高校生に年上の威厳を見せつけたあと、思い出したように僕は目的地を厨房へと定める。見取り図によると、厨房は大広間と繋がっているらしいが、一ノ瀬さんは辿り着けているだろうか。方向音痴でもさすがに、迷うなんてことはないはず。
目的地へ近付く度に美味しそうな匂いが強くなる。シチューっぽい。蜜屋さんの手料理だと思うと、心が躍ってしまう。可憐な女性のお手製料理なんて初めてだ。
「おや、豪勢な料理だねえ。これ、みんなキミが作ったのかい? すごく旨そうだよ。オーナーさんも若いのに偉いねえ。感心、感心!」
「ええ、まあ……。あの、言いにくいんですけど、まだ作っている最中なので出ていっていただけますか。わたくし、作業風景を見られるのは好きじゃないんです」
「それなら、俺さまが手伝ってあげようじゃないか! なあに、心配は要らないよ。こう見えても長いひとり暮らしをしているから、料理スキルが妙に高いんだ」
厨房へとつながるドアの隙間から聞こえた声に唖然とする。あの初老男性――宿泊リストと照らし合わせるのなら、
「出ていってください! あなたの料理にだけ塩の代わりに砂糖を入れますわよ!!」
「何なんだね、キミは! せっかく、この俺さまが手伝ってやろうって言っているのに! キミも俺さまを拒絶するのかね!? やっぱり若いオスが良いのか!?」
自分が悪いくせに怒鳴るなんて、愚の骨頂もいいところじゃないか。一ノ瀬さんの言葉を借りるなら、茂田さんは紛れもなく、老害の称号が相応しい。まさに、
意味もなく老害に責められている蜜屋さんが可哀想に思えてきたので、勇気を振り絞ってひとつ歩を進める。――怒鳴り声の前で拳を握るような思いはたくさんだ。
「その辺にしていただけますか、茂田さん。蜜屋さんが困っていますよ」
「なんだ、若造。また喧嘩か!? あのメスガキの保護者か何か知らんが、社会に貢献したこの立派な頭をコケにしたのは、まだ許していないからな!!」
「――よく言うよ。一ノ瀬さんに泣かされたのに、まだ凝りていないんですね」
心のなかだけで言おうとした言葉が、勢い余って口を衝いて出てしまった。僕というやつは、一ノ瀬さんの影響を受けすぎなんじゃないのか。まだ出会って1日も経っていないのに。
「なんだと!? 貴様はいま、年上の俺さまに向かって何を言った? あ!?」
昔の、数か月前の僕だったら、この時点で身体を震わせながら、平謝りしていただろう。相変わらず身体は震えているけど、でも謝るなんて真似はしていない。
――だって、悪くないから。
「保護者じゃありませんよ。もちろん、恋人でもないし、親しい間柄でもないですが、彼女のことを意味もなく悪く言うあなたは、最低の極み禿頭ですよ?」
「お前も言いやがったな、コノヤロー! だからこの頭は人生で苦労してきた証だって言ってんだろうが!! 禿頭とかSNSのいいね並に気軽に言ってんじゃねー!!」
「大声でみっともないですね。ふつう、その年代であれば、冷静な口調で諭すような話し方をするべきでは? それから、蜜屋さんが作ってくださっている料理にあなたの汚い唾が飛ぶのが不快なので、黙って出て行ってくれますか」
「だからこの頭は努力の証だと……くそ、若いメスは若いオスに媚びるのか」
なんだかよく分からないことをぼやいたと思ったら、急に厨房を去っていった。今度はぐちょぐちょの顔面じゃなかったな。ただの涙目でも需要はないけど。
さすがに禿頭は言いすぎたのかもしれない。いまさらながら、反省しておく。
「近衛さん。助けてくださって、ありがとうございます。意外と男らしいですのね、近衛さんって。あの人ったら、しつこくってわたくしの手には負えませんでしたの」
「困っている人を助けるのが、紳士の嗜みというやつです。英国紳士としてはね」
どこぞのエ〇シャールみたいな台詞を呟く。冗談を言えるくらいには僕の心のほうも落ち着いてきた。さっきは一ノ瀬さんを諭していたけど、口喧嘩に勝ったときの爽快感って、こんなにも素晴らしいものだったのか。なんだか何かに目覚めそう。
「……英国紳士? 日本人ですわよね?」
「すみません。言ってみたかっただけです」
「ユーモラスで男らしいですのね、近衛さんって。もっと真面目な方だとばかり」
言いながら、蜜屋さんは無邪気に笑った。まるで子どもみたいにあどけなく。そんな彼女もなかなか意外なものだけれど。もっとクールな人だと思っていたから。