【旧約】狂気の産物   作:ピト

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35話 深く雪を繋ぎ止め、細く微笑む

 元次期当主候補たちと現当主真夜との会食が終了したのが午後9時前。そして、尽夜の生い立ちが語られ、尽夜が食堂を後にしたのが午後10時を四分の一程過ぎたところであった。

 これからどんな事情があろうとも婚約者となるであろう女性と会い、一夜を過ごすことを考慮して、いつも以上に念入りに身を清め、浴場から出たのは午後11時を数分過ぎていた。

 尽夜は良質な浴衣を着込み、まだ入浴の余熱が残っている影響で火照ったその体から醸し出される母親譲りの色気は、極上の蜜を携えている。人工的な匂いは全くしない。なぜなら、尽夜は無香の用品(ただし、どれも高級品)を使ったからである。故に、その人の独自の匂いが段々と全面に押し出されてくる。今の尽夜に至っては、屋敷の様式、服装、夜の時間帯の雰囲気が相乗効果を発揮して危ない薫りを纏っていた。

 その状態で屋敷の廊下を歩き、辰の離れに繋がる渡り橋に向かう。四葉家の屋敷は伝統的な日本家屋であり、母屋を中心とした複数の離れを持ち、それぞれ干支の方角に沿って区別されている。渡り橋の向こう側には水波と千波が待っていた。千波の腕には男物の羽織が一枚、所持されている。二人とも尽夜の姿を目視すると、ピシッと身体が硬直し、同時にゴクリと唾を飲み込んだ。夏の終わり頃から尽夜に仕え、特に11月以降は真夜と葉山の間柄の様に四六時中尽夜の傍に控えていた彼女達ですら息を飲むほどであったのである。今の尽夜は本当に危険かもしれない。

 

「御苦労。待たせてしまったか?」

 

 橋を渡った尽夜は、姉妹への労いと深雪を待たせてしまったのがどれぐらいの具合かを尋ねた。

 

「……いえ、深雪様も数分程前にご到着なされました」

 

 尽夜の労いに、使用人(特に傍付きとして)のプライドでなんとか気を押さえつけて、水波が答え、それに合わせて千波が羽織を渡した。

 

「ならいい。ここも冷える。明日もあるから風邪を引かない内に下がれ」

「「かしこまりました。おやすみなさいませ」」

 

 一挙手一投足、寸分の違いも見せず、姉妹は頭を下げた。尽夜は「おやすみ」と一言掛けて歩き始めた。彼女達は尽夜が廊下の角を曲がるまでお辞儀した体勢を保った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────四葉本家、辰の離れ

 

 辰の離れの様式は純和室の8畳二間である。元々は極稀に訪れた上客が泊まる為に造られたものである。それを考慮してこの離れは、渡り橋の正面ではなく、景色の良い庭に面した側面に入り口が備えられてあった。その側面の外に広がる庭は、雪化粧も相まって趣を感じさせている。月は、完全な満月ではないが、十分な光量を放ち、離れの廊下を明るく照らしており、時折吐く風は庭に生えた草木を優しく揺らす。

 尽夜は入り口の襖の前に立った。

 

「深雪、俺だ。開けてもいいか?」

 

 無礼にならぬように、一声掛ける。

 少し間を置いて「どうぞ」と了承が返って来た。

 それに従い、襖を開けた。

 そして、眼前に広がった光景に、両者とも動きを止めた。

 畳の敷き詰められた部屋。その部屋の中央に敷かれた一組の布団に、枕が二つ。その枕元で正座をして尽夜を見上げる深雪がいた。何人もの使用人によって磨きに磨かれた深雪。その黒々とした腰まで伸びている髪はいつも以上に光沢を伴い、単衣を身に付けただけの姿をしていた。その布に覆われていない手先や首、顔は少々の熱で赤みを帯びており、元来の白くスベらかな肌をより一層艶かしく見せていた。

 深雪が絶世の美女であることなどは百も承知。それでも、ただそれを知っているだけであったことを教えさせられる。先程の表現では言葉が足りず、いや、そもそも言語で語ろうとしていることが今の深雪の美を侮辱していると言っても過言ではない。尽夜は誇張なくそう思った。

 だが、尽夜が目を見張ったのは純粋にそれだけではなかった。少女から大人の女性へと階段を登っていくにつれて獲得される色香に、一抹事が幻視されたからだった。

 十数秒の凍結から先に脱却できたのは深雪だった。深雪は枕元で正座をしたまま、両手を重ね合わせ、平伏した。

 

「……お待ちしておりました。今宵至らぬ事があるかと存じますが、不束者なりに精一杯努めさせていただきますので何卒よろしくお願い致します」

 

 若干の早口で述べられた言葉は緊張を孕んで少々震えていた。これにより、深雪に遅れて、尽夜は意識を現実に引き戻された。小さく動揺している自分を『らしくない』と気持ちを締め直し、部屋の中に入り、襖を閉めた。未だに頭を下げたままの深雪が、襖の閉まる音にビクッと肩を震わせる。

 

「深雪、頭を上げてくれ」

 

 尽夜の声掛けで、深雪は元の状態へと戻った。

 

「話をしよう」

 

 そう言いながら尽夜は深雪の目の前に座った。距離が近づいたことで、深雪の頬の赤みが増す。落ち着かない様子で髪の毛先を弄り、目線を合わせたり逸らせたりしていた。先程の物言いから、深雪が一人先走りしていることは明白である。状況故に仕方のないことではあるが。

 

「深雪」

「はい」

「俺は深雪に2つ、謝らなければならない」

「……なに、をでしょう?」

 

 いきなりの謝罪宣告に、深雪は不安を感じた。そして、悪い予感は往々にしてよく当たるのである。

 

「…申し訳ないが、今の俺は深雪を好ましく思ってはいても、一人の女性として愛することはできていない」

 

 はっきりと告げられた事実に、深雪は両手を握りしめて俯いた。だがしかし、これは深雪とて薄々分かっていたことであった。直接告げられたことの大きなショックはあれど、取り乱しはしなかった。それは偏に、真夜に与えられた地位があるからだった。今、尽夜の心に自分を愛する気持ちがなくとも、これから育んでくれたら良い。そう思ったからだ。

 

 しかし、

 

「それと、この婚約は一時的なものでしかない」

「………えっ」

 

 現実はそう甘くはなかった。

 深雪はバッ!っと勢いよく顔を上げた。俯いている場合などではなかった。

 

「……うそ、……ですよね?」

 

 かろうじて出た言葉だった。しかし、これを言えば尽夜が頷くはずだと思った。

 

「……すまない」

 

 だが、無情にも返ってきたのは否だった。

 無音が、夏の蝉声のように耳を激しく揺さ振る。

 純和室の造りによって、時代の先人達が生み出した和室のみに醸し出される侘び寂びといった雰囲気は、良くも悪くもこの場を助長していた。

 

 フツッと深雪の中で何かが切れた。

 

 深雪の顔に前髪によるものではない影が落ちた。

 深雪はスッと流れるような仕草で立ち上がり、尽夜から離れた。尽夜は文字通り何もせず、深雪の行動を見守った。『精神』も視ない。この状況は一人の男として向き合わなければならないからだ。尽夜は、そういう、もっともらしい理由を付けた。それに、なにをすればいいかは視なくとも分かる。全てはシナリオ通りに。簡単なことだ。

 

 深雪は部屋の明かりを落とした。徐々に月の光が部屋を朧げに照らした。局所的に強く入ってくる月光が、深雪の後ろ姿を幻想的に魅せていた。

 

 ーシュル

 

 布の擦れる音がやけに大きく響いた。

 

 ーシュルシュル……パサッ

 

 美の権化。

 まさしく抽象的な美しさの定義が、ここでははっきりとしていた。

『美しい『花』がある。『花』の美しさという様なものはない』

 前時代の評論家、小林秀雄の『当麻』での一節。

 これが馬鹿らしく聞こえるほど、今の深雪は美しかった。この世の、まさしく完成された『美』だった。

 

「……深雪」

 

 下着を身に付けただけの肢体が露わになった深雪に、尽夜は目を逸らすことなく、悲しげに名前を口にした。それに応えることなく振り返った深雪は、婉然と尽夜の元へと歩み寄り、正座する尽夜の膝の上に跨って尽夜の頬を両手で包み込み、顔を徐々に近づけていった。しかし、それは尽夜の人差し指によって進行が止まる。お互いの間に会話はなく、見つめ合った。深雪は分かっていた。でも、だからこそ一瞬の逡巡をするものの瞳を閉じてから、自分の唇を尽夜のそれに合わせた。

 

 お互いの前歯がカチリと当たった。やがて要領を得たように薄暗い闇の中で、僅かな水音だけが聞こえるようになった。

 

 接吻が続く間、深雪の頬には時間が経つにつれて二筋の涙が伝っていた。尽夜は全く変化を見せることはなく、深雪になされるがままなっていた。それでも、尽夜が深雪の行為に応えることはなかった。

 深雪はやがて、ゆっくりと唇を離した。深雪が目を開けると、尽夜の双眸と視線が合わさった。

 この時の涙に濡れた深雪の顔を、尽夜は生涯忘れることはできないだろう。これほど哀しげで、これほど必死で、それでいてなおこれほど美しい人の顔は嫌でも脳裏にこびりつく。

 深雪は尽夜の襟元に手を掛け、開こうとして、その動きを止めた。代わりに襟元を掴んだ手にはより強い力が籠り、ゆっくりと額を尽夜の胸に押し当てて嗚咽を漏らした。弱く哀しい声だった。聞いている者の胸の内を切なく締め付けるような、哀しみを抑えに抑え、極限までに濃縮した泣き声。

 尽夜は自分の横に置いてあった千波から受け取った羽織で深雪を包み込んだ。その後、無意識に深雪の背中と頭に腕を伸ばしかけたが、思い止まって腕を下ろす。

 

「深雪、そのままでいいから聞いてほしい」

 

 尽夜は優しい声音を意識して話し始めた。

 

「俺と母さんの間には『鎖』と呼ばれる非常に強固な精神的繋がりが存在する。そして、俺はそれによって生きていられるんだ」

 

 深雪も鼻を啜りながら、話に耳を傾けている。

 

「もし母さんが死んで『鎖』が無くなれば、俺はこの世界を壊してしまう。そういう風にできてしまっている。人類は一瞬で消滅して、地球には流星群が次々と降り注がれる。唯一、達也なら俺に消される前に、逆に俺を消すことは可能かもしれないけどね。実際にはどうなるか、その時にならないと分からない」

 

 深雪が尽夜の中で静かになった。

 

「…でも、一つだけ、『鎖』が俺よりも寿命が長い人に継承されることで、この運命を覆す事ができる。深雪が調整体になったのは、前当主がこの役目を深雪に担わせようとした為だ。だが、今の深雪は継承される条件を満たしていない」

「……条件、…とは、…なんですか…?」

 

 途切れ途切れのか細い声が聞こえてきた。

 

「俺が、母さんよりも、もしくは母さんと同等に大切に思えるか。それが条件だ」

「…それが、…満たされれば、…私は、…私は、尽夜さんの、お傍にいられるのですか?」

 

 その深雪の声は縋るように儚げであった。

 

「ああ」

 

 尽夜が肯定すると、深雪は少しばかり明るさを取り戻した気がした。希望というのは良薬にも劇薬にもなり得る麻薬である。ここでは、良い方向に転がったと思われた。

 

「…私を、尽夜さんが受け入れてくださる可能性がもう無い訳ではないのですね…?」

「母さんも、深雪には一番期待を寄せているとおっしゃられていたよ」

 

 深雪はそれまでとは一転して雨上がりに咲いた花のような笑顔を見せた。しかし、すぐに尽夜の言葉に引っかかりを覚えたのか、「…一番?…婚約が一時的…?」と呟いて思考を始めた。

 

「深雪?」

「……なるほど…」

「…どうした?」

「尽夜さん、叔母様は私一人に『鎖』の継承を期待されている訳ではないのでしょう?」

 

 深雪は全てを悟ったかのような顔付きだった。

 

「『鎖』は深雪でなければならないことはないからな」

 

 だから、尽夜は正直に答えることにした。

 深雪は少し悔しそうしながらも、自分の推測を続けて口にした。

 

「十師族の次期当主の決定となれば、婚約者話は必ず行われます。それに四葉家の次期当主の婚姻となれば、誰もが注目します。そして、私と尽夜さんが婚約しても、故人のお母様と叔母様が一卵性の双子という極めて近い血縁という理由で、たとえ法律で認められている従兄妹同士とはいえ、魔法師社会の現状を考えると他家からの横槍がおそらく入ってくるでしょう。当たり前のことですが、尽夜さんの『鎖』は他家に話すことはあり得ません。だから、事態を四葉家により有利にする為に、尽夜さんが選べるという形をとる為に、一時的な婚約になる…かも…しれないということですか?」

 

 尽夜は深雪の推測がほとんど的を射ていることに驚いた。深雪の賢さに感嘆し、微笑しながら肯定した。だが、すぐに表情を引き締め直して補足する。

 

「知っての通り魔法師は早婚が求められている。魔法師社会のトップ組織となる十師族の一員ならばなおのことそうなる。早ければ高校卒業と同時に、遅くとも大学卒業ぐらいには結婚しなければならないだろう。…深雪には申し訳ないが、今の俺には婚約者という存在が『鎖』の継承者を見つけるために少なからず障害となってしまう。だから、他家を誘導してこちらの思惑通りに事を進める為に、深雪を一時的に婚約者に添える方法が母さんにとって一番やりやすいそうだ」

 

 深雪は無言になった。頭では理解していても心までは納得できていないようだった。

 

「…でも今更だが、深雪はこの話を断っても構わない」

「えっ?」

 

 尽夜の続けて発した言葉に、深雪は素っ頓狂な声を出した。

 

「もちろん婚約が無くなってしまっても深雪が婚約者候補には必ず留まることができるようになる。母さんはそれだけは絶対に譲らない。だから、深雪は安心してほしい。断っても別の方法もあるから。覚えているかは分からないが、母さんは深雪に『命令』ではなく『検討』を申し込んだ。これは多分、深雪の覚悟が知りたいんだと思う。深雪が俺のことを慕ってくれているのはとても光栄なことだ。けれど『鎖』がある以上、俺は深雪の想いに応えることはできない。これから深雪が俺を慕ってくれたとしても色々不憫な思いをさせることになると思う。それでも、この話を聞いても、深雪は俺のことを慕ってくれるか?」

 

 申し訳なさそうに、悲痛な面持ちを作って、まるで懇願するように尽夜は問うた。

 

「……私は、…私は尽夜さんを愛しています。いつの日か、尽夜さんが私のことを大切に想っていただけるその日まで、貴方のお傍にいさせてください」

 

 そう答えた深雪の目には覚悟が宿っていた。

 尽夜はそれを視認すると、二人の隙間から右手を出して、人差し指で深雪の顎を支え、親指で淡いピンク色の唇をなぞり、仕上げにかかった。

 

「……いつの日か、俺の方から深雪に口付けできることを願っている」

 

 その言動に、真っ赤な顔をして固まった深雪に、尽夜は笑みを浮かべた。

 

「さぁ、明日もあるからもう寝ようか。とりあえず、寒いだろうから脱いだ単衣だけでも着ておいで」

 

 深雪は現状の体勢に恥ずかしさが今更ながら込み上げ、そそくさと畳の上に落ちている単衣の元に向かう。尽夜はその間に布団へ潜り、深雪が入って来やすいように掛け布団を開いた。

 

「あ、あの…」

 

 尽夜が深雪を再び見た時、深雪はまだ単衣を身に付けていなかった。布を握りしめて、再度口を開こうとしている。

 

「明日は大事な慶春会だし、眠れそうになかったら落ち着けてあげるよ。それとも、別々に寝た方が良かった?」

 

 すかさず、尽夜は割り込んで先手を打った。

 

「……いえ、失礼します……」

 

 単衣を身に付け、おずおずと布団に入ってくる深雪。やはりちょっぴり残念そうにしていたのは邪推し過ぎではないだろう。

 向かい合うようにして、深雪が尽夜の腕枕に収まると、尽夜が深雪の髪を梳くようにして撫でる。

 見つめ合ったまま数分が過ぎた頃、深雪の目がトロンと眠そうになってきた。

 

「…深雪、ありがとう。おやすみ」

 

 温かな婚約者の声と除夜の鐘が、深雪に心地良く意識を手放させた。

 

 

 

 

 

 

 

 遠くから除夜の鐘の音が聞こえてくる。一年の終わりと一年の始まりが知らされた。

 近くからは世にも美しい女性の規則正しい寝息が聞こえてくる。その女性の髪を梳きながら彼女の綺麗な顔を鑑賞していた。

 

「ごめんな、深雪」

 

 感情の籠っていない無機質な声音が、意図せずぽつりと溢れた。直後、声の主は自分の白々しさに空虚感を抱き、眉を顰めた。深雪への罪悪感からではなく、己の中に僅かながらに存在する常識的な倫理観が疎ましかったがゆえに。

 四葉真夜から獲得した僅かながらの倫理観は、尽夜の中でマイノリティとして存在している。元々、復讐者たる四葉真夜が悲願の果てに生み出した復讐の代行者である尽夜の中でマジョリティとして存在するのは、言うまでもなく十二歳の四葉真夜であるのだ。

 生後、尽夜は己の成すべき事がこの世を地獄へ堕とすことであると信じて疑わなかった。己は四葉真夜によって命が芽生え、四葉真夜の為に己の命を賭けて『真夜』を救うのだと思っている。謂わば、尽夜は四葉真夜の憎悪の部分を一身に背負って生まれて来たのである。

 にもかかわらず、四葉真夜は尽夜が産まれたその時に新しい命を享受してしまった。それは、世に復讐する者としては全くの異物であった。更には、真夜はそれを捨てる事が出来なかった。結果として、それは瞬く間に『真夜』のマジョリティとなってしまった。その後も、尽夜を愛する真夜は今もなお成長をし続けており、四葉真夜は鳴りを潜めてしまったのである。それ故に、『真夜』は復讐を望まなかった。尽夜は四葉真夜の憎悪の象徴として現世に姿を見せたのであるが、真夜が『生』を選んだ以上は尽夜はそれを実行する。『真夜』が尽夜にとって救う対象であるから、四葉真夜も真夜も救わねばならないのである。したがって、真夜が『生』を願った瞬間に尽夜の精神は、マイノリティがマジョリティを支配して、『鎖』で繋ぎ止められたのである。精神状態において非常に不安定で、歪んだ狂犬。それが、今の尽夜の姿だ。

 真夜の精神は尽夜への愛が手綱を握り、尽夜の精神は真夜が手綱を握る。この関係によって、狂犬を宥められる化け物が存在する限り、尽夜は『生』を選び続けるはずである。しかし、化け物が、鎖が、真夜がいなくなれば、四葉真夜は尽夜を支配してしまう。尽夜を愛する真夜はこれを良しとしなかった。母親として、尽夜に四葉真夜の化身としてではなく一人の尽夜として、自らの亡き後を生きて欲しいと思ったのである。その唯一の希望が『鎖』の継承であった。尽夜の自意識で継承者を選ぶ事ができたならば、それは『尽夜』の誕生を意味する。だから、それ以外の方法が見出せない真夜はそれに縋るしかない。矛盾ではあるが、もし仮に継承が上手くいかなくとも真夜は別段気にしないだろう。『真夜』の中の四葉真夜は鳴りを潜めているだけであって、消えているわけではないのだから。このまま真夜が死ぬなら、その死を前にして真夜もまた四葉真夜に支配されるに違いない。

 話を戻すと、真夜にとって尽夜のために作られた深雪はそういう意味で非常に都合が良かった。奇しくも、故人の英作前当主の思惑通りになっているのではあるが、真夜はそれに反発しようなどとは考えなかった。むしろ、最大限まで利用する。それにこれは深雪が尽夜に傾倒しなければ意味がなくなる。

 故に真夜は、弱冠五歳の尽夜に指令を出した。

 

『深雪さんの心が尽夜さんから離れられないように徹底的に惚れさせなさい』

 

 この指令とともに真夜は尽夜に女児・女性の心理や人身掌握といった『精神の動き』を学ばせた。尽夜が、精神を『視る』だけでなく、精神の『動き』を学ぶことによって効果的に深雪に取り入ろうとしたのである。

 尽夜はこれによって、元来の達観した性質を活かして、司波家の父親が機能していないという境遇につけ込み、異性として父親未満の絶妙なラインを歩き、深雪の心を徐々に侵蝕していった。

 そんな中での沖縄事変は予定外の事件であったが、深雪の傾倒を決定付ける結果的に間の良いものとなった。

 そして今夜、深雪の傾倒を裏付けが取れることとなった。深雪の心が尽夜から離れないと実証したのである。

 

 ──母さん、御命令は完遂致しました。

 

 尽夜は心中で呟いた。

 深雪を撫でている手を止め、まるで何かから逃げるように目を閉じた。

 

 明るかった月の光は、雲に隠され、地上を照らしてはいなかった。




 感想欄、活動報告コメントで非常に温かいコメントをくださり誠にありがとうございます。まだ返信はできてないのですが、感想を見たらgoodを全てで押すようにしていますので、無視はしていません(笑)

 こんな駄作でも待っていてくださる方々がこんなにいると思うと嬉しい限りでございます。頑張って書こう!という気持ちがすごく湧いてきます!

 感想はゆっくり返していきます。

 PS 誤字脱字報告、誠にありがとうございます。いつも助かっております。

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