答した。
「お金がないこと」
「……へ?」
「って、以前の私は思ってたの。本気でね。飢えたことのない人には分からないでしょうけど」
「じゃあ、今は?」
古鬼はびっと腕を真横に伸ばした。
「ああいう奴のことを指すのよ」
その指先を辿る。
視線の先に、1人の幼女がいた。
「おはよう、北の魔女さん。いい朝ね? ってそろそろ昼かしら」
「……」
幼女はどこからやってきたのか、ぺたぺたと裸足で瓦礫を乗りこえてきた。
どこか様子が変だった。
昨日の不遜さはどこへやら、硬質で、愛嬌のないアンドロイドのような顔つきをしている。挨拶してきた古鬼には目も向けず、4人の少女たちの前を通り過ぎる。ぶつぶつと独り言を零していた。
「――個体には役割がある。長には長の、兵には兵の。私は長。生みの親であり、群の長。では、長はなにをする役だ?」
機械音声のように平坦で。
幼女らしからぬ内容だった。
「命じるには指針が要る。目的。欲望。あるいは存在意義の確立のために。私は深海棲艦。私は、しかし……」
そのまま幽鬼のように歩いていき、テトラポットの山を不意に曲がって、姿を消した。
わけが分からない。
なんだありゃあ、とトゥリーたちは顔を見合わせた。
「変なものでも食ったかな?」
「思春期になった、とか……」
「いーや、あれは厨二病の類っしょ。アイデンティティとか言ってたし」
「そうかなぁ。この島に、影響されるようなもの、ないと思う、けど……」
「本でも読んだんじゃない? 狐女のとこにいっぱいあるんでしょ?」
「狐女?」
「ドヴェって奴のこと」
「ああ……」
結論なんて出ないだろう。そう断じて古鬼は話を切りあげた。
「なんだか変な空気になっちゃったけど私は帰るわ。明日になったらまたご飯を届けてあげる。味はしないだろうけど今度は美味しいって言うこと。それが礼儀よ? 分かった?」
「へーい」
「う、うん。分かった」
「叢雲ちゃんも分かった? ……叢雲ちゃん?」
叢雲は、じぃっと北の魔女が消えた道を見つめていた。
「ねえ、聞いてる?」
ハッとして「え、ええ。分かったわ」と慌てて返事する。
「変なの。……あっそうだ、明日は陸の話を聞かせてよ。楽しみにしてるから。じゃあね~」
駆逐古鬼はにかっと微笑み、あっという間に去っていった。
朝食を食べてしまえば、もうすることはない。
仕事も、遊びも。トゥリーは余所の島にでも行ってみる?と提案したが、他の深海棲艦たちが恐ろしい浜波はたどたどしく断った。
「そう、いえば……ピースメイカーのひとが、防空棲姫と戦うって、言ってたけど……」
「ああ、そうだね」
トゥリーはちらりと叢雲を伺いながら、
「今日の夕方にやるって言ってた」
「あのひと、強いの?」
「分かんない。戦ってるとこ見たことないけど……北極海の覇者だったっていうからねー、やっぱ強いんじゃない?」
「じゃ、じゃあ、その、防空棲姫さんは……」
浜波は胸の上でぎゅうと両手を抑えた。彼女が気にしているのは防空棲姫――照月のゆくすえだろう。戦うからには死ぬかもしれない。艦娘だった少女が誰にも看取られず沈んでいく……その未来を想像すると穏やかではいられないといった面持ちだ。
トゥリーは浜波と会話するていをとりながら、半ば叢雲に向けて言葉を繋ぐ。
「浜ちゃんにはもう説明したけど。深海棲艦って死んでも復活するからだいじょーぶなわけ。気にすることないよ」
「で、でも、轟沈だよ?」
「まーね。怖くないっつったら嘘になるけど、一回経験してるし」
「そんな……それだけ? そういう、ものなの?」
「死ぬのが怖い理由って、それが未知の体験だからでしょ? ……あとはそうね、積み上げてきた人生が台無しになる絶望感、みたいな? でも深海棲艦は人生が終わらないわけ。自意識が途切れないの」
浜波は納得しきれないようだった。
「……そりゃあ、死にたくないって気持ちは普通にあるよ。次の命があるとはいえ今の命は惜しいし。あと痛いのも嫌か。でも、艦娘時代の感性より雑になっちゃうのはもうしょうがないと思うな」
「じゃ、じゃあ、照月さんは、」
「知らんわ。あいつが決めた道でしょ」
言い放つ。と、叢雲がすぅと立ち上がった。
そぅらきた、とトゥリーは苦い顔を作る。どんな文句が飛んでくるのやら。身構えるが、意外にも叢雲は落ちついていた。
「……私、照月に会いに行くわ」
「ええっ?」
「こ、これから?」
トゥリーは驚きつつも、叢雲ならそうするだろうなと妙な納得感を味わっていた。
突っこんで、巻きこんで、引っ張っていく。いかにも叢雲のやりそうなことだ。
――が、会ってどうするつもりだろう?
「行ってどうすんの? そのまま大ホッケ海の番人してろって応援すんの? それとも無駄な抵抗はやめて出てきなさいって説得する?」
見上げた顔は固かった。
「分からない。話をしてみないと」
「ふうん?」
「それに、聞かなきゃいけないことがあるの」
「なにそれ」
「……大ホッケサークルから、脱出する方法よ」
「あ」
言われて、気付く。
照月はかつてこの北方深海基地から脱出しているはずだった。それが北の魔女の力によるものならあてにはできないが、もし何らかの法則や条件を知っていたなら話は違う。同じやり方を辿れば叢雲と浜波も脱出できるといって間違いないだろう。
――そうか、2人は行ってしまうかもしれないのか。
まだ会ってから時間も経っていないのにトゥリーは若干の淋しさを覚えた。
祝うべきか、惜しむべきか。いいや、外に出れば艦娘と深海棲艦の関係である以上、深入りすべきではないだろう。いつものようにへらへらと曖昧にやり過ごすのがベストなはず。その先の未来は運任せ。敵として遭遇しないように祈るしかない。だがそれでも、会ってしまったなら――?
そんなことを考えていたからトゥリーは気付かなかった。
叢雲の胸中に、嵐のような焦燥感が渦巻いていることに。
原因は、北の魔女の奇妙な言動。
叢雲には彼女の変貌、その理由に心当たりがあった。
――もしかすると自分たちは全員死ぬのかもしれない。
今更ですが、サブタイトルのセンスねーなって思います。