ナツキ・スバルが死んだ世界で   作:あいうえおにたろう

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無意味な抗い

 もう殺した。

 

 確かにエルザはそう言った。

 

 エルザが殺したと言ったということは、その人物は十中八九死んでいるだろう。

 

 ──だが、やっと見つけたスバルへの手がかりだ。

 

 殺された人物がナツキ・スバルという名前を知っていた、つまりエルザはスバルと──もしくは彼を知る者と関わっていたことになる。

 

「……その男は、どこにいる」

「覚えてないわ」

 

 興味のないことは覚えていられない、とエルザは当たり前のように言う。

 

「それにもう死んでるもの」

 

 死んでいても情報は得られるが、彼女からそれを引き出す手段はすぐには思いつきそうにない。

 エルザが覚えていないと言った以上、交渉も意味がない。

 

「…………そうかよ」

 

 口から出たのは、意味の無い相槌だった。

 と、エルザが息をついた。

 

「それと……教える意味もないのよ」

 

 エルザが立ち上がる。

 

「お話、楽しかったわ」

 

 エルザの手には、ククリ刀が握られていた。

 

 ──しまった。

 

 殺人鬼と、人気のない場所に二人。

 青年は今になって状況がどれほど危険なのかを再認識した。

 

「……動けないんじゃなかったのかよ」

「そうよ。私は動けなかった。()()()休んでいたの」

 

 時間を稼いでいたのはエルザの方だったのだ。

 

「……アホか俺は」

 

 青年が一歩後ずさると、それに合わせてエルザも一歩踏み出す。逃がす気はないらしい。

 

「こんなところで……死ねるかよ!」

 

 次の瞬間、青年は身体を反転させて走り出した。

 相手は重傷。いくらエルザとはいえ、まだ万全ではない。運が良ければ、逃げられる──

 

「っ!?」

 

 視界がぐらりと揺れる。

 

「直線的に逃げるのはダメよ。いい的になるもの」

「っあ……ああっ!」

 

 激痛と共に左足が動きを止めた。無理やりにでも動かそうとするが、どうあがいても踏み出せない。

 

「嘘だろ、おい……足が……!」

 

 左足にはククリ刀が深く刺さっていた。

 ククリ刀が刺さるふくらはぎは、まるで自分の身体ではないかのように重い。そして視認したことによって、痛みが増していく。

 

「っう……かは……つうっ……」

 

 今にも叫びたい衝動を抑えて、なんとか息を整えようとするが、呼吸は一向に落ちつかない。落ち着こうと深く呼吸をするたびに、心臓の音は大きくなっていく。

 

「はーっ……」

 

 息を吐くたびに襲う痛みに歯を食いしばり、なんとか耐える。気を抜くと、発狂しそうだった。

 しかし、青年がそれを我慢したところで、状況は変わらない。

 

「健気に頑張るその姿……素敵だわ」

 

 嬉々とした表情の殺人鬼が、そこまで迫っていた。

 

「人殺して、楽しいかよ……」

「ええ、楽しいわ」

 

 説得は通じない。

 相手は完全に殺す気だ。

 

「……ラインハルトが、すぐに駆け付けるぞ」

「それまでに逃げるわ」

 

 精一杯の強がりも通用しない。

 どうすれば──どうすれば、この窮地を凌げるのか。

 その時だった。

 

「ひっ」

 

 エルザの背後で、悲鳴が上がった。

 恐らく、それは偶然だったのだろう。偶々ここを通った。本当にそれだけだったはずだ。

 

「あら、お友達かしら?」

 

 エルザの目線の先には、路地裏で出会った三人組──トン、チン、カンが立っていた。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 エルザと三人組が出会う少し前のこと。

 

「エミリア様!」

「ラインハルト……!」

「お前は……」

 

 ラインハルトの声に、エミリアとロム爺が足を止める。

 

「よかった。ご無事だったのですね、エミリア様」

 

 エミリアのもとへ駆けつけたラインハルトは安堵の声を漏らした。

 

「腸狩りがエミリア様を狙ったかと思って駆けつけたのですが……どうやら、杞憂だったようです」

「こっちには誰も来てないわ。でも……」

 

 エミリアがチラリとロム爺の方を見る。

 

「ロム爺、早く……逃げなきゃ……」

 

 ロム爺の腕の中で、フェルトは訴えるようにそう繰り返していた。

 

「この子が逃げるって言ってて……。私たちがこの子とお爺さんを捕えようとしてると思ってるみたいなの」

「こちらにその気がないことは?」

「一応伝えたんだけど、信じてないわ」

 

 エミリアが目線を移すと、ロム爺が走りながらフェルトをなだめている。

 

「先程治療したのがエミリア様ということも伝えた方がいいかもしれません」

 

 こちらが協力的なことをわかってもらえばあるいは。そう思ったラインハルトだったが、エミリアは力なさげに首を振った。

 

「……それはわかってるみたい」

「……どういうことです?」

「だからね……治療した後で、私たちがこの子を捕まえると思ってるみたいなの」

 

 そういうことか、とラインハルトはため息を吐いた。

 貧民街で育ったが故に、人を信用できなくなってしまった少女。恐らくはそれに加えてこちらが王国関係者だというのもあるのだろう。彼らにとって王国関係者は、貧しい自分達を放っておく無慈悲で利己的な集団に他ならない。

 もしかしたら意地もあるのかもしれない。王国関係者なんかに借りを作りたくない、という意地が。

 そう考えてのことならば、こちらの善意は受け取らないだろう。

 

「君、名前は?」

 

 ラインハルトはできるだけ感情を込めずにそう尋ねた。

 フェルトはうっすらと瞼を上げると、ラインハルトを睨みつけるように見つめた。

 

「あんた……誰だよ」

「これは失礼。僕はラインハルト・ヴァン・アストレア。良ければ、名前を教えてほしい」

 

 ラインハルトが軽く頭を下げると、フェルトは小さく息を吐いて目を細めた。

 

「…………フェルトだ」

「フェルトか。ではフェルト、君に提案する」

「……?」

「僕と、取引をしないか」

 

 取引、と繰り返したフェルトに、ラインハルトが頷く。

 

「そうだ。僕たちは君がエミリア様から盗んだものを取り戻したい。だから、君と取引がしたいんだ」

「……」

 

 フェルトはラインハルトの提案を黙って聞いている。

 

「君が出すものはエミリア様から盗んだもの。こちらはその代金として君の傷を治療しよう」

 

 どうかな、とラインハルトが微笑んだ。

 

「借りは、作らねえ」

 

 拒否の言葉を口にしたフェルトにロム爺が顔色を変える。

 

「じゃ、じゃがフェルト……」

 

 だけど、とフェルトがロム爺を遮る。

 

「もう治療してもらったんだ……その分の対価は、払わなきゃな」

「取引成立ですね」

 

 その言葉に、ロム爺が大きく息を吐いた。

 

「よかった……」

「安心するのはまだです。早く治療をしなければいけないことには変わらない。エミリア様、今はどちらへ向かおうと?」

「騎士団の駐屯所に向かおうとしていたの。彼が、近衛騎士団のフェリックス? に見せれば治せるかもって」

「彼が……?」

「ラインハルトの関係者だったらもしかするとって言ってたんだけど……ラインハルト?」

 

 一瞬黙ったラインハルトだったが、エミリアの心配そうな表情を見て、すぐに頷いた。

 

「わかりました。ではこのまま向かいましょう。私が話を通します」

「ありがとう」

 

 いえ、とラインハルトは軽く頭を下げる。

 そういえば、とエミリアが後ろを振り返った。

 

「彼は、今どこにいるの? ラインハルトと一緒に行動するって言ってたけど……」

「こちらに向かってきているはずですが……」

 

 ラインハルトも今来た道を振り返るが、あの青年の姿はなかった。

 

「もしかして、道に迷っていたりしないかしら」

「子供でもないですし……いや」

 

 青年は今日この街に来たばかりだったと思い出す。ないとは言い切れない。

 

「私、ちょっと探しに……」

「いえ。自分が行きます。その方が良いでしょう」

 

 貧民街に詳しいわけではないが、エミリアよりはマシだろう。また人探しにはエミリアより自分の方が慣れている。

 本心を言うならば──エミリアのような立場の人物を貧民街に長く留まらせたくないというのもあった。

 

「すぐに連れてまいります。駐屯所には先に向かっていてください。エミリア様なら、門前払いされることもないでしょう」

「わかったわ」

 

 エミリアの返事を確認すると、ラインハルトは踵を返した。全速力でもと来た道を戻る。

 

「少し、嫌な予感がするな」

 

 エミリアの元にたどり着くまでに、ラインハルトはエルザと遭遇していない。だから青年も安全だと思っていた。

 しかし、ここまでの道はいくつか枝分かれしていた。

 もし青年が道を間違えて、その先にエルザがいたら。ないと信じたいが、ありえない事ではなかった。

 

「……マズいな」

 

 来た道を戻るにつれて、嫌な予感が増していく。

 さらに加速しようと、足に力を入れた時だった。

 

「!? あれは……!」

 

 目の前から走ってくる人物がいる。そしてその顔は見覚えのある者だった。

 

「昼間の……!?」

 

 昼間出会った三人組のうちの一人。その中で一番大きかった男が、息を切らしながらこちらへ走ってくるのだ。

 まるで何かから逃げるようなその様子に、ラインハルトの勘が反応した。

 

「待ってくれ! 少し、聞きたいことがある」

「あ、あんたは!」

 

 昼間の出来事があったため、男の逃走を想定していたラインハルトだったが、男──トンはラインハルトを見るなり、縋るように駆け寄って来た。

 

「た、頼む! 助けてくれ! あいつらが、あの女に殺されちまう!」

 

 尋常でないその様子は、命の危機を体験した者のそれだ。

 そして、()()()という言葉。

 

「わかった。案内してくれ」

 

 ──青年と、この男は関わっている。

 

 ラインハルトの勘がそう告げていた。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 トンがラインハルトに出会う数分前。

 思わぬ再会を果たした青年と三人組は、エルザが言葉を発するまで、固まったままだった。

 

「あら、お友達かしら?」

 

 エルザの言葉に反応したのは、三人組のやせた男、チンだった。

 

「ち、違う! 俺達は無関係だ!」

「そうなの? 彼を見た瞬間に表情が変わった気がしたのだけれど……まあ、どうでもいいことね」

 

 ──どちらにせよ殺すから。

 エルザの笑みに、三人が目が開かれる。

 そしてその瞬間、青年の脳裏に、悪魔のような考えが思いついた。

 これを行えば、青年の生き残る確率は上がる。だが──

 

「っ……」

 

 青年に、迷う時間はなかった。

 

「お前ら、早く逃げろ! せめてお前たちだけでも!」

 

 必死に、まるで大切な人物を逃がすように。

 青年は力の限り叫ぶ。

 

「こいつに捕まったら終わりだ! 殺されるぞ!」

 

 三人は意味が分からないという表情を浮かべている。

 当たり前だ。三人にとって青年は、カツアゲしようとして失敗した相手に他ならない。

 だがエルザには違って見えるだろう。

 旧知の友を逃がす、無力な善人。例えそこまででなくとも、エルザの好みに少しでも触れる状況を作り出すことができればいい。──青年より先に三人に殺意を向けるなら、それでいい。

 そしてその言葉を聞いたエルザは──青年の予想通り、笑みを浮かべた。

 

「うふふふ、逃がさないわ」

 

 エルザがククリ刀を握りなおし、三人の方を向く。

 

「俺達は、そいつとは関係ねえ! 本当に関係ねえんだ!」

「あ、ああそうだ! ここで見たことも言わねえ! だから!」

 

 エルザは答えずに、三人組の方へ歩き出した。

 

「いいから、早く!」

 

 追い打ちをかけるように青年が叫ぶと、三人は転がるように走り出した。

 

「逃がさないわ」

 

 エルザがククリ刀を投げると、三人のうちの小さい男、カンの背中にそれが刺さった。

 

「がはっ」

「カン!」

 

 カンが倒れたことに気づいた二人が叫ぶ。立ち止まりかけた二人を見て、青年は再び叫んだ。

 

「さっさと逃げろ!」

 

 この場で三人とも死んでしまってはダメなのだ。なるべく遠くで、青年から離れた場所で。

 青年からエルザを遠ざけなければ、意味がないのだ。

 

「逃げてくれ!」

 

 叫ぶたびに、傷口が痛む。

 

「くそ、すまねえ!」

 

 とうとう二人はカンを見捨てて、走り出した。

 これで、なんとか……。

 

「嘘だろ……」

 

 忘れていた。いや、再認識した。

 エルザはラインハルトには及ばないとしても、作中屈指の化け物だったことを。

 次の瞬間には、エルザは二人に追いついていた。三人組の大きい男を蹴り飛ばし、痩せた男を殴りつける。大男は近くの物置に、痩せた男は地面に顔から激突した。

 二人は、そのまま動かなくなった。

 

「……ちくしょう」

 

 一瞬にして、エルザは三人を倒してしまった。もう打つ手はない。

 エルザがこちらを振り返り、優し気に微笑む。

 

「くそ、まだ、まだだ……」

 

 何か、あるはず。

 エルザとの交渉。──無理だ。

 気を逸らしての逃走。──無理だ。

 エルザの殺害。──無理だ。

 無理、無理、無理。他の手段も、無理。

 

 青年の考える手、その全てが不可能だった。

 エルザがすぐそこまで来ているというのに、青年には何も思いつかなかった。

 

「うふふ」

「……何がおかしいんだよ」

「さっきの演技……もっと必死にしないとダメよ?」

「は……?」

「もっと必死に叫ばないと、騙せないわ」

 

 バレていた。見通されていた。

 

「……はは」

 

 ああ、そうか。

 最初から、生き残る可能性などなかった。

 今考えれば当然だ。

 スバルの生存は、いくつかの死に戻りの末の成功。未来を知っていても失敗するのに、なんの取り柄もない青年が一回で成功できるわけがなかったのだ。

 

「はは、ははは」

 

 俺も死に戻りができたならよかったのに。

 自分の死を悟って考えたのは、そんな浅はかな希望。

 

「……できたら、いいのに」

 

 そうだ。

 希望に縋る。

 それくらいは、いいじゃないか。

 ナツキ・スバルにできたなら、俺にもできたっていいじゃないか。

 

「諦め? いえ、折れちゃったのかしら。少しつまらないけど……まあいいわ」

 

 もう、エルザは目の前だ。

 しかし青年は半笑いのまま、その場から動こうとしなかった。

 理解している。青年に死に戻りはない。それでも、もう動く事はできなかった。

 絶望し、一度崩れた思考は、短時間では取り戻す事ができない。

 

「さようなら」

 

 エルザがククリ刀を振り上げた。

 

「そこまでだ」

 

 聞きなれた言葉が、通りに響いた。

 

「さっきぶりだね、腸狩り」

 

 エルザの後方に、赤い騎士が立っていた。




誤字報告、ありがとうございます。とても助かります。

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