羅刹の拳【完結】   作:につけ丸

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蕾のなかに広がる光景は国そのものであった。
神の坐すところ。やはり尋常ではない。




第7話

 ──月光の翳った闇をひらすらに駆けていた。

 

 うっすらと朧げに映る草木を掘り返さんばかりに地面を蹴っ飛ばしひた走る。

 ここは森。駆け回るには障害になるものが多くある。そもそもが息苦しいほど生命の息吹薫る鬱蒼したジャングルなのだ。

 今のようになりふり構わず走れば、容易くどこかの幹にぶつかるか枝に足を取られるのは明白だ。

 しかし緩めることは一切しなかった。

 

 べちゃり、べちゃり。

 ぬかるんだ地面が跳ね、気持ちの悪い感触に不快感を覚える。

 ずっと走り続けているからか足に疲労が貯まりきって、こわばり始めている。

 酸素を貪欲に欲する身体をどうにかしようと、息遣いが聴覚を満たすほど荒い。

 もうどれだけ走ったのか、それすら見当も付かない。けれども足を止める気はさらさらなかった。

 

 せめてこの森を抜けなければ! 今にも停止してしまいそうな身体を厳しく叱咤し、どこまでも駆けていく。否、駆けているのではない……逃げているのだ。後ろからやってくる恐ろしい者から。

 逃げろ、足を動かせ、立ち止まるな。さもなければ追い付かれるぞ───悪鬼に! 

 

 なりふり構っていられない全力疾走。だというのに、逃げ切ったという安堵はまったく得られない。なんで自分がこんな目にあっているんだ! ふざけるな! そういってゲームの電源を切るようにプツンとこの状況から脱することが出来ればどんなに楽だろうか? しかし後ろ確かに迫る恐怖は刻一刻と近づいている。

 

 懸命に走り、ついに森の出口を見つけた。長い長いトンネルをから見える光にも似ていて、心に安堵と歓喜がどこまでも伸びあがって弾けてしまう。

 やっと、振り切れた。

 これで一安心だ。

 ああ、戻れたら旨い酒をしこたま飲んで飲んで飲み干してしまおう! 

 安堵が安心を生み、安心が余裕を、余裕が夢想を描いて───打ち砕かれた。

 

 ぬうっ、と。

 闇の中から、"手"が現れた。地獄に引きずり込むかのごとき魔手でありながら、勇敢な戦士さながらに力強い手。

 総毛立つ、とはこのことだった。全身が恐怖に絡めとられ、凡そ構成するすべての筋肉が硬直する。その隙を見逃す相手ではなかった。

 嘘だと叫びたかった。奴が此処に居るのは……それは……とある真実を乗り越えなければ辿り着けないから。

 バカな! そんなことはあり得ない! 

 導き出された事実に驚愕するより早く、顔面をその掌に掴まれた。

 どんな膂力があればそんな事が可能なのか? 

 その手は片手のまま、地面に足が付かないほど、高く、高く持ち上げていく。

 

「あり得ない! あり得ない! あり得ないッ!!! 我々は()を超えていたのだぞ! ───荒木秀信……!」

 

 それが末期の言葉となった。

 掌力絶大。握力を高めた手は、まるで熟れた柘榴のように斉天大聖の眷属たる者を握り潰してしまった。

 

「……死ぬ時くらい、黙って死んどけや」

 

 ぼたり、ぼたり。

 掌から落ちる物は握り潰した血や脳漿だけではない。秀信に刻まれたいくつもの裂傷から赤黒い血液が滴りおちていく。

 彼は満身創痍だった。

 辛勝である。快勝とはほど遠い。けれども全ての猿を惨殺せしめたのだ。

 吐、と深い呼気が洩れる。しかしそこに安堵の色はカケラもなく、どこまでも熱く煮えたぎる激情のみがあった。

 秀信はいま、この上ないほど怒り狂っていた。

 うつむき地面を凝視する瞳には、怨敵の姿しか映っていない。猿の毛生"斉天大聖"……己の仇へどこまでも殺意を迸らせる。

 

「斉天大聖……お前を殺す……!」

 

 怒髪天の形相を湛え、怒りに身を震わせる。

 悪鬼が、一匹。そこには、居た。

 

 

 

 斉天大聖の坐する本拠地で快進撃を続ける。幸いなことに森を抜ける道案内は、さっきの猿がやってくれた。

 彼の身体に刻まれた傷はすでにない。二郎真君の力……『破邪の意思』とでも名付けようか? それのお蔭によるものだろう、あらゆる戦傷は快癒していた。

 それを鬱陶しく思わないでもなかったが、秀信の胸中は、意外にもおだやかだった。怒りに囚われたままでは勝てない、と本能的に悟っていたからかも知れない。

 

 二郎真君もまた彼に力を貸しながら、彼の怒りを鎮めることに労力を惜しまなかった。彼の荒々しい覇気のなかに凛々しい闘志とが交互に沸き上がる。秀信は動、二郎真君は静。見る者が見ればさぞ珍妙なことだろう。

 だが、今こそ荒木秀信と二郎真君のベストコンディションだった。

 二郎真君を受け入れた秀信は、天賦の肉体に、武神が揮う武芸の数々を習得し、力と技を極めた状態に居た。まさに大敵を相手取るに相応しいもの。

 仲が良いとは口が裂けても言えない二人であったが、利害は一致している。呉越同舟、というには些か語弊があるが私情を呑み込みここに立っていた。

 

 森を抜けれてみれば、斉天大聖の本拠はすぐだった。

 一言で言えば、湖。

 奥日光の中禅寺湖を思わせるその場所は、今まで歩いてきた場所と打って変わって、雲が途切れ、薄闇を切り払う光のカーテンが照らし出していた。

 湖を囲むように三山や五嶽にも肩を並べそうな背が高い山々が軒を連ね、湖の水源は、雲の揺蕩う場所と同じところから流れ落ちる大瀑布。

 そして湖の中心地には蓮の蕾じみた浮き島が、ひとつ。 水の上に浮かぶ蕾は金色と朱色が入り乱れ、それだけで一つの宝玉かと見紛うほどであった。

 

「なん、じゃあ、ありゃあ……国、か……?」

 

 そう漏らしたのも無理はない。蕾のなかに広がる光景は国そのものであった。神の坐すところ。やはり尋常ではない。

 いくつもの豪華絢爛な建物が建ち並ぶ蕾は中心に向かうほどに盛り上がっていき、最奥には紫禁城さながらの壮大な城が鎮座していた。

 まさに人智を超えた領域。『神』の住まうに相応しい神域であった。

 

「綺麗なもんじゃな……。ここが敵地じゃなかぎ、見惚れっちょった」

『宜なるかな。しかし今は捨て置け。

 あれが斉天大聖めがこの幽世にて創り出した『領域』の中枢。奴の伝承にもある花果山水簾洞、それを模したものなのだろう。……そして、斉天大聖めはあの城にいる』

「あん? わかるとか?」

『うむ。君も()を凝らせば分かるはずだ』

「………………」

 

 目を、凝らす? 

 二郎真君から底上げされているのは視力も同じようで、国の中の様子もここからでもハッキリ視えた。

 それは見れば見るほど頭がおかしくなりそうな光景だった。

 

 幹彦や秀信が戦ってきたあの猿たちが、さも我々は歴っきとした「人」であると言わんばかりに数多の猿たちが王国で生活を送っているのだから。

 眼に入る深い毛並みでおおわれた猿は一様に衣服をまとい、強化された耳朶を打つにぎやかな声は明らかに言語を解していた。

 往来にはまるで人の子供がそうするように何匹かの子ザルがそこかしこを駆け回り、旅芸人風の猿が技を披露すれば道行く猿たちが愉快気に手を叩いて笑う。

 まるで猿の惑星じゃな……。

 寒気がした。人類が取って代わられ、似たような生物が地上を闊歩する未来を幻視して。

 現世に斉天大聖が現れれば、必ず()()なるのだと、茫然と悟る。

 

『人の子よ。かも知れない未来を見て焦燥に駆られるのは分かるが、私が言っているのはそうではない』

「……?」

『それではたた景色を漠然と見ているにすぎない。私の言う『眼』とは、神獣と干戈を交えた折、君が垣間見た武の秘奥たる『心眼』のことを指す。実在する姿ではなく、観念的な姿を捉えるのだ』

「…………」

 

 分からない。が、なんとなく言っていることは理解できた。あの巨猿と戦ったときに踏み入れた感覚を知らなければ、入り込めないステージ。

 今の二郎真君の言葉を借りるならば、『心眼』と呼ばれるものだ。

 以前であれば、神獣と戦うときのような極限状態でしか使用できなかったソレも、今では平時でも使うことが出来ていた。

 

『眼』を、凝らす。──今度は"観えた"。

 中心地にそびえ立つ紫禁城じみた城からは揺らめく陽炎さながらの()()が噴き出し、黄金色に包まれていた。

 二郎真君、という力を失っているが『神』を宿しているからこそ理解できた。あれは神気。人とは、生物とは、根本から違う存在があそこにいるのだ。間違いない。あそこに斉天大聖が居る。確信が生まれ──

 

 ───バチッ! 

 

 そこまでだった。

 眼球に直接、電流を流しこまれたような鋭い痛み。痛みを堪えながら眼を閉じて首を振る。

 

『ふふ、気付かれたようだな』

 

 どこか面白がる声音の二郎真君に、彼の意図を悟り、思わず視線を鋭くする。

 

「お前分かってやっちょったな?」

『バレてしまったか。しかし構わないだろう? 君だってそう言う腹積もりだったのだ』

「質問を質問で返すな、アホンダラ」

 

 見透かしたような口調の二郎真君に、苛立たし気に返す。鼻を鳴らして、心が見透かされるんは不便じゃのう、と肩を竦めた。だが話は早い。

 

「おう、そうよ。オツムの悪かおいのやる事なんぞ決まっちょる。真正面から突っ込む。それしかなか」

 

 当然、と言わんばかりに秀信が脳筋的模範解答を述べ、たまらないと言った風に二郎真君も笑い声を上げ、道筋は見えた。あとは走るだけ。

 

 

 

 森から浮き島へ侵入するルートは、岸から浮き島へ繋がる橋しかなかった。後は泳ぐくらいか。

 もう大聖にはバレている以上、隠れても意味はない。

 だから秀信はそのまま一切隠れることなく正面の一番大きな橋から渡ることにした。

 

 橋を渡り城門に立った時、そいつは降ってきた。

 

 神獣たる巨猿──。

 初めて相まみえた時と同じく、奴は空から跳躍にて秀信の前へ現れた。過去を鮮明になぞる動作で、むくり、と身を起こす。身構える秀信を一瞥すると、そのまま身を翻して来た方向へ去っていった。

 相手は三日前、死闘を演じた大敵だ。警戒を解くわけにも行かず、困惑を口にした。

 

「何じゃ? 襲ってこんぞ?」

『……』

 

 すぐさま戦いになだれ込むと想定していた両者は、正直拍子抜けした思いだった。

 そうしてこちらに背を向け城門の前に立つと、逞しい両腕でギギギ……、と少しずつ少しずつ開け始めたではないか。

 これにはさしもの秀信も驚きを隠せなかった。

 

「なにか企んどるようには見えんが……。ホントに敵意がなかごたのう」

『君もそう見えるか。しかし相手は化かし合いならば比倫を絶する斉天大聖。進むにせよ何にせよ、油断してはならん』

「うっさいわ。お前に言われんでも分かっちょる」

 

 結託した二人ではあったが、基本的に仲の悪さは変わらないようだ。

 ……というか秀信側が嫌っている、と言っても良かったが、まぁ過去の経緯を思えば当たり前ではあった。

 

「………………」

 

 巨猿はこちらを振り返ることなく、歩みを進めていく。目指しているのは、どうやらあの巨大な城。

 少しでも路地に入れば迷路じみた場所になるが、一直線に走るこの道とこれみよがしに鎮座する城を目印にすればもう迷いようがない。

 疑いようもない。彼らの足は止まることはなかった。

 

「遠くからでも分かっとったばってん、広すぎじゃなかか……。あと目がチカチカする」

 

 見えた景色から推察できたように蕾のなかは広大であった。なにかに襲われては堪らん、と足早に進んでいた秀信だが、なかなかたどり着かない。

 ただまっすぐ歩くだけでも、それなりの時間が流れいた。

 それにここから見える巨大の城も街並みも、柱や瓦、外壁に至るまで朱色に染まり、その合間を縫うように金が施され、いっそ清々しいほどに派手派手しい。

 

『この領域の主は斉天大聖。あの派手好きならば仕方ないことではあるが……苦手かな?』

「まぁな。おいはどちらかと言うと金閣より銀閣の方が好きな性質じゃしのう……。野山でウサギ追いかけとった田舎もんには肌に合わんわ」

『ふふ、そうか。斯くいう私も華美なものは苦手でね。……天帝の甥ではあるが地上を流浪していてな、意外と朴訥なのだよ私は』

「うそこけ」

 

 二郎真君が何やら嘯いて、それを耳をほじりながら、聞き流す秀信。ここが死地なのを理解しているのか疑問になるほどの振る舞いであった。

 そうする間にも、休まず歩を進め、やはり阻むものは一つたりともなかった。

 そこそこの時間を要しながらも秀信は大聖の塒たる城にたどり着いた。

 

「こっからが本番、か」

 

 近づくごとにより濃密になっていく噎せそうな気配に腕をぐるりと回して、首を鳴らす。

 先刻までのゆるさはとうに消え、眼光鋭く戦意を横溢させるばかり。切り替えの早さ、これもまた秀信の才の一つであった。

 

 踏み入れた城の縄張りは大阪城のような輪郭式に似た形だった。

 三の丸、二の丸、本丸と連なり、その廓ごとには、此の城からでも見える大瀑布をから曳いた水掘が配置されていた。堅固な巨城である、しかしそんな些事など関係はないのだろう。

 

()()()()()()()()()()()

 その事実さえあればあらゆる防衛機能など意味を持たない。比類なき絢爛さと勇壮さのみが、この城の存在価値なのだ。

 

 香炉から立ち込める甘い薫香……水掘から伝う芳醇な水の香り……かすかに香る木々の匂い……。

 なんやこの城は。拳をきつくきつく握り締める。

 桃源郷に踏み入れたかのような甘やかな空間。気を抜けばすぐにでも、夢遊病のごとく意識が空へ飛んで行きそうだった。

 城内に潜むものたちの息遣いだけが、秀信を陶酔させなないように繋ぎ止めるか細い紐であった。

 いくつも連なる扉を開いて、開いて。最後の扉が開け放たれた。

 案内役だった隻眼の巨猿は、己の仕事は終わったと言わんばかりに広場の隅へ向かい……

 

「おう、おう。遠路はるばるご苦労じゃの二郎殿」

 

 ついに辿り着いた。『まつろわぬ神』斉天大聖・孫悟空の眼前へ。奥歯を噛み締め、双眸をまろびでらんばかりにカッと開く。

 アイツが! アイツがッ! 

 心が逸る。怒りが零れ落ちる。血が逆流する錯覚を覚えた。殺意、敵意。どこまでも激しく底のないそれを、長槍のごとく大聖に突きつけた。

 

「ええい、わめくなわめくな。殺気をわんわんと向けおって、まったく鬱陶しい小童じゃ」

 

 ごろんと上座で横になっている大聖が、桃を齧りながら鬱陶しげに顔を顰めた。どこまでも傲慢な姿に、はらわたが煮えくり返る。

 二郎真君が秀信の様子を鑑みて、埒が明かないと判断したのだろう、質問を投げかけた。

 

『斉天大聖、君と私たちは敵対していたと記憶していたのだが……なぜ此処まで引き入れた?』

「なぁに、己を取り戻すまでのほんの座興じゃ。このまま座しておっても、時は我の味方。勝ちを労せず拾えるが……それでは面白味がないからの」

 

 ぐるりと見渡せばばここは、楕円形を成すリングであった。戦うにはお誂え向きの場所。

 それに大聖の居る上座からなら、広いリングも良く見下ろせるだろう。

 

「故に、彩りが欲しい。苦節三百年、顎で使われた我が雪辱を果たすため奮起し、あの古老とか言う輩も、宿敵たる二郎殿も、我の武と大望の前には破れた……そのような遊びがあった方が面白かろう?」

 

 その言葉を聞いて、黙っていられる筈がなかった。

 

「馬鹿を言うなエテ公……いや、斉天大聖」

「あん?」

「なにが遊びじゃ、なにが彩りじゃ……」

 

 鼻を大きく鳴らす。滑稽な話だと小馬鹿にしながら。

 

「封印()()()のがお前だろう? 封印()()()()のがこいつに幹彦さんらじゃろう?」

『人の子よ』

「止めるな。……誤魔化しても、威張っても、手前が敗北者だった過去は変わらんじゃろうが。ええ? どうなんじゃ言ってみぃ」

 

 一瞬だけ斉天大聖が能面になった気した。見間違いだったのかもしれない。斉天大聖はすぐにオトガイに手を当て、思案する仕草を取った。

 

「……おお、おぬしに言われて思い出したわ。地上からわらわら湧いた人の子どもか。我はほっといても良かったんだがのう? 気付けば眷属どもが勝手に片付けておったわ。じゃから、我に言われてもそんなもん知らんわ」

「お前は……っ!」

『落ち着きたまえ。己の感情に呑まれては仕舞だぞ』

「あ、安心しろ。……だいぶ落ち着いとるわ」

 

 灼熱の吐息を吐き出し、肩で息をする。目が滾って、握り締めた拳が拳を砕きそうだ。

 食い縛った唇から赤黒い血液が垂れようと、マグマのごとく煮え滾った情感は一向に冷えそうにない。

 そんな秀信の様子をニヤニヤと睥睨しながら、余裕綽綽とした態度で片手を上げては振る仕草を取った。

 それが、合図だった。

 

 ズン! ズン! ズン! 

 

 三度、地面が震え、見上げた先には阿吽像じみた巨驅を誇る巨猿が三匹。

 何処かに潜んでいた大聖の眷属が、不遜にも主に挑みかからんとする人間に鉄槌を下そうと現れたのである。

 

「そぉら、ひねり潰せい!」

 

 大聖の号令のもと、三体の巨猿は無防備な秀信に躍りかかった! 

 

 

 

 荒木秀信は長い人類史の中でも、おおよそ最高峰の身体能力を誇る少年である。世が世であれば、その腕っぷしで如何なる乱世とて駆け抜け、統一を果たしただろう。まさに英雄の称号に相応しい天稟を持っていた。

 その少年が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……。

 それは人の身でありながら、神にも届きうる存在となるに違いない。あの時、あの場所で。二郎真君が秀信と出会い、見出した事こそ類稀なる僥倖だったのだ。

 

「ほう」

 

 感嘆の息を漏らしたのは、嘗てその暴れん坊ぶりから大鬧天宮と言う逸話すら生み、天竺へ旅立っては道中いくつもの魔を降して"闘勝戦仏"の名を授かった闘神だった。

 

「あの若さで心眼の法訣を会得するか。クククッ、巻き込まれただけの只の人の子じゃと思っておったが……。なかなかどうして、()()

 

 鮮血の雨が降り注ぐ。蹴り。殴打。掌底。点穴。

 動きの一つひとつに無駄がない。ともすれば刀剣地味たキレさえ介在していて。

 人体の構造を理解したその動きは、さながら快刀乱麻を断つ軽妙さで一息に巨猿を屠っていく。そこに巨猿と戦った初戦の拙さはどこにもない。ともすれば流麗ささえ備えていて。

 緩急自在にして独特な動きは、中国武術のそれ。二郎真君の武技を見事、()()、にしている証左であった。

 たとえ複数の神獣であっても、斃れるのは時間の問題でしかなかった。

 

「お前の手下どもは、片付けたぞ! さっさと降りて来いエテ公!」

 

 雄々しい身体には鮮血がこびりつけど無傷。有象無象に満身創痍となり遅れを取っていた者の姿はない。

 一挙手一投足を追うごとに二郎真君の知識や技が、猛烈な勢いで馴染んでいくのを感じる。

 確かに脅威かも知れんのう……。まぁ、それもここまでよ。口角を吊り上げ、鼻を鳴らす。

 

「んなわけあるかい。そぉれ───来ませい」

 

 現れたのは、人型の猿であった。

 されどこれまでの巨猿と違い、矮軀である。ともすれば秀信よりも数十センチは低い。大聖と同じく金色の毛で身を包み、その上から瑠璃紺の衣を身に纏っている。掌中に収まっているのは二尺ほどの刀身を持つ、柳葉刀。

 見咎めた瞬間、二郎真君が囁くように語りかけてきた。

 

『覚悟せよ、人の子よ。この戦い生半な気持ちで進めば死より他にはないぞ』

「……どういう事じゃ?」

『今までの戦いはお遊びに過ぎなかった、と言うことだ。先刻斃した三匹の巨猿とも、そこな隻眼の巨猿とも、違う。同じ神獣でありながら、抜きん出た力を持つ者。神が振るう権能にも匹敵する最高位の神獣だ』

 

 二郎真君のどこか焦りの混ざった声を聞きながら、なるほど、と一人納得していた。

 今まで大聖がなぜ秀信の行く手を阻むことをしなかったのか。阻まなかったのではない……阻む必要がなかったのだ。

 例えどんな侵入者が現れようとあの金の人猿、或いは"霊猴"と呼んでもいい神獣が出張れば、すぐさま息の根を止めることができるのだから。

 ───だから、だからなんだと言うのか。

 

「死ぬ気で片す!」

 

 

 そう意気込んで──瞬間、両者は"風"となった。

 

 金光一閃。

 

 気合一閃。

 

 虚空を煌めく二条の閃光。次いで、虚空を揺らす音の波動。身の程知らずにも『神』に挑む少年の、前哨戦の開幕であった。

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