「ふう、良いストレス発散になったよ。老害と言い争うのは私の日課だったしね」
「一ノ瀬さんって、性格がだいぶ歪んでいますよね。芸能人の不倫で嘲笑ったり、初老の方との口喧嘩に娯楽性を見出したり……僕でよかったら相談に乗りますが」
「心外だなあ、口喧嘩を甘く見てもらっては困るよ。英会話だって、それだけで相手を罵ることができたら一人前だって言うし、意外と頭を使うんだよ?」
「あなたのひどい口喧嘩と、セレブの嗜みである英会話を同列に扱わないでください。ス〇ードラー〇ングとN〇VAが可哀想です。謝罪してほしいレベルで」
あのあと、初老の男性が彼自身の小汚い汁で顔を濡らすまで口喧嘩は続いた。できればそんな不快感がマックスむ〇いで、グロテスクな場面を見ていたくはなかったけど、彼女の多彩な罵詈雑言は聞いていて、爽快感がありあまったのだった。
「それで、どこから散策します? 個人的にはワインセラーを見てみたいですが」
「じゃあ、そこにしよう! 2階は個室ばかりで、特に面白みもないし」
*
「お、すごいですね、ワインが壁一面にありますよ。しかも、ボルドー産まで。まあ、僕はワインよりもぶどうジュースのほうが好きですけどね」
蜜屋さんはワインが好きなのかな。もはやワインの倉庫と化している空間を舐め回すように眺め尽くす。どこもかしこもワインだらけで、なんだか怖くなった。
「おや、近衛クン。きみはお酒が呑めないのかい? 奇遇だね、私も実は――」
「――呑めない訳ではありませんが、ワインを呷るくらいだったら、果汁100%の甘いぶどうジュースを飲んだほうが幸せな気分になるんですよ。わりと安価ですし」
「ちぇっ……なーんだ、呑めるタイプか。あーあ、期待して損した。変にシンパシー感じちゃったよ。どうせ、私なんてフルーツカクテルしか呑めないメスだよっ」
「ええと、すみません。期待に沿えなくって。フルーツカクテルなら僕も好きですよ。ちょっとしたジュースみたいで、呑み会のときは酒の合間によく飲みます」
「ジュースじゃないよ、お酒だよ! なんだよ、バカにして!! 私なんか少し呑んだだけでおかしくなっちゃうもん……私だってみんなと楽しくしたいよっ」
一ノ瀬さんにも可愛いところがあるんだな……お酒の耐性は個人差があるから仕方ないことではあるんだけど、彼女の機嫌を損ねる態度を取ってはいけなかった。
猛省。さもないと、僕ですら彼女の口喧嘩のターゲットにされかねない。彼女の口喧嘩スキルは、凡人の僕ではとうてい適わないほどの恐ろしいものだった。
「ええと、その……落ち込むことはありませんよ、一ノ瀬さん。ワインにも呑みやすいものがありますから。詳しくは知りませんが、蜜屋さんに相談してみては?」
「蜜屋さん、か。確か厨房で夕食の準備をするって言っていたね。善は急げとも言うし、さっそく行ってこようかな! 近衛クンも付いてきたかったら、ご自由に!」
言いながら、一ノ瀬さんはワインセラーを飛び出し、目的地へと向かった。まったく、そそっかしい人だ。高級なワインもあるはずなのに、割ったらどう落とし前を付けるつもりなのだろう。まさか僕を生け贄に? 怖いので僕も外へと出る。
「やあ。きみはさっき2階のホールで会ったよね。僕たちから自己紹介をしたっきりだったから、良ければ名前を教えてもらえるかな。同じ宿泊客として、ね」
一ノ瀬さんを追いかけて大広間へ入ると、熱盛カップルの片割れが居た。女性のほうは居ないみたいだけど、どうしたんだ。離れたら死ぬタイプに見えたけど。
「ああ、そういえばまだ名乗っていませんでしたね。僕は近衛竜彦って言います」
よろしくの意味を込めて手を差し伸べる。あの初老男性と違って、彼には相応のマナーが身についているらしい。女神の名前を叫ぶ変態の面もあるのに不思議だ。
「敬語じゃなくって大丈夫ですよ。僕のほうがきっと、年下ですから」
「ふーん、何歳なの?」
「高校生です。高校2年生」
想像したように彼は高校生だった。そりゃあ、そうだ。成人したカップルが変なポーズで愛を語り合うなんて、そんな寒くて痛いことできるはずがない。
しかも、学生の身でシルバーウィークに旅行とは、だいぶマセている。でも、楽しそうだな。目の前でいちゃつかれたらムカつくけど、TPOを弁えたら問わない。
「高校生なら、年上の……しかもオトナに向かって『きみ』って話し方は良くないと思うけどね。6歳も離れているんだから、それなりに敬意を示してもらわないと」
「きゅ、急に年上風吹かせてきた……怖い」