羅刹の拳【完結】   作:につけ丸

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お前は、わしだ──

──我は、汝。

 
わしは、お前だ──

──汝は、我。


赤黒い腕が赤に染まる。熱され融け合う鉄のように、酸素を取り込んだ血のように。


第8話

 初動は、トンッ、と前のめりに片足立ちになる動作だった。なんてことはない簡素な動作で……けれど秀信の『眼』には観えた。臍下丹田から湧き出る呪力が、片足へ流れ込んでいくのを。 

 

 ───煌ッ! 

 

 直後、膨大な呪力が圧縮され紫電へと変わると霊猴の下肢で弾けた。防げたのは二郎真君の助けがあったからに他ならない。接触した部位が千切れ飛ばなかったのは二郎真君の宿った右腕だったからに他ならない。秀信だけならば初撃で絶命していた。

 ぶわ、と汗腺が広がって雫が滴り落ちた。息を吐き、生きているこの一瞬に感謝した。

 

「…………すまん」

『構わない。それよりあの一撃、この身に受けて術理を理解できたぞ』

「術理?」

『うむ。とはいえ、そもそもあれは術と呼べるほど難解なものではないが。……いたって単純、何をしているのかと言えば、()()()()()()()()()()()()。しかし雷を纏い、稲妻にも等しい速さで揮えば、ただの蹴りでも必殺の矛となる』

 

 単純明快、しかし強力無比。今の秀信にとって死を連想させる刃に他ならない。

 弾! 今度は秀信が地面を踏み込む。

 秀信の脚力で踏み込んでも綻びを見せないリングは大聖が設えたからだろう。ちょっとやそっとの攻撃では傷ひとつ付かない頑丈さを持っていた。

 これが屋外ならば、秀信が動き回るだけで、雷蹴の余波だけで、地面は崩れ硝子化していたに違いない。

 

 あの稲妻に等しい蹴りは強力だ。しかし秀信は凌ぐ方法を思いつき、手段も持っていた。先日、開眼した『心眼』を使うのだ。

 本来、一度は武の深淵を覗き『心眼』を行使するに至ったとはいえ、未熟な彼は手足のように『心眼』を行使出来ない筈。だが二郎真君の助けがあれば話は別。

 電光石火、閃電神速、韋駄天足などと呼ばれる極めて速い神速域のものであれ見切ることを可能にしていた。

 

 けれど。

 

 ふたたび閃光。

 鮮血が舞った。

 

 秀信の上半身に横一文字に疵痕が残った。落雷による樹状の傷と同じものが微細に広がる。

 避けられなかった。神速は速すぎて制御が難しく大振りになりがちだ。一直線上でしか突っ込んで来ない。

 それでも躱せない。ただただ速すぎるから。

 

「グッ……!」

 

 二の腕から胸を通り、反対の二の腕にまで到達した傷が、秀信の顔を歪ませた。対処など不可能だ。

 神速とは神の領域を指す。人は神の領域には至れない、人から外れたものを神というのだから。

 まだだっ、まだだっ、──まだだッ! 

 痛みを堪え、カッと目を見開く。目を皿にし虹彩が充血しても知るかと敵を凝視する。『心眼』を最大限に開眼し、時間がひどくゆっくりになっていく。全身全霊を懸け、迎え討たんとする。

 

『否。……それでは、いけない』

 

 二郎真君が語りかけてきた。

 

『我武者羅な力だけでは、いけない』

 

 二郎真君が言葉もなく伝えてくる。欲するものの逆を行え、と。

 ものを良く見たいのならば、盲よ。ものを良く聞きたいのならば耳聾よ。生きたいのならば生を捨てよ。死中にこそ活あり、と。

 

 本当に、気に入らん。秀信は思った。

 今の今まで大敵と干戈を交えていたと言うのに、自分は右腕にすっ込んで眺めていた奴が、こんな時だけと偉そうに助言して行くのだ。本当に気に入らない。

 だが一番気に入らないのは、その助言を欲していた自分自身だ。思わず苦虫を噛み潰したような顔になってしまう。

 

 けれどそれも一瞬のこと。今度は、すべての五感を断った。目を瞑り、耳を塞いで、息を止めて、味蕾を閉ざし、触覚を切った。眼前に迫った敵を前にして、気が狂ったかと思えるその動作。

 力任せにやってもダメだったことが、ふっと力を抜くと豆腐を裂くかのように簡単に出来る事がある。

 秀信がやっているのは、それとなんら変わりない。思考がひどくクリアになっていく。するすると一点に意思が集中していき、秀信はひとつの境地に辿り着いた。心眼の要諦たる"観の目"が、一個の術となるのが手に取るように分かったのだ。

 見切りの心眼が目覚めた。霊猴の軌跡が、刃風の嘶きが、敵意が、己が、心の音が、すべてが知覚できた。

 神速域で飛来する霊猴を手と腕の甲で、裏拳打ちし、受け流す。

 だけどあの術は絶大に過ぎた。

 いかに見切ろうと手が焼き焦げる。黒煙が灰も同然な手と腕から燻る。

 

『まだ諦めないつもりか』

 

 二郎真君の思念に無言を貫いた。霊猴は想像以上に強い。二郎真君の助力でなんとか生を繋げられる……それほど隔絶していた。けれど力を借りるつもりなど毛頭なかった。力を借りる行為はきっと身体を明け渡すことだ。

 

『このままでは君は死ぬぞ』

 

 ひとつ、ふたつ、みっつ…………。二郎真君の手助けがあればこそ絶命に至らないまでも急襲する蹴りが秀信の身体を確実に削っていく。

 腕の中から破砕音が響き、複雑骨折したのか皮膚の内側から黄ばんだ骨が飛び出ていた。痛みで全身が埋め尽くされていた。痛覚を伝える神経がパンクしそうなほど、身体のそこかしこが限界を叫んだ。

 

『人には踏み入れられない領域がある。人のままでは神には、権能の一端である霊猴には勝てないのだ』

 

 秀信は無視した。

 

『何故分からない。このままでは……』

 

 二郎真君の言葉は、甘言だと思った。悟りを開く直前のブッダが、第六天魔王に囁きかけられているのと同じだと思った。

 耳を貸し、楽な道を選んで、肉体を一度でも明け渡せば……おそらく寄生してきたコイツに奪われてしまうだろう。秀信は意識と思考から二郎真君を追い出そうとした。

 

『頼む。私の声を聴いてくれ』

 

 二郎真君の声が遠い。どこか遠くで鼓動も聴こえる。ただ、物悲しい青年の声が心に刻まれていくのは確かだった。

 

『君はどうすれば私に信を置いてくれる。心を開いてくれる。耳を貸してくれる』

 

 心眼を行使しているからか、一瞬の間にも二郎真君は言葉を重ねた。

 

『私の赤心を語れば、君は心を開いてくれるか』

 

 心眼を行使し、二郎真君の言葉が届く間にも霊猴の攻撃は続いた。走り回った犬を思わせる動作で激しく息を吸って吐く。隙を見せれば即死の極限状態。霊猴の息をつかせぬ攻撃は精神を消耗し、意識を朦朧とさせていく。己を強く律し、全身全霊を掛けて臨まねばならなかった。些かの油断でさえ、手ぐすね引く死神はワッと飛び出してきて命を掠奪していくだろう……だから二郎真君の言葉に耳を傾けるなど──

 

『──()()()()()()()()

 

 思いがけない言葉に心眼が揺らぎ、腹部にしたたかな衝撃が走った。少しの間、臓物が喉に詰まって呼吸不全になった。

 

『数日前。君と少女の前に現れた、()()()()()()()()()()

 

 総毛立った。呼吸不全などどうでもよかった。数秒間、生命を狙って襲いかかる霊猴すら意識を外して、二郎真君の宿る『目』を凝視した。

 

『私自身というには些か語弊があるが哮天犬は私の半身であり分身であり、私が狩猟神であったころの名残なのだ』

 

 その時、秀信を占めた感情は怒りだったのか疑念だったのか。しかし先ほどまでとは打って変わり、二郎真君の言葉が待ち長く焦れったかった。

 

『だから』

 

 優しく穏やかな二郎真君の微笑みを幻視した気がした。

 

『君のお蔭だ。私が正道から外れず外道に堕ちずにすんだのは』

 

 

 

「な……ぜ」

 

 咽喉がけいれんを起こして発声が上手くいかない。でも知らなければ後悔するという確信が、秀信を突き動かした。

 

『私は元来、破邪顕正を定められた神だった。そして君と話している私も、顕聖之符という呪符を媒介として《不死の領域》から御霊をほんの少し降臨させただけの存在に過ぎない。

 ……しかし、だからこそまつろわぬ神が齊しく有する"まつろわぬ性"を持たず"悪しき魔を討つ善なる武神"として振る舞えた』

 

おかしいとは思っていた。まつろわぬ斉天大聖があれほど無法を働き、右手に宿る二郎真君はなぜ勝ち筋の見えない戦いに身を投じているのか。

同じ神であってもまったく別なのだ。落魄した二郎真君は。しかし、最初からそうであった訳では無い。

 

『私は"悪しき魔を討つ善なる武神"という己の性に忠実に従い、斉天大聖に挑み、そして──敗れた。力の大半を喪った。……私のなかで何かが外れたのはこの時だったのだろう』

「外れた?」

『まつろわぬ性に呑まれたといってもいい。私は破邪顕正の神として斉天大聖を野放しにしてはならなかった。座して滅びるなど我が神性が許さなかった……そして神性が導くままに斉天大聖へ捲土重来を誓い、力を取り戻すべく哮天犬を放った』

「……力を取り戻す方法は…………」

『察しているのだろう? ──巫女とは人身御供とされ供物としたなら神の良き滋養となる存在。そしてあの少女ほど才に溢れているならば格別だ』

 

 秀信は今が戦場であることも忘れて目を伏せた。怒りは湧かなかった。ただ悲しかった。

 まつろわぬ性がどういうものなのか詳しく知らない。けれど、善き神様であっただろう二郎真君が、外道に堕ちる寸前まで追い詰めた性などきっと碌でもないものに違いない。

 

『踏みとどまれたのは君のお陰だ。君があの時、我が牙から少女を救ってくれなければ……私は外道に堕ちていた』

 

 二郎真君の淵源をすこし垣間見た。

 

『そして、だからこそ、君を見出した』

 

 繋がった気がした。何故、ただの人間で、旅行をしていただけの自分を、二郎真君が見出したのか。神に連なる者である彼が、甲斐甲斐しく自分の世話を焼いてくれたのか。

 

『赤心を語った上で、もう一度頼む。私を受け入れてくれないか』

「受け入れる……とは」

『我らは異心同体。私の手によって君と私は比喩ではなく"一"となった。本来ならば我らの間には言葉も必要ない……我らは相即不離なのだから、他者へと意思を伝える言霊は意味を持たない──

 

 ──あとは心さえ合わせてしまえば、という二郎真君に秀信は即答できなかった。口を閉ざし、霊猴の一撃で盛大に吹き飛びながら、それでも意識は右腕の『目』に向かっていた。

 

「お前を……許す気は無い」

『それでいい』

「お前を頼らんと敵に勝てない自分が許せん」

『私もだ荒木秀信。私が居なけれ君は死んでしまうように、君が居なければ私は果てる。私が居なければ勝ち目がないように、君が居なければ私は勝てない』

 

 御霊をほんの一部降ろした神と、人を外れきれない人間。どこまでいっても半端者同士。破れ鍋に綴じ蓋。きっと二人でやっと一人前になれるのだ。

 右腕の感覚が徐々に広がっていく。いや、二郎真君の感覚が自分と重なりはじめているのだ。奇妙な感覚だった。

 きっと、自分の指はこれほど分厚くはなかった。

 きっと、自分の心臓はもっと早かった。

 きっと、自分の目は三つもなかった。

 小さな差異が違和感となって重なろうとした彼らを阻もうと壁となった。そして壁を取り払ったのは"痛み"だった。

 二人は痛覚も共有する。傷付けられれば同じ部位に痛みを感じれば、怒りを生んで、怒りは戦意へと変わる。敵を排除しようと、決意を滾らせる。

 存在を調和させるものは痛みだ。痛みは怒りを生む。怒りは錨となって存在へと導いた。そして二人は唐突に悟った。

 

 お前は、わしだ──

 

 ──我は、汝。

 

 わしは、お前だ──

 

 ──汝は、我。

 

 

 赤黒い腕が鮮烈な赤に染まる。熱され融け合う鉄のように、酸素を取り込んだ血のように。

 

 中空を駆ける霊猴は危機的なものを察知したのか、霹靂さながらの速度を一切ゆるめる事はなく──左腰に佩いた剣を抜いた。

 刀身のきらめきが雫を連想させる刃だった。二郎真君が柳葉刀だと言葉もなくつぶやき、およそ二尺はあろうかと言う剣は、その身に受ければ大柄な秀信でも両断してしまうだろう。

 霊猴が一息に三間の地点にまで接敵した。

 右手に握った柳葉刀を構えるのが観えた。地面と垂直に構えられた剣が、ギラリと光を放つ。

 冷たい青味を帯びた刀身が、担い手の金毛を映し出して、金へと変わっていた。あの凶刃が己を捉えるまで、一弾指に六十五あると言う刹那のすら要らないだろう。

 ついに、死の一閃が揮われ──ガキンッ! と金属と金属の打ち合わさる甲高い音が、いやに響いた。

 音源は、秀信と剣の間から。もっと言うなれば、剣の刀身と秀信の"歯"が打ち合わさった音だった。

 荒木秀信と二郎真君。渾身の真剣白刃取りである。霊猴どころか大敵たる斉天大聖さえ瞠目するのが分かって、鼻を鳴らしたい衝動に駆られた。

 しかし未だ死中にあり。

 ぐらり。剣の勢いに逆らわず、その上で、剣を引っ張りながら背中から地面へ倒れていく。背が地面に叩き付けられ、衝動が身体中へひろがる。圧迫された肺腑から、呼気が出口を求めて咽喉へせり上がる。

 秀信は吐き出さなかった……これは種火だ。秀信に釣られ前のめりになった霊猴へ、攻撃を繰り出すための種火。

 全神経を集中させ、すべての力を右足へ送る。力を分散させず、呼気を圧縮し、臍下丹田の気と練り込んで──放つ。

 弾ッ! 秀信の右足は人体の急所たる鳩尾穴へしたたかに叩き込まれた。霊猴は苦悶の声を上げながら、まるで蹴り上げたボールのように景気よく吹き飛んだ。

 

 見たか! 歓喜の念に胸中が沸きあがり二郎真君に諌められた。

 余韻は一瞬の束の間だった。

 霊猴は中空でくるりと回って、十間ほど離れた地点で何事もなかったかのように着地した。

 ちょっとショックだった。

 霊猴から一切目を逸らさず、息を整える。束の間の安らぎ、逃す手はなかった。少しばかり優勢にはなったものの、それ以前の消耗が激しい。防ぎ切れなかった剣が舌と口内を切ったのだろう、鉄錆びた味が味覚を満たしている事に気付く。残され時間は少ない。

 霊猴が口を開いたのは、そんな時だった。

 

「人如きがなかなか足掻く……されど此処まで。疾く引導を渡しくれる」

「お前、しゃべれたのか」

「大聖様の聖域に入り込み、多くの眷属を手にかけ、あまつさえ牙を剥くなど言語道断」

「おい、シカトか」

「路傍の砂となりてその命の軽さをとくと知るが良い!」

「なんじゃ、亡骸を残してくれるんか。豪気じゃのう!」

 

 再開の合図などない。ただ戦意のぶつかり合いが鏑矢となった。

 もうちょい会話を繋いで、休みたかった。

 そんな甘えた思考を殴り付け、真っ向から挑む。それにさっきの会話だけでも、死闘を乗り切るくらいの体力は快復している。

 

 無色透明な大気が朱に染まり、己の身命が散華していく。

 それでも剣は錆びない。

 それでも拳は衰えない。

 そして音がした。

 肉を打つ音。風を切る音。凪。金属を打つ音。雷鳴。打撃音。……咆哮。

 冷たく簡素な音が空間に木霊し、金色の線が幾条も疾走っては赤い点に殺到する。金の紐は直線と放物線を描いて、赤へ迫り受け流され黒煙のみが残った。十重二十重に向かってきた無数の線を、悉く躱して流す。それは流麗な舞にも似て。

 幾条もの線が殺到する。否、あれはそんなにも多くはない。たった一つ。あの線はたった一条でしかない。

 常人には見切れない速さで何重にも見えるのだ。

 線も点も、人の姿であった。

 およそ生物界では観測できない速さで疾駆し、それに応えるように舞って、互角に渡り合う。音が響けば、煙が舞う。霊猴と秀信は死闘を繰り広げ、終わりが目前に迫っていた。

 

 霊猴の剣が繰り出される。

 心臓を貫くことへ一点賭けした刺突。膂力はもとより重力さえ利用した霹靂さながらの唐竹割り。お次は踏み込んだ大地の反動を利用する剣豪の秘剣のごとき逆袈裟斬り。奥義の博覧会かと錯覚するほどの剣技の数々に目眩がしそうだ。

 刺突はどこまでも追い縋ってきて、唐竹割りは一歩間違えれば身体を持って行かれていた。逆袈裟斬りは避けきれず左腕に、一条の紅い筋が出来上がった。

 今まで戦った誰よりも、強い。確信とともに言える。

 だが、何故だろうか。恐ろしさをまったく感じなかった。二郎真君がともにあるから、ではない。

 確かにあの剣は早く、鋭い。けれど……。

 

「その剣……抜かん方が恐ろしかったぞ」

 

 剣が放たれると同時に、拳風を撒き散らしながら豪拳が放たれた。鈍い音のあとには短いうめき声。剣を受け流した秀信が、霊猴の横っ腹にしたたかな一撃を入れたのだ。

 

「今のお前は剣ばかりが前に出て、恐ろしさを欠片も感じん。ステゴロでやり合う方がもっと恐ろしかった」

「───!」

 

 こめかみに青筋を立てた霊猴が大きく仰け反り、息を吸う動作を取った。莫大な呪力が、沸く上がっていく。

 霊猴の操る術は雷。と言うことは……。

 

「電撃か!」

 

『心眼』を開眼する。刹那、霊猴の口から稲妻が迸った。大気をけたたましく叩き、大電力が秀信に迫る。

 秀信はそれでも泰然とした姿勢を崩さない。腰を落とし、膝を曲げ、背筋を伸ばし、どっしりと構えすらして。

 往くぞ。二郎真君の肯定を感じながら……次の瞬間、起きた出来事に霊猴は二度目の瞠目をせざるを得なかった。

 

 秀信は防いだ。

 雷撃を絡めるような()()()()で───。

 

 一体どんな技倆と術理があればそんな事が可能となるのか、秀信は雷撃を掌にひとまとめにし、皮を剥くように完璧に散らしてしまった。

 何なのだこの人間は……? だが流石と言うべきか霊猴は、すぐさま再起動した秀信も動き出そうとして……けれどここで計算違いが起きた。

 鋭い痛みに思わず立ち竦んでしまった。

 人間の皮膚には電気抵抗がある。だが、これは乾いた状態でしか維持できないものである。発汗している時や、今のように血まみれであれば、皆無に等しくなる。

 その隙を見逃す敵ではない。鋭い突きが一直線に放たれた。

 が、それは悪手。

 認めなければならなかった。相対する敵が、人の姿をしたバケモノである事を。

 不敵に笑う。秀信にはもう勝ち筋は観えていた。

 逡巡すらなく右腕を盾にする。冷たい金属の感触が、肌を、肉を、血管を貫いて突き進む。二郎真君と荒木秀信を貫く。

 痛い。痛い。痛い。とんでもなく痛い。

 痛みが怒りを生み、感情が爆発する。灼熱の化身と化したかのように身体が熱い。荒木秀信と二郎真君は咆哮した。

 

「『オォオァアァァアア───ッッッ!!!』」

 

 痛みが増大すればするほど"存在"の自覚が増える

 意識が重なり一体化する。二郎真君との同調は比率を増す。

 痛みが増すほど敵意が増す。敵意は強固な意志となり、意志はそのまま自我と化す。二つの自我が喰らい合いながら面積を広げ、自己と他者の境界が曖昧になって視界が白んだ。空間が己となって血が通いはじめた感覚さえあった。消えかかる自我を繋ぎ止めたのは、やはり痛みだった。

 

 痛みの在る場所は、自分だ。痛みこそ存在の証明。生まれた喜び。痛みの無い場所など無以外の何ものでもない。

 秀信は満身創痍だ。全身隈無く痛みに耐えていた。だから人という入れ物を認識し、人から外れず戻ってきた。

 

「覚悟しろ」

 

 血管が浮き上がらんばかりに筋肉を固める。右腕が猩々緋を纏う。沸騰した血潮が鉄剣を溶かし、融け合って、己が鋼へと変化するようだ。

 進み続けていた切っ先が、鼻先で止まった。

 

 一瞬の停滞のあと、リングに地鳴りが起きた。咆哮だ、大地を揺るがす雄叫びだ。

 キン、と金属音が響いた。右腕を勢いよく振り、刀身の真ん中から真っ二つに折ったのだ。さしもの霊猴も瞠目し──それは一瞬の隙。

 

 右拳を───放つ! 

 

 全身全霊を込めた一撃は、霊猴の右頬に突き刺さりリングの端まで派手に吹き飛ばした。

 どれほどの膂力が籠められていたのか。リングの壁に霊猴が叩き付けられ、轟音が響く。

 

「まだじゃァ!」

 

 そうだ。まだ奴は死んじゃおらん! 秀信は動いていた。

 確実にトドメを刺す。

 それまでは降せたとは言えない。

 首を撥ねねば。

 心臓を止めねば。

 魂魄を永訣させねば。

 生かして改心させるなどと言う甘さなど、悪鬼となった時に捨て去っていた。

 さながら虎が獲物に爪を突き立てるかのごとく飛び掛かって、何度も拳を振るった。人体を徹底的に壊す経穴を打ち、ダメ押しに四肢を砕く。

 

 

 わしの勝ちだ! 私の勝利だ! 俺の! 僕の! 我の! 余の! 妾の! この拳で砕いた! ぐちゃぐちゃにしてやった! 見てみろ自慢の毛並みも剥いでしまったぞ! ははは! 

 

 痛快だった。強敵を降し、痛みを与えた敵を破壊するのが。

 

 自儘に暴れる快感が背を走り抜け、終わらない射精感に涎が滴り落ちる。

 

 なんで変わってしまうのが怖いなどと怯えていたのか。

 

 

 馬鹿じゃないのか。 

 

 

 ああ、なんて気持ちがいいんだ。

 

 

「ギャハハハハハハハハハッ!」

 

哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈(はははははははははははは)ッ!』

 

 

 

 

 

 

「──まあ、ここまでかの」

 

 大聖の簡素な声が、いやに響いた。

 

「そうだ、そうだ。思い出した。おぬしらが痛めつけておるそやつは儂に抗った道士たちの長だったかの? 名はおぬしが言っておったのぉ……()()じゃったか。しかし所詮、()()()()()。その程度か」

 

 拳が凍り付いた。吹き出した汗が拳を濡らし、霊猴のか虫の息が、ゆっくり撫ぜていった。

 

 なんの、冗談だ。それは。

 

「ん、何じゃ小童? 鳩が豆鉄砲打ったような顔して? おぬしが今まで屠ってきた我が眷属の正体を知らなんだか? ───()()()()()()?」

 

 言霊ではなかった。

 決して神が振るう権能ではない。

 だと言うのに、秀信からおおよそ気力と呼ばれるすべての物が抜け落ち、抜け殻の様に茫然と己の拳を見るのみだった。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、気を付けてねって言いに来たんだよ』

 

 今になって思い出した友の言葉。人を猿に変える斉天大聖。数多の眷属。それを屠った己───。

 それを思い出すのと膝からくずおれるのとは同時だった。

 

 わしは、なにを。

 

『──いかん!』

 

 二郎真君が自失し、膝を折った秀信を動かしそのまま大跳躍して水堀へ向かうと水神としての神性を開放した。

 ドドドッ! 堀の水が氾濫し、溢れる水が秀信の巨体ごと押し流していった。

 

「呵呵可呵呵呵呵───ッ!!!」

 

 その遁走劇を睥睨し笑うのは一匹の猿。哄笑だけがどこまでも響きわたった。

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