「状況が変わった」
残された上弦の壱と弐、黒死牟と童磨を呼び出し、鬼無辻無惨はそういった。
「太陽を克服した鬼が―――禰豆子が現れた。故に、アレを確保せねばならない。だがその為には旭那黒曜が邪魔だ」
だが、と無惨は胡乱げに続ける。
「もはや私はお前たちが旭那黒曜を殺せるなどと期待していない」
上弦すらも残すは二体のみ。
黒死牟と童磨が黒曜を倒すことなんてそもそも思っていない。
故に、
「少しでも手傷を負わせて来い。腕の一本落とせれば十分だ。私がお前たちに期待するのはその程度だ」
そう言われ、黒死牟と童磨の運命は決定した。
黒曜をおびき出すまでもなく黒死牟の前に現れ、その背後を童磨が気配も音も、存在すら消して接近し――――一瞬にて消滅させられた。
そして、向き合う旭那黒曜。
―――――顔を見るだけで、腸が煮えくり返りそうだった。
黒死牟の弟――――継国縁壱。
己と瓜二つの顔、しかし生まれつき持つ陽炎のような痣。
世界の寵愛を一身に受けた者。ただそこにいるだけで世の理を乱す男。
その生涯において、鬼無辻無惨でさえもかすり傷一つ付けられなかった真正の化け物。
黒死牟が鬼になってから―――――一度も会うことはなく、痣者故に二十五を迎え死んだと思っていた。その後も、無惨と黒死牟とで彼にまつわる全てを殺したというのに。
九年前にも、瓜二つの男と出会った。
その男は日輪刀を持たず、剣士ではなかった
ただの木刀故に殺されることはなく――――しかし、手も足もでなかった。
庇っていた妻と子を狙い、その犠牲となって男は死んだ。妻も一緒に死んだ。
息子だけが生き延びた。
そして今、黒死牟の前に。
「お会いしとうございました――――――兄上」
言われた言葉に、即座に黒死牟の怒りは頂点を迎えた。
「ホォォ……!」
呼吸は全集中。
鬼でありながら鬼狩りの呼吸を用いる異端にして頂点の鬼。
「月の呼吸:拾陸ノ型:月虹・片割れ月―――!」
即座に放たれる月の呼吸最大規模。降り注ぐ五つの大斬撃に、付随するような三日月型の小斬撃。不規則に舞うそれもまた当たり判定が存在し、並みのものでも、初見であれば柱でさえも無傷で済むことは決してない。
「――――」
なのに、黒曜には掠りもしなかった。
「…………縁壱ぃ!」
呻くような怨嗟の声。
噴火の如き怒りは収まらない。
「拾肆ノ型:兇変・天満繊月……!」
視界を埋め尽くすように、折り重なった斬撃が放たれる。
これもまた大斬撃に三日月状の斬撃が織り交ざったもの。
なのに、黒曜には掠りもしない。
「っ……!」
声にならない。
腸が煮えくりかえる。
怒りで脳が沸騰する。
四百年だ。
四百年もの時を研鑽に費やしてきた。痣を発現し、透き通る世界に入門し、家庭を棄て、かつて仲間だった者たちを斬り捨て、人であることさえも辞めて鬼となった。
なのに、たった二十年ほどしか生きていない旭那黒曜にはかすり傷さえ与えられない。
「なんなのだ貴様は!」
吐き捨てるような言葉があふれ出す。
「貴様のような男が何故生まれてきた! 何故貴様のような者の存在が許される! お前のような、生きているだけで世界を乱し、他者の研鑽を無為にするものが! 何故四百年経っても生きているのだ! 縁壱、縁壱、縁壱ぃぃぃぃ!!」
癇癪染みた憤怒と共に刀が形を変える。
それまでの通常の刀から、三叉の刃。それはさらに型の攻撃範囲を広げる黒死牟の血鬼術。それにより型を連続して繰り出すが、しかし結果は変わらない。
赫刀で防ぐこともすらない。ただの体捌き。
大人が棒きれを振り回す子供を歯牙にもかけないように。
三日月の刃が舞う中で、しかし黒曜は常と変わらなかった。
否、いつも以上に感情を感じさせない無表情で、
「―――貴様、痣が……!」
額や顎、腕の痣が―――――形を変えていた。
菱形を重ねたようなそれから、陽炎のような、炎のような痣。
継国縁壱のそれと同じように。
「何故だ……! 縁壱、何故貴様は――――!」
「
「っ―――」
言葉に、黒死牟が硬直する。
痣の青年が口にしたのは、
「――――――何故、このようなもので戯れをされるのですか」
怒りと嫉妬で発狂するのを黒死牟は自覚した。
●
狂気じみた執念と共に三日月の斬撃が黒曜に降り注ぐ。
だがそれは黒曜からすればそよ風に等しいものだった。
やっと出会えた黒死牟に、黒曜は奇妙な感傷に陥っていた。
懐かしい。そして愛おしい。
そんな気持ちが、胸の奥からあふれてくる。
どこから来るのか解らないが、しかし確かにそう感じていたのだ。
兄上と、自分は彼のことを呼んだ。
黒曜に兄はいない。だが、そう呼んだ。
自分ではない誰かが、自分の口を介して想いを伝えているかのように。
黒曜のものではない誰かの記憶を元に、黒曜ではない誰かが黒死牟へと話している。
それに対して、違和感も嫌悪感もなかった。
そうしなければならないとさえ、思った。
自分はこのために生まれてきたと、思うほどに。
旭那黒曜は―――――この瞬間の為に生まれてきたのだ。
「―――――キィィ」
呼吸を深める。
初めて、黒曜が刀を構えた。
「……!」
黒死牟もまた身構え、月の呼吸による斬撃の雨を叩き込み、
「星の呼吸:玖の型―――」
赫刀が閃いた。
「――――――黒曜の星辰」
それは剣技における究極系。
炎のように激しく。
水のように柔らかく。
風のように鋭く。
岩のように堅く。
雷のように速い。
ありとあらゆる剣術という概念の究極系。世界に愛されたとさえ言われる男が突き詰めた人という種の終着点から放つ至大至高の一閃だった。
「――――」
斬撃時間は刹那以下。
黒死牟が気づいた時にはもう、彼自身の首は断たれていた。
そして十二鬼月は全滅し―――――
「――――――ガアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
――――それまでで、最大規模の月輪が黒死牟を中心に発生する。
それを当然のように避け、見た先に、
「ヨリ、イチ……!」
化け物が、そこにいた。
六つ目は変わらず、しかし肉体はまるで別物に。背から四本、わき腹から二本づつ甲殻類染みた手が生え、顔面には異形の角と牙。
まさしく異形の鬼。
それまでの黒曜と似ていた端正な顔だちなどなく、人から外れた化け物の名に相応しい姿だった。
絶ったはずの首は、繋がっている。
「ヨリイチ……! 貴様ニ、貴様ニハ……! 俺ハ……!」
足掻くように。
首を断たれて尚、死を認めぬと言わんばかりに黒死牟は吼える。
その様を。
その在り方を見て―――――気づかぬうちに涙が零れた。
「――――――おいたわしや、兄上」
日ノ本一の侍になるのではなかったのですか。
だから私は日ノ本で二番目の侍になろうと思ったのに。
優しく、強い兄上はどこに行ってしまったのですか?
そんなにまでなって、負けたくなかったのですか?
そんなにまでなって、死にたくなかったのですか?
そんな侍とかけ離れた化け物になってまで。
兄上、兄上、兄上――――。
「――――――ヤメロ」
そんな言葉を、黒死牟は聞いた気がした。
黒曜に被る縁壱。たった一人の弟。
憎くてたまらない、血肉の片割れ。
四百年前に訣別し、死んだはずなのに。
今なお、亡霊となって己の前に立つ。
悍ましくて、気持ち悪くて、妬ましくて―――――羨ましくて、たまらない。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
大気を震わせる咆哮。
それにさえ月輪が弾け、疾走もまた一歩踏み出すことに暴虐となって三日月の斬撃が吹き荒れる。
「―――――」
そして。
その様を見て。
――――――――旭那黒曜の呼吸は完成した。
「旭の呼吸―――奥義」
額の痣が明確に菱形を刻む。
日輪刀の赫はより色を深め、天照す光のように。
「―――――曙光の戯れ・童唄」
断ち切ったと、黒曜は思った。
成し遂げたと、黒曜は思った。
生まれて初めて感じる達成感。
何事かを成し遂げたという自覚。
その感覚は違うことなく―――――異形となった黒死牟の首を、今度こそ落としていた。
「―――よ、り……いち」
塵となって消えていく黒死牟の下に跪く。
彼に、言わなければならないことがあったから。
鬼となった彼を止め、ただ一言いうためだけに。
この痣は、この記憶は、四百年間受け継がれてきたのだから。
「兄上」
やっと、言える。
多くのことがあった。
多くのものを失った。
だけど、
「あの日……笛をくださってありがとうございました。遊んでくださってありがとうございました。私にとっては、あの日々は掛け替えのない輝きでありました」
「――――」
崩れ行く中、黒死牟が信じられない物を聞いたかのように目を見開いた。
笛、というものが何なのか黒曜には解らなかった。
だけど、父も、祖父も。旭那の家では代々生まれてくる子には父親が手彫りの笛を彫る風習があった。
つまりは、そういうことなのだろう。
時代が流れても、変わらないものがあったのだ。
「より、いち」
黒死牟の瞳から涙が溢れた。
その涙が、なんなのか黒曜には解らない。
「わたしは、おまえに―――――」
そうして、上弦の壱黒死牟。黒曜の祖先、継国厳勝は消滅した。
塵となって消えていく様を見て、再び、最後の涙が黒曜の瞳から流れ落ちた。
「―――――?」
黒死牟を、上弦の壱を、最後の十二鬼月を倒して、黒曜は―――――膝から崩れ落ちた。
「はぁっ……はぁっ……?」
呼吸が乱れる。
指一本動かない。
全身が硬直し、言うことを聞かない。
旭那黒曜にとってそれは初めての体験だった。初めての体験に理解が追い付かず、刀さえも握っていられなかった。
「ぁ―――」
口すら、まともに動かない。
隊服の中が何故か湿って不快極まりない。
汗を大量にかく、ということさえ黒曜には初めての経験だった。
黒曜は気づかなかった。
―――――己の額から菱形の痣が消えていることに。
まるで役目を果たしたと言わんばかりに、壁を超えたものの証は消失していた。
視界が狭窄する中、彼の意識が消えていく。
消える中、最後に過ぎったのはこれまで出会い、黒曜が星の輝きと尊んだものたちであり。
「――――カナ、エ」
最愛の女性と、いつか生まれてくる子供の姿だった。
●
数日後――――――――――鬼殺隊に星柱が死んだ、という情報が駆け巡った。
次回、最終回