【旧約】狂気の産物   作:ピト

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第29話

----------12月29日、四葉本家

 

 「尽夜様、こちらにお目をお通しください」

 「そちらが終わりましたら、次はこちらを」

 「………」

 

 山々に囲まれた小さな盆地にひっそりと存在する小さな村。その村の中でも一際大きな平屋の屋敷、外装は伝統的な日本家屋でありながら内装は和と洋が混在したモダンな造りだ。その屋敷の奥の方にある当主の執務室で、尽夜は控える水波と千波から差し出される紙の書類を処理していた。一昔前の重要文書ほど紙、という時代が終わりを迎えようとしている現代でも相手によっては紙の文書というのはまだ珍しくはない。相手が高齢になればなるほどその傾向は顕著だ。

 それはさして問題ではなく、尽夜が当主の部屋で書類を捌いているのはどういうことなのか。しかしこれは真夜が当主を下りた、という過去形のものでは勿論決してない。分家当主や本家の使用人をはじめ、四葉の共通の認識として尽夜が次期当主を継ぐというのは暗黙の了解とされているが、まだ尽夜に当主のような権限はない。これはそれに向けての練習(?)という意味はあるが、一番の理由は真夜が現在、慶春会の際に着る衣装の最終チェックに行っているからだった。それに尽夜が処理していると言ってはいるが、彼がやっているのは一通り書類に目を通して重要度によって物を分けているだけである。

 

 

 

 

 

 

 書類の分別がやっと終わったと、丁度のタイミングで横から紅茶が差し度された。

 

 「……今日は水波か、いつもすまないな」

 「いえ、勿体無きお言葉です」

 

 尽夜が労いの言葉をかけると水波は恭しくお辞儀をした。水波と千波と暮らしはじめて約半年、未だに千波の左の目元にある極小さなホクロ以外で見分ける方法は見つかっていない。だがこの二人の性格はなんとなく掴めてきたと尽夜は思っている。彼女達はメイドという仕事にプライドや誇りを持っており、東京にいた時は尽夜の迷惑にならない程度に仕事を奪い合っていた。今も隙あらばお互いに出し抜こうとしていて、「今日は水波か」と尽夜が口に出したのはこういう意味もある。

 

 「「………」」

 

 紅茶に口を付けると、二人は尽夜を真剣な表情で見つめていた。

 差し出された紅茶は砂糖二つと尽夜の好みにあったものだ。それでも葉山には劣るが、あれを求めていては紅茶は飲めなくなる。だが、彼女達はそれを良しとしなかったらしい。紅茶を出す時は毎回意見を乞うてくる。

 

 「……美味い、けれども、まだ及んではいないな」

 

 美味い、とは言われたものの芳しくない感想に水波が肩を落とす。それでもすぐに表情を戻したのは、(ひとえ)に次回の事を考えているからだろう。尽夜は具体的な事を何も言わない。美味しいか美味しくなかったかを、葉山に及んでいるかいないかを、正直に答えるのみ。それに付いてくる追求を彼女達は楽しんでいるのだと、尽夜は二人の事をそのように考えていた。

 

 彼が二口、三口とカップに口を付けていく毎に、千波がソワソワし出した。それを察知した尽夜は、心の中で微笑み、飲むペースを少し上げる。

 紅茶を一人が差し出すと、もう一人はカップの中が無くなるとすぐに準備をするのが恒例だからだ。つまりいつも尽夜は二杯飲まされることになっていた。彼女達は直接口に出して強制は勿論しないが、もしそうしなければ、『精神』を視なければ分からない程度にシュン……となるのだ。メイドとして感情が表情に出ないのはいい事なのかもしれないが、それは分かってしまうと逆に罪悪感が増してくるような気がしてならない。

 

 

 

 しばらく経って、スッと差し出される二杯目の紅茶。カチャっと音を立てて持ち上げられたカップに、二人の目がまたも釘付けになる。

 

 「「………」」

 

 彼女達にはいつもの緊張が見てとれる。

 

 「……千波のも美味いが、水波と同じく葉山さんには届いていない」

 

 尽夜は、水波と千波を比べる評価は決してしない事にしていた。彼女たちに優劣を付けたくないのもあるが、むしろ彼女たちの中で優劣を競うのは、二人で葉山を超えることが出来てから、と勝手に思ったからだ。

 尽夜は、二人がいつかは葉山を超える事を密かに期待しつつ、いつものように紅茶を全て飲み切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

---------12月30日、津久葉家別荘

 

 29日のサイキックからの襲撃を受けて、本家への移動を1日遅らせた達也と深雪は本日も何者かの襲撃を受けた。そして偶然かどうかは分からないが、その場にやって来た夕歌の運転する車に乗り込み、八ヶ岳編笠山の麓にある津久葉家の別荘に今日は滞在することとなっていた。

 

 「先程はありがとうございました。それに本日、お泊めくださることも重ねて感謝致します」

 

 リビングルームのソファへと腰を下ろした深雪は、まず夕歌にお礼を述べた。

 

 「いいのよ。私が勝手にやったことなんだから」

 

 気にしていない、と夕歌が伝えた時に別荘の使用人が飲み物を持って、リビングルームに入って来た。

 全員一律に紅茶。それもティーポットで持ってくるのではなく、すでに三分の二ほど注がれた状態で、だ。

 紅茶を差し出し、シュガーポットとミルクポットを置いた使用人はそそくさとリビングルームを跡にした。

 それを夕歌が苦々しい表情で見ていた。

 

 「……人には礼儀作法礼儀作法とうるさいくせに、気配りができないったら」

 

 ボソッと呟いて、達也と深雪に申し訳なさそうな顔を見せる。

 

 「ごめんなさい。ウチは一家全員紅茶派だから、コーヒーも緑茶も置いてないのよ」

 「いえ、お気遣いなく」

 

 深雪が愛想笑いの微笑みを浮かべてカップに手を伸ばす。

 

 「ありがとう………話を変えましょうか。深雪さん、私に聞きたいことがあるんじゃないかしら?」

 

 居住まいを正して夕歌は深雪に問いかけた。深雪もそれを合わせて背筋を伸ばす。

 

 「ええ、いくつかお訊ねしたいことがあります」

 「……本心を聞かせろ、とは言わないのね」

 

 この場におちゃらけた雰囲気はなく、二人の女性の目には鋭い光が宿っていた。

 

 「それは意味のない要求だと思っておりますので」

 「全く無駄ということでもないわ。話せる範囲なら本心を打ち明けてあげる」

 「そうですか、ではお言葉に甘えて……まずなぜ今日は、ああも都合よく私達の元に駆けつけてくださることができたのですか?」

 「裏で結託なんてしてないわよ。それは信じて」

 「いえ、そのようなことは。ただ理由を教えていただきたいのです」

 「……実は、深雪さんたちが乗っていた車をこっそりつけてたの」

 

 深雪が達也の顔を窺う。彼は小さく、首を左右に振った。その動作を見留めた夕歌は何か言いたげにしていたが、言葉にするのは深雪の方が早かった。

 

 「そうでしたか、何故そこまでして私達にご助力くださるのでしょう?」

 

 夕歌の説明をまるで信じていない口調で、深雪は質問を変えた。

 

 「……分かった。正直に話すわ」

 

 鋭く冷たい深雪の目線。それに観念したような形で夕歌は一息吐いた。

 

 「もう知っているかもしれないけど、真夜様は、今度の慶春会で尽夜さんを次期当主に指名なさるわ」

 「……それが今回、どうして私達の妨害に繋がるのでしょうか?」

 「一部の分家の人達にとっては、達也さんが近年の中で重要性の最も高い慶春会に出席するのが気に入らないのよ」

 「……おっしゃられている意味が分かりません。何故、お兄様が出席するだけで襲撃を受けるほどのことなのですか?」

 

 夕歌は一瞬達也をチラリと窺うが、彼から制止の声は掛からなかった。

 

 「一部の分家の方達は、達也さんを深雪さんから引き剥がしたいのよ。いえ、四葉の中枢から引き離し、飼い殺しの状態にすることで世界から切り離そうとしている」

 

 深雪は深呼吸を繰り返す。血が頭に上っていたが、五度六度と深呼吸を繰り返す内に冷静さを取り戻してきた。

 

 「……世間から、ではなく世界から、ですか?」

 「ええ、私の推測も混じってはいるけど、間違ってはいないはずよ。何故かは分からないけれど、一部の分家は達也さんを、いないはずの魔法師にしたがっている」

 「……昨日と今日の襲撃が、今の話と噛み合っていない気がするのですが?」

 「言ったでしょう?あの人たちは達也さんを四葉の中枢に置きたくないのよ。だから慶春会に深雪さんだけでなく、達也さんも『招待』されたこと自体、許しがたいことらしいわ」

 

 四葉の正月に行われる慶春会は一族の殆どが集まる席である。それは非常に厳格な式であり、それに並び順や催しはそれぞれ全てに意味がある。そのため慶春会に、出席を許されない者もいた。深雪たちの実父が良い例である。

 また、真夜から直々に『招待状』を受けることは、たとえ分家の当主であったとしても早々あるものでもなく、それは何かその招待者にまつわることがある時に他ならない。

 

 「招待された理由が一部の分家にとって良い事でも悪い事でも関係ないのでしょうね。彼等は、自分達にとって悪い事の可能性が少しでもあるのなら妨害しておいて損は無いと思っている」

 「……なら、私達が間に合うことができれば何か良い風向きになると?」

 「あくまで可能性の話だけれどね。悪い風向きになることも十分あり得るわ」

 「……何故、夕歌さんはここまでしてくださるのですか?」

 

 この質問に夕歌の顔はより真剣なものになる。

 

 「私がそもそも次期当主候補に残っているのは、尽夜さんが当主を引き継いでからも津久葉家の発言力を確保する為。今回もその延長線上に過ぎないわ」

 「……と言いますと?」

 「まあ、率直に言えば、尽夜さんと真夜様のご機嫌取りね。津久葉家は、お二人の貴女達に対する意向を好意的と捉えているから」

 「……夕歌さんご自身はどうなのですか?」

 「私?」

 

 深雪は、夕歌が津久葉家の考えを他人事のように話しているのが気になった。

 それに対して夕歌は、深雪の問いを聞き返した。キョトンとした表情をしているのは、その質問が意外だったようだ。

 

 「……この間のことがあっても疑問を持つのかしら?」

 

 深雪は、ハッとなってから気不味そうに俯いた。彼女の隣に腰掛けている達也は、夕歌との会話に若干の遅れを感じ取る。

 

 「この間、とは?」

 

 深雪の沈んだ表情に、達也は質問せずにはいられなかった。

 

 「そういえば、達也さんはあの時、いなかったわね。……深雪さんからは聞いていないの?」

 

 夕歌の視線は達也に向けられる事はない。

 

 「尽夜さんの婚約者よ……真夜様はこれまで、意図的に尽夜さんの婚約者話を避けていた節がある。だけれども、今回の慶春会で次期当主指名となるからには、絶対になにかしらその話には触れなくちゃいけない」

 

 彼女の視線は紅茶へと落ちて行く。その目は悲しそうに、哀れなものを見ているかのように霞んでいる。

 尽夜には今まで婚約者がいた事はなかった。数年前に存在を公表されてからというもの、他の十師族などからその手の話が無かった訳でもないが、四葉家はそれを頑なに無視の姿勢を貫いていた。

 

 「先日は『譲らない』とか啖呵を切ったけれど、適切ではなかったわね……全ては真夜様がお決めになることだし、私達はそれを受け入れるしかないのだから……」

 

 紅茶を見つめている夕歌の堅い顔には、自分でも気付かないような苦笑いが浮かんでいる。そして、夕歌からは、それ以上何も語られる事はなくただ沈黙が場を支配していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 達也たちは夕食を振る舞われたあと、それぞれの個室の客間へと案内された。

 達也は旅行バッグを前にしながら、明日の服装、ではなく明日の装備をどうするか迷っていた。

 すると暫くしてから、扉をノックする音がした。

 

 「どなたですか?」

 「深雪です」

 

 扉の向こうからの返答に、達也はゆっくりと扉を開き、深雪を招き入れた。

 

 「どうしたんだ?」

 「……少し、お話ししたいと存じまして」

 

 心無しか、深雪の声は心細そうに力が無かった。

 

 「……分かった」

 

 達也は、この状況での話題を察せない程愚かでは無い。十中八九慶春会にまつわることである、と当たりを付けた。

 

 「それで?何か訊きたいことでもあるのか?」

 

 深雪をベッドに腰掛けるように促した後に、達也はすぐに水を向けた。

 

 「お兄様は、分家の方々の思惑はご存知だったのではないですか?」

 「知っていた」

 

 深雪の問に、達也は即答した。この質問は、彼にとって予想の範囲以内だったからである。だから、彼は次に深雪が質問を考えている間に回答を補足した。

 

 「冬休みの初日、丁度、夕歌さんが深雪を訪ねて来た日に、黒羽さんがFLTに訪ねて来た。その時に聞かされたよ。夕歌さんがさっき語ってくれたこととほとんど同じだった」

 「黒羽の伯父様が……?では」

 「いや、それは違う。今回、黒羽家は中立だと言っていた。それは信じていいと思う。当然、文弥も亜夜子も敵にはならない」

 

 深雪の懸念を察した達也は、先回りして否定する。深雪は安堵の表情になり、ホッと息をついた。しかし、次には厳しい眼差しを達也に向けていた。

 

 「お兄様、何故私にお話しくださらなかったのですか?」

 「妨害は退ければいい。俺達は元旦の集まりに出席すれば良いのであって、裏で誰が糸を引いているかは些事だ。それに、お前に余計な心配をさせたくなかった」

 

 達也としては、妨害はただ蹴散らせば良いと思っており、わざわざ深雪に話すことでもなかったのだ。

 

 「……私は、お兄様を心配する事も許されないのですか?確かに、お話しくださったところで、私にできることはないかもしれません。ですが、妹として、たった一人の家族であるお兄様を心配させてくれても良いではありませんか!そこに『余計』などということはありません!」

 

 キュッと胸の前で両手を握り締め、今にも泣き出しそうな顔を俯かせる深雪に、達也は困惑する。

 

 「……深雪」

 

 達也は、彼女の名前を呼んで、近づき、そして彼女の肩に手を置いた。

 

 「ありがとう。それと、事前に言わなくてすまなかった」

 

 達也は申し訳なさそうに感謝と謝罪の言葉を述べた。しかし、深雪の顔が晴れることはない。

 

 「深雪、顔をお上げ」

 

 深雪は、達也の言葉に従い面を上げる。達也の表情は非常に真剣なものであった。

 

 「今回の慶春会は、俺達にとって岐路となるだろう。だがお前が俺の事で気に病むことは無い」

 

 達也の言うことは、深雪に理解できなかった。

 

 「……どういうことですか?」

 

 もう、今日何度目かも分からないくらいに疑問の言葉が深雪の口から発せられた。

 

 「俺はいつまでもお前と共にいる。その条件が、四葉の犬として一生を過ごす事になろうと、俺はそれを受け入れる」

 「えっ?」

 

 達也から言われたのは、深雪の予想だにしないことだった。

 

 「四葉家は、おそらく深雪を手放すことはしたくない。だから深雪の四葉家内での地位を確約させる代わりに、俺を縛ろうとするだろう」

 「っ!そんなっ!お兄様!それでは分家の方々の思惑通りになってしまいます!」

 

 深雪が悲痛な表情を浮かべる。だが、達也は対照的にニッコリとした面持ちでいた。

 

 「深雪、お前の気持ちは知っている。尽夜を一人の男として慕っているのだろう?ならお前は、四葉家に仕えなければならない……なに、先程も言ったが、俺のことは気にしなくて良い。上手くやるさ」

 「お兄様……」

 

 深雪は思わず達也へ抱きついた。彼女の目尻には涙。その涙は兄に対しての感謝と共に、それ以上の罪悪感が故のものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-----------12月30日、四葉本家、真夜書斎

 

 四葉家現当主、四葉真夜は、深雪が二日続けて妨害を受けて今は津久葉家の別荘に滞在しているという報告を、葉山執事から受けて思わず笑みを漏らした。

 

 「何という無駄な事を」

 「分家の方々は達也殿の力を過小評価しておいでのようですな」

 

 嘲笑するのではなく、むしろ優しげに呟く真夜。それを受けた葉山が、丁寧な口調で辛辣な評価を下した。

 

 「この村の『結界』では達也さんの『分解』を防ぎきれないのだから、本当に間に合わないとなれば空を飛んでくるだけなのだけど。もしそうなったら一大事よ。侵入の際に『分解』された結界の再構築が完了するまで、認識阻害の魔法を使える皆さんは不眠不休の過重労働。再構築だって只じゃないのだし。その責任は私の命令を妨げようとした分家の皆様のもの、ということになるのが分かっておいでなのかしら?」

 

 真夜が艶めかしくため息を吐き、困ったものねという顔で、ティーカップを傾けた。

 

 「分家当主の皆様にはある程度の情報を渡しているはずだけど」

 「はい、間違いなく」

 

 眼差しで問われた葉山執事は、そう答えながら恭しい態度で、真夜のカップにノンカフェインのハーブティーを注いだ。

 

 

 ところで四葉家では葉山の事も花菱のことも青木の事も小原の事も等しく『執事(バトラー)』と呼んでいるが、実態は各業務における使用人を監督する立場にある八人を指す言葉であり、主のプライベートな用向きを果たす執事に該当するのは葉山だけである。今も私的な夜のお茶の時間だからこそ、こうした本音も気軽に出てくるのだ。

 いくら真夜でも、葉山以外の使用人にこんな愚痴はこぼせない。逆に言えば、分家の当主全員を十把一絡げに、いや、四葉という組織それ自体を憐み、さげすんでいるこの姿こそが、真夜の本性だった。葉山はそれを目の当たりにしながら、まったく態度を変えない。そうすることで、主の心が不平不満に搦め捕られないように配慮しているのだ。

 

 「しかしながら、全くの無駄というわけでもございません。花菱の報告によれば、対大亜連合強硬派残党、対大亜連合宥和派・反十師族グループの戦力を大きく削り取る事に成功したとの事。特に松本の人造サイキックについてはほぼ壊滅状態に追い込めた、との事にございます。今後、この四葉家の庭先をあのような者たちが跋扈(ばっこ)することは無くなったと申せましょう」

 「人造サイキックの事など、最初から気にしてないわ。とにかくこれで、年末の大掃除はお仕舞?」

 

 真夜が素っ気なく鼻で笑ったが、あっさりしている分その声には先ほどまでの甘やかな毒が感じられなかった。その真夜の問いかけに、葉山がかすかな笑みを浮かべて頷いた。

 

 「多少段取りは変わりましたが、必要人員はかえって少なく済んだ、と花菱が申しておりました」

 「それはそうでしょう。釣り出すのに手間が掛かっているとはいえ、荒事の部分は実質的に達也さんが一人で片づけたようなものですからね。まあ良いわ。葉山さん、お正月の準備は整っていて?」

 「はい。後は深雪様と達也殿のお見えを待つばかりでございます」

 「ならば心配いらないわね」

 「奥様、新発田様をお止めしなくて、本当によろしいのですか?」

 

 葉山が僅かな躊躇いを浮かべて口を開いた。彼は新発田勝成と彼のガーディアンで深雪を足止めするという、新発田家当主の計画を知っていた。無論、真夜も。

 

 「いくら勝成さんでも、達也さんを止めることなどできないわ」

 

 新発田勝成は間違いなく、四葉家が現在抱える戦闘魔法師の中でもトップクラスの実力の持ち主だが、真夜は達也が勝成に後れを取る可能性をゼロだと見積もっている。

 真夜はこの時、達也が勝成を下す姿を幻視していた。

 

 「……ところで、尽夜さんは今どこにいるの?」

 

 真夜が、ふと話題を変える。

 

 「奥の食堂にて、私以外の執事(バトラー)七人を集めてお話ししております」

 「そう……葉山さんは呼ばれなかったのかしら?」

 「私は必要ないようにございます。なんでも、事前に言わずとも良いそうですので。それより奥様のお傍にいるように仰せつかまっております」

 「……尽夜さんに信頼されてるのね」

 

 真夜は口を少し窄めて、拗ねるように言った。

 

 「光栄にございます。しかし、私を呼ばなかったのは、むしろご自分が奥様の隣にいられない時に信頼できる者を置いておく、奥様を心配した配慮の方が大きいように思われます」

 

 先代の元造の頃から仕える葉山は、幼少期から真夜を見てきており、そんな彼には彼女の機嫌を取るのはお手の物だった。実際、真夜の表情は、拗ねたものから嬉しそうなものに変わっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

------------12月31日、四葉本家

 

 新発田勝成の足止めを退けた達也たちが、四葉本家に着いたのは午後三時を過ぎた時だった。出迎えた使用人に、夕歌は津久葉家がいつも使っている離れへ案内され、達也と深雪は母屋の和風の客間へ通された。

 

 『失礼します』

 

 客間で大人しくしていると、襖から声が掛かり、長袖の黒ワンピースに白いエプロンを着た一人のメイドが入って来た。そして畳に額がつくまで深々とお辞儀をしたあと、顔を上げて口を開いた。

 

 「達也様、深雪様」

 

 本来、ガーディアンである達也を『様』付けなどしない。ましてや深雪よりも前に呼ぶことに達也は怪訝に思った。母屋に通された時の使用人からの扱いも、深雪の兄としての待遇であったのだ。

 

 「桜井……水波だったか?」

 

 深夜の元ガーディアンであった穂波に瓜二つのメイドは、『灼熱のハロウィン』後に本家を訪れた際に会った双子の一人だった。達也は、双子の違いを見抜けない為、まず姉の名前を口にした。

 

 「いえ、妹の千波でございます。姉の水波は、現在、尽夜様のお傍におります」

 

 千波は、間違えられたことを少しも気に留めることなく、恭しく答えた。

 

 「白川夫人よりご伝言を預かっております」

 

 白川夫人というのは、この四葉本家の家政婦を統括する女性の事で、分かりやすい言葉を使えば『メイド長』に当たる。なお、夫人の配偶者は、四葉家序列第六位の執事であり、使用人統括において筆頭執事の葉山を補佐している。

 

 「達也様と深雪様は七時になりましたら奥の食堂へお越しください。奥様がお待ちです」

 

 千波が抑揚のない口調で告げ、

 

 「とのことです」

 

 と結んだ。伝言、ということから使用人統括をしている白川夫人が、達也を『様』付けで呼んでいる。

 達也と深雪が互いに顔を見合わせた。彼らの記憶の限りでは、達也が『様』付けで呼ばれたことなど無い。

 やはり何か、この四葉本家で変化が起こっている。それも達也に関することだ。兄妹からして悪いことではなさそうではあるが、これは得体の知れない不気味さを纏っていた。

 

 「奥の食堂? 叔母様がお待ちになっている? 本当にそう仰ったの?」

 

 しかし、深雪の着眼点は違っていた。この場合、深雪の方が正しくはある。

 

 「はい」

 「……事前に話があるのだろうな」

 

 達也は急いで真夜の意図に思いを巡らせた。奥の食堂というのは、真夜が私的な会食を開く場所だ。彼女のプライベートなダイニングルームではなく、特に重要な客を招く場所、あるいは食事をしながらきわめて秘密性の高い会議を開く場所。このタイミングで深雪を『奥の食堂』に招く理由としては、明日の件に関係することしか考えられない。

 

 「文弥と亜夜子は既に到着しているのだろう?夕歌さんと勝成さんも招かれているんじゃないか?」

 「文弥様と亜夜子様は昨日よりご滞在になっているそうです。夕歌様と勝成様については存じません」

 「そうか」

 「お兄様、事前のお話しというのは、もしかして明日の……」

 「ああ。恐らく、次期当主候補を集めてあらかじめ明日の話をしておくのだろう。尽夜が次期当主に指名されるのは確定しているのだろうが、形だけでも言い含めておく必要を叔母上は感じているのだろうな」

 

 達也は、推測を口にする。だが、それより達也が気になったのはやはり別の所だった。

 

 「ところで、その会食には俺も呼ばれているのか?」

 

 白川夫人から預かった伝言には、達也と深雪の二人とも奥の食堂へくるようにという指示が含まれていた。達也はこの屋敷で、深雪以外の誰かと一緒に食事したことが無く、過去食堂に呼ばれたことも無かった。

 

 「はい。達也様も深雪様とご一緒に御出願います」

 「……分かった」

 「御用がお有りの際は、そちらの呼び鈴をお使いください。すぐに参ります」

 

 千波はこれで用が終わったとばかりに立ち上がったが、達也が彼女を呼び止めた。

 

 「千波」

 「はい」

 「黒羽殿のご都合を伺ってきてほしい。出来ればすぐに、二人だけでお目に掛かりたいと伝えてくれ」

 「畏まりました」

 

 今度こそ千波が襖の向こうへ姿を消す。それを見送って、深雪が兄へ訝しげな目を向ける。

 

 「お兄様、黒羽の叔父様にどのようなご用事なのでしょうか?」

 「大したことじゃないよ。聞きたいことがあるだけだ」

 「それは、今回の私たちが妨害を受けたことに関わるものですか」

 「多分ね。それを含めて確かめに行くんだ」

 「何故二人だけなのです?」

 「その方が良いと思うからだ。直感でしかないが」

 

 深雪が瞳に躊躇を浮かべ目を逸らし問いかけると、達也も確信が無いようで、瞳には迷いが見えた。

 

 「私がご一緒してはいけないのでしょうか…?」

 「おそらく黒羽さんは、深雪の前では本当の事を話してくれないだろう」

 「お兄様お一人ならお話しくださると?」

 「あの人に信頼されているという意味では無いぞ。どんなに酷い言葉も、聞くに堪えない醜聞(しゅうぶん)も、(いと)わしい俺ならぶつけられるということだ」

 

 深雪は、達也の言葉に再度口を開きかけたが、結局口を閉ざし俯いた。

 

 「……分かりました。黒羽の叔父様とのお話し合いは、お兄様にお任せします。その代わり、お兄様がお差支えにないと判断なさる範囲で結構ですから、聞き出した内容を私にも教えてください」

 「分かった。ただし、明日の慶春会が終わってからだ。今はお前の心を煩わせたくない」

 「……はい」

 『達也様、よろしいでしょうか』

 「ああ、入ってくれ」

 

 二人の会話を聞いていたわけではないだろうが、兄妹の間で話が付いたタイミングで、襖の向こうから千波が声を掛ける。

 

 「黒羽様が、今からお会いになるとおっしゃっています。場所はあちら様の離れです」

 「分かった。お招きに応じよう」

 「では、私がご案内いたします」

 

 千波が立ち上がる。達也も、心配そうに見つめる深雪に「大丈夫」と声を掛けて、それに続いた。




明日も投稿します

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