羅刹の拳【完結】   作:につけ丸

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最初の友達が、家出した。

一人の少年が、居なくなった。

一人の青年が、帰ってきた。

 


斉天大聖編
第1話


 嘘か真か、この世には本物の『神』が地上に現れる。

 比喩ではない。

 正真正銘、本物の『神』が、である。

 ……決して朽ちぬ不滅の身体とびっきり美しいか異形かの稀なる容姿。人が幾年月を捧げようと手にすること叶わぬ御業に奇跡。

 まさに『神』と呼んで相応しい超越者たちが。

 そして神々は《不死の領域》と呼ばれる場所から地上に顕れる。《不死の領域》とは人間が住む"地上"とも、地上と《不死の領域》の境にある"幽世"とも違う場所。広大無比な神話の世界が広がる場所だった。

 そして地上に現れた神は、総じて神話の軛からはずれる。たとえ善なる神であっても人々に災いを齎す存在と成り果てる。

 何故なら、神話の中に在るべき神々が地上に現れる。それだけで本来の姿から乖離し叛逆しているのだから。

 

 およそ"(まつろ)う"ことを知らぬものたち。

 移ろいやすく強固な自我。強大で奇怪。地上のあらゆる生命から逸脱した毛外の魑魅ども。

 その尋常ならざる者どもを古くより人々は畏怖をこめ『まつろわぬ神』と、そう呼んだ。

 

 

 ○◎●

 

 

 ───『弼馬温』の呪法、破れる。

 

 日光東照宮は西天宮にて、三百年の間『弼馬温』を守護してきた九法塚家がその異変に気付いた時にはすべてが遅かった。

『弼馬温』とは、古来より日本を裏で舵取りをしていた"古老"と呼ばれる者達が、江戸時代初期に護国守護のため施した呪術の名称である。

 日本は世界の果てに位置する国だ。呪術の本場であるヨーロッパや神話の入り乱れる中東やインドを有するユーラシアの端にあり、それゆえ昔から色々なものが流れ着く場所であった。それがたとえ、まつろわぬ神であってさえも。

 

 ゆえに古老たちはまつろわぬ神を追い払う、都合のいい用心棒を欲したのだ。

 そうして今から三百年ほど前、どこかからか現れた『神』を捕らえ、"幽世"と呼ばれる地上ではない場所へその『神』を封じ込めたのだ。

『神』を封じ、外界より『まつろわぬ神』が現れれば封印を解いて戦わせる。……それが『弼馬温』の全容である。

 

 必然、用心棒とするならば強い神が必要となる。

 そして驚くことなかれ。封じられた神の名を──"斉天大聖・孫悟空"。

 石から生まれ天に歯向かいながら果てには仏に記別されるまでに至った。その雷名はアジア全土に轟くほどのビックネームだ。

 ただ今は違う。

『弼馬温』により()()使()()()()()()()()に他ならず、『斉天大聖』と言う名すら奪われ"猿猴神君"という仮初めの名を与えられ幽世に封ぜられていた。

 

 簡単にまとめれば『神』を顎で使うことのできる罰当たりな代物こそ『弼馬温』であり、これを古老たちから信任を受け、一族を挙げて守護している者たちこそ九法塚家であった。

 

 三百年の間、静謐を保っていた『弼馬温』と斉天大聖。

 しかしどんな手を使ったのか? 

 斉天大聖は九法塚の目を掻いくぐり、ついに三百年の時を経て復活を遂げた。

 

 復活を遂げた斉天大聖は地上へ繰り出し災禍を起こす──はずだった……。

 

(───けれど一週間前、復活した斉天大聖は古老の方々の手によってふたたび幽世に封ぜられた……)

 

 気合一閃。

 眼前に迫る猿の魔物たちを手に持った刀で退けつつ、九法塚家の若き長、九法塚幹彦(くほうづかみきひこ)は思案する。

 ニホンザル、アカゲザル、マントヒヒ、オラウータン、マウンテンゴリラ……。

 幽世に向かった幹彦たちを出迎えたのは、この世のありとあらゆる種類の猿であった。数は三百は下らない。

 群れ、という言葉はもう収まらない。表すならばこうだろう……"軍勢"と。

 一匹一匹の強さも馬鹿にならない。身体能力や野生の感はもとより、呪力まで内包している。決して油断は許されない敵であった。

 

「持ちこたえろ! 斉天大聖はまだ復活を諦めていない! こんな所で私たちが潰えることになれば、誰にも止められなくなるぞ!」

 

 きぃきぃきぃ。懸命に叫ぶ幹彦の叱咤激励に答えたのは、嘲りにも似た鳴き声。

 仲間からの声はひどく小さい。

 幹彦たちにもう余力が残っていない証左だった。

 押されている、こちらの方が。

 斉天大聖の復活を感知してより一週間。万全の準備を整え臨んだと言うのに、こんな醜態を晒し、憤りすら覚えた。

 

『弼馬温』の異変に守護する立場でありながら気付けなかったことも。

 幽世への調査も出向いた先から敵に発見されたことも。

 そのまま戦闘へとなだれ込み、劣勢を知られていることも。

 古来より日ノ本を守護し、今なお斉天大聖を抑えている古老の方々に申し訳なくって仕方がない。

 

 そもそも古老の方々は、千年以上存在する、とうの昔に人から外れた方々なのだ。

 物事の考え方からして根本的違う。

 ゆえ、人間側への肩入れには否定的だ、と考えていた幹彦にとって驚天動地の出来事であったし、それを許してしまった己たちの不甲斐なさに忸怩たる思いを抱いていた。

 

(……それに顕聖之符、か)

 

 ───顕聖之符。『弼馬温』の核となり、斉天大聖を封ずる要諦となっていた霊符のことである。

 西遊記にて地上のみならず四海や天界を騒がせた斉天大聖を、天帝の命によって捕らえたという『顕聖二郎真君』。

 その呪力の宿った霊符は、どういう事か幹彦たちの懸命の捜索もむなしく行方知れずとなっていた。

 これには幹彦たちも頭が痛かった。『弼馬温』の要となっていた事のみならず、必ずや斉天大聖にも有効な対抗手段となると踏んでいた彼らにとって、失望を禁じ得なかった。

 

(だが、どうにかせねばなるまい。……それが蟷螂の斧になろうとも。それに奥の手も、ある。必ずや斉天大聖を封じてみせる!)

 

 懐にある確かな重みを再確認した、その瞬間であった。

 

「若!」

 

 突然、鼓膜を鋭い声が貫いた。

 ハッと思考の海に沈んでしまっていた意識が、現実に浮上する。戦いのさなかである、という現実に! 

 眼前にあったのは極大の拳──。

 黒い毛皮に覆われたゴリラの毛むくじゃらの豪腕から、殴打が繰り出されていたのだ! 

 

(───しまった! 戦闘の最中に、思考にのめり込みすぎた!)

 

 ルァァアアアアアアアン!!! 魔物の蛮声が、幹彦の鼓膜を揺るがした。

 

 

 

 

 ○〇●

 

 

 

 

 最初の友達が、家出した。

 一人の少年が、居なくなった。

 一人の青年になって、帰ってきた。

 

 

 ───バカタレが! 

 

 十四歳の冬。彼、荒木秀信(あらきひでのぶ)は苛立っていた。

 幼かったときはまだ可愛げの残っていた彼も、今では見違えるほど様変わりし、もう背は大人でさえ見上げるほどに高く、逞しい。容姿も荒武者然とし、右顎にある傷跡が待ちゆく人々の目を引いた。

 季節は移り変わって二月の初め。鱗雲が空を漂い、秋には鮮やかな衣を纏った木々も今では寂しげで。冬の寒々しい空に溶けていく吐息は白く、指先は霜が出来そうなほど寒い。見上げる雲もどこかうんざりするほど濁っていた。

 

 彼が苛立っている理由は、やはり家出した友達にあった。でも家出したことに怒りはなかった。

 去年の夏ごろに家出した友達も、ついに観念したのか半年の時を経てこの故郷に帰ってきたのだ。

 

 "久しぶり! みんなで集ろーぜ! "

 

 第一声はそれだった。帰ってきた彼は秀信たちの前に突然現れると笑顔で腕を振って宣ったのだ。なんら変わらない笑顔で。

 あの笑顔を思い出すだけでむかっ腹が立つ。ギリギリと奥歯を噛んで、ぱりん、と手元から金属の泣き声が聞こえた。

 

「おおっと」

 

 力を入れすぎた。洗っていた皿が見るの無惨に割れている。破片も飛び散っていたが、秀信の丈夫な皮膚を裂くには役不足だったらしい。それから手づかみで破片を拾って新聞紙に包んだ。

 秀信の家族は五人家族だ。秀信は三人兄弟の真ん中で、上に高校生の兄と下にまだ保育園に通う妹がいた。兄は部活で朝早くに家を出るし、共働きの両親もあまりに変わらない時間帯に妹を連れて家を出る。必然的に部活に入っていない秀信が朝食の片付けを一任された。

 

「いかんのう……」

 

 頭をかきながら手早く片付けを終わらせ、家を出た。

 道すがら小さな山が見えた。見慣れた景色のはずなのに斜面にはユンボが止まり、山を切り崩していた。山一つを太陽光に変えるそうだ。

 厭うように顔を背け、歩き出す。少し歩くとお寺があった。半年前まで登っていた柿の木は切り倒され駐車場に変わっていた。

 町は変わる。人も、変わる。半年も家出すれば誰だって。

 何も変わらない笑顔が嫌いだった。変わってしまった事をひた隠す仮面だ。殴り飛ばしたくて堪らない。けれどそんな事すれば、また彼が出て行く気がして。

 

「おいたちはこがんも脆い関係やったとか……」

 

 打ちのめされる思いだった。

 

 

「おはよー」

 

 気の抜けた挨拶が背中に触れた。からからから、と自転車の転がる音を響かせながら近づいてくる人物に振り向けば、やはり知っている人物だった。

 田中秋文。友人の一人だった。

 

「おお、秋か」

「今日はちょっと早いね。さっきの駐車場で追いつくかなって思ったけど外れちゃった」

「そうかい」

 

 顔は平凡、体も普通。外見も雰囲気も特筆したところがない少年だが、声にはいつまでも聞いて居たくなる甘さがあった。優しさや朗らかさとも違う、安心を贈る声だ。

 

「んー。もしかしてお皿でも割っちゃった?」

「…………なんでわかったとや」

「あはは。だって秀、さっきから硝子とか割れそうなものから変に目を逸らしてるじゃん。秀って毎朝片付けしてるし、だったらお皿でも割ったのかなーって」

「はぁ……たまにおまえの目の良さが怖ぁなるわ」

 

 観の目、というやつだろうか。昔から洞察力に長けていて彼のまえでは隠し事はできない、それが秀信たち友人グループの共通認識だった。

 

「秀」

 

 短い声に、眉を釣り上げると秋文が自分を見ていた。

 

「君が苛立っている理由はちょっとだけわかるよ……でもね人は変わるものなんだよ」

「…………」

 

 秀信も言葉なく賛同しながら、失望を禁じ得なかった。

 隠し事なんてもの、自分たちの間に存在しないと信じていたから。変わらないままで居られる。強い絆で結ばれていると思っていたから。

 だが、現実はどうだ? 十年……十年間も積み上げたものは、たった半年間会わなかっただけで崩れ去っていた。信じたものと、現実のギャップが受け入れなれない。あの場所に留まりたかったそれができない自分と現実に失望が止まらなかった。

 

「はぁ。……たまには、帰ってきなよ」

 

 見透かした言葉だった。

 それだけ言って、秋文は自転車にのって先に走り出してしまった。

 学校に着いて、授業を受けて、放課後になり、一つの結論を出した。

 

 彼から離れなければない、と思った。

 

 頭を冷やす為にも彼から離れなければならない。そう思った。

 それに彼の見たものも見たかった。町以外の場所、というものを。

 秀信は生涯で一度もこの町を出たことがない。家族が旅行に行く時も駄々をこねた。自分が自分になって生まれた場所を離れるなんて思考、これまでの秀信には想像もつかない発想だった。

 

 行先の一応の目処は付いていた。

 秀信の家には変わった風習がある。それは小学生の頃から毎年やっている恒例行事。簡単に言えば、親からある程度の金銭を受け取って旅をする、という内容だ。

 どこに行くかも自由、どこに泊まるかも自由、限られた金銭をやりくりし何に使うかも自由。そんな全て自分次第の旅をさせる風習が荒木家にはあった。

 実際、兄は去年四国へ訪れていた。秀信も毎年旅に出

 ろと言われるのだが、結局、町の民宿で一泊して終わりだった。

 今度はどこか遠くへ行こう。

 そこに現実逃避がないと言えば嘘になる。けれどもそうでもしないと、何も出来ずに終わりそうな自分が怖かった。

 

 ただ、ふと思い立って生まれ故郷を出る前に、町を見下ろせる場所を訪れた。背の低い山だが、町を十分に俯瞰できる所へ。

 学校を出て歩くほど見慣れた町が後ろへ過ぎ去っていく。時とともに変わって行く町。

 かつては静かだったこの町も、地理的優位さがついに認められたのか急激な開発が推し進められていた。そこに住む人々も変化を強いられ、秀信の手に収まるスマートフォンもその変化の一端であった。

 ガラケーひとつで大騒ぎだった半年前が少し懐かしい。

 

 時の流れは、人々の流れは、秀信の感傷なんて知らぬとばかりに押し流していく。

 それがどうしようもなく怖い。

 町だけじゃない。不変だと思っていたあいつらとの関係も、ついに変化を強いられた。

 それがどうしようもなく怖いのだ。

 町は居るべき場所だ。友は己を認めてくれる存在だ。それらが変わるのは、自分すら変容していく感覚を覚えて恐怖が胸を占めた。

 

 

「来たか」

 

 山の山頂には先客がいた。友人の正木隆。巌さながらの風貌を備える彼は胡座をかいて、町を見下ろしていた。まるで自分の来訪を予期していた、とでも言うように彼は振り向きもせず語りかけてきた。

 

「変わっていくな。どこも、かしこも」

「人も、じゃろう」

「ふ、確かにな」

 

 隣に座ると隆が口角を釣り上げ、懐からおもむろに酒瓶とお猪口を取り出した。大人たちからくすねては隠れて飲んでいた酒のつがいだ。

 酒瓶を傾け、なみなみと注ぐ。キュッと一息に飲み干し、度の強いアルコールが喉を焦がして、臓腑に落ちていく感覚に身を任せる。

 

「変わらんもんなんぞ、ありはせんのかも知れんのう」

「だが。少なくとも、俺は変わらん」

 

 断言する言葉に虚をつかれた。確かに世の中に変わらない人間が居るとすれば彼になるだろう……それは物心ついたあの日から変わらない。

 笑みが零れた。肩を揺らしながら喉を鳴らす。

 

「のう……お前はおいを覚えておいてくれるか」

「当たり前だろう」

「町を出ようと思う」

「好きにするといい」

「あいつみたいに変わっちまうかもしれん」

「それでも覚えている。俺はお前が……いや、違うな。今のお前が此処に居たことを。過去は変えられない」

 

 大きな言葉だった。少なくとも秀信は大きい力強いものが腹に染み渡っていく錯覚を覚えた。

 

「無事に帰ってこい。それだけだ」

「おう」

 

 柔らかい無表情を湛えたまま言い切った。彼は無言で拳を差し出し、秀信も我が意を得たりとコツンと突き合わせる。

 

 

 荷物を抱えてバス停に到着すると友人のひとりが待ち構えていた。森勇樹。彼はニヤニヤとひょうげた笑いを貼り付けていた。笑みを絶やさないのは秋文も一緒だが、どこか胡散臭さが拭えない印象を覚える。

 

「なんじゃお前、連れてけと言われても無理じゃぞ」

「まー、ボクは君たちほど繊細でもないから頓着しないだけどさ、ただ気になった事があってね? 君の旅行先って最近妙に行方不明事件が多発してるらしくってさー、気を付けてねって言いに来たんだ」

 

 アハハ、と飄々としたやつだが、無事に帰って来てほしいのは本心なのはよく分かっていた。

 へいへい、と頷いて頭を掻く。

 馬鹿だ、馬鹿だ、馬鹿野郎どもだ。

 だからこそ、思う。またあの日々に戻りたいと。あの黄金の日々を取り戻したいと。

 だからこそ、思う。この旅が終われば必ず決着をつけると。

 そう胸に刻み、秀信は歩き出した。

 

 空は未だに雲掛かって晴れないけれど、悪くない旅立ちに足取りは軽かった。

 

 目的地は栃木県、日光東照宮。

 東照大権現に神格化された徳川家康を祀る霊廟にして豪華絢爛な神社。

 

 それは荒木秀信と言う少年の人生を揺るがす───壮絶な旅の幕開けだった。

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