「ふう。久しぶりにすっきりしたかも」
「お疲れさまです……いやあ、一ノ瀬さんのあの物言いは、聞いていて惚れ惚れしちゃいました」
「ふふふ、どうも。金橋さんから私に乗り換えちゃう? なーんて、未成年淫行は不倫よりも質が悪いっつーの!」
複数対単数による口喧嘩で見事な勝利を収めた一ノ瀬さんは、咽び泣きおじさんが去っていった余韻に浸ってうざいノリをかましていたが、彼女にぶどうジュースのグラスを渡した木村くんは愛想笑いでやり過ごしていた。
その様子を冷めたような細い目で金橋さんが睨んでいたが、一ノ瀬さんは気付いていない様子。木村くんを取り巻く女の愛憎劇に期待していたぶん、なんとなくやるせなさを感じる。とりあえずグラスに口をつける。
「うん、甘くて美味しいですね。このぶどうジュース」
「ジュース? おかしいですね……わたくしが用意したのはワインなのですけど」
テーブルのボトルを手に取って確かめる。地下のワインセラーにあったものと完全に一致している。
「あれ。じゃあ、これってワインなんですか? やけに舌触りが軽やかですが」
「ソムリエみたいな感想をどうもありがとうございます。それはたぶん、ぶどう果汁が100パーセントだからそう感じるのかもしれませんね。祖父はよくこのワインを『月1の頻度で公開される探偵小説』と表現していましたが、どうでしたか?」
これはどういったコメントを求められているんだろう。『ジュースみたいで美味しい』だったらダメなのか? あいにく僕のボキャブラリーでは、このワインを『炭酸の抜けたファ〇タグレープ』としか形容できないぞ。
っていうか、月1の頻度で公開される探偵小説ってなんだよ。どういう思考回路をしたらワインをそう表現できるんだ。解決編まで読むのに初夢を何回か跨ぎそうだな。
「……ん? 待てよ」
「どうしましたか、近衛さん」
ぶどうジュースだと思っていたものが実はワインだった。ここまでは良い。確か一ノ瀬さんってお酒が呑めないって言っていたような。彼女が持っているグラスはワイン用のシャープなボデーのやつだ。
「一ノ瀬さん。ひょっとして、酔っぱらっちゃってます?」
「ふぇ? ジュースで酔う訳ないでしょ。きみは私をバカにし過ぎだと思うな! あの禿みたいに嗚咽交じりの号泣会見を開かせてもいいんだよ? う、おえっ……ごめん、ちょっとトイレで吐いてくる」
どうやら、本当にワインだったらしい。口許を手で押さえながら一ノ瀬さんはログアウトした。それに付き添う木村・金橋ペア。その場には僕とオーナーの蜜屋さんが残された。なんだか気まずい。とりあえずグラスに口をつける。
「ところで、蜜屋さんはワインお好きなんですか?」
「いえ。わたくしもお酒は苦手なほうで……ひと口でも飲んでしまうと、一ノ瀬さんみたいになってしまいます」
「蜜屋さんはクールっぽいタイプなので、燥いだ感じも見てみたいと言えば嘘になりますね」
「有名大学のヤリサーじゃないんですから、さすがに泥酔して街で寝るなんて真似しませんよ?」
お酒の話でつい盛り上がる。蜜屋さん、下ネタイケるんだ……意外だ。誘導したつもりはないのに、なんかヤリサーっていう単語が出てきてしまうし、次の話に困る。酒の肴に下ネタが許されるのは人生に華のないおじさんだけだと思っていた。