------8月21日、日曜日午後
旧長野県と旧山梨県の境界近くの山々に囲まれた道に1台の自動車が走っていた。地図にも載っていない道のりには各トンネルに無系統魔法を鍵とした自動ゲートが設けられ、この車が向かっている所へ到着するには決まった地点で特定の波形のを持つ
この時代、無人コミューターが主流になってきているため一般に免許証を獲得する人の数は減少傾向にある。しかし、この車には前部座席にハンドルを持っている男性がいた。先程も言った通り地図にも載っていない道であるため、無人コミューターは走ることが出来ない。必然的に俗にいう『運転』をしなくてはならない。
ハンドルを握る男性の他に後部座席には一組の男女が無言で座っていた。男性は平均より少し大きな身長に服の上からでもわかる絞られた体格、顔は大人顔負けの色気が感じられる。女性の方は平均よりも高い身長に長い手足、整った容姿をしているが各パーツがキツめの印象を与えておりクールな美人といえる。漆黒を基調にところどころ紺色があしらわれたスーツ、片や黒色のドレスを着ている姿はとても高校生だとは思えない容姿であった。
女性は静かに座っているが時折男性の方をチラチラと窺い、口を開こうとして辞めるという行動を繰り返していた。女性が何も説明されずに車内に乗ってから1時間が経とうとしていた時、意を決して声を出すことに成功する。
「……これは、やはり四葉本家へ?」
やっと女性が絞り出した言葉に男性は表情を変えることなく、また目線を向けることもなかった。
「……ええ」
返答は予想通り。予想していたことに今更驚くことはないが覚悟を決めるという面においては重要な問答だった。
「緊張しなくていいと言っても無駄でしょうからあまり気負わないことをお勧めします。これは俺の帰省も兼ねていますので母上も大分機嫌がよろしいと思いますよ」
「…それでも緊張はします」
自覚した分、覚悟は決めれるがそれ以上の緊張と恐怖が彼女の心を支配する。
彼女が『四葉』の者に会ったと思っているのは尽夜唯一人、元々は恐怖の対象でしかなかったものが彼の人となりによって大きく緩和したとはいえそれは彼に対してのみであり、逆に言えば彼以外の『四葉』というものにはまだどこかしらで恐怖を感じているのは確かであった。その証拠に少しずつ耐えていた腕が震え出す。我慢していた筈なのに頭では理解している筈なのに身体は勝手に動いている。しかし、その震えは隣から伸びてきた手によって振動を止めた。
「…鈴音さん。貴方が危害を加えられることはないですよ。そうなろうとしても俺が守りますから安心してください」
「……はい」
鈴音の膝の上で重ねられた手は離されることなく目的地までそのままであった。
尽夜と鈴音を乗せた車はいくつものトンネルを抜けた先の狭隘な盆地に存在する小さな名も無き村に到着した。もちろん地図に載っていないこの村には住所が存在せず、更に認識阻害の魔法による結界が貼られている。
彼らが向かっているのは村の中央に位置し、複数の離れを持った一際大きな平屋の屋敷。外見は伝統的な日本屋敷を想像できる。
門の前に着くと運転手が尽夜の方の扉を開け、尽夜が鈴音の扉を開けた。
「ご苦労様」
彼が運転手に労うとお辞儀をされ、すぐに車を発進させて行った。
「では、行きましょうか」
「……はい」
尽夜に遅れること半歩の距離で鈴音がついてくる。玄関を開けると女中たちに迎え入れられた。その中で1人の女性が彼女らを代表して前に出てくる。
「尽夜様、お帰りなさいませ」
「白川夫人、お久しぶりです」
「お隣にいらっしゃるのは市原鈴音様でございますね?お話は尽夜様の方から窺っております。どうぞよろしくお願いいたします」
「市原鈴音です。よろしくお願いします」
鈴音は急にかけられた声に動じた表情を見せることなくお辞儀をして応えた。
「ではこちらへどうぞ」
その言葉で女中たちが一斉に動き始め、尽夜の荷物を受け取り部屋へと案内する。
尽夜たちが通されたのは母屋内にある客室であった。客間も、広い屋敷の中ではいくつか存在していて、その中の一番奥にあるところに通された。
この屋敷の外見は伝統的な日本屋敷であるが内装は和洋が混在しており、この部屋は和風であったため座布団に二人は腰を下ろす。
「失礼します」
そう言って襖を開けたのは一人の女中であった。長袖のワンピースに白いエプロンの四葉女中の基本的な仕事着を着けた少女。尽夜は彼女にある人物の面影を覚えたが正確に誰なのかは分からなかった。
「奥様が奥の食堂でお待ちです」
『奥の食堂』は真夜の私的な食堂で上客をもてなしたり、食事をしながら秘密の会合を行う時に使われることが多い場所である。
「分かった」
二人は案内された食堂に着くと椅子へと座る。鈴音は尽夜が椅子を引き、尽夜には先程の女中が椅子を引いた。その後、女中は尽夜の背後に控える。
いくばくかの時が流れ、奥の扉が開いた。鈴音の緊張が今までで最高潮に達する。紺色のドレスを身に纏った女性がスーツを着た初老の執事を連れて姿を見せた。
尽夜が立ち上がり、それに鈴音も続く。
「尽夜さん、お帰りなさい」
「母上、ただ今戻りました」
『極東の魔王』真夜は葉山が引いた椅子に優雅に座る。それを見届けてから尽夜と鈴音も腰を下ろした。女中たちがティーカップと茶受けを横からそれぞれに差し出して、真夜から口を付ける。カチャッと音が鳴り、ティーカップが置かれて真夜が姿勢を正すと残りの二人も自然と同じ様になる。
「……貴方が市原鈴音さんですね?」
「市原鈴音です。尽夜君にはいつもお世話になっています」
「私は母親の四葉真夜。知ってると思うけれど四葉家当主をしているわ」
「はい、存じています」
鈴音は恭しく一礼してから顔を上げる。真夜と目が合い、逸らすことはできないし許されない空気が部屋を包み、室内には手に汗握る無音が支配する。
「……尽夜さん、席を外して頂戴」
「ッ!?」
「……承知しました」
鈴音から目が離されることなく、真夜が尽夜に退室を命じる。明らかな動揺が鈴音のに浮かぶ。真夜からのプレッシャーに押し潰されそうな現状況において最も彼女の精神を支えていたであろう存在が女中一人に案内された扉へと姿を消す。
食堂には真夜とその背後に控える葉山、真夜の正面に座る鈴音のみとなった。
再び静寂が訪れ、時折真夜のティーカップが音を立てる。鈴音はティーカップを摘むこともなく、なんとか必死に今にも震え出そうとする身体に力を込めていた。
「…………葉山さん」
実際は数分か十数秒であったにも関わらず永遠にも感じられた居心地の良くない空気は真夜が葉山に手を差し出した事で破られ始めた。
「こちらに」
葉山が1つの端末を取り出して真夜に渡す。鈴音の目は真夜の一挙手一投足を捉えるために眼力が強まっており、もともとキツめのパーツが鋭利さを増していた。真夜の手の指が一定方向に動き、端末に書かれた文字列に目が動いている。
「……話は尽夜さんから聞いています」
「えっ?あっ、はい」
張り詰めていたせいか鈴音の反応が遅れた。だが真夜は気にすることなく続ける。
「貴方の価値というものは我々が調べた情報からでも十分理解できますし、貴方の一族に代々遺伝する『直接干渉魔法』は特に興味を唆られます。それにCAD媒体なしの魔法使用精度にもね」
「はい、ありがとうございます」
「ですが……『四葉』としては外からの危険分子をやすやすと受け入れる事は憚られることです」
「……理解できます」
「分家の方々も納得して好意的に迎え入れるかは分かりません。いえ、むしろどんな手段を使っても追い出そうとするかもしれないわね。例えば、貴方や御両親を殺すとか…」
真夜はチラッと鈴音を見る。
鈴音は俯き気味で目線も既に真夜には向いていない。それに対し、真夜は表情を変えることなく非情に言葉を浴びせにかかった。
「今ならここへ来た事はその勇気に免じて不問にしましょう。葉山さん、この方を送って「…嫌です」差し………あら?」
真夜の言葉が言い切られる前に、俯いたまま鈴音は拒絶を口にした。その反抗に真夜は少しだけ表情を変え驚いて、持っていた端末をテーブルの上に置く。
「何が嫌なのかしら?」
真夜が首をちょこんと可愛らしく傾けさせ、人差し指を顎へと運ぶ。
俯いていた鈴音は徐々に前を向いて真夜の目を見据えた。
「……私は今、ここから帰りません」
鈴音の言葉に真夜が楽しそうに笑みを浮かべ、背後の葉山が少し感嘆な表情を作った。真夜たちの正面で喋る彼女の顔には迷いや恐怖が鳴りを潜め、強く自分の主張を持った女の顔ができていた。
「私は『四葉』に仕えようとも、その際の分家としての地位も望みませんし、その許しをいただきに来たのでもありません」
「あら?…なら、なぜ今日はいらっしゃったのかしら?」
「……彼の隣に立つためです。…彼が私に目をつけたのは偶然かもしれません。でも私はそれが嬉しかった。心の何処かで『数字落ち』に劣等感を抱いていたから、彼に必要とされたのが嬉しかった。遠回しにではなく面と向かって彼に『貴方が欲しい』と言われたことが嬉しかった」
鈴音の目には似つかわしくない、しかし年齢を考えれば相応の涙が浮かび彼女の頬を伝っていた。感情が昂ぶり、次々と言葉が溢れ出てくる。
「…『私』の存在を初めて求めてくれた彼について行きたいと思った!彼が求めてくれた『私』を肯定したいと思った!彼の役に立ちたいと思った!彼と同じ景色を見たいと思った!」
語尾が強くなり事実から願望へと変わるが徐々に勢いは衰えていった。
「………私にとって重要なのはあくまでも『彼』です。『四葉』は未だに私の恐怖の象徴なのは変わりませんが彼がここに居るのなら迷わず飛び込めます」
言い切った鈴音は真っ直ぐ真夜を見つめる。楽しそうな笑みを浮かべていた真夜は俯き体を震わせた。
「……………ふふ、ふふふ」
「…………」
上品な笑い声が漏れた。真夜の表情は窺えない。鈴音は何が面白いのかが分からず、黙って見つめることしかできない。
「……貴方は」
「は、はい」
俯いていた真夜が顔を上げる。その目には笑い過ぎによる若干の涙が見えていた。話が切り出されると鈴音は緊張に
「……貴方は尽夜さんに恋しているのね?」
「えっ?」
真夜から発せられた言葉は鈴音が予想していたものとは違い彼女は素っ頓狂な声を上げ、真夜は先程よりも楽しそうな顔つきになった。
「あら?違うのかしら?」
「………分かりません。生まれてこのかたそのような感情を抱いた異性がいませんでしたので…。…しかし今私が彼に抱いているこの思いが他人から見て『恋』であるのならそれは否定できません」
「あら?随分と潔く認めるのね」
少しだけ頬が紅くなっているが普段とそれ程変わらないと思える表情で受け入れた鈴音に真夜は少し残念そうな顔になった。しかし真夜は数秒後、真剣な面持ちを構える。
「尽夜さんが貴方に応えるとは限りませんよ?彼は貴方が考えるよりもずっと打算的な思考で貴方に近づいたのかもしれないのだから。それでも貴方は会って半年くらいにしかならないあの子を信じるの?」
「…会ってからの日数は確かに短いかもしれません。ですが私は彼を信じたいです。打算的だとおっしゃられるのならばその当時に思っていたよりも利益になります。たとえ彼が私の想いに応えてくれなくとも……」
最後の言葉は語尾に力はなく目には涙が再発し下唇を噛みドレスを腿のあたりで軽く握り締めている鈴音の姿に真夜は鈴音から視線を外し尽夜が出て行った扉を見て儚げになった。
「……貴方も女ね。私が享受できない女としての幸せに少しでも手が届くかもしれないならそれに縋りたいわよね…」
「………」
「………いいわ。私は貴方を『四葉』に迎え入れましょう。尽夜さんと深く関わるのも咎めないし、第四研に口をきかせることもしてあげます」
「あ、ありがとう「ですが…」ござ…」
「尽夜さんは四葉の最重要人物です。もし貴方の想いが叶ったとしても他の方と婚約または結婚をしてもらうかもしれないことは承知の上でいなさい」
「……はい」
鈴音は決心を腹の中に埋め込み、真夜の了承を受けた。胸の中のしこりは表には出さず今は認められた事を喜ぶべきだと思った。
「…
現在の真夜は儚げな顔ではなく優しく子供を見るような慈愛の目を鈴音に向けていた。それは四葉家当主というよりも一人の女としての羨ましそうな感じも見受けられた。
「はい。なんでしょうか?」
「…女であることを大切にしなさい」
「……??……分かりました」
真夜の言葉に込められた意味がはたしてどのような意味であるかは本人にしか理解できないであろう。鈴音は分からないながらもしっかりと真夜を見つめて深く頷いた。
「誰か尽夜さんを呼んできて頂戴。食事にしましょう。それと鈴音さん、今夜は泊まっていきなさい」
「…えっ?」
「夜は私の部屋で寝なさい。いろいろ聞きたいことがあるから♪」
「えっ?えっ?」
「ご両親に連絡はしておいてくださいね。そう言えば、今日会うのが『四葉』であることはもう話してますか?」
「い、いえ、これは私個人の問題でしたので余計な混乱を招くと思い、まだ『四葉』であることは言っておりません。ですが魔法界の大きな家もしくは企業という事は薄々気づいているかと思います」
「そう、なら都合がいいわ。今後この事はご両親にも伏せなさい。そうねぇ、言ってもいいのは早くても来年、遅ければ尽夜さんが高校卒業と同時くらいね。ご両親には明日研究所を案内されると言いなさい。相手方が気になるようなら私が対応します。葉山さん、四葉の傘下に入っている企業で良さそうなところをピックアップしておいてくださるかしら?」
「御意」
鈴音を置いてけぼりにしてトントン拍子で話が決まっていく。真夜は嬉しそうに楽しそうに気分を良くして次々と周りに指令を出した。
「…母上、鈴音さん。お話は終わりましたか?」
そこへ扉が開かれ、尽夜が女中と共に入ってくる。そして元の腰掛けていたところに女中が椅子を引き座った。
「ええ、終わりました。それと鈴音さんは今日本家の私の部屋で泊まっていきますからね」
「は?…はぁ、鈴音さんは了承しているのですか?」
「………」
少し呆れた感じで母親を見た尽夜は鈴音に確認を取ろうと声をかけるが彼女から返事が帰って来なかった。
「……鈴音さん?」
尽夜が戻って来てから鈴音は顔を伏していた。彼女は今、彼の顔を直視できない。同じ空間でいることすら羞恥に駆られる材料になっている。先程までの真夜とのやり取りが彼女の頭の中でリピートしていた。
「鈴音さん!」
少し強めの声で尽夜が呼ぶ。
「…ハッ、はい!」
「大丈夫ですか?」
「えっ?はっ、はい。大丈夫です」
「……母上、何を話されたのですか?」
じとーっとした目を真夜に向ける。顔が赤くなっている事から害意のあることではないであろうことは伺えたが尽夜とて事の詳細までは分からない。真夜は尽夜の視線にニヤニヤとしていた。
「……少し女同士の話を、ね」
そう言ってウインクを落とす姿は実年齢からは考えられない程の可愛らしさを持っていた。
「……」
「さっ、そろそろお食事にしましょう」
ニッコリと微笑んで真夜が背後の葉山に軽く手を上げて合図する。葉山は女中に目配せすると扉へ向かい、その後給仕役が食事を運んで来た。
運ばれてきたのは和食の魚料理。真夜が最初に料理へ箸をつけ、それを確認してから尽夜達も食事を始めた。先刻の話し合いでは緊張感に包まれていたが食事中はそんなことはなく、九校戦の事や2ヶ月後の論文コンペの事を話題に場が弾んでいた。そして料理が食べ終わり、食後の紅茶を飲んでいた時に葉山が真夜に耳打ちする。それを受けて真夜は思い出したように尽夜に目を向けた。
「そういえばを尽夜さんに付けるガーディアンをまだ言ってなかったわね」
「その話ですか…」
聞き慣れない単語に鈴音が疑問に思うが口は挟むことはしなかった。
「……して、それは誰にご指名なされたのですか?」
「貴方の後ろにいますよ」
尽夜は言われた通り後ろを見ると初めに通された客間からずっと尽夜の近くにいた女中の姿があった。初めて見た時にも抱いた誰かの面影は今も思い出せていない。女中は尽夜と目が合うと恭しく一礼した。
「……それともう一人」
真夜がそう言うと示し合わせたかのように尽夜と鈴音が入って来た扉が開く。そこからもう一人の女中が姿を見せるが、その女中を見た途端に尽夜と鈴音の顔が驚愕に染まった。
その理由の二人の女中、彼女達は似過ぎていた。少し垂れ気味な目にこげ茶色のウェービーヘア、細く濃い眉、そして全く同じ身長。彼女達は二人揃うと全く同じタイミングで真夜に対して、そして尽夜に対して恭しく一礼した。
今だに驚愕の表情の尽夜たちに真夜は『してやったり!』と
「この子達は調整体『桜』シリーズの2世代目、姉の桜井水波ちゃんと妹の千波ちゃんよ」
真夜の紹介に彼女達が再度全く同時に頭を下げる。
『桜』シリーズと聞き、尽夜は彼女達の面影を思い出した。尽夜の叔母にあたり、真夜の双子の姉、故人の司波深夜(旧姓四葉深夜)の元ガーディアン、今は亡き者の桜井穂波に瓜二つであったのだ。
「尽夜さん、思い出しましたか?彼女達は貴方の知る桜井穂波の姪にあたります」
「双子…ですか?」
「ええ、そうよ。よく見ると左目の下に極小さなホクロがあるでしょう?ある方が千波ちゃん、ない方が水波ちゃんね。内面でも全く違いはないから見分けるのは外見上のそれしか無いわね」
「二人共を俺につけるのですか?」
「いいえ、どちらか片方を尽夜さん、もう片方は後々決めます」
「ではなぜ二人共紹介を?」
「夏休み明けから二人には尽夜さんの家で生活してもらいます。現在彼女達は中学三年生ですので春からは第一高校へ進学する予定です」
「記述試験の方は大丈夫なのですか?」
「既に中学卒業資格は学校から受けているので尽夜さんが日中学校に行っている間にやってもらいます。時々家庭教師してあげてくださると嬉しいわね。まあ、不安があれば直接叩き込みますから安心してください」
「……承知しました」
真夜の説明になんとかついていった尽夜は自分の背後に控える彼女達を受け入れた。
「じゃあ食事はお開きにしましょう。水波ちゃんと千波ちゃんは鈴音さんの入浴を手伝って」
「えっ?」
「「畏まりました」」
「尽夜さんは私の書斎に来なさい」
「はい」
真夜の言葉にまたも置いてけぼりの鈴音を尻目に各人が動き出した。
---------真夜書斎
真夜の完全なプライベート空間である一室。足を踏み入れた事のあるのは主の真夜、葉山と尽夜、家具屋とHARのメンテナンス技術者のみ。
葉山が部屋の扉を開けて三人が中に入り、扉が閉まった。それを認識した真夜はゆっくりと尽夜に近付き腰に手を回した。それを受け入れ、尽夜も真夜に応える。
「……お帰りなさい」
真夜は自分の存在を植え付けるかの如く尽夜の胸に顔を押し当てて抱き締める手の力を強める。
それからしばらくの抱擁が続く。
「母さん、そろそろ座ってお話しませんか?」
尽夜が一度離れる事を提案すると真夜は少しムッとなりながらもおとなしく従った。彼は真夜の書斎に備え付けてある応接セットのソファに腰掛けると隣に真夜が座った。その際真夜は流れるような仕草で尽夜の腕に抱き着く。
「尽夜様は紅茶でよろしいですかな?」
「はい、お願いします」
「お砂糖は2つ、でしたな」
「ええ、よく覚えていますね」
「まだここから離れて半年も経っておりませぬ。それにこれが私の仕事故ですな」
淡々と自分の仕事をこなす葉山。彼は真夜達親子の先程のやり取りに何の疑問を持つことなく寧ろ微笑ましいものを見る顔つきでいた。
数分後に二人の前に出された紅茶を順に口を付ける。
「やはり葉山さんの淹れる飲み物は誰よりも美味しいですね」
「いやはや、そうおっしゃっていただけてこの老骨も恐縮でございますな」
「この前上手く淹れるコツを聞いたときに細かな魔法を使っているとおっしゃられましたよね?そろそろご教授願えませんか?」
「それをお教えてしまうと私の仕事がなくなってしまう故。それに奥様が尽夜様に教えられる事を頑なに禁止しておられますので」
「…母さん?」
訝しげに真夜の方へ向くと唇を尖らせて渋っている姿があった。
「…だってぇ、少しでもここに来る理由があった方が尽夜さんに会える機会が増えるじゃない……」
やっている事は実年齢からしたら痛い人になるはずが真夜の容姿でやると全然似合っており、歳というものの概念を疑うレベルである。
「……はぁ」
尽夜はため息を吐いたがその顔は別段嫌がっている顔ではなかった。
「…母さん、今日のことを話しましょう。まずは鈴音さんと仲良くなっていただけたようですね」
「そうね…少なくとも私からは好意的よ。分家の方々がどう思うかは分からないけれどね」
「母さんから好意的なら大丈夫ですよ」
「そうなら良いけれどね」
「そしてあの双子です。話にあったもう片方は深雪ですね?」
「…やっぱり分かっちゃうわよね。予定では千波ちゃんが尽夜さん。水波ちゃんが深雪さんに付くことになると思うわ」
「あの場で伏せていたなら鈴音さんにはまだバラさない方針ですか?」
「いつかは知るでしょうけど、それが今日じゃなかっただけよ」
「…まあ、母さんに任せますよ。それよりあの双子は訓練成績の方はどうだったのですか?」
「魔法の才能は『七草の双子に匹敵する潜在能力』を秘めてると思うわ。むしろ融合魔法でなら凌駕するでしょうね。得意の障壁魔法も十文字家並に使えると分析班は結論付けたし、昨日最後の実践訓練でも及第点はあげられるわよ」
「なら大丈夫ですね」
確認が一通り終わると何かを思い出したように真夜はムスッとした拗ねた表情を作る。
「はぁ…一高に通い出してから尽夜さんの周りには可愛い女の子がたくさん増えているし、私の存在は段々貴方の中で薄れてしまうのでしょうね」
頬を膨らませ、プイっとそっぽを向く。敢えて何度も言うが実年齢からしたら痛すぎる行為が似合っているのはなんとも言い難い。
「母さんの存在が薄れる訳がありませんよ。あの日から貴方の為にこの命があるのですから」
なんとも慣れた口調で言う言葉に尽夜は恥じらうことはなく、逆に真夜が少し頬を染める。
「…なら鈴音さんがお風呂から戻って来るまでこのままでいましょう」
「承知しました」
---------8月22日、月曜日
朝食の席では肌がツヤツヤしている真夜と顔を紅くした鈴音がいた。昨夜、真夜の書斎を後にした尽夜は鈴音とほんの少ししか話すことはなかった。理由は早々に鈴音を真夜に取られたからである。尽夜は女中二人に世話を焼かれて昨日は夜を過ごしていた。
今朝からは鈴音を四葉が運用している第四研究所へ案内して、彼女の四葉訪問は終了した。
現在の時刻は午後4時。
彼らは行きと同じ車で帰路に着いていた。
「どうでしたか?」
「はい。無事認めてもらえて良かったと思います。真夜様も異名とは少し違う雰囲気をお持ちでしたし…」
昨夜の事を思い出しているのか、その目は暗くなったり明るくなったりしていた。
「…今更ですけどもう戻れませんよ」
真剣な表情で尽夜は鈴音に言い放った。
鈴音はそれにすぐに答えることはしなかった。少し躊躇って隣に座る尽夜の肩に擦り寄り、体を密着させる。そして前を向く尽夜の両頬に手を添えて唇を合わせた。
しばらくの間、その状態が続く。長く感じられるし短くも感じられる高揚感が鈴音を支配する。
唇を離し、互いの目を見つめ合う。
「……これが私の答えです」
これがこの日二人の間で交わされた最後の言葉であった。
はい、完全オリジナルの鈴音回でした。
如何でしたでしょうか?
良ければご感想をお聞かせください。
尽夜が登場するに従い、オリキャラが登場しました。ご理解ください。
ガーディアンは元来、重要人物の女性に付けるものですが、新発田家の長男がガーディアンを付けているのを考えると、真夜が尽夜に付けるのも納得いくかなー、っと思った次第です。
一応、簡単なパーソナルデータを載せておきます。
桜井千波
調整体『桜』シリーズ第2世代
桜井穂波の姪にあたり、双子の姉に桜井水波を持つ。
得意魔法系統、外見内面仕草や癖まで全てが水波と瓜二つ、唯一の違いとしては左目の下に極小さな泣きぼくろがある。
尽夜のガーディアン予定。
四葉家次期当主について
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尽夜
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深雪