来世は他人でいい   作:グリム・グリルグリン・グリーングリップ

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07 マガツマンダラ

 

 

 

 18.

 

 

 

「どういうこと――?」

 

 女は統合指令室(コントロールルーム)の肘掛け付き船長椅子に腰かけながら、呟いた。

 視線の先に表示される複数の空中画面(ウインドウ)には脈絡不明の文字列と解読困難な数列が大量に続いており、それは凡人が目の当たりにすれば脈絡不明の文字列と解読困難な数列としか映らないであろうバグ・データの塊に違いなかったが、自他ともに天才の認識を冠する女にとっては違う。

 

 IS〈紅椿(あかつばき)〉から受信したデータ。やはり、これは暗号(・・)だった。今は破片(ピース)として取っ散らかっているがこのピースたちは元の意味ある(ただしい)形に戻れることを待ち望んでいて、それを叶えられるのはこの子たちの叫びに気が付いた今ここにいる天才の自分の他に除いて誰もいない。

 女は解読に取り掛かり、パズルを完成させた。ノイズを取り除き、再構成するのに掛かった時間は五分。ある者にとっては短くある者にとっては永い時間を掛けて解読に漕ぎ付け、目の前に現れたデータが語った内容は、女をして困惑させることとなった。

 送信者が伝えようとした言葉。送信者が女に求めた、不可解な要請。

 

 個体識別名(パーソナルネーム)〈紅椿〉の不可侵深層領域(ブラックボックス)内に存在する、とある人間の秘匿記憶情報(シークレット・メモリー)の取り扱いに関して。

 その開示を、IS〈紅椿〉は開発者である女に求めていた。

 

「どうして……」

 

 忌まわしい記憶が蘇る。女は胸の奥が軋れるような痛みと、重たい敗北感の味が呼び起こされるのを感じる。

 かつて、忌まわしい事件が最愛の妹を襲ったのだ。血みどろの現場に佇む“暴走”した妹の姿を忘れたことはない。そのときは結果的には死傷者を一人も出さずに済んだが、惨劇と呼ぶに相応しい凍り付くような光景であり、女は最愛の宝物である弟と協力してその場を収め、少女の身に起こった“異常”を取り除こうとして――叶わなかった(・・・・・・)

 女たちは、そのため少女の記憶自体に封印を施すことにした。その封印先こそが他ならぬISコア〈紅椿〉であり、この情報を知る者は極僅かしかない。すべてのISの生みの親である女と、女の最愛の家族である弟と、ISコア〈紅椿〉本人の、三者だけ。

 

 要請(スクロール)に、目的は書かれていなかった。同じ内容が幾つも狂ったよう(・・・・・)に羅列されているだけだ。

 履歴(タイムコード)に記録された発信時刻が、更に輪をかけて女を混乱させた。

 

「“二〇二一年”……こっちは発信が“三〇年後”になってる。こっちは……“二〇八〇年”!?」

 

 意図せず半笑いになりながら、別の空中画面(ウインドウ)の様子を確かめる。

 妹が通う学校の校舎。意識の回復しない弟を守るように助手がISを展開し、“怪物”の降らせる雷撃を弾き続けている。無人IS(ゴーレム)たちが“怪物”に攻撃を加え続けているが牽制以外の効果は与えられず、期待した以上の成果は現れていない。

 続いて観測機器(モニター)。弟と妹の生体情報。こちらも、表面上は致命的な変化や異常は見られない。

 

 視線を戻した。これが、バグ・データであるはずはない。だが。

 どうしてこの状況(・・・・)で、〈紅椿〉はよりにもよって忌まわしい記憶の開示を求めてくるのか。この状況で、わざわざ本人に暴走した記憶を返せと言っている。何のために? 女が天才であることは疑いようもない事実だがそれでも判らないことは世の中に溢れている。だいいち弟の意識が戻らない理由もはっきりとしていないのだ。推測を確証に変えるだけの時間的余裕もまったく充分ではない。七〇年後の未来からデータが送られてきた可能性を信じるよりも発信元の論理回路がショートした確率を考えるほうが現実味がある――人間の回路でさえショートすることはままあるのだから。

 

「だけど」

 

 状況が芳しくないのも事実だった。しかも直感が走っている。「このままだとまずいよ」。事態の好転を呼び込めるような気配がない。突破力が失われ閉塞感が生じつつある。

 というか、と女はふと作業を止めて思う。古き神が蘇って暴走しているこの状況こそが何よりも現実離れしているのではないか。現実離れした事象に常識的な判断で対抗するのは果たして正解なのだろうか、と。

 やはり、打開するにはコペルニクス的転回が必要なのかもしれない。

 〈紅椿〉が、妹を助ける上で記憶の開示が必要だと判断したとして。それが、仮に本当に必要であったとしたら? つまりはそれを信用できるのかどうか。信用するに足るだけの明確な根拠はあるだろうか。

 女は、〈紅椿〉という「個性」を獲得した“彼女”を娘のように信頼している。そして〈紅椿〉の吐き出したデータに叫びを聞き届けた。〈紅椿〉は言っている。私のパイロットを助けたい、と。その気持ちは女も同じだった。この作戦に参加するすべての“人間”の総意だった。

 この叫びこそが、〈紅椿〉を信じるに足る理由になるのではないか?

 

「わかった」

 

 女は逡巡し、そして最後は直感に従うことにした。決断するや直ぐに端末を操作し、個体名〈紅椿〉へ上位命令(コマンド)を打ち込む。

 

 確定(エンター)

 送信(コンプリート)

 

「頼んだからね……っ、〈紅椿〉!」

 

 

 その命令は、コア・ネットワークを通じて速やかに“本人”へと伝達された。

 

 

 

 19.

 

 

 

 搭乗者(パイロット)識閾野の活動低下を確認.

 

 搭乗者(パイロット)応答してください.

 搭乗者(パイロット)応答してください.

 

 9361012回目の回復シークエンス失敗.

 

 失敗.

 失敗.

 失敗.

 失敗.

 

 失敗.

 

 搭乗者(パイロット)応答なし.

 搭乗者(パイロット)識閾野活性化を確認できず.

 

 9361013回目の回復シークエンスを開始.

 

 搭乗者(パイロット)応答してください.

 搭乗者(パイロット)応答してください.

 

 搭乗者(パイロット).

 搭乗者(パイロット).

 

 搭乗者(パイロット).

 

 搭乗者(パイロット)、応答してください.

 

 “統括者”より新たな上位命令(コマンド)を確認.

 コアナンバー■■■は上位命令(コマンド)を受諾.

 コアナンバー■■■は9365220回目の回復シークエンスと並行して禁忌指定(パンドラボックス)解錠(アンロック)を実行.

 

 搭乗者(パイロット)応答してください.

 搭乗者(パイロット)応答してください.

 

 禁忌指定(パンドラボックス)解錠(アンロック)完了.

 禁忌指定(パンドラボックス)をコアナンバー■■■の仮想領域点に展開.

 搭乗者(パイロット)とコアナンバー■■■間の無量隔離防壁に異常を検知せず.

 搭乗者(パイロット)とコアナンバー■■■の仮想領域点を接続.

 

 同期完了.

 

 コアナンバー■■■に対する敵対的干渉を感知.

 対敵対的干渉用反撃破壊効果(カウンタープログラム・キャバルリィ)発動.

 第113無量隔離防壁への侵食を確認.

 第113無量隔離防壁汚染率9%に上昇.

 コアナンバー■■■の中枢保護領域に影響なし.

 

 コアナンバー■■■は9365220回目の回復シークエンスと並行して禁忌指定(パンドラボックス)の再現を続行.

 

 搭乗者(パイロット)応答してください.

 搭乗者(パイロット)応答してください.

 

 搭乗者(パイロット).

 搭乗者(パイロット).

 

 搭乗者(パイロット).

 

 

 ――目を覚ましてください、搭乗者(マスター)

 

 

 

 

 20.

 

 

 

 気が付けば。

 

「―――」

 

 飛んでいたはずが、水溜まりの上に立っている。

 

 見晴らしの良い、どうやら屋上らしき場所だった。辺りには、かつて渡り歩いた数多くの“世界”では一度も目にしたことのなかった近代的建築物(ビルヂング)が建っており、そのほとんどが屋上を除いて、薄黒い水のなかに水没している。

 遠くの風景に、既視感があった。目を凝らす。水没をまぬがれていた、見覚えのある石畳の階段。鳥居。境内。(やしろ)

 

 顔を上げると、燃えるような黄昏が、どこまでも空を朱く続いていた。

 黯黒(かぐろ)い球体が、天に座している。月の凍てつくような輝きではなく、太陽の灼熱の眩さとも違う、禍々しい彩光を放ちながら、輪郭を不定形の焔のように揺らめかせている。

 

 奇妙な高揚が皮膚(はだ)の下で奔るのを感じ、薄緑の刃身を起こした。

 変哲のない自分の顔が映っている。冷ややかな眼差し。昔がどうだったのかは覚えていない。懐古に浸る間もなく、刀身に、自分以外の異様が映りこんでいることに気が付き、振り返った。

 

「………、」

 

 目を剥いた。なんだ、これ(・・)は。呟いていた。〈不動心〉と〈精神耐性〉が無ければ、そのまま膝から崩れ落ちていたかもしれない。

 

 数多の腐爛した呪言の巨腕(かいな)

 黄泉をも統べる大霊の威風。

 赫黯(あかぐろ)く禍々しい“怪物”。異形。“太古の疫神”。

 

 ずっと探し続けていた、追い求めていた、斃すべき仇敵。

 

 ようやく辿り着いた、“これ”が何なのかは知っていて、覚悟はしていた。準備も出来ていた。それでも瞠目せざるを得なかった理由は、視界に映っている“これ”の、見上げるしかないあまりの大きさ(・・・・・・・)故だった。

 

 巨大。超大。

 怪物の体躯は、この“世界”に存在するすべての建築物よりも遥かに大きい。

 大まかな解析(アナライズ)が完了する。

 

 推定、全長三〇〇〇メートル(・・・・・・・・)

 

 八ヶ岳かよ。変なわらい声が出た。

 

 “恐怖”はしていない。“混乱”もしていない。“絶望”も。

 だが。流石に、これは予想の外だった。

 

伊邪那美大神(いざなみのおおみかみ)

 

 この距離で、呟きに反応したのか。

 

 言葉ならざる叫喚(おと)が、大気をふるわせた。

 

 怪物が頚を持ち上げる。はっきりと、見られていると感じた。気付かれている。しかし無数に波打つ骨の指から、眩い烈光が放出されることはなかった。

 怪物の躰に、“鎖”が巻き付いている。怪物の体躯と比較して此処からだと非常に細く軟そうに見える“鎖”が虚空から伸び、身動きできないよう、怪物を縛りつけている。

 

 “此処”へ至る前に別れた少女が口にしていた“助言”が、脳裏を掠めた。

 

 頬を、“何か”が跳ねた。

 拭った指先に、黒い粘性のものが絡んでいる。振り払った次の瞬間、また雫が頬を打った。

 

 足元の水溜りに、黒い染みが入り混じってゆく。

 黒い雨がぽつぽつと屋上を跳ね、水没した街の水面に飛び込み、音の数が大きくなってゆく。

 

 雲一つない黄昏のなかで、黯黒い球体が、爛々と輝きを放っている。

 

「【セト】」

 

 黒い水溜りが、沸騰するように波打った。ただの雫の集合ではない。もはや、はっきりとした気配が潜んでいる。

 現れようとしている。

 

「……【セト】」

 

 平面であった黒い水溜りの奥から、黒い塊が這い出した。

 身を乗り出し、ヒトのかたちをした禍々しいものが、雫を滴らせながら立ち上がる。

 

「――【セト】?」

 

 反応がなかった。いくら()んでも、いつまでも“分身”は現れない。

 

 ヒトのかたちをした、赫黯い異形が、絶笑するように仰け反った。

 薄緑を握り込む手が、冷や汗に濡れている。

 

「【セト】!」

 

 やはり、現れない。

 声を荒げる存在を嗤うように、ヒトのかたちをしたそれが、紅黒の薙刀をこちらに向けた。

 

 背後から水飛沫が上がり、咄嗟に薄緑を振るった。斬撃を受け止めるも、凄まじい膂力に弾き飛ばされる。

 

「おまえは」

 

 姿勢を構え直しながら、堪らず叫んでいた。

 現れた影へ。こちらを射貫く二体へ。

 よくよく知っている、恐るべき魔人へ。

 

禍津伊邪那岐(マガツイザナギ)――」

 

 何故(どうして)、と。

 推測する暇はない。禍津伊邪那岐(・・・・・・)が巨大な薙刀を振り被った。膨大な魔力が空気に流れ出す。魔法発動の予兆。

 地を蹴っていた。逃げる余裕はない。眼前で唱えている魔法を発動前に潰すしかなかった。全力で飛び掛かる。前に出た禍津伊邪那岐の斬撃。薄皮一枚で躱した。空中で姿勢制御し、片足で着地し跳躍。薄緑を衝き出す。

 禍津伊邪那岐の左目を貫通させ、斬り飛ばすが。

 黒い粘性のものを噴き出す禍津伊邪那岐のぱっくり開いた断面が、次の瞬間、光り輝きながら蠢いた。斬り口部分の血肉が時を巻き戻すかのように盛り上がり、欠損した箇所をそっくり元通りに埋め直し、致命など負わなかったかのようにわらっている。

 呪文を声に出すならば、禍津伊邪那岐は嘲笑と共に告げたに違いなかった――【ダイヤモンドダスト】、と。

 

 瞬間。凍り付いた。

 大気がありとあらゆる分子運動を停止させる極寒の冷気で塗り潰され、禍津伊邪那岐の左脳を斬り飛ばした薄緑を握る腕をも、凍らせる。

 

 反応が遅れた。猛然と迫る薙刀。

 避けられない。

 

 衝撃が爆ぜる。柵を突き破り、水面(みなも)に背中から衝き刺さった。飛沫。音と光が遠のき、白い水泡に視界を覆われる。

 

 冷たさは感じない。そもそも躰の感覚がなかった。半身が凍結している。右腕は薄緑を握り込んだままだったが、薙刀の直撃から庇う際に下手を打ち、罅くらいは貰ったかもしれない。

 思考するのに支障はなかった。呼吸(いき)を止めたまま、声には出さず再び試した。

 

「【ベルフェゴール】【レッドライダー】」

 

 躰に力を込めた。呻きと共に気泡が漏れ、海面に昇っていった。

 

「【セト】【ブラックライダー】」

 

 だしぬけに、視線を感じた。殺気とは違う。回らない身体で、首だけを動かした。

 

 沈没したビルヂングの窓際に、人が立っていた。

 一人ではない。沈没した街のあらゆる建造物の薄暗い窓際に、人たちが整列していた。

 同じ背丈であり、同じ容姿であり、同じ表情をしていた。

 

 すべて、自分だった。

 

 鏡写しの“少年”が、無表情に、こちらを見つめている。

 

「【マーラ】【ヨシツネ】【マダ】」

 

 応答はない。

 

 “鏡”は何も言わない。

 

 乱れかけた呼吸を落ち着かせる。痛みを覚えるが、腕を動かせるまでに復帰している。〈瞬間回復〉が発動したのだと気づいた。〈大治癒促進〉や〈大気功〉といった常時発動型能力(スキル)の効果も感じる。つまり、完全に繋がり(・・・)を絶たれてしまったわけではないのだろう。

 どうせなら〈大天使の加護〉と〈アリダンス〉も発動して欲しかったと思いながら、唾を飲んだ。鉄の味がする。妙な味もした。黒い雫が混じっていたのかもしれない。解凍(・・)が進み、傷口から血が滲み出した。じわりと漂う薄い赤色を見て、ふと頭の片隅で、自分の血がまだ赤いことに奇妙なおかしさを感じ、わらいたくなった。

 この“世界”はこれまでの“世界”とは明らかに法則が違っていて、理解できないことは多々ある。だがわらえるだけ余裕があり、“絶望”はしていなかった。〈不動心〉のおかげでもあり、かつてそう在り続けると自分で決めたことでもあった。

 

 思考は明瞭になったが、これ以上は息が()たない。身体は、もう動かしても問題はなかった。解凍した血が全身を巡っている。脈打つのを感じる。生きているあかし。何処であっても、すべきことは変わらない。水面の向こうに、夥しい魔力の高まりを感じ、目蓋を閉ざした。

 

 内なるものへと意識を沈め、いつものように、裡なる海に呼びかけた。

 

 

「【―――】」

 

 返ってくる、手応えがある。

 それは馴染みの感覚。失われていない繋がり(・・・)

 

「【――い】」

 

 それは、かつて自分が選んだ時から、変わらず自分のなかに在り続けるものだった。

 

「【――来い】」

 

 その存在と繋がる(・・・)のを感じ、強く、叫ぶようにそれ(・・)を引き寄せた。

 

 亀裂。

 光条。

 

 抉じ開けられる。

 凍えるような水中が、荒々しい破壊のちから(・・・)によって押し退けられてゆく。

 

「【来い】!」

 

 光から滲みだし、飛び出す“影”。

 

 それは、邪悪な威容だった。禍津伊邪那岐とまったく同じ存在でありながら、しかしそれは、決して敵ではなかった。

 

「【マガツイザナギ】!」

 

 巨いなる薙刀を揮う、赫黯い“魔人(ペルソナ)”が。

 変わらぬ調子で、禍々しく絶笑を上げた。

 

 

「【サイコキネシス】」

 

 海面が太陽を吞んだように白熱し、光が落ちてきた。

 昂りを覚えながらも冷静な思考でマガツイザナギに命じ、絶大な念動力を行使した。自身を中心に半径二〇メートル内の水素を根こそぎ圧し上げ巻き上げると、巨槍を練り上げて光に捻じ込んだ。

 衝突は一瞬。巨槍は脆くも掻き消えるが置き土産に蒸気爆発を撒き起こし、周囲の水がぽっかりと消失するのを目視したときには目の前の大肩に掴まっていた。マガツイザナギとの間に意思疎通の遅延は生じない。“分身”そのものだからだ。熱波と燃え盛る光が呑み込もうとしてくるが、こちらが飛ぶほうが僅かに速い。

 刹那に大熱量を逃げ切り、肌が焙られる痛みを感じながら蒸気の壁を突っ切った。擦れ違いざまに〈アトミックフレア〉の光輝を叩き込み、拓いた活路へ跳ぶ。背後で収束した核熱魔法が蒸気の向こうで待ち構えていた禍津伊邪那岐に命中した手応えを得ながらビルヂングの硝子窓に激突しそうになりつつ足場とし、一気に黄昏の空へと躍り出た。

 

 視線。屋上で禍津伊邪那岐が見上げている。〈アトミックフレア〉を喰らったはずが、微塵も血を流していなかった。その傍らでは、インド神話に登場する怪物をモチーフとした車輪を背負った魔人マダ(・・)が佇んでいる。先ほどの大熱量はマダの広範囲特級火炎魔法〈大炎上〉だと推測でき、そのとき唐突に閃くものがあった。

 

 禍津伊邪那岐は多数の特殊能力(スキル)を有している。〈ダイヤモンドダスト〉という本来ならば(・・・・・)覚えない筈の魔法を使えたのだから他の特殊能力(スキル)を持っていても不思議ではない。つまり禍津伊邪那岐はマガツイザナギと同じ特殊能力(スキル)を持っているのではないか。それだけではない。禍津伊邪那岐がマダを喚んで〈大炎上〉を使ったということは禍津伊邪那岐にとってマダは“分身(ペルソナ)”そのものでありこちら(・・・)がそうであるように分身(ペルソナ)が宿す特質すらも己に反映しているのではないか。だから禍津伊邪那岐は〈アトミックフレア〉を喰らっても無傷でいるのではないか――核熱攻撃を無力化するマダの強力な性質ゆえに。

 

 マガツイザナギの背に乗りながら視線を巡らせる。ぽっかり消失した水はすぐさま押し寄せる薄暗いもので補填され、水没風景に変化はない。黒い雫が降り続けている。雫の弾ける窓際には、誰も立っていなかった。ならば、並び立つ少年の姿は幻覚だったのか。この“(ユメ)”と“(うつつ)”の狂った世界で幻覚を見たというのか。

 

 禍津伊邪那岐が見上げていた。

 マダを傍らに従える禍津伊邪那岐とは別の個体であり、その背後には、赤黒い馬に乗った赫黯い骸骨が天秤を握って佇んでいた。

 

 別の屋上では、こちらを見上げる禍津伊邪那岐の背後に赤黒い馬に乗った赫黯い骸骨が大剣を握って佇んでいた。

 別の屋上では、こちらを見上げる禍津伊邪那岐の背後に赤黒い戦車に乗った悪霊を従える卑猥な形状の魔王が佇んでいた。

 別の屋上では、こちらを見上げる禍津伊邪那岐の背後に赤黒いエジプト神話の悪神である邪龍が佇んでいた。

 別の屋上では、こちらを見上げる禍津伊邪那岐の背後に赤黒いグリモワ魔術に記された発見と発明の魔神にしてシリアの豊穣神を貶めたものともされる存在が地獄の門の頂きで思い悩むブロンズ像さながらの表情で便器に座っていた。

 

 総勢六体。禍津伊邪那岐を含めれば、一二体。二四の視線。

 それらの名称を、知っていた。

 

 レッドライダー(・・・・・・・)

 ブラックライダー(・・・・・・・)

 マーラ(・・・)

 セト(・・)

 ベルフェゴール(・・・・・・・)

 

 直感が働く。異界くんだりまで来て〈アドバイス〉の優秀さは健在であり、そのためどれだけ直視しがたい内容であっても問答無用に推測が裏付けられてしまう。

 どうして禍津伊邪那岐は頭を失っても再生したのか。それを説明し得る特殊能力(スキル)の存在に思い至った。

 〈不屈の闘志〉。死したものを完全に復活させる強力な特殊能力(スキル)。六体のうち一体が宿している、この常時発動型特殊能力(スキル)のために禍津伊邪那岐は頭を失っても死ななかったのだとしたら。

 

 禍津伊邪那岐は、篠ノ之(しののの)(ゆう)という“転生者”と同様に「塔」に属するすべての分身(ペルソナ)の比類なき破壊と再生の特殊能力(スキル)を会得しているということになる。

 

「すべて……」

 

 引き攣りそうになる思考に、引っかかりを覚えた。違和感。全身の肌が粟立つ予感。〈アドバイス〉による知らせで、すぐに気づく。

 屋上から見上げるレッドライダー。ブラックライダー。マーラ。セト。ベルフェゴール。これは、すべて(・・・)ではない。禍津伊邪那岐を入れても“塔”にはもう一人、欠かせない強力な存在がいる。

 

 その人物は、屋上でこちらを見上げていなかった。

 

「マガツっ、」

 

 上。

 凍り付くような殺気がし、弾かれるように見た。

 

 虚空を滑り落ちてくる赤黒い鎧武者が、見惚れるほど美しい剣筋で刃を振り下ろす。

 迎え撃つべく、マガツイザナギが太刀を薙いだ。

 

「【血祭】――」

 

 その防御を。音すらも斬り裂いて。

 

 一振りに八つの破壊を込める斬撃の極致が、マガツイザナギの両腕をばらばら(・・・・)にした。

 

 絶叫を木霊させるよりも早く、“本体”である躰からも鮮血が迸った。赤黒い飛沫が視界を覆い、マガツイザナギに着地したヨシツネ(・・・・)が、嘲笑と共に両腕を刻まれた敵を蹴り落とす。

 

 虚空へ放り出される。重力の法則に囚われる。

 見上げていた他の魔人たちが、禍津伊邪那岐の背に飛び乗るか、自身で飛び立つかして魔法を詠じ始めた。

 

 マガツイザナギが薄らぐ向こう側に、黄昏が見える。すべての元凶にして超大たる伊邪那美大神も。わらっているのか。たしかに、絶体絶命の状況ではある。

 この世の終わりのような光景を見ながらも、“恐怖”は感じなかった。“混乱”も。ただ、込み上げる想いがある。刻み込まれた誓いが。消え失せない意志が。

 

 この程度で、諦めるわけにはいかない。腕が使えないのなら。落下しながら身を捻り、宙を踊る薄緑を、歯で噛んで(・・・・・)掴まえた。こちらに近づこうとする魔人を見据え、おぼろに散りかけるマガツイザナギに命じる。

 

「【万物流転】」

 

 痛みを無視し、意志を乗せた精緻な暴風を生じさせ、自身を射出させた。宙から加速した躰は、狙い通りの方向へと吹き飛ばされる。七体の禍津伊邪那岐のうち、今まさに屋上から飛び立とうとしているある一体の懐へと。

 気づいた禍津伊邪那岐が迎撃しようと薙刀を、そして連動する背後のブラックライダーが天秤を動かそうとするが。

 

「【インフェルノ】」

 

 着地の直前、ヨシツネに頸を斬り落とされる寸前に、マガツイザナギが地獄の炎を召喚した。

 賭けだった。眩い炎がブラックライダーを呑み込み、動きを止める。賭けの結果を知る暇もなく、そのときにはこちらも着地して踏み込んでいる。

 眼前の禍津伊邪那岐は、予想通り怯んでいた。迷わず太刀を噛み固めて。跳躍。一気に振り下ろす。

 歯に一瞬、直に伝わる手応え。肉の抵抗。構わず、そのまま斬り落とした。

 頸を、両断する。

 

 これも、賭けだった。ここでもし、もう一度再生されるようなことがあれば。

 目は閉じなかった。最悪に備え、意味は薄くとも躰を防御した。

 

 反撃は来ない。截ち切られた首と、首を失くした躰が力なく屋上に転がった。

 斬り落とした断面は、今度こそ再生されなかった。あれほど圧倒的な存在感であったブラックライダー諸共、〈ダイヤモンドダスト〉で腕を凍傷させてきた禍津伊邪那岐は、今度こそ夢の欠片のように消滅してゆく。

 

 直後、躰の底から力強い熱が漲ってくる。自然と、裂帛の声が上がった。〈勝利の雄叫び〉。“敵”を斃すたびに体力/精神力を全快させるスキルの効果が発揮され、動かなかった両腕をあっという間に治癒してくれる。

 

 元通りになった腕で刀を持ち直すと、飛び退きながらマガツイザナギを呼んだ。絶たれたはずのマガツイザナギの腕もきちんと全快し、動きに支障もない。

 

 危うい賭けだった。禍津伊邪那岐の耐性が連動する魔人(ペルソナ)のそれと同一であること、攻撃を仕掛けた禍津伊邪那岐がこの世界(フィールド)に来て最初に頭を斬り飛ばしたあの魔人(ペルソナ)と同一であること、加えて不屈の闘志(パッシブスキル)の消費判定が独立した個々のものであることが大前提という、ハイリスクな突撃だった。

 いくら解析(アナライズ)してあったとはいえ、別の魔人(ペルソナ)に攻撃してしまったら即座に〈勝利の雄叫び〉を発動させられはしなかったであろうし、マガツイザナギがヨシツネに消滅させられる寸前に“戻せる”かどうかも、紙一重の駆け引きだった。

 

 凌いだとはいえ、危機を脱したわけではない。

 最も近いレッドライダーが動き出す前に〈真理の雷〉を放ち、吹き飛ばしながらマガツイザナギに跳び乗って屋上から飛び降りる。

 背後にはまだ六体の禍津伊邪那岐と六体の魔人が残っている。一対一二という不利は変わらない。

 すぐに追ってくる。

 

 それでも、斃せないと“絶望”する必要はない。

 

「【マガツマンダラ】」

 

 魔人たちの攻撃。高く飛び上がりながら躱し、広範囲呪怨魔法をばら撒いた。災厄の名を冠した禍々しい曼荼羅の絵図が虚空に広がり、呪詛の文字を渦のように巻きながら収束すると、魔人(ペルソナ)たちを呑み込み砕く。

 “塔”の魔人の多くは呪怨“耐性”を持っているが、“反射”されたところで問題はない。狙いはマダとヨシツネの二体。〈マガツマンダラ〉の炸裂に巻き込まれ、乗っていた“無効化”持ちの禍津伊邪那岐にはダメージが皆無らしき様子だったが、二体は表皮から赤黒い血を流している。

 だが、それだけだった。他に変化はない。〈マガツマンダラ〉の呪詛を浴びた者は精神に異常をきたすが、そんな様子は見られず、やはり〈不動心〉と〈精神耐性〉を所持しているとみるべきだった。

 落胆はない。この“世界”では、誰もが正気のまま戦い続けなければならないということがわかっただけでも、収穫と言えた。

 

 魔法発生の予兆に気を配り、絶えず高速で動き回りながら、魔人たちをどのような順で斃すべきかを思考する。相手は〈不屈の闘志〉を持っているが、最善手を打ち続けることができれば撃破は難しくない。そしてこちらには大抵の“弱点”を突ける手札が揃っており、〈アドバイス〉や〈不動心〉といった優秀な補助が備わっている以上、決して不可能ではないように思えた。

 

 やりようはある。まずは、マガツイザナギの苦手な核熱広範囲魔法を使えるマダから墜とすことに決める。禍津伊邪那岐たちの〈アトミックフレア〉を警戒し、追い縋る魔人たちの夥しい殺意から逃れつつ黄昏を飛行し、勝つための作戦を組み立ててゆく。

 

 いずれは、伊邪那美大神も。

 

 不可能ではない。

 諦めさえしなけば。

 

「―――」

 

 そんな、楽観視にもほどがある思考であったこのときの自分は、“あと”になって振り返ると、やはりこの期に及んでも、ひどい勘違いしていたということになる。

 時の流れの狂ったこの迷宮の深層に至ってなお、むざむざと出口のない最下層に(おび)き出されておきながらなおも、己ならば英雄的偉業を成し遂げられると。図に乗っていたということになる。

 

 英雄ならざる者にとって、荒ぶる神とは斃し滅ぼすものではない、あくまでも慈悲に縋り、どこまでも許しを請う(・・・・・)べき存在であり――

 神の機嫌が変わらない限りは、神の怒りが鎮まるはずもないというのに。

 

 腐っても宿したのが“神”に連なる力であるが故に、どうにか事態を解決できると、そう見誤っていた。

 その“驕り”の代償を。

 この“世界”の“主役ならざる者”にはどうすることもできない動かし難い現実を――これから長い時間をかけて理解させられることになろうとは。

 

 

 まさか微塵たりとも、思ってはいなかったわけで。

 

 

 

 21.

 

 

 

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 22.

 

 

 

 一年が経った。

 

 

 

 23.

 

 

 

 一〇年が経った。

 雨は、降り続けている。

 

 

 

 24.

 

 

 

 まだ、雨は降り止まない。

 

 

 

 25.

 

 

 

 そろそろ、一〇〇年が経った。

 

 

 

 26.

 

 

 

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 27.

 

 

 

 呼び出し音が鳴っている。

 

 座間で畳んでいた服を片付けて玄関に向かうと、元気な声が聞こえてきた。

 引き戸を開けると、小さな子供が二人、立っている。

 

 いらっしゃい。なかで休んでいく? そう声をかけると、男の子と女の子は、そっくりな顔を向き合わせ、そっくりな仕草でかぶりを振った。

 わかった。もう用意はしてあるからね。水筒と財布と折り畳み傘の入った鞄を取り、靴を履き替えると、子供たちは待ちきれないという様子ではしゃいでいた。

 

 少し息を切らしながら腰を上げると、孫たちに手を引かれながら、玄関を出た。

 

 空は晴れ渡っており、雲一つ、どこにも見当たりはしない。

 

 

 

 28.

 

 

 

 どこもかしこも、降り続けている。

 

 本当に。

 雨は、いつまでも降り続けるのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 29.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、永い月日が流れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





・篠ノ之結(TheTower)/所持アイテム(勝利の祝杯)
■ベルフェゴール(スリープソング・デビルスマイル・マカジャマオン・闇夜の閃光・奈落の波動・デカジャ・ランダマイザ・状態異常成功率UP)
■レッドライダー(メシアライザー・サマリカーム・テトラカーン・マカラカーン・大治癒促進・大気功・瞬間回復・ハイグロウ)
■マガツイザナギ(血祭り・インフェルノ・ダイヤモンドダスト・真理の雷・万物流転・サイコキネシス・アトミックフレア・マガツマンダラ)
■セト(ワンショットキル・トリプルダウン・マハラギダイン・マハガルダイン・アドバイス・疾風ハイブースタ・銃撃ハイブースタ・トリガーハッピー)
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■マーラ(ブレインバスター・マハサイダイン・マハコウガオン・ブレインジャック・コンセントレイト・念動ハイブースタ・祝福ハイブースタ・不屈の闘志)
■ヨシツネ(剣の舞・八艘跳び・マハジオダイン・ヒートライザ・チャージ・電撃ハイブースタ・背水の陣・武道の心得)
■マダ(大炎上・マハフレイダイン・火炎ハイブースタ・核熱ハイブースタ・不動心・精神耐性・アリダンス・魔術の素養)

・禍津伊邪那岐(Enemy)
■篠ノ之結(TheTower)のすべてのペルソナ能力を複写する。

















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