よろしくお願いします。
深夜の古いコンサート会場にて、男の眼前で行われている競りは熾烈を極めていた。見目麗しい少年少女を餌に、肥えた豚とでも言うべき貴族等が十だ百だと金を積んで行く。
一番後ろで目立たない席の一つに座り、カラスの嘴のような形状のマスクを着け、黒いフードと手袋で全身を覆う男は腕を組んで手のひらに乗せた小石を玩ぶ。
薄く発光する石を指で押すと、ピシリと脆く亀裂が走る。強く力を入れすぎないようにしていると──とうとう目玉商品らしい一人が首輪の鎖で引かれて現れた。
──そこにいたのは、照明を反射し輝く銀髪を肩まで垂らし、鮮やかな青色の瞳をした少女だった。
ざわつく観客席の貴族たちの声が静まるほどに美しく、だからこそ首の鎖と輪があまりにも邪魔であった。
──と、司会の声でようやく我に帰る。そして貴族の声の勢いは更に増した。十、百、ついには千と数字が膨れ上がって行く。
顔も知らぬ誰かが小さな街の一財産と言っても過言ではない額を提示し、勝敗は決したと誰もが思った刹那。
「────!」
バチ、と。
少女と男の瞳が交差した。少女は間違いなく、暗がりに紛れ気配を薄めている男をピンポイントで視認したのだ。
マスクで目元が見えないにも関わらず。
男は目を逸らせば良かったのに、不思議と少女の瞳から目を離せなかった。そして、青く蒼く、澄んだ色をした瞳の少女は、
「────」
確信めいた直感に基づき、男は理解するより先に行動に出た。指に力を込めて小石を砕き、石のぼやけた光を消す。
すると周りの客が音の正体を探るよりも早く、一番後ろ──男の横にある出入口から、一分も経たずに多数の人間が流れ込んできた。
頑丈そうな鎧を着込み腰の鞘に剣を納めた男性が、カイトシールドを片手に持ちながら会場全体に届くように怒声を上げた。
「全員動くな! 違法の奴隷売買を行った者と参加した者は、例外なく拘束させてもらう!」
焦げ茶色の髪を揺らして男性はそう叫ぶ。
直後、席を立ち逃げ惑う貴族の客を余所に、司会者の男は銀髪の少女を抱えて会場の舞台裏に繋がる通路に逃げて行く。
「っ──
「わかってる」
茶髪の男は横の黒衣を纏う男に言う。
マスク越しのくぐもった声と共に、ユーリと呼ばれたその男は座席を足場に司会者と少女を追い掛ける。
光すら反射しないフードの付いたコートを翻し、ユーリは走る。今や誰も使っていないコンサート会場を改造したのか、舞台裏の廊下は異様に長く、土埃で汚れていた。
やがてすんなりと追い付いたユーリは、少女を抱えて走る司会者目掛けて数本の小さいナイフを投擲する。足を狙ったナイフは、一本が左足に、二本が右足へと突き刺さる。
「ぐ、ぁっ!」
司会者は倒れ、投げ出された少女は上手く受け身を取る。腰に隠したサバイバルナイフを逆手に持ち近付くユーリの足音が、司会者に恐怖を煽る。
少女が後退りして廊下の壁に寄りかかった刹那、司会の男は匍匐で進みどうにか一つの扉を開いた。
「────ォォォオオ!!」
扉の奥から勢いよく、まるで狂犬のように唾液を垂れ流す青年が叫びながら現れた。おおよそ人間性を感じられない風貌を見て、ユーリが呟く。
「……吸血鬼か」
「こ、ころ、殺せ!!」
ナイフに毒でも塗られていたのか、とうとう動けなくなり呂律も回らない男は、吸血鬼と呼ばれた青年にシンプルな命令を下す。
ユーリはちらりと少女を見てから、踵で音を立てる。間違っても吸血鬼が少女の方へ行かないようにわざと挑発したのだ。
「害獣め」
「殺せェ!」
二度目の指示と同時に吸血鬼は床を砕いて肉薄する。心底軽蔑した声色で害獣と吐き捨てたユーリは、吸血鬼の尖った爪を利用した大振りの手を避け、返す刀でナイフを右の肘に捩じ込む。
「──ルルルォオ!!」
「ば、かな……!?」
コートに手を入れ二本目のナイフを取り出し、ユーリは静かに構えた。吸血鬼は痛みを認識していないのか、狂った様子で左手を振り回す。
ユーリが避ける度に、手は床と壁を抉り引き裂く。当たれば必殺なのだろうが、しかし当たらなければ意味がない。
終に左の肘にもナイフが差し込まれ、関節が回らないように縫い止められる。
「グ、ガァ!」
──吸血鬼と呼ばれた青年が両腕を使えないとなれば、最後には何を利用するのか。
グルルルと唸った吸血鬼は、ユーリに向かって走り出すと────鋭利に伸びた犬歯を剥き出しにして噛み付かんと迫った。
ナイフを突き刺した直後の明確な隙を突いた動きは、硬直したユーリに避ける暇を与えない。
首の頸動脈を狙う犬歯が皮膚を貫き、鮮血が撒き散らされる────その場にいる誰もがそう思っただろう結末は、されど訪れなかった。
ガチ、と歯を噛み合う虚しい音だけがした。その次に
二度、三度と叩き付けられ脳を揺らされた吸血鬼は、人体構造が人間とほぼ同じなせいで立っていられず膝を突いて倒れる。
「……ばか、な……!」
「──なるほど、ね」
一瞬の攻防ゆえに、見ていた少女と司会者だけが不可思議な現象を目の当たりにしていた。
なんてことはない。噛まれる寸前、ユーリが
司会者は驚愕し、少女は得心したような態度で壁に寄り掛かる。
両腕を潰され、脳を揺らされた吸血鬼には最早勝ち目など無い。ユーリはうつ伏せに倒れた吸血鬼を仰向けに転がすと、懐から木の杭と金槌を取り出す。
先端を胸の中央やや左、心臓のある位置に宛がうと──ユーリは躊躇なく金槌を振り下ろして吸血鬼の心臓を杭で潰した。
悲鳴を上げる暇もなく、吸血鬼は体の末端から灰と化して消滅する。ユーリの手から杭が落ち、金槌は懐に仕舞われた。
「なあ、君」
「────」
不意に、少女から声を掛けられた。そちらを向くと、少女は倒れ伏す司会の男を指さして続ける。
「こいつ、死んだのか?」
「……いや、投げたナイフに薄めた神経毒を塗ってあるから、気を失ってるだけだ」
「ふぅん」
さほど興味が無さそうな顔をして、少女は司会者の頭を爪先で蹴る。無反応だが息はあり、死んでいないようだった。
「それより、あんたの首輪はどうする。
鍵か何か必要なのか」
「うんにゃ、素手で千切れるぞ」
「……はぁ?」
ぶちっと音がして、首の革で出来た輪が千切れた。少女が首もとを擦り、腕を伸ばして骨を鳴らす。
「簡単に外せるなら、そもそもどうして捕まったんだ」
ユーリの問いに少女は一瞬だけ口ごもる。目を右往左往させ、考えてから口を開いた。
「……森で寝ていたら捕まってな。どうせなら黒幕ごと締め上げようと、わざとそのままでいたんだ」
「どうだか」
「疑っているのか?」
「ああ」
「即答か……」
呆れた様子の少女を前に、ユーリは思い出したようにフードとマスクを取って素顔を晒した。
「……俺は
ギルドの会員にはユーリと呼ばれている」
「ああ、自己紹介がまだだったな。私は──シルヴィアだ。君の同僚みたいなもんだが、まあ一つよろしく」
少女──シルヴィアは、ニヤリとした笑みを浮かべる。ユーリとの握手を終わらせたシルヴィアは、さて、と言いながら手を叩く。
「君はそいつを拘束した方が良いんじゃないか? 私も私で、ここに長居してると面倒になるから早急に去りたいんだ」
「なら行きな。また、その内会えるだろう」
その内ねぇ……と、そう呟きシルヴィアは深く息を吐いた。
ユーリは司会者の手を後ろに回して縛り、足のナイフを抜いて止血をする。そうして拘束を終わらせて再度シルヴィアを見るも、その姿は何処にも無かった。
「──なんだったんだ、あの娘は」
白昼夢でも見たような、そんな感情を胸に────ユーリは王都の中心で堂々と行われた奴隷売買を潰す依頼を終わらせた。
◆
王都の南区域に存在するギルドに戻ってきたユーリは、疲れた様子でコートの中にマスクを収納する。扉を開いて中に入ると、眼鏡を掛けた小柄の女性と鉢合わせた。
「──受付さん、どうも」
「こんばんは、ユーリさん。王都所属兵士との共同任務、お疲れ様でした」
「ええ、はい。そちらもお疲れさまです」
礼儀正しく腰を折る双方が顔を上げ、女性は眼鏡のズレを直して続けた。
「報酬金は事前に話した通り、二階の個室を使う分を差し引いておきます。残りはこちらに纏めておきましたので、ご確認下さい」
「ありがとうございます。それと、報告は後日で構いませんか? 少し疲れてしまって……」
「ええ。
受付さんと呼ばれた女性は、ユーリに報酬金を詰めた小さい巾着袋を手渡すと二階に繋がる階段に行くよう促す。
深く頭を下げたユーリは、同じくギルドに所属している会員と軽く会話してから階段を登っていった。
二階の宿泊部屋に消えたユーリを見送った受付の女性は、背後の外に繋がる出入口が開く音を耳にする。
「──?」
しかし、振り返ってもそこには誰も居なかった。女性は剣と盾を壁際に置いて休憩している、会場でユーリに指示を飛ばしていた茶髪の男に声をかける。
「レイクさん」
「どうした?」
茶髪の男──レイク・シェラールは酒の入ったグラスを机に置くと、女性の方へと振り向いた。
「今、誰か入ってきませんでしたか?」
「──いや、ちゃんと閉まってなかったんだろ。誰かが来たなら気づく筈だ」
扉の方を見やるも変わった様子が無いため、レイクはため息をつきながらそう言う。
「そう……ですかね」
「ピリピリし過ぎだ。お前もなんか呑むか?」
「遠慮します。下戸なので」
果実を絞った飲み物を受け取った女性はレイクの持つグラスと乾杯をする。その横で二階に続く階段が人知れずギシリと軋んだ事には、誰も気付いていない。
◆
二階にある宿泊部屋の一番奥が、ユーリがギルドに所属してから4ヶ月間使っている個室だった。ベッドや簡素な机、隅にあるトイレへの扉とシンプルなデザインとなっている。
「────」
扉を閉めてコートを脱ぐと、床に落としたそれは独りでに動きだし、ドロリとした液体のように溶けだしてユーリを追従する。
足元から影が伸びていないユーリの足にコートだった黒い物が張り付くと──溶けたそれがユーリの影となり鳴りを潜めた。
長く使っているベッドに腰掛け中央にあぐらを掻いて座るユーリは、自身の影を操り眼前のシーツの上に移動させる。その影に当然のように
枕元の布切れで刃を丁寧に磨き、刃こぼれが無いかを確かめる。手斧とマチェットを磨き終えて、ユーリはぽつりと呟く。
「──この世界に来て4ヶ月、そろそろ銃器を使うべきか……?」
影にマチェットを沈め、代わりに一挺の拳銃を取り出す──が、頭を振ってすぐに戻した。
「やめた方がいいか。明らかなオーバーテクノロジーは文明が崩壊するし、疑われる。とはいえ──」
魔物相手に拳銃は威力不足だしなぁ。と続けて、吸血鬼相手に使用した二振りのナイフを磨こうと腰の鞘に手を伸ばした瞬間。
三回のノックが扉から聞こえてきた。ユーリは手を止め逡巡し、そして脳裏に受付嬢の言葉が過る。
『我々ギルド関係者がユーリさんの部屋に訪れる場合、二回のノックのあとにもう一度二回ノックします。それ以外は──招かれざる客とでもお思いください』
影に戻そうとした手斧を握り、ベッドから降りながら、ユーリが客に対応するような声色で言う。
「──はーい、今出まーす」
右手の手斧を強く握りながら後ろ手に回して足で隠しつつ、左手で扉を開く。何時でも振りかぶれるようにしていたユーリは、招かれざる客の小柄な風体に拍子抜けする。
「……君は」
「さっき振りだな、ユーリ。ところで──金銭が無い私を、一晩だけ泊めてくれないか?」
ユーリの眼前に居たのは、どこか不可思議な雰囲気の、蒼い瞳をした銀髪の少女だった。
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