不明瞭でも、その未来に希望を持たずにはいられない彼らの序章の序章。
できらぁ……と、彼女の安い挑発に乗り、受験勉強というものに真摯に向き合いはや一ヶ月。もはや性も根も尽きてふかふかのベッドへと倒れ込む。
桜は満開に咲き、虫や鳥など、多くの命が芽生える暖かい季節となって、とうぜん陽キャも湧いてくるのでふぇぇとなる始末。
プロムは無事終わり、平塚先生の姿を見ない総武高にはやはりまだ慣れなくて、毎朝が少しだけ陰鬱になる。お辛い……ですよねと翔くんが脳内で慰めてくれるくらいには陰鬱になる。ながらも、受験勉強という大義名分手前、休むわけにはいかない。だからこそ、今、俺は性も根も尽きてベットへと飛び込むのである。
「やばい、死ぬ、社畜よりキツイ。あいつこれを毎日やってんの? 嘘でしょ?」
枕に顔を埋めて呟く。黒髪ロングに整ったパーツを揃える彼女が頭に浮かんだ。それと同時に、薄桃色の茶髪にお団子を乗せた、いかにも女の子らしい彼女も。勿論、後者は頭の中にて、苦悶の表情で教科書と向き合っているのだが。
それでも、なんだかんだで俺の好きな空間がやってきたらしい。
「お兄ちゃーん?」
階下から小町ちゃんの声が聞こえる。何? 小町のためならお兄ちゃん重たい足腰あげるどころか駆け足マッハで階段なんてチャラヘッチャラ。
「雪乃さん来てるけどー?」
それを聞いて中腰のままベットの前で固まる。
「……は?」
間抜けな声が部屋の中に響いて、小町が今度は少し怒気を孕んで大声で言う。待たせるなということだろう。無論俺は緊張するわけでましてやこんなラフな格好すぎる格好で雪ノ下の目の前に現れるのもなんだか癪だった。なんというか、あら比企谷くん、私のパートナーたる貴方が普段はそんな格好だなんて、フッ。みたいな感じになるのは目に見える格好ではあった。
故に、急ぎマシなものに着替えて慌てて階段を降りる。
玄関にいるその彼女は少しだけ顔を赤くして、髪が乱れているのが見て取れた。
「どうした」
俺がそう言うと小町はそそくさとリビングに戻る。そばにいたかまくらも連れて行ったので少し雪ノ下がシュンとしたのを俺は見逃さなかった。俺でなきゃ見逃しちゃうね。なにそれ気持ち悪すぎない?
「い、いえ、貴方がこれを忘れて帰ったから」
つまらない思考を巡らせていると、雪ノ下はそう言って鞄から日本史の問題集を取り出す。
「あ、まじ? けどお前まだ全然寒いのに、電話の一本でも入れれば……」
そこまで言って、雪ノ下は俺の肩を軽くパンチした。え? なに? 新手のヤンキー? まさか白猫サンダルとか履いてらっしゃる?
そう思って、改めて雪ノ下を見ると、彼女は顔を赤くしていた。
「言わせないで」
つられて俺も顔が赤くなった気がした。超絶面倒くさいがそこが可愛い。なにこいつ。猫じゃん。
そうして甘い沈黙というか、不慣れな空気が漂う。
「か、帰るなら送る」
その空気に耐えかねた俺は、玄関の扉の先とも、どことも言えないような場所に視線をやってそう言った。
***
春といえど陽光の差さない内は肌寒い。張り詰める空気は冷たげで、鼻から息を吸うとスーッと頭が冴えるような感覚になる。というにも関わらず、顔は熱を帯びたままだった。
そして、不慣れに繋がれた手からも暖かな体温を感じた。
「あー、お前もしかして歩いてきたのか?」
「そんなわけないじゃない。流石に厳しいわよ」
「さいで」
灰色高校生ぶって前髪をいじいじしてみる。
だがそれに悪態を突いてこないのは余程の緊張を見て取れる。かくいう俺も人のことを言えるほどの余裕はない。なんせ十七年生きてきてはじめての。と、そこまで考えて、やめた。気恥しくなった。
閑静な住宅街、響く二人分の足音。それが更に俺の心臓を加速させた。
「ね、ねぇ比企谷くん」
「ひゃい」
「ふふっ」
俺の間抜けな返事に雪ノ下は面食らって、思わず破顔した。張り詰めいていた空気も幾分か砕けて、俺も少し声を出して笑ってしまう。
「相変わらず、変な声を出すのね」
「うっせ、お前もガチガチに緊張してたろ。順番の問題だ。順番の」
「そういうことにしておいてあげましょう」
そう言って雪ノ下は咳払いをすると、俺の方を向き直る。
「それで話を戻すけれど、比企谷君。今度の日曜空いているかしら」
「朝からプリキュアを見る」
俺の即答に少し、どころかドン引きをする雪ノ下。なんだよ、プリキュアは既に純粋な女児向けでないのは自明だろ。なんなら男の子のプリキュアも登場したからな。
「まぁそれなら予定は空いているのね」
「え? スルー? ま?」
「ふーん、じゃあ比企谷君は私よりその女児向けアニメを優先するのね」
「いちいち面倒くさいな……」
俺は頭を掻いてそっぽを向く。視界の端に映った、してやったり、という顔が癪に触るがそれも可愛い。
「そんなの決まってるだろ」
「えぇ、決まってるわ。だから日曜日は空けておきなさい」
「で、どこ行くんだ?」
そう聞くと、雪ノ下はフッと微笑んで顔を少しだけ上げて空を見た。俺もつられて空へ視線をやると、まだオリオン座が煌めいているのが分かった。それ以外の星座は詳しくはないが、それでも、いつもよりかは輝いて見えたのは気のせいではない。
「彼女と私とあなたで、もう一度」
彼女、というのは分かり切っている。俺が嫌われたくないと思った人、であるのに、俺が切り捨ててしまった人。
であるのに、笑顔でいてくれる、素敵な女の子。
「あぁ、三人で行こう。どこでもいい。もう一度なんて言わず……」
そこまで言って急に羞恥心が働きだす。働くのは細胞だけじゃなかったんだね。なんなら今心臓で赤血球が過労死するぐらいには恥ずかしい。
cv花澤香菜がすごい困ってるのが良心に突き刺さった。
「はっ、やめだ。性に合わない。恥ずかしくなってきた」
そうして俺はそっぽを向いた。
「えぇ、そうね。何度でも、いつまでも、そうして私達は歩んでいけるといいわね」
「……あぁ」
雪ノ下の言う明日に、何度目に、保証がないのは分かっていて、幻想だと言うことも知っている。それでも俺たちはそこに希望を見出せずにはいられなくて、その、また明日を願い続けるのだろう。
この歪な関係の形、恋愛や友情やそんな辞書にあるような言葉で表すのも烏滸がましい関係。そんな三人の描き、これからもなんらかで続く軌跡。
それが別れる日も来るだろう。酷なことを強いられる日もあるだろう。それでも俺は彼女と生きていきたいし、欲を言うなら彼女らと人生を送りたい。地獄に行ったっていい。
だから、俺は明日を切に願う。
そう思って、雪ノ下のか細い手を強く握る、すれば彼女は握り返して、外灯に照らされた影はくっ付いた、境界線を溶かした。
「お前が好きだよ。雪ノ下」
桜の花びらがひらりと舞った。
十四巻の終わり、エモすぎてエッッッッモってなりました。
後書きも後書きで、渡先生らしさを感じて、あぁ終わるんだなぁなんて思ってお涙頂戴。
俺ガイルは僕の青春でした。