羅刹の拳【完結】   作:につけ丸

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誰もが魅せられたのだ。

戦士の咆哮に。英雄の背中に。王者の覇気に。





第4話

 ──栃木県日光市『日光東照宮』

 

 早朝。昨日とは打って変わり、今日は生憎のくもり模様で寒さも格段に増している。昨日の真夜中に起きた一件もあってなかなか寝付けなかったが生来の図太さを発揮し 、なんとか床についた秀信は溌剌とした顔で日光を訪れていた。

 電車に揺られて数時間、まだ九時にもならない時間だが流石は関東を代表する観光地。人や車の出入りでにぎやかだ。道と人を縫って表参道を通り抜けると、ついに大きな鳥居が目に入った。

 おおっ、見えた見えた。日光東照宮の一の鳥居が見えた時、秀信は思わず嘆声を漏らした。

 少し胸を撫で下ろす。紆余曲折はあったが、ついに秀信は目的地に辿りついたのだった。

 

 

 かつては徳川幕府の聖地と称された東照宮の豪華絢爛さは格別であった。

 四方に十二干支の像が施された五重塔、ひときわ目を引く黄金色の陽明門、極彩色のレリーフが散りばめられた本殿をはじめとする建造物の数々……。

 まさに"観"光地、視覚から入る情報量は秀信を満足させるに余りある光景であった。それから足早に境内を見て回った。

 

「うっし、これで一通り回ったか。しっかし、どこもかしこも綺麗なもんだが……。人がわんさか居るけん、なかなか見て回れんな」

 

 もう昼前だ。秀信が言うように現在の東照宮は来た時の何倍という人々が訪れ、かなりの賑わいを見せていた。あまりの多さに酔ってしまいそうだ。

 そんな騒がしい東照宮の隅で、秀信は小休止していた。

 時間は十時を過ぎたあたりで、これから東照宮に隣接する二荒山神社の見物に行き、その後はバスに乗り込んで中禅寺湖や戦場ヶ原のある奥日光にまで行こうと計画していた。

 ふわぁ、と大きなあくびが出る。朝が早かったからか眠気が顔を出してしまった。

 というか昨日あんなことがあったのに、しっかりと睡眠を確保できた自分の図太さに呆れてしまう。目元を擦りながら、旅程を頭の中で反芻しながら近くにある神厩舎の賑わいを眺めている時だった。

 

『────────』

 

 なにか、聞こえた気がした。

 なんじゃ? 少し驚いてあたりをキョロキョロと見渡す。けれど相変わらず視界に入ってくるのは観光客や絢爛な建物ばかりで特に変わったところは見受けられなかった。

 気のせいやったか。疲れとるんか? 情けないのう……。

 帰ったら鍛え直しじゃ、と視線を切ろうとした瞬間だった。

 

 ──違和感を感じた。

 

 それはほんの少しの違和感……。なんというか上手く言葉に出来ないが、見えているようで見えていない……()()()()()()()()()()、そんな不思議な感覚。

 思考を途切れさせれば、すぐにでも忘れてしまいそうな……少しの違和感だった。

 目を凝らして神経を研ぎ澄まし、やっと理解する。

 違和感の場所は神厩舎と呼ばれる『三猿』の像があることでも有名な建築物……の裏にある()だった。

 

 なんてことない場所なのに、何かが()()()()

 

 人々は気にした様子もなく通り過ぎていくというのに秀信はそこがひどく気になった。違和感に好奇心がもたげると同時に警鐘が耳鳴りとなって響いた。

 けれども秀信は訝し気な表情を浮かべながらもゆっくりと林へ向かっていた。

 

 たしかに、何かがおかしい。

 

 近づけば近づくほど、認識しにくくなっていくのが分かる。気を抜けば本当に見失ってしまいそうだ。自分でもよく分からないほど意固地になりながらも、ついに辿り着いた。

 やはり、おかしい。林の奥が不自然なほど見通せない。林の中に入ってしまっていいのだろうか、怖気づきそうな心を「男は度胸!」と叱咤する 

 好奇心は猫を殺す、そんな単語が頭を過ぎったが思い切って秀信は進んだ。そうして、足を踏み入れた瞬間だった。

 

『─────た』

 

 ノイズの掛かった声とともに、世界が塗り替わった。

 ぞわり、と踏み出した足から薄闇のように、しかし鈍いなにかか噴き出し、秀信は囚われてしまった。

 瞬間、思考は深く深く霧がかり瞳には鈍い光が宿った。

 思考が茫洋としている。だというのに足が……一歩、また、一歩、ブリキのように、確実に動いていく。

 こっちに来い、こっちに来い。……そう囁かれてる気がして、此岸から彼岸へ引っ張られているよう。

 身体はまったく言う事を聞かず、その様子を高いところで別の自分が眺めていた。"幽体離脱"という言葉がきれいに当てはまほど心身が剥離していた。

 疑問よりも先に思ったのは"不快さ"だった。自分が自分ではない。まるで自分が二つに別れてしまって、そのどちらの感覚も共有している不愉快さ。

 あまりの不快さに血の流れが逆流する錯覚を覚えた。耳を打つ血流の音はまるで荒波に似ていた。ヘモグロビンが酸素を脳へ送り届ける前に一酸化炭素に寝取られてしまう気さえした。

 

 歩みは止まらない。

 さく、さく、と湿った地面から音が鳴り、どこまも同じような杉並木が続いていく。出口のない迷いの森に入ってしまったかのよう。

 

『────けた』

 

 またノイズがかった声が聞こえた。その声が鍵だったのか、秀信の瞳に理性の光が戻った。ふらつく頭を抱えて未だにぼやけた思考に活を入れる。

 

 辺りを見回せば、どこかの古びたお社に居た。

 長年の劣化が原因だろうか? 建物の半分ほどが大きく崩れている。それにしては傷が新しい。なにか大きな爆発か、強い突風にでも晒された様相を呈していた。

 

「どこや……ここは……? ……日光東照宮のお社、か?」

 

 不気味な場所だった。長居してはならないと、さざめきのような警鐘が中耳骨の内から響いている。

 秀信は身体能力が並ではない。常人の数十倍はある膂力にスタミナ、それは見た目を裏切らない。

 そして彼の本能や直感もまた獣並みに鋭い。

 その直感が叫びを上げている。引き返せ、と。しかし、引き返す訳には行かなかった。

 

「誰かは知らんが変なところに連れてきやがって……!」

 

 自分は確かに"呼ばれた"のだ。であれば、すごすごと引き下がる訳にはいかない。せめて正体を知ってからにしないと腹の虫が収まらない。

 ともあれ未だ頭がふらつく。座れる場所を……そう思い立って、手ごろな場所を探していたとき、とあるものが視界を掠めた。

 

「ん? あれは」 

 

 それは、一見、ただの布きれに見えた。けれどこの場所には不釣り合いな物でもだった。京劇に出てきそうな赤や黄色の散りばめられた暖色系の布は、茶や黒といった寒色系ばかりの林は居場所ではなかった。

 

 それに……変だ、何かが。

 

 言葉にするのはひどく難しい。

 情報量、と例えればいいのだろうか? 視界にあるどんな存在より、それこそ目の前にある古びたお社でさえも歯牙にかけない、目に見えた圧力となって存在感を放っていた。

 どうしても振り払えず、気になって仕方なくて、気付けばもう眼前にまで歩み寄り、布を手に取っていた。手に取ってしまった。

 

『──()()()()

 

 まずっ──! 

 気付いた時には、もう遅かった。翼を広げて獲物を捕らえんとする猛禽のごとく広がった帯は秀信の右腕を絡め取るように巻き付いたのだ

 

「────!」

 

 驚愕の声を上げる暇もなかった。まるで溶鉱炉のなかにうごめく融解した鉄のなかへ手を突っ込んだかのように熱を感じた。熱は手を伝って、心臓に届き、成果丹田の奥底まで浸透した。

 感触は痛みであり衝撃だった。耐えきれず秀信の意識は無へと落ちていった。

 

 

 

 ○◎●

 

 

 

 

 目を開ければ、ドス黒い雲がわだかまる夜空が見えた。濃密な生命を感じる芳醇な匂いに葉擦れと鳥のさえずり、素肌に伝う風の冷たさが意識を覚醒させたのだと当たりを付けた。

 脳から命令を下せば、四肢はいつも通り正常に機能する。この頑丈すぎるほどに頑丈な身体は、長年付き合ってきた己でさえ死ぬビジョンが見えないのだから頼もしい。

 

「な……?」

 

 上半身を起こし辺りを眺めると、そこで初めて以前と様相が一変していることに気が付いた。

 いつの間にかジャングルの中に身を置いている。まるで戦争映画に出てくる密林よろしく、鬱蒼とした森にいた。

 

 同時に気付く。────ここは、知らない場所だ、と。

 

 秀信のありとあらゆる感覚が確信とともに、この上なく警鐘を鳴らしていた。此処はまずい、と。

 国や県、そんな次元の話ではない。そんな小さな違いで済むような場所ではないと気が付いたから。

 まるで深海の底や宇宙の果てに放り投げられたような……いや、それよりももっと酷い感覚に、怖気が全身をねぶっていく。──同時、右腕に違和感を感じた。

 

「腕がッ!?」

 

 意識を失う前に突如として腕に巻き付いた布が、じわじわと面積を広げ、今ではもう肩にまで這い回って来るではないか。

 どうなっとるんや!? 秀信は混乱の極致にあった。

 焦りが全身を駆け抜け、ありえない事態に動転しそうになる。必死で戸惑い荒れる感情を押さえつけながら、空いた左手でむんずと布を引っ掴んだ。

 だが、どれだけ踏ん張ろうと取れやしない。

 

「クソッタレェ、こんまま身体に纏わり付くようなら……! ───ッオオオオオッ!」

 

 地鳴りが起きるほどの雄叫びを上げる秀信。いっそ肩が引き千切れてしまえ! なりふり構わず引っ張ろうとした瞬間だった。

 

『ふむ……なかなかにしぶとい。さすがは私の眼鏡に適った少年。そう易々とは従ってくれはしないか。ふふ、なかなかどうして、万事上手く行かないものだ』

 

 さっきまで蠢いていた布が動きを止め、どこからか若い青年の声が響いた。けれど人影などどこにもない。

 

「ど、どっから聞こえる声じゃ!」

『おかしなことを言う。君の目の前に居るだろう? それと先刻、君の肉体にしっかりと取り"憑か"せてもらった故、外れる事は叶わない。まあ一蓮托生と言っても過言ではないな』

 

 どこか古風で変テコな言葉遣いで語り掛けてくる声はささやき声さながらに小さな声だったが、不思議なほどに秀信の耳に届いた。威、と言うのだろうか? 聞いた瞬間、すべてのこと唯々諾々と従ってしまいそうな威厳を感じた。

 まさか。

 声の聞こえる方向にギクリとしながら、視線を落とし布を見やれば、先程まではなかったはずの装飾が描かれていた。奇妙な『眼』の模様が。そうして導かれる解は……。

 

「布が喋っちょるのか!? んなバカな!」

『ふっ、この程度で驚いていてはこの先身が持たないぞ。君も驚いてるだろが、名乗らせてもらおう。

 私は二郎真君。玉皇天帝の甥にして天地両軍の将、顕聖二郎真君を見知りおけ』

「顕聖、二郎真君……?」

 

 聞き覚えのある名前だった。昔、隆と勇樹が一緒になってやっていたゲームに出てきた中国の英雄の名だ。興味はなかったが、友人二人が熱心に語り合っていたので記憶には留めておいたから、こんな時でも思い出すことが出来た。

 しかし思い出す記憶が確かだったら、それはおとぎ話の話だ。架空の話で現実の話などではない。よしんば真実だとしても何千年と昔の話だ。

 信じられる訳がなく……いや、そうだ。昨晩のことを思い出せ。あの人知を超えた御業と、神々しい黒犬の存在を。もしかすると、二郎真君とやらが嘘を言っていないかも、という疑心がもたげた。

 

『私の名乗りは、今はよい。それよりも私の指し示す場所へ急げ。でなければ君は後悔することになるだろう』

「なにを言っとるんじゃ───ぬお!?」

 

 言い終わるが早いか、右手に巻き付いた布に引っ張られた。たたらを踏みながらどこかへ連れられていく。

 

「おい! おい! どこに連れいくつもりじゃ!?」

『何から何まですまないないが……今は急いでくれ、力なき者たちが襲われているのだ』

「は、はぁ!? 襲われとる!? 誰が、何に!?」

『───口にするより見た方が早い!』

 

 草木を掻きわけた先に見えはものは、まさに常識をひっくり返す光景であった。

 

 ───"猿"だ。猿が人を襲っているのだ。

 

 薄闇の中で双眸に宿るタペータムの光が茫洋と浮かび縦横無尽に蠢くのは、猿だった。

 それも一匹だけではない。ニホンザル、アカゲザル、マントヒヒ、オラウータン、マウンテンゴリラ……この世のありとあらゆる種類の猿が何十何百と群れては人々を襲っている。

 対する人もまた普通ではなかった。何十人という人間が神職の者が着る装束をまとい刀や槍、なぎなた……多種多様の武器を振り回ししのぎを削っている。

 後から知ったことであったが、彼らは古来より呪術師や魔術師、あるいは魔女などと呼ばれ、内に秘めた"呪力"と呼ばれる力を自在に操る術を持った者たちであると言う。

 

 そんな事を知る由もない秀信は、さらなる混乱の渦に叩き込まれ……はしなかった。昨晩、という下地があったからか多少なりとも冷静さをもって秀信は戦場を観た。ひとつでも情報を、と両の目をカッと開いてつぶさに観る。

 戦いの趨勢はここから見る限り、押されているのは人間側。何倍もある数の差に太刀打ちできていない。

 

「……現実、なのか?」

『君の眼は節穴かな? 見えるものすべて現実そのものだ。君の前に広がる、あの人も猿の魔物もすべて現実だ』

 

 嘘だ、と叫びたかった。

 けれど鉄のさびたような血の匂いも、聞こえてくる猿叫も呻吟も、早鐘を打つ鼓動も、何もかもが本当の事なのだと示していた。

 

「おいに何をさせたかとや……戦え、と。そういうとか?」

『ああ、そうだとも。そのために君を呼んだ。君の力があればあの者たちを助けることができる……そう見極め、君をこの幽世へ呼んだのだ』

 

 噛んだ唇から盛大に血が吹き出た。反吐が出そうだった。悪態をつきたい衝動に駆られ……けれどもう、そんな余裕も逡巡もする時間は残されていなかった。

 人を優に越える大猿が、若い青年に組み付いたのだ。人間側にも動揺が広がるのを肌で感じた。あの青年こそが集団の頭なのだと直感で理解した。故に、猶予は一刻もない。

 

「だりゃあああああッ!!!」

 

 秀信は風となった。

 胸中にあるのは、ただ助けなければ、と言う思いだけ。それ以外の余計な感情は削ぎ落とし、ひたすらに駆けていた。大猿に目標を定め、拳を抜き放つ。

 ───穿! 

 拳をしたたかに浴びた大猿は、一切の重量感を感じさせぬまま……それこそプラスチック製のマネキンさながらの軽快さで吹き飛んでいく。

 荒木秀信。人類史上から鑑みても桁外れの大力を持つ彼は容貌魁偉にして、膂力無双を持つ少年である。

 故に百キロはあったであろう、あの大猿の巨体を吹き飛ばす事が出来た。

 

 はぁ、はぁ……。ただひとり勝者の息遣いが木霊する。

 敵も味方もなく、誰もが静止していた。人魔、騒乱の舞台に突然乱入してきた存在に、戦場の"刻"が止まってしまった。故に、此処が分水嶺。

 

「勝つぞ──ッ!」

 

 本能のままに叫ぶ。背に受けるすべての視線に向けて。彼に生まれ持って備わった戦場勘が「叫べ!」と語りかけてきたのだから。

 

 ───うぉぉぉおおおおおおおおおッ!!! 

 

 果たして、応えはあった。

 呼応する人々の雄叫びは先刻と打って変わって闘士に満ちていた。もはやそこに劣勢に喘いでいた弱兵はいない。

 誰もが魅せられたのだ。

 戦士の咆哮に。英雄の背中に。王者の覇気に。

 たった一声。ただの一言で、劣勢をものともしない軍勢に早変わりさせた。

 武神たる二郎真君の眼鏡に適ったのも頷ける、天賦の才というには余りある戦いへの天稟が示された瞬間であった。

 

 だが相対する猿の軍勢も負けてはいない。もとより個々が人よりも優れた身体能力を持ち、呪力すら有する存在なのだ。少しばかり敵の威勢が良くなろうとも、揺るがない地力の差があった。

 

「ありがとう! さっきは助かった!」

「よか! 今はコイツらをさっさと片付けるぞ!」

「ああ!」

 

 背中合わせに言葉を交わす。

 名前も顔も、未だ満足に知れていないというのに背中を預けるに足る者である、という確信があった。

 しかし、幹彦は焦りを拭えなかった。彼の参戦によって戦線が持ち直したのは間違いない……が、一時的に高揚状態に陥っただけで息切れは必ず訪れる。数の不利もある。

 秀信の参戦は、当座の急場を切り抜ける効果はあったが、依然として窮状であることには変わらなかった。

 引き際を見誤ってはいけない、と幹彦は思案する。

 ここで敗北しても、何の関係もない民間人である彼だけは逃がす……! そう決意し、幹彦は死線へ臨んだ。

 

 ……しかし結局、それは杞憂に終わる事となった。

 

 (およ)そ、二百と四十六匹。

 

 総勢三百は居た猿の魔物を相手取り、荒木秀信という少年が叩き出したキルスコアである。

 まさに鬼神のごとき強さであったと、その場に居合わせた呪術師たちは口を揃えて言う。

 

 勝負は決した。人間側の勝利であった。

 

 

 

 

 終わったか……。

 肩を張るほど大きく息を吸って、安堵の息を吐く。己が発する返り血と汗のにおい、空気を漂う肉の焦げたにおいや深い、森の清涼な薫りとが入り混じりすこぶる奇妙な異臭と変わって秀信の表情を歪めさせた。

 

「先ずは礼を言わせてくれ。君が居なかったあの戦いを生き残れなかった。僕だけじゃなく、ここにいるみんなも、だ。改めて本当にありがとう……君は命の恩人だよ」

 

 九法塚幹彦、と名乗った実直そうな青年は生真面目な顔でそう言って頭を下げ、秀信の腕を取っては嬉しそうに破顔した。

 猿との戦いで怪我と疲労が蓄積されているだろう彼だったが、それを感じさせない笑みだった。

 

「荒木秀信です、秀信でよかです。……それに気にせんでください。おいもいきなり此処に連れて来られて、戦えって言われて、そんで我武者羅に戦って……正直、なにがなんだか分かっとらんとです……」

「戦えと言われた、だって?」

 

 目を瞠いた幹彦に、秀信も目を瞬かせた。てっきり幹彦が戦場へ呼んだのだと思っていたが違うらしい。少しでも情報が欲しかった二人は、ここに至った経緯を掻い摘んで話し合うことにした。

 

 幹彦は語った。九法塚家の家業には日光東照宮に施された術式『弼馬温』を監視、管理するお役目があること。

 そして最近になって件の封印が破られ斉天大聖が復活してしまったこと。そして再度封印するためここに来たことを。

 

 秀信は観光で日光東照宮に訪れ、ふるびたお社……幹彦は西天宮と呼ぶ……に迷い込み、「二郎真君」と名乗る布に取り憑かれたこと。

 そして訳も分からず、"幽世"に連れ去られ戦場まで導かれたこと。

 

「なるほど、一般人である君がここまで来れた理由がやっと分かったよ。それに『弼馬温』の核となった顕聖符の所在もね」

 

 すべてを話し終えた幹彦の表情は少しだけ柔らかくなっていた。

 

「君がこの幽世に現れたときは本当に驚いたよ。普通の人間がなにも持たずに身一つでやってきて、しかもあの猿と戦い始めたんだからね。……でもそういう経緯があった訳か」

 

 納得したように幹彦は言い、秀信の目を真っ直ぐに見て話し始めた。

 

「助けてもらったのは感謝している……けれど、君は現世に帰りなさい。君を戦いに巻き込んでしまったことには申し訳なく思っている。

 だからこそ安全な場所に戻ってくれ。……君はただ巻き込まれただけの一般人なんだ。こんなところで傷付く必要はないよ」

 

 秀信の肩に手を置いた幹彦は、穏やかに微笑んだ。

 

『───いや、それには及ばない。この難局、乗り切るには彼の力が必要となるゆえな』

「ッ何者だ!?」

 

 誰何の問いに、果たして答えはあった。……それも秀信の右腕から。

 

『私は天帝が甥にして天地両軍の将、顕聖二郎真君である、と言えばよいかな?』

 

 その言葉の投じた変化は顕著であった。幹彦を含め、人間すべてが手を止め跪いたのだ。

 

「あ、貴方が……! まさかその霊布が御身であったとは! 知らぬ事とは言え、汗顔の極み。先程の失礼をお詫び申し上げます。この咎は日光は西天宮を守護する九法塚が総頭、幹彦にひとりに帰するものと御容赦下さい……!」

『ふふ、かまわない。此度の斉天大聖誅伐の仕儀において、私と君たちは同士ゆえな。だのに何故咎め立てできようか?』

「……! 御身もまた斉天大聖討伐に轡を並べられると! これは心強い!」

『ああ。そして、そこな少年もまた同士である』

 

 幹彦たちのリアクションにぽかんとしていた秀信が、二郎真君の一言で話題の中心に引っ張り出された。

 

「わしが、か……?」

『そうだ。今からおよそ七回ほど太陽と月が交叉する前のこと。三百年余、この地に封じられていた斉天大聖が『弼馬温』の軛を引き千切り、復活を遂げた。それは九法塚である君たちも知るところであろう』

「は! 私どもがここに居るのも、その異変を受けてのことですから」

『うむ。彼奴の暴れん坊ぶりは故事を紐解かずとも分かる通り、現世に繰り出せば騒乱を起こすのは必定……これに気付いた私も誅伐のため一度は戦ったが……敗れてしまった』

「なっ! ま、まさかそんな! 二郎真君様が!?」

『今こうして布として身を窶している事こそ、その証左。しかしその甲斐あってふたたび幽世に斉天大聖めを封じることに成功した。だが彼奴は天に唾吐く暴れん坊、必ずや自由を求め地上に現れるだろう……』

「はい。古老の方々も尽力されていると聞き及んでおります」

『うむ。彼らのお蔭で時間稼ぎが出来ているが……私も座視するつもりは無い』

 

 おお、と平服している人々から熱を帯びた声が漏れた。

 

『故に思案を巡らせ、思い至ったのが人の子に頼ることだった。それも只人ではいけない。類稀なほどに強い者でなければ。

 ……そして君を見出したのだ。一目見れば分かった。君には格別の戦士の相がある、と』

 

 右腕に巻き付いた布の『目』の模様が動き、秀信の双眸をのぞき込む。

 まったくの門外漢な秀信は難解な授業されている気分に陥っていたと言うのに、話を振られ思わず鼻白んだ。

 

『少年、後生だ。斉天大聖めを討つ大儀のため、どうか私に協力してはくれまいか?』

「………………」

 

 即決できなかった。できるわけが無い。思わず目をそらす。

 

「ま、待ってください! 彼は確かに強い! それは先刻の戦いを見れば、論ずるまでもありません! 

 ですが彼は無関係の民間人です! それに体躯は立派ですが、まだ子供なのはわかります! それを巻き込むなどたとえ二郎真君様であろうと言語道断です!」

『しかし。君たち只人にあの斉天大聖に抗しうる手段があるのかね? ……すまないが、私はこの者に取り憑いているから、君たちへの助力は叶わないぞ』

「……それには及びません。我々も無策で、死地に来たわけではありません。ここへ来る前、古老の方々よりこの『斬竜刀』を預かっております故」

 

 そう言うと幹彦は懐から一本の古びた匕首を取り出した。

 

『む。その横溢する呪力……『禍祓い』か』

「は、古老の方々が『弼馬温』黎明のころより禍祓いの巫女に頼み、呪力を籠めさせた逸品に御座います。これさえあれば斉天大聖と言えども無視し得ぬでしょう」

『なるほど、得心いった』

 

 これには二郎真君も納得できるものがあったのか、語気が弱くなった。

 

「それにしてもなぜ今になって『弼馬温』が破られたのでしょう? 

 禍祓いの巫女もここ百年は空位、それに加えここ数ヶ月、龍蛇や『まつろわぬ神』の類も出現したとの報告もありませんでした。故に疑問だったのです」

 

 秀信は気付いていた。悩んでいる己を慮って幹彦が、強引に話題を変えてくれた事を。

 それは二郎真君も理解したのだろう、一呼吸置いたあとそれに乗った。

 

『これは()()の掟にも通ずる故、詳しくは話せぬが……とある予言により『弼馬温』の意義がなくなってしまった。それがこの騒動の原因だろう』

 

 その言葉は、九法塚の者たちにとって途方もない衝撃となって波紋を呼んだ。

 

「わ、我ら九法塚家が守護してきたお役目の意味が薄くなっていた、と……?」

 

 平服していた幹彦の拳は白に染まり、言葉は悲鳴じみていた。幹彦の言葉に二郎真君は無言を貫いた。

 

「そう、ですか……お話は分かりました。意義が薄くなろうと『弼馬温』が破られた事は紛うこと無き事実、斉天大聖の存在も消えるわけでは御座いません」

 

 一つひとつ、ゆっくりと言葉を吐き出す幹彦は瞑目したままであった。一族の紡いできたものを軽視されていた彼の胸中は如何ばかりか。

 苦悩が空気を伝わって、心に響いてくるような錯覚すらも覚えて。口を出さずには、いられなかった。

 

「……信じるとですか? だいぶ荒唐無稽な話ですし、コイツ、あんま信用できんですよ」

 

 何も知らないからこそ、秀信はその言葉を投げ掛けれたのだろう。それに秀信としても、ふざけるな! と、二郎真君に怒鳴り散らしたかったのが本音だった。

 事後承諾すらなくこんな変な事件に巻き込まれ、あまつさえ戦いに身を投じろとすら言われたのだから。

 なにが一蓮托生だ! なにが大義だ! と、そう叫びたかった。

 けれど、口を食い縛って耐えている彼らを差し置いて、そんな事できる筈もなく。

 

 それに何百年もここを守ってきたという彼らを蔑ろにして自分が首を突っ込んでもいいのか。

 それが気になって仕方がない。秀信という少年は、大胆不敵ではあったが、厚顔無恥ではなかった。

 考えれば考えるほど、この状況を作った斉天大聖とやらと二郎真君にはむかっ腹が立った。

 

「信じるさ。ぼくら九法塚の一族は斉天大聖を封じる『弼馬温』守護の御役目を担っていたけれど、いつかは破られるとは考えていたんだ。……そしてそれは僕の代だった。それだけだよ。まぁ、信じたくないのが本音だけどね」

 

 肩をすくめて微笑む。そこにはさっきまでの動揺からいち早く立ち直り、窮状を打開しようとする男の姿があった。

 強か人じゃ……。

 傍から見ても真面目そうな彼は一族の使命だけでなく、現世を危機に晒してなるものか、という義憤もあるのだろう。秀信にとっても好ましく思えた。未だにどうするか決めかねている己とは大違いだった。

 

「……これから、幹彦さんらはどがんすっとですか?」

「決まっているさ、止めに行くよ。『弼馬温』の管理、ひいては日ノ本の静謐を司っているのが僕らだ。それを差し引いてもこの未曽有の危機はどうにかしなければいけないと思う。

 それが蟷螂の斧だとしてもね……西洋風に言えばノブレス・オブリージュ、かな」

 

 幹彦が微笑んで──()()が現れたのは、唐突であった。

 気付けば秀信以外のこの場にいる人間すべてが───倒れ伏していた。重力が一瞬で何百何千倍にも跳ね上がったかのような重圧に。 

 なぜ気付かなかったのか、この全身が総毛立ち血が逆流したかと錯覚するほどの"威圧"に。

 

 気配は頭上。秀信の直上付近から、傲岸に見下ろしているものがいる……奥歯を噛み砕きそうなほど食い縛り、頭上を見上げればやはり、()()

 

「──はは、何やら騒がしいと思えば……なるほどおぬしの差し金かね? 二郎殿」

 

 天から見下ろすは赤い眼球と金色の瞳。身に纏うものは京劇の舞台衣装を思わせる豪奢なそれ。金の雲に乗り睥睨するものの正体は、金毛に包まれ赤ら顔を持った"猿の化生"であった。

 

 ───()()()()

 

 なんだ、あれは。

 数なんて、意志なんて、運なんて、関係はない。存在の格からして、足元にも及ばない。

 矜持、信念、アイデンティティ……己を構成するすべてのものが足元から崩れ去った感覚に震えが止まらない。

 

『現れたか、斉天大聖。……君の無法は看過できるものではないゆえな、恥を忍んで雪辱を果たしに来たぞ』

「はははははは!!! 笑わせてくれるのう二郎殿。何を言い出すかと思えば、夢物語の類かね? 今のおぬしになにが出来る? ……しかし我の懐でちょろちょろされるのも目障りじゃのう」

 

 あの金色の猿が放つ一言ひとことが、まるで鉛の重さを持って身体に伸し掛かる。

 今、二郎真君が言った名。()()()()という名が、『猿の化生』の正体と全ての異常の理由を物語っていた。

 これが『神』……! 

 額をつたい落ちた大粒の汗が目に入り酸味を感じさせ、心臓が早鐘を打つのを堪えきれない。

 二郎真君を小馬鹿にしていた斉天大聖が顎に手を当て、悩むような仕草を取った。思案しているのだ……偉大なる王者として争いの芽を摘んでおくか、圧倒的強者の傲りとしてこのまま泳がせておくかを……。

 

「───ん? そこにおるのは人の子か?」

 

 そこで、初めて斉天大聖は秀信を認識した。それも秀信だけを。幹彦たちなんぞ、物の数にも入っちゃいない。

 

「なるほど、己だけでは太刀打ち出来んから人の子と組んで捲土重来する腹積もりだったようだが……しかしその目論見も上手く行っておらぬと見える。ますます情けないのう二郎殿」

『………………』

「おぬしも不憫じゃのう。クク、どうじゃ今からでも遅くない。我の側に付くならば生かしてやっても良いぞ、え?」

 

 秀信は一言も喋ることなく、黙り込んでいた。ただの一瞬足りとも、視線を反らすことなく。

 分かった。判ってしまった。何故、二郎真君も幹彦さんたちも命を賭けて戦っていたのか。……それをすべて理解した。

 

 ───コイツを野放しにしたら、いけん。野に放ったが最後、地上はとんでもない事になる……! 

 

 此処に至って、秀信の肚は決まった。

 

「……その目、気に入らんのう。所詮、敗北者に拐かされた馬鹿な人の子か。ふんっ、わしが手を出すのも惜しいわ。───眷属よ、貴様に任せるぞ」

 

 そう吐き捨てた斉天大聖は、そのまま何処かへ去って行った。

 終わったのか? 全神経が弛緩しかけた瞬間、……二郎真君が呟いた。

 

『───来るぞ』

 

 何が、と聞くより早く巨大なナニカがジャングルを飛び越え、秀信の眼前に()()()()()

 ズン! と腹の底に響くほどの振動を鳴らし、現れたのは丸い毛玉だった。否、毛玉などではない。現れたソレは、その巨体からは想像もできない俊敏さでやおらに立ち上がったのだから。

 ───ソレは()()だった。

 今まで屠った猿とは一線を画す、はるかに強大な()をもった巨猿であった。

 体毛はオレンジがかった赤銅色。憤怒の形相を湛え、サイズも普通ではなく、ジャングルの木よりも背が高かった。身の丈十二、三メートルというところか。体型も遅しい。手が長くて短足。ずんぐりむっくとしオラウータンに近いだろう。

 その威容に知れず、首筋を伝い落ちる冷たいものを強く自覚する。

 

 あれは"神獣"───。

 

 斉天大聖に仕える猿……おとぎ話に出てくる龍にも比肩するほどの強大な敵。先刻の猿など歯牙にも掛けない大敵。

 

 ────GYAAAAAAAAAAAA!!! 

 

 荒ぶる神の眷属は文字通り猿叫を上げ、秀信に踊りかかった!

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