「ある程度、知っている……ということは、エミリア様のことも?」
「はい、知ってます。エミリア……様が、どういう評判なのかも」
言いつつ、エミリアを見る。
評判の話は、エミリアにとって気持ちのいいものではない。気分が沈んでいるようなら謝罪をしようと思っていた青年だったが、エミリアの反応は真逆のものだった。
「様はつけなくていいって言ったでしょ」
怒ったように頬を膨らませるエミリアからは、マイナスの感情は感じられない。
──杞憂だったってことか。
「そうだったな……。わかった」
気を付けるよ、とエミリアに言うと、青年はロズワールの方へ向き直った。
「ふむ。では聞くが、君は如何なる理由があってエミリア様を助けたのかな? 君が助けるメリットは少ないと思うんだぁけど」
もっともな質問だ。
スバルの場合はエミリアの事情を知らなかったため、惚れたという理由で済ませられた。
しかし青年の場合は事情を知っていることを彼らに伝えているため、その理由が通用しない。
「そうですね。メリットはほとんどないです」
「では、なぜ?」
──機転も利かない、大して頭がいいわけでもない俺にできることは、これしかない。
「エミリアに……あの場にいた人たちに、死んでほしくなかったから、エミリアを助けました」
「……それはまた面白い理由だね」
ロズワールはうっすらと微笑を浮かべている。
『あの場にいた人? トンチンカンを囮にしようとしといて、よく言うぜ』
確かに青年は彼らを身代わりにしようとしていたが、ラインハルトやエミリアはそうは思っていないだろう。それに加えて──
──今は、考えも変わった。
『一度死にかけて価値観が変わる、か。でもそれも自分の都合って感じだよなあ……。完全なる自己中だし……ま、バレないように、ファイト』
聞こえてくるスバルの声に、小さく息を吐いた。
──大丈夫だ。俺は落ち着いてる。
『それならいいけどさ。あ、こっからめんどいぞ。ここ乗り切った後考えてるか?』
スバルの言う通り、このあとは少しめんどくさい質問が来るだろう。ロズワールが何を尋ねてくるかは大方予想がつく。
「一つ思ったんだぁけれど。さっきの君の言い方は、まるでエミリア様……もしくはその場の誰かが、命の危険に見舞われることを知っていたみたいに聞こえるね」
やはり、そこを突いてきた。
ロズワールは表情は柔らかいが、その視線は鋭かった。
『うっひゃー、自分がエルザ送っといてよく言うぜ。意地が悪いったらありゃしない。やっぱ俺こいつ嫌いだわ』
ロズワールの質問は確かに意地が悪いが、青年は最初から言うことを決めていた。
「あなたの言う通り、俺は『腸狩り』がエミリアを狙うことを事前に知っていました。だから、エミリアに接触しました」
「その情報は、どこから得たんだい?」
「俺のよく知る人物から情報は得ました。ただ、彼がその情報をどうやって手に入れたかはわかりません」
「その人物の名前を聞いても?」
「名前は……『ナツキ・スバル』です」
青年がそう言った途端、ロズワールの表情が固まった。
ラムやレム、部屋に入ってから一度も会話に参加していないベアトリスでさえもこちらを見ている。エミリアは少し混乱しているようで、パックと顔を見合わせている。
しばらくすると、ロズワールが咳払いをして、こちらに向き直った。
「いやぁ失礼。あまりに奇妙な話だったかぁらね。つまり君は、君と同じ名前の男からその情報を得たというんだね?」
「はい、そうなります」
青年は、スバルから──スバルの物語から、情報を得た。教えてもらったとは言っていないし、間違ったことも言っていない。故に後ろめたいことはなく、胸を張ってそう言える。
「質問ばかりで申し訳なぁいんだけど、その『ナツキ・スバル』君と君は、なぜ同じ名前なのかぁな?」
「俺が勝手に彼の名前を名乗っているだけです」
「ほう、それは何故?」
「彼が、死んだからです」
『ナツキ・スバル』が死んだ。だからこそ、青年は『ナツキ・スバル』を名乗っている。
「彼が行うはずだったこと、救うはずだった人間。彼がいなくなったことで失われるものを少しでも少なくしたい」
──彼の穴を埋める。
「もちろん、俺は全てが足りない。彼ができることも俺はほとんどできない。だけど、俺が残ってしまった以上、俺がやるしかないんです」
──例え、彼より結果がでなくても。
「皆に幸せになってほしい。だから俺は彼の名前を名乗り、ここにいるんです」
ロズワールは青年の言葉を目を閉じて静かに聞いていた。
『何考えてんだか……あ、目開けた』
「なぁるほど。君の行動理由はよくわかったよ」
最後の質問だ、とロズワールが青年を指さした。
「君自身の本当の名前はなんだい?」
「…………言えません」
「理由は?」
「……俺の名前を知っているのは、この世界で俺だけです。誰も俺の名前を知らない。名前を知られてはいけない相手がいる。知られないことで、最悪の事態は避けられる。俺の本当の名前は、俺が言わなければ、誰も知ることはないんです。だから例え信頼できる人間でも教えることはできません」
すみません、と頭を下げる。
ロズワールは腕を組んで何かを考えていたが、数秒して結論が出たらしく、数度頷くと小さく笑った。
「まだまだ聞きたいことはあるけど、ここまでにしておこうか」
ロズワールは柏手を打つと、表情を戻した。
「話題を変えよう。メイザース領へは何をしに?」
「人探し……のようなものです。見つかるかはわかりませんけど」
「ほうほう。探し人ね。これはあれこれ聞くのも野暮かぁな。見つかるといいね」
微笑を浮かべたロズワールに、どうも、と軽く頭を下げる。
「じゃあここからは、君がここに来たわけだぁけど……それはエミリア様に聞いた方が早そうだぁね」
青年がこの屋敷を訪れたのはエミリアの提案によるものだ。
元々青年は、ロズワール邸に立ち寄る気はなかった。最終的にここへ来ることはあったかもしれないが、現段階での予定にはなかったのだ。
何を思ってエミリアが青年をここへ呼んだのか。薄々予想はつく。
「本当に、すごくすごーく、ものすごーく我が儘なんだけど……何かお礼が出来たら、って思っちゃったの。それで、私にできることって考えた時に、屋敷に呼んでもてなせればって…………ごめんなさい」
「そんなに縮こまらなくてもいいんじゃないかな。ロズワールはリアの後見人なんだから、もっと利用してもいいと思うよ?」
原作ではスバルから言い出す報酬の話だ。
「エミリア様が謝る必要はありません。元はと言えば、王都でラムがエミリア様とはぐれてしまったことが悪いのです」
「でも、それは私がちょっと好奇心に負けちゃって……それではぐれちゃったから、私が悪いの」
原作とは違い、ラムが自分の不手際を謝っている。そしてエミリアがそれに対して謝り返す。
物語登場時エミリアは既に一人行動をしているが、本来はラムと一緒に行動するはずだったのだ。
声は掛けなかったが、ここへ来るまでの竜車を引いていたのもラムだった。最初は驚いたが、よく考えれば原作でも言及されていることだ。
しばらく静観していると、話がまとまったらしく、ロズワールが青年へと提案を投げてきた。
「ふむ。ラムが途中ではぐれてしまったことも、まわりまわって私の責任といえるかぁもだし……。よし、それじゃあ当家はスバル君にできる限りのことをしようじゃあなぁいか。なんでも、とまではいかないが、君の望みに添えるよう全力を尽くすと約束しよう」
来た。
エミリアを助けたことの報酬。
スバルは自身を雇ってほしいと頼むが、確実に信頼を得られる自信がない青年は、スバルをなぞることはできない。
『どうすんのさ?』
要求することは、ここに来た時点で決めている。
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて、二つほどお願いがあります」
そんなに難しいことではありません、と前置きを置いて青年は話し始める。
「一つは、ここから少し離れた場所にある村に、俺が滞在する許可を頂きたいんです」
「ふむ。それはいいけぇど……知り合いでもいるのかな?」
「いえ、いません。恐らく野宿になると思います。なので、それも含めて許可を頂きたいんです」
野宿、と言ったところで、エミリアの表情が曇る。
一つ目の要求は村に滞在する許可──言い換えれば、村で野宿をする許可だ。
許可もなしに青年が村で野宿をしていれば、怪しさ満点だ。ロズワールたちも不審に思うだろう。だから、正々堂々と許可をもらったうえでそれを行う。
「野宿ねぇ……君もずいぶんと変わってるんだぁね。屋敷に滞在することも要求できただろうに」
もちろん私は構わないよぉ、と笑うロズワール。
しかし青年は苦笑いを浮かべながら首を振った。
「もちろん俺もそれが一番の理想です。ですが、身元もわからない者を泊めるのはそちらに迷惑が掛かります。本来必要ないことも、俺を警戒していることでしなければならないでしょう。俺もあなた方にそこまで迷惑をかけるのは申し訳ないと思ってます」
「なるほどねぇ。君が言っていることもわかる。でも遠慮はしなくていいんだぁよ。今の私はエミリア様の命が何より大事だ。そんなエミリア様を助けてくれた君になら、多少の不都合には目をつぶるよ?」
「ありがとうございます。そこまで行ってくださるのなら、野営に疲れた時はここを頼るとします」
「……その時は、こちらも歓迎するとしよぉーか」
ロズワールはまだ何か言いたげだったが、一応は了解の意を示した。
「では二つ目ですが……」
口にすると同時に、目の端でそれとなくベアトリスを確認する。
次の要求はロズワールへというより、ほぼベアトリスへの要求だ。
ベアトリスが話を聞いていることを確かめると、青年は話を再開した。
「俺がメイザース領を出るまでの間、俺の負った怪我や病気をできる限り治療してもらいたいんです」
「怪我と、病気?」
「はい。野宿をするうえで、寝ている間に魔獣に襲われるかもしれない。そんな時、ここを頼りたいのです」
「村の周りには結界が張られているから、自分から森に立ち入らない限りは大丈夫だぁけれど……それは理解しているみたいだね」
森の結界のことや魔獣の話は、道中でエミリアから聞いている。
「念のためのお願いです。もちろん自分から森に入るなんてことはしませんし、何か問題を起こすつもりもありません」
「…………わかった。そこまで言ってくれるのなら、協力することにしよぉーか。当家は君が不調になった時、全力で治すことを約束しよう」
「感謝します」
軽く頭を下げると、顔をあげてくれ、と声がかかる。
「本当はもっと礼をしたいんだぁけど、君が望まないのならしょうがないからね。まあ、何かあればここに立ち寄ってくれたまえ。私がいるかはわからないけど、それなりのもてなしはできるはずだよ」
ロズワールは相変わらずの読めない表情で、そう締めた。
※ ※ ※
「ありがとうございました」
深くお辞儀をすると、エミリアは複雑そうな顔で首を振った。
「お礼を言うのは私の方。本当にありがとう」
「そんな大げさにしなくてもいいって。ありがとうなんて言われるようなことは何にもしてねえし」
「あなたはそう言うけど、私はすごーく助けられたの。私にできることがあったら、いつでも言ってね。できることなら何でもするから」
エミリアの言葉に少しドキリとしながら、青年は困り顔を浮かべた。
「ったく…………エミリア、そういうことはあんまり言わない方がいい。悪い奴に騙されるぞ」
青年の言葉にエミリアの横で浮いていたパックも、うんうんと頷く。
「そうだよ、リア。スバルは悪い人…………じゃないと思うけど、あんまり感心はしないな」
「そこは断言してほしかったよ、パック」
「にゃははー」
青年が零した言葉をパックは笑ってごまかす。
軽くお仕置きをしてやりたいが、怖いのでやめておく。
「パックが迷うのも無理ねえけどな。俺身元不明、住所不定だし。……ま、そういうことだから、これからも気をつけろよ、エミリア」
「何がそういうことなのかはわからないけど……うん、頑張ります」
背筋を伸ばしてそう言うエミリア。
彼女は本当に素直だ。スバルがいないことで、誰かに騙されないかとても心配だ。もちろん、できる限りのことはするつもりだが。
「よし、俺は村に向かうわ。しばらくは村にいるから、そっちも何かあったら言ってくれ。俺にできることなんてほとんどねえけど、できる限りのことはするよ」
「うん、わかった」
「じゃあな」
ひらひらと手を振ると、くるりと村の方向を向く。
道はロズワール邸に来るときに覚えた──というか一本道なので、迷う心配もない。
「まだ来てないといいけど……」
そう呟くと、青年は村に向かって歩き始めた。