少女と女性に板挟みにされながら、ユーリはそれとなく少女を庇うようにして女性に声をかけた。会話の内容から主従関係にあるのだろうが、他人である以上警戒するに越したことはない。
「ひとまず落ち着いてください。色々と、順に説明してくれると助かります」
「──ああ、それもそうですね。申し訳ありません、巻き込んでしまいまして」
後ろからコートにしがみつく黄金色の少女をやや鬱陶しく思いながら、黒髪の女性への警戒は怠らずに耳を傾ける。
「こちらには羽を伸ばすために観光に来ていたのですが、それでも勉学を怠るべきではないと思い、ノルマを課したのです。そうしたらお嬢様が先程のように駄々をこねまして……」
「遊びに来ただけなのに、こっちに来たら突然『外に出る前に一定の範囲の教材を読み込んでおきましょう』なんて言われてやる気なんか出るわけないでしょうがっ!」
「お嬢様は事前に言ったら逃げるじゃないですか。ちょうど今のように」
うぐぐぐ……と呻く少女を背に、ユーリは思考する。そもそもの話になるが、相談も無しに報告が唐突。逃げる方も逃げる方だし、結論としてはどっちもどっちと言わざるを得ない。
「そちらのお手を煩わせるわけにもいきません。大人しくお嬢様をお返ししてくださるなら、不必要な怪我をすることも無いのですよ」
「う~~~っ……!」
ユーリの後ろから女性を睨み威嚇する少女は、まさに遊びを優先したい年頃の娘なのだろう。ユーリは考え、思案し、ため息をついた。
「あとでどやされるな」
「──はい?」
「……すみません!」
疑問符を浮かべる女性に、ユーリはぬいぐるみを包んだ紙袋を投げ付ける。
つい反射的にキャッチしてしまった女性の僅かな隙を突いて、背後の少女を抱えて壁を蹴り屋根へと跳び上がった。
「ぬおあぁあ~~~っ!?」
「お嬢様──、はぁ……」
見上げる形で見送った女性は、片手に紙袋を抱え、片手で目頭を押さえ息を吐く。
ユーリという青年は、いささか子供に甘すぎであった。故に、嫌なことに想定通りに事が進んでしまい、女性は思考を切り替える。
「……どこで再開してお嬢様を回収するべきでしょうか……彼に敵対されると面倒ですし、一度見逃して泳がせるべき──おや」
「──私のツレを知らないか?」
ざり、と石畳の砂利を踏む音がして、女性は視線を背後の下に向ける。そこに立っていたのは、お嬢様と呼ばれていた黄金色の女性よりも更に小柄な銀髪の少女だった。
ダルそうにまぶたを細めて、自身を見上げるその顔は、気だるげな雰囲気に反してやたらと刺々しい。女性は少女──シルヴィアの右手に魔力が集まっているのを認識して咄嗟に声を出す。
「……
「どこに」
「──」
つい、と指を上に向けた女性の指先を辿り、シルヴィアは屋根を見た。次いで、ため息。
「……なるほど」
ユーリめ……と小さく呟き、女性に向き直る。
「うちのツレが申し訳ない、話を聞きたいのだが……そこで休憩でもしないか」
くいっと顔を向けた先にあるのは小さな喫茶店だった。銀髪の少女と了承した黒髪の給仕という奇妙な組み合わせで外の席に座ると、傍らに立った女性にシルヴィアが口を開く。
「ここではあんたも客だろう。座ったらどうだ? なぜ私のツレが黒髪の男だと分かったのかについては聞かないでおいてやる」
女性は口を開きそうになり、つぐむ。
「失礼しました。仕事柄癖でして。
それに、黒髪の男性だと分かったのは──干し肉等を箱で買っているお客様を見かけ、それがあなた方だったからですよ。疑われているようですがまったくの偶然です」
「上手い言い訳を考えるものだな」
遠回しに買い物をしているときから見ていた事を明かしてしまう凡ミス。
一拍置いてシルヴィアの向かいに座った女性は、咳払いをしてから続けた。
「申し遅れました。わたくしはヴァレンティナ・ヴァレンタインと申します。そちらのお連れの男性が連れていった
女性──ヴァレンティナはそう言ってから、近くを通り掛かった女給に紅茶を注文していたが、女給は服装は違えど同じ給仕のヴァレンティナを二度見していた。
「そうか。私はシルヴィア、男の方は立花遊理だ。この辺じゃ聞き慣れない響きの名前だろうが、遊理の方が名前だぞ」
「シルヴィア様と、タチバナユーリ様……名前の響きから察するに、タチバナ様は東国の出身なのでしょうか?」
「
シルヴィアは東国を言葉の通りに漢字に変換するのだとしたら、と考えて、脳裏にほぼ確定している可能性を浮かべて聞き返した。
「……その東国とやら、王都から東に行くとその国の領土なのだろう?」
「ええ、そうです」
──
シルヴィアはメニュー表で顔を隠して、静かに重く深くため息をつく。
「どうされました」
「気にするな。ああ、私も紅茶を」
ヴァレンティナの分の紅茶を持ってきた女給に同じ注文をするシルヴィア。
往復させて悪いな、と小さく呟いて、それから小分けされたミルクと砂糖を入れてスプーンで紅茶をかき混ぜるヴァレンティナを見た。
「そのアイリーンとやらは心配じゃないのか? ユーリは婦女子にどうこうするような奴ではないのだが、それは私が知っているだけで、ヴァレンティナ氏にとっては赤の他人の筈だ」
「……ええ、わたくしはタチバナ様とは今日が初対面でした。ですが、これを投げてきながら謝るような方を悪人とは呼ばないでしょう」
ずっと膝に置いていた紙袋をシルヴィアに手渡し、ヴァレンティナは熱い紅茶を口に含む。言葉にはしていないが、その微妙そうな顔は「自分が入れた紅茶の方が旨い」と暗に語っている。
「こちらとしましては、シルヴィア様こそタチバナ様を探さないのかと疑問なのですが」
「あいつも私も面倒事を引き寄せる
少しして机に置かれた紅茶に手をつけるシルヴィア。十分旨いな、と脳裏で評価しつつ、リラックスしよう椅子の背凭れに背中を預けようとした瞬間、不意に耳が乾いた破裂音を聞き取った。
「──今のは」
「……銃声でしょうか」
「……銃があるのか?」
「ええ、はい。商業都市でも少数ですが、見回りの兵士に配備されております」
マジかぁ。と言いそうになり、シルヴィアはぐっと口を閉じる。
兎に角向かわなければ、と考え、二人分の紅茶の代金を机に放って席を立つ。
「わたくしの分は自分で──」
「奢りだ。さっさと行くぞ」
虚空に鈍い銀色の波紋を広げ、紙袋を自分だけの専用空間であるそこに放り込む。
「──今のは?」
「小物入れ」
シルヴィアはそう雑に誤魔化して、喫茶店の敷地から出る。ヴァレンティナはシルヴィアの背中を見てから先程の波紋を思い出す。
「……あれは空間操作。露骨に見せびらかす動き──探り合いをご所望ですか」
己の主と目的の男を探しながら想定外との探り合い。忙しい……そう短く簡潔に思考して、それから
「……はあ」
「あら、ため息」
数分前、屋根に着地したユーリは慎重に少女・アイリーンを下ろすと深いため息をついた。咄嗟の行動とはいえ、これは立派な──
「──誘拐だよなぁ。さてどうしたものか」
「あとで私の方から弁明してあげるわよ。それより貴方の事はなんて呼べばいいの?」
「あー、はい。俺は立花遊理です」
「タチバナユーリ……へー、変な響きね。
私はアイリーン・ア……ルジャーノンよ。ヨロシクね、ユーリくん」
一瞬名前を言い淀むが、ユーリが疑問に思う前に言い終えるアイリーンは、ユーリに対してあっけらかんとした顔で握手を交わす。
「……やっぱり、
「なんか言った?」
「いえなにも」
屋根から風景を見渡すアイリーンが聞き返すがユーリは頭を振った。
風で揺れる黄金色の髪を押さえながら、アイリーンはユーリに提案する。
「ね、ね。ちょっとその辺観光しない? 私けっこう詳しいのよ?」
「気楽ですねアイリーン様。あのメイドさんが追い掛けてきたらどうするんですか」
「メイ──ああ、ビビのこと? 大丈夫だと思うわよ、本気で捕まえるつもりなら、多分あの時点でユーリくん死んでるから」
しれっとそう言い切るアイリーンの言葉には不思議と説得力──というよりは、実体験による忠告のようなものを含んでいた。
「ははぁ、恐ろしい。……ビビ?」
「ん。
「それ、発音的にはヴィヴィですよね」
──「ん?」「えっ」と声が被る。
「ビビ」
「ヴィヴィ」
「……ビビ」
「ヴ」
「う゛」
「ヴィヴィ」
「ビビ!」
「…………やめましょうか」
ユーリは訂正を諦めた。
滑舌が……と呟いて、コートの中に手を沈ませてハットを取り出すと、自信満々な顔で発音を間違え続けたアイリーンに被せる。
「一応、変装ってことで。その髪は綺麗ですがその分派手に目立ちます」
「おー……」
被せられた帽子を手にして、アイリーンはなんとなしに臭いを嗅ぐ。フレーメン反応を起こした猫のように口を開け、再度嗅ごうとした瞬間にユーリにまたもや被せられた。
「嗅・ぐ・な!」
「もー、冗談よ冗談」
カラカラと笑い、それから不意に、足を踏み外したような動きで屋根から地面へと一直線に飛び降りる。ぎょっとした様子で慌ててユーリが下を見やると、音もなく、事も無げに完璧に衝撃を逃がして着地していた。
転移魔法を起動してアイリーンの横に飛んだユーリは、頬に冷や汗を垂らして言う。
「そういった行動は慎んでください……」
「あは、貴方ビビと同じこと言うのね」
「……まったく」
アイリーンの行動は、自由気ままと言う他ない。少し目を離したら、いつの間にか視界の端まですっ飛んでいるタイプだろう。
事実少し目を離した隙に歩き出したアイリーンを、ユーリは即座に追いかけた。
「アイリ──お嬢様! なんですぐどっかに行こうとするんですかねぇ!」
「えー? もう、ユーリくんが遅いんじゃない。どれもこれも誰も彼も遅すぎて私退屈しちゃいそう。ノロノロしないでちょうだい?」
「えぇ……」
半ば逆ギレに近い言動に理不尽を感じてユーリはげんなりとした顔を向ける。意気揚々と歩くアイリーンの高そうな衣服に黄金色の髪、それでいて黒いハットが違和感を生んでいた。
スキップでもするように軽快な足取りで歩くアイリーンを追いかけるユーリが、そんなアイリーンが足を止めた事を不審に思う。
「どうしたんですかお嬢様」
「うーん?」
アイリーンの向けた視線の先にあるのは、建物に挟まれた宝石店だった。室内の明かりはなく、外から見ても分かる程に人の気配は無い。
「今日は閉店のようですが……」
「いいえ? この時間帯ならまだ開店してる筈、なん、だけど……?」
体ごと首を傾げるアイリーンが、横のユーリに目をぐりんと向ける。
ユーリもまた不可思議そうに首を傾げた。
何故なら今日来たばかりのユーリにとって、何時から何時までが開店時間でどの日が定休日か知らないからである。
だがそれでも、
「……ここにいてください。居てくださいよ、動かないでくださいね」
「はーい」
ひょこひょこと待ちきれないかのようにつま先立ちを繰り返すアイリーンに不安を覚えるが、それでもユーリは宝石店に近付く。
──閉まっていない。
これを戸締まりを忘れていると断じる訳にはいかない。ユーリはまだ大人しくしているアイリーンを一瞥してから、店の中に入る。
扉を開けた瞬間に五感が理解したのは、鉄錆びの臭い──すなわち血の臭い。
そして、何人もの死体が転がっていた。顔から表情が消え、内心で静かに黙祷を捧げてから、うつ伏せの死体を仰向けにする。
傷痕からして刃物で胸を刺された刺殺体なのだとわかったユーリは、店の奥から聞こえてきた足音に警戒心を強め────
「わお。強盗かしら」
「──このクソガキ……!」
いつの間にか真横に居たアイリーンに、さしものユーリでもキレそうになる。アイリーンを店から出すかどうかで一瞬迷った間に、足音の正体だろう男二人が奥から戻ってきた。
暗い室内に自分たち以外に人が居るとは想定していなかったのだろう、僅かな硬直の後に、肩に提げていた
「っ──誰だてめぇら!」
「手を上げろ、撃たれたいのか!?」
ボルトアクション式の単発銃──と即座に理解したユーリは、二つの銃口が自分に向いているのを確かめて、自分の斜め後ろに立つアイリーンを庇えるように構えている。
「……銃があるのか」
「あら、あら、あら。それ、町の兵士か国の騎士以外には配られない筈なのだけど……駄目よぉ、密造や密輸は重ーい犯罪なっちゃう」
「うるせえ!」
つらつらと捲し立てるアイリーンに苛ついたのか、男の内の一人が銃口を向け直す。
「……ちっ」
──仕方ない、と結論付けて、庇うように半歩横に踏み出しながら、ユーリは袖口から抜き出したナイフを2本男たちに飛ばす。
二人は反射的に、且つ当然としてユーリに向けて発砲し、弾丸とナイフはそれぞれの胸に向かって飛来する。集中力の高まったユーリの視界は高速で飛んで来る弾丸を見て────
「あら」
────視界の端でバチリと黄金が弾けるのを皮切りに、弾丸の回転が弱まる。
そして文字通りに、ユーリも男たちもナイフも弾丸も、その全てが、ただ一人──アイリーンという例外を除いて停止した。