この対立は、遅かれ早かれいずれ生じるものだったのだろう――ビクターは目の前でがなる自惚れた愚かな男を見つめながら、己の心が急速に冷えていくのを感じていた。
「これじゃ機械と変わらねえ!生きてる人間が着ける装備なんだぞ!?」
「事故の原因のほとんどはパニックによるものだ。恐怖さえ感じなければ作業は適切にこなせる。事故率だって激減するはずだ」
これで五回目。
この一週間、二人の発明家は潜水用スーツについてたびたび衝突していた。ピルトーヴァーの波止場の海底で作業する潜水夫のためのスーツの共同開発だ。二人の設計したスーツは潜水夫をより深く、長く海底で作業させることに成功したが、着用者が幻覚を見てパニックに陥り自身や仲間を死なせることが多々あった。その問題に対してビクターの提案した解決策を、この青ひげの男、ジェイスは気に入らないらしく「絶対に運用させない」とまで宣言していた。
「恐怖は人間の原初的な感情だろ!ヤバい、と思ったら自分の判断で帰還させるべきだ!」
「それでは作業効率を我々が上げた意味が無いではないか!幻覚は所詮幻覚だ。監督者が恐怖心のスイッチを適切に操作すれば何も問題はない!」
「だーかーらそれは機械と変わらねえっつってんだろ!考え直せ!」
「考え直すのは貴様の方だろう!いつも感情的に突っかかって議論を停止させていること自体が感情の非効率性の証左ではないか!」
「なんだと!」
胸ぐらを掴まれ、ビクターの頭が後ろにもたれる。ジェイスが立ち上がった衝撃で、何度も描き直された設計図がくしゃり、と折れた。短くなった鉛筆が机から転がり落ちる。
静まり返った研究室にカラン、と音が響く。
ジェイスの拳は振り上げられたまま停止していた。
「明日、もう一度ここに来る。考えが変わってなけりゃ、それまでだ」
「好きにしろ。貴様とはもう手は組めん」
乱暴に手を放し、研究室から出るジェイス。押し出されるように解放されたビクターは壁にぶつかるが、何とかバランスを維持する。
バン!と強い力で叩きつけるように閉められたドアをビクターはしばらく見ていた。
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友だと、思っていた。
「なんなんだよクソッ……!」
夕暮れ時間、ジェイスは公園で無邪気に遊ぶ子供たちを見ながらビクターとの出会いを振り返る。
天才だったジェイスは、その天才性ゆえに周囲から孤立していた。礼節がなっていない、周りを見下しているとみなされるジェイスはつねに独りだった。もう一人の天才に出会うまでは。
・・・
「お前の発明品、ビシーッとしているけどまったく派手じゃねえな!」
「なんだ君は?」
「俺はジェイス。お前も一人なんだろ?」
俺と同じでさ、そう続ければどうやら名前を知っていたらしく、顔をくしゃくしゃにしてジェイスの発明品について無駄が多いだの大げさすぎるだのケチをつけてきた。だが、不思議と苛立ちは感じなかった。何故なら彼の今までの同僚は、ケチをつけることすらできないほど彼との差があったからだ。
「そんな非合理的な機能は省くべきだろう!」
「いーやいやいや、ハンマーにビーム砲の機能があればもっと楽だろ?」
「それならばもっと使用者の負担を減らす機能をだな……」
遅くまで議論することもあったが、自分と同等の優れた発明家と交わす議論は今までの何よりも充実した時間だとジェイスは思っていた。意見が一致することは一度たりともなかったが、決別することはなかった。お互い「人のため」という目的は同じだとわかっていたからだ。
・・・
「感情を支配するような機能なんて、絶対に認められねえ」
今回は違った。ビクターは踏み込んではいけないところに踏み込もうとしている。ひとりの人間の意志、感情を他人が操作するような発明は「人のため」ではないとジェイスは直観している。ジェイスは想像する――無感情に自分の発明品であるハンマーを振りかざし、高所で作業する人間を。そこに落下への恐怖はなく、ただ監督者の指示で機械的に作業するのだ。自分が建てている建物の姿を想い馳せることもなく、淡々と。――そんなものは人間ではない。ビクターは人間が人間であるものを取り去ろうとしている。絶対に自分が止めなければいけない、と決意していた。お互い、間違えたときに止められるのはただ一人だけなのだ。ふたりとも独りだったのだから――
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「やはり、感情は不要なのだ」
ジェイスが飛び出していった研究室で、ビクターは久しぶりに孤独を感じながら感情の無用さを痛感していた。あの愚かで感情的な男は、つねにビクターと対立していた。無駄に派手な発明品ばかり。才能を尊敬こそすれ、友情のようなものを感じたことは一度もなかった。ただ「人のため」という崇高な目的を共有していたにすぎない。
「……」
やけに時計の秒針の音がうるさい。ジェイスが出て行ってからしばらく呆然としていたらしい。日は沈み、月が顔を出していた。それでもピルトーヴァーは発展の灯りで華やかに光っている。ゾウンとは比べ物にならない。故郷なら出歩けなかっただろう、と思う。ゾウンで生まれたビクターは、その天才的な発明で有名となりピルトーヴァーのアカデミーへと招待された。それからは住み込んでの研究の日々だ。
・・・
「お前の発明品、ビシーッとしているけどまったく派手じゃねえな!」
「なんだ君は?」
「俺はジェイス。お前も一人なんだろ?」
俺と同じでさ、と続けて話しかけてきたのはジェイス。人を助けるために最高効率で動くよう設計した発明品に「派手じゃない」と意味不明なケチをつけられ、ぼろくそに言い返したのを覚えている。当時から気に入らないことだらけだ。ことあるごとに議論に付き合わされ、夜遅くまで解放されなかった。
「そんな非合理的な機能は省くべきだろう!」
「いーやいやいや、ハンマーにビーム砲の機能があればもっと楽だろ?」
「それならばもっと使用者の負担を減らす機能をだな……」
ビクターの理路整然とした主張には耳も貸さず、派手で尊大な発明品ばかりを作るジェイスには辟易していた。
・・・
「最高効率で人の命を救うことが最善だろう」
倫理、自由意志などくだらない。ビクターは想像する――恐怖という欠陥の感情に足が竦み、高所から転落する作業員を。その結果、彼の命は失われ、もう二度と戻ることはないのだ。安全な位置から監督者が操作していれば、あるいは、感情と身体を切り離せたなら――どれほど救えた命があっただろう。「倫理的に問題がある、そんなものは人間ではない」――散々他の同僚から言われてきた言葉だ。それを今更奴に言われたところで何も変わりはしない――そう考えたところで、ビクターは自らの握りしめた拳に流れる血に気が付いた。血が出るほど力んでしまっていたらしい。
「私は命を救う。誰になんと言われようとも」
人のために。
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「考えは改めたか?ビクター」
返事がない。
息が詰まる。
新しい設計図を描くのに集中している友の姿を期待しながら、ジェイスは昨日強く閉めたドアをゆっくりと開いた。
――研究室には誰もいなかった。