--------10月29日、土曜日
月日はあっという間に過ぎ去り、論文コンペを前日に控えたこの日、鈴音と尽夜はある病院に訪れていた。
論文コンペまでの期間には一高生徒二人から軽い襲撃紛いを受けた。1年生平河千秋と2年生関本勲によるものだった。幸いそれぞれの襲撃による被害は無かったが、千秋の入院した病院に『人喰い虎』
鈴音たちが訪れているこの病院は千秋が入院しており、その面会が目的だった。鈴音の帰属意識は第一高校が比較的大きな比重を占めており、今後を見越して彼女の精神的回復は一高にとって大切なものだと思ったからだ。
鈴音は面会している間尽夜を廊下で待たせていた。二人の間にまだ事務的以外の会話はない。もともとそれほど喋らない彼らだがあの事について何も言わない、何も行動しない尽夜に鈴音は心の中では少し不安になっている。千秋と話している傍ら彼女の頭に浮かぶのは尽夜についてだった。
「…お待たせしました」
約20分後に鈴音が病室から出てきた。尽夜から見て彼女の顔色はあまり芳しいものではなかった。
「………」
「………尽夜君?」
何も言わない尽夜に鈴音は不思議に思って彼の顔を覗き込んだ。
「…いえ、行きましょう」
尽夜は簡単に言葉を発して病院の出口へ向かった。
--------無人コミューター
病院から第一高校へ向かうためにコミューターに乗り込んだ二人は約30分の道のりを走っていた。
乗車して5分、尽夜が口を開いた。
「……顔色が優れないですね」
「え?」
急に話し掛けられた鈴音は上手く対応ができず、狼狽した。
「上手くいきませんでしたか?」
尽夜から話しかけられること自体が約1ヶ月振りである。自分の気持ちを知られている相手から話しかけられるのは嬉しさと緊張が孕んでいた。
「……いえ、感触は良好です。ですが少し自己嫌悪してしまいました。私には詐欺師の才能があるなと……」
苦虫を噛み殺したような顔で己を憂いた鈴音。彼女は千秋に『可能性』という麻薬を渡すことで言葉巧みに達也をライバル視させてさらなる向上意欲を促した。一見どうでもないように思えることだが先程も言った通り鈴音は母校の為に千秋を利用しているにすぎない事は、彼女が初めて経験するこの感覚に嫌悪を抱かせていた。
「……自分に失望しましたか?」
「……少し」
「何故?」
「…えっ?」
尽夜から来たのは疑問だった。
「……私は彼女を利用してるんですよ?彼女自身の事とかは本当はどうでも良くて、彼女がもしかしたら母校の一高の為になるかもしれないから彼女に声をかけただけなんですよ?」
「それでも平河千秋は貴方のお陰で前を向くことができる。理由はどうあれ彼女を救ったことに変わりはありません」
「……」
「鈴音さんが母校の為に今の状況を利用できる事が素晴らしいと思いますよ。誰も全くの善良だけで生きてはいませんから。それに普段の貴方ならそんな葛藤はしなさそうですけどね」
『普段の自分』と言われて鈴音はハッとなった。確かに普段の自分であるなら客観的に物事を判断して早々に自分の中で蹴りをつけるだろう。何が普段の自分ではなくしているのか、何がいつもの精神状態でなくしているか。彼女はその原因をすぐに思いついた。なぜなら隣に元凶が居るのだから。
九校戦以前の自分ならこんな風に思い詰めなかっただろう。今の精神状態はあの訪問から、具体的には帰り道での出来事がそうさせている。
「目的の為に必要な物を利用するのは悪いことではありません。貴方を今の状態にしているのは何ですか?それが分かっているならそれすらも利用すればいい」
尽夜の無表情に、鈴音が何のせいで今の精神状態に陥っているのか分からないという雰囲気が鈴音に伝わる。
しかし彼女は尽夜が本当に分かってないということはないと思っている。彼は鈍感ではない。むしろ鋭い。尽夜はこの状況を分かって鈴音を誘導している。
だが鈴音はそれを理解しながらその誘導に乗っていたいと思った。彼が真夜の言った通りに意図的に今まで話しかけずに精神状態を弱らせ、この状況を作り出したのだとしても構わないと、むしろ自分の目を向けている事が嬉しいという気持ちの方が勝っている。
「……なら利用させていただきます」
鈴音は誘導に乗って行動を起こした。前のような大胆な事は出来ないが、彼との距離を縮めて彼の肩に頭を置いた。顔を赤くしながら今できる精一杯な事だ。
「……貴方が意図的にこの状態を作り出したのは今分かりました」
「……俺も利用してるんですよ。失望しましたか?」
鈴音の行動に彼は何の反応も見せることなく、淡々と言葉を交わす。
「…こんな行動をしている女性にそれを聞くのは野暮じゃないですか?」
「それもそうですね」
「…貴方のお墨付きを受けたことですし、二人っきりの時にこれからは遠慮しませんからね」
「……拒むことはしませんよ」
「……ズルい人」
鈴音は嫌味を口にするが顔は嬉しそうに歪めていた。尽夜は鈴音の頭に手を乗せて優しく撫で始め、それは一高に着くまで続けられた。
----------10月30日、日曜日
午前8時45分。
論文コンペが行われる横浜にある会場では客席が埋まりつつあった。
尽夜はロビーを深雪と達也を連れ添って歩いていた。彼は鈴音の護衛であるが今日の行きは真由美と摩利が一緒に居るため必要なくなり、鈴音の会場入りから身辺の警備強化に当たる手筈となっている。
「司波さん!」
彼らに声がかかる。正確には『さん』付けの為深雪に対してだ。
「一条さん」
彼の左腕にかかった『警備』の腕章から九校共同警備隊として論文コンペに参加しているようだった。
「お久し振りです、司波さん。後夜祭のダンスパーティー以来ですね」
「………ええ、ご無沙汰しております」
多少の間があったのは、一条にとって深雪はダンスを踊った相手であり、深雪にとってダンスを踊った相手は尽夜だったからだ。一条の記憶は達也と尽夜と戦ったモノリス・コードしか言われるまで覚えていなかった。
深雪は深々とお辞儀をすることでその間を隠す。完璧な所作に一条とその隣にいた一高のB組十三束は棒立ちになった。
「一条さんが目を光らせてくださっているのなら私達もより一層安心できます」
深雪はニッコリと一条に期待の声をかけた。
「はいっ!必ずやご期待に応えられるように全力を尽くします!」
張り切った声で一条が気合を入れた。その後に深雪が一条の隣にいた十三束にも労いの言葉をかけている間、一条と達也と尽夜が話し始めた。
一条の尽夜を見る目は達也を見るときより少し鋭いのは気のせいではなさそうだ。
「一条、久し振りだな」
「司波、そうだな。四葉もこうやって話すのは初めてだな。初めて会った時は早々に逃げられるし、後夜祭の時も忙しくて会話はなかったからな」
「ああ、そうだな。初めて会った時はすまない。なにか一条と吉祥寺が面倒くさそうな雰囲気だったからな」
「なっ!そんな理由だったのか!?」
尽夜の正直な言葉に一条は驚き、少し大きな声で呆れた。
「……まあ、いい。来年の九校戦は俺達三高が勝つからな。手始めにうちのジョージがコンペを取るだろう」
「来年の九校戦の事はその時考えるけど、コンペを三高が取れるかな?」
「ジョージが取れないとでも?」
「……それは分からないけど、うちの鈴音さんも中々やると思うよ」
「ほう?なら楽しみだな」
コンペの対抗意識を強めたところで尽夜は一条に真剣な表情を向けた。
「……一条、一応忠告しておく」
「……なんだ?」
尽夜の態度に一条も身構える。
「きな臭い連中がウヨウヨしている。なにかが起きるかもしれない」
「……それは確かか?」
「四葉家の情報だ。気を付けておくことに損はない」
「…まあ、そうだが」
一条は尽夜の発言に嫌な胸騒ぎを感じた。
--------コンペ会場内
第一高校の発表は最後から二番目、午後3時から予定通り行われた。
尽夜は鈴音にすぐ駆けつけられる位置に陣取り、その隣に深雪が腰を下ろした。
鈴音は登場すると真っ先に尽夜の姿に見つけて微笑みかけた。尽夜は苦笑いでこれに応え、それを隣の深雪が感じ取り彼の腿をつねった。
次第に会場が暗くなり、鈴音にスポットライトが当たる。
「…核融合発電に何が必要となるのか、それは前時代より明らかにされています。1つは、燃料となる重水素をプラズマ化………………
……………………いずれは点火に魔法師を必要とするだけの重力制御式核融合炉が実現できると確信しています」
鈴音が締めくくると会場が割れんばかりの拍手が包む。技術的三大難問の1つに対する鈴音のアプローチアイディアの素晴らしさに見ている者は感動を覚えた。
一高の発表が終わって三高との交代を急いでいた時に轟音と振動が会場に訪れた。
会場がざわつく。
「達也!」
尽夜は深雪を引き寄せ、達也がいる所へ飛び深雪を離してから鈴音を同じようにして達也の側に連れてきた。
「…尽夜」
「達也、どう見る?」
複数の銃声が聞こえてくる。
「…ハイパワーライフル。恐らくは以前に襲撃を受けた奴らと同じだろう」
荒々しい靴音と共に扉が開かれた。
入って来た集団、総勢6名の内一人が銃を打ち、弾がステージ後壁に食い込んだ。
「大人しくしろ!デバイスを床に置け!」
銃を構えている相手に対して、自分の力量以上のものに対して反抗するのは得策ではない。実戦訓練を多く行っている三高の生徒はそれを良く弁えており、全員がCADを床に置いた。会場もそれに従うが、ある一集団のみCADを手放すことはなかった。
「おい!お前たちもだ!」
その集団、尽夜と達也に向けて1人が銃を構える。だが二人は無言でそれを眺めた。尽夜は三人を庇うように達也の前に出る。
焦った様子のない侵入者は手練のようで、命令を聞かない彼らに対して躊躇なく引き金を引いた。
轟音に会場が悲鳴を上げる。
目を瞑る者もいたが会場にいた多くの者が見たのは、銃を撃った者がなぜか撃たれたように血を吹きながら倒れた光景だ。
侵入者の残りは尽夜に向けて銃を再度向けるが次の瞬間、全員がその格好から崩れ落ちた。動く気配はなく、また呼吸をしている素振りもない。まるで生命活動を突然停止したように固まっている。
会場はどよめきが増していく。会場にいる全ての目が尽夜に向けられていた。
達也と深雪は目を見張り、深雪に至っては口元を抑えて涙が浮かんでいた。
「尽夜……お前……」
達也の声音は暗い。
尽夜は彼に近づき彼の肩に手を乗せて小さな声で囁く。
「後で説明する。『目』を拡張してくれ」
達也は尽夜の言うことに従い『
尽夜は達也から情報体を受け取り、ゲリラ兵と認識した者の『精神』を読み取る。達也から手を離して懐から銃型のCADを取り出して構える。
「尽夜君!?」
壇上にいた真由美は尽夜の行動に彼のCADが向いている方向に『マルチ・スコープ』を発動させた。
尽夜は達也から受け取った情報体の『精神』に向けてCADの引き金を引く。その瞬間に崩れ落ちていくゲリラ兵を認識できたのは会場内では達也以外に真由美ただ一人だけだった。
「……尽夜君?」
真由美は尽夜のしたことを理解したように悲しそうな目を向ける。
『魂消去』
尽夜の誇る系統外精神干渉魔法。四葉が『精神』について研究し、その頂に辿り着いた魔法。しかし当人しかこの魔法について、いや『精神』について理解出来ずにいる。全人類で唯一『精神』を『視て』『触れる』ことができる尽夜だからこそ可能である、各人に備わっている精神そのものを消す魔法だ。死体にも本来情報体が残るが、これを受けた者は人の形は残れど情報体が無くなり、治癒魔法は勿論のこと達也の『再生』すら出来なくなる。後に使用される深雪の『コキュートス』と似てはいるがより残酷なものである。
尽夜は『
その後数分の間沈黙が会場を支配していたが、またも連続的に爆発音が鳴り響き会場を揺さぶった。それを受けて人々は再びパニックに陥った。
四葉家次期当主について
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尽夜
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深雪