『勉強』勉めて強くなるとも読めなくはない。え? なにそれビスコ? 食べて強くなる的な。ともすれば俺は確実に強いし、なんなら左横のやつはさしずめエアーマンである。何回やっても倒せねぇよなぁ。
奉仕部が小町を部長に成立してからというものの、ほぼ奉仕部部室は俺達の勉強場所となっている。以前のような慌しさも感じられない。多分平塚先生の影響もあったのだろうし、そもそも以前とは違って呼び込みをしないというのが主であろう。
俄然、この教室にはペンの走る音が篭るのみである。カリカリと左横はほぼ途切れることなく、右横は途切れ途切れであるものの、努力が伺える。当の俺はその中間というのが正しいのだろう。ハマれば速度は速まるし、ハマらなければとことん遅い。その割合が前者の方が高いというだけのことである。
ふと、いつのまにか、窓に差し込む光は少しずつ傾き始め、その色は茜色を帯びていることに気付く。体感では二時間ほどが経っていて、よくもまぁと自分を褒めたくなる。
「なぁ……そろそろ」
「う、うん、そろそろ」
俺が左横に言うと、右横は同調するし、なんならその声音は疲れ切っている。やめて、雪ノ下さん、由比ヶ浜さんのライフはもうゼロよ。
「なら、少しだけ待ってもらえるかしら。きりがいいところで終わりたいの」
「お、おう」
雪ノ下が髪を耳にかき上げながらそう言うと、急に顔が熱を帯びていく。あぁ、本当に俺は弱い。
そんな風に狼狽えるのを気にしないで雪ノ下はノートと向き合う。クッソ真面目だなこいつ。
そう思っていると、袖が引っ張られる。何かと思い、由比ヶ浜を見ると手招きをされた。なに? 福でも呼んでるの? 俺はどっちかっていうと貧乏神だけど。神ですらないから貧乏? なにそれやだ。
そうして俺が怪訝そうに見ているのに不満そうにして、由比ヶ浜は俺に耳打ちをする。
「自販機行かない?」
「あー」
雪ノ下をちらりと横目で見て、そっと首肯する。何かいるか、と一声をかけるのは多分迷惑になるだろう。あいつ自身が迷惑だと思っていなくてもきっとそれは阻害であるのだから、やはりしない方がベター。というので、きっとマッ缶で許してくれるだろうと踏んで教室を後にした。
雪ノ下も会話を少し聞いていたのか、何も俺たちに問わなかった。
カラリと開けたドアをゆっくりと閉める。そうして俺たちは中庭の自販機を目指した。
「それにしてもゆきのん頑張ってるよね」
「あぁ、あいつはすげぇよ。俺なんて日曜日にプリキュアを見る余力すら無くなったわ」
「それは見なくてもいいと思うけど……」
「馬鹿言え、俺の国語力はプリキュアの愛と勇気によって培われたと言っても過言ではない」
「愛と勇気はアンパンの特権だし……」
それもそうだ。しかし特権という言葉を由比ヶ浜が使うなんて。偉いと褒めてやりたいが、多分それで褒めるとプンスカするので言わない。言わぬが花で知らぬが仏。言わないから知らなければ、それはもはや曼荼羅である。知らんけど。バーニングマンダラとかあったよな。あれを神社の巫女がやるのだから中々だわ。
「にしても最近は別の意味で忙しいな」
「それな! 勉強とかあたしそんなに得意じゃないから割と疲れる」
彼女ははにかんでそう言う。疲れるとは言いつつも、こいつはこいつで楽しんでいるようでなんだか安心できた。
「……楽しいよな」
俺は中庭を見てそう呟いた。
直に終わる運動部の掛け声、吹奏楽部の音色が遠くで響いている。何もかもが同じように感じられて、何もかもが違う今日。けれども、懐かしく感じられる日々も新鮮に感じられる日々も、結局のところは無情で、俺たちを取り巻くものは何も変わりやしない。変わるのは俺たちだ。
「え、なに、キモい」
「おい馬鹿お前空気読めよ」
「……でも、今はそう思う。ヒッキーからそういうのは珍しいから、あたしちょっと天邪鬼かもしんない」
「言ってろ」
そう言ったきり、会話は途切れた。
ただ、その沈黙に以前のように重苦しさを感じることはない。開けた窓から吹き抜ける風が心地良かった。
「おろろ? お兄ちゃん? と結衣さん?」
廊下の角から出てきた小町とばったり会った。うん、制服姿がすごく可愛いし、すごく可愛いね。
「お兄ちゃん、ちょっと!」
「は?」
「いいから!」
小町は何か思い付くかのように俺を手招き、先程の廊下の角の先に連れて行かれる。何? 告白? 親父に6万円ぐらい貰ったの? あらやだ羨ましい。ちなみに俺はスカラシップ戦法、つまるところ錬金術を今のところはまだ続けている。
「お兄ちゃんも据え置けないですな〜」
「なんでだよ」
「だって雪乃さんはどうしたのさ」
「結構集中してるみたいで、邪魔しちゃ悪いと思ってな」
小町はその細い指を唇に押し当てて考える素振りをすると、なるほどと言った様子で掌に手の判子を押す。なにそれ可愛い。
「じゃあ小町もお兄ちゃんについてっていい?」
小町なりに雪ノ下のことを考えた結果なのか、右手に持っていた鍵をポケットに入れてそう言った。
「まぁ、問題はない。むしろ俺から願い出たいまである」
「え、お兄ちゃんキモい」
ガチのトーンでそれ言われると傷付くからやめようね。一色もお前もわりとそういうところ似てるから。急にトーン低くするの本当に心臓によくない。
そうして、由比ヶ浜を待たせるのも悪いので小町とその角から戻ると、健気に待っていた。スマホを置いてきたのか手持ち無沙汰だったようで、窓の外を眺めていた。時折感じるガハママの面影、やっぱり遺伝子ってあるんだよなぁ。
「小町もついて行っていいですか?」
「うん! 小町ちゃんもおしゃべりしよ!」
なんて、話を始めると完璧に俺はおいてけぼりで、彼女らの数歩後ろを歩くことになる。腐った目も相まってストーカーみたいになってしまうのが癪ではあるが、当人達はいたって楽しげなのでよしとする。
階段を降りて中庭の方へと歩けば自販機があって、あったか〜いとつめた〜いのマッ缶はどちらとも売り切れていなかった。
小町と由比ヶ浜はどれにしようかと悩んでいたので先にマッ缶を暖かいのと冷たいの一本ずつ買って教室の方へと戻る。
「ヒッキー!」
「うぉ……なに?」
そそくさと戻ろうとしていたのがあたかも後ろめたかったかたのように驚いてしまい、挙動不審になる。いつもなんだけどね。テヘ、八幡うっかり。
「ヒッキーは、その、またマッ缶?」
「え、まぁ当たり前だけど」
「もう一本はゆきのんに?」
なんだか気恥ずかしくなって、素直に言葉に出来ずに、代わりに首肯する。由比ヶ浜の後ろで小町がニヤニヤしていた。なんだ、やめろその目を。やめて、まじやめて。
「ふ〜ん」
小町が後ろでニヤけているのを露知らず、由比ヶ浜は冷たいマッ缶を選んだ。すれば小町はその後に続いて暖かいマッ缶を選ぶ。えぇ、なにその空前のマッ缶ブーム。ほぼタピオカじゃん。
「じゃ、じゃあ戻ろっ!」
由比ヶ浜はそう言って小走りで戻って行った。取り残された俺と小町は互いに見合って、少し笑ってしまう。
「結衣さんって小町が思ってたよりももっと可愛いね」
「まぁ、あれはアホらしさとも言うのかもしれんが」
「素直じゃないね」
「今の俺が素直だったら気持ち悪いだろ?」
そう言うと小町はあっけらかんに、確かに、なんて言って俺の脇腹を小突く。
「今は雪乃さんかもしれないけど、将来はどうなるか分かんない。それでも小町は、お兄ちゃんの味方だからね。味方だからこそ道を正そうとも思うしね」
パチコンとウインクを決めて、最高に可愛い八重歯を光らせそう言う妹の姿は、確かに成長を感じた。
それでも、やっぱり小町は俺の妹だ。
「ありがとな、今の八幡的にポイント高いぞ」
そう言って小町の頭をくしゃりと撫でると、小町もくすぐったそうに笑う。やめてよなんて、言いながらも、やはり照れ臭そうにするのだからまだまだ妹だ。
「でしょ? 今の小町的にも超ポイント高いから」
「あぁ、マジで高いな。帰りアイス買ってやる」
そうして、俺たち兄妹も雪ノ下の元へと戻った。
なかなかどうして、俺はまだ妹の支えが必要なようで、それを誇りに思う。
やはり、俺の妹は最高に愛おしい。
一色と小町の絡みを読んだ方はおよそ共感できると思いますが、彼女ら二人の会話が好きすぎて好きすぎて…。いつか二人の話もかけたらと思います。