「っ────!!!」
深夜、館の一室にてユーリがベッドから弾かれたように飛び起きる。心臓がバクバクと早鐘を打ち、全身に鳥肌が立つ。
──
まるで暗闇の奥に光る双眸と目があったような、本能に語りかけてくる恐怖。再び寝ようにも、意識が覚醒してしまっていた。
「……くそ、なんだったんだ」
額の汗を拭い、ベッドから降りる。ワイシャツを脱いで肌着のままだった格好の上に、無地のTシャツを着込んで部屋を出た。
「誰か起きてたら紅茶でも淹れてもらおう」
駄目そうなら夜道を散歩でもするか、と続けるように呟いてそっと廊下に出るユーリは、階段に続く方向が妙に明るい事に気付く。
「……なん──うおっ!?」
「──まだ深夜ですよ、タチバナ様」
顔を向けた先には、椅子に腰掛け、ランタンの明かりを頼りに本を読んでいるヴァレンティナの姿があった。黒く無機質な瞳が暗闇から自分を見る様は、現代人の感性が背筋に怖気を走らせる。
「なんでそんなところで──ああ、見張りか。そうだよな、俺でもそうするだろうし」
小声でそう推理して、ユーリはヴァレンティナが傍らに本を積んでいるのを確認する。
たった1日の付き合いが濃密だっただけで、ヴァレンティナとアイリーン、ユーリとシルヴィアは他人同士だ。万が一を考えて見張りを用意する事に関しては、別段責め立てる事でもない。
「まさかこんな時間から活動を始めるとは思えませんが、どうされましたか」
「ああいや、ちょっと目が覚めちゃって。もし良かったら紅茶でも淹れてもらえないかと。駄目そうなら外を散歩してから寝直します」
「そうでしたか……でしたら、わたくしがお淹れしましょう。どうぞこちらへ」
「……ありがとうございます」
ヴァレンティナはランタンを手に取り、薄暗い廊下を歩いて行く。
ユーリもまたそのあとを追いかけ、階段を降りて玄関ホールからキッチンへと移動した。
明かりを点けたキッチンの、妙に現代社会のそれと似通ったコンロのような物の上に水を溜めた小鍋を乗せた。ヴァレンティナの魔力が火花となり、コンロもどきに火が灯り温められる。
「……シルヴィアが見たらなんというのか」
「はい?」
「なんでもありません」
『これが異世界だ、疑問に思うな』とでも言ってくるのだろうか。
数分して沸いたお湯をティーポットに移し、茶葉を煮出して鮮やかな茶色の液体が出来てゆく。カップに注がれた紅茶に角砂糖を数個入れてスプーンで混ぜ、ヴァレンティナは香ばしい匂いを漂わせるそれを差し出した。
「眠気を誘うハーブを混ぜておりますので、これを飲んで部屋に戻れば眠れるかと」
「わざわざありがとうございます」
「いえ、お気になさらず」
淡々とした、台本を読むかのような平坦な声色。警戒されてるな……と独りごち、淹れたての舌が焼けそうな熱い紅茶を飲む。
よほど高い茶葉なのだろう、今まで飲んだ中でもかなり美味であった。
「──時に、タチバナ様。
タチバナ様は、王都のギルドで会員として働いておられるのですか?」
「ええ、まあ。よく分かりましたね、シルヴィアから聞いたんですか?」
「……タチバナ様くらいの男性は、殆どの場合がギルド会員になりたがるので」
「結構危険な仕事なのに、人気だったりするんでしょうかね」
「危険な分、実入りは良いと聞きます」
ギルドの仕事は魔物の分布調査から、繁殖期で増えすぎた魔物の駆除、近所の引っ越しの手伝いから薬草摘みまで多種多様だった。
場合によっては盗賊や山賊といった人間を相手にする場合もあるが、ユーリは当然ながらその手の依頼を担当したことはない。
「タチバナ様であれば普通の商売でも生きていけそうなものかと思うのですが、ギルドの会員であることに固執する理由があるのですか?」
「え? あー……そうですねぇ」
紅茶の湯気を飛ばすように息を吹き掛けていたユーリは、ヴァレンティナの言葉に、あっけらかんとした顔で答える。
「力が要るんです。俺は、力が欲しい」
「それはまた……どうしてでしょう」
「──色々と、あったんですよ」
疲れたように、諦めたように、或いは──後悔しているように。
ふぅと息を吐いて、紅茶を飲み干すと、あくびを漏らしつつユーリが続けて言う。
「……ぁふ。この一件はあまり話したくないのでしませんが……いやしかし、この紅茶、中々……どうして……効きますね……」
──かくん、と頭を垂れる。
手から滑り落ちそうになったカップを掴み、ヴァレンティナは椅子から転げ落ちそうになるユーリの肩を支えた。
「──お嬢様でも5秒で眠りにつく特製の紅茶をここまで耐えるとは……」
薬物に強い耐性が……?
若干呆れた顔でそう独りごつヴァレンティナは、カップを流し台に置きユーリの体を担ぎ上げた。音を立てずにキッチンから二階の部屋まで手早く動くと、ユーリをベッドの上に転がす。
「……言われなくとも、存じ上げております」
ヴァレンティナは知っている。ユーリがいつギルドの会員になったのかを。いつどんな問題を起こしたのかを。その原因を。そして──それが
穏やかな寝息を立てるユーリの手を胸の上で組ませ、掛け布団を被せると、ヴァレンティナはまぶたに手のひらをかざして呟く。
「──個人的に、わたくしは、貴方の事を応援しているんですよ。タチバナ様」
『見込み無しなら潰しておけ』とは言われているが、それはそれとして、頑張っている人の行いが報われて欲しいと思う程度に、ヴァレンティナは世話焼きであった。
その後、ユーリは暗い夢を見ずに朝まで眠りに就く。それは紅茶を飲んだからか、はたまた──ヴァレンティナに見守られていたからか。
「昨日夜中に起きた気がしたんだけど、全く覚えてないんだよね」
「夢遊病なんだろう」
「口の中から茶葉の匂いがする夢遊病ってなんなんだろうな」
いや知らんが、と返すシルヴィアの隣を歩き、ユーリは商業都市の観光を再開していた。
王都とはまた違う賑わいが耳に響き渡り、それから暫く歩くと人通りの少ない道に出る。
「昨日の連中、牢屋で大人しくしているのだろうか。お嬢様に眼球を抉られた奴は特に騒いでいそうなもんだけど」
「問題が起きたら動き、起きなければ法に裁かせる。私たちは本当の意味での『部外者』なのだから、成り行きに任せるしかあるまい」
「それもそうか」
そう言ったユーリは、夜中に飛び起きた原因である謎の視線をぼんやりと思い返し、そのことをシルヴィアに聞こうと足を止め──ふと自身の体に影が差して、原因を見上げた。
「────あ?」
「どうし……た」
ひゅううう──と、不意に空を切って何かが落ちてきた。落下による怪我もお構い無しにゴロゴロと転がって地に足を踏み締めたのは、身の丈ほどもある大きな狼だった。
周りにちらほらと見える商業都市の住人や観光客は、突然の乱入者にポカンと呆気にとられる。そんな状況下で、狼は、眼前の親子を狙って走り出した。娘を抱き上げている父親が、余りの速度に反応できず──横合いに転移魔法で割り込んだユーリが二人を押して軌道上から押し出す。
「なっ──あ、えぇっ!?」
「混乱するのも分かりますが今は言うことを聞いてください──全員家に入れッ!!」
ユーリが辺りに聞こえるように大声を上げた。その声は周りに伝播し、やがてがやがやとした喧騒は悲鳴に変わって行く。
助けた父娘を近くの店に避難させると、手首をスナップさせて投げナイフを投擲する。
頭に飛んだそれを避けようとした狼の腹に当たり、ギャンと鳴いてから神経毒により四肢が麻痺して倒れた。痙攣している狼に近付くと、シルヴィアが遅れて駆け寄ってくる。
「ユーリ、とりあえず近くの民家に人を押し込んでおいた。そっちはどうだ」
「こっちも見える範囲の人には指示を出せた。しかしなんなんだ、こいつ降ってきたぞ」
「──それなんだが、見ろ」
指を上に向けたシルヴィアに習って天を見上げたユーリは、信じられないものを見た。
そして、ぱっと離して狼を落下させる。
「魔物が魔物を運んでいる……だと……」
「この世界にはあんな生態の魔物が居るのか?」
「少なくとも俺は知らない。こっちに来てからまだ5ヶ月目くらいだしな。世界は広い」
手を帽子のツバのようにして太陽を遮り、目を凝らして見上げると、少なくとも同じ鳥の魔物が3羽居ることに気付いた。
「これがシルヴィアの言っていた『何か』で良いのか? 些か想定を超えすぎているが」
「馬鹿言え、たかが宝石強盗と魔物の強襲が何故繋がっているんだ────いや、だが、仮に繋がっているとしたら……」
俯いて考え込むシルヴィアをよそに、ユーリはコートに手を沈めて矢筒とコンパウンドボウを取り出す。腰に矢筒をぶら下げて、弓を片手にシルヴィアへと声を掛ける。
「今はとにかく飛んでいる魔物をどうにかして、被害を減らさないといけない。シルヴィアは街に落ちてきた狼をどうにかしつつ人を民家や店内に避難させてくれ」
「…………ああ、任せたまえ」
一旦思考を打ち切って、ユーリの言葉に同意する。転移魔法で屋根に飛んだユーリが鳥の魔物を追いかけていったのを見届け、シルヴィアはユーリのナイフで動けなくされた魔物に止めを刺す。
「……うん?」
長剣の切っ先を首に突き刺しゴキリと捻り骨を折ったシルヴィアは、魔物が
「──これは……」
「う────ん」
「お嬢様」
「ん?」
館の屋根に上り辺りを見渡していたアイリーンが、ヴァレンティナの声に反応してたんっと飛び降りる。玄関の前に降りて着地すると、その長い黄金色の髪を紐でポニーテールに縛った。
「なんか変な魔物が飛んでて、狼型の魔物を投げ落としてるみたい。大騒ぎよ」
「……お嬢様、まさかとは思いますが」
「──じゃ、行ってきまーす!」
「お待ちなさ──ああ……全く……」
まばたきの間に、アイリーンは黄金の軌跡を街灯から屋根へと繋げるように跳んで行く。姿を見せない超高速移動が、遅れてぶわりと風を生んだ。眉間を指で押さえて、ヴァレンティナは小さく、それでいて重くため息をつく。
「はぁ…………皆さん、この館は民間人の受け入れ先として解放します。逃げてきた民間人や怪我人の手当てをお任せします」
「は、お任せください」
自分以外の給仕に手早く指示をして、ヴァレンティナはアイリーンを追いかける。
ぐっ、と足に力を入れて、直後に石畳が砕ける勢いで跳躍して民家の向こうへと消えた。
「……あの人はあの人でなんか変だよな」
「しっ、聞かれるぞ。あの人耳良いから」
その様子を見送った給仕二人が、そんなことをぽつりと呟いていた。
──キリキリキリ、と滑車を利用した弦が引かれる。空を飛ぶ鳥型の魔物──ではなく爪に掴まれている狼型の魔物を狙った矢が、ひゅんと真っ直ぐ飛翔して突き刺さった。
頭蓋を貫き脳を破壊された狼という荷物を即座に投げ捨てると、鳥はユーリに狙いを変えて飛び掛かった。二本目の矢をつがえて弦にセットしたユーリは、引き絞った体勢のまま──転移。
「馬鹿め」
その声は、屋根に鉤爪を叩きつけた鳥の背後から聞こえた。弦を引き絞りきった状態で背後に転移したユーリは、空中でその身をよじって、限界まで引かれた矢を解放。杭を打つように真上から放たれた矢が鳥の後頭部に突き刺さる。
頭を貫通し顎の辺りを突き抜けて屋根に刺さった矢を回収し、ずるりと力が抜けて地面に落ちる鳥の死体を見送った。
「……避難させて正解だったか」
消滅するとはいえ、あんな巨体に押し潰されたら間違いなく助からないだろう。まだ2羽飛んでいることを考えて、ユーリは踵を返そうとし──聞き覚えのある声が後ろから聞こえてきた。
「ユーリくぅうおっ」
「──お嬢様、突然現れないでください」
「だからって弓を向けないでくれる……?」
というか変な弓ね、と続けて、アイリーンはからからと笑う。咄嗟にコンパウンドボウを向けてしまいすぐに下に向けたユーリは、つがえた矢を外してそれぞれを片手に持つ。
「どうされたんですかお嬢様。貴女は特に避難してないと駄目じゃないですか」
「──昨日のあいつら、脱獄してるわよ」
「え」
「勘だけどね~。でも、可能性は高い」
この騒ぎに乗じて、ということなのだろう。ユーリが考えている傍らで、アイリーンはユーリの顔をじっと見てから続ける。
「あいつらが脱獄ついでに人を傷つけたりしたら、『ああやっぱり殺しておくべきだったのに』ってなるのかしら」
「なるでしょうね。だから、その前に止めるしかないのでしょう」
「それでも手遅れだったら?」
「それより速くぶん殴ればいいのでは。だってお嬢様、
「……なるほどねぇ…………あら」
ちらりと、誰もいない道を歩く男の背中を屋根の上から見る。視線を辿った先に居た男が先日の強盗犯だと理解して、ユーリとアイリーンは顔を見合わせて言った。
「噂をしたらなんとやらね」
「噂をすれば影、ですね。どうしますか、俺の弓ならこの距離でも当てられますが」
矢をつがえた弓の弦を引き絞るユーリの腕を横から押さえて、アイリーンが口を開く。
「私がぶっ飛ばす。ユーリくんは自分がやろうとしてることをやり遂げてきて」
「……あとでやっぱり手を貸して、と言われても、俺はなにもしませんよ」
「はっ──誰に言ってんのよ」
肩を手の甲で小突いて、アイリーンは屋根から飛び降りて男の背中を追う。
ユーリは2羽の鳥をさっさと仕留めようと振り返り転移魔法を起動しようとして、突然民家の間から上空に撥ね飛ばされ宙を舞う巨大なイノシシを視界に納める。
「…………シルヴィアかな?」
ズズゥン……という重い落下音を聞きながら、ユーリは改めて鳥の魔物に狙いを定めた。