大天狗様が姿を消してから、一ヶ月が経った。
彼の行方を知る人物は一人もいない。どこに行ってしまったのか、そもそも妖怪の山にいるのかどうかすら分かっていない。分かっていることと言えば、彼がまだどこかで生きているということと、そして賄賂を行い、罪もない妖怪を夜な夜な口封じしていた、ということだけだ。
「だってさ、文」
はたての書いた新聞を読んだにとりは、私の家だというのに、寝そべりながらそう言った。顔色も、完全に以前と同じように戻っている。始めこそ、いつ大天狗様が襲ってくるかと肝を冷やしていたが、今ではその心配すらせずに、むしろ、大天狗様をやっつけたのは自分だと自慢してさえいた。その気軽さに、呆れる。
「でも、感謝してくれよ」
そして、その気軽さを保ったまま、うざったらしく言ってきた。
「文の新聞が優勝したのは、私のおかげなんだからさ」
壁に掛けられた賞状を見たにとりは、へへんと鼻を鳴らした。
私の新聞は、かつてないほどの評判だった。椛についての記事しかなかった中、大天狗様についてのスクープは、それなりに目を引いたが、それはあくまでも、何を適当なことを書いているんだ、といった冷めた目であって、むしろ嫌悪されてすらいた。載せられた写真も、はなから合成だ、と糾弾され、危うく撤去されそうになったこともあった。
が、そうはならなかった。なぜか。
「音の鳴る新聞を作れるのは、私だけだよ」
にとりの手によって、例の、大天狗様の音声が新聞に組み込まれていたからだ。はたての新聞と同じく、私の新聞にも、音声が流れるようにしてもらったのだ。その効果は絶大だった。間違いなく大天狗様の声で、それも明らかな悪事を宣言したのだから、それも当然かもしれない。大天狗様が行方をくらましていたのも、私たちの追い風になった。おそらく、大天狗様は、傷を癒やし、そして私たちを処分する予定だったのだろう。が、出るに出られなくなってしまった。予想外なことに、取り返しのつかないまでに、彼の悪事は露見してしまったのだ。
「ただまあ、納得いかないのは椛のことですね」
いまだ、私のベッドで眠っている椛の鼻をつつく。開けっぱなしになっていた扉が風で揺すられ、ぎぃと音を立てた。
「あまりの手のひら返しにびっくりしましたよ」
「そういうもんだよ」
にとりは頬杖を突き、笑いかけてくる。
「悪口を言って、決まりが悪かったんだろ。だから、それを取り返すように、逆のことを言うんだ」
椛が賄賂をしたというのは出鱈目だった。そう分かってからの、鴉天狗の反応は早かった。椛と元々面識がない奴でさえ、私は分かっていましたよ、といった態度を突き通し、大天狗様に命令をされたのだ、と見事なまでの責任のなすりつけ方をしていた。まあ、それもある意味では事実であるので、仕方がないのかもしれないが、少なくとも、そのような新聞が大会で優勝することはなかった。はたてだけは、頑なに武闘大会について書いていたが、残念なことに、そもそも、誰もそんなことに興味を持っていなかったらしく、票が集まらなかったらしい。
「ずるいよ文は」
私の新聞を見たはたては、ぶーぶー、と文句を言ってきた。
「私も誘ってくれれば協力したのに」
そもそも、はたてが家から出るだけで大事件なのだから、誘えるわけがなかったし、個人的にも誘いたくなかった。が、そうは言わず、「次は誘いますよ」と、次なんかあるわけないのに言って、誤魔化した。
「でも、やっぱり、椛についての気持ちの強さに負けたと思えば、仕方がないね」
親しみだよ親しみ、と意味不明なことを言った彼女の目には、嫉妬と共に、どこか晴れやかなものも混じっていた。
「まあでも、よかったじゃないか」
開きっぱなしになった扉を閉めようとしていると、にとりが声をかけてくる。彼女も私に習ったのか、椛の鼻をぽんと叩いた。
「これにて一件落着って感じか?」
「そうですね」
家から一歩出て、空を見上げる。夏はもう終わり、綺麗な秋空が見えていた。赤く染まった葉っぱが風に舞い、家へと入り込んでくる。が、それも気にせずに、私はじっと空を見ていた。
「あ、文」
ぼうっと空を見上げていると、にとりが少し強張った声を出した。
「言いたいことがあるんだ」
「なんですか」
「あー、えっと。そうだな」
「早く言って下さいよ。もったいつけないで」
「いいけど、口から心臓を吐くなよ」
「にとりがそういうときは、大抵しょうもないことなんですよね」
「目を覚ましたんだ」
「え?」
「椛が目を覚ましたんだよ!」
私は扉を開けたまま、ベッドへと振り返る。唖然とするにとりと、こちらをぼんやりと見つめてくる椛が目に映った。が、なぜだか視界がぼやけて、よく見えない。
「あ、文さん」どこかのんびりとした声で椛が口を開く。
「なんで泣いているんですか」
「泣いてませんよ」
扉から、綺麗な赤い楓の葉が入り込み、部屋をひらひらと飛び回る。そして、椛にとびっきりの悪口を言おうと、ベッドに近づいた。
綺麗な椛の赤い瞳に命が射す。それは、とても魅力的に思えた。