「おい。なんとか言ったらどうなんだ! こっちは格安だから『まあ、いっか』くらいの腹積もりで金を出しているんだ! なのに殺人事件があったことを隠すだなんて、オーナーというより人間としてのモラルを疑うぜ!!」
1泊2日のディナー付きで6980円だったっけ、この椛館。そういえば、宿泊代にしてはめちゃくちゃ安かったな。学生カップルが泊まりに来るレベルだしな。
おまけにオーナーが若い女のヒトという贅沢尽くし。ただ、格安という爆弾に飛び込む客の層はまあまあ低い。たとえば、クレーマーよろしく妙な演説をしているおじさんとかね。
「……確かに、昔ここで殺人事件があったことは事実です。それを事前にお伝えしていなかったことも認めます。ですが、インターネットでプリッツェルがごとく調べれば、事件のことなんてすぐに分かるはずかと。皆さまはそれを承知でこの椛館に宿泊なさったのでは?」
「な……開き直りかよ! そこの、朝から夜まで盛っているガキどもみたいに『いんたーねっつ』なるものをまるで理解できないタイプが泊まりに来る可能性を考慮していない時点で、きみはオーナー以前に人間失格だ!」
だ、太〇治。とにかく、このおじさん、蜜屋さんに振られたからって散々な言いようだな。常日頃から人を見下して生きているんだろうな、きっと。プライド高そうだし。
「しつこいです! 殺人事件なんて3年も前のことですし、あの事件自体、容疑者逮捕で終わったはずです! いまさら蒸し返さないでください。あの部屋はもう綺麗さっぱり片付けました! そのために改装もしたんですから!」
「改装した程度でどうにかなるレベルの問題じゃねーだろ! 死体だぞ、死体!!」
茂田さんが夏の虫みたいに喚いているあいだ、残された僕らは沈黙を貫いていた。より正確に言うなら、金橋さんは大声に怯え、木村くんはそんな彼女の盾になろうと抱きしめていて、一ノ瀬さんは顎に手を当てていた。
一方で僕は、鮭のムニエルをどう食べようか悩んでいた。骨をすべて取っ払ってから食べるか、否か。鮭の皮に手を付けようとして、一ノ瀬さんがテーブルを両手で強く叩き、思い切り痛がった。
「ええとさ……水を差すようで悪いんだけど、片付けたんなら別に良くない? むしろ蜜屋さんは被害者だよね? 悪いのは殺人者だよ」
「そ、そうですよ! 殺人事件があったからってなんですか! 確かにわたしたちはインターネットのことはよく分かりませんが、椛館の宿泊券をふたつぶん確保するくらいはできます!」
「それに、殺人事件があっただなんて、わくわくするじゃないですか!」
一ノ瀬さんの発言を皮切りに、口を閉ざしていた彼らが吠え出す。後半から趣旨が変わっている気もするけど、あえて気にしない。僕もムニエルの皮を千切っておじさんにかみつく。蜜屋さんにすべての責任を押し付けるのはおかしい! しかも3年前の事件に首を突っ込むなんて!
「な……なんなんだ、貴様ら! なんでこの危機管理能力ゼロの若いメスに肩入れするんだ!?」
「そりゃあ、ねえ。殺人事件のことを言わなかっただけで、彼女は私たちに手厚いサービスを提供してくださっているし、豪勢な夕食まで用意してくれた。それに比べてあんたは意味もなく怒鳴り散らしたり、空気を読めずにナンパを繰り広げたり、まるで下半身に脳みそがある魔改造人間のごとき所業野郎だ。支持するのは当然、満場一致で彼女ということになる」
一ノ瀬さんの暴走は止まらない。――だいたい、振られた腹いせに過去の事件を蒸し返すなんて、ゴシップ記者でもしないよ、そんなこと! リベンジポルノかよ!
――あんたはオーナーに人間失格って言ったけどさ、恥の多い生涯を送ったのはあんたじゃないの? あ、恥じゃなくて禿だった! お詫びして訂正します!
むしろ、言い過ぎという概念を覆す所業だった。さすがは口喧嘩の天才。