【旧約】狂気の産物   作:ピト

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第22話

---------駅前

 

 一般市民が多い駅前では小さな歓声が生まれていた。それは頭上から聞こえる輸送ヘリのプロペラ音を認識しているからである。

 真由美と雫の家が持つ2台の輸送ヘリのピストン運用によって避難を早めようとしていた。まずは雫のヘリが到着して、高度を下げ始めた時に事が起きる。

 突如として飛来した黒い雲。空中から湧いて出た、としか言いようのない唐突な現れ方をしたのは、季節外れのイナゴの大群だった。たかがイナゴといってもエンジンの吸気口に吸い込まれてしまっては大変なことになる。それに、こんな不自然な出現の仕方をしたモノが、自然の生物とは思えない。ヘリの迎えに来ていた雫は咄嗟の判断でCADを取り出していた。

 

 空に向かって引き金を引く。

 

 『フォノン・メーザー』による音の熱戦がイナゴの群れを薙いだ。

 

 「数が、多い……っ!」

 

 焼け死ぬのではなく、幻影のように消えていくイナゴの群れ。しかしそれは、黒い雲の一部をかき消しているに過ぎなく、ループ・キャストによって次々放たれる『フォノン・メーザー』は確かにイナゴの群れを焼いてはいるが、空を着るように一時的なものでしかなく、少し見えた青空も端から黒く埋まっていく。

 ほのかもそれに気が付いていたが、彼女の魔法はこういった迎撃には向いてない上に、雫の魔法と相克を起こす可能性もあり迂闊に手が出せない。

 イナゴの群れがヘリに取り付く、と見えたその時。

 

 

 

 

 滅びの風が吹いた。

 

 

 

 

 黒い雲を成す大群が一瞬で消え去り、イナゴの群れは跡形もなかった。

 空を仰ぐ雫とほのか。遅れて異変に気が付いた真由美たちも同じように視線を上へと向ける。そこには黒尽くめの人影が、銀色のCADを右手に構え空に浮いていた。

 

 「達也さん……?」

 

 そう呟いたのは一体誰だったのか。

 同じく黒尽くめのスーツに身を包んだ集団が飛来し、ヘリを守るように陣を組む。

 

 ヘリは再び降下を開始した。

 

 ヘリに一般市民が乗り込む間、黒尽くめのスーツに身を包んだ集団は各方面へ警戒にあたった。

 

 「彼等は何者でしょうか?」

 

 稲垣が気味が悪そうに呟く。

 

 「……味方です」 

 

 真由美は微笑んでそう短く答えた。達也の仲間であり響子の仲間でもある国防軍の一部隊。それ以上のことは真由美も知らなかったが、それだけで十分だった。

 ヘリに市民が乗り込んでいる間も彼らは空中で警戒を続けている。もう十分以上跳び続けているのに消耗を感じさせない。全員がハイレベルな魔法師である事は確実だ。

 真由美はその部隊の事を噂で聞いたことがあった。国防軍が特定分野に突出しているクセの強い魔法師を集めて作った実験部隊。個々の魔法師のランクを見れば大したことが無いように思われるが、一度実戦に臨んだならば強大な打撃力を発揮する実戦魔法師集団、考えてみれば達也にぴったり合致する条件だと真由美は納得した。

 

「頼もしい援軍ですよ」

 

 搭乗の完了しつつあるヘリを見ながら真由美はそう付け加えた。

 それと同時に彼女は別の方に意識も取られていた。

 

 (尽夜くんは大丈夫かしら……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

--------------高層ビル、屋上

 

 第一高校の制服を身に包んだ一人の青年が目下で戦闘が行われているビルの屋上に佇んでいた。

 目の前の戦闘では直立戦車が2台、大亜連合の戦闘員と思われる人員が約30名程。間を挟んで国防軍が簡易のバリケードを張って、これに応戦している。だが、大亜連合側の直立戦車によって押され気味なのは否めない。

 尽夜は銃型のCADをその戦闘の場に向けて躊躇なく引き金を引いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 真っ昼間に『夜』が数ヶ月振りに訪れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦闘していた者たちは周囲が暗黒に包まれた事でパニックに陥り動きが止まる。そして頭上に通る無数の流れ星、流星群をただ見つめた。

 

 大亜連合の兵士たちに考える暇はなく、星たちは闇を穿つ光となって彼らに降り注がれた。

 そして戦場に残ったのは国防軍のみだった。大亜連合の兵士は見るも無残な姿に変形し、直立戦車は原型を留めていない。

 

 国防軍の小隊隊員達は呆然とその光景を認識していた。どこから発生されたかも分からずにキョロキョロと辺りを見渡す者が多い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 尽夜はそれを尻目に次なる戦場へ向かおうとした時にあることを感じ取った。彼はすぐさまCADを感じ取った方向に向けて、放とうとしたがある事が原因でそれを躊躇する。

 

 数十秒後に、ある『精神』の無事を確認するとひと息吐いた。そして今度は躊躇なくCADの引き金を引く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

---------駅前

 

 雫と稲垣を乗せたヘリが無事に飛び立ってから暫くしてから、再びヘリの到来を告げるローター音が聞こえてきた。

 

 「漸く来たわね……」

 

 漸くという表現は完全に嘘偽りのない真由美の感想だった。雫が手配したヘリより一回り大きい、しかもヘリは一機だけではなくもう一機、戦闘ヘリも随行していたのだ。

 

 『真由美お嬢様、ご無事でいらっしゃいますか?』

 

 「問題ありません。名倉さんはどちらに?」

 

 『私は戦闘ヘリの方に搭乗しております。お嬢様もこちらの機体で脱出するようにと旦那様より仰せつかっております』

 

 「……分かりました」

 

 名倉との通信を終え、真由美は鈴音の方に振り返った。

 

 「兎に角、市民の収容を急ぎましょう」

 「動くな!」

 

 背後から鈴音の首に腕を巻きもう片方の手でナイフを突きつける若い男。ビルの上からライフルが向けられたが、別の男が一歩前に進み出て手榴弾を持った手を突き出す。

 

 「……なるほど、この為の布石だったのですか」

 「頭の回転が速いな」

 

 ナイフを突きつけられているのに、鈴音の声は冷静だった。その落ち着いた様子に違和感を覚えながらも、避難の市民に偽装したゲリラは鈴音の言葉を首肯した。

 

 「私を狙ったのはエネルギー供給の安定化の為ですか?」

 「それだけではない。本作戦に先立ち、大勢の仲間が拘束されている。お前にはその解放の人質になってもらう」

 「私一人では大した材料になりませんよ」

 「そうでもあるまい。…動くなと言った!」 

 

 後手にこっそりとCADを操作しようとした真由美を鋭く一瞥し、男がナイフを煌かせた。その隣では居合わせた第三高校の女子達もCADを操作しようとしていたのだが、真由美を含め全員が諦めて両手を挙げる。

 

 「お前が人質になれば、七草家が放ってはおかない。娘の友人を人質に取られる事の方が娘を人質に取られるより効果があるだろうからな」

 「確かに。真由美さんは甘い人ですからね。ですが、リサーチ不足のようです」

 

 何故自分が非難の目で見られなければならないのだろうと理不尽を覚えながら、真由美は手出し出来ずにいた。おそらくこういうところが「甘い」と言われるのだろうが、少なくとも人質に取られている本人に非難される事ではないのではないかと思っていた。

 ゲリラ兵は鈴音の「リサーチ不足」という言葉に再び疑問を覚えたが、彼女が続けて喋ってきたため疑問などは出なかった。

 

 「その後は私を本国へ拉致する手筈ですか?」

 「そうだ」

 「しかしそれでは人質交換にならないのではないのでは?」

 「それは……お前、何をした?」

 「貴方の作戦は悪くなかったのですが、ターゲットが良くありませんでしたね」

 

 鈴音は顔の前のナイフを手でスッと除け首に巻かれていた腕を簡単に解く。

 

 「私はCADを使った魔法こそ平凡ですが、無媒体で行使する魔法なら真由美さんや十文字君より上なのですよ」

 

 手榴弾を持つ男の前に回り込んでその手からゆっくりと手榴弾を引き剥がす。

 

 「随意筋を司る運動中枢を麻痺させました。貴方たちの身体は暫く自由に動きません。人体に直接干渉する魔法。かつては禁止されていた種類の魔法です。その性質上、人体実験が不可欠ですから禁止されていたのはその面からなのでしょうけど。難点は効力を表すまでに時間が掛かる事ですが、貴方がお喋りな方で助かりました。ああ、言っておきますが貴方が口を滑らせたのは魔法とは無関係ですよ。単に貴方が軽率だというだけのことです。それと最後に自己満足でお教えしますが私が拉致されても動くのは七草家ではないと思いますよ」

 

 最後は小声で言いながら鈴音は冷たい笑みを浮かべ、輸送ヘリに市民の搭乗を急がせた。

 

 その間に真由美が鈴音に話しかけてくる。

 

 「リンちゃん、大丈夫?」

 「はい、見ての通りですよ」

 

 安否が確認されると安堵の表情を見せた真由美は、少し不安そうになりながらあることを口にする。

 

 「………それとさっきの最後に言った言葉が聞こえちゃったんだけどね」

 

 その言葉に鈴音はピクッと反応した。

 

 「……貴女がもし拉致されたら動くのは私達七草家じゃないってどういうこと?…リンちゃんがあの兵士にリサーチ不足って言ったのはリンちゃんの魔法のことだって思って何も疑問に思わなかったけど、違うわよね?」

 

 真由美は真剣な表情で鈴音を捉える。対して鈴音はバツが悪そうに顔を歪めるのみだった。

 

 「………すみません」

 

 鈴音は自分の軽率さを悔やむ。口から出る言葉は謝罪のみであった。その謝罪も誰に向けられたのかは定かではない。

 

 沈黙。

 

 結果、真由美にバレることはなかったが疑念を抱くには十分な材料となったのは間違いない。しかし真由美はそれ以上追求することはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 市民の搭乗を終えたのを確認した鈴音と真由美は別行動をとることになり、別々のヘリに向かう。

 

 「…それじゃあリンちゃん、頼んだわよ」

 「…真由美さんも余り無理をしないようにしてください」

 

 飛び立つヘリを追いかけ黒い兵士が空へ上がりその周囲を固める。ヘリが安全高度まで上昇したのを確認して、飛行兵は海岸の方へ飛び去った。

 

 「…私たちも行きましょう。深雪さんたちと摩利を拾ってここから脱出します」

 

 「……承知いたしました」

 

 真由美の指示に何かを言いたそうな名倉だったが、結局は恭しく頷いて副操縦席へ戻った。真由美とほのかを乗せて飛び立つ戦闘ヘリ。その途中で真由美はビルの屋上に立ち彼女たちを見送る一人の兵士に気付いた。その右手には銀色の特化型CAD。ほのかは逆サイドを見ていて気付いていない。

 逆に真由美は、その一人の兵士とほのかが認識した一筋の光が先程の兵士に向かって落ちて行くのを見ること、認識することはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

--------

 

 深雪たち、駅前の一般市民が避難する間、迎撃に当っていたグループもまた敵と遭遇していた。小規模な落雷が街路に乱舞し、敵の銃撃が止む。遭遇が散発的なものになっており、直立戦車や装甲車の新手は姿を見せなくなっていた。

 

 「七草先輩がヘリで迎えに来てくれるそうよ。市民の脱出用とは別に私たちが脱出する為のヘリを用意してくれたみたいね」

 「さすが七草、太っ腹ね」

 

 真由美からの連絡を受けた深雪が状況を説明すると、エリカが変な仕草で感心した。

 

 「太っ腹とは少し違うような……きっと先輩を確実に脱出させる為じゃないかな」

 「だとしてもありがたい事だぜ」

 「そうですね。おかげで私たちも脱出の目処がついたんですから」

 

 幹比古、レオ、美月とそんなお喋りをする余裕が出来たのも、敵の攻撃が沈静化しているからだろう。

 

 「あっ、来たんじゃない?」

 

 エリカに指摘されなくても、全員がヘリのローター音に気付いていた。しかし音はすれどもヘリの姿が見えない。そんな時深雪の端末に通信が入り、深雪は通信ユニットを耳に当てた。

 

 『深雪さん? 悪いけど狭くて着陸出来ないの。ロープを下ろすからそれに掴まってくれる?』

 

 返事をする間も無く、何も無かった頭上からロープが五本下りてきた。良く見ればロープの端で陽炎が揺らめいている。

 

 「……透明化、いえ光学迷彩と言うべきかしら。器用ね、ほのか」

 

 そうつぶやきながら深雪はロープを掴み、末端のステップに片足を置いた。準備完了の意味で軽く引っ張ると、ロープはスルスルと巻き上がっていく。他の四人は慌ててそれに随った。

 ヘリに乗り込んでみれば、ほのかが何をしているのか深雪以外の目にも明らかとなった。半球面のスクリーンに空の映像を屈折投影させているほのかは、魔法の制御で口を開く余裕も無い。空ではなくもっと変化の激しい景色が背景ならば、移動しながら光学迷彩を維持する事は出来ないに違いなかった。

 

 「それでも、待ち伏せにはもってこいの魔法だね」

 「本当に。こんな複雑な処理を持続させるなんて、ちょっと真似出来そうにないわ」

 「深雪さんでもですか?」

 

 友人たちのそんな声も、ほのかはろくに耳に入っていないようだった。

 

 「もうすぐ到着です。でも辛かったら解除しても構いませんよ」

 「大丈夫です」

 

 そう励ます真由美の声に応えを返すのがほのかの精一杯だった。

 しかし摩利たちを速やかに回収する事は残念ながら出来なかった。摩利たち五人はライフルとミサイルランチャーを主兵装とする魔法師混じりの歩兵部隊から猛攻撃を受けていた。寿和一人で背後の敵に当たっている事を知らされていない真由美たちは、一人足りない事に動揺を覚えながらも、五人の援護に当たった。

 正確に表現するならば、援護の魔法を放ったのは真由美一人なのだから、「真由美たち」というのは適切ではない。

 敵兵の身体に雹が降り注ぐ。氷の粒ではなくドライアイスの弾丸が、自然現象ではありえない超音速で襲い掛かり防護服を貫く。空中から地上への攻撃、しかもこちらの姿は見えていないという優位も手伝って、真由美の魔法は五分と掛からずにその場を制圧した。

 

 『お待たせ、摩利。ロープを下ろすから上がってきて』

 「ああ、頼む」

 

 微妙に釈然としないものを感じながら、摩利は残りのメンバーに声を掛ける。五十里と花音、桐原と紗耶香が歩いてくる。

 彼らが周囲の警戒を欠いてしまった事を責めるのは難しいだろう。つい今しがた迄激戦の渦中にあったのが、光学迷彩を解除したヘリが頭上から守ってくれるのだ。安堵感を覚えてもしょうがなかった。

 だがゲリラの真骨頂は、こういう状況における不意打ちにある。

 

 「危ない!」

 

 そう叫んだのは摩利だ。その声に真っ先に動いたのは桐原だった。紗耶香を突き飛ばし刀を振る。咄嗟に発動した高周波ブレードは胸を狙った銃弾を奇跡的に弾き飛ばしたが、カバー出来たのは上半身だけ。脚に銃弾が突き刺さり右脚が太腿の下から千切れた。

 

 「桐原君!」

 「啓!」

 

 別の場所では五十里が花音を押し倒しその上に覆いかぶさっていた。背中一面からは流れ出す血。どちらもおそらくは致命傷だ。

 

 「啓!…啓!!」

 「桐原君! しっかりして!!」

 

 泣きすがる二人の少女。摩利が奇襲を仕掛けたゲリラに魔法を発動しようとしたが、彼女の魔法は圧倒的な干渉力がその場を覆った事によって不発に終わる。慌てて隣へ…その発生源へ目を向ける。

 そこではヘリから飛び降りた深雪が重力をまるで感じさせない動作でスッと着地し、恐ろしいさが垣間見える無表情で右手を前に掲げていた。

 深雪が封じていたのは達也の力だけではない。達也の力を封じ込める為に、深雪は自分の魔法制御の力の半分を常に兄に向けていた。

 深雪が魔法を暴走させるのは、兄の魔法を押さえ込んでいるための副作用だ。今達也の能力を解き放った事で、深雪自身の能力も解き放たれている。

 右手を前に差し出す。それだけで世界が凍りついた。凍結したのではなく静止した。身体が凍りついたのではなく精神が凍りついた。

 

 

 

 

 

 系統外精神干渉魔法『コキュートス』

 

 

 

 

 

 凍りついた精神が蘇る事は無い。凍りついた精神は死を認識出来ない。肉体に死を命じる事も出来ない。凍りついた精神に縛られた身体は死ぬ事も出来ず、最後に命じられた姿勢のまま彫像と化して転がった。

 

 達也はこの魔法が他者にかけられたものだったら情報体が凍りついていない状態へ『再生』を通じて戻すことができるが、直接受けてしまうと自身への『再生』でも肉体に死の認識が行われないため間に合わなくなる。

 

 深雪が何をしたのか説明出来る者はいなかった。だが全員が世界の凍りつく幻影を見た。尽夜が会場で使った魔法は何をしたかもわからなかったが、その場の全員が直感的に深雪が何をしたのか覚っていた。

 

 深雪は隣を、そして上を見て俯き、寂しげな微笑みを浮かべた。だがすぐに顔を上げ大声で呼び手を振った。

 

 「お兄様!」

 

 その視線の先を、桐原と五十里以外の全員が見た。そこには着地態勢を取った黒尽くめの兵士の姿。深雪のすぐ隣に降り立ちバイザーを上げマスクを下げる。達也は厳しい顔つきで五十里の傍へ駆け寄った。

 

 そして達也がCADを五十里に向けようとホルスターに手を伸ばした時、またも声がかかった。

 

 「待て、達也」

 

 それはどこからともなく現れた尽夜だった。彼は達也の肩に数秒間手を置いた。

 

 「……よし、いいぞ」

 

 尽夜の了承に今度こそ達也はCADを抜いて五十里に向けた。

 

 「何するの!?」

 

 五十里に向けられた銀色のCAD。花音にそれを止める時間は無かった。引き金が引かれ、彼女は反射的に目を瞑った。

 

 【エイドス変更履歴の遡及を開始】

 

 達也はこの時、本来自分にのしかかってくるはずの苦痛を感じない事に気付く。

 

 【復元時点を確認】

 【完了】

 

 この魔法に必要な時間は本当にわずかなものだ。だが今この時、達也が想像を絶する苦痛を味わっている事を深雪は知っていた。しかし深雪の目にはいつもの『再生』を行使する時の達也とは違っていること認めた。

 達也が自由に使えるもう一つの魔法、『再生』が発動する。エイドスの変更履歴を遡り負傷する前の情報体を復元し、複写する。怪我を治すのではなく、怪我を負った事実を無かった事にする。

 ボウッっと五十里の身体が霞んでように見えた次の瞬間には、彼の身体には傷一つ残っていなかった。それどころか服を塗らしていた血の跡まで消えていた。五十里の身体は傷を負わずに時間が経過した状態で世界に定着したのだ。

 達也は五十里に掛けた『再生』の結果を確認する間も惜しんで桐原にCADを向け引き金を引く。桐原の千切れていた脚が太腿に引き寄せられ接触したと見るや身体が霞んだ。視覚的にはこちらの方が劇的だっただろう。次の瞬間には五体満足の少年がそこに横たわっていた。

 

 次に達也と尽夜の二人は自分達にだけ聞こえる小声で話し始めた。

 

 「……尽夜、これはいつまで続く?」

 「永続的。でも切ろうと思えばいつでも切れる。痛覚における危険信号が受け取れないからずっとかけるのはおすすめしない」

 「なら解いてくれ。助かった」

 「分かった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

---------大亜連合側

 

 魔法協会支部のある丘の北側で攻撃を押し返された侵攻軍は、兵力を南側に迂回させて最後の攻撃を試みていた。

 

 彼らは人質の確保は既に断念している。長期の占領が可能な兵力でもない。このままでは何の成果も無く撤退ということになってしまう。せめて協会支部に蓄積された現代魔法技術に関するデータを奪取し、その上で魔法師を一人でも多く殺害してこの国の戦力を殺いでおこうというのが侵攻軍の決断だった。

 装甲車と直立戦車のみの別働隊は、今のところ敵と遭遇していない。防御側に機動力が無いという推測に基づく作戦を立てており、その読みは的中しているようだ、と装甲車の中で指揮官は思っていた。

 丁度そのとき、装甲車のハッチから上半身を出して警戒に当たっていた兵士は、頭上を通り過ぎる黒い影に顔を上げた。その兵士は影の正体を見極める事が出来ずに、空中から放たれた弾丸に頭を貫かれた。

 

 侵攻軍車両の間で慌てて通信が交わされ、機銃が空に向けられる。その対応を嘲笑うように空から急降下してきた黒い部隊、独立魔装大隊の飛行兵部隊は道路沿いのビルの屋上に降り立ち上方側面より一斉射撃を浴びせた。

 その攻撃に侵攻軍も無抵抗ではなかった。榴弾を打ち込みビルを瓦礫に変え、重機関砲で壁面を削り銃口をのぞかせている飛行兵を吹き飛ばす。

 

 だが黒い部隊の火勢は少しも衰えることはなかった。炎に巻かれた瓦礫の中から、壁を削られたビルの上から、いっそう激しい銃撃が繰り出される。

 侵攻軍の兵士たちは、不死身の生物を相手にしているような怖気に捕らわれていた。だがすぐに彼らはそのカラクリを己が目で知る機会を得た。

 

 足元を崩され一人の飛行兵が路上に落ちる。直立戦車の機銃がその身体に穴を穿つ。漆黒の戦闘服が持つ防弾性のおかげで即死ではなかったが間違いなく致命傷だった。

 

 ところがその隣に舞い降りた両手に銀色のCADを持つ黒い魔人が左手をその兵士に向けた途端兵士の傷が消えた。右手は自らに狙いを定める直立戦車に向いていて、装甲に鎧われた直立戦車にノイズが走り、全高三メートル半の機体が塵となって消えた。

 

 『……摩醯首羅(マヘーシュヴァラ)!!』

 

 悲鳴が電波に乗って広がった。恐怖に急かされた闘争と、恐怖に駆り立てられた突撃と相反する波がぶつかり合って、侵攻軍の隊列から秩序が消え失せた。そのパニックは彼らの全滅によって終結した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 偽装揚陸艦の艦橋、すなわち侵攻軍の司令部は悲壮で深刻な空気に覆われていた。

 

 「別働隊が全滅……?」

 

 艦長兼侵攻軍総指揮官に睨みつけられた参謀は竦みあがりながらも己が職務を全うする。

 

 「報告から推察致しますに、飛行魔法を使った空挺部隊による強襲に善戦空しく全滅と相成った模様であります」

 「………」

 「それと、これは未確認の情報でありますが……」

 「何だ?」

 「別働隊の交信の中に摩醯首羅(マヘーシュヴァラ)の声が…」

 「…摩醯首羅(マヘーシュヴァラ)だと!?」

 

 『摩醯首羅(マヘーシュヴァラ)』という言葉に艦橋にいた半数の人間が目を剥いた。

 

 「別働隊には三年前の戦闘に参加した者がおりました」

 「………」

 「何の事でありますか?」

 「性質の悪い戯言だ!」

 

 残り半数の一人だった副官が、総指揮官ではなく報告をもたらした参謀に問いかけたが、応えたのは総指揮官本人だった。

 

 三年前、沖縄で彼らに敗北をもたらした正体不明の魔人。捕虜交換で帰還した兵士の間で、誰からともなく囁かれた異称。大亜連合軍の上層部はその存在を否定している。その名を口にする事を兵士たちに禁じている。葬り去ったはずの悪夢、だがいくら口で否定しようとも、悪夢は現実となって牙を向けていたのだ。

 総指揮官をはじめとするその存在を知っている侵攻軍メンバーは、それが本当に戯言であれば良いと思っているが、心のどこかでは戯言ではなく本当に奴が現れたのだろうと理解している。そうでなければ、例え敗北したとしても誰一人逃れる事が出来ず、こちらに連絡を入れてこない状況が説明出来ないからだ。

 

 「至急摩醯首羅(マヘーシュヴァラ)の存在が確かかどうか調べろ。これは最優先事項だ」

 

 総指揮官に命令され、参謀は慌てて艦橋から飛び出していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして事態は大亜連合の懸念通り『摩醯首羅(マヘーシュヴァラ)』によって終局を迎え、この事変は後の歴史家達から『灼熱のハロウィン』と呼ばれる魔法歴史における重要な転換点となる。




 後1、2話程で横浜騒乱編は終わると思います。

四葉家次期当主について

  • 尽夜
  • 深雪

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