【旧約】狂気の産物   作:ピト

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継承編
第28話


---------アイネブリーゼ喫茶店

 

 「えっ?雫、もう一回言ってくれない?」

 

 世間は12月24日となり、クリスマス気分真っ只中、すっかりと暗くなった午後五時半。

 クラブ活動や生徒会活動を終えた達也たちはいつもの喫茶店、アイネブリーゼでささやかなクリスマスパーティーを開き、楽しくワイワイとしていた。雫の爆弾発言があるまでは。

 

 「実はアメリカに留学することになった」

 

 慌てて訊き返したほのかに変わらぬ口調で雫は先程と同じ言葉を返した。

 

 「聞いてないよ!?」

 「ごめん、昨日まで口止めされてたから」

 

 血相を変えて詰め寄るほのかに雫は申し訳なさそうに頭を下げる。

 

 「でもさ、留学なんてできたの?」

 

 現代においてハイレベル魔法師の遺伝子流出を恐れて、政府は魔法師の海外旅行や移住を禁止している。それを気にしてのエリカの発言だった。

 

 「ん、何でか許可が下りた。お父さんが言うには交換留学だから、らしいけど」

 「……そうなんだ、期間は?」

 

 ほのかが悲しそうに新たな情報を求める。

 

 「年明けてすぐ。期間は三ヶ月」

 「三ヶ月なんだ……ビックリさせないでよ」

 

 雫の答えに、ほのかは胸を撫で下ろした。

 達也は三ヶ月も十分長い期間だと思ったが、それを口に出す事はしなかった。

 

 「雫が留学するのもビックリだけど、尽夜くんは結局年内には来れないのかな?」

 

 エリカが雫の留学話題から切り替えて、今度は11月から学校に姿を見せていない尽夜のことを口にした。尽夜が来ない理由を詳しくは伝えられていないが、A組では担任からは「四葉君は御実家の御用事で暫くの間、休学されるらしいです」との言伝だった。

 

 「……実家の用事らしいからな。仕方ないだろう」

 

 一瞬ピクリ眉を動かした達也は無難に一高生徒が知らされている内容を口にした。

 

 「まあ、そうなんだけどさ」

 

 エリカの話題で皆が心配そうな面持ちで言葉を交わす。だがそこで一人、誰よりも暗い顔で俯く少女の姿があった。

 

 「深雪、どうしたの?気分でも悪い?」

 

 真っ先に気付いた雫が問いかけた。ただでさえ白い深雪の肌は血の気を失い、病人のようだ。

 

 「………いえ、大丈夫よ。ありがとう」

 

 そう気丈に答える深雪の顔は青ざめたままで、微笑みも弱い。手弱女と表現すればいいのかもしれないが、友人たちはそんなことを言っていられないほどのいきなりの変調であった。

 

 「あっ、そうだ!達也さん!皆で初詣に行きませんか?雫はいないですけど、エリカと美月は参加できるって言ってます」

 

 ほのかが暗くなった雰囲気をどうにかしようとまたも話題を変えた。既に根回しはしていて、いつかはこのことを言うつもりだった事も窺えた。

 

 「すまない、俺と深雪は今度の正月にどうしても外せない用事があるんだ。だから雫の送迎にも立ち会えないと思う」

 

 だが、達也から来た返答は芳しくないものだった。申し訳なさそうに頭を下げる達也。深雪の顔は青ざめたまま、むしろちょっと悪化しているように思える。

 

 「……いえ、残念ですけど御予定が既におありなら仕方ないですよ」

 「ん、気にしないで」

 「じゃあさ、予定が空いたときに連絡してよ。皆で空いた日があったら集まろう?」

 

 エリカが及第な案を出してこの場を収める。

 

 「深雪の気分も優れないみたいだし、今日はここで解散しよっか?」

 

 そのままエリカが指揮を取る感じで、最後に若干の暗さを見せたクリスマスパーティーはお開きになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

--------司波家

 

 深雪の体調不良は一時的なもので家に到着する頃には顔色は元に戻っていた。肉体的な疾患ではなく、精神的なもの。達也は深雪が四葉本家から気に病んでいたものを認識していた。『尽夜』と『正月』、この二つのキーワードが彼女の意図せず自動的に思い出させたことに対する事と。

 

 「深雪、少し部屋で休んで来なさい」

 

 喫茶店でのパーティーの軽食、デザートで小腹が満たされていなくても達也は深雪にこう言っただろう。命令口調であるのは彼女の性格を汲んでのものである。

 

 「いえ………はい、それでは少し休ませていただけますか?」

 「もちろんだ。言い出したのは俺だからね」

 

 深雪は一瞬達也の提案を断ろうとしたが自分の今の状況を見直し、それに乗ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深雪が冬の寒気に冷え切った自室に入ると、瞬く間に室温が適温にまで上がる。これぐらいの魔法で深雪がCAD媒体を必要とする事はない。

 深雪は扉を閉めた後、エアコンのスイッチを入れる。継続的に室温を保つのであれば魔法よりもエアコンが適しているからだ。

 コートと制服を脱ぐ。彼女はいかなる時でもベッドや椅子に服を脱ぎ捨てるようなことはしない。

 着替えをしている最中に机の上にある一通の封筒が目に入る。深雪は着替えを終えるとその封筒に近づき、机の前に座った。中に入っている便箋を実際に目にしなくとも何が書いてあるかは分かっている。それこそ一字一句暗記するほど読み込んでいたからだ。

 深雪は操られたようにその封筒から便箋を出して広げた。招待状の体裁を取っている手紙の内容は四葉本家で開かれる元旦の集まり『慶春会』へ深雪と達也の二人での参加を命じるもの。

 今まで深雪は毎年、新年の挨拶に本家には訪れている。しかし、分家当主が勢揃いする慶春会には顔を出したことがない。一番大きな理由は招かれていなかったからだが、深雪はそれ幸いと、慶春会を避ける傾向があるのだ。彼女は分家当主たちの発する達也への不遜な言葉が耐えられない。

 しかし、今年ついに真夜からの直々の招待、いや、出席を命じられた。真夜の直筆のサインを添えて。彼女の叔母のサインがあるだけでその招待状には絶対的な強制力を持つ。こうなればどんなに気分が乗らなくとも出席せざるを得ないし、分家当主達が達也への不遜な発言を慶春会で発しようともそれを止めることは許されない。深雪がそれに我慢できるかも心配だ。

 それに招待文面に書かれた文字『次期当手候補全員出席につき』によって深雪は自分がなぜ一族勢揃いの席に呼ばれたかを強く確信している。

 

 (………叔母は慶春会で次期当主を指名するつもりなのだ。……叔母は尽夜さんを次期当主に指名するつもりなのだ)

 

 四葉の当主は、その世代の最も優れた魔法師が就くことになっている。篩に掛けられて残っている次期当主候補は五人。司波深雪、黒羽文弥、津久葉夕歌、新発田勝成、そして四葉尽夜。そして残った五人の候補の中で尽夜こそが最良の魔法師。それは疑いようのない事実であるし、本家の使用人、当の深雪であってもそう思っている。流石に筆頭執事の葉山や荒事面の手配を担当する第二位の花菱、魔法師調整施設を統括する第三位の紅林など使用人のなかでも四葉の中枢に近い者たちは軽々しくそういうことを口にしない。しかし、それが暗黙の了解になっている。

 先程も言ったが深雪は、尽夜の次期当主確定を妬むや僻むなどといった否定的な感情は全くない。むしろそれは当然だと思っている。

 彼女の中での問題は二つ。

 一つは尽夜が次期当主についた際の分家当主達からの達也排斥の動きの活発化である。分家当主は四葉家当主が尽夜に移ると達也を完璧に排除しようとするだろう。たとえ真夜の息子であったとしても、自分達の方が四葉に、より長い間いるのだから年長者の意見には背けないはず、と考えているはずだ。もし達也と尽夜が衝突してしまった時、深雪はどちらに付けば良いのか決められない。

 もう一つは、どちらかと言えばこちらの方が彼女を憂鬱にしている最たる理由であるのが、尽夜の当主の座に必ず付随するであろう結婚相手だった。魔法師の世界では早婚が求められており、それは十師族など権力の大きいところほど制力は強くなる。真夜や五輪澪のように特殊な事情を抱えていない限り、独身を貫くことは許されない。魔法師にも建前として基本的人権は認められているので、結婚しないからといって法令に基づく罰則はないが、魔法師の世界、そのコミュニティーから爪弾きにあうことは必至だ。部外者からは孤高の存在と見られている四葉だが、日本魔法界のリーダーを自認する十師族の一員である以上、魔法師仲間の評判を気にしないわけにはいかない。また真夜が独身でいることから尚更、次期当主には早々に結婚することを他の十師族や魔法師界から求められるだろう。次期当主指名後、すぐに結婚を強要されることはなくても、婚約者はすぐに付けられるに違いない。

 

 (もしかしたら尽夜さんは自分じゃない人と結婚する……。もしかしたら自分以外の人を妻として娶る……)

 

 深雪は便箋を畳んでから封筒に戻した。そして鏡台の前に座り、鏡に映る自分の心に語りかける。

 

 (………そうよ、これは仕方が無いこと。私にはどうすることもできない)

 《本当に仕方が無いこと?本当に納得できるの?》

 

 割り切っている自分より鏡の中から聞こえる声は幼く聞こえた。

 

 (ええ……。婚約者は私の意思にも、尽夜さんの意思にも関わらず叔母様によって決まるもの。どうなろうとも、納得するしかないし、納得してるわ)

 

 深雪は自分にそう言い聞かせる。

 

 《嘘よ!納得なんかしていないわ!》

 

 しかし鏡の中の自分は幼い分、少しだけ素直だった。

 

 (たとえどんなに納得したくなくても、納得しなければならないのよ。全ては叔母様が絶対なのだから)

 《でも尽夜さんは素直になれとおっしゃったわ!》

 (いくら尽夜さんでも叔母様の意向には逆らう事はできないわ)

 《でも『私』にも十分可能性はあるわ》

 (私達は従兄妹よ。それに他家から見れば十分な近親婚、遺伝子の不慮の可能性が高い私を選ぶとは思えないわ)

 《どうして自分で諦めるようなことを言うの?》

 (諦めるとか諦めないとか、そういう問題じゃないわ。婚約者は遺伝的にも安全で優秀な遺伝子を求められるから、可能性の話よ)

 《嘘!だったら『私』は何故見ず知らずの、いるかいないかも分からない婚約者を気にするのよ!》

 (尽夜さんが子供を作って父親との義務を果たさなければならなくなれば、今までのように私に構っていただけることはなくなるわ。ただでさえ、私を見る目は慈愛しか感じられないのだから……)

 《尽夜さんが子供を作ったからと言って婚約者を愛するとも限らないし、四葉の当主は片手間で務まる役目じゃない!お母様を愛さなかった父のように『私』を愛していただくこともできるかもしれない》

 (……それは絶対にあり得ないわ。尽夜さんは結婚相手を誠実に愛そうとする。私なんか目に入らないくらいに……そういうお方なのよ……父とは違うわ……)

 

 しかしどんなに建前を述べようとも鏡の中の自分は本心に向き合わない自分を詰る。

 

 《じゃあ!貴女が本当に嫌なのは決まっているじゃない!》

 (…止めて)

 

 深雪は耳を塞ぎたかった。

 

 《『深雪』、貴女の本心は》

 (止めて!)

 

 鏡の中の自分から顔を背けたかった。

 

 《貴女が本当に嫌なのは》

 (止めて………!)

 

 だが深雪は激しく頭を振りながらも、鏡の前から動くことは出来なかった。

 

 《自分以外の女が尽夜さんの妻になること、自分が尽夜さん以外の男性の妻になること》

 

 彼女の心はもう制止する声すら発せない。

 

 《尽夜さんが自分以外の女を抱くこと、自分が尽夜さん以外の男性に抱かれること》

 

 鏡に映るのは怯えた目の自分、ずっと不安な己の本心。

 

 《尽夜さんの花嫁になれないこと、尽夜さんに抱いていただけないこと、尽夜さんに女として愛していただけないことよ!》

 「ああっ………!」

 

 悲嘆が唇から漏れ、身体が床へと崩れ落ちる。視界が鏡から離れ、呪縛が解ける。

 

 「だって仕方が無いじゃない」

 

 想いが声になって出たことによって、今まで抑え込まれていた感情が顔を出す。

 

 「私の意思ではどうにも出来なかったもの!三年前から尽夜さんが私を見る目も変わっておられないし、叔母様が決めることに私が逆らうなんて許されないもの!」

 

 この場に達也がいてもこの感情は晴れることはなかっただろう。それに兄は恐らく決裂と衝突に備えていることだろう。

 

 (相容れることも、私の想いも、もう叶わない…)

 

 溢れ出す彼女の感情は涙となって彼女の目から流れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

----------12月26日、FLT開発第三課

 

 冬休み初日、達也は朝からFLT開発第三課へ足を運んでいた。年末年始は本家に行く予定のため、研究や開発に十分な時間が取れない。よって現在は追い込みをかけている時期だった。

 

 『お邪魔して申し訳ございません、御曹司』

 「何でしょう?」

 

 インターホンから開発第三課の女性職員から呼びかけを受ける。一人で部屋に閉じこもっている彼にあえて声を掛けたからには、重要な要件なのだろうと考え、達也はキーボードから指を引き、インターホンに応答した。

 

 『はい。黒羽貢様とおっしゃる方が御曹司にご面会をご希望です。如何なさいますか?』

 「お目に掛かります。オフラインの応接室にお通ししてください」

 

 貢の目的が分からない以上、会って確かめる必要があると判断した達也は、貢をオンライン監視システムの備わっていない応接室へ案内するように指示した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 応接室に入った達也は、挨拶より先に鍵を掛けた。達也が応接室に姿を見せても貢は大した反応を見せなかった。反応らしいものといえば、落ち着かなさげに両手で弄っていたソフト帽を彼が座っているソファへ置いたことぐらいだ。

 

 「お久しぶりですね、黒羽さん」

 「ああ」

 「座っても?」

 

 貢が無言で頷き、達也がその正面に腰を下ろす。達也が貢の顔を正面から見つめた。二人の間には親子の年齢差があるが、達也の顔に気後れを窺わせるものは全く無い。その態度に貢が忌々しげに唇を歪め、今にも舌打ちが漏れそうな勢いだった。

 

 「ご用件を伺ってもよろしいでしょうか」

 

 聞き様によっては、ではなく、年長者に対して間違いなく失礼な口ぶりだが、貢は何とか自制をする。いきなり押し掛けたのは自分だ、と判断するぐらいの余裕はまだあった。

 

 「慶春会は欠席したまえ」

 「お断りします。ご当主様に出席を命じられたのは俺と深雪の二人なのですから。それに俺はともかく、次期当主候補の深雪がご当主様の招待を受けないのは問題が大きすぎると思いますが」

 

 達也は真夜のことを「叔母上」ではなく「ご当主様」と呼んだ。そこには、自分達が慶春会に出席することは四葉家当主の決定であり、貢が口を挿むのは筋違いだという反論が込められていた。

 貢の口から舌打ちが漏れる。一度素顔を見せてしまったからか、彼は苛立ちを取り繕う努力を放棄した。

 

 「そんなことは、どうでもいい」

 「どういうことで?」

 「元々次期当主は四葉家全体の認識で尽夜と確定している。深雪が例年のように今年も欠席しようと、どうということはない」

 「では、ご当主様にどのように説明なさるつもりですか?俺が正直に『黒羽さんがご当主様の意思に反して、自分達を慶春会に出席させたくないと言ってきたので辞退させていただきます』と申し上げてよろしいのでしたら、自分達は慶春会を欠席させていただきますが」

 

 達也のセリフに、貢の顔が青ざめた。今の理由では、まるで自分が反逆者のように聞こえてならなかったからだ。

 

 「真夜様への説明は私がする。それに最悪、慶春会に深雪が出席するのは構わない。最も我々が気にしているのは君の処遇なのだから」

 「自分の?」

 「後二、三年もすれば、調整体『桜シリーズ』の桜井の双子は、四葉のガーディアンとして十分な力をつける。そうすれば君はガーディアンとして用済みだ」

 

 達也は二ヶ月ほど前に本家で見かけた二人の女中の姿を思い出した。

 

 「心配ない。少なくとも魔法大学は卒業させてやろう。その後は『トーラス・シルバー』として四葉の活動資金獲得に貢献してもらう。国防軍の仕事もする必要はない。特務士官の地位からも解放してやろう。君の父親名義にしてあるFLTの持ち株を、君の名義に変えてやってもいい。FLTの最大株主だぞ」

 

 貢はらしくもなく、自分の言葉に酔っている風だった。彼の空約束を聞いていた達也が、うんざりした声で貢の言葉を遮る。

 

 「そんなものに興味はありませんし、今おっしゃったことは全て、黒羽さんの一存では決められないでしょう。そのような口約束をしては、反逆の意思ありと誤解されかねませんよ」

 「……いや、そんなつもりはない。」

 

 貢は自分の言葉を見返したのか、再び黙り込む。

 

 「黒羽さん、自分達の慶春会への出席を決めたのはご当主様、叔母上だ。俺や深雪の一存で欠席などできる訳がないのは、あなたも理解しているでしょう?」

 「それでもだ」

 

 貢は低く呟いた。

 

 「私は文弥と亜夜子を悲しませたくはない」

 「本気ですか」

 

 貢の呟いた言葉を受け、達也の目が鋭く細められた。

 

 「悲しませたくない、と言ったはずだ。私は何もしない」

 「日和見ということですか?」

 「私は中立だ。心情的には君の敵だが、子供たちの為に手は出さない」

 

 貢はいけしゃあしゃあと敵対を宣言。達也はそれを既知の事実と受け止めた。

 

 「何故そこまでして深雪から俺を遠ざけたいのか……理由を訊いても、答えていただけないでしょうね」

 「期限内に本家へたどり着けたら答えてやろう」

 

 貢は立ち上がり達也を見下ろしながら、別れの挨拶代わりにそう告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

--------12月26日、司波家

 

 冬休みの初日を宿題の処理に費やしていた深雪の元に予定外の客が訪れていた。現在達也はFLTに行っており、家にはいない。

 

 「深雪さん、お久し振り。お元気そうでなりよりだわ」

 「夕歌さんもお変わりなく。どうぞお掛けください」

 

 リビングの応接セットで深雪の正面に腰を下ろした客の名前は津久葉夕歌。四葉分家、津久葉家の長女であり、次期当主候補でもある。年齢は21歳。元第一高校の生徒会副会長で、現在は魔法大学三年生。肩に掛かる程度のストレートの黒髪を六:四分けのワンレングスにして、露わになった右耳にはピアスを光らせている。メイクもバッチリと決まった、大学生らしい垢抜けた女性。

 

 「お正月以来、約一年ぶりかしら」

 「ええ、そうですね」

 「同じ東京に住んでいるのに、案外顔を合わせる機会は無いものね」

 「東京も広いですから」

 「そうね。こういう時に、それを感じるわ。深雪さんは一高の一年生でしたね? 生徒会に入ってたんですって?」

 「ええ。よくご存じですね」

 「一応、母校ですからね。派手に活躍してるみたいじゃない」

 「今の段階で目立つのは、あまり好ましくないと分かってはいるのですが、手を抜くのは相手に失礼だと思うと、つい……夕歌さんはあと一年でご卒業でしたね?」

 「ええ。といっても、大学院に進むのだけど」

 「本家のお手伝いをされるのではなかったのですか?」

 「少しくらい箔をつけておけ、ということみたい。今更よねぇ」

 

 深雪と夕歌の会話は陰険な駆け引きが行われてる。それは深雪にとって、できるできないは別にして、好みには合わない。

 

 「それで夕歌さん。本日はどのようなご用件でしょうか?」

 「今年の慶春会だけど、本家までご一緒しない?」

 「……それは、東京から本家まで同行しないかというお誘いですか?」

 「そっ。私が車を出すから、乗っていって」

 「……理由を伺ってもよろしいでしょうか」

 

 深雪は心の中に湧き上がった警戒心を隠せなかった。それは、やむを得ない事かもしれない。血縁とはいえ、普段交流は無いし、次期当主の座を争うライバルでもある。

 

 「理由ねぇ。言わなきゃダメ?」

 

 上目遣いで甘えるような口調で有耶無耶にしようとする夕歌だったが、深雪の冷たい眼差しを受け、ふざけた態度を引っ込めて正直に理由を告げることにした。

 

 「分かったわ。理由は、私の護衛がいなくなっちゃったから」

 「いなくなった?夕歌さんにはガーディアンが」

 「いなくなっちゃったのよ。私の目の前で。死んじゃった、とも言うんだけどね」

 

 首を数回横に振った夕歌から告げられた言葉に、深雪は口を押え、自分の不明を恥じた。「いなくなった」という言葉が「殺された」事を意味していると理解するべきだったと考えて。夕歌は成人済みの、四葉の魔法師で、本家から危険な仕事を命じられることもある。夕歌の任務中に彼女のガーディアンが殉職する可能性は大いにある。

 

 「それは……御愁傷様です」

 

 そうお悔み申し上げてから丁寧な一礼をする深雪に、夕歌はもう一度首を左右に振る。

 

 「その表現は適当ではないわ。命を懸けて私を守るのが彼女の仕事であり、彼女はその責務を全うした。彼女はこれ以上、私の身代わりになることに怯える必要は無い。もしあの世が実在するなら、彼女はそこでホッと一息ついている事でしょう。もう、あの我儘娘の都合に振り回されないで済むと」

 「たとえガーディアンという役目を負っていたからとはいえ、ご自分を守って亡くなられた方に対して……冗談であっても不謹慎ではないでしょうか」

 「……深雪さんのガーディアンはお兄様ですものね。不快な思いをさせたのならごめんなさい。………貴女たちに同行を頼んだのは、達也さんに護衛を任せたいからよ」

 「ですが、お兄様に頼らずとも、夕歌さんには津久葉家がついているのでは?」

 「それはそうなんだけど、貴女のお兄様ほど腕の立つ方は中々ね……それに深雪さん達にとっても悪い話じゃないはずよ?本家までタクシーは論外だし、達也さんも二輪免許しか持っていないでしょう?」

 

 四葉本家は地図に載っていない場所にあるため、もしそうでなくとも一介のタクシーの運転手に本拠地を教えるわけにはいかないし、持っていく物も色々とあるので二輪車では無理だ。しかしこの場合、それは問題にはならなかった。

 

 「ですが、あらかじめ連絡をしておけば、駅に迎えが来てくれますよね?去年までそうしてましたし、今年もそうするつもりです。夕歌さんだって、去年まではそうしていたのではありませんか?」

 

 深雪は次期当主候補であり現当主の姪。駅まで迎えに来る程度の重要人物待遇は当然だった。

 

 「私はそれでも構わないんだけど。深雪さんは止めた方が良いんじゃないかな」

 「何故でしょう? 今までそれで不都合はありませんでしたが」

 「前回まではね。でも今回は止めた方が良いと思うわよ。理由は言えないけど」

 

 理由は言えない、ということは漠然とした懸念ではなく、夕歌には明確な根拠があるに違いなかった。

 

 「夕歌さん、貴女は何をご存じなのですか?」

 「それは言えない」

 「……何故、去年までと同じでは駄目なのですか?夕歌さんとご一緒することで、どんなメリットがあるのですか?」

 「それも言えない」

 

 じっと見詰める深雪の眼差しを、夕歌はとぼけた瞳で受け流す。

 

 「……そうですか」

 

 この場で折れたのは深雪の方だった。弱気になったのではなく、彼女には夕歌を白状させる手段が無いのだ。この場に達也がいれば、こんなところで折れる深雪ではないのだが、精神干渉系魔法の適正では、深雪よりも夕歌の方が遥かに高く、暗示を掛けて白状させる類のテクニックも、夕歌の方が上手なのだ。表面上は敵対していない以上、力尽くで情報を引き出す選択肢は採れないのだ。

 

 「お申し出の件は、兄に相談した上でご回答いたします」

 「そう?良いお返事を期待しているわ。お互いの為にね」

 

 夕歌がソファから立ち上がり、玄関で見送る深雪に「またね」とラフな挨拶を残して、司波家を後にしようとした時、ふと足を止めて振り返った。

 

 「……どうかされましたか?」

 

 深雪が振り返った理由を尋ねる。夕歌はそれを見て不敵に笑って答えた。

 

 「……言い忘れてたけど、譲らないから」

 

 何を、とは言わずとも深雪は察した。「譲らない」という言葉が適切かどうかは、今は関係のないことだ。それを夕歌の表情から察せるだけの勘はあった。それは自分も望んでいることだから……。

 夕歌は、深雪が表情を顰めたのを確認すると、司波家の玄関を跡にした。




 事情がありまして、夕歌も参戦(?)になります。

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