【旧約】狂気の産物   作:ピト

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34話 『真夜』は、四葉真夜か、それとも真夜なのか…

 「それからしばらくして、女医の持ってきた資料を何度も何度も確認したわ。葉山さんと一緒に、それはもう紙に穴が空いてしまうのではないか、というぐらいにね。…ふふふ、その時の葉山さん程、らしくない姿を見ることができたのは後にも先にもその日だけね」

 

 真夜は微笑んでから、後ろへチラリと視線を向けた。その視線の先の葉山は、少し居心地が悪そうに苦笑いを浮かべ、軽く一礼をもって応えた。

 

 「叔母上、口を挟ませていただいてもよろしいでしょうか?」

 

 場の空気が少し弛緩したのを感じ取った達也は、すかさず口を挟んだ。

 

 「いいですよ」

 

 真夜は元々休憩を入れるつもりであったのか、自身の紅茶へと手を伸ばし、さしたる気分を害することもなく了承した。

 

 「ありがとうございます。…して、どういった原因で叔母上の子宮がご回復なされたのでしょうか?」

 

 達也が出したこの問いに、真夜はキョトンと意外そうな表情を見せた後、口角を吊り上げてわざとらしく首をかしげる仕草を取った。

 

 「あら、達也さんなら既にご見当がついているのではなくて?」

 

 さも当然だろう、と言うが如くに発せられた言いように、達也は怪訝な面持ちを作った。

 

 「…まあ、達也さんのおっしゃりたいことは分かるわよ。私には精神干渉系の魔法に適性が無かったはずだ、とおっしゃりたいんでしょう?でもね、達也さん。一般の魔法素質を持たない女性が、想像妊娠して、自分のお腹にあたかもちゃんと子供がいるかのように変化を起こすことがあるのよ?その女性の思い込み、…いえ、『精神』とここでは言いましょう。彼女の精神が本来あり得るはずのない事象を彼女の身に起こした。そして、そのより高度な事象が私に、私の身に起こった。ただ、それだけのことよ。加えて、私達四葉家は『精神』について、その理を解き明かそうとしてきた一族。特に本家筋では、世間ではあまり固定的な遺伝はないと言われてはいるけれど、代々強力な精神干渉系魔法の担い手が多かった。お父様然り、お母様然り、叔父様然り。更に言えば、尽夜さんが生まれる前までは歴代最高の精神干渉系魔法師の姉さん。そんな姉さんを双子の姉に持つこの妹の私が、一卵性双生児という極めて遺伝子が同じな双子の私達が、本当にスッパリと魔法技能が分けられて、一切の精神干渉系魔法の適性が私に無いと言い切れるのかしら?」

 

 達也は黙るしか無かった。本音を言えば、あり得ない、と口にするだろうが、現に尽夜がいるのだからあり得ないとは言い切れない。いや、確実にあり得たのである。

 達也の調子を見た真夜は不敵な笑みを浮かべて、再び口を開いた。

 

 「でも、本当に私がこの時に精神干渉系魔法を使えたのだとしても、これ以降一度もそんなことは無かったわ。むしろ、もうこりごりよ。言葉の上では分からないでしょうけど、本当に私は地獄という表現が甘く感じられる程の苦痛を味わったの。尽夜さんという希望が無ければ、とっくにこの世から去っていたわ」

 

 こりごり、という言葉を口にしながらも真夜の顔は艶美で、酔っているが如く頬が少し紅らんでいた。そんな自分を自覚してか、真夜は落ち着くように再度カップを手に取り、紅茶を口に含んだ。

 

 「話を戻しましょう。私の子宮回復が判明した後は、葉山さんや紅林さん、件の女医、その他彼らの腹心数名の協力の元で、私は1ヶ月半後に尽夜さんを授かったわ。英作叔父様には、しばらくして落ち着いた頃に御報告しました。同時に、皆さんを驚かせたいから姉さん以外には内緒にして欲しい、というお願いも兼ねてね。叔父様は初めこそ困惑した御様子でいらしたけれど、落ち着きを取り戻してからは私を祝してくださって、お願い事も快く許可下さったのよ。それから叔父様は、ご自身の書斎と同じぐらい他に誰も近寄らないこの本家の最奥に位置する部屋を与えてくださった。認識阻害と対物対波動の結界が四葉家の最高レベルで構築された部屋だったわ。それも外から内の干渉も、内から外の干渉も防ぐように。……それから少し事件があったのは安定期に入って来た頃、…そう、丁度達也さんが生まれた日。…尽夜さんの魔法が暴走したのよ。まだ産まれてもいない胎児の状態にも関わらず、尽夜さんは人の身にあり余るほどの魔法素質を有していたの。その時に部屋にいたのが私を除いて使用人が3人いたのだけれど、一番近くにいた1人は魔法演算領域が重度のオーバーヒートを起こして帰らぬ人となった。別の2人も死んでこそいないのだけれど、同じく演算領域に致命的な損傷を受けて、魔法師としての生命は絶たれてしまった。尽夜さんをこの身に宿していた私がどうなったかというと、拍子抜けみたいだけど、何も起こることはなかったわ。むしろ、その暴走は私が引き起こしたと感じるぐらい、一切の影響を受けなかったのよ。不思議よね。…そして尽夜さんが暴走している中で、私はおかしなことに慌てもせず、尽夜さんに心の中で落ち着くように願った。すると、溢れ出ていた想子干渉波はピタリと止んだのよ。まるで私の意思に呼応しているかのようだったわ。その後も何度か暴走することはあったけれど、最初と比べると、比べ物にならないくらいの弱さ、それに私もなんとなく原因は理解していたから、心はなるべく平穏に保っていたのも功を奏したのね。まあ、それでも後4人の使用人が被害に遭ってしまったのは申し訳なかったと思うわ。それに正直、最初の暴走時は一族全員が出払って姉さんのところにいたのも運が良かった。部屋に構築された結界は言わずもがな破壊されていたから、他にどんな被害があったかは分からないし…。ああ、被害に遭ってしまった使用人の人達には、償いになるかは分からないけれど、叔父様に頼んで自由を与えたのよ。別の場所で幸せな家庭を築いている人もいるし、まだこの本家で使用人を続けてくれている人もいるわ」

 

 真夜は、「ふぅ…」と息を吐き、俯いて、少しの間沈黙を作った。

 そして、その沈黙が真夜によって再び破られる直前、顔を上げた真夜の表情は妖気を漂わせて歪んでいた。先程とは別世界にいるのではないかと錯覚する程、ガラリと雰囲気が変わった。

 

 「後々、姉さんが私達を視て分ったことは、私と尽夜の間には、津久葉家の冬歌さんの『誓約』とは全く別の繋がりがあるらしかった。その強度は『誓約』とは比較にならない程。姉さんはこれを『鎖』と呼んだわ。そして、その『鎖』が、本当なら耐え切れない程の魔法素質を持った尽夜を人の器として支えているのだとも言っていたわ」

 

 達也は、事の片鱗が見えた気がした。

 達也がそう思うと同時に、真夜はスッと立ち上がり、隣の尽夜の方へ向かって歩を進めた。怪しげな雰囲気を伴ったまま、右手で尽夜の首筋を撫でながら、尽夜の背後から回って、流れるような仕草で尽夜の膝の上に腰を下ろした。そして、尽夜の右の胸板に頭を預け、右手で尽夜の左手を取って、まるで恋人同士が睦み合うように指を絡めてニギニギと感触を楽しみ始めた。達也は目の前で行われている寸劇に困惑するも、役の当事者である尽夜は、真夜の行動を慈しんでこれに応えていた。

 そのままの体勢で話が再開された時には、達也はもう気にしないようにした。

 

 「尽夜が産まれた時、私は歓喜に満ち溢れた。もうすぐ、もうすぐ私の望むことがなされてくれる。12歳で止まった私の時計が再び動き出して、逆のカウントダウンを始めた。尽夜が成長し、その器が扱えるようになった時、私の悲願が叶う。その事で胸がいっぱいだった」

 

 そう語っている真夜の目は爛々と輝いていた。しかも、今度はその瞳をウットリとさせ、恋い焦がれた女性の顔付きで尽夜を下から見つめ上げ、呼吸を荒くし、尽夜の左手から手を離して、その手を尽夜の左頬に添えた。

 もう既に真夜は、今この場に達也がいる事など忘れてしまったのかもしれない。それほど、狂気に駆られた姿だった。

 

 「ああ!なんて素晴らしいのでしょう!世界が尽夜に屈服する!一人の少女を穢し、嘲笑い、踏み躙るこの理不尽な世界に、その少女の息子によって罰が下される!尽夜は私、私は尽夜なの!もうこの世界は終焉を迎えたの!」

 

 この言葉を発した後、真夜はギュっ!とそのままの体勢で尽夜に抱き着いた。尽夜は少し驚いた顔を見せたが、すぐに両腕を真夜の背に伸ばして、その華奢な体を力強く抱き寄せた。尽夜は真夜の力が抜けたのを感じた後、落ち着けるように彼女の背中を数回優しく叩き、腕を離した。

 達也が次に真夜の顔を窺えた時、先程の一幕が嘘のように暗く沈んだ表情をしていた。哀愁の帯びた雰囲気を身に纏い、脱力し切った体を尽夜にただ預けていた。

 

 「……でも、尽夜を初めてこの腕に抱いた時、そんな考えが鳴りを潜めて、新しい感情が芽吹いてしまった。私を復讐者たらしめているものが、内側から壊されていく感じだった。…たまらなく愛おしかった。私の腕の中にスッポリと納まって、心の底から私を信頼し切った顔でスヤスヤと安らかに眠る尽夜は、たまらなく愛おしかった。同時に、私が尽夜に押し付けているものを遅蒔きながら理解したの…。傲慢で、浅はかで、穢れたこの私が、こんなに愛おしい尽夜に何を望んでいたか…」

 

 目に涙を溜めて、鼻を啜る真夜。先程から見事な百面相を披露している彼女に、その場の空気故に、達也は場違いな事など思うことはなく、話の核を理解しようと頭をフルに回転させていた。

 

 「…尽夜は、一歳になる頃には自意識が既にありました。三歳になって、ある日のこと、尽夜は私に『母様、お願い言って』と言ったの。…頭が真っ白になったわ。あの事件を、私の本当の姿を教えたことなんてなかったのに、尽夜は知ってたのよ。…尽夜は『鎖』の影響で私の経験を知っていたのよ。一歳で自意識が有ったのも、三歳で完璧に言語を操れたのも、自分の使命が復讐であるとしてるのも、私の経験を追体験していたから。あの事件すら、この子は経験したの。私は堪えられなくて、私の一言で復讐者と化する尽夜を強く抱き寄せて、何度も謝ったわ。…でも、尽夜はその度に『お願い、して?』と言うのよ。それが何度も繰り返されて、もう何もできない私は『お願い、生きて』と懇願した。…私にできるのはこれしか無かった。尽夜は不満そうにしながらも、一つだけ条件を出して頷いてくれたわ」

 

 ──条件?

 達也は次の言葉を待つが、真夜は別の事を口にした。

 

 「叔父様が達也さんを鍛え上げたのは、尽夜がどうしてこの世に生まれたかを分かっていたから。姉さんが私を想って達也さんを産んだのが叔父様にとって僥倖となった。私という『鎖』がない、何も制約を受けない達也さんが、尽夜に対する唯一の物理的な対抗ができる存在だった。でも叔父様は安心しなかった。…私が必ず尽夜より早く寿命を迎えるから」

 

 達也は全体が見えたように思った。

 すかさず自分の見解を真夜に述べた。

 

 「前当主は、『鎖』を深雪に置き換えようとしたのですか?」

 

 真夜は達也が声を出したのを、目を見開いて、驚いていた。

 

 「…え、…ええ、そうよ…?」

 

 語尾が疑問系になっていたのは、本当に達也のことを忘れていたからだろうか。

 そして、すぐに僅かに咳払いをして、尽夜の膝の上から降り、元の自分の席へ戻った。

 だが、羞恥に顔を赤くする真夜はなかなか話を再開させることができず、代わりに尽夜が紡いで話し始めた。

 

 「前当主は、達也と深雪をもってして俺を止めようとした。分家の方々はこの点を勘違いしている。俺は四葉の守護者ではない。一人の復讐者。母上の化身であり、代行者。四葉家など本当にどうでもいい存在だった。母上が蔑んだ世界なんて滅びたらいいと今でも思ってる。だが、母上はそれを望まなかった。だから俺はそれに従う。母上の為に四葉家を守っているに過ぎない」

 

 尽夜は表情を変えることなく、淡々と喋る。

 

 「達也の人造魔法師計画のほとんどを担当したのは知っての通り、俺だった。その計画の本当の目的は、その時既に亡くなられていた前当主が、達也が肝心な時に俺に対して情をかけないようにする事を真の目的として行おうとした。母上が了承したから従った。本当は感情を全て取り除いて消してしまう方が良かったけれど、施術中に伯母上が割り込んで達也には一つの感情、兄妹愛が他の感情よりも強く残った。伯母上はそれが自分の寿命を削る事を知ってたにも関わらず、迷いなく俺に対抗して見事一部を勝ち得た」

 「…姉さんは、後遺症が有っても貴方を愛そうとしたわ。結局は無理だったようだけれど。姉さんのことは分かってあげてちょうだい」

 

 やっと平静を取り戻した真夜は、尽夜の話を受け継いだ。

 

 「深雪を完璧な女性に仕立て上げ、尽夜さんを内側から無力化する。達也さんを世界最強の戦士に鍛え上げ、深雪さんを筆頭とした女性陣が失敗に終わった時に、達也さんが差し違えてでも尽夜さんを止める。それが英作叔父様が描いた構想よ。だから深雪さんは調整体に、貴方は戦士になった」

 

 真夜は、これで終わりという風に息を深く吐き、達也にニコッと笑みを向けた。

 

 「ご質問しても?」

 「どうぞ。なんでもお聞きになってくださいな」

 「深雪が調整体になった理由は理解しました。ですが、今、『深雪たち女性陣の失敗』とおっしゃられましたが、深雪の失敗ではないのですか?」

 「ああ、なるほど、これは説明不足ね。『鎖』はね、別に深雪さんでなくともいいの」

 

 達也の眉がピクリと動いた。

 

 「どういうことでしょうか?」

 

 すると、真夜は楽しそうに笑みを溢した。

 

 「あらあら、そんなに怖い顔をしないでちょうだい。別に深雪さんを軽んじている訳ではないわ。むしろ、一番確率が高いとは思っているのだから」

 

 達也は続きを待った。

 

 「私の『鎖』を受け継ぐ条件は、私以上か、もしくは私と同程度に尽夜が心を向けること。だから、別に深雪さんでも、別の女性でも構わない。まあ、男性の線も考えられないこともないけれど、私が女である時点であり得ないわね」

 「深雪は尽夜の婚約者になるのでは?」

 「それは一時的なものよ」

 

 達也の疑問も尤もであろう。妹の深雪があれだけ歓喜した立場が一時的なものでしか無かったのだから。

 

 「尽夜さんを次期当主として正式に添えるとなると、婚約者の話は避けられない。他家に対して体裁を取り繕う為にも、一度は必ずその意向を見せなければならない。でも、こちらの事情は明かさない。だから他家から優位な状況を作る為には、深雪さんとの一時的な婚約が一番上手くいく。恐らく他の家から、特に十師族のいくらかは異議を唱えてくるのではないかしら?深雪さんには申し訳ないけれど、我慢して貰うしかないわ」

 

 真夜は罪悪感を持った顔で顰めた。

 

 「…そうですか」

 

 達也は納得するが、妹を思うと悔やむ気持ちは晴れなかった。

 

 「達也、すまないが、深雪には俺から説明をさせてほしい」

 

 尽夜の頼みに、達也は頷いて了承した。尽夜は『精神』視ることができる為、深雪が尽夜に向けている感情が理解できない訳がない。だから、これは尽夜にとってせめてもの償いなのかも知れないと思ったからだ。だが、少し深雪に兄としてお節介を焼きたいという思いから、ふと思いついた事を口にした。

 

 「…ならその代わり、今日は深雪と一緒に寝てやってほしい」

 「!?ッ…ケホッ!ケホッ!」

 

 紅茶を口に含んでいた真夜が激しく咽せた。すぐに尽夜が駆け寄り、その背を撫でる。

 

 「ケホッ……ごめんなさい。達也さんが、…そんなことを言うとは思わなかったものだから」

 「……??」

 

 達也は分からないとばかりに戸惑っている。

 

 「あー、達也。絶対にこっちだとは思うけど、純粋に同衾するってことでいいんだよな?」

 「あ、ああ。そうだが………あっ!?」

 「そうよね、達也さんがそんな意味で言う訳ないわよね」

 

 達也としては、九校戦のミラージ・バット、本戦の予選と決勝の間の休憩時において、深雪の睡眠中に尽夜が傍にいたことを知っているし、幼少期に幾度か寄り添って寝ていたことがあったのでそのレベルで口にしたのであろう。しかし、今のこの状況ではそう捉えられるのも当然と言える。達也の情動が制限されている故の、一種の災いであった。

 気不味そうな達也に、場の空気を戻そうと、尽夜は以前から真夜と相談していたことを実行することにした。

 

 「達也」

 

 真剣味を帯びた声音に、達也も一瞬で調子を取り戻した。

 

 「母上と俺は、今回の慶春会において、司波家を正式に分家とし、その当主に達也を任命する」

 

 達也は目を見開いた。

 

 「それは」

 「これは、四葉家現当主、次期当主として判断したことだ。これ以上、達也を四葉家の中枢から引き離すことは四葉家としてマズい。もちろん世間的にシルバーであることは秘匿する。分家の当主にするといっても、日常生活的に今とそう変わることはないだろう。今まで通りFLT社で働いてくれればこちらとしても文句は無い。実際、達也の四葉家内における地位確立のパフォーマンスに過ぎないからな」

 「…分家の反発はどうするつもりだ?」

 「俺と母上が決めた時点で既に確定事項だが、あまりにも反発があるなら、いっそ投票でもしてみればいい。当主陣は分からないが、下の世代や本家の執事達はこちら側だ」

 「だが」

 「達也、受け入れろ。達也は四葉に必要だ。そろそろ相応の立場になってもらわねば適わない。それに、分家の当主の方々も真実を知れば否が応でも納得するだろう」

 「尽夜、お前はそれでいいのか?曲解すれば、お前は自分の首を自ら絞めているんだぞ」

 「…次期当主としての判断だ」

 「……」

 「それともう一つ。達也、目を瞑って力を抜いてくれ」

 「急にどうした?」

 「なに、2分で終わる」

 

 次に尽夜の取った行動は、あからさまな強行突破であった。

 

 「…何をするつもりだ?」

 「悪いようにはならない」

 

 訝しげながら、達也は言われた通りにした。そうして、1分が経った頃に自分の芯が熱くなっていくのを感じ始めた。それは尽夜の言葉通り、悪い感じには思えなかった。

 

 「もういいぞ」

 「…尽夜、何をした?」

 「閉じ込めていたものを解放しただけだ。仕舞うのは中々作業がいるが、解放するのは容易い。一部を開ければ勝手に溢れる。それに元々は備わっていたものだからな」

 「…何をだ?」

 「元々の規模の感情だよ」

 「…は?それは、お前があの実験で消失させたのではなかったのか?」

 

 達也は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。

 

 「いや、俺は一度も消したとは言ってないぞ。閉じ込めただけだ。本当は計画通り、達也の情動は白紙化するつもりだった。しかし、先程も言ったが、伯母上の抵抗が入った。伯母上は自分の無意識領域の情動をつかさどる部分を身代わりとして、仮想魔法演算領域を達也に取り付けたために、俺は達也の無意識領域における情動の部分を外部と触れないように閉じ込めるに留まった。だから伯母上はあの実験の後遺症で精神干渉系魔法の技能が著しく低下してしまい、達也の精神構造をそれ以前のように詳しく感知できなくなられた。それ故に、伯母上は俺が達也の感情を消したと勘違いしたんだ。もう達也は心身ともに成長して、実験によって付与された魔法演算領域は、幼少期に獲得できていたから精神にも十分馴染んでいる。それで、戻しても大丈夫だと判断した。逆に、今戻したものは馴染むのに時間がかかると思うぞ。前当主が懸念していたことも、既に社会規範にのっとった自分の倫理観が備わっている達也なら問題ないと母上も思っている。ちなみに『誓約』も解除していい。そちらも深雪の了承さえあれば解除できるようにしている。明日にでもやるといい」

 「…尽夜、お前、先程からやっていることの意味を本当に分かっているのか?俺自ら言うのもおかしいが、敵となり得る分子に自ら塩を送っている行為だ」

 

 表情を変えることなく一様の口調で喋る尽夜に、達也は少し語勢を強めて放った。

 

 「…だから、さっきも言っただろう。これは次期当主としての判断だと。それとも達也、お前は我々四葉に敵対する予定でもあるのか?」

 「そういうことはない」

 「なら結構なことじゃないか。達也はいったい何をそんなに危惧しているんだ?」

 

 尽夜は達也に挑戦的な表情を向けた。達也には、尽夜がどのような思惑でその表情をしているかを理解できなかった。ここでの達也の懸念は、今までの四葉家から強いられてきた境遇によって発生したものだ。これまでの扱われ方が、達也に美味い話には裏があるはずだと疑問を持たせてしまっていた。それに加えて、尽夜の方も達也が何をそんなに気にしているのかが分かっていなかった。尽夜は、深雪が自分と共にある限り、達也が敵対することはほぼ無いと見ている。だから、今の二人はお互いにあらぬ疑いを少し持ってしまい、目尻が少々キツくなっていた。

 真夜は、そんな二人の状況をなんとなく把握して、やれやれと言う風にため息を一つ吐いた。

 

 「……尽夜さんも達也さんもおよしなさい。尽夜さん、もう既に10時が過ぎています。これ以上お話をすると、もしかしたら深雪さんを待たせることになるかも知れません。入浴してらっしゃい。その間に辰の離れを用意させておくから、出たらそちらへ向かってちょうだい」

 「母上……わかりました」

 

 若干の剣呑な空気は、真夜によって終了し、尽夜は真夜に就寝の言葉を口にしてから、食堂の扉の向こうへ去って行った。

 

 「達也さんも今夜は情報が多過ぎて混乱していらっしゃるようですから、今日はもう頭を冷やしなさい。お風呂は空き次第呼びに行かせます」

 「……わかりました」

 

 達也は立ち上がり、入ってきた時の扉に手を掛けようとした時、真夜から再び声が掛かる。

 

 「本当はね、私はどちらでもいいの」

 

 達也はピタリと足を止め、振り返らず言葉を待った。

 

 「今のまま、私が死んだ時、あの子は壊れる。あの子はそういう風にできている。そして、壊れたあの子はこの世界を奈落の底に引き摺り込む。そうなれば、私の復讐心は満たされる。一人の少女を理不尽に踏み躙り、女としてのささやかな幸せを奪った世界が呆気なく滅ぶのだから」

 

 真夜の言葉に乗せられた力は弱かった。けれど、達也の抵抗を考慮に入れないのは尽夜への狂愛故だろう。

 

 「『鎖』が受け継がれ、尽夜が天寿を全うできれば、私の復讐心は別の意味で満たされる。それは一人の少女を穢し、貶め、狂わした世界が尽夜一人に生涯屈したということだから。その無様な姿を嘲笑って、私はきっと、この世界から受けた仕打ちを忘れることができる」

 

 達也は違和感を覚えた。

 

 ──叔母上は尽夜を生かしたいのではなかったのか?

 

 今しがたの真夜の言葉は、どちらをも肯定していた。

 そして、その疑問にはすぐに答えがやって来た。

 

 「私は復讐を是としてるのよ。それが尽夜との約束、あの子の出した条件だから」

 

 達也は、バッ!と振り返った。

 その目が映したのは、先刻のように情念の炎を灯した双眸、狂気に駆られた化け物の姿だった。

 

 「ああ!本当になんて素敵な愛しい息子でしょう!私の尽夜は!私に命を芽吹かせ、復讐すらをも成し得てくれる!」

 「叔母上、貴女は狂っている」

 

 達也は目を細めて真夜を睨んだ。今まで感じたことのない量の、内から湧き上がる感情を知覚しながら。

 

 「親子だもの」

 

 答えになるとも、ならないとも言える返答が返って来た。少なくとも達也には理解できなかった。

 

 「でも」

 

 すぐに追加された言葉には、憑き物が落ちた柔らかい音、その中には別の心情が混ざっていた。

 

 「…できることなら、後者であって欲しいと思うの。そうすれば、尽夜さんは私から解放されて、あの子は私ではない、あの子自身になれる。そして私は死ぬまで罰を受ける。これは母親としての烏滸がましいほどの最後の願い」

 

 そう言って自嘲に笑う真夜に、達也は変わらぬ感想を突き刺した。

 

 「叔母上、貴女は狂っている」

 

 もう狂気も倨傲の親心も感じられない雰囲気に真夜はなっていた。

 

 「達也さん、明日、よろしくお願いしますね。引き留めてごめんなさい」

 

 真夜は二度目の達也の言葉に答えることはしなかった。退出を促す台詞を履き違えることなく、達也は葉山にコーヒーのお礼を言い、真夜に一礼して、今度こそ扉をくぐった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────同日、四葉本家現当主書斎

 

 達也も去った後、真夜も葉山を従え、自身の書斎へと戻った。

 真夜は、ソファに深々と腰掛け、大きく息を吐いた。

 

 「奥様、お疲れ様でございました」

 「ありがとうございます、葉山さん。思っていたよりものめり込んでしまったわ」

 

 葉山の労いに、真夜は気疲れと少々の羞恥の混じった言葉を返した。

 

 「あのお話では、それも致し方ないかと」

 

 葉山としてはフォローしたつもりであったのだが、それが余計に恥ずかしかったのか、真夜は年甲斐もなくプイッと顔を葉山から逸らした。

 

 「尽夜様の御誕生の秘話、この葉山、立場というものがあるにもかかわらず、涕涙(ているい)してしまいそうにございました」

 「あら、そうでしたの?」

 「はい。尽夜様が御生まれになって数年の間、私めは本家の外で仕事をしておりましたので、奥様と尽夜様のことを英作様を通して小耳に挟むことはあれど、奥様がその頃にお抱えなされていたものまでは知り得ませんでした故に…」

 「……確かに、言われてみれば葉山さんが数年見かけない時期がありましたわね。…ごめんなさい。尽夜さんのことに精一杯で気が回らなかったわ」

 「いえいえ、奥様がお気になさる必要はございませぬ。むしろ、……いや、何でもございませぬ」

 「……そう」

 

 葉山は、先刻に知った真夜の尽夜が生まれてからの出来事があった時に、彼女の傍にいれなかったことを謝罪しようとしたのだが、今更どうなることでもないし、言ったところで真夜がまた謝罪することになりそうであるため、言葉を飲むことにした。

 

 「葉山さん、改めて、貴方がいらっしゃらなければ、私たち二人の今はありませんでした。葉山さんがいてくれてよかったわ。ありがとう」

 「…誠にもったいないお言葉でございます。老い先短いこの老ぼれには何物にも代え難い。…老輩の身ではございますが、残りの生涯、願わくばお二人の行く末を出来る限り、お近くで見守らせていただきたい」

 「……ありがとう」

 

 葉山は恭しく頭を下げた。




 この作品についてのお知らせ

 ・この作品の題名を変えようと考えています。
 ・旧13話あたり、すなわち現11、現12話の『術式無効』について、感想欄の方で設定のおかしいところを指摘していただいたので、この話をリメイクしようと思っています。内容的には変更はありません。まだどう言った感じにするべきかは模索しておりますのでお待ちいただけたらと思います。これはもしかしたら来年になるかもしれません。
 ・旧1話、2話を合併しました。(現1話)

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