「それじゃあ、僕たちはこれで失礼します。近衛さん、かしわの暇つぶしの相手になってくださってありがとうございました」
「彼女、大切にしろよな。それと、まだ学生の身なんだから、いちゃらぶはほどほどにな」
「い、いちゃらぶなんてそんな……近衛さんも後ろの彼女さんとお幸せに!」
「う、後ろ……?」
妙な寒気がして振り返ると、抜き足差し足で近づいてくる一ノ瀬さんと目が合った。「こら、せっかく後ろからだーれだ的なことをしようとしていたのにネタバレするなよなっ!」なんて木村翼に文句を言っていた。
「すみません、あはは。では僕たちはこれにて」
「部屋に帰ってあんあんするの? 何かとは言わないが、ゴムは着けておけよ?」
「付けませんよ、そんなの! っていうか、そんなことしません!!」
一ノ瀬さんってすごいな。あの熱盛カップルでさえも翻弄している。無遠慮で、他人の家の玄関でも土足で入ってくる。すっごくアメリカン。こういう人がカウンセラーとかになるんだよな。
「いやはや。近衛クン! 近衛クン!!」
「な、なんですか……そのきらきらとした視線は」
「私は見ていたよ、ずっと。きみの、ヒーローのような活躍を!」
「見ていたって、僕をですか? なんのために?」
「理由なんかないよ。私が個人的にきみを気に掛けていただけさ」
道理で見ないと思っていたら、僕を張り込んでいたのか。しかもすべて見ていたのか。遭遇ガチャでレア度の低い茂田さんを連続で引くところや、そんな彼のナンパ現場に居合わせる場面を。
見られていたのなら、もう少しだけ理性的な言葉を選んだのに。どうしていま言うんだ。
「最初に会ったときは物怖じして、目線すら合わせられなかったはずなのに。いまではすっかり、あの性欲禿げ頭を老害扱いしている。きみは過去の自分に勝ったんだよ!」
「そ、そうだといいんですけどね。たぶん、あの人だから言えたことなのかも」
「だとしても、それは間違いなく成長と言えるよ。蜜屋さんや非処女の金橋さんを救えたんだし」
「茂田さんにとってはものすごく迷惑な話ですけどね。ナンパの邪魔をしてしまいました」
「ナンパじゃないよ、あれは紛れもなくハラスメントさ。きみ、お手頃だったよ」
それを言うなら、お手柄。雰囲気を壊すような真似をしたくはなかったので、そのまま頷く。口喧嘩の天才のお墨付きだ。僕もナンパ撃退の仕事でも始めようかな。
需要があるかどうかは知らないけど、こういうのってだいたい、自分から需要を作っていくんだよな。ゼロからイチを作るのは得意だ。
「ところで、一ノ瀬さんは蜜屋さんにワインの相談はできましたか?」
「あはは。そのことか……できなかったよ。あんまり言いたくないんだけど、道に迷っちゃって」
そういえば、一ノ瀬さんは椛館の場所も分からなかったほどの方向音痴だったっけ。新しい場所に行くときはたいてい、地図を持っていくのが基本だけど、彼女の場合はまったく異なる。
遭難間近の彼女と出会ったとき、彼女は地図を持っていた。それでいて、道に迷っていたのだ。
「だから厨房に赴いたときはびっくりしたよ。まさかあの禿と蜜屋さんを取り合っているとはね」
「ダブルナンパ対決じゃないんですから。僕の活躍、見ていなかったんですか?」
「ジョークだよ。場を和ますための……ふふ。困っている人を助けるのが紳士の嗜みなんだろ?」
「それは完全にバカにしていますね。膝カックンの餌食になりたいんですか?」
「ずいぶんとそれを推すね? どうせ、脚を棒のようにしていたらダメージゼロでしょ。やってみなよ」
「ふ。僕の膝カックンを舐めていたら、怪我しますよ。食らいたいのなら加減はしませんが」
一ノ瀬さんの後ろに回り込み、自分の心のなかだけでカウントダウンを始める。容赦はしない。むしろ、すべての憤りや負の感情を彼女にぶつけるかのように、僕の想いを膝に込めまくる。
そして、カウントゼロで一気に放出する。レーザービームのような勢いで一ノ瀬さんは抵抗虚しく、床に倒れ込む。脚を棒みたいにしても、僕の膝カックンはほとんどすべての万人を倒すことができる。
「わ! 痛っ!? 膝カックンってこんなに刺さるような痛みあったっけ!?」
「どうですか、僕の膝カックンは。柔道全国レベルの幼なじみですら倒れる代物ですよ」
「なんだその特殊な特技は……異世界で無双できるレベルだよ」
「地味すぎでしょ、その異世界無双。誰も読まないですよ」
倒れたときの埃を叩き払う一ノ瀬さんに手を伸ばし、起き上がらせる。彼女の手は小さかった。それに、子どもみたいな柔らかさだ。ホントにこのヒト、成人女性なのか? ホラッチョのごとく詐称していないだろうな?