羅刹の拳【完結】   作:につけ丸

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これは償いでもあり、斉天大聖に抗し得る起死回生の一手だ。


第9話

 まつろわぬ斉天大聖から逃げ出した彼らは、大河の流れに従い見つけたとある洞窟で身を隠していた。

 慟哭が洞窟を揺らす。荒ぶる咆哮は物悲しい慟哭を内孕んでいて、洞の奥にまで届くほどだった。血を吐くように男は叫んだ。何故だ、と。

 千の猿と三体の神獣。そして霊猴。敵として現れた者たちすべてが人間だったという……斉天大聖の言葉を信じるならば霊猴は幹彦であったとも。胃のあたりからせり上がってくる酸味が口内に広がり、口元を抑えた。

 力は失っているとはいえ二郎真君は『神』だ。武技はもとよりその叡智に何度助けられたか分からない。ならば人を変化させた眷属の正体を見抜けない道理はない。見抜けなかったでは済まされない。それなのに。

 右腕を千切らんばかりに握り締める。指先から血が滲み、痛みは二人を同調させる筈なのに、どこまでも両者を別かった。

 許せるものかよ……! 満腔から怒気を発露させ、二郎真君の宿る腕を睨み据える。神だろうがなんだろうが、こんな所業は許せるものでは無かった。

 

『…………』

 

 二郎真君は無言を貫いた。多くの敵を斃し、秀信との同調によって力を取り戻したのだろう……秀信の影が伸び、焚き火を挟むようにして黒い影がわだかまると、ゆっくりと人の姿を形作った。

 現れたのは美しい青年だった。凛々しく端正な美貌を持った美丈夫の青年で、特筆すべきは両の目の他にもう一つ、額に湛えられた『目』が覗いていること。

 "三眼"の美丈夫。それが二郎真君の真の姿であった。明らかに並ではない。『神』だと名乗られれば納得とともに頷くだけの神々しさに溢れていた。

 だからなんだ。一も二もなく胸ぐらを掴む。抵抗はなかった。下等な人間に詰め寄られようと視線の先の男は、瞑目していた瞼をゆっくり持ち上げると穏やかに問い返した。

 

『知っていれば……君は敵を討てたかな?』

「───!」

 

 無理だ。理論も感情もなしに結論が先に出た。

 己の同族を、共に駆けた戦友を、心を合わせ挑んだ同胞を……どうして己が手にかけることが出来ると言うのか。二の句が告げなかった。奥歯を噛み締め、胸ぐらを掴む手を強くするのみが返答となった。

 だが。だが。だが……。

 

「そいが言い訳になるとか……!」

『…………』

「普通に暮らしとったのに訳もわからず拐われた人らじゃぞ! 幹彦さんらは助けるために命を賭けて立ち向かって……じゃが、皆等しく人外へと変えられたんじゃぞ……!」

『弱肉強食は世の倣い。君も知らない訳ではあるまい』

「ンなもん……! 挙げ句の果てには、どがんなった!? 化け物のまま化け物(わし)に殺されて……こがん仕打ちがあるとかッ!?」

 

 秀信は泣いていた。両の目尻から珠のような涙をひっきりなしに。こんなに泣くのは初めてだった。殺してきたものたちが人だと分かった途端、傷を受けた節々から強烈な痛みが広がった。人から受けた傷によって人になれた。

 人は人を殺すときっと人ではなくなる。自身と似通った姿かたちをした存在を抹消すれば、自己の否定に繋がる。

 居なくなりたかった。

 変わってしまうのが怖い? 人殺しがなにをいう。

 もう自分は引き返せない場所にいた……斉天大聖も二郎真君もこの事件に加担し関連した魑魅どもを倒したなら自分も消え去りたかった。自分の生を否定したくて堪らない。

 慨嘆に暮れ悲しみに震える彼の耳朶が、青褪めた二郎真君の冷たい声を受け取った。

 

『君の言い分も分かる。だが大局を見て、私はそれが最善だと判断したまで。すべては秩序と安寧の為に行ったこと。君もこの世に住まうものならば理解せねばならない』

「手前ェッ!」

 

 二郎真君は能面の仮面を貼り付けたまま言い切った。能面とはいえ、薄らと笑みを含んだアルカイックスマイル。

 神は地上に降りれば、まつろわぬ性に呑まれて堕ちる。まつろわぬ神が力を失えば、まつろわぬ性も散逸するが力を取り戻せばすぐに戻ってしまう。二郎真君はその性質を忠実に再現しているように思えた。秀信との同調で、自我は強固となり力を取り戻し、そしてまつろわぬ性が快復した。

 だから、きっと、そのせいで彼は心無い言葉を浴びせるのだ。自分が変わってしまったように、二郎真君も変わってしまったのだ。

 意識と感覚を共有し、重なりあったなら分かることで……。

 

 

「………………」

 

 秀信は全ての動作を止めた。掴んでいた指を離して、肩を落として俯いた。二郎真君も悟ったように目を伏せた。

 わかっていた。二郎真君がそんな小細工などする筈がないことは。

 彼は自分で、自分は彼。あの戦いで総てを委ね合い、同調し合ったのだ。二郎真君が悟っているものを、秀信に見抜けない道理はなかった。

 斉天大聖は千変万化の神で、化かし合いも一級品だった。二郎真君となった秀信も見抜けなかっのなら、間抜けなのは秀信も同じだった。

 人に仇なすまつろわぬ神を誅伐するため立ち上がった戦士は悉く意気消沈し、沈痛な顔を浮かべていた。敗色濃厚どころではなく、そもそも相手にもされず、翻弄されている。

 

『荒木秀信、あまり自分を責めるな。……君に落ち度はない……それこそ君を拐かし、この地獄に放り投げた私にこそ責があるのだ』

「…………」

『君に同族殺しを強いてしまった罪。無辜の民から犠牲を出してしまった咎。それらすべては私の敗北が招いた罪なのだ。故に私は義務を果た贖罪としよう……()()()()()()

「……何?」

 

 何を言っているんだこいつは? 

 己を討てと言ったのか? 

 

「ふざけるな、なんでそがん事になる! そんなら今まで通り、お前と一緒にやればよかろうが!」

 

 驚愕に揺れる秀信をよそに、二郎真君はどこか天上の貴人を思わせる春風駘蕩とした笑みを浮かべ、つらつらと言葉を重ねていく。

 

『ふふ。巻き込まれただけだった君が、私とともに戦うことになんの隔意も抱いていないことに面映い気持ちもあるが……』

 

 篝火が揺れ、笑みを含んだ二郎真君が一層濃くなった錯覚を覚えた。現に彼の圧力は層倍したものとなり、秀信に伸し掛かった。

 

『これは償いでもあり、斉天大聖に抗し得る起死回生の一手だ』

「起死回生……?」

『うむ。君と重なり合い私はおおよそ三割程度の力を取り戻した……君とふたたび重なり合い、やっと五割というところだろう』

「やったら、そいで……!」

『それでは斉天大聖に全く歯が立たない』

 

 二郎真君は言葉のあいだ、ずっと穏やかな口調を崩さなかった。表情には優しいものを湛えていて、先ほどまでのアルカイックスマイルなどと遠い過去のようだ。

 

『だが、ダメなのだ。君と合力したとしても勝率は一割にも満たないだろう。それほどに斉天大聖めは強い』

「ならばなおさら分からん! なんでお前を殺さんとならん!?」

 

 厳かな声音で、ポツリと二郎真君は言葉を結んだ。

 

『───()()()()()()()()()()()()()

 

 小さな囁き声……だが、その言の葉はしっかりと秀信の耳に伝わった。

 

「神殺し、じゃと……?」

『そう。人間でありながら神を殺し、神に抗し得る力を所持する唯一の存在"()()()"。私が、或いは、私と君とで斉天大聖めを止める事が出来ればこんな事にはならなかったのだが……すまぬな、私の力不足だ』

 

 あの二郎真君が、どこか諦めたように力なく笑っている。それがどうしようもなく、心を締め付けた。今度こそ秀信は二の句が告げなくなった。

 

『斉天大聖の眷属が人を化かしたものたちで僥倖であった。私は三割ほどの力を取り戻し……ひとつの権能の行使が叶うようになった』

「権、能?」

『そう。天上の神々が、司り、意のままに振るうべき力の総称だ』

 

 神々は森羅万象を司る。あるいは森羅万象のなかから生まれ出ずる。海の神なら津波を起こせるし、豊穣の神なら空前絶後の豊作を授けるのも可能だ。神が振るうに相応しい奇跡を畏敬を込めて"権能"と呼んだ。

 

『まつろわぬ神は神話から外れるが、しかし、神話に縛られる存在だ。まつろわぬ神々が地上に現れる折、自身の神話をなぞり顕現するものも珍しくない。逆に言えば神話をなぞることで力を取り戻すことも可能なのだ。

 神話をなぞり私はまつろわぬ神へと到る。今までのような『弼馬温』の霊符に宿る意思として、ではなく斉天大聖めと同じ『神』として、な』

 

 静かに語ると二郎真君は秀信を正眼に捉えた。

 

『どうか私の後生の頼みを聞いてくれ。これが最後の願いだ。……私を弑逆し"神殺し"として新生するのだ。そして君が斉天大聖を討つ。これならば君という"神殺し"は生まれるが『まつろわぬ神』はすべて滅びる』

 

 何故こいつはいつもそうやってなんてことないように無茶な頼みばかりするのだ。よりいっそう笑みを深くした二郎真君が、眼差しを強くする。

 

『まつろわぬ神へと到るため、私は第三の『目』を開眼する。我が眼は真実の姿を映し出す破邪顕正の権能。……斉天大聖めの眷属を()に戻すことによって我が神力は快復する。

 誇ってくれ。力に快復も、眷属の正体も、私のみでは到底不可能だった……これもすべて君の尽力があればこそ』

 

 やめろ、やめてくれ。そう叫びたかった。

 

『確かに神殺しは世を麻のごとく乱す存在。しかし君ならば。荒木秀信。君という荒々しくも性根の正しい君ならば、大丈夫だ』

 

 秀信は何もいえなかった。咽喉が消失したかと錯覚するほど言葉が出ない。それに……己の命を賭けて臨まんとする眼の前の戦士に、なんと言葉を掛ければよいのだ。ましてやその決意を汚す事など。

 

『これこそが世を乱さず何事もなくこの窮状を切り抜けられる唯一の策。……もはや我らにこの手段以外、手は残ってはいない。

 君にこんな重荷を、こんな責務を、こんな業を背負わせるのは偲びない。……だが斉天大聖めをのさばらせれば、必ずや現世に未曾有の悲劇が襲うことは明々白々。それが私はどうしても看過出来ない』

 

 変わってしまったはずだった。自分たちは変わってしまったはずだった。

 人が人を殺し、魔を討つ善なる武神が罪なき人を手にかけ、我らはもはや正道に戻れないほど外れたはずだった。しかし彼は、それでも彼は、正しいことを為さんと足掻いていた。

 眩しかった。照魔の光を御覧じろ。彼こそ天帝が甥にして天地両軍の大将軍、赤城顕聖二郎真君なり。秀信は沈痛な表情浮かべながら確かな満足も抱いていた。

 この誇るべき善なる武神の一助となれるならば……本懐であると、ふと思ってしまった。

 

「………………」

『後生だ、荒木秀信よ。どうか私の名代となり、斉天大聖めを斃してくれ。今まで、ともに死地を歩んだ私だからこそ言える───君ならばそれが出来ると』

 

 そう言って頭を下げた二郎真君は、おもむろに手を秀信の方に向けた。その手に忽然と現れたのは刃の先端が三つに別れた刀。名を"三尖刀"。

 怖気を掻き立てる鋭い刃を備えた、二郎真君自慢の神代の武器であった。その妖しい刃の煌めきに呑まれたか、二郎真君の眼差しに打たれたか、秀信は鉛のようなつばを嚥下した。

 

「わしは……」

 

 

 答えは一つだった。

 

 

 ○◎●

 

 ──斉天大聖の『領域』が赤々と、燃えている。

 

 ずる、ぺた。ずる、ぺた。

 金と朱で染め上げられた神造の都市は、夜闇をかき消す揺らめきによってその様相を一変させていた。その間を縫うように猿ではなく、人間の姿を取り戻した人々がぐったりと、倒れて眠っている。

 不思議なことに炎は人々を焼くことも、きらびやかな建造物を焼き焦がすこともなかった。ただ蒸気か立ち上るかの如く、天にきらきらした靄がのぼっていくだけ。

 場違いにも現世に現れた夢ものがたりの者たちを、あるべき場所へと返すかのように。

 

 ずる、ぺた。ずる、ぺた。

 幻想的とすら言えるその場所をたった一人、歩を進めるものがいた。

 巨驅である。大人でさえ見上げるほど高いその上背、手には一間半はありそうな三尖刀がひとつ。只者ではないことは明白であった。

 永いときを流浪したかの如く頭から襤褸を引っ掛け、その襤褸からのぞく髪は、炎の光に照らされ赤く燃えているようであった。

 

 ずる、ぺた。ずる、ぺた。

 向かう先は、斉天大聖の城。この人間の討つべき者が住まう場所であった。

 常ならば日が落ちると闇に覆われ道を照らすものはないはずだが、今ばかりは別。

 それゆけ、それゆけ。

 そう、ささやく声が聞こえんばかりに煌々と城への道を照らし出していた。

 

 やがて辿り着いた彼を待ち受けていたのは、隻眼の猿。襤褸の彼とは一度、死闘を繰り広げた仲であった。

 

 だがこの巨猿、他の猿たちのように人の姿に戻らず、ただ此処で佇んでいた。

 何故か。

 猿は襤褸の彼を認めては口角を吊り上げ、笑った。さぁ、始めようと言わんばかりに。猿は、静かに拳を構えた。

 襤褸の彼もまた応じるように笑い、構えた。

 

 いざ、決着を! 

 

 ───寒光一閃。

 交叉した両者は、一時の停滞のあと。片方は沈み、もう片方は、ゆるゆると歩を進め始めた。

 

 もうその歩みを阻む者など居はしなかった。

 

 

 

 

 ゆらゆらと揺れる王国の輪郭をなぞりながら、その先に坐する峰々の稜線へ。その稜線をまたなぞりながら進めば、己の故地たる場所を思わせる大瀑布へとたどり着く。

 涅槃の姿勢をとって桃を齧りながら、つまらなそうに城の屋根で眺めているのは誰であろう『まつろわぬ神』斉天大聖・孫悟空であった。

 

「人は弱いのう。天地星辰の運行から決して逃れることはなく、我ら神々の意思のままに動く奴隷よ。此度も人から猿に変えられ、散々弄ばれて今度は人の姿に戻る。まるで手のひらの上で転がるガラス玉よ。そうは思わんか? え? ──小童?」

 

 ぶわり、と風が吹いた。

 襤褸がたなびき、吹きすさぶ風に乗って遠くへ飛んでいく。

 現れたのは六尺の上背と三十四貫の重量を誇る、世に二つとなき容貌魁偉の肉体。

 その身には目の覚めるような猩々緋の羽織を纏い、その双眸には烈火のごとき意志を湛えて。

 神に抗う者、荒木秀信。

 人知を超えた者たちの戦いに巻き込まれ、果てには同族すら手に掛けならがも、ついに彼は大聖の御前へ現れ出でた。

 

「いいや。いいや。お前に憐れなれなくとも、人は強い。神なんぞおらんでも、一人で立ち上がる。神にだって立ち向かえるほど強い。──それが人間じゃ」

 

 仁王像さながらに胸を張り、どこまでも不遜に。

 頑として意志を変えることなく、はっきりと言い放つ。

 

 秀信は反芻していた。

 あの時、二郎真君との最後の会話を。

 

 

 ○◎●

 

 

「そいでも、わしは───断る」

 

 秀信はそうキッパリと言い放った。先刻と打って変わって、二郎真君の眼差しに狼狽えた様子もなくハッキリと答えた。

 

「……わしは無知じゃ。お前のように冴え渡る智謀も武技も持ち合わせておらん。"神殺し"がなんなのかも、正直分からん」

『では何故?』

「ふん。わしはな……友を手に掛けてまで、勝利を得ようとは思わん! そがんことをすりゃあ、もう、わし自身が跡形もなく消え去ってしまう!」

 

 神殺し。

 それがどんな存在なのかは知らない。二郎真君が最後の救みとするのだから相当なものなのだろう。けれど、そんな物のために二郎真君は自分に命さえ捧げると言う。秀信を信じて。

 

 嬉しかった。友として。

 けれど、駄目だ。

 二郎真君と心を通わせたと思うならば、背中を預けあったならば、友だと認めるのならば、なおさら駄目に決まっていた。

 

 居なくなればいい。確かに自分は思った。今でも思っている。けれど、変わってしまってもいいなど……ほんの少しも考えちゃいなかった。

 

『だが君に策はあるのか! 神通無限と恐れられた大妖怪『美猴王』斉天大聖・孫悟空を斃す策が! よしんば斉天大聖を倒そうとも変化させられた人はどうする……世は甘くはない! 人には戻らない! 私が人に戻せば『まつろわぬ神』となった私が残るぞ……そして私は必ずや君を殺そうとする! ───あるならば言ってみろ、その策を!』

「ない」

 

 いっそ笑えるくらいに、そう言い切った。

 

「わしを信じちゃくれんか。お前とともに命を張った戦友を信じちゃくれんか」

『荒木秀信……』

「拐われた人らが戻るのにお前の力が必要なら貸してくれ……それしか手段がないなら、わしからも頼む」

『ああ、言われずとも』

「まつろわぬ神になったなら、そんときゃ、わしがなんとかする。ダメでもわしがお前を止める。

 じゃが、弱り切ったおぬしを殺すことだけは無理じゃ……友を殺すばかりか、なんの抵抗もしないおぬしを殺す事なんぞ出来はせん」

 

 だから……。

 二つの眼でしっかりと二郎真君の双眸を覗き込む。

 

「おいは必ず斉天大聖を斃す。果たし合うならばその後で。───尋常の勝負で決着をつけよう」

 

 そう言い切った。不器用すぎる彼が出した精一杯の策だった。

 

『……………………。ふふっ……』

 

 二郎真君はしばし瞑目し、笑った。

 なんて愚かしいのか。これほどの愚か者、神代の時代に居たかすら怪しい。

 だが……賭けてみたいと思った。

 聡明であると自負していた己が、何故こんなにも愚かしい真似をしているのだろう。だが愉快だった。

 男児三日会わざれば刮目して見よ、とは言うが……傍に居ようと、この者はいつの間にか"虎"に成っていたか。

 まるで我が子が手を離れる奇妙な感覚を覚えて、クツクツと肩を揺らしてしまう。

 

『──楊二郎と呼べ』

「……あん?」

『なに、私の字のようなものだ。いつまでも友に仰々しく呼ばれるのは好みではないのでな。……どうだろうか?』

「ガハハ。そいぎ、わしも秀信と呼んでくれ楊二郎! お前の呼び名、はじめからずっと堅っ苦しくって堪らんかったんじゃ」

 

 ひとしきり二人で笑い合う。そこには死地へ赴く悲壮さなどなかった。ただ心の底から湧き上がる愉快さにいつまでも笑っていられそうな気分だった。

 

『君はふたたび城へ向かい、斉天大聖を討つ。私は第三の目を放ち、人を戻す。やる事は単純明快、されどそれゆえ困難至極。だが……』

 

 頷きあう。意志を確かめるように。

 

『───勝ち給え。そして雌雄を決しよう。……神殺しとなった君を討つのは、この楊二郎を置いて他には居ないのだから』

 

 再度、二郎真君は三尖刀を差し出した。揺らめく炎によって橙に燦めく刃は二人の心象さながらであった。

 深くうなずき、二つの影は重なった。

 

 先刻、交わした最後の会話を反芻しならが秀信は赤い羽織に触れていた。手に持つ三尖刀と同じく、二郎真君から受け取ったものだ。

 

『ああ、それとこれも持って行きたまえ。そのボロボロの服では些か見窄らしいゆえな』

 

 そう言って今まで右腕の赤が抜け、最初に見た布になると猩々緋色をした羽織となったのだ。礼を言う前に二郎真君の気配は消えていた。

 語るべきは事は語った。やるべき事は分かっていた。

 

 

 ───猩々緋色の羽織を夜風にたなびかせ、殷々とうなる三尖刀を構えた者がいる。

 

『神』たる斉天大聖にさえ気圧される事なく傲岸に仁王立ちする者は一体何者なのか? 鬼か? それとも虎か? それともバケモノなのか? 

 いいや違う。"人"である。

『神』に挑まんとするどこまでも愚かしいその者は。凜々と戦意を横溢させ、胸には友との約定を携えて。一人静かに佇むのは人間の少年であった。

 

()()()()()()()()()()

 

 笑う。嗤う。哂う。斉天大聖何するものぞと! 口をいっぱいに引き裂き、歯列をギラリとのぞかせ笑う。

 

「人間が『神』に勝てない理なんぞ誰が決めた?」

 

 人の強さ。そうやって思い出すのは、人の強さを教えてくれた故郷の友とこの幽世で死地をともに駆けた戦士たちだった。

 

「よっく聞け斉天大聖。たとえ此処で()()()()()()()()()()、九法塚幹彦が、故郷の友が、楊二郎が、あらゆる人間たちが、貴様を阻む壁となって立ち塞がるだろう……しかし……」

 

 秀信は笑った。肩を震わせたまらぬと。

 

ガッハッハッハッハッハ───ッッッ! 

 

 壮絶な笑みを浮かべ、鬼を超えた人は笑う。愉快でたまらないと、まつろわぬ神を前にしながら。

 

「だが、お前は。この荒木秀信()を越える事は──出来んやろうがなぁ……!」

 

 

 

 

 

ほざいたなッ!!! 小童ぁ──ッッ! 

 

 斉天大聖のこめかみから、赤い血が吹き出ると同時、幽世すべてを揺らす怒号が放たれた。それをどこか他人事のように眺めながら、秀信は走馬燈のように故郷の友を思い浮かべていた。痛みを教えてくれた友達。覚えていると約束してくれた友達。隣を歩いてくれた友達。心配してくれた友達。

 秀信はひとりひとりの顔を思い浮かべて、心の中で相好を崩しちいさく謝った。

 

 すまん、兄弟たちよ。一足先に逝く。

 

 

 最後に思い出し、想い描いたのは、優しげな少女の……ほころぶような(かんばせ)。白衣に浅葱色の袴をまとい、黒髪と言うにはいささか茶色味が強い彼女の髪。山間に咲く桜を思わせる淡い雰囲気と、贈られたなによりも大切な言の葉だった。

 

『──居てくださってよかったと思います』

 

『敵を倒してくださったから、ではなく──』

 

 フッと笑って自分の鈍感さ加減に笑みが零れた。痛みにも鈍感ならば自分の心にもどうやら鈍感だったらしい。秀信はやっと自覚できた。

 ふふそうか。どうやら。

 

 初恋は、実らんようじゃのう……。

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