あの日の君につかれていた   作:柳野 守利

3 / 11
3話目 一人笑い

 翌朝。蒼桔は隣で手を重ね合わせながら眠っている幼馴染の姿を見て、いつもより穏やかな目覚めを迎えた。触れはしないが、その姿を見ていられるだけでも、今はそれでいいと思えている。

 

 学校に向かうため家を出ると、もうそろそろ夏が近づいてくるような、じんわりとした暖かさを感じた。いつものように風見と一緒に学校へ行こうとしたが、どうにも昨夜のこともあって気が進まない。今日ばかりは先に行こうと、連絡を入れて歩みを進めた。

 

 佳奈は浮くことなく、地面に足をつけて歩いている。服も学生服だ。一見カップルが歩いているようにも見えるのだろうが……他の人に、彼女の姿を捉えることはできない。

 

「そういえばさ、私の家ってどうなってるのかな」

 

「なんだ、見てきてないのか?」

 

「家の前まではいったけど……その、中に私と男の子がいてさ……」

 

「……気まずいか」

 

 蒼桔も苦々しく顔を歪める。年頃の男女が何をするのか興味がないわけではない。ただ、それを幼馴染が他の人としているのをどう思うのかなんて、考えなくてもわかることだろう。朝早くから嫌な気分になりつつ、最寄りの駅まで歩く速さを上げていった。

 

「……あのさ、梗平」

 

 どこか硬い声で、彼女は話しかけてくる。そっと顔を向けると、彼女の表情は遠くを見つめているように思えた。諦めているようにも見えて、蒼桔はそっと彼女の手に自分の手を重ね合わせる。それに気づいた彼女は、やんわりと表情を緩めて微笑んだ。

 

「私、自分のことを見張ってようと思う。もしかしたら、自分の周りにいることで気づけることもあるかもしれないし、それに……梗平は、私に近づくのは難しいでしょ?」

 

「なるほど……確かに、今の俺が近づくのは厳しいな」

 

「私なら見られることはなさそうだし、いろいろと自分でも探ってみようかなって。とりあえずは自分のことから、かな」

 

「なら、俺も他の方面で探ってみるよ。佳奈と接触できそうなら、話しかけてはみるけどさ」

 

 一応同じクラスなのだから、少しは接する機会もあるだろう……とは思ってみたものの、変わってしまった彼女と話した記憶はかなり前のものだ。向こうは蒼桔と話したがらない。周りにはいつも女子がいて、その子らは蒼桔と白鷺の間にどういった関係があったのかを知らないだろう。結託した女子に絡まれたら、白鷺どころか学校関係が終わりかねない。

 

 だからこそ、佳奈の提案は中々に有難いことであった。蒼桔の同意を得て、彼女はさっそくとばかりに家の方へと走っていく。その後ろ姿を見て、ここで離れたらまた会えなくなるのではと心配になり、一瞬手を伸ばして……ポケットにしまい込んだ。これは夢ではない。そうやって何度も確認しただろう。

 

(……不安だけど、学校に行くしかねぇか。ここにいたら綾に出くわしかねない)

 

 どこか寂しさを感じつつ、蒼桔は踵を返して駅へと向かう。すぐ隣には線路があり、それに沿って歩いていけば駅にまで辿り着ける。間違うことのない簡単な道程だ。いつもの電車は人が多く、歩いている時もそれなりに学生を見かけるが……今日はめっきり見かけない。部活のある人はもっと早い電車に乗るだろうし、ない人は蒼桔が普段乗る電車だ。それより一本早いと、こうも人が少ないものなのか。いつもよりも寂しげで静かな道を歩いていると……毎朝横を通り過ぎる公園に、学生服を着た女子生徒がいるのが目に入った。

 

(まぁ、ちょっと早めのに乗る人もいるよな……)

 

 この電車だといつもより二十分は早く着いてしまうのだが、たまにはそれもいいだろう。そのまま通過しようとした時……耳にその女子生徒の声であろうものが届いてきた。

 

「そう……困ったね。大丈夫……私が探すから」

 

 誰かと話しているらしい。しかし、誰と。公園にはその女子生徒しかいなかったはずだ。

 

 気になって彼女の方へと振り向く。女子生徒は膝を少し曲げて、斜め下を向くように話しかけていた。黒い眼鏡をかけ、髪をかなり伸ばしてはいるが、顔つきは生真面目そうな女の子だ。見たところ携帯を持ってる訳でもない。しかも、微笑んでいるように見える。

 

 怪しまれないようにゆっくりと歩きながらその光景を見ていたが……やはり彼女は地面に向けて話しかけていた。まるで、そこに誰かいるかのように。

 

(……あんな女の子でも、頭が変なところがあるもんなのか……いや、下手したら俺は周りからそういった目で見られるってことか)

 

 佳奈は他の人からは見えない。だというのに蒼桔と話していたら、周りからは変な目で見られることだろう。今後、佳奈と一緒にいる時はいろいろと気をつけなければならない。せめて携帯で電話してる素振りくらいはした方がいいだろう。

 

 まだ見えないイマジナリーフレンドらしきものと話している女の子には悪いが、おかげで自分のことに気づくことができた。せめて彼女自身の頭のネジが外れかけていることに気づけばいいが……しかし話しかけるには度胸が足りない。あぁいった手合いは話しかけたらアウトな気がする。

 

(……げっ)

 

 見られていることに気づいたのか、彼女がこちらを向いてしまった。蒼桔は何も見ていない振りをして、そそくさとその場から立ち去っていく。一瞬見えた不機嫌そうな顔のせいか、蒼桔の背中には嫌な汗が湧きでてしまった。

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 学校について席に座り、始まるまでの時間を待った。一年の頃は風見と同じクラスであったが、今はそうでないことが救いだ。未だに気まずい思いは晴れない。

 

 しばらくすると、続々と教室の中は生徒で満たされていった。白鷺も、教室に入ってきてすぐに友人の女子生徒と話し始める。その背後には、明らかに高校の制服ではない佳奈が立っているのだが……やはり誰一人として、彼女のことは見えていなかった。

 

 席に蒼桔が座っていることに気づくと、佳奈は笑いながら近づいてくる。それに答えるよう笑おうとしたが……公園で一人で話していた女子生徒のことを思い出して、口元を手で隠した。危ない危ない。油断してると変な人だと思われてしまう。

 

「梗平、口を隠してどうしたの?」

 

(……答えるに答えられねぇ)

 

 どうしたものかと眉間を指で抑えて……そうだとばかりに、携帯を取り出してメモ帳を開く。そして『周りに人がいる時は話せない』と書いた。彼女は一瞬不思議そうな顔をしたが、自分の境遇を考え直したのか、頷いて返してくる。

 

 その後更に『何かわかったか』と書くと、彼女は「ダメ。何もわからなかったよ」と残念そうに机に項垂れた。人の体はすり抜けるくせに、物には触れるのもおかしな話だ。

 

『どう考えたって、現状に耐えられなくなったお前の妄想だよ』

 

 昨夜言われた言葉が、頭を過る。彼曰く、都合が良すぎるのだと。目の前の光景を見ていると……確かに変だと思わなくもない。幽霊の勝手なんて知ったことではないし、そういう仕様ですと言われたら、はいわかりましたとしか言えないのだが。

 

 物に触れるのなら、自分にだって触れるだろうに。そう思って項垂れた彼女の頭を撫でようとしたが……そのまますり抜けて机を触ることになった。これが自分の妄想だという話に、反論することはできない。あの女子生徒同様、頭がおかしくなったのだろうか。

 

「大丈夫? 何か、悩んでる?」

 

 眉間に皺を寄せ始めた蒼桔を見て不安になったのか、佳奈は見上げるように見つめてきた。そういえば、付き合っていた頃もこんな風に見上げられ、ドキっとしたことがある。今もその時と同じように、心臓は跳ね上がっていた。

 

(……妄想、なんかじゃない。本物の佳奈なんだ)

 

 何度も疑心暗鬼になり、自問自答を繰り返す。それでもやはり信じたいのだ。彼女こそが本物であり、自分は間違っていないのだと。

 

 彼女を安心させるべく『大丈夫だ』と返す。このまま見ていたら変な気分になって、顔が無表情から歪んでしまいそうだったので……蒼桔はそっと窓の外へと視線を向ける。窓には、恥ずかしげに口元を歪める自分の姿だけが映っていた。

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 放課後になると、生徒は一斉に蠢き始める。蒼桔の日課になりつつあった白鷺観察は、未だに継続していた。佳奈の方は授業が退屈だったのか、欠伸をして体をぐっと伸ばしている。見比べてみると、多少は背丈だけでなく、いろいろと成長しているように思えた。

 

「んー、久しぶりの授業のような気がするー」

 

「それはそうだろうな」

 

 耳に携帯を当てて、電話してる振りをして返事をする。授業中の佳奈といえば、先生の話を聞いて眠たくなって机で寝るわ、蒼桔の前に立って邪魔をするわと、普段より賑やかな授業であった。邪魔とも言うが。

 

「にしても、高校生か……いいなぁー。私もクレープ食べながら帰ったり、カラオケ行ったりしたいなー」

 

「買い食いにカラオケ。まぁ、青春なんてそんなもんだよな」

 

 もっとも、どちらも今の自分は楽しくないのだが。難儀な人生を送っているもんだと、蒼桔は小さくため息をつく。それに釣られて、佳奈も息を吐いて羨ましそうに白鷺のことを見る。

 

「本当だったら、あそこにいるのは私のはずなのに」

 

「んで、その隣に俺がいるはずなんだけどな」

 

「それと、綾くんもね」

 

 またあのいつもの三人に戻れるのかな、と佳奈は小さく願望を漏らした。俺も同じだ、と蒼桔も返す。白鷺、蒼桔、風見。三人揃ってなくては、どうにも調子が出ない。彼らにとっての幼馴染というのは、そういうものだった。中々、稀有な関係性を築いていたものだ。

 

 それが崩れたのは……あの事故のせいだ。未だに運転していたあの女は許せない。白鷺だけではない。自分の未来まで奪っていったのだ。許せるはずもない。この手で殴り飛ばしてやりたかったくらいだ。金で解決できるような問題ではないのに……世の中、この手の物は金で解決してしまう。行き場のない理不尽な怒りは、未だに蒼桔の心な中で燻り続けていた。

 

「……あっ、彼が来たよ。確か……佐原(さはら) 辰哉(たつや)くんだっけ」

 

「あぁ、合ってる……帰宅部の、いけ好かねぇ軟派野郎だ」

 

 教室の前の方から入ってきたのは、白鷺の彼氏だった。悔しいがイケメンなのは確かで、それでいて軽い男だ。正直白鷺がアレと付き合っているだなんて思いたくもないが……世の中顔だという人もいる。クソが、と心の中で悪態をつくのも何度目だろうか。

 

「佳奈、今日は帰りになにか甘いもんでも買って帰ろうぜ」

 

「じゃあ……駅前のクレープにしようよ! 新作のプリンのヤツが出たみたいで、食べてみたいんだよね」

 

「よっしゃ、なら早く行こうぜ。あそこ意外と学生で混むからな」

 

 今から楽しみだと言わんばかりに、白鷺は破顔していた。「じゃあねー」といって、佐原と一緒に教室を出ていく。甘いものを食べたらこの胃のムカムカは消えるのだろうか。

 

「じゃあ、私は見張ってくるね。何かあったら……来てくれる?」

 

「どうやって知らせんだよ」

 

「こう……ビビっと、電波みたいな?」

 

「俺の携帯に怪電波送ってぶっ壊さないでくれよな」

 

 気の荒れている蒼桔を笑わせるためなのか、佳奈は指先を向けて電波を送ろうとする。変なポーズをとったり、力んだりしたが……全く何も感じない。けれども、気は楽になった気がした。

 

 彼女は恥ずかしそうに小さく笑ったあと、白鷺の後を追いかけていく。いつものように、教室に蒼桔は取り残されてしまった。白鷺の後を追いかけるというのもアリではあるが……どうしたものか。何かしら文献をあさるのもいい。そういったオカルトな手合いのものがあるのかは知らないが。

 

「……いつもの不機嫌ヅラじゃないのは、珍しいな」

 

 不意に声をかけられる。いつの間にか隣には風見が立っていた。昨日言い争ったばかりだというのに、何も気にしていないようで、眼鏡の奥からのぞかせる瞳は優しげなままだ。

 

 今日は話しかけられないものだと思っていたばかりに、返事はなかなか喉の奥から出てこなかった。そんな幼馴染の様子にどこか物憂げな顔になった風見は、蒼桔の机に腰をかけて話を続けてくる。

 

「んで、結局どうなの。妄想は未だに継続中?」

 

「だから、妄想なんかじゃねぇって」

 

「……だったら、気分転換でもしてみよう。文化祭の時に配られたペア番号あったろ。あれで知り合いになった子がいてさ。一年生の間じゃ、寺生まれのTさんの孫娘と呼ばれてたらしい」

 

「ネットスラングみてぇな怪異じゃねぇか、寺生まれのTさんって」

 

「まぁ、呼ばれてたってだけだよ。今じゃ不思議ちゃんってことであんまり人が寄らないらしい」

 

 文化祭の時に、男女で別の色の番号札を配られた。それで知り合ったらしい。しかしなんともきな臭い話だが……理系真面目眼鏡の風見がそんなネット話を知っていることに多少驚いた。パソコンを普段いじっていたりするし、そういった話にも強いのかもしれない。まぁ、寺生まれのTさんというのは結構有名な話ではあるのだが。

 

 怪奇現象に襲われる一般人を、どこからともなくやってきた寺生まれのTさんが現れては「破ァ!!」の一言で片付けてしまうような話だ。そんなものの孫娘を紹介されたところで、どうしろというのか。むしろ蒼桔にとっては未だに付き合っていると思っている幼馴染を傷つけやしないかと不安で仕方がない。風見はそんなこと毛程も気にしてはいないのだろう。

 

「勘弁してくれよ。俺は俺で、いろいろと忙しいんだ」

 

「呼んだ手前、今からキャンセルするのもな……。とりあえず、一年の廊下まで行くぞ。付いてきてくれ」

 

「マジかお前。女の子に声かけるようなキャラじゃなかっただろ」

 

「誰のせいだと思ってんだよ」

 

 俺だってこんな馬鹿げたことしたくはない、と風見は困ったように頭を掻いた。その場から離れていく幼馴染の姿を見て、さすがに顔に泥を塗るわけにもいかないかと、不本意ではあるが蒼桔も後を付いていった。

 

 四階が一年生の教室だ。階段を昇ると、今から部活に行くのであろう元気な生徒の姿が多数見られる。一年生は入学したばかりというのもあって、随分と元気が有り余っているようだった。自分とは大違いだ、と息を漏らす。

 

「ほら、いたぞ。確かあの子だ」

 

 風見が階段の近くの壁に寄りかかるように立っている女子生徒を指さした。長い髪の毛で、眼鏡。無表情ともとれる仏頂面。その姿を、今朝見かけた記憶がある。

 

 その女の子は間違いなく、公園で一人笑っていた、あの女の子だった。




書くのをしばらく辞めてしまうと、一気に筆が遅くなるのがキツイですね……。
どうにもまだ本調子に戻れていない気がします。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。